西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可 能性
著者 オジュグ タデウシュ
雑誌名 文化學年報
号 62
ページ 177‑195
発行年 2013‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027735
西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可 能性
著者 オジュグ タデウシュ
雑誌名 文化學年報
号 62
ページ 177‑195
発行年 2013‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/00027735
西 田 幾 多 郎 の
﹃ 日 本 文 化 の 問 題
﹄ と 多 文 化 共 生 の 可 能 性
オ ジ ュ グ
・ タ デ ウ シ ュ
本論 文に おい て︑ 西田 幾多 郎が
﹃日 本文 化の 問題
﹄で 自ら の哲 学的 立場 から 文化 その もの 及び 日本 文化 の本 質を どの よ うに 考え たの か︑ また 彼の 日本 文化 論は 今日 のグ ロー バル 化に よる 民族 文化 の特 殊性 衰退 の対 策と して 展開 でき る可 能 性を 検討 して みた い︒ 西田 の哲 学は ナシ ョナ リズ ム的 であ ると いう 批判 もあ るた め︑ 民族 文化 の特 殊性 衰退 の対 策と し てそ れを 考え よう とす ると
︑必 ずま たそ のよ うな ナシ ョナ リズ ム的 な展 開の 恐れ があ るの では ない かと 思う 人が 多い か もし れな いが
︑著 者は 西田 の哲 学の 中で 他者 や他 文化 を否 定す るナ ショ ナリ ズム 的な 原理 では なく
︑多 様性 を許 す共 存 及び 共生 的発 展を 可能 にす る原 理を 再確 認し
︑相 互尊 重を 基に した 諸文 化新 形成 の原 理と して 提案 した いと 思う
︒ 文化 交流 や異 文化 との 接触 はど の時 代に おい ても ある 程度 発生 する もの では ある が︑ 同じ 文化 圏に おけ る文 化交 流と 異 な っ た文 化 圏 の文 化 と の 接触 と は 相違 す る とこ ろ が 多 々あ る
︒ま た︑ 異 なっ た 文 化圏 と の 接 触は 古 代 でも 見 ら れ る が
︑全 世界 規模 の文 化圏 間の 相互 作用 が始 まっ たの は大 航海 時代 のこ とだ とい って も間 違い ない であ ろう
︒異 なっ た文 化 圏に 属す る文 化間 の対 立は 評価 しに くい とこ ろが ある が︑ 経済 活動
︑政 治活 動の 背景 にあ りな がら
︑両 者の あり かた を 形成 する 要素 とし ても その 役割 を果 たし てい た︒ 否定 的に 考え ると 戦争 など は主 に政 治的
︑経 済的 な要 因か ら発 生す る もの であ るが
︑異 文化 の争 いと いっ た側 面を 持つ こと を否 定で きな い︒ しか し︑ その よう な争 い︑ 破壊 の中 でそ れぞ
― 177 ―
れ の文 化に 対し て建 設的 な側 面を 見出 そう とす る人 もい る︒ いず れに せよ
︑異 なっ た文 化圏 に属 する 文化 との 接触 は自 文 化の 自覚 にも 繋が る部 分が あり
︑そ うい った 歴史 的出 来事 はそ のあ り方 やそ の内 容を 再検 討す るき っか けに なる こと が 多い
︒ 日本 は異 なっ た文 化圏 に属 する 異文 化に 接触 する 状況 を考 える と︑ その 度合 い︑ 激し さや 態度
︵方 向性
︶の 違い から 大 航海 時代
︑明 治時 代︑ 太平 洋戦 争及 び現 在の 時期 を区 分で きる であ ろう
︒大 航海 時代 及び 明治 時代 に共 通す ると ころ は 日本 文化 の受 身的 な態 度で ある が︑ 太平 洋戦 争即 ち西 田が 日本 文化 を問 題に した 時期 は︑ 日本 文化 の自 覚が 深ま りつ つ ある 中で 世界 文化 への 性質 を意 識的 に変 えよ うと して い た 時期 で あ る︒ その 過 程 に 対し て は 相反 す る 評価 が あ る が︑ 本 論文 にお いて は政 治的 側面 に触 れず
︑哲 学的 な立 場か らの み西 田の 日本 文化 に対 する 考え を明 らか にし
︑今 日の グロ ー バル 化に おけ る日 本文 化の あり 方に 対す る評 価基 準お よび これ から の在 るべ き姿 への 検討 材料 とし て西 田の 考え かた に 注目 した いと 思う
︒ 無論 太平 洋戦 争の 時期 と現 在の 日本 は異 なっ た歴 史的 背景 を持 つも ので はあ るが
︑文 化的 自覚 やそ こか ら発 生す る世 界 文化 へ貢 献で きる ある 方向 への 展開 は期 待さ れて いる ので ある
︒特 殊性 と普 遍性 の建 設的 調和
︑弱 肉強 食に よる 同化 で はな く︑ 互尊 独尊 によ る新 文化 構築 を目 指す べき 各々 の文 化の あり 方に 注目 しな けれ ばな らな い︒ そう いっ たあ り方 の 根拠 の解 明及 びそ の裏 づけ に西 田の 日本 文化 につ いて の考 察は 大い に役 立つ はず であ る︒ そも そも 西田 は講 演や 著作 の 題名 とし て﹃ 日本 文化 の問 題﹄ を選 び︑ その 中で 日本 文化 を問 題に する こと は日 本文 化そ のも のに 対し て問 題と なる と ころ があ り︑ 解決 や説 明す べき とこ ろが ある こと を示 唆し てい るの であ る︒ 西田 曰く
﹁今 日日 本文 化が 世界 文化 とし て 考え られ
︑世 界文 化と して 発展 する には
︑そ れが 如何 なる 意味 にお いて
︑ま た如 何に して とい うこ とが 考え られ ねば な らな い︑ すな わち 問題 とな らな けれ ばな らな いと 思う
︒而 し て それ は ま た東 洋 と 西 洋と が 一 つの 世 界 とな っ た 今 日︑ 東 洋文 化が 如何 なる 意味 にお いて 世界 文化 とし て︑ 将来 の世 界歴 史に 貢献 する かと いう こと であ ろう
︒﹂!
西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性 ― 178 ―
ここ でも う一 つの 事実 につ いて 触れ てお きた い︒ フッ サー ルと 西田 の文 化論 の 比 較 を試 み た 森村 修 は 彼の 論 文!
の中 で
︑西 田が 展開 した 日本 文化 論は 彼の 本意 や意 図と 異な った 目的 で利 用さ れた こと があ ると 指摘 して いる
︒森 村に よれ ば
︑西 田の 日本 主義
︵﹃ 日 本文 化の 問題
﹄で 表現 され た もの に 限 らな い
︶は 大 東 亜共 栄 圏 思想 の 裏 づけ と な っ た︒ それ は 或る 意味 にお いて 避け られ ない こと では ある か も しれ な い が︑
﹃日 本 文 化 の問 題
﹄を 講 演し
︑後 に そ れを 基 に 同 様な 題 名で 出版 した 著作 を執 筆し
︑そ の中 で理 想的 な世 界文 化と して の日 本文 化の 姿の 夢を 見た だけ では なく
︑彼 の哲 学を 基 に 或 る程 度 そ の根 拠 も 示 した は ず であ る
︒西 田 の日 本 文 化 論は 悪 用 され た 部 分が あ る と はい え
︑森 村 が言 う よ う な
﹁政 治的 にナ イー ヴな
﹂"
彼 では なか った と思 う︒ しか し︑
﹃ 日本 文化 の問 題﹄ にお いて は上 記の 問題 を示 唆 する と こ ろが な い と はい え な い︒ 西田 の 皇 室に 関 す る 叙述 や 日本 文化 に お け るそ の 中 心的 な 位 置づ け や 皇 室の 優 位 性の 裏 づ けを 見 る と︑ 西 田哲 学 は﹁ 文 化ナ シ ョ ナ リズ ム
﹂# と 呼 ば れ ても
︑そ の 反 論も 容 易 に でき る も ので は な い︒ 西田 の 思 想 は︑
﹃日 本 文 化の 問 題﹄ で 表現 さ れ た も の を 含 め て︑ 国 粋主 義的 であ った かど うか は評 価や 判断 をす るの は非 常に 複雑 な作 業と なる が︑ 西田 の哲 学は 普遍 的な もの であ った と は言 え︑ それ 自体 が帝 国主 義に 反す るも ので なけ れば
︑帝 国主 義を 否定 する もの でも ない
︒か えっ て︑ その よう な思 想 の根 拠と なる 性質 を十 分に 持っ てい るこ とも 明白 であ ろう
$
︒ 本論 考に おい て上 記の 指摘 をそ れ以 上展 開す るこ とが でき ない が︑ 西田 の日 本文 化論 に対 して 相反 する 評価 が可 能で あ るこ とを 示し たま でで あり
︑ど の評 価が 正し いの かを ここ で論 じな いこ とに する
︒
1 .
