[書評] W.K.ジョルダン著「イギリスの博愛主義」
について
その他のタイトル [Book‑Review] W. K. Jordan, Philanthropy in England, 1480‑1660.
著者 原田 聖二
雑誌名 關西大學經済論集
巻 10
号 3
ページ 311‑326
発行年 1960‑11‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/15550
3 I I
w. K
・ジョルダン著﹁イギリスの博愛主義﹂について︵原田︶ と並んで本源的蓄積の契機として強く働いたことは周知のとこ
w . K
・ジョルダン著
﹁イギリスの博愛主義﹂
Wiber•
K .
Jo rd an
P ;
hi
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忌
ro py in En gl an d,
1
48 0
ーN 66 0.
A
St ud y o f t h e Ch an gi ng a P tt er n o f E ng li sh S o c ia l As p i ra t i on s , p p . 41 0 L , on do n, 1 95 9.
において大量に創出された﹁貧民﹂の問題であった︒彼らの最
初の
存在
形態
は︑
浮浪
者で
あり
︑
乞食
であ
り︑
貧民
であ
り︑
そしてとくに怠け者であった︒こうした状況において彼らの存
在を︑良い意味にしろ︑悪い意味にしろ抑圧しようとしたのが
一六
0
一年においてその一応の帰結を得たといわれる一連の初期救貧法であった︒この法律がかのインクロージャーや徒弟法 解決を迫られた問題は︑なんといっても︑中世よりの大転換期 代に代表される絶対王政下にあって︑政治的︑社会的に急速に 初期資本主義の時期︑とくにチューダー・スチューアート時
ベス救貧法と同様に︑
五七
一五九七年にその基礎がおかれ︑
一六
〇
らのほとんどは救貧法そのものを対象としているのであり︑そ 学者によって数多くの研究がおこなわれてきた︒しかし︑それ ろ
であ
る︒
この十六・七世紀を中心とする救貧法の問題は︑資本主義の
成立に関して︑如上の問題︑或は社会保障制度との関係等から
も多くの問題を学んでいるのであり︑したがってすでに多くの
れだけでは︑此の問題のもつ意味が大きいだけに︑十分とはい
えないように思われるのである︒しかるにここに︑かのエリザ
一年に体系的に法律化された公益信託
( Ch a r it a b le t ru s t )
に
関する法律(39
E l i z . , c . 1 0
43 ;
E l i z . , c . 4 )
をそれと等置して︑
について
原
田
聖
特に商人の博愛的動機であるアスビレーションを詳細に考察す
とができるか否かは疑問ではあるけれども︑絶対王政の担い手 善的行為者をそのまま意識的政策形成グループと同一視するこ である︒第二部では︑ロンドンを中心に`イギリス都市社会︑ の自発的寄託をなさしめた動機こそが教授のいう︑ に反映するものとしてのイギリス社会の変りつAあるアスビレ的実施をみるに至らなかったという点︑およびその自発的寄託 本書は︑チューダ
r
・スチュアート時代の慈善(b en ef ac ti on )
ーションをあとずけようとする研究の三部作の第一部を形成す
るものである︒したがって︑本書においては主題についての説
明と施大なる史料提供に重点を置いているのであって︑
一応
の
結論を含んではいるけれども︑いわば問題提起的な色彩が濃厚
ることになっている︒そして︑第一︱一部では精密な史料をもって
農村イギリスにおける人間のアスピレーションの変化を詳細に
解明する計画がなされている︒ジョルダン教授は明言してはい 金の大部分は商人階級から出たものであったという点を繰り返し強調しているのである︒そして︑商人階級をして救貧のため
﹁ア
スピ
レ
ーション﹂であったというのである︒(1) したがって︑本書の書評者の一人であるカール・ド・シュヴ
ァイニッツ氏
Ka rr
de S ch we in it z
もいわれるように︑遺言
者や寄託者︑すなわちアスビレーションの表現形態としての慈 れによって救貧事業がなしとげられたがために︑救貧法は全面 フ・カレッヂの学長の要職にある︒託の形態をとった自発的寄託金の方がはるかに多額であり︑そ リス史を専攻し︑現在ハーバード大学の歴史の教授︑ラドクリげているが︑救貧法によって微収された救貧税よりも︑公益信 に歴史家であって︑特にチューダー・スチュアート時代のイギさて︑本書においては︑救貧法と公益信託法とを共に取り上 著者ウィルバー•K・ジョルダン教授は教育者であるとともェントリーにあたえつA論じているからである︒
であ
る︒
くであるが︑本書の叙述において︑その商人と同等の評価をジ を試みようとする︑ジョルダン教授の﹁イギリスの博愛主義﹂ 済に関する問題を取扱った好著が現れた︒それが︑ここに紹介 精密なる実証の下に︑チューダー・スチュアート時代の貧民救
w. K
・ジョルダン著﹁イギリスの博愛主義﹂について︵原田︶
ないけれども︑第二部の商人に対応して︑第三部においてはジ
ェントリーを中心に据えて論じていくのではないだろうか︒そ
の理由は︑第二部の主題はロンドン商人であることは上述の如 五八
313
しかしこのような大著をもれなく紹介するということは浅学
の筆者にとっては能力の外にあるので︑ここには︑上において
述べた視角から問題提起的に紹介を試みたいと思うのである︒
註
(1
T) he A me ri ca n H is t o ri c a l Re vi ew , V o l. LX V, No . 2, J~n.
