『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(
その四)
著者 植木 朝子
雑誌名 文化學年報
号 67
ページ 267‑294
発行年 2018‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027601
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(
その四)
著者 植木,朝子
雑誌名 文化學年報
号 67
ページ 267‑294
発行年 2018‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027601
﹃ 梁 塵 秘 抄 ﹄ 法 華 経 二 十 八 品 歌 と 釈 教 歌 ︑ 経 旨 絵 ︵ そ の 四 ︶
植 木 朝 子
現存 する
﹃梁 塵秘 抄﹄ 巻二 法文 歌二 百二 十首 の 中心 を な すの は
︑﹃ 法 華経
﹄八 巻 二 十 八章 を 各 章ご と に 讃嘆 し た 法 華 経二 十八 品歌 百十 四首 であ る︒ 前稿 に引 き続 き⑴
︑ 各品 ごと に︑ 経旨 絵や 釈 教 歌 とは 異 な る今 様 の 性格
︑そ の 流 行 歌 謡と して の面 白さ を考 えて いき たい
︒紙 幅の 関係 によ り︑ 本稿 では 提婆 品と 勧持 品を 取り 上げ るこ とと する
︒ 一︑
提 婆 品
﹃ 法華 経﹄ 提婆 品に おい て︑ 釈迦 は以 下の よう な話 をし た︒ 釈迦 が過 去の 世に おい て︑ 王位 を捨 て︑ 法を 求 めて い た 時︑ 阿私 仙 と いう 仙 人 が やっ て 来 て︑
﹁私 の 言 いつ け に そ む かな いな らば
︑妙 法蓮 華経 とい う大 乗の 法を 教え よう
﹂と 言っ た︒ 王は 喜ん で︑ 仙人 のた めに 木の 実を 採り
︑水 を 汲 み︑ 薪を 拾い
︑食 事の 用意 など をし て︑ 千年 もの 間仕 えた 末︑ やっ と法 を得 た︒ その 時の 仙人 が今 の提 婆達 多で あ る
︒提 婆達 多は 遠い 未来 に︑ 天王 如来 とい う名 の仏 にな るで あろ う︒
― 267 ―
釈 迦が 以 上 のよ う に 説い た 時
︑文 殊 菩薩 が 龍 宮で の 教 化 を終 え て 帰還 し た︒ そ して
︑娑 竭 羅 龍 王 の 八 歳 に な る 娘 は
︑智 慧が 優れ
︑す みや かに 悟り を開 いた こと を告 げた
︒智 積菩 薩︵ 多宝 仏の 従者
︶や 舎利 弗は
︑信 じら れな いと 言 っ たが
︑そ の場 に現 れた 龍女 はた ちま ち変 じて 男子 と成 り︑ 南方 無垢 世界 に至 って 成仏 し︑ 妙法 を演 説し た︒ これ を 見 た人 々は みな 歓喜 し敬 礼し た︒ こ の品 は
︑日 本 では 大 変 人気 が あ り︑ 天 台宗 の 法 華八 講 の 際 にも
︑﹁ 法 華 経 ヲ ワ ガ 得 シ コ ト ハ︑ 薪 コ リ︑ 菜 ツ ミ
︑ 水 汲 ミ︑ 仕 ヘテ ゾ 得 シ﹂
︵法 華 讃 嘆︶ と いう 声 明 を歌 い な がら
︑堂 内 を 行 道す る
︒ま た 龍 女 成 仏 を 説 く と こ ろ か ら
︑ 特 に女 性た ちの 間で 重ん ぜら れた
︒﹃ 梁 塵秘 抄﹄ 法華 経二 十 八 品歌 に お いて も
︑提 婆 品 を歌 っ た 今様 は 十 首で 最 多 で あ る︒ 釈
迦 の 御法 を 受 けず し て 背 く と人 に は 見せ し か ど 千歳 の 勤 め を今 日 聞 けば
達 多 は 仏 の 師 な り け る︵ 一 一
〇
︶⑵
達 多五 逆の 悪人 と 名に は負 へど もま こと には
釈 迦の 法華 経習 ひけ る 阿私 仙人 これ ぞか し︵ 一一 一︶ 氷 を叩 きて 水掬 び 霜を 払ひ て薪 取り
千 歳の 春秋 を過 ぐし てぞ
一 乗妙 法聞 き初 めし
︵一 一二
︶ 娑 竭羅 王の 娘だ に 生ま れて 八歳 とい ひし 時 一乗 妙法 聞き 初め て 仏の 道に は近 づき し︵ 一一 三︶ 達 多は 仏の 敵な れど
仏 はそ れを も知 らず して
慈 悲の 眼を 開き つつ
法 の道 にぞ 入れ たま ふ︵ 一一 四︶ 阿 私仙 の洞 の中
千 歳の 春秋 仕へ てぞ
会 ふこ と聞 くこ と持 つこ と 難き 法を ば我 は聞 く︵ 一一 五︶ 女 人五 つの 障り 有り
無 垢の 浄土 は疎 けれ ど 蓮華 し濁 りに 開く れば
龍 女も 仏に なり にけ り︵ 一一 六︶ 凡 す女 人一 度も
こ の品 誦す る声 聞け ば 蓮に 上る 中夜 まで
女 人永 く離 れな む︵ 一一 七︶
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四) ― 268 ―
昔 の仙 こそ あは れな れ 法華 を弘 めず なり にせ ば 人も 我が 身も 今ま でに
声 だに 聞か ずな りな まし
︵一 一八
︶ 常 の心 の蓮 には
三 身仏 性お はし ます
垢 つき 穢き 身な れど も 仏に なる とぞ 説い たま ふ︵ 一一 九︶ これ
らの 今様 のう ち︑ 一一
〇番 歌・ 一一 一番 歌・ 一一 二番 歌・ 一一 四番 歌・ 一一 五番 歌・ 一一 八番 歌は 提婆 達多 の 前 世と 釈迦 の給 仕︑ およ び達 多の 成仏 を歌 った もの
︑一 一三 番歌
・一 一六 番歌
・一 一七 番歌
・一 一九 番歌 は︑ 龍女 成 仏 を歌 った もの であ る︒ 提婆 達多 の今 様に つい ては 別に 論じ たこ とが あり
⑶
︑内 容が 重複 する が︑ 以下
︑今 様の 特徴 を記 して おく
︒ 提婆 達多 は周 知の ごと く︑ 釈迦 の従 弟で
︑仏 弟子 とな った が︑ 釈迦 の晩 年に 教団 の改 革を 唱え て容 れら れず
︑遂 に そ の教 団か ら離 脱し た︒ ここ から 破僧
︵教 団の 和合 を破 壊し た︶ の極 悪人 とさ れ︑ 釈迦 に危 害を 加え たと か︑ 釈迦 の 出 家前 の妃
・耶 輸陀 羅に 言い よっ たと か︑ 種々 説話 が生 まれ てい る⑷
︒
﹃ 法華 経﹄ の提 婆品 その もの は︑ 提婆 達多 の悪 行に は 一 切ふ れ て おら ず
︑仏 が 過 去を 回 想 し︑ 千年 の 間 仕え た そ の 仙 人に つい て﹁ 今提 婆達 多是
﹂︵ 今 の提 婆達 多こ れな り︶⑸
と淡 々と 述べ てい る だ け であ っ て︑ 提 婆達 多 は はじ め か ら
﹁善 知識
﹂と 位置 づけ られ てい る︒ また
︑未 来に 仏に なる 予 言 も︑ 当然 な が ら提 婆 達 多 の悪 行 と は関 わ ら ずに な さ れ て いる
︒ さて
︑提 婆達 多を 歌っ た今 様を 一覧 して 気づ く傾 向は
︑提 婆達 多の 悪人 とし ての 側面 を前 提と しな がら も︑
﹁ 実は
﹂ 前 世は 釈迦 の師 であ った
︑あ るい は未 来に は仏 にな るの だと
︑短 い一 首の 中で その 反転 を劇 的に 表現 しよ うと して い る こと であ る︒ 一一 四番 歌は 仏を 主体 とし て︑ 仏が 提婆 達多 を法 の道 に入 れた とす るが
︑そ の他 は︑ 提婆 達多 と釈 迦 が 対等 であ るか
︑あ るい は釈 迦よ りも 提婆 達多 が上 位に ある 形で 表現 され る︒