﹁ 日 本 文 化 の 問 題
﹂ の 執 筆 と そ の 歴 史 的 背 景
日本文化 とい う問 題は 西田 自身 が選 んだ 課題 であ ると いう より も︑ 依頼 され たた め自 らの 哲学 的立 場か らそ れを 論じ
― 179 ― 西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性
て みた まで であ る︒ 西田 の一 般的 な研 究書 を見 ても その 論 文 を特 に 重 視し て 取 り 挙げ る も のは 極 め て少 な い
︒﹃ 日 本文 化 の問 題﹄ の序 にお いて
︑執 筆動 機と して 京都 大学 で行 われ た月 曜講 義で 話し たこ とが きっ かけ とな り︑ その 原稿 を敷 衍 した もの であ ると 述べ てい る︒ 西田 が月 曜講 義に 日本 文化 の問 題に つい て話 した のは 一九 三八 年で ある
︒そ の歴 史的 背 景及 び京 都大 学 内 の 状況 に つ いて
﹃西 田 幾 多郎 の 思 索 世界
﹄! の中 で 藤 田正 勝 が 説 明し て い るの で 参 考に さ れ た いと 思 うが
"
︑こ こで 検閲 や思 想統 制が 厳し くな って いく 中で
︑西 田は どう して こ の よう な 危 険な 課 題 を拒 む こ と なく
︑文 部 省思 想局 の通 達#
に 従っ たの か︑ 少し 検討 して みた いと 思う
︒戦 後に なっ てか ら 西 田は 軍 閥 に協 力 し た知 識 人 の 一人 と し て 批判 さ れ るが
︑そ の 根 拠 は﹃ 日本 文 化 の問 題
﹄の 中 でも 見 受 け られ る の では な か ろう か と い う 見 解 も あ る
︒無 論
︑﹃ 世 界新 秩序 の原 理﹄$ など と比 べる と戦 争協 力が 問わ れる 根拠 は極 めて 少 な いが
︑当 時 は 或る 程 度 その 思 想 を 肯定 し
︑国 民の 期待 に応 えな けれ ばな らな いと 思っ たか もし れな い︒ さら に︑ その 時代 にお いて 肯定 しな いで
︑当 局が 期待 す る内 容に つい て触 れな かっ たり
︑中 立な 立場 を取 った りす るだ けで も否 定す るか のよ うに 解釈 され うる 危険 性も あっ た であ ろう
︒哲 学者 とし ての 西田 は自 らを 特殊 な歴 史的 世界 の外 に置 き︑ それ を絶 対的 に客 観的 な立 場か らみ ると いう よ りも
︑そ の特 殊な 歴史 的世 界の 自己 形成 とし て︑ その 内か ら自 らの 哲学 を展 開す る道 を選 んだ であ ろう
︒そ の中 で西 田 はお そら く学 問は どこ まで も真 理を 求め るべ きも のと して 考え
︑自 らの 哲学 を通 して 日本 文化 の神 髄を 把握 する こと が でき ると 考え たで あろ う︒
﹁ しか し研 究は 隠す 所な く 蔽う 所 な く︑ 美を 美 と し 醜を 醜 と して
︑ど こ ま でも 公 明 正 大で な けれ ばな らな い︒
﹂% と西 田が いう ので 自ら は課 題に 対し ても 論拠 に対 して も真 に自 信が あっ たで あろ う︒
2 . 文 化 の 定 義 に 関 す る 問 題 点
哲学に関 して 誰も が納 得す る一 つの 定義 がな いの と同 様に
︑文 化を 定義 する のも 同様 に難 しい 問題 であ る︒ 本論 考に
西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性 ― 180 ―
入 る前 にそ うい った 定義 を提 示す るこ とは 困難 であ るだ けで はな く︑ あま り意 義が ない ので
︑西 田の 文化 につ いて の考 え 方を 論述 する 前に
︑ま ずい くつ かの 可能 な解 釈を 簡単 に紹 介し てお きた い︒ 無論
︑人 類学 にお いて も︑ 政治 学に おい て も︑ 哲学 にお いて も︑ その 概念 の意 味範 囲︑ 他の 諸概 念と の関 連や 各々 の分 野内 での その 重要 性の 差が ある のも 言う ま でも ない
︒ では
︑も っと 一般 的に 文化 と言 われ てい るも のは どの よう なも ので あろ うか
︒文 化を 社会 的活 動の 副産 物で
︑人 間の 存 続に 不可 欠な もの では ない とい う考 え方 も十 分に 成り 立つ 中で
︑ま たそ のよ うな 狭い 意味 の文 化解 釈は それ が自 覚的 で なく ても
︑現 在最 も普 及し てい る考 え方 でも ある ので はな かろ うか と思 う︒ 日本 文化 とは 何か とい う問 いに 対し て茶 の 湯︑ 書道
︑生 け花 など と答 える 人が 多い よう では ある が︑ 考え てみ れば そう いっ た文 化的 要素 は社 会を 構成 する ほと ん ど の 人の 日 常 生活 と 関 係 のな い も ので あ り︑ 日 常性 を 超 越 する よ う なも の と みな さ れ て いる の で あろ う
︒文 化 は 政 治
︑経 済と 同様 なレ ベル のも のと 考え られ
︑そ れら と区 別さ れて いる が︑ 実際 に政 治も 経済 も吟 味し てみ ると
︑そ の根 底 に 文 化的 要 素 があ る こ と が分 か る はず で あ る︒ 従っ て
︑政 治 や 経済 な ど に対 し て 文化 は 同 等 なレ ベ ル の概 念 で は な く
︑両 者に 対し て根 本概 念で あり
︑そ れら の基 礎を 構築 する もの とし て︑ 両者 の在 り方 を決 定す るも ので ある
︒ 人類 学︑ 社会 学ま た芸 術の 立場 から 考え ても それ ぞれ の学 問や 分野 にお いて 異な った 文化 の定 義が 通用 する が︑ 西田 の 日本 文化 論を 解明 する ため に︑ 文化 一般 は社 会や 個人 の行 動や 思考 を規 定す る価 値観 など を含 むも のと して
︑社 会的 存 在︑ 歴史 的世 界の 諸要 素の 根本 的な 形成 要因 と解 釈し なけ れば なら ない
︒所 謂有 形や 無形 の文 化は とも にそ の根 底に あ る原 型文 化の 表現 とな るが
︑そ の原 型文 化そ のも のが 西田 のい う文 化で はな かろ うか
︒日 本文 化論 につ いて 書か れた 著 作は 戦後 だけ でも 千以 上!