1 96 0 , p p 3 6 . 2 f f .
これ以外にフィッシャー教授
F . J . Fi sh er (T he B r i ti s h Jo ur na l o f S o c io l o gy , Vol•
X I, N o. 1
, •
Ma rc h. 19 6 0 . p p ・ 8 8 f f . )
コールマン教授
D. C. Co le ma n (T he E co no mi c Hi st or y Re vi ew , V o l. X I I I , N o. 1, A ug us t. 1 9 6 0. p p.
w. K
・ジョルダン著﹁イギリスの博愛主義﹂について︵原田︶
う ︒ わたる図表は研究者にとって多大の便宜を与えてくれるであろ 実証的な研究を展開している︒なお︑巻未に附されたニ︱頁に ﹁この書物は事実と数字とその時代の思考の金山である︒そ
れは興味深く書かれている︒この著者の説明はゼミナールやク
ラスにおける討論を活気ずけるよう材料を提供してしばしば剌
( 2 )
戟的である﹂といわれるように︑広汎な史料と文献にもとずく こと等が暗示されるように思われる︒ がどのような階級であったかという問題に対して新しい角度からの解明の手がかりを与えてくれるのではないだろうか︒さらに︑救貧法を法規の面から取扱うだけでは不十分であるという
第二章
方 法
五九
第一章問題の意味
る ︒ 成も独特のものがある︒それを列挙するならば次の如くであ ぜられるように︑その議論の進め方が非常に興味深く︑章別編
1 1 3 f f . ) J , J .
よる書評がある︒フィッツャー教授は貨幣価値
の換算が正確に行われていないこと︑記録そのものも時
代を遡るにしたがって不完全であること︑さらに十六.
七世紀に貧民が急速に増大したということをとくに注意
して読むならば非常に有益であるといっている︒その上︑
宗教改革後の貧民救済の問題に新しい光を投げかけた点
を大きく評価している︒コールマン教授もまた本書の価
値は当面の時期の社会史の要領を得たしかも賢明な観察
にもとずく言説にあり︑また価値ある光を贅困の問題と
イギリス博愛主義のパターン︵アスピレーツョン︶の移
り行く変化に注いだことにあると評価しながら︑フィッ
ッャー教授とおよそ同様の欠点を具体的に挙げている︒
(2
)
Th e A me ri ca n H i st o r ic a l R ev ie w
̀
o pc i t .
̀
.p . 3 6 3 .
まず︑本書の内容構成であるが︑目次を一瞥しただけでも感
占めているのである︒ の約三分の一を占めており︑富の総額においては約二分の一を り︑それらは面稜・人口︑および教区数においてイングランド
ションこそは慈善に反映され︑それがもっとも純粋に現われる 理解させることになる﹂(p.15)のであって︑そのアスビレー たところのアスビレーションの移り行く形態をもっとも詳細に ク︑サマアセット︑ウスターシャー︑ヨークシャー││であはまた全体としての結果からみれば革命といい得る変化を与え ト︑ランカシャー
ロン
ドン
︵ミ
ドル
セッ
クス
︶︑
ノフォー ハンプシャー︑ケン 激に経済的権力の座についたのである︒﹂ 前述の如く︑この章においては︑三部作の第一部としてのこ 以上のような章別編成からも理解されるように著者ジョルダン教授は︑第一章において全体の構想・展望を与えており︑この著書の成り立ち︑対象範囲を明確にしようとする︒すなわち︑時代は一四八
0
年から一六六0
年に至る間であり︑場所はイングランドの慎重に選択された十の州││'プリストル︵グロ
スタ
ーシ
ャー
︶︑
バッキンガムシャー︑ 体制の廃墟の上に強力な専制君主ががい歌を奏し︑吾々が宗教改革と呼ぶあの復雑な動きの革命的な衝撃が与えられ︑強力な︑尊敬にあたいするジェントリーの出現がみられ︑そして主としてビューリタンであるところの都市上流階級ー商人ーが急
︵p .
ぷ︶そして﹁こ
の重大な時期における慈善を詳細に吟味するならば︑イギリス
社会の中に働いた歴史的変化に対する有力な勢力が何であるか
について︑敏感な︑そして確かなバロメーターが得られ︑それ 導入部分ともなっている︒ の部分はこの書を維く者をして惹きつけずにはおかない重要な 代において中世社会の崩壊と近代の端緒がみられ︑封建的政治 ﹁思想や制度の上での非常に重要な時代であるが︑実にこの時 第七章
成 果
する
こと
﹂
(p.17)である︒ところで︑対象とするこの時代は 第六章
動 機
第 五 章 法 と 現 実
第 四 章 機 構
第三章
要 因
そして︑この研究の中心的問題は﹁この時代の慈善に反映さ
れたものとして︑イギリス社会の移り行くアスピレーションを
注意深くたどること﹂︵
p. 15 )
︑すなわち﹁貧困.悲惨そして
バターン無知の問題に対する人間の態度の型における顕著な変化を考察 w•K・ジョルダン著「イギリスの博愛主義」について(原田)
六〇
3 I 5
w•K・ジョルダン著「イギリスの博愛主義」について(原田)
六
エリザベス女王の時代と共に︑社会的・文化的アスピレーシ
攻撃
的な
階級
﹂ ( p.