― 269 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四)
提婆 達多 の今 様を 主題 ごと にわ ける と︑ A提 婆 達 多の 成 仏 を歌 っ た も の︵ 一一 四 番 歌︶
︑B 提 婆達 多 の 前世 を 歌 っ た もの
︵一 一〇 番歌
・一 一一 番歌
・一 一 八 番歌
︶︑ C 釈迦 の 阿 私仙 給 仕 を 歌っ た も の︵ 一一 二 番 歌・ 一一 五 番 歌︶ の 三 つに 大別 でき る︒ Bと Cは
︑内 容と して は重 なっ てく るが
︑提 婆達 多に 焦点 を当 てた もの をB
︑釈 迦が 主語 とな る も のを Cと して 区別 した
︒ A提 婆達 多の 成仏 を歌 った 一一 四番 歌は
︑達 多を はっ きり
﹁仏 の敵
﹂と して おり
︑提 婆品 には ない 記述 を含 む︒ 最 も 問題 にな るの が︑ 第二 句の
﹁仏 はそ れを も知 らず して
﹂で あり
︑文 字通 り﹁ 知ら ない で﹂ と訳 すと 矛盾 が生 じる た め
︑諸 説は
︑提 婆達 多の 悪行 を問 題に せず に︑ それ にこ だわ らな いで
︑と 捉え てい る︒
﹁ 慈悲 の眼 を開 きつ つ﹂ は︑ 仏や 菩薩 が衆 生を あわ れ み︑ い つく し む 心を も っ て 見守 る と いう 解 釈 で︑ 諸説 ほ ぼ 一 致 して いる
︒評 釈⑹
は
﹁大 慈大 悲の 眼で 見て やつ ての 意︒ 大き なあ はれ み の 心 で接 す る こと
︒も う 一 解は
﹁提 婆 達 多 に 慈悲 心を 具足 させ て﹂ とも 考へ られ る﹂ と二 説を 併記 する が︑
﹃ 梁塵 秘抄
﹄二 二三 番歌 には
︑ 慈
悲の 眼は あざ やか に 蓮の 如く ぞ開 けた る 智恵 の光 は夜 々に
朝 日の 如く 明ら かに
︵二 二三
︶⑺
と 見え
︑仏 の慈 悲の 目を 蓮に たと えて いる の で︑
﹁提 婆 達 多に 慈 悲 心を 具 足 さ せて
﹂の 解 は とら ず
︑仏 の 側の 慈 悲 と 解 釈し たい
︒ B提 婆達 多の 前世 を歌 った 一一
〇番 歌・ 一一 一番 歌は
︑提 婆達 多の 悪行 を歌 いな がら
︑実 は釈 迦の 師で あっ たの だ と いう こと の方 に重 点を 置い てい るも ので
︑﹃ 法 華経
﹄提 婆 品 には な い︑ 極 悪人 提 婆 の 面を 合 わ せ表 現 す るこ と に よ り
︑一 首に 劇的 な反 転を もた らし てい る︒ 一一 四番 歌も
﹁仏 の敵
﹂が 成仏 した とい う表 現を 持ち
︑一 首の 中に 反転 が
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四) ― 270 ―
あ る と いう 点 で は一 一
〇 番 歌・ 一一 一 番 歌と 共 通 する
︒櫻 岡 寛 は こう し た 考え 方 の 典拠 と し て
︑﹃ 妙 法 蓮 華 経 文 句
﹄ や
﹃法 華玄 義私 記﹄ など をあ げる
⑻
︒ 一一
〇番 歌で 注目 され るの は﹁ 今日
﹂と い う表 現 で︑
﹁ 千歳 の 勤 め﹂ すな わ ち 釈 迦が 前 生 にお い て 千年 も の 間︑ 阿 私 仙︵ 実は 提婆 達多
︶に 給仕 した こと を今 日聞 いた とい うの は︑ 集成
⑼
が注 を つ け るよ う に﹁ 釈 迦の 法 華 経説 法 の 場 に 居合 せた 者の 身に なっ ての 表現
﹂で ある が︑ 実際 にそ の物 語を 聞い てい る人 々の
﹁今 日﹂ とも 重な り︑ 過去 のイ ン ド の時 間と 現実 の時 間と が重 なっ て臨 場感 あふ れる 表現 とな って いる とい えよ う︒ 著名 な例 であ るが
︑﹃ 梁 塵秘 抄口 伝集
﹄巻 十に は︑
﹁四 大声 聞い かば かり
喜 び身 より も余 るら む われ らは 後世 の 仏 ぞと
確 かに 聞き つる 今日 なれ ば︵ 八五
︶﹂ と いう 今 様 を歌 う 場 面が 二 度 出 てく る
︒そ も そも こ の 今様 は
︑釈 迦 の 四 人の 弟子
︑慧 命須 菩提
・摩 訶迦 旃延
・摩 訶 迦葉
・摩 訶 目 犍連 の 四 大声 聞 が
︑釈 迦 から 成 仏 の保 証 を 聞 いた
﹁今 日
﹂ ど れほ ど喜 びを 感じ たこ とだ ろ う︑ とい う 内 容で あ る が︑
﹃口 伝 集
﹄で は︑ 後 白河 院 か ら﹁ 恋せ ば
﹂と い う今 様 の 大 曲 を習 った 延寿 が︑ 院か らみ ごと であ ると 褒め られ て︑ 即座 にこ の今 様を 歌っ てい る︒ すな わち
︑院 から 今様 の曲 を 体 得し たこ とを 認め られ た延 寿が 自ら を釈 迦か ら成 仏の 保証 を得 た声 聞に なぞ らえ てお り︑ 今様 詞章 の﹁ 今日
﹂は ま さ しく この 今様 を歌 って いる 今こ の時 と重 なっ てい る︒ もう 一つ の場 面で は︑ 厳島 に参 詣し た院 が巫 女か ら神 の託 宣 と して
﹁我 に申 すこ とは
︑か なら ず叶 ふべ し︒ 後世 のこ とを 申す こそ
︑あ はれ にお ぼし めせ
︒今 様を 聞か ばや
﹂と 言 わ れて
︑こ の今 様を 歌う
︒こ こで も﹁ 今日
﹂は 釈迦 の説 法の 場が
︑厳 島で 神の 託宣 を得 た今 日に
︑巧 みに 移さ れて い る
︒一 一〇 番歌 の﹁ 今日
﹂も こう した 効果 をも つ言 葉と 考え られ よう
︒ 一一 八番 歌は 反実 仮想 によ って 提婆 達多 を讃 えて いる
︒達 多は 釈迦 によ って 成仏 した と歌 う一 一四 番歌
︑あ るい は 悪 人達 多が 実は
︑前 世で は釈 迦の 師で あっ たの だ︑ とす る一 一〇 番歌
・一 一一 番歌 から より すす んで
︑達 多を 中心 に
― 271 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四)
据 え︑ その 法華 宣説 を讃 えて いる ので ある
︒﹁ 昔 の仙 こそ あは れな れ﹂ の﹁ あは れ﹂ は︑ 奥の 深い 言葉 だが
︑ 弥
勒菩 薩は あは れな り 天人 大会 の前 にし て 昔の 仏の 有様 を 文殊 に問 ひつ つ説 いた まふ
︵六 一︶ 阿 難尊 者は あは れな り 慈悲 の室 を住 処に て 忍辱 衣を 身に 着つ つ 諸法 空を 御座 とし て 人に 教へ て知 らし め よ
︵九 五︶ 不 軽大 士ぞ あは れな る 我深 敬汝 等と 唱へ つつ
う ち罵 り悪 しき 人も みな
救 ひて 羅漢 と成 しけ れば
︵一 四一
︶ な
どの よう に︑ 最初 に特 定の 仏・ 菩薩
・聖 人な どを
﹁あ はれ
﹂で ある
︑│ あり がた く尊 い│ とい って おい て︑ その 内 容 を具 体的 に示 すと いう 型の 今様 が多 く見 られ る︒ 一一 八番 歌も 同 じ よう に 考 えら れ る が︑ 新編 全 集⑽
は
﹁あ は れ な れ
﹂に
﹁提 婆達 多が 五逆 の罪 で地 獄に 堕ち たま ま苦 しむ こと をふ まえ る﹂ と注 する
︒す なわ ち︑ 気の 毒だ
︑か わい そ う だ︑ とい うよ うな 意味 を持 たせ てい るよ うに 思わ れる が︑ 訳で は﹁ 感銘 深く 思わ れる よ﹂ とし てお り︑ 提婆 達多 へ の 同情 が強 く訳 出さ れて はい ない