あ るよ うだ が︑ 西田 ほど その 神髄 を把 握で きた のは どれ ぐら いの もの であ った ろう か︒ 西田 がい う日 本文 化を 世界 文化 とす る展 開と 現在 言わ れて いる 文化 グロ ーバ ル化 の問 題は 異質 なも ので ある こと を忘 れ て は なら な い︒ 或 る文 化 の 自 覚的 形 成 によ る 世 界文 化 へ の 貢献 と 所 謂 文 化 帝 国 主 義"
と い う も の も 峻 別 す べ き で あ
― 181 ― 西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性
る
︒無 論そ の相 違は もっ と複 雑で はあ るが
︑最 も重 要な のは 他文 化に 対す る影 響及 びそ の文 化の 普及 目的 であ る︒ 言う ま でも なく
︑西 田の 文化 論に おい ては 他文 化に 対す る破 壊的 な要 素は なく
︑文 化を 政治 的な 手段 とし てみ ると ころ もあ ま り見 受け ない
︒し かし
︑文 化が 持つ 創造 力及 び破 壊力 は計 り知 れな いも ので あり
︑ど のよ うな 性質 が発 揮さ れる かと い うこ とに よっ て︑ その 文化 やそ の文 化と 関係 を持 つ他 の文 化の 生存 か消 滅か が決 定さ れる こと を忘 れて はな らな い︒
3 . 西 田 の 形 而 上 学 と 文 化 の 概 念
まず︑西 田は 自ら の哲 学的 立場 から どの よう に 文 化の こ と を考 え た の か︑ を検 討 し てみ よ う︒
﹃ 日本 文 化 の 問題
﹄が 出 版さ れた 一九 四〇 年は
︑西 田は 既に 自ら の哲 学の 基礎 を構 成す る諸 概念 を明 確に 構築 し︑ それ らを 基に 一つ の哲 学体 系 を展 開さ せよ うと して いた 成熟 期に あた る︒ それ らの 諸概 念の 中核 とな るの は絶 対矛 盾的 自己 同一 であ り︑ それ につ い て﹃ 日本 文化 の問 題﹄ の中 で次 のよ うに 述 べ てい る
︒﹁ 我 々が こ こ に 生ま れ
︑こ こ に働 き
︑こ こ に死 に 行 く︑ こ の歴 史 的 現 実の 世 界 は︑ 論理 的 に は 多と 一 と の矛 盾 的 自己 同 一 と 言う べ き もの で な けれ ば な ら ない
︒私 は 多 年の 思 索 の 結 果
︑斯 く考 えに 至っ たの であ る︵
﹁ 哲学 論文 集第 三﹂ 絶対 矛盾 的自 己同 一︶
︒﹂! こ こ で 登場 す る 歴史 的 現 実の 世 界 は 文化 発 生場 とな る世 界で はあ るが
︑そ の世 界自 身も また 矛盾 的自 己同 一的 性質 を持 つの であ る︒ 絶対 矛盾 的自 己同 一的 な世 界 の 自 己限 定 と して 歴 史 的 現実 の 世 界が 形 成 され
︑そ の 中 に 歴史 的 生 命ま た は 個物 と し て の人 間 が それ に お いて 生 ま れ
︑そ れに おい て働 きま た消 滅す ると いう こと にな る︒ その よう な異 なっ た存 在の 仕方 また 諸契 機に おい て常 に矛 盾的 自 己同 一の 原理 が働 き︑ 各々 の段 階に おい て形 成的 な力 を引 き起 こす 要因 とな って いる
︒ 西田 は自 らの 形而 上学 を基 に独 自な 文化 概念 の解 釈を 展開 して きた
︒物 質的 世界 は絶 対矛 盾的 自己 同一 的自 己限 定に お いて 歴史 的世 界を 包摂 し︑ そう いっ た歴 史的 世界 にお いて 人間 は生 物的 生命 だけ では なく
︑歴 史的 生命 とし ても 働く
西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性 ― 182 ―
も のと なる ので ある
︒そ のよ うな 人間 は作 られ たも ので はあ るが
︑歴 史的 生命 とし ての その 存在 を発 揮す るた めに 作る も のと なっ て行 く︒ 西田 は︑ 人間 形成 は世 界が 矛盾 的自 己同 一的 に自 己自 身の 形成 する 契機 の一 つで ある 種と いう もの か ら始 まる とい う︒
﹁ 歴史 的世 界の 自己 形成 にお いて は︑ 主 体が 環 境 を限 定 し 環 境が 主 体 を限 定 す る︑ 人間 が 環 境 を作 り 環境 が人 間を 作る
︒人 間の 歴史 は或 る民 族が 或る 土地 に住 むこ とか ら始 まる
︒民 族と いう のは 必ず しも 同一 の血 とい う こと では なく とも よい
︒或 る民 族が 或る 土地 に住 むと いう には
︑そ こに 技術 とい うも のが なけ れば なら ない
︒何 らか の 意義 にお いて 技術 とい うも のな くし て︑ 人間 が或 る土 地に 住む こと はで きな い︒ 技術 とは 人間 と自 然と
︑主 体と 環境 と を結 合す るも ので ある
︒﹂! こ こで 初め て個 物の 存在 は多 とし てだ けで は な く︑ ある 集 合 とし て
︑一 と して の 個 物 の側 面 が現 われ
︑歴 史的 生命 とし ての 人間 は矛 盾的 自己 同一 的個 物と なる とい って もよ い︒ さら にそ こで 主体 と環 境を 結合 す る媒 体と して 技術 発生 の条 件が 満た され れば 矛盾 的自 己同 一的 民族 形成 が可 能と なる
︒そ のよ うな 民族 およ び社 会は 文 化の 直接 の創 造者 には なる が︑ それ はあ くま でも 世界 の矛 盾的 自己 同一 的自 己限 定に おい て︑ 歴史 的世 界の 自己 形成 の 原理 に基 づい て行 われ るの であ る︒ ここ でも う一 つ注 目す べき とこ ろは
︑西 田は 世界 形成 原理 を考 える 限り
︑民 族形 成 にお いて
︑血 の繋 がり
︑即 ち生 物的
︑生 命的
︑生 態的 な繋 がり より も存 在空 間や 時間 を共 通す る条 件の 重要 性を 示唆 し て い る︒ それ は 主 体と 環 境 を 結合 す る 技術 が 血 統的 な 条 件 から 発 生 する も の では な い か らで あ る︒ 主 体は 環 境 を 作 り
︑環 境は 主体 を作 ると いう 相互 作用 にお いて 場所 的
・時 間 的限 定 が 主な 形 成 要 因と な る であ ろ う︒
﹁ 民族 と 環 境 とが 技 術的 に結 合し て︑ 作ら れた もの から 作る もの へと 一つ の自 己自 身を 形成 する 社会 が成 立し た時
︑歴 史的 種と して 一つ の 歴史 的主 体が 成立 する ので ある
︒私 は今 環境 から 歴史 的主 体と して の社 会 を 考え た
︒﹂"
西 田 は民 族 と 環境 を あ る 意味 で 物質 的生 命的 条件 とし て考 え︑ 技術 を媒 体に して そこ から 発生 する 社会 を歴 史的 主体 と考 えた
︒歴 史的 主体 とし ての 社 会の 特徴 の一 つは 空間 と時 間を 超越 する とい うこ とだ けで はな く︑ 作ら れた もの から 作る もの への 移行 とい う性 質の 根 本的 な変 化も 重要 であ る︒ 作ら れた もの から 作る もの へと いう 歴史 的主 体と して の社 会の 性質 は︑ 矛盾 的自 己同 一的
― 183 ― 西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性
自 己限 定と して 歴史 的世 界に おけ る人 間形 成と いう 契機 も含 んで いる
︒言 い換 えれ ば︑ 物質 的世 界や 歴史 的世 界の 矛盾 的 自己 同一 的自 己限 定と して 直接 に歴 史的 主体 とし ての 人間 が形 成さ れる ので はな く︑ 環境 は主 体を