1 9
)が社会的歴史的責任や権力の空白を埋 古い階級の人々︑特に貴族や牧師は﹁これらの新しい︑そして おおくの面からイギリス社会における道徳的・社会的責任︵アば彼らはみさかいのない︑そして不規則な慈善行為は浪費的で 律によって意図された機構
( 1 1
税制︶からよりも︑むしろ個人 中世における施し(alms)の制度は主として修道院によ
って行われていたが︑解散以前にすでに修道院はその力を消失
程を経て︑一六
0
一年のエリサベス救貧法によって計画としては一応完了したといえるのである︒しかし﹁この目的に向けら
的寄託から生じたということは明らかである﹂
(p .1 8)
とし
て︑
本書全体を通じてなされている主張の一端を覗かせているので
ある︒そして︑この点を数字によって実証しつA︑できる限り
スピレー>ョン︶の発展をあとずけようとするのである︒
次いで︑この個人的寄託の主たる担い手として︑ジョルダン
教授はジェントリーと商人という新しい二つの階級を挙げる︒
めるようになったので静かに身をひいたのであった︒彼らは﹁ に︑急速に︑そしてもっとも効果的に変形せしめたがゆえに︑公共福祉に対する責任の大部分を引受けたのであった︒﹂
(p .1 8
︶そして彼ら︑とくに商人はこの時代の他のどの階級よりも世
俗的であったがゆえに︑中世的
1 1
宗教的なものから離れたアスのである︒すなわち︑﹁国民的アスビレーションの形成︑およ
を具体化し︑永久的財源を寄託するにあたって支配的な影響を
及ぽしたのは︑吾々の取扱っている時代に出現したロンドンの
.上流商人階級であった︒﹂
(p .1 8)
そして︑彼らは中世的慈善
の機構である
施しI I
1 1 を嘲笑し見むきもしなかった︒なぜなら
あると同様に非効果的だということを十分知っていたからであ
る︒そして︑商人が彼らのアスビレーションを歴史的現実へ確
実に転換するために用いた偉大な︑そしてもっとも効果的な手
段こそ公益信託であり︑それがかのエリザベス公益信託法によ
って推進せられたのである︒ れた基金の大部分と同様に︑それを作り上げた内在的の力は法びアスピレーションを不朽の顕在的存在に変えるための諸制度 ビレーションの形成について大きな役割をはたしたと主張する していた︒しかし︑こうした貧困問題への対策は試行錯誤の過 で
ある
︒
のが遺言書であるとして︑遺言書の効用について述べているの社会に対する理想を吾々が自由主義と呼ぶ国家の新しい理念
という見地から︑とくに進歩したロンドン︵ミドルセックス︶は︑次にその機構について述べる︵第四章︶︒そこにおいて さて︑以上のように方法と要因を説明したジョルダン教授
1 5
)と結んでいる︒ ついては︑すべての州のあらゆる慈善行為を記録することは不 ている大口の寄託の記録ー—を重視する。さらに、州の選択に 目的のためになした寄託の記録ー—'ほとんど信託の形態をとっされていく重要な過程を取扱うのである︒そして貧困の根源を ものを史料として重視する︒つぎに︑寄贈者が生存中に慈善的 一 十分に統治せしめたところの︱つの理由でもあった︒これが第 さにこのことがエリザベス女王をしてこの国を強力に︑そして ってイギリスの制度を形成した階級︵商人︶のアスビレーショ ョンは一般的風潮として世俗的となった︒すなわち﹁イギリス
章の
大要
であ
る︒
第二章においては︑前章で与えられた概念を把握するために
はどのような方法で接近していくかということを具体的に述ペ
ている︒まず遺贈された財産の中かなりの額が慈善的に使用さ
れているために︑遺言書︑とくにカンタベリー︑ヨークの遺言
事件裁判所
(T he Pr er og at iv e Co ur t)
において検認を受けた
可能であるのみならず不必要であるという立場︑およびイギリ
スは文化的に均質の国ではなく各州の間に発展段階の差がある
一四
八
0
年から一六六0
年という時代設定は︑通念に反するこ配されたという理由からそれが行われているのである︒
このように問題に対する接近方法を示した後︑﹁方法上の欠
陥﹂について適当な警告を与えている︒そして最後に︑慈善的
寄託金がどのような目的のためになされたかについて︑い貧
民︑図社会の改革︑③都市改良︑④教育︑固宗教という五つの
慈善的大項目のもとに︑二十四の小項目を挙げている︒
第三章においては︑この書物の研究対象は貧困の歴史︑或は
︑ ︑ ︑ ︑
その救済・救治そのものではなくて︑歴史と共に古い貧困の問
題に付随して現われ︑さらに貧困の問題を改善するために効果
的な役割を果した博愛的なアスビレーションがだんだん世俗化
追求し︑幾つかの原因を挙げた後︑同教授もまた多くの論者と
同じように﹁それらは無数であり︑相互に関聯している﹂
( p.