︒ こ の一 一 八 番歌 は
︑提 婆 達多 を こ そ 中心 に 据 えて そ の 法 華経 宣 説 を讃 え て いる も の だ が
︑こ の 表 現 は
︑﹃ 法 華 経
﹄ の
︑﹁ 時 仙人 者︒ 今提 婆達 多是
﹂︵ 時の 仙人 とは
︑今 の提 婆達 多こ れな り︶ とい う淡 々と した 記述 を明 らか にこ えた 提 婆 達多 への 思い 入れ が感 じら れ︑ 説話 や唱 導で 強調 され る提 婆達 多の 悪事 の記 述と 比べ ると
︑一 一八 番今 様の 提婆 達 多 の讃 嘆ぶ りが 際立 つ︒
﹁ 声だ に聞 かず なり なま し﹂ は︑ やや 言葉 足ら ずの 感が ある が︑ 諸注 が説 くよ うに
︑﹁ 法華 読誦 の声 も聞 かず に終 わ っ てし まっ ただ ろう
﹂の 意と 考え られ る︒
﹁ だに
﹂は
︑程 度 の 軽い も の を例 に あ げ︑ よ り重 い こ とが ら を 類推 さ せ る
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四) ― 272 ―
言 葉な ので
︑法 華読 誦の 声も 聞か ず︵ 法華 経に めぐ りあ えず
︶︑
﹁ まし て︑ 救わ れる こと もな かっ ただ ろう
﹂と いう 気 持 が含 まれ てい るの であ ろう
︵評 釈・ 新編 全集 の見 解に 同じ
︶︒ 考⑾
は一 一〇 番 歌 ま たは 一 一 五番 歌 と 連 作と し
︑﹁ 一 一
〇の
﹁今 日聞 けば
﹂或 は一 一五 の﹁ 我は 聞く
﹂か ら解 する より 他は な い
﹂と す る︒ 同じ 注 釈 者が 後 に 出し た 全 書⑿
で は
﹁一 一 七と の 連 作で
︑前 の
﹁誦 す る 声聞 け ば﹂ を 承 け た﹂ と す る︒ し か し︑
﹁ 聞 く﹂ の 語 が 共 通 す る だ け で は
︑ 連 作と 見な けれ ばな らな い根 拠と して は弱 いの では ない だろ うか
︒特 に一 一〇 番歌
・一 一五 番歌 は︑ 釈迦 と阿 私仙 の 具 体的 な物 語の 中に 入り 込ん でい るよ うな 歌で
︑一 一八 番歌 の︑ 逸話 全体 を客 観的 に把 握し て︑ その 結果 を反 実仮 想 の 形で 逆側 から 述べ る︑ とい う姿 勢と は全 く異 なる ため
︑連 作と は言 いに くい
︒一 一七 番歌 は龍 女成 仏を 踏ま えた 歌 で
︑一 一八 番歌 とは 距離 があ るよ うに 思 われ る が︑
﹁ 声聞 け ば﹂ と﹁ 声 だに 聞 か ず﹂ の 表現 は 対 比的 に 捉 える こ と も で き︑ 配列 上︑ 意識 され てい た可 能性 はあ ろう
︒た だし
︑そ の場 合も
︑全 書の 指摘 する よう に︑ 一一 七番 歌の
﹁誦 す る 声 聞 けば
﹂を 承 け て︑ 一一 八 番 歌 が作 ら れ たと ま で は言 え ま い︒ や や言 葉 足 らず で あ って も︑ 十 分 理 解 さ れ る ほ ど
︑提 婆品 の内 容は 広く 知ら れて いた とい うこ とで あろ うか
︒ C釈 迦の 阿私 仙給 仕を 歌っ た一 一五 番歌 では
︑提 婆達 多は
︑前 世の
﹁阿 私仙
﹂と して 名が 見え るの みで
︑一 首の 中 心 は釈 迦の 苦労 とそ の報 いに あり
︑千 年に 及ぶ 給仕 の果 てに 法華 経を 聞く こと がで きた とい う喜 びが 歌わ れて いる
︒ こ の一 首 で 注意 さ れ るの は
﹁洞
﹂と い う 言葉 で あ る︒ これ は
﹃法 華 経﹄ に 見え な い の で
︑注 釈 書 類 で も 問 題 に さ れ
︑﹁ 仙 人の 居所 を﹁ 仙洞
﹂と いう ので
︑そ の連 想か
﹂︵ 新編 全集
︶と いう 解釈 でほ ぼ一 致し てい た︒ 櫻岡 論は
︑こ れ に 疑問 を呈 し︑ 初
句の
﹁洞 の中
﹂は 経に みえ ない
︒こ れは
︑阿 私仙 の﹁ 仙﹂ を中 国古 来の 仙人 と同 一視 して 作者 自身 が当 時普 通
― 273 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四)
に 用い られ てい た﹁ 仙洞
﹂の 語を あて たの では ある まい
︒既 に源 信﹃ 妙行 心要 集﹄ 下の 末に
﹁凡 有心 者︑ 即法 身 故
︒是 以︑ 阿私 仙洞 身為 床座
︒千 歳給 仕得 聞法 華﹂ 云々 の句 がみ える
︒ と
指摘 する
︒さ らに
︑今 様に 近い 時代 の唱 導 資料 を 探 して み る と︑ 安居 院 澄 憲 の草 し た﹃ 花 文集
﹄︑ 澄 憲 及び そ の 子 聖 覚の 作と され る﹃ 鳳光 抄﹄
︑ 平安 時代 末か ら鎌 倉時 代 初 めに 成 立 した
︑天 台 系 の 唱導 談 義 の草 稿 と 思わ れ る
﹃草 案 集
﹄な どに
︑阿 私仙 の住 居と して
﹁洞
﹂の 語が 使わ れて いる
︒
﹁ 会ふ こと 聞く こと 持つ こと 難き 法﹂ につ いて は︑ その 繰り 返し に注 目し て︑ 以下 のよ うな 指摘 がな され てい る︒
﹁こ と﹂ の尾 韻の 繰返 しが
︑洞 の生 活の 楽し さを 言つ て居 るや うで ある
︒
︵ 評釈
︶ 釈 迦自 身の 視点 に立 って
︑法 華経 を習 い得 た喜 びを リズ ミカ ルに 歌っ てい る︒
︵ 集成
︶ 一 一二 と同 趣の
︑釈 迦の 独白 風の 歌謡
︒第 三句 の﹁
⁝⁝ こと
﹂の 反復 で効 果を 強め た︒
︵ 新編 全集
︶ ただ
し︑ 評釈 の﹁ 洞の 生活 の楽 しさ
﹂と いう のは
︑や や無 理が あり
︑過 去世 の釈 迦は
︑仙 人に 仕え る︑ むし ろ苦 し い 生活 に耐 えて やっ と﹃ 法華 経﹄ を得 たの であ り︑ この 三つ の﹁ こと
﹂は
﹁難 き法
﹂に かか って いく ので
︑い かに 得 る こと が難 しい か︑ とい う﹃ 法華 経﹄ の得 難さ の 強調 と 考 えた 方 が よい の で は ない だ ろ うか
︒﹃ 法 華 経﹄ の得 難 さ を 歌 った 今様 に︑ 譲
りし 菩薩 の頂 を かへ すが へす ぞか い撫 でし
得 がた き御 法の 末の 世の
う しろ めた なく 覚ゆ れば
︵一 四七
︶
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四) ― 274 ―
が ある
︒こ の﹁ 会ふ こと 聞く こと 持つ こと 難き 法﹂ を得 た﹁ 我﹂ はも ちろ ん釈 迦自 身の こと で︑ この 一首 は釈 迦の 立 場 に立 って おり
︑今 様を 歌う 人々 自身 は釈 迦と なっ てそ の前 世の 物語 を生 きる こと にな る︒ 一一
〇番 歌の
﹁今 日聞 け ば
﹂と 同様 の効 果が あろ う︒ なお
︑釈 迦の 立場 に立 った 今様 とし て︑
﹃ 梁塵 秘抄
﹄に はも う一 首︑ 釈
迦の 誓ひ ぞ頼 もし き 我ら が滅 後に 法華 経を
常 に持 たむ 人は みな
仏 に成 るこ と難 から ず︵ 一四 五︶ が
あり
︑こ の﹁ 我ら
﹂は
︑﹁ 我
﹂と 同じ で釈 迦の 自称 で あ る︒ こう し た 今様 を 歌 う とい う 行 為に よ っ て︑ 人々 は 自 ら を 釈迦 の物 語に 組み 込む こと にな る︒ 今様 を歌 う行 為は
︑た とえ ば和 歌を 詠み