︑主 体は 環境 を限 定 する とい う場 にお ける 社会 形成 の契 機と して 成り 立つ の で ある
︒﹁ 作 ら れた も の か ら作 る も のへ と 自 己自 身 を 形 成し 行 く社 会の 自己 生産 作用 が︑ 自己 自身 を形 成す る能 動的 な形 の作 用と して
︑そ こに 新し い形 が生 まれ る︑ 新し い種 が生 ま れる
︒新 しい 人間 が生 まれ るか ぎり
︑そ れは 文化 作用 であ るの であ る︒
﹂! 西田 に と って 社 会 の自 己 形 成は 新 し い 人間 自 己形 成で あり
︑彼 はそ れを 文化 作用 と呼 ぶの であ る︒ この よう に考 えた 文化 作用 は通 常の 人間 の産 物と して 見る ので は なく
︑社 会の 自己 形成 の契 機ま た人 間の 自己 形成 の契 機と して 解釈 され るの であ る︒ また
︑固 定し た出 来上 がっ たも の では なく
︑矛 盾的 自己 同一 的自 己限 定を 通し て︑ 常に 展開 して 行く もの であ る︒ 常に 新し い種 とな る主 体を 作り
︑新 し い人 間を 作っ て行 くの であ る︒
﹁ 人間 社会 は個 物的 多と 全 体的 一 と の矛 盾 的 自 己同 一 と して
︑種 が 生 きる こ と に よっ て 個が 生き
︑個 が生 きる こと によ って 種が 生き
︑作 られ たも のか ら作 るも のへ とし て自 己自 身を 維持 し行 く︒ 斯く 絶対 矛 盾的 自己 同一 的世 界の 種と して
︑自 己自 身を 形成 する 種的 形成
︑す な わ ち人 間 形 成が
︑文 化 と いう も の で ある
︒﹂"
と 西 田が 言う
︒通 常は 文化 を考 える 場合
︑そ れを 人間 とし ての 歴史 的存 在を 形成 する 要素 より も︑ 人間 の本 質的 形成 に関 わ りの ない
︑生 物的 生命 を維 持す る際 に発 生す る副 産物 とし て考 える 傾向 があ る︒ しか し︑ 西田 は自 らの 哲学 の立 場か ら 文化 と言 うも のの 重要 性を 十分 に自 覚し
︑そ れを 世界 の自 己形 成の 根本 的な 契機 とし て分 析し
︑そ の分 析を 基に 主体 が 自覚 的に 自己 形成 を執 行す るこ とを 可能 にし た︒ 世界 史に おけ る文 化圏 とい う概 念を 考え ると
︑文 化圏 形成 にお いて 常に その 中核 とな る強 大な 力が あり
︑そ の力 は思 想 的な もの とい うよ りも
︑経 済力 や武 力と いう 場合 が多 く︑ 文化 圏の 建設 には いつ も闘 争や 対立 が絶 えな いの が現 実で あ る︒ その ため に思 想も そう いっ た要 因に よる 歴史 的世 界形 成を 正当 化す るも のが 現れ
︑そ の文 化が 有利 な立 場に 立つ 限 り︑ 自然
︵環 境︶ と他 文化 を否 定し
︑他 文化 を消 滅さ せよ うと して いる ので ある
︒無 論︑ 西田 も指 摘し たよ うに
︑武
西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性 ― 184 ―
力 で権 力を 維持 する のに は限 界が ある が︑ 武力 で成 り立 つ権 力側 には その 自覚 がな い︒ その ため
︑多 文化 共生 を生 み出 す 文化 に相 応し い性 質を もつ もの は文 化圏 を形 成す るも のよ りも
︑文 化圏 の境 目に ある もの
︑多 様な 文化 要素 を受 け入 れ
︑そ れを 消化 し︑ 新た なも のを 形成 した 文化 であ ろう
︒そ の条 件を 考え ると
︑そ の役 割を 果た すの に西 洋文 化で もな け れば
︑東 洋を 代表 する 中国 やイ ンド 文化 でも ない
︑さ らに イス ラム 文化 もそ うい った 性質 に乏 しい とい って も過 言で は ない
︒西 洋文 化の 立場 から みる と東 洋的 調和 に対 する 期待 が大 きい が︑ 西洋 にお ける 東洋 の神 秘化 と現 実は 大き く異 な るこ とも あ り
︑黄 心 川は
﹃東 洋 思 想の 現 代 的意 義
﹄! の中 で 論 じて い る 中国 の 文 化 的発 展 傾 向や 中 国 の文 化 復 興 や再 生 の動 向を みる と中 国文 化が 多文 化共 存へ の指 導的 な役 割を 果た すこ とに も期 待で きな いが
︑日 本文 化に は十 分な 可能 性 があ る︒
4 . 日 本 文 化 と い う も の
西田が文 化そ のも のを どの よう に考 えた かを 考察 した 上で
︑日 本文 化論 につ いて の論 述に 移り たい と思 う︒ 無論
︑日 本 文化 につ いて の西 田の 叙述 は当 時の 歴史 的・ 政治 的状 況に 由来 する 多く の要 素を 含ん でい るが
︑そ れを 超越 した 普遍 的 な日 本文 化の 哲学 的な 分析 も含 む︒ かか る絶 対矛 盾的 自己 同一 世界 の自 己形 成と して の文 化を 考え た場 合︑ 自己 形成 条件 によ って 異な る種 の主 体が 創造 さ れ︑ それ らの 主体 は異 なっ た文 化を 形成 する こと にな る︒ 日本 文化 にも 同じ よう にあ る種 の絶 対矛 盾的 自己 同一 の世 界 の自 己限 定で あり
︑自 己形 成の 産物 であ ると 言 え よう
︒﹁ ど こ まで も 主 体 と環 境 と が相 対 立 し︑ 否︑ 主体 と 主 体 とが 対 立し
︑人 間と 自然 と︑ 人間 と人 間と の矛 盾闘 争を 地盤 とし て発 展し 来た った 西洋 社会 の構 成原 理は
︑自 ら概 念的 理性 的 たら ざる を得 ない
︒西 洋文 化が 知的 と考 えら れる 所以 であ る︒ これ に反 し東 洋文 化は 行的 と言 われ る︑ 道徳 的と 考え
― 185 ― 西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性
ら れる
︒学 では なく して 教で ある と言 われ る︒
﹂! 日本 文化 に関 して
︑無 論︑ 西 田 は中 国 文 化︑ イン ド 文 化そ し て 西 洋文 化 の影 響を 認め るが
︑そ うい った 異文 化の 受理 を基 に日 本で 特殊 な文 化が 発展 し︑ その 特殊 性を それ らの 文化 と対 比し な がら 説明 して いる
︒し かし
︑こ こで 忘れ ては なら ない のは そう いっ た対 比の 中で 使わ れて いる 文化 の概 念は 一般 的な 文 化概 念で はな く︑ 西田 の形 而上 学に 基づ いた 文化
︑即 ち絶 対矛 盾的 自己 同一 的世 界の 自己 形成 とし ての 文化 であ ると い うこ とで ある
︒西 洋文 化と 東洋 文化 との 区別 を出 発点 にし
︑両 者の 違い を分 析し た後
︑西 田は 東洋 文化 にお ける 日本 文 化の 特殊 性の 説明 を試 みる ので ある
︒し かし
︑こ の説 明は 彼が いう よう にた だ単 に違 いを 指摘 する ので はな く︑ その 根 本的 な構 造の 相違 解明 を目 的と して いる
︒無 論︑ 東西 文化 の違 いを 学と 教と の違 いと して
︑ま た理 性と 人情 との 違い と して 杜撰 に片 付け るこ とは でき ない
︒日 本文 化の 根本 原理 を吟 味す るに あた って
︑そ れを 歴史 的世 界の 自己 形成 の一 つ の契 機と して の立 場か ら考 察し 直す 必要 があ る︒ では
︑日 本文 化と はど のよ うな もの であ るの かを 西田 の叙 述を もと に吟 味し てみ よう
︒西 田は
﹁し かし 社会 は歴 史的 世 界の 或る 時代 に或 る場 所に 於い て成 立す るも のと して