ンに的確かつ有効に適合した﹂
( p .
20)のである︒そして︑ま とであるが︑統計的理由︑すなわち慈善的寄託は十年単位で分 を確固として支配していた女王のムードは︑その慈善的富をも と共に遅れた州を含むことも必要だとして十の州を選ぶ︒また w•K・ジョルダン著「イギリスの博愛主義」について(原田)
六
317
w•K・ジョルダン著「イギリスの博愛主義」について(原田) しての慈善行為が法的意味を持つようになったわけである︒こ 通過したのであった︒ここに至ってアスピレーションの現れと れが立法化されてエリザベス救貧法と同じ一六
0
一年に議会を 貧困を抑制することが出来た︒したがって︑個人による慈善的 は︑浮浪者の問題とその対策について︑さらに救貧法の世俗的して︑かのエリザベス法典の成立過程を論じ︑その中心的な法規としての﹁貧民の救済に関する法律﹂(A An ct fo r th e R e li e f o f th e P oo r .
︹43
E l i z . , c .
2
.︺)の内容を取上げつ4すすめてい
く︒その記述の過程において見られるところは次のような点で
るのであるが︑その実施は仲々困難であり︑結局は国家的危急
の場合にのみ施行される最後の手段であるに過ぎなかったよう
寄託を国家が奨励したということは十分考えられる︒そこで︑
の時代は︑前にも述べたように︑社会の風潮が次第に世俗化し
てきた結果︑宗教的アスビレーションから世俗的アスビレーシ
六
ついて︑貧民監督官の報告から採りあげられた多くのデータを
きな役割を果したという結論に達している︒一六六
0
年直前に国家的危急の場合に︑いつでも実施されるようなしくみになっ
ていた﹂が︑この同時期を通じて﹁救貧税というかたちで集め
られた金の総額は﹂︑個人によってなされた慈善的寄託の総額
と比較すると︑
では慈善的寄託はいったいどのような動機からなされたので
あろうか︒第六章はこの問題を論じている︒いうまでもなく︑
中世においては教会が慈善の実践機関であり︑施物は教会を通
じて貧民に分配された︒したがって慈善的寄託をしようとする
動機も宗教的な信仰心に発していた︒しかし︑すでに述べたよ
うに︑時代と共に世俗化の風潮が高まり︑それに応じて慈善的 この個人による大量の慈善的寄託は公益信託の形態をとり︑こ たことはかってなかった﹂
( p.
13 9)
というのである︒ ﹁それほど大したものでなく︑また重大であっ である︒ところが一方︑自発的になされる慈善的寄託によって ある︒すなわち︑救貧法は強制課税たる救貧税の徴収を規定すり得られたにすぎない︒つまり︑エリザベス救貧法は﹁重大な おいては︑貧民の保護に費された総額のわずか七%が救貧税よ って徴収された税金よりも︑慈善的寄託金の方が貧民救済に大 使って説明していく︒その結果︑主として法律の規定にしたが て国家がなさねばならなかった対策が徐々に形成される過程と 行政単位としての教区の機構を述べたのち︑貧民の問題に対し第五章においては︑
一六
0
一年のエリザベス救貧法の施行に ョンヘの移動という大変革が起った時代であったのである︒心として書かれる筈である第二部に大なる期待がかけられるわ中でも︑もっとも強くしかも影響を及ぼしたアスビレーション 部︑就中本書においてとくに強調されているロンドン商人を中 ず最初に貧困の問題に関してとり上げられたのは当然であった 的な信仰心に代るいわゆる﹁アスビレーション﹂が世俗的な動機となったわけである︒さらに︑あらゆる階級に現れたアスビレーションの形成者として﹁商人エリート﹂を検出する︒それがいかにして成し遂げられたかは次章の問題である︒れた世俗的アスビレーションの形成者たる商人エリートがどのような役割を果したかについて論じ︑彼らの慈善は︑決定的であった﹂
( p.