︑管 絃を 奏す ると いっ た行 為よ りい っ そ うダ イレ クト に神 仏と の交 感を 可能 にす ると 考え られ るが
︑こ うし た詞 章に よっ て神 仏に 成り かわ る奇 跡ま でも が 可 能で ある かの よう に人 々に は感 じら れ たの で は ない だ ろ うか
︒釈 迦 の 自 称と し て の﹁ 我﹂ は現 存 す る﹃ 梁 塵秘 抄
﹄ 中
︑一 一五 番歌 と一 四五 番歌 に見 られ るの みで ある が︑ 一一 二番 歌は
︑一 一五 番歌 と同 じく
︑釈 迦自 身の 告白 の体 を と って いる
︒﹁ 我
﹂の 語は 含ま れな いが
︑こ の今 様も 釈迦 の 立 場に 立 っ たも の で
︑釈 迦 の苦 労 を 自分 の 身 に重 ね よ う と する 今様 の志 向が 見て とれ よう
︒ 次に
︑龍 女成 仏を 歌っ た三 首に つい て見 てお きた い︒ 一一 三番 歌は
︑提 婆品 後半 の龍 女成 仏の 内容 を簡 潔に まと め た もの であ るが
︑菅 野扶 美が 指摘 す る よう に
︑﹁
﹁ 成仏
﹂ま で は 歌っ て い な い︒
﹁仏 の 道 にぞ 近 づ きし
﹂と あ っ て︑ 仏 の 世界 の存 在を 認識 した こと にと どま る﹂
︒ 従来
︑注 意さ れて こな かっ たが
︑﹁ 海中 の竜 宮で 初め て法 華経 に接 して 受 け た感 動を 一一 二番 と同 じよ うに
﹁聞 き初 む﹂ とい うこ とば で印 象づ け る
﹂と い う菅 野 の 指摘 は 重 要で あ る⒀
︒成 仏 と いう 結果 では なく
︑初 めて 法華 経を 聞い た時 を切 り取 り︑ 龍女 の感 情に 寄り 添っ て劇 的に 構成 して いる 点に は︑ 具
― 275 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四)
体 的実 感的 な表 現を とる 今様 らし さが 現れ てい ると 言え よう
︒一 一六 番歌 は︑ 女人 には 五つ の障 害︵ 梵天 王・ 帝釈
・ 魔 王・ 転輪 聖王
・仏 身に なれ ない こと
︶が ある が︑ 龍女 が成 仏で きた こと を︑ 濁っ た池 に咲 く蓮 華を 引き 合い にし て 歌 って いる
︒泥 の中 から 美し い花 を咲 かせ る 蓮を
︑煩 悩 の 中か ら 悟 りに 達 す る 譬え に す る例 は
︑﹃ 維 摩経
﹄仏 道 品 に
﹁譬 如 高原 陸 地 不生 蓮 華 卑 湿 淤 泥 乃 生 此 華︒ 如 是 見 無 為 法 入 正 位 者
︒終 不 復 能 生 於 仏 法
︒煩 悩 泥 中 乃 有 衆 生 起 仏 法 耳
﹂⒁
︵譬 ヘバ 高 原 陸地 ニ 蓮 華ヲ 生 ゼ ズ︑ 卑湿 淤 泥 ニ 乃チ 此 ノ 華ヲ 生 ズ ルガ 如 シ
︒是 ノ 如ク 無 為 ノ法 ヲ 見 テ正 位 ニ 入 ル 者ハ
︑終 ニ復 タ能 ク仏 法ヲ 生ゼ ズ︑ 煩悩 ノ泥 中ニ 乃チ 衆生 有リ テ仏 法ヲ 起ス ノミ
︶と あり
︑﹃ 梁 塵秘 抄﹄ にも
︑ 二
乗高 原陸 地に は 仏性 蓮華 も咲 かざ りき
泥 水掘 り得 て後 より ぞ 妙法 蓮華 は開 けた る︵ 一〇 一︶ 蓮 華陸 地に 生ひ ずと は しば らく 弾呵 の詞 なり
泥 水掘 り得 て後 より ぞ 妙法 蓮華 は開 けた る︵ 二〇 一︶ と
いっ た例 が見 える
︒ 一 一七 番 歌 と一 一 九 番歌 は
︑女 人 成 仏を 歌 っ てい る が︑ 龍 女 の物 語 か らは や や 距離 を 置 い て お り︑ 女 人 で あ っ て も
︑こ の品
=
提 婆品 を聞 けば
︑男 子と 成っ て成 仏で きる
︑あ るい は︑ 汚れ た身 でも 成仏 でき ると 説か れて いる
︑と い う よう な︑ 一般 論的 な歌 い方 であ る︒
﹁ 蓮に 上 る中 夜
﹂﹁ 女 人永 く 離 る﹂
﹁常 の 心 の 蓮に は 三 身仏 性 お はし ま す
﹂な ど に 該当 する 本文 は︑
﹃ 法華 経﹄ には 見出 せず
︑経 の内 容を 抽 象 化一 般 化 して ま と め る形 に な って い る︒ 一 一七 番 歌 の
﹁こ の品
﹂は
︑歌 の中 には 指示 する 対象 がな い︒ 独立 し た 歌と し て は完 結 性 が 弱い が
︑逆 に︑ 女 人往 生 と 言え ば 提 婆 品
︑と いう 理解 が広 く浸 透し てい たこ とを 示し てい ると も考 えら れよ う︒ 提婆 品の 経旨 絵に おい ては
︑釈 迦の 阿私 仙給 仕と 龍女 成仏 の場 面が 繰り 返し 取り 上げ られ てき た︒ 厳島 神社 蔵﹁ 平
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四) ― 276 ―
家 納経
﹂提 婆品 の表 紙と 見返
⒂
はこ とに 著名 であ るが
︑表 紙に は大 きな 口や 尖 っ た 鰭を 持 つ 怪魚 が 数 匹描 か れ る︒ 龍 女 の住 む海 底の 龍宮 を連 想さ せよ う︒ また 見返 上部 には 六人 の菩 薩衆 に囲 まれ て説 法す る釈 迦が
︑下 部に は海 中か ら 現 れ出 た龍 女が 侍女 二人 を従 え︑ 宝珠 を捧 げて 釈 迦の い る 方向 に 進 むと こ ろ が 描か れ る︒ 談 山神 社 蔵﹁ 法 華 曼陀 羅
﹂
︵文 治三 年︿ 一一 八七
﹀頃
︶⒃
に は︑ 国王 とし ての 釈迦 の姿 と阿 私仙 給仕 の 姿 が 描か れ る︒ 提 婆品 後 半 から は
︑文 殊 菩 薩 が龍 宮か ら涌 出し て︑ 霊鷲 山の 釈迦 の前 に至 る場 面 と︑ 龍女 が 浄 土の 蓮 池 の前 に 坐 っ てい る 場 面が 描 か れ てい る
︒ 立 本 寺 蔵﹁ 妙法 蓮 華 経金 字 宝 塔 曼陀 羅 図﹂
︵ 十三 世 紀 中頃
︶⒄
は︑ 釈迦 の 国 王 時代 を 詳 しく 描 い て お り︑
﹃ 法 華 経﹄ に
﹁撃 鼓宣 令︒ 四方 求法
﹂︵ 鼓を 撃っ て四 方に 宣令 して
︑法 を求 めた り︶ とあ るの を受 けて
︑宮 殿か ら続 く楼 で︑ 太鼓 を 打 って いる 人の 姿が 見え る︒ また
︑宮 殿に 訪ね て来 る阿 私仙
︑輿 に乗 った 国王 の行 列︑ 仙人 と共 に歩 いて 山に 向か う 国 王 の 姿︑ 山の 中 で の釈 迦 に よ る仙 人 給 仕の 様 子 が︑ 宝塔 の 下 部 右か ら 左 にか け て︑ 異 時同 図 の 形 で 描 か れ る︒ 一 方
︑宝 塔上 部右 側に は︑ 文殊 菩薩 が龍 宮か ら涌 出し て︑ 霊鷲 山の 釈迦 の前 に至 る場 面が 描か れ︑ 宝塔 左側 には
︑海 中 か ら上 って きた 龍女 が釈 迦に 宝珠 を捧 げる 場面
︑さ らに その 上部 には
︑龍 女が 南方 無垢 世界 に至 って 蓮の 花に 坐す 場 面 が描 かれ てい る︒ 立本 寺本 は︑ 談山 神社 本に 比べ て︑ 場面 を細 かく 区切 り︑ 時間 に沿 って 物語 の流 れを 丁寧 に描 い て いる と言 えよ う︒ 一幅 に一 品ま たは 二品 を描 く本 法 寺 蔵﹁ 法華 経 曼 荼羅 図
﹂︵ 嘉 暦元 年
︿一 三 二 六﹀
〜三 年 頃︶⒅
は
︑ 第 十二 幅が 提婆 品で
︑下 部に 釈迦 と提 婆達 多の 前生 譚︑ 上部 に龍 女成 仏を 描く
︒立 本寺 蔵﹁ 妙法 蓮華 経金 字宝 塔曼 陀 羅 図﹂ にも 描か れて いた 国王 が鼓 を撃 っ て解 脱 の 師を 求 め る様 子