︑文 化形 態的 でな けれ ばな らな い︑ 或る 特殊 な文 化形 態を 有っ て いな けれ ばな らな い︒
﹂"
と述 べて いる
︒即 ち絶 対矛 盾的 自己 同一 とい う原 理 に 基づ い て 自己 自 身 を限 定 し︑ 歴 史 的世 界 を形 成し てい るも のは 場所 及び 時代 によ って その 形成 方向 また 文化 形態 が異 なっ てく る︒ それ は当 然で はあ るが
︑こ こ で 主 体と し て 形成 さ れ る 複数 の 文 化形 態 は 即ち 多 と し ての 文 化 形態 は 一 への 契 機
︑即 ち 統一 へ の 契機 も 含 まれ て お り
︑絶 対矛 盾的 自己 同一 の自 己限 定に おい てそ の対 立か ら︑ 相互 否定 では なく
︑新 たな 文化 形成 への 創造 の契 機が 生ま れ てこ なけ れば なら ない
︒換 言す れば
︑あ る特 殊な 文化 形態 は他 の特 殊な 文化 形態 を否 定し
︑そ れを 無き もの にす ると か
︑そ れを 同化 する とか とい うこ とで はな く︑ 特殊 な文 化形 態の 関係 性か らさ らな る特 殊な 文化 形態 が生 まれ なけ れば な らな いと いう こと にな ろう
︒言 うま でも なく
︑中 国文 化︑ イン ド文 化や 後に 西洋 文化 との 接触 にお いて 日本 文化 はそ の よう な働 きを 実現 して きた であ ろう
︒﹃ 日 本文 化の 問 題﹄ の中 で 東 洋文 化 に つ いて
︑ま た 日 本文 化 に つい て 具 体 的に
西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性 ― 186 ―
語 ろう とす ると ころ に道 元の 例を 挙げ てい る︒ 有名 な話 であ るが
︑中 国か ら戻 って きた 道元 禅師 は何 を学 んで きた のか と 聞か れ︑
﹁ 柔軟 心
﹂! と答 え た︒ 道 元は 五 年 ほど の 長 い 年月 の 留 学中 に 学 んだ こ と を 一言 で ま とめ た と いう こ と か ら︑ そ の概 念の 重要 性も うか がわ れる
︒日 本文 化に おけ る禅 仏教 の影 響は 計り 知れ ない もの では ある が︑ 道元 が重 要と 思っ て 学ん でき たも のも
︑お そら く既 に存 在し てい たそ の時 代の 日本 人の 性質 に合 った だけ では なく
︑既 に潜 在的 に日 本文 化 の根 底を なし てい たも ので もあ った に違 いな い︒ 西田 にと って
﹁柔 軟心 とい うこ とは
︑真 に物 とな って 考え 物と なっ て 行う こと で な かれ ば な らな い
︒﹂"
即 ち︑ 何 かを 考 え る 時ま た は 何か を 行 う時 に 主 体 を立 て て それ を す るの で は な く︑ 主 体自 体は 考え るも のと なっ たり
︑行 うも のと なっ たり する ので あり
︑主 体と その 対象 は矛 盾的 自己 同一 的と なる であ る
︒換 言す れば
︑日 本文 化は その 根底 にお いて 世界 の矛 盾的 自己 同一 の原 理に 反す る契 機を 含ん でい ると いう もの では な く︑ かえ って
︑そ の原 理を 真に 実践 して いく 文化 形成 であ る︒
﹁ 私は 日 本 文化 の 特 色と い う の は︑ 主体 か ら 環境 へ と いう 方 向 に おい て
︑ど こ まで も 自 己自 身 を 否 定し て 物 と な る︑ 物 とな って 見︑ 物と なっ て行 うと いう にあ るの で は ない か と 思う
︒︵ 中 略︶ そ れ は理 よ り も事 と い うこ と で も ある
︒理 と 事と は矛 盾的 自己 同一 的で なけ れば なら ない
︒事 を離 れた 理は 空理 であ り︑ 理を 離れ た事 は単 なる 偶然 たる に過 ぎな い
︒日 本文 化の 重心 は理 事一 致よ りも 事理 一致 に︑ むし ろ事 事無 礙に あ る と思 う
︒﹂# と 西 田が 言 う︒ こ こで 注 意 す べき と ころ は理 とか 事と かど ちら かが 重要 視さ れる とい うこ とで はな く︑ それ らの 一致 即ち 矛盾 的自 己同 一が 強調 され てい る こと であ る︒ 特に 哲学 的推 理の 中で 理の 方に 偏る 傾向 が見 られ るが
︑上 記の 日本 文化 の特 色を 十分 に理 解し
︑活 用す る こと がで きれ ば︑ その よう な障 害を 回避 する こと がで きる であ ろう
︒日 本文 化に おい て事 理一 致ま たは 理事 一致 を可 能 にす る一 つの 要因 は主 体の 絶対 化が ない とこ ろに もあ る︒ 西田 の日 本文 化論 の特 徴に つい て山 田宗 睦は
﹁西 田 じ しん の 言 葉を か り る と︑ 日本 の 文 化創 造 の﹁ 自 覚に 於 い て は︑ 我 が我 を対 象と して 知る ので あり
︑知 るこ とは 働く こと であ り︑ 創造 する こと であ る﹂
︒﹁ 場 所﹂ はこ うい う日 本文 化創
― 187 ― 西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性
造 の﹁ 自覚 の立 場﹂
﹁ 意志 実現 の場 所﹂ なの であ る︒ 西田 が日 本文 化の 世界 的形 成い がい に国 策は ない とい った こと は︑ す でに みて きた とお りで ある
︒﹂! と 言う
︒
5 . 多 文 化 と 文 化 闘 争
では︑世 界の 絶対 矛盾 的自 己同 一的 自己 限定 とし て形 成さ れて いく
︑民 族︑ 社会
︑文 化間 の関 係は どの よう にし て構 築 され
︑ど のよ うな 形で 展開 され るべ きか を検 討し てみ よう
︒異 なっ た場 所や 時代 にお いて 形成 され た異 なっ た種 とし て 考え られ る多 文化 の間 に対 立が 生ま れて くる が︑ その 対立 自身 も︑ 多の 一及 び一 の多 とし て西 田の 世界 形成 原理 を適 用 した 場合
︑絶 対矛 盾的 自己 同一 的に 克服 され るは ずで ある
︒そ うな らな い場 合︑ その 契機 を妨 げる 要因 はな んで あろ う か︒ 西田 は﹁ 人間 中心 のギ リシ ャ文 化は
︑超 越的 神中 心の キリ スト 教に よっ て置 き換 えら れた
︒然 るに 近世 に至 って
︑世 界 即主 体の 主体 性に 反し 主体 の独 自性 が現 われ て来 た︒ それ が近 世の 初め にお いて の民 族の 勃興 であ り︑ 帝国 の建 設で あ っ た
︒主 体 が 世 界 的 主 体 に 対 し て 自 己 自 身 の 独 自 性 を 取 り 戻 し た の で あ る︑ 人 間 が 人 間 自 身 を 取 り 返 し た の で あ る
︒﹂"
と いう が︑ ヨー ロッ パの 歴史 的展 開に おい て主 体の 独自 性が 近世 にな っ て 現わ れ た のか ど う かが 疑 問 と なる
︒ヨ ー ロッ パの 歴史 で絶 えな い闘 争や 帝国 建設 への 願望 はど ちら かと 言う とそ の世 界即 主体 に反 する 自我 の独 自性 は常 にそ の 歴史 的展 開の 根拠 とし てそ こに 潜ん でい るの であ る︒ 日本 の歴 史を 見て も︑ 対立 や闘 争の 時代 はそ うい った 強い 主体 の 独自 性が 現れ る時 期に 一致 して いる ので ある
︒環 境が 主体 を︑ 主体 が環 境を 形成 する とい った 両方 向の 調和 が保 たれ て いる 中で
︑初 めて 民族 勃興 もな く新 文化 形成 即ち 新人 間の 形成 も停 滞し ない 状態 が生 まれ てく るの であ ろう