348)
とい
う︒
以上にみられるように︑ジョルダン教授は︑三部作の第一部
としての意識のもとに本書を執筆しているので︑全体として︑
に思われる︒もっとも︑第六章と第七章において一応の結論を
与えてはいる︒しかし︑それも試論の域を出ないように思われ
るのであって︑全体としては重要なる問題提起をおこなってい
るものとみなければならない︒したがって︑これに続く他の二 今後に予定される他の二部の導入的な役割をはたしているようの貧民が創出され︑他方においては前記のような中世以来の救 も︑種々の形態をもったクラフト・ギルドが︑宗教上の信仰も ギリスの社会的アスビレーションの確立において支配的であり
﹁近
代イ
最終章︑第七章においては︑前章までの記述によって検出さ 寄託をしようとする動機も変ってくるのは当然であって︑宗教
けで
ある
︒
ジョルダン教授が︑十六・七世紀の貧民の存在そのものをこ
の研究の出発点としていることは︑すでに述べてきたとおりで
手伝って︑非常に効果的に貧民救済を行っていたのであった︒
しかしながら︑中世社会の崩壊とともに︑一方においては大量
済機関がその機能を喪失したのであった︒こうした事情を考慮
に入れるならば︑この研究の過程において︑人間の道義心がま
とい返る︒すなわち﹁当面の時代の人々は︑彼等の世界に対す
る新しい︑そして力強いアスピレーションに動かされていた︒ が貧困の救済に大きな役割を果していた︒また︑都市において 係の諸制度︑その中でもとくに修道院︑それに多くの慈善施設 しい現象ではなく︑すでに中世社会においても︑キリスト教関 ある︒もっとも貧困およびその救済はこの時代のみに現れた新 W•K・ジョルダン著「イギリスの博愛主義」について(原田)
六四
319
な制限を設けて許可状を与えて乞食を許し︑労働能力者は郷里 論は︑この王国を苦しめた浮浪者ー貧民を分類するようになっ ものとして取扱っていた︒しかし徐々にではあるが︑議会と世 なのであった︒そこで国家は彼らに苛酷な刑罰をもって臨んだのであり︑大ていのチューダー法規は貧困と浮浪者とは同義なたことは注目すべきである︒それはヘンリー八世の一五三一年の法令(22
He
nr
y
V I l I ,
c .
12)に見出される︒その規定によ
ると︑労働無能力者と労働能力者とを区別して︑前者には厳重 なさねばならなかったもっとも差迫った問題は﹁浮浪者の問題﹂
0
年から一六四0
年にいたる約一世紀の時期において︑政府が た︒したがって︑吾々が研究対象としている時代︑特に一五 信仰心や同情をもってこの問題の解決に着手したのではなかっ は︑このような古釆の悪徳を一掃し︑根絶しようとする決心であった
︒﹂
( p.
76)まず一般的にいって︑この時代は貧困の仰
圧と救済についての国家的な制度︑すなわち救貧法によって徐
々にではあるが進歩的な試みがなされた点が特徴的である︒
チューダー王朝の君主は﹁貧民が公共秩序を乱すが故にのみ
」貧困問題に関心をもったのであって、•これらの君王は敬虔な
六五
る︒その理由は﹁いかにして大規模な救済制度に財政的裏付を な
かっ
た︒
かくて﹁貧民救済についての財政的基礎︑およびその管理の
いずれについても適切な準備はなかったけれども︑この法律に
( p.
! 85)といわれる一五三六年の法律(27
He
nr
yV
UI
̀
c .
25)の成立となるのである︒
ても︑やはり真の失業者の存在を認めず︑浮浪者や乞食は刑罰
によって消滅をはかろうとする意図が見られるのである︒しか
し他方において︑彼らを保護する財源を施しに求めようと・
する点がみられたことに注目すべきである︒さらにその財源を
教区全体の責任においてまかなうよう規定されるに至ったので
強制救貧税の制度に一歩近ずいていたといえる(5
an
d
6 E d
w ・
w こ "
.
2 ︹15
5115521
︺ ︶ ︒
こうした法的発展に見られるように︑議会は当然救済すべき
貧民があるにもかかわらずそれを認めることを躊躇したのであ・
に帰して仕事に就くべしとしたが︑彼らを援助し仕事を与えて
w•K・ジョルダン著「イギリスの博愛主義」について(原田) この法律︑或は一五四七年の法律(1
Ed
w.
V I ,
c .
3)
にお
い
た ﹂ おいて︑後のそしてもっとも効果的な法令の大要が現われ始め 酷であるにかかわらず法律の意図する目的を達することができ やるための何らの規定も設けられていなかったので︑処罰が苛
形成されていったのである︒ リザベス時代を通じて貧民への関心がたかまるにつれて徐々に
さて︑当面の問題である公益信託の成り立ちについてみる
四
堤と考えているのであって︑このような立論は本書の随所に見 とに汲々としており︑そして支配構造を蝕むかも知れなかった えず歴史的現実に対処する準備がなされており︑権力を護るこ 立って︑すでに確立されていたのである︒すなわち︑ロンドン問題︵救貧︶について感傷的でもなければ親切でもなくて︑た 年法の成立過程を論述している︒チューダー朝の君主は﹁その それはいうまでもなく﹁商人階級﹂である︒彼らは個人によ にその社会的責任を引受けていた一階級があった︒ ︑なし得るかという非常に困難な問題﹂が背後にあったからであ
ろう︒このように国家が救済に積極性を欠いているとき︑すで
る慈善的アスビレーションの模範を示した︒そして︑この商人
エリートによって支配されていたこの国の主要な商業都市で
は︑一五六
0
年までに貧民救済に関する制度は国家的制度に先は︑一五三三年に︑すでに自発的寄託の募集と分配の制度をと
とのえ︑一五四七年には︑強制救貧税の制度を採用して︑全イ
ギリスの模範となっていた︒その後この強制課税の制度は︑エ
しかし︑なんといっても︑貧困の問題は国家的規模で処理さ
るべきである︒そこで︑長い間の法令上の実験と個人的慈善行
為によって得た経験を十分に活かして政府は地方的・個人的方
策では解決できない非常の場合に備えた︒そのような非常事態
は︑一五九四年の凶作︑一五九六年の対スペイン戦争︑そして
一五九六年の飢饉のさいに現れた︒そしてこうした厳しい事 り︑一五九七年さらに一六
0
一年の法令を生むにいたったのでこのように︑経済的危機を救うために成立した一六
0
一年
の
法律は失業者の規定を明確にし︑慈善的責任の俗人への移行を
完全化せしめた︒ジョルダン教授は多くの頁を費して一六
0 1
混乱にほとんど直観的にまでも神経質であった︒﹂(p.107)こ
のようにジョルダン教授は︑救貧法を︑いわば絶対王制の防波
られるのである︒
に︑それに関する大エリザベス法令は十分注目に値する︒とい
うのは︑それは﹁寄託者のアスピレーションを完全に保護する あ
る︒
態に直面した政府は真の失業者の存在を認めざるを得なくな
w . K .