︵中 段 左︶
︑ 国王 の 阿 私仙 給 仕 の場 面
︵下 段 右︶ が 見 える
︒そ の他
︑提 婆達 多が 成仏 して 成っ た天 王如 来の 仏殿 と提 婆達 多の 舎利 塔︵ 中段 右︶ が示 され る︒ 龍女 成仏 に 関 連す る図 柄と して は︑ 文殊 菩薩 の龍 宮で の 法華 経 講 説︵ 下段 左
︶︑ 龍 女が 雲 に 乗 って 仏 の 前に 詣 で る場 面
︵中 段 左 寄 り︶
︑ 宝珠 献上 場面
︵上 段中 央︶
︑南 方 無垢 世 界 での 成 仏︵ 上 段左
︶が 描 か れ てい る
︒本 興 寺蔵
﹁法 華 経 曼 荼羅 図
﹂
― 277 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四)
︵建 武二 年︿ 一三 三五
﹀︶⒆
は
︑第 三幅 の三 分の 二弱 が提 婆品 の 図 で ある
︒他 に
︑勧 持 品︑ 安楽 行 品︑ 涌 出 品︑ 寿量 品
︑ 分 別 功 徳品
︑随 喜 功 徳品 が 含 ま れる が
︑こ れ ら六 品 の 図柄 を 合 わ せて も 三 分の 一 強 に過 ぎ な い︒ 提 婆 品 が 広 く 知 ら れ
︑人 気を 博し てい たこ とが 窺わ れよ う︒ 提婆 品を 描い た上 部が 釈迦 と提 婆達 多の 前生 譚︑ 下部 が龍 女成 仏譚 にな っ て いる
︒前 者の 図柄 とし て王 家で の生 活ぶ りと 出家
︑山 中で の阿 私仙 給仕
︑後 者の 図柄 とし て文 殊菩 薩の 龍宮 での 教 化
︑龍 女の 宝珠 献上 と成 仏︑ 成道 後の 龍女 の説 法の 場面 が描 かれ てい る︒ この うち
︑龍 女の 説法 の場 面は
︑龍 女の 宝 珠 献上 と成 仏と いう クラ イマ ック スの 後で あり
︑常 に描 かれ るも ので はな いが
︑﹃ 梁 塵秘 抄﹄ 雑法 文歌 にも
︑ 烏
瑟翠 の元 結は
髪 筋ご とに ぞ光 るな る 龍女 が妙 なる 声引 は 聞け ども 聞け ども 飽く 期な し︵ 二三 一︶ と
見え
︑龍 女説 法に 一定 の関 心が 寄せ られ てい るこ とが わか る︒ 平安 時代 に作 られ たい くつ かの 経の 見返 絵を 確認 して おく と︑ 釈迦 の阿 私仙 給仕 と龍 女成 仏︵ 宝珠 献上
︶を 描い て い る も のと し て︑ 伝 来不 詳
・個 人 蔵・ 志 ん女 筆
﹁紙 本 墨 書 法 華 経
﹂巻 五
︑伝 来 不 詳
・個 人 蔵﹁ 紙 本 墨 書 法 華 経﹂ 巻 五
︑平 泉中 尊寺 伝来
﹁紺 紙金 字 法 華経
﹂︵ 基 衡 経︒ 保延 六 年︿ 一 一 四〇
﹀︶ 巻 五︑ 平 泉中 尊 寺 伝来
﹁紺 紙 金 字 法華 経
﹂
︵秀 衡一 切経 の中 に含 まれ るも の︒ 安元 二年
︿一 一六 七﹀
︶巻 五︑ 延暦 寺蔵
﹁紺 紙銀 字法 華経
﹂︵ 伝 智証 大師 筆︶ 巻五
︑ 延 暦寺 蔵﹁ 紺紙 金銀 交書 法 華経
﹂︵ 伝 慈 覚大 師 筆︶ 巻 五︑ 伝来 不 詳
・本 興 寺蔵 十 巻 本﹁ 紺紙 金 字 法華 経
﹂巻 五
︑伝 来 不 詳・ 本興 寺蔵 八巻 本﹁ 紺紙 金字 法華 経﹂ 巻五 など があ る︒ また
︑藤 田美 術館 蔵の 仏功 徳蒔 絵経 箱の 蓋四 側面 にも 提 婆 品の 逸話 が描 かれ てお り︑ うち
︑二 側面 を使 って 釈迦 の阿 私仙 給仕
︑二 側面 を使 って 龍女 の宝 珠献 上︵ 侍女 らと 共 に 飛雲 に乗 って いる とこ ろ︶ が示 され る⒇
︒
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四) ― 278 ―
一一 五番 歌の
﹁洞
﹂と の関 わり から 興味 深い のは
︑釈 迦の 阿私 仙給 仕場 面に 描か れる 仙人 の住 居で ある
︒提 婆品 経 旨 絵に おい て︑ この 阿私 仙は 洞の 中に 座し
︑手 に法 華経 とお ぼし き紙 片あ るい は巻 物を 持っ てい る姿 で描 かれ るこ と が 多い
︒阿 私仙 は山 中に いる ので
︑洞 に住 んで いる のは 当然 予想 され るこ とで あり
︑当 然す ぎる ため かあ まり 注意 さ れ てこ なか った が︑ この よう な具 体的 視覚 的事 例は
︑洞 の語 が今 様の 中に 歌い 込ま れる 背景 とし て視 野に いれ てお い て よい もの と考 えら れる
︒ 提婆 品に おい て︑ 絵画 化さ れる 場面 と︑ 今様 で歌 われ る場 面は ほぼ 重な って いる が︑ 経旨 絵に 散見 しな がら
︑今 様 に は取 り上 げら れな かっ た点 に︑ 国王 の出 家前 の生 活ぶ りが ある
︒豪 華な 宮殿 や多 くの 使用 人の 姿は
︑山 の洞 窟に お け る 阿 私仙 給 仕 の様 子 と 対 照的 で
︑両 者 を並 べ る こと に よ る 絵画 的 な 効果 は 高 いで あ ろ う︒ そ し て︑ 阿 私 仙 給 仕 の 日 々の 苦労 が︑ 王と して の贅 沢な 生活 と比 較し て強 調さ れる こと にな る︒ 一方
︑今 様は
︑場 面と して は阿 私仙 給仕 に 絞 り︑ その 苦労 の結 果︑ 法華 経を 得た 喜び を歌 うか
︑ま たは
︑提 婆達 多は
︑実 はそ の阿 私仙 だっ たの だ︑ と種 明か し す る形 にな って いる
︒阿 私仙 給仕 に対 比さ れる のが
︑国 王時 代の 贅沢 な生 活で はな く︑ 法華 経を 得た 喜び ある いは 提 婆 達 多 の前 世 の 判明 に あ る ので あ る︒ 提 婆 達 多 を 歌 う 今 様 の 特 徴 と し て
︑悪 人 と し て の 側 面 を 前 提 と し な が ら も
︑
﹁実 は﹂ 前世 は釈 迦の 師で あっ た︑ ある いは 未来 には 仏に な る のだ と
︑短 い 一首 の 中 で その 反 転 を劇 的 に 表現 し よ う と して いる 点を 指摘 した が︑ 同じ よう に︑ 苦難 の生 活と いう 負の 要素 が正 に反 転す ると ころ に今 様の 特徴 が表 れて お り
︑経 旨絵 との 比較 によ って
︑そ れが より はっ きり と浮 かび 上が って くる だろ う︒ 提婆 品を テー マに した 和歌 は絵 画化 され る場 面と 同様
︑阿 私仙 給仕 と龍 女成 仏の 二つ が主 な題 材と なる
︒龍 女成 仏 に つい ては
︑
― 279 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四)
水 底に いか でや とせ をす ぐし けむ かく あき らけ き望 月の 輪の
︵﹃ 長 能集
﹄︶ さ はり にも さは らぬ ため しあ りけ れば 隔つ る雲 もあ らじ とぞ 思ふ
︵﹃ 発 心和 歌集
﹄︶ さ はり おほ みな みを 分け こし 身を かへ て蓮 の上 に入 ると こそ みれ
︵﹃ 公 任集
﹄︶ わ たつ みの みや を出 でた る程 もな くさ はり のほ かに なり にけ るか な
︵﹃ 赤 染衛 門集
﹄︶ 波 間よ りひ とつ の玉 をさ さげ ずは いか で五 障の 雲の はれ まし
︵﹃ 田 多民 治集
﹄︶ い さぎ よき 玉を 心に みが き出 でて いは けな き身 にさ とり をぞ えし
︵﹃ 山 家集
﹄︶ た ぐひ なき 玉に 心の みが かれ てく もら ぬ空 にす める 月影