︒し かし そ のよ うな 状態 が自 然に 発生 する とい うよ りも
︑一 つの 文化 の中 でそ れへ の契 機を 作っ てい かな けれ ばな らな いこ とに
西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性 ― 188 ―
な ろう
︒こ こま で論 じて きた 文化 その もの 及び 西田 が言 う日 本文 化の 特質 を活 用し
︑日 本文 化も また 上記 の契 機形 成に 対 して 十分 な能 力と それ に必 要な 特質 を持 って いる であ ろう
︒西 田自 身が その 可能 性に つい てど れほ ど自 覚し てい たか 不 明で ある が︑
﹁ 種と 種と の間 にど こま でも 闘争 ある のみ であ る︒
︵中 略︶ 歴史 に於 いて の闘 争は
︑い つも 新た な世 界へ の 展 開 の悩 み で ある
︒歴 史 の 進 歩は 悲 劇 的で あ る︒ そ こに は 新 し い人 間 が 生ま れ な けれ ば な ら ない
︒そ れ に よ っ て の み
︑一 つの 時代 が形 成せ られ
︑歴 史的 世界 が安 定を 得る ので ある
︒﹂! と い っ た叙 述 を 読む と
︑お そ らく 民 族 闘 争︑ 文化 闘 争︑ 国家 闘争 を新 しい 人間 を形 成す るた めに 避け られ ない もの と見 てい たの では なか ろう か︒ 矛盾 的自 己同 一的 文化 形 成を 種の 形成 と見 なす 場合 にお いて
︑闘 争は 避け られ ない だけ では なく
︑或 る意 味で 建設 的や 創造 的な もの とし ても 解 釈 す るこ と も でき る が︑ そ う 考え た 場 合︑ 非人 道 的 な闘 争 や 行 為の 正 当 化に な り かね な い と ころ が 出 てく る で あ ろ う
︒従 って
︑﹃ 日 本文 化の 問題
﹄に おい て新 しい 人間 形成 への 期 待や 平 和 への 願 い と 共に 闘 争 の肯 定 が 矛盾 的 に 現 われ て きて いる ので ある
︒ 絶対 矛盾 的自 己同 一的 に自 己限 定し
︑自 己形 成し てい く世 界に おい てあ る場 所で ある 時代 で民 族が 形成 され
︑そ の民 族 は技 術を 通し て自 然と 結合 され ると ころ で文 化が 成り 立つ と既 に述 べて きた
︒換 言す れば
︑民 族と 環境 が結 合さ れる こ とに よっ て作 られ たも のか ら作 るも のへ とい う契 機を 含む 社会 が形 成さ れて いく ので ある
︒そ こか ら西 田は 政治 に関 す る独 特な 考え 方を 展開 して 行く ので ある
︒﹁ か かる 環 境と 主 体 との 結 合 と して
︑私 は 政 治を 技 術 と言 う の で ある
︒経 済 機構 とい うも のが
︑我 々人 間の 社会 活動 の必 然的 な技 術的 組織 とし て社 会形 態を 決定 する と言 い得 るで もあ ろう
︒し か しそ れは どこ まで も主 体的 とし て政 治的 でな けれ ばな らな い︒ 而し てそ こに は歴 史的 種的 に生 まれ るも の︑ 時間 的な る もの が基 とな らな けれ ばな らな い︒ 主体 は単 に環 境か ら作 られ るも ので はな い︒ 単に 経済 が政 治を 決定 する ので はな く
︑政 治が 経済 を決 定す ると 言う べき であ る︒ 政治 とい うに は色 々の 考え があ るで あろ うが
︑政 治と は本 質的 には 右の 如 く歴 史的 種と して の全 体的 一の 技術 と言 うべ きも ので あろ う︒ 政治 は単 に道 徳で はな い︒ しか しそ れは ただ 社会 の自
― 189 ― 西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性
己 生産 作用 とい うの では なく
︑歴 史的 種と して 人間 形成 の目 的を 有す るも のと して
︑政 治は どこ まで も道 徳的 でな けれ ば なら ない
︒﹂! と 西田 は述 べて いる
︒上 記の 引用 にお いて 西田 は政 治を 主体 と 環 境を 結 合 する 技 術 だけ で は な く︑ 社会 を 形成 する 契機 と見 てい るの であ る︒ その よう な創 造的 形成 的契 機と して の政 治は さら に道 徳的 でな けれ ばな らな いと い う
︒し か し︑ 矛盾 的 自 己同 一 的 に 社会 を 形 成す る 政 治は そ の よ うな 原 理 を基 に 道 徳的 な 性 質 が成 り 立 つの で あ ろ う か
︒彼 はお そら く政 治の 道徳 性を 信じ よう とし てい たが
︑彼 の 形 而上 学 を 基に そ の よ うな 構 造 の根 拠 は 論証 し に く い︒ 政 治が 道徳 的な もの であ るな らば
︑文 化闘 争や 戦争 が起 こら ない はず であ る︒
6 . 日 本 文 化 と 平 和 的 多 文 化 共 生 の 可 能 性 と そ の 条 件
西田はあ らゆ る時 代の 世界 の絶 対矛 盾的 自己 同一 的の 自己 限定 によ り新 しい 人間 が生 まれ ると いう が︑ その よう にし て 新し く生 まれ てき た人 間は
︑闘 争や 悲劇 によ る創 造と いう 原理 を変 える 可能 性を 含ま れな けれ ばな らな いは ずだ
︒西 田 はそ のこ とに つい て直 接に 触れ てい ない にせ よ︑ そう いっ たこ とを 彼の 世界 構造 から 推理 でき る︒ 上に も述 べた よう に︑
﹃ 日本 文化 の問 題﹄ は或 る特 殊な 歴 史的 状 況 の中 で 考 察 され
︑書 か れ また は 発 表さ れ た も ので あ る︒ そこ から 必然 的に その 時代 性が 色濃 くで るこ とだ けで はな く︑ その 時代 の歴 史的 世界 の正 当化 及び 直面 する 現実 の 弁解 とい うも のが 含ま れる のも いた しか たな いが
︑そ れを 見る より も︑ 西田 の思 想の 中で 含ま れる 普遍 的な 要素 また 今 日に も活 用で き︑ 展開 でき る要 素や 深い 洞察 に目 を向 ける べき であ ろう
︒時 には その 時代 性を 批判 しや すい とこ ろも あ るが
︑そ うい った 作業 から 建設 的な 思想 展開 が生 まれ るこ とは 少な いだ けで はな く︑ その 重要 な意 義を 見落 とす こと が ある であ ろう
︒﹁ 日 本は 一つ の歴 史的 主体 では なか っ た︒ 我々 は 我 々の 歴 史 的 発展 の 底 に︑ 矛盾 的 自 己同 一 的 世 界そ の もの の自 己形 成の 原理 を見 出す こと によ って
︑世 界に 貢献 せな けれ ばな らな い︒
﹂"
と西 田が 言う
︒
西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性 ― 190 ―
﹃ 西田 哲学 で現 代社 会を 観る
﹄! と いう 著作 の中 で根 井康 之は 社会 シス テム と い う概 念 を 利用 し
︑そ れ にお け る 個 人の 在 り方
︑行 為︑ 意志 決定 を環 境か ら切 り離 され た存 在と して 見て いる
︒確 かに その よう な見 方は 可能 では ある が︑ そこ で 社会 シス テム が環 境と して 考え られ る場 合︑ それ が個 人の 形成 原理 とな り︑ 個人 は自 らの 意思 決定 でそ れを 超越 する こ とが でき ない
︒自 らに でき るこ とは 作る もの から 作ら れた もの へと 自覚 的な 展開 をや り遂 げた 時点 で環 境か ら離 れる と いう こと では なく