ジョルダン著﹁イギリスの博愛主義﹂について︵原田︶
六六
311
w•K·ジョルダッ著「イギリスの博愛主義」について(原田) 悪い道をなおし︑
リザベス大法規は歴史的現実と全く適合していたといえよう︒ し︑それに効果的でしかも費用のかからない保陵をあたえたエ おける公益信託となった︒このように公益信託の構造を規定 ﹁それでもって病院を修復し︑ 免を得︑そして彼らの財産の有利な使用によって幸福な死を得る直接の贈与とみなされていた︒しかし︑一五二
0
年頃から寄 悩める︵しかも富裕な︶商人は誠実によって罪の完全なる赦託は
施しI I
1 1 の性格を帯びており︑普通には即座の使用に対す 基金の用途をも説明しているので引用しておきたい︒吾々が研究対象としている時代の初期においては︑慈善的寄 ビレーションの意味把握の手がかりとなるとともに︑公益信託護を法的に規定しようとしたのである︒ 行為を大いに剌戟した﹂
( p.
1 1 2 )
からであった︒しかし︑教
授はさらにすすんでこの注目すべきエリザベス公益信託法の本
質的形態ともいうべきものが︑すでに一四世紀に完全な形をも
って述べられていたという︒
すなわち︑教授はそれをかのウィリアム・ラングランド
W i l ,
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の有名な﹁農民ピアズの幻想﹂
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P i e r
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の中に見出しているのである︒この例はアス
るようすすめられた︒すなわち
病人
をた
すけ
︑
くずれ落ちた橋を建設し︑
未婚の女を結婚せしめ或は修道女にし︑
因人や貧民に食物をあたえ︑ 流暢な条文の完全な典拠となったといっている︒それによっても明らかなように寄託するかしないかは自由意志に任されていたが︑寄託者のアスピレーションの現れとしての信託財産の保託者数が相対的に増大して来たので︑寄託金の形態での慈善行為を制度化しようとする傾向が現れてきた︒すなわちわずかばかりの例外はあったが︑これらの寄託のたいていは法的形態に
こうして成立した公益信託の機構は非常に大きな意味をもっ
六七
・
いて︑他のものはすべて一六
0
一年の公益信託に関する法律の この詩にあらわれた各項目のうち︑修道会に関するものを除 ことによって︑建設的でしかも熟慮の上でなされる慈善的施与修道会をたすけ︑
そして地代や税をやすくする︒﹂ 生徒は学校に行かせ或は他の技術をあたえ
·---—-~---
3 2 2
行されることによって︑わずか六
0
年ばかりの間に︑残りの約六八形の寄付金が公益信託として設定されたといえるであろ
う︒このように︑公益信託法はみさかいのない施しの多くを公 約三二飴にすぎなかった︒したがって︑この法律が成立し︑施
る ︒
のは︑当面の州ならびに時期全体を通じてなされた寄付総額の この公益信託法が成立する以前に公益信託として設定された するに十分な額でもあった︒ ていた︒なぜならば︑当面の時期全体を通じて処理された慈善的寄付の総額の八二%以上にあたる二︑五五一︑八八
0
ポンド一九シリングが寄託金の形態で与えられたからである︒それら
は︑吾々が研究対象としているこの十の州において︑ランカシ
それらの寄託金は六︑三二八人の個人的寄付者によってなさ
であり︑また強固なる基本財産をもつ救貧院や初等学校を設立 益信託に設定される寄託金の形態に変えるよう剌戟を与えたので
あっ
た︒
要を満すには決して十分なものと考えることはできない︒なぜ
の最大の年である一六五
0
年において︑総収入のうち︑約七%が税から︑約九三%が個人の寄託金によって占められている事
実によっても明らかであろう︒また︑それぞれの州のもっとも
貧しい教区においてさえも︑貧民救済に利用できる慈善的寄託
金の総額は税収入総額の三倍はかる<越えていたのであった︒
教授はこれらのことが﹁イギリス全体についての特色からあま
り離れていないということを信ずる﹂(p.140)とつけ加えてい れは農村教区における貧民救済のために必要な金額とほぼ同額 平均四
0
三ポンド五シリング四ペンスの多きに達しており︑そ い︒したがって︑これら公益信託のかたちをとる寄託金は一人要な意義を担っていたのであって︑そのことは例えば救貧支出 れたのであって︑寄付者総数の一八・一%を占めるにすぎな当面の時代にあっては︑個人の自発的寄託金が救貧税より重 本的必要は満たされていたからである︒︑ ●
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急の場合を除いては︑非常に多額の個人的慈善基金によって基 ャーの七七形からブリストルの九一%までの範囲内で平均してならば︑地方的な貧困の救済とか︑極くまれにしか起らない危 さて︑前述のように救貧法は当面の時代を通じて社会的な必 w•Kこ>却ルダン著「イギリスの博愛主義」について(原田)
六八
ぷ,.,1¥...』し—~ヘ...、ー....