︵﹃ 月詣 集﹄
・ 成全 法師
︶ 袖 のう への 玉の 光の ほど もな く南 の空 の月 とす むら ん
︵﹃ 長秋 詠藻
﹄︶ 玉 ゆら に出 でぬ と見 えし 海の 月の やが て南 にさ しの ぼる かな わ たつ みや やが てみ なみ にさ す光 玉を うけ しに かね て見 えに き
︵ 以上
﹃拾 玉集
﹄︶ わ たつ 海の そこ のた まも にや どか りて 南の 空を てら す月 影
︵﹃ 拾遺 愚草
﹄︶ の
よう に︑ 水底
︑波
︑海
︑南
︑月
︑雲 の 語を つ か って 表 現 する こ と が 多い
︒﹁ 五 障﹂ と の関 連 で﹁ さ はり
﹂の 語 も 散 見 する
︒ 阿私 仙給 仕を 主題 とし たも のは
︑冒 頭に 触れ た法 華讃 嘆と して 歌わ れる 一首
﹁法 華経 をわ が得 しこ とは 薪こ り菜 摘 み 水汲 み仕 へて ぞ得 し﹂
︵﹃ 拾 遺集
﹄に 大僧 正行 基の 詠歌 とし て所 収︶ 同様
︑水 を汲 むこ と︑ 木の 実を 拾う こと
︑薪 を 切 るこ とを 入れ 込ん でい くの が大 勢で あ る︒
﹃長 秋 詠 藻﹄ の一 首 は︑ 釈 迦の 立 場 に 立っ て 詠 んだ も の で︑ 一一 二 番 歌 の 表現 に近 い︒
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四) ― 280 ―
この み
薪 とり 嶺の 菓を もと めて ぞえ がた き法 は聞 きは じめ ける
︵﹃ 長秋 詠藻
﹄︶ 法 のた めに なふ たき ぎに こと よせ てや がて うき よを こり ぞは てぬ る
︵﹃ 金葉 集﹄ 二度 本・ 瞻西 上人
︶ ち とせ まで むす びし 水も 露ば かり わが 身の ため とお もひ やは せし
︵﹃ 千載 集﹄
・ 僧都 覚雅
︶ 谷 水を むす べば うつ るか げの みや 千年 をお くる 友と なり けん
︵﹃ 千載 集﹄
・ 顕昭 法師
︶ な にと なく 涙の 玉や こぼ れけ ん峰 の木 の実 をひ ろふ 袂に
︵﹃ 新続 古今 集﹄
・ 寂然 法師
︶ う き世 をば 嶺の たき ぎと こり はて て法 の心 をく みし 谷河
︵﹃ 後 葉集
﹄・ 近 衛院
︶ ふ たつ なき 法の 契り を千 年ま で谷 の水 にや むす びお きけ ん
︵﹃ 今 撰集
﹄︶ ち とせ まで むす びし 法の 谷水 をけ ふみ たら しに とき なが すか な
︵﹃ 月詣 集﹄
・ 賀茂 重保
︶ こ れや さは 年つ もる まで こり つめ し法 にあ ふこ のた きぎ なり ける
︵﹃ 山 家集
﹄︶
﹃月 詣 集﹄ の重 保 詠 には
﹁け ふ
﹂の 語 が 含ま れ
︑一 一
〇番 今 様 と共 通 す る︒ こ の 和 歌 の 詞 書 に は﹁ 賀 茂 卅 講 五 巻 日
︑ 人 々重 保が 家に て︑ 提婆 品の 心を よみ 侍り ける に﹂ とあ り︑ 五巻 日︑ すな わち 提婆 品を 読む 日に 詠ま れた もの であ る か ら
︑提 婆 品が 説 か れた
﹁今 日
﹂の 意 で 使わ れ て いる
︒一 一
〇 番今 様 も
︑こ の よう な 法 会の 際 に 歌 わ れ た と 考 え ら れ
︑釈 教歌 の詠 み出 され る場 との 近し さが 改 めて 確 認 でき よ う︒ 特 に作 者 の 賀 茂重 保 は︑
﹃ 今様 の 濫 觴﹄ とよ ば れ る 今 様相 承系 図に 名が 見え
︑小 大進 から 今様 を習 って いる 人物 でも ある
︒ 提婆 達多 その 人に 焦点 を当 てる 詠歌 のう ち注 目さ れる のは
︑次 の三 首で
︑こ れら には 一一 四番 今様 に含 まれ る﹁ あ た
﹂の 語が 見え てい る︒
― 281 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四)
み な人 を仏 の道 にい れつ れば 仏の あた も仏 なり けり
︵﹃ 公 任集
﹄︶ よ そに こそ あた とみ ゆと もち とせ まで つか へし なか はへ だて しも せず
︵﹃ 忠 度集
﹄︶ あ りし むか しわ れみ ちび きし 山人 をけ ふは あた とや 人の 見る らむ
︵﹃ 拾 玉集
﹄︶ 提
婆達 多 を﹁ あ た﹂ とす る 表 現は
︑﹃ 法 華 経﹄ は もち ろ ん︑ 管 見の 範 囲 の唱 導 資 料 な ど に も 見 当 た ら な か っ た が
︑ 釈 教歌 の中 にわ ずか なが ら例 が見 られ る︒ 一一 四 番今 様 に 関し て
︑新 間 進一 が 公 任 の和 歌 を 引き
︑﹁ こ の 釈教 歌 の 表 現 を採 りこ んで いよ う﹂
︵ 新編 全集
︶と 指摘 して い る が︑ これ を 積 極的 に 支 持 した い
︒さ ら に︑ 忠度 と 慈 円が 同 様 の 表 現を 使っ てい るが
︑忠 度の 兄に 白拍 子を 寵愛 した 清盛 がい るこ とや
︑慈 円が 今様 を創 作し てい るこ とな どを 考え 合 わ せる と︑ 忠度 や慈 円は 提婆 達多 を﹁ あた
﹂と する 表現 を公 任の 和歌 のみ なら ず︑ 今様 から も触 発さ れて 自ら の詠 歌 に 取り 入れ たの では ない だろ うか
︒人 は﹁ あた
﹂と みる が︑ 実は
︑か つて 千年 仕え た相 手な のだ
︑と する 忠度 詠︑ か つ ての 自分
︵釈 迦︶ を導 いた 山人 なの に︑ 今︑ 人は
﹁あ た﹂ と見 るだ ろう
︑と する 慈円 詠の 表現 は︑ 一一
〇・ 一一 一 の 今様 の表 現に かな り近 いも のと 言え るで あろ う︒ 慈円 と提 婆品 の今 様と の関 わり で︑ 注意 して おか なけ れば なら な い のは
︑す でに 多く 指摘 され てい るが
︑﹃ 拾 玉集
﹄巻 四に
︑今 様と して
︑ 谷 の小 川も 通ひ 路も
雪 降り 積み て道 もな し 漏り こし 水も 音も せず
氷 をた たき て水 を汲 み 霜を 払ひ て薪 と り 千 年の 春秋 すぐ して ぞ 一乗 妙法 聞き そめ し と 見え るこ とで
︑﹁ 氷 をた たき て﹂ 以下 が一 一二 番歌 と 一 致す る
︒考 は 一一 二 番 今 様を 慈 円 の作 と 見 てい る が
︑菅 野 扶 美は
︑七 五調 七連 とい う変 則的 な長 さの 今様 から
︑一 部を 切り 出し たの では なく
︑既 存の 今様 を聞 いた 慈円 が︑ 自 ら の千 日籠 山の 経験 を踏 まえ
︑﹁
﹁ 私の 経験 では 更に こう なる な﹂ とた わむ れて
﹁谷 の小 川も 通ひ 路も
﹂と 付け たと す
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四) ― 282 ―
る ほう が素 直で あろ うか
﹂ とす る︒
﹃古 今目 録抄
﹄料 紙今 様に 一一 二番 歌と ほ ぼ 同 じ今 様 が 見え る こ とか ら も
︑も と も と一 一二 番歌 の形 で流 通し たも のだ ろう とす る考 察に 従い たい
︒菅 野注 釈は
︑さ らに
︑千 日籠 山の 修行 の頃 の作 と さ れ る﹃ 拾 玉集
﹄巻 一 述 懐百 首 の 最 初 の 二 首﹁ み と せ ま で み の り の 花 を さ さ げ つ つ こ こ の し な を も 願 ひ つ る か な
﹂
﹁も ろと もに すむ らむ もの を年 を経 て結 ぶあ かゐ の 水 の心 も