︑環 境の 形成 的な 要因 とな り︑ 創造 的な 存在 とな るの であ る︒ 根井 の言 う社 会シ ステ ムと いう 概念 を 使わ なく ても
︑環 境か ら主 体へ
︑主 体か ら環 境へ とい った 両方 向の 矛盾 的自 己同 一的 世界 の自 己限 定に おい て個 人は い くら それ を欲 して も︑ その 原理 の外 に立 つこ とが でき ない
︒従 って
︑個 人が 西田 の言 う場 所ま たは 環境 やそ の環 境の 形 成的 な働 きか ら離 れて 存在 しう ると いう こと は自 我を 絶対 化す る西 洋文 化の 錯覚 によ るも ので あり
︑人 間の 平和 や調 和 への 願い の妨 げと なる ので はな かと 思う
︒ しか し︑ かか る自 覚即 ち形 成的 要因 への 展開 は努 力し なく ても 起こ るの では ない
︒そ れを 実践 する ため にま た主 体と し ての 個人 やそ の個 人が 置か れて いる 環境 とし ての 文 化 に基 づ い た努 力 が 必 要と な る︒
﹁ だが
︑人 間 は その よ う な 能力 だ けで
︑環 境と 自己 との 相互 作用 の総 体を 自主 的に 統合
・制 御す る能 力を もっ た人 格と して
︑自 己を 形成 する こと はで き ない
︒そ のた めに は︑ 歴史 的に 蓄積
・継 承さ れて きた 知識
・規 範・ 価値 など
︵文 化︶ が︑ 体系 的・ 制度 的に 諸個 人に 伝 達さ れ︑ 内面 化さ れて いく 必要 があ る︒
﹂"
と根 井が 述べ てい る︒ その よう に し て文 化 が 持続 す る だけ で は な く︑ 自己 形 成の 要因 を養 成す るこ とに なる が︑ どの よう な形 成結 果に なる のか 自覚 した 主体 によ る影 響も ある
︒従 って
︑多 文化 共 生に おい ても 共生 する 諸文 化の 自覚 やそ れぞ れの 文化 の担 い手 とな る主 体・ 個人 の啓 発は 欠か せな いも のと なる
︒即 ち
︑諸 文化 や諸 民族 の衝 突や 闘争 によ って 新し い人 間を 創造 する ので はな く︑ 共生 とい う新 しい 環境 によ って その 環境 を 持続 して 形成 して いく 主体 の自 覚を 促す こと が重 要で あろ う︒
― 191 ― 西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性
7 . 結
び
西田は戦 時中 の混 乱の 中で
︑自 らが 体験 した 歴史 的世 界に おい てそ の現 われ 方ま たそ の自 己限 定の 方向 を可 能な 限り 明 確に し︑ 将来 に向 けて のそ の働 きを 説明 しよ うと 努力 して きた
︒彼 が言 おう とし たこ とが 正し く理 解さ れな かっ たこ と も多 々あ った に違 いな いが
︑人 間の 歴史 的世 界の 重要 な要 素で ある 日本 文化 の問 題と いう もの につ いて 真正 面か ら取 り 組む 勇気 があ り︑
﹁ 隠す 所な く蔽 うと ころ なく
︑美 を美 とし 醜を 醜と して
︑ど こ ま で も公 明 正 大﹂! に 日本 文 化 の 考察 を 行っ た︒ 絶対 矛盾 的自 己同 一的 に自 己限 定し なが ら自 己形 成 を して い く 歴史 的 世 界 の要 素 と して の 社 会及 び 人 間 は︑ そ こに おい て働 く要 因の 違い によ って 自己 限定 の方 向が 異な る場 合が ある にし ても
︑そ の方 向の 違い によ って 即座 にそ れ らを 評価 する 価値 判断 の基 準が 発生 する とい うこ とに はな らな い︒ そう 考え ると
︑そ れら の方 向の 違い から は対 立が 発 生 す るこ と が あっ て も︑ そ の よう な 対 立は 即 座 に闘 争 と な るこ と は ない は ず だ︒ 西田 が 言 お うと し て いた こ と の 中 で
︑あ る最 も重 要か つ念 頭に 置く べき こと は民 族文 化は 世界 文化 とな る過 程に おい てそ の他 の文 化を 破壊 する 必要 性は な く︑ 新し い人 間を 創造 する 契機 とし て考 える べき であ る︒ 確か に今 まで の歴 史的 世界 の発 展を みる と︑ 新し い人 間が 生 まれ る時 代の 前に 破壊 の時 代が 来て いる が︑ その 原理 は絶 対的 な原 理で はな く︑ 対立 から 共生 へと 絶対 矛盾 的自 己同 一 的世 界の 自己 限定 及び 自己 形成 が可 能に なる であ ろう
︒多 即一 また 一即 多と いっ た矛 盾的 自己 同一 的構 造は そう いっ た 共生 の十 分な 根拠 とな りう る︒ 歴史 的世 界に おい て︑ 即ち 人間 が生 きて 働く 世界 にお いて 異な った 環境 的条 件及 び主 体 的条 件に より 異な った 民族
︑文 化︑ 政治
︑道 徳が 発生 した こと は事 実で あり
︑そ れら の相 違を 原因 にし た闘 争が 見ら れ るが
︑そ れは かえ って
︑歴 史的 世界 の絶 対矛 盾的 自己 同一 的の 自己 限定 の自 覚が 十分 に発 展し てこ なか った から 起こ る こと では なか ろう か︒ 十分 な自 覚が ない ため に闘 争が 起こ ると いっ ても よい であ ろう
︒従 って
︑本 当の 文化 とは 歴史
西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性 ― 192 ―
的 世界 にお いて 環境 から 主体 へと いっ た契 機に おい て︑ 主体 が環 境や その 他の 主体 に対 して 対立 し︑ 闘争 する ので はな く
︑主 体は 新し い環 境を 形成 する に当 たっ て︑ 自ら を絶 対 化 しな い と いう こ と で ある
︒﹁ 世 界 が環 境 的 に一 つ の 世 界と な ると いう こと は︑ 主体 的な るも のが 否定 せら れ行 くこ とで ある
︒而 して 矛盾 的自 己同 一的 世界 が環 境的 に一 つの 世界 と なろ うと する こと は︑ 逆に 一つ の主 体が 世界 とな ろう とす るこ とで ある
︒一 つの 国家 が世 界を 支配 しよ うと する こと で ある
︒か かる 傾向 から 帝国 主義 とい うも のが 出て 来る ので ある
︒か かる 場合
︑一 つの 国家 が強 大な 勢力 を有 って いる 間 は︑ 一時 の平 和が 保た れる であ ろう
︒し かし それ はた だ他 民族 を奴 隷化 する こと によ って 可能 なの であ り︑ 人間 堕落 へ の方 向で ある のみ なら ず︑ また いつ まで もか かる 勢力 を持 続す るこ とも 不可 能で あろ う︒ 他民 族の 勃興 と共 に悲 惨な る 戦争 に陥 るの ほか はな い︒ その 結果 人間 文化 の滅 亡に も至 るの であ る︒
﹂! と 西 田が 言 う︒ 主 体の 相 互 否定 と い う もの が あっ ても
︑そ れは 一つ の国 家︑ 一つ の民 族︑ 一つ の文 化が 世界 を支 配し よう とす るこ とは あっ ては なら ない
︒か つて 日 本文 化は その 本質 にお いて 誤解 され
︑世 界を 支配 しよ うと した 契機 にお いて
︑自 国の 民族 と他 民族 との 悲劇 の要 因と な った こと があ るが
︑外 来文 化︑ とり わけ 中国 文化
︑イ ンド 文化 そし て最 後に 西洋 文化 を柔 軟に 取り 入れ なが ら︑ 新し い もの を創 造し
︑新 しい 歴史 的世 界を 形成 して きた
︒そ うい った 性質 を持 つ文 化を 通し て﹁ 主体 が環 境を 環境 が主 体を 限 定し