32.3
w•K
・ジョルダン著「イギリスの博愛主義●について(原田)
六九 た階級であった︒﹂(p.327)商人階級の富の大きさ︑洞察力のく不思議なほどに同時に同様のアスビレーションを示し︑彼ら 響を及ぼした階級であり︑非常なる気前よさでもってアスビレーションを︑確立した永続的制度をつうじて歴史的現実にかえロンドンやプリストルをはじめ︑他の諸都市の商人階級は全︐ 代の基本的アスビレーションを形成するにあたって決定的な影が、中でも商人ーー特にロンドンのー—とジ『エントリーはもっ とによって︑当面の時代の初期数十年頃からだんだんと目立つようになってきた階級であった︒すなわち商人階級は﹁この時 さて︑チューダー・スチュアート朝にはあらゆる階級の人々の手から多額の金が社会の福祉のために投ぜられたのであるとも重要であった︒ 対するアスビレーションを明白に︑そして頑固にまでも抱くこ級を非常に高く評価しているのである︒ 人々であった︒それはロンドンにおいてさえも︑多くの他の地方から絶えず補充されていた小さな階級であり︑社会や時代に盤は形成されたのである︒このようにジョルダン教授は商人階 ション
と合
同﹂
( p.
328)することによってイギリスの社会的基
‑‑・・・‑・ 一. . ‑‑・・. ‑‑‑‑・.. 一.
れをさきにみよう︒まず︑遺言書や他の関係ある文書に自分で
﹁商人﹂と記載した人々を商人として取扱っており︑その中に
は投機業者や企業家もいたが︑大部分は卸売業に従事していた ﹁商人階級の関心とそのアスピレーションは︑当時進行中で
あった社会的・政治的革命を経験しつ4ある者のもつ機敏さと
混合し︑それが更に市場町や農村のジェントリーのアスビレー 同教授は商人階級をどのように規定しているであろうか︑そ 社会に奉仕したのである︒ 察し︑本稿の結びに代えよう︒ 力を備えており︑また本質的に世俗的であり︑そしてすすんで あったという﹁商人階級﹂に焦点を合わせてその慈善行為を考 とジェントリーという二つの階級は積極的で思想を表現する能 イギリスの社会的アスビレージョンの決定において支配的﹂で においてジェントリーと一致する点が多かったのであり︑商人 さて︑最後に︑ジョルダン教授がとくに注目している﹁近代
五
地位を確固なものとしたのであった︒彼らはアスビレーション 任という大きな負担を引受ける自発性︑それらのものが彼らの 大担さ︑莱華をおこなうについての気前よさ︑そして社全的責
ル
が︑二四・九五形を捧げた︒しかし︑そこにある重要な相異点
﹁教
育
を占めているのである︒ が投げ出した金はこの国の慈善的富の全体の四三・一七%という非常に高い割合を占めているのである︒それは︑商人についでもっとも気前のよい階級である知的専門家階級の慈善的寄託
(1
)
金総額の約七倍に達したのみならず︑農村階級全体によってな
(1
)
ジェントリー・ヨーマン・農業家・農業労働者・そして
下級牧師を含めて農村階級と考えている︒
直接の施しにはあまり関心を示さなかった︒彼らは救済す
る必要がある貧民が確実に再起できるような計画︑すなわち﹁
社会の改革﹂に情熱的な︑しかも持続的な関心を示していた︒
したがって︑この企てに対して︑すべての階級によってなされ
た寄託金総額の五九・六六%という驚くべき多額の寄付をなし
ていたのであり︑商人自身の慈善的寄託金総額の一四・ニ三飴
﹁都市の改善﹂については︑彼等の関
心はうすく︑慈善的寄託金総額の六・九二形にすぎず︑
﹂については︑牧師や知的専門家階級よりも意識が低かった
を見逃してはならない︒すなわち︑商人階級は主に初等学校の 彼らは︑その財源を巨大な資本に結集したがゆえに︑事実上 された寄託金総額と比較してもかなり上まわっていた︒
であった︒しかし︑彼らの﹁信心深さ﹂は教会やキリズト教と 奉したのであり︑またそれは最初からビューリタニズムを加味 の階級の特色となっていたのである︒すなわち︑宗教改革の到 的寄付は非常に強力な世俗的趨勢によって動かされていたので 彼らの慈善的寄託金総額のうちでは﹁宗教﹂という項目に残された額は少い︒当時にあっては重要と思われるこの項目への寄託は一三・九一形にすぎなかった︒この事実によって︑知的専門家階級(宗教に一0•六七・形)を除外するならば、商人
階級は全ての社会階級のうちで最も世俗的な階級であることが
明白となる︒したがって彼らが社会に対して捧げた巨額の慈善
あった︒彼らがもっている世俗的傾向は中世後期にすでに彼ら
来よりもはるか以前に︑この階級の気質の中に深`い︑そして隠
しきれない反聖識者主義
(A nt i, Cle
ri ca li sm
がひそんでいたの)
である︒商人階級はほとんど同時にプロテスタンティズムを信