﹂を 挙 げ︑ 慈円 が
︑阿 私 仙 に仕 え て いた 前 世 の釈 迦 に 自 分 を重 ねて いる こと を指 摘す る︒ こ の指 摘 を 踏ま え る と︑
﹁あ り し む かし
﹂の 慈 円 詠が
﹁わ れ
﹂の 語 を使 っ て
︑釈 迦 に なり かわ った かの よう な表 現を とっ てい るこ とも
︑同 じ流 れの 上に 位置 づけ られ よう
︒ 先に 注目 した 一一 五番 歌の
﹁洞
﹂の 語に 関し ては
︑﹃ 法 門百 首﹄ の例 が注 意さ れる
︒ 提婆
品 乃至 以身 而作 床坐 山 おろ しに あら れち るよ の寒 きよ は玉 の姿 ぞゆ かと 成し ける 仏
︑む かし 仙人 につ かへ て︑ 身を ゆか とな し給 ひし なり 拾薪 設食 お ぼつ かな みね の薪 をひ ろふ まに 苔の ほら にや 煙立 つら ん こ れも その むか しの 事な り︑ 身心 無倦 など とか れた るは
︑し ばし もた ゆま ず心 ざし をは こば せ給 ひけ るに こ そ
︵﹃ 法門 百首
﹄︶
﹃法 門百 首﹄ の作 者・ 寂然 は︑ その 家集
﹃唯 心房 集﹄ に今 様五 十首 を残 して いる こと が知 られ る︒
﹃法 門百 首﹄ の成 立
― 283 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四)
は 保元 元年
︵一 一五 六︶ から 長寛 二年
︵一 一六 四︶ の間 とさ れ︑ 書物 とし ての
﹃梁 塵秘 抄﹄ の成 立は 嘉応 元年
︵一 一 六 九︶ 頃な ので
︑﹃ 梁 塵秘 抄﹄ 今様 との 先後 関係 は微 妙な とこ ろで ある が︑ 阿私 仙の 住居 を﹁ 洞﹂ と表 現す る点
︑﹃ 梁 塵 秘抄
﹄今 様と 寂然 詠と の間 に影 響関 係が 想定 でき るの では なか ろう か︒
﹃ 法門 百首
﹄提 婆品 のも う一 首は
︑仙 人給 仕の 中 で も﹁ 身を 床 に する
﹂こ と を 取 り上 げ て いて や や 珍し い
︒釈 教 歌 に は︑ 他に
︑ い
にし へは しく 人も なく 習ひ きて さゆ る霜 夜の ゆか とな りけ ん
︵﹃ 続後 撰集
﹄・ 崇 徳院
︶ 山 人の 苔の むし ろに 身を 代へ てい かに ちと せを しき しの びけ ん
︵﹃ 新後 撰集
﹄・ 源 有長
︶ な
どの 例は ある もの の︑ 先 に挙 げ た よう に
︑経 本 文﹁ 採菓 汲 水
︒拾 薪 設食
︒乃 至 以 身︒ 而作 牀 座﹂
︵ 菓を 採 り
︑水 を 汲 み︑ 薪を 拾い
︑食 を設 け︑ 乃至
︑身 を 以て 牀 座 とな す
︶の
︑前 半 部分 の 要 素︵ 木 の実 を 採 るこ と
︑水 を 汲 むこ と
︑ 薪 を拾 うこ と︶ が歌 われ るこ とが ほと んど であ る︒ 特に
﹁水 を掬 ぶ﹂ とい う表 現が 多く 見ら れ︑ 清ら かな 悟り のイ メ ー ジと 重ね られ てい た︒ 経旨 絵に おい て も︑ 洞の 中 に 座す 仙 人 の回 り に
︑薪 を 担う 国 王︵ 釈 迦︶
︑水 を 入 れた 桶 を 運 ぶ 国王
︑地 面に しゃ がん で木 の実 を拾 う国 王の
︑い ずれ かま たは すべ てが 描か れる こと が多 い︒ その 中で
︑本 法寺 蔵
﹁法 華経 曼荼 羅図
﹂で 横た わっ た王 が板 を背 負い
︑そ の 上 に阿 私 仙 が座 っ て い る姿 が 描 かれ る こ と︑ 本興 寺 蔵
﹁法 華 経 曼荼 羅図
﹂で 横た わっ た王 の上 に阿 私仙 が直 接腰 を下 ろす 姿が 描か れる こと
︑伝 来不 詳・ 本興 寺蔵 八巻 本﹁ 紺地 金 字 法華 経﹂ 巻五 見返 に︑ 獣皮 をつ けた 阿私 仙が 国王 の 背に 馬 乗 りに な っ た姿 が 描 か れる こ と はや や 珍 し いが
︑﹁ 身 を 床 にす る﹂ こと を表 現し たも のと して 興味 深い
︒な お︑ 本法 寺蔵
﹁法 華経 曼荼 羅図
﹂に おい ては
︑さ らに
︑﹃ 法 華経
﹄
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四) ― 284 ―
に はな い︑ 阿私 仙が 杖で 釈迦 を打 擲す る場 面が 描か れて いる
︒ 以上 をふ まえ て︑ 提婆 達多 の今 様の 特徴 を 改め て ま とめ る と︑
①悪 人 提 婆 達多 へ の 共感
︑② 仏 の世 界 へ の 一体 化
︑
③ 具体 的実 感的 表現
︑の 三点 が指 摘で きよ う︒ まず
︑第 一点 は︑ 提婆 達多 のよ うな 悪人 に関 心を 寄せ
︑悪 人で も実 は 前 世で は釈 迦の 師で あっ た︑ とか
︑来 世は 仏に なる のだ
︑と か︑ 法華 経を 説い たの はほ かな らぬ 達多 なの だ︑ とい う よ うに
︑一 首の 中心 に達 多を 置い て︑ その 讃え るべ き側 面を 強調 して いる とい うこ と︒ つま り︑ 達多 を悪 人と はし な が ら︑ たと えば 本法 寺蔵
﹁法 華経 曼荼 羅図
﹂で 描か れる よう な釈 迦を 折檻 する ほど のむ ごさ は表 現し ない こと
︒第 二 点 目に
﹁我
﹂﹁ 今 日﹂ とい った 語で
︑過 去の 物語 と現 実 の 自分 た ち を重 ね て い くと い う こと
︒さ ら に︑ 第 三点 目 と し て
﹁洞
﹂と いっ た具 体性 のあ る言 葉を 使っ たり
︑繰 り返 しの 表現 で苦 労を 強調 した りす るな ど︑ 実感 のこ もっ た表 現 を して いく こと
︒こ れら は今 様の 特徴 とし て提 婆達 多を 歌う もの 以外 につ いて も言 える こと であ り︑ この よう な表 現 の はぐ くま れた 背景 には
︑僧 侶た ちに よっ て行 われ た︑ 学問 的な 経典 の解 説や その 成果 とし ての 書物 だけ でな く︑ む し ろ︑ より 広い 階層 の人 々が 身近 に接 する こと ので きた 唱導 のよ うな もの があ り︑ また
﹃法 華経
﹄の 内容 を絵 画化 し た 経旨 絵の よう なも のが あっ たと 考え ら れる
︒ま た
︑﹁ あ た﹂ の語 に つ いて ふ れ た よう に
︑釈 教 歌の 影 響 も無 視 で き な いも ので あろ う︒ 釈迦 の阿 私仙 給仕 に関 して は︑ 今様 と経 旨絵
︑釈 教歌 の表 現の 重な る点 が多 く︑ お互 いに 影響 を 及 ぼし てい るこ とが 窺わ れる が︑ 絵画 にお いて しば しば 見ら れる 国王 時代 の釈 迦の 様子 は︑ 今様 には 歌わ れな い︒ 贅 沢 な 王 の生 活 を 捨て て の 釈 迦の 苦 労 を強 調 す るよ り も
︑そ の 苦労 は 歌 いな が ら も法 を 聞 き 得た 喜 び の方 に 焦 点 を 当 て
︑ま た︑ 提婆 達多 の正 体を 明か し︑ その 成仏 の予 言を 主題 とす るの であ る︒ 龍女 の今 様に おい ては
︑多 く絵 画化 され る宝 珠奉 献は 歌わ れず
︑女 人も 仏に なれ るの だと
︑一 般的 抽象 的に まと め て いく 傾向 が強 い︒ この 点︑ 具体 的実 感的 表現 をと る提 婆達 多の 今様 とは 対照 的で ある
︒た だし
︑一 一三 番歌 は︑ 八