︑個 物的 多と 全体 的一 との 矛盾 的自 己同 一と して
︑世 界は 作ら れた もの から 作る もの へと
︑イ デヤ 的に 自己 自身 を 形成 して いく
︒そ こに 我々 人間 の種 的行 動が 文化 的で ある ので ある
︒﹂"
今 日の 歴 史 的世 界 に おい て 政 治闘 争 が 引 き起 こ す悲 劇は 世界 大戦 の時 代と 比べ て少 なく なっ たと はい え︑ 民族 や文 化に 対す る自 覚が 不十 分な ため
︑さ らな る悲 惨な 民 族闘 争の 危険 性が 少な くな った とは 言え ない
︒太 平洋 戦争 中に 西田 が分 析し
︑理 解し よう とし た日 本文 化の 問題 は今 日 にお いて も重 要な 問題 であ り︑ 対立 や闘 争で はな く︑ 絶対 矛盾 的自 己同 一的 多文 化が 共存 する 歴史 的世 界形 成へ の具 体 的 な 対策 が 必 要と な っ て いる
︒そ の た めに 西 田 の業 績 を 大 いに 活 用 し︑ 展開 で き るこ と は 本 論文 の 著 者の 願 い で あ る
︒
― 193 ― 西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性
! 註
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 二 八 一 頁
︒ 西 田 の 著 作 か ら の 引 用 の 場 合
︑ 頁 数 を 全 集 の 通 り 示 す が
︑ 漢 字 や 仮 名 使 い の テ キ ス ト の 表 記 は 燈 影 舎 の
﹃ 西 田 哲 学 選 集
﹄ に 合 わ せ て あ る
︒
"
森 村 修
﹃ フ ッ サ ー ル と 西 田 幾 多 郎 の
﹁ 大 正
・ 昭 和 時 代
︵ 一 九 一 二
│ 一 九 四 五
︶﹂
│
│
﹃ 改 造
﹄ 論 文 と
﹃ 日 本 文 化 の 問 題
﹄ に お け る
﹁ 文 化
﹂ の 問 題
﹄︑ 法 政 大 学 教 養 部
﹃ 紀 要
﹄ 人 文 科 学 編 通 巻 一
〇 四 号
︑ 三 九
〜 六 七 頁
# 同 右
︑ 四 三 頁
$ 深 沢 徹
︑﹃ ロ マ ン 主 義 の 陥 穽: 西 田 幾 多 郎
﹃ 日 本 文 化 の 問 題
﹄ に つ い て
﹄︑ 桃 山 学 院 大 学 社 会 学 論 集
﹄ 第 三 七 巻 第 二 号
︑ 九 八 頁
% そ う い っ た 見 解 は
︑有 坂 陽 子 が 英 文 の 論 文﹁Beyond“EastandWest”:Nishida’sUniversalismandPostcolonialCritique
5603,−41.5pp,97mmerSu:59liticsPoof ︑﹂wieevRThe で 詳 細 に 論 じ ら れ て い る
︒
&
藤 田 正 勝
﹃ 西 田 幾 多 郎 の 思 索 世 界
﹄︑ 岩 波 書 店
︑ 二
〇 一 一 年
︑ 二
〇 二 頁 以 降 ' 他 に も 上 田 閑 照 編
﹃ 西 田 幾 多 郎 哲 学 講 演 集
│ 歴 史 的 身 体 と 現 実 の 世 界
│
﹄︑ 燈 影 舎 一 九 九 四 年
︑ 三 三 六
〜 三 三 八 頁 に も そ れ に 関 す る 上 田 氏 の 解 説 が 掲 載 さ れ て い る
︒ ( 思 想 統 制 は 一 九 二 八 年 ご ろ か ら 始 ま っ て い る が
︑ 一 九 三 四 年 の 文 部 省 思 想 局 の 設 置 は 大 き な 展 開 と な り
︑ 統 制 の 厳 し さ は 次 第 に 増 し て い く の で あ る
︒ 一 九 三 六 年 七 月 二 二 日 に 大 学
︑ 専 門 学 校 な ど に
﹁ 日 本 文 化 講 義
﹂ の 実 施 通 達 が 出 さ れ た の で あ る
︒ ) 西 田 は 軍 部 の 依 頼 を 受 け て 著 し た 原 稿 で あ り
︑ 西 田 幾 多 郎 全 集 の 第 一 二 巻 に 収 録 さ れ て い る
︒
*
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 二 七 九 頁
︒ + 別 府 春 海
﹃ イ デ オ ロ ギ ー と し て の 日 本 文 化 論
﹄︑ 思 想 の 科 学 社
︑ 一 九 八 七 年
︑ 一 四 四 頁
︒ , 文 化 帝 国 主 義 に つ い て も っ と 論 考 し た い と こ ろ で は あ る が
︑本 概 念 に つ い て
︑eriatroInlriticaCAlism,ImpTolraltuCuJ.n,somlin-
duction,Continuum,London,NewYork2002
を 参 考 に さ れ た い
︒ -
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 二 九 一 頁
︒ .
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 二 七
〜 三 二 八 頁
︒ /
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 二 八 頁
︒ 0
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 二 九 頁
︒ 1
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 三 一 頁
︒
西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性 ― 194 ―
! 黄 心 川
﹃ 東 洋 思 想 の 現 代 的 意 義
﹄︑
︵ 本 間 史 訳
︶︑ 農 文 協
︑ 一 九 九 九 年
"
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 三 八
〜 三 三 九 頁
︒
#
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 三 三 頁
︒
$
﹃ 普 勧 坐 禅 儀
﹄︑
﹃ 宝 慶 記
﹄ を 参 考 に
︒
%
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 四 四 頁
︒
&
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 四 六 頁
︒ ' 山 田 宗 睦
﹃ 西 田 幾 多 郎 の 哲 学
﹄︑ 三 一 書 房
︑ 一 九 七 八 年
︑ 二
〇 五 頁
︒ (
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 五 五 頁
︒ )
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 三 四 頁
︒
*
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 三
〇 頁
︒ +
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 四 一 頁
︒ , 根 井 康 之
﹃ 西 田 哲 学 で 現 代 社 会 を 観 る
﹄︑ 農 文 協
︑ 一 九 九 二 年
︑ 二 頁
︒ - 同 右
︑ 一
〇 五 頁
︒ .
﹃ 西 田 哲 学 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 二 七 九 頁
︒ /
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 七 三 頁
︒ 0
﹃ 西 田 幾 多 郎 全 集
﹄︑ 第 一 二 巻
︑ 三 四 五 頁
︒
― 195 ― 西田幾多郎の『日本文化の問題』と多文化共生の可能性