したものであった︒彼らは一階級としては非常に信心深い人々 る ︒ ずれの慈善的項目に捧げられたものよりも多額であったのであ 一六%で﹁貧民の家庭救済﹂(一八•四光)を除いて、他のい 設立のために寄付を集中したということであり︑それは一八 w•K・ジョルダン著「イギリスの博愛主義」について(原田)七〇
32. 5
ある
︒
にあたって︑他の階級と
は
比較にならないほどの理解を示した
︒
彼ら
は︑貧民救済のために
一︱10・
二三%を捧げた
︒そして宗
教的色彩の濃
厚なこの時代において
さ
えも︑宗教的目的のため
(1) には四八・
三八%という相対的に非常に少い割合をあてたので
(1)貴族階級の三O・七
一%
以外はすべ
て商
人階級より高い
割合を宗教にあて4
いる
︒ 宗教改革の衝撃は直接的であり
︑それ
は明らかに喜ぷべき現 象でもあっ
た。
宗教に捧げた商人階級の寄託は突然
八•四彩に
w . K
・ジョルダン著
﹁ イ ギリスの博愛主義
﹂
につ
い
て
︵ 原
田︶ と︑
この時代の道徳
意識
に反対して主張した諸権利を認識する
ていく︒
初期の数十年において商人階級は貧民の窮乏の理解
アスピV ‑i/ョンの形成過程
POOR‑‑‑‑‑‑
託金を加算したものを貧民
救
済に捧げられたものとして考察し
ro%
七
牒 ―
た総額
は ︑
彼ら 的のために捧げ 彼らが宗教的目
RELIGION
/
. .
‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ・ ‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑ . ‑‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑ ̲ ̲ ̲ ̲
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邸恥‘•
,隠 『
た︒この時代に 傾向を示しいて い程度に衰微の 完全といってよ
r n s i
―心
は ︑
ほとんど
宗教に示した関 ベス時代におい
臨
いたのである︒臨
目的に対して与えられた慈善的寄託金の割合と食
民の救済のた アスピレーショ
ンの世俗化の過程をたどる
ためには︑宗教的
︵グラフ参照︶このように社会全体の救貧に必要てある て ︑ 当面の時代を通じてこの注目すべき水準が維持されたので
は無関係の人々による観察であったにすぎない︒彼らは︑宗教
上の信心(pie
ty)
を強力に世俗的なアスビレーシ
ョンに変え
たのであった︒
めに捧げられたその割合とを比較しなければなら
ない︒この場
合には﹁
貧民救済﹂と
﹁社会の改革
﹂の両
項目に捧げ
られた寄
まで
下落した︒
と考えられていた
総
額を満すに
十
分な額がすでに商人階級によ
って用意されて
その反面
エリ
ザ
て︑商人階級の
ある
︒ れた寄託は
︑
同時に五八・七三
形
に上昇したのであ
る
︒そし
一方︑興
味深いことには貧民の救
済
に搾げら
界史的事件であるところの︑いわゆる﹁国民国家の成立﹂と呼 こ ︒
t
商人階級は︑当面の時代の初期から︑彼らのアスピレーショ て︑この割合は一︱・九三彩と少し増加した︒そしてその後は 信じられないほど少額であった︒初期スチュアート時代を通じ の危大な慈善的寄託金総額のわずか三・一六%というほとんどこの程度の低空飛行を続けたのである︒︵グ
ラフ
参照
︶
ンにおいて強度に世俗的傾向をもっていたといえる︒そして︑
彼らの巨大な富を非常に気前よく慈善的目的のために寄付しは
じめたまさにそのとき︑最終形態における﹁アスビレーション
﹂が急速に︑そして確実に形成されていたといえるであろう︒
したがって︑すでに早くからどうしてもくつがえすことのでき
ないほど彼らが強く抱いていた決心は︑同様によくイギリスの
社会的・制度的発展のために決定的な役割をはたしたのであっ
さて︑宗教改革以前のイギリスは教区制度にその特徴がみら
れるように地方割拠主義
(P ar oc hi al is m)
の傾向が強かった︒
それが時代の経過とともに︑緩和されて︑一国家としてのイギ
リスが形成されたのである︒これは︑近世初期を特徴ずける世
ばれるものである︒こうした動向に対しても︑慈善的寄託が教
った
とい
うの
であ
る︒
ある
︒
区に固執した偏狭性を打破するための緩和剤
( So l v en t
)として
働いたと教授は主張するのである︒慈善的寄託は︑全国的規模
でなされるのでなければ無意味だからであり︑この点において
も先頭に立ったのは︑ロンドンであり︑商人階級であったので
以上がこの問題と結びつけて考えられる商人階級の役割であ
w. K
・ジョルダン著﹁イギリスの博愛主義﹂について︵原田︶
七