― 285 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四)
歳 で﹃ 法華 経﹄ を初 めて 聞い たと いう 龍女 の経 験の 一時 点を 切り 取っ てい て特 異で ある
︒ なお
︑四 句神 歌の
﹁経 歌﹂ には
︑八 首の 今様 が配 置さ れる が︑ いず れも
﹃法 華経
﹄を 讃嘆 した もの であ る︒ 特定 の 品 につ いて 歌う のは 四首 で︑ その うち の三 首が 提婆 品に 関す るも のに なっ てい る︒ 妙
法習 ふと て 肩に 袈裟 掛け 年経 にき
峰 に上 りて 木も 樵り き 谷の 水汲 み 沢な る菜 も摘 みき
︵二 九一
︶ 龍 女が 仏に 成る こと は 文殊 のこ しら へと こそ 聞け
さ ぞ申 す 娑竭 羅王 の宮 を出 でて
変 成男 子と して 終に は 成 仏道
︵二 九二
︶ 文 殊の 海に 入り しに は 娑竭 羅王 波を やめ
龍 女が 南へ 行き しか ば 無垢 や世 界に も月 澄め り︵ 二九 三︶ 二
九一 番歌 は阿 私仙 給仕 を歌 うが
︑肩 に袈 裟を 掛け る︑ 沢の 菜を 摘む
︑と いう 経に はな い表 現を 含み
︑生 活の 様子 が 一 層具 体的 に描 写さ れる
︒﹁ 菜 も摘 みき
﹂は
︑諸 注指 摘 す るよ う に︑ 行 基の
﹁法 華 経 を わが 得 し こと は 薪 こり 菜 摘 み 水 汲み 仕へ てぞ 得し
﹂︵
﹃ 拾遺 集﹄
︶ の﹁ 菜摘 み﹂ を踏 まえ て い よう
︒二 九 二 番歌 と 二 九 三番 歌 は 龍女 成 仏 を歌 っ た も の であ るが
︑﹁ と こそ 聞け
﹂﹁ さぞ 申す
﹂と い った 掛 け 合い 風 の 表現 を 含 ん でい た り︵ 二 九二
︶︑ 経 本 文に は な い︑ 娑 竭 羅王 が文 殊を 歓迎 して 荒波 を和 らげ ると いう よう な劇 的な 場面 を構 成し てい たり
︵二 九三
︶と
︑法 華経 二十 八品 歌 よ りも 自由 な創 造性 が発 揮さ れて いる よう に思 われ る︒
『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四) ― 286 ―
二︑ 勧 持 品 勧持
品に おい て︑ 薬王 菩薩 をは じめ 多く の菩 薩た ち︑ また 前に 授記 を受 けた 多く の声 聞た ちは
︑仏 減後 にこ の経 を 説 くつ もり であ ると 誓う
︒ま た︑ 摩訶 波闍 波提
︵釈 迦の 養母
︶や 耶輸 陀羅
︵釈 迦の 昔の 妃︶ をは じめ 多く の比 丘尼 た ち も︑ 将来 仏に なる であ ろう とい う予 言を 得る
︒ 勧持 品を 歌う 今様 は次 の二 首で ある
︒ わ
が身 は夢 に劣 らね ど 無上 道を ぞ惜 しむ べき
命 は譬 ひの 如く なり
如 来付 嘱は 誤た じ︵ 一二
〇︶ 法 華を 行ふ 人は 皆 忍辱 鎧を 身に 着つ つ 露の 命を 愛せ ずて
蓮 の上 に上 るべ し︵ 一二 一︶ 二
首 と も︑
﹃法 華 経﹄ を 受持 す る 者 の︑ 命を 惜 し まな い 固 い決 意 と そ の功 徳
︵仏 と なっ て 浄 土 の 蓮 の 上 に 座 す こ と
︶ を 歌っ てい る︒ 一二
〇番 歌の
﹁無 上道 をぞ 惜し むべ き﹂ は﹃ 法華 経﹄ 偈の
﹁但 惜無 上道
﹂︵ 但
︑無 上道 のみ を惜 しむ なり
︶に よる
︒
﹁無 上 道﹂ はこ の 上 ない 最 高 の 教え の 意 で﹃ 法華 経
﹄を 指 す︒
﹁如 来 付 嘱﹂ は︑ 仏 から 付 与 さ れ 移 植 さ れ た 使 命 の 意
い ひつ け
で
︑偈 の﹁ 仏所 嘱﹂
︵ 仏に 嘱ら れし 所︶ によ る︒
﹁如 来付 嘱﹂ の熟 語は 嘱累 品に 見え る︒ 第一 句と 第三 句で 同様 の内 容
︵わ が身 は夢 のよ うに 儚い
︑命 は露 や夢 に譬 えら れる よ う に儚 い
︶を 繰 り返 し て お り︑ この 認 識 は勧 持 品 に特 段 の 典 拠 があ るわ けで はな いが
︑身 命の 儚さ ゆえ に︑ 法華 経を 広め るこ とを 誓う とい う流 れを 構成 して いる
︒第 一句 と第 三
― 287 ― 『梁塵秘抄』法華経二十八品歌と釈教歌、経旨絵(その四)
句 で強 調さ れる
﹁儚 さ﹂ に対 して
︑第 二 句と 第 四 句の 主 張 は﹁ 惜し む べ き﹂
﹁ 誤た じ
﹂と 強 い語 調 で あっ て
︑反 復 と 対 比の 表現 が注 目さ れる
︒ 一二 一番 歌の
﹁忍 辱鎧
﹂は 偈の
﹁我 等 敬信 仏 当 著 忍辱 鎧
﹂︵ 我 等は
︑仏 を 敬 信 した て ま つる を も って
︑当 に 忍 辱 の 鎧を 著る べし
︶に よる
︒迫 害侮 辱に 耐え る こと を 身 を守 る 鎧 に譬 え た も の︒
﹁露 の 命 を愛 せ ず て﹂ は偈 の
﹁我 不 愛 身 命 但惜 無上 道﹂
︵ 我は 身命 を愛 せず して
但
︑無 上 道 のみ を 惜 しむ な り
︶の 前 半に よ っ てい る
︒忍 辱 の鎧 を 身 に 着 けて
︑法 華経 を広 める 人は
︑露 のよ うに 儚い 命 を愛 さ ず︑ 蓮 の上 に 上 って 成 仏 す るに 違 い ない と 歌 う︒
﹁蓮 の 上 に 上 る﹂ とは
︑極 楽往 生を 比喩 的に い う表 現 で ある が
︑一 二 一番 歌 で は 成仏 に 転 じて い る︒
﹁ 露の 命
﹂と
﹁蓮 の 上﹂ を 取 り合 わせ た表 現は
︑宇 津木 言行 が指 摘す るよ うに
︑す でに 平安 時代 中期 の 和 歌 に見 え て おり
︑一 二 一 番歌 に も 影 響 を与 えて いる と考 えら れる
︒ 勧持 品は 分量 も少 なく
︑弘 経の 誓い と女 性た ちへ の授 記と いう 趣旨 は︑ 絵画 的要 素が 少な いた めか
︑立 本寺 蔵﹁ 妙 法 蓮華 経金 字宝 塔曼 陀羅 図﹂ には 描か れな い︒ 談山 神社 蔵﹁ 法華 曼陀 羅﹂ には
︑片 肘を つい て寝 そべ る僧 と︑ その 前 で 合掌 する 僧の 図︑ およ び︑ 供養 具の 置か れた 机の 前で 合掌 する 二僧 の図 が見 られ るが
︑こ れは 勧持 品に 現れ る︑ 悪 心 を抱 き罵 詈雑 言を 吐く 僧と
︑そ れに 耐え 弘経 に励 む僧 を表 現し てい るも のと 考え られ よう
︒本 法寺 蔵﹁ 法華 経曼 荼 羅 図﹂ は︑ 第十 三幅 に勧 持品 と安 楽行 品が 描か れる が︑ 勧持 品の 図柄 とし ては
︑摩 訶波 闍波 提と 耶輸 陀羅 の成 仏が 描 か れ︑ また
︑悪 鬼に 害さ れな がら も法 華経 を広 く説 くこ とを 誓い 合う 僧侶 の姿 が示 され てい る︒ 本興 寺蔵
﹁法 華経 曼 荼 羅図
﹂で は︑ 第三 幅の 一部 に勧 持品 が描 かれ てい る︒ 短冊 型に は﹁ 不惜 身命
﹂と 書か れて いる がこ の熟 語は
︑勧 持 品 では なく 譬喩 品に ある
︒勧 持品 の﹁ 不愛 身命
﹂と 意味 とし ては 重な って いる が︑ 短冊 型の そば に描 かれ る雪 山童 子 の 図 柄 と共 に
︑勧 持 品だ け か ら 導き 出 さ れる も の では な い
︒雪 山 童子 は
︑仏 が 過去 世 に 菩薩 行 を 修 め た 時 の 名 で あ
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