西 田 幾 多 郎 ﹃善 の 研 究 ﹄ を 読 む
i 第 二 編 ﹁実 在 ﹂ を 中 心 に
(1)石 神
典豆
西田幾多郎 『善の研究』 を読 む
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一はじめに
思想家にとって︑その思想の発展は必ずしも一本道ではない︒その途上においては紆余曲折が常であるし︑表現形態も
変化していく︒しかし︑そうした外面的な変化にもかかわらず︑およそ一流の思想家といわれる人物の思想には︑その底
にある一貫したものが流れている︒それがその思想家のオリジナリティであり︑そしてそれはおそらく初発の時にすでに
備わっていたものであろう︒植物が種子から発芽し︑成長して花を咲かせるように︑思想家もこの初発の種子を育てるこ
とで︑自己の思想を大きく開花させていくのである︒
西田幾多郎の思想の発展にも︑その底に一貫したものがある︒その思索の始めから晩年にいたるまで貫かれているもの
がある︒西田は著作のある個所で︑自分は哲理を考えるように罰せられているというような趣旨を述べている︒ある発想
があり︑それに一定の形を与えられたとき︑ただちにいくつかの間題が惹起され︑つぎの段階へと進まざるをえない︒哲
理の思索においては︑終着駅に着くまでは降りることはできないのである︒しかもこの終着駅はあらかじめ乗客に知らさ
れているのでもない︒真摯に考える者は︑この行き先の見えない列車に乗った者である︒西田幾多郎はその意味で︑終生︑
徹底した哲理思索の旅人であった︒
西田の思想の発展にとって︑ある一つの発想がはじめて哲学的表現をとったもの︑それが﹃善の研究﹄(明治四十一年一
月三十日︑弘道館発行)である︒ずっと後のことであるが︑﹁私の思想の傾向は﹃善の研究﹄以来すでに定まっていた﹂(第
二巻十二頁︑昭和十六年の言葉)と述べている︒したがって︑私たちが西田の思想を理解しようとするとき︑この﹃善の研
究﹄を学ばないわけにはいかない︒だが︑いざ読もうとすると︑この書の難解さに行き当たる︒難解ということでいえば︑
むろん︑後期の西田の諸論考の難解さは相当なものである︒ただそこでの難解さは︑西田独自の端的な表現法や独自な用
語によるところが大きいように思われる︒それに対し﹃善の研究﹄では︑用語や表現法についてさほどの難かしさはない︒.
しかし︑思想的な面では︑西田独自の発想が躍如し︑読むときにはある種の目眩さえ感じさせるほどである︒﹃善の研究﹄
の難解さは︑この西田独自の発想にこちらがとまどうところにあるように思う︒したがって︑その発想を把握することが
きわめて重要になってくるのである︒この西田の発想法さえ体得できれば︑かなり困難も解消され︑私たちも西田の思索
行に同行できるように思われる︒
﹃善の研究﹄の構成
﹃善の研究﹄初版の序文に︑西田は本書成立の経緯を簡潔に述べている︒それによれば︑この書は金沢で教鞭を執って
いた時代に書かれたものであるという︒つまり京都大学へ赴任(明治四+三年)する数年前のものであるという︒彼はす
ぐにでも出版しようと思ったが︑その機会がなかったとのことである︒こうして手許で数年暖められ︑京都でやっと日の
目を見るにいたったものである︒
﹃善の研究﹄の本文は︑つぎのような構成(四編構成)となっている︒
第一編純粋経験
第二編実在
第三編善
第四編宗教
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四編構成の﹁この書は第二編第三編が先ず出来て︑第↓編第四編という順序に後から附加したものである﹂と序文にあ
る︒つまり第二編﹁実在﹂と第三編﹁善﹂が先にできたという︒ここで岩波版全集第一巻の巻末の後記(下村寅太郎記)
をみると︑つぎのように述べられている︒明治三十九年金沢で印刷された冊子に﹃西田氏実在論及倫理学﹄と題された講
義草案があった︒つまり︑この講義草案が﹃善の研究﹄の原型となったということである︒その後︑第一編にあたる﹁純
粋経験﹂の部分は︑明治四十一年に論文として発表され︑第四編にあたる﹁宗教論﹂の部分は︑明治四十年から四十二年
にかけて発表した雑誌論文がその内容となったということである︒
刊行された﹃善の研究﹄では︑第一編﹁純粋経験﹂が先となったが︑本来からいえば第二編が西田の基本的・総括的な
哲学的立場の理論的な表明であり︑つぎに︑いわゆる(第三編の)実践哲学(倫理学)が続くのである︒序文に西田は︑
﹁第二編は余の哲学的思想を述べたものでこの書の骨子というべきものである﹂と記している︒この言葉によれば︑まさ
に﹁実在﹂編こそ︑﹃善の研究﹄の中心部分だといってよい︒
この第二編﹁実在﹂は︑つぎのような章立てとなっている︒
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章
第八章
第九章
第十章 考究の出発点
意識現象が唯一の実在である
実在の真景
真実在は常に同一の形式をもつている
真実在の根本的方式
唯一実在
実在の分化発展
自然
精神
実在としての神
この第二編は﹁実在﹂と題されているように︑全体は存在論としての体裁をもっているといえるが︑自然︑精神︑そし
て宗教をも含んだ一種の哲学体系というべき内容となっている︒もちろん︑まだ論理としても不完全であり︑体系といっ
ても素描にすぎない︒だが︑すでにここには彼の後期へといたる思想発展の萌芽以上のものが含まれているといってよい︒
そこで︑以下本稿では︑﹃善の研究﹄の序文についてあらかじめ見た後︑西田が﹁この書の骨子﹂﹂という第二編を中心
として︑章ごとに要所をあげながら︑私なりに読解をしていきたい︒目的はあくまで西田の文章の意味を読み解くことで
ある︒それと関連するかぎり︑多少ではあるが︑西田の思想の発展に即しての行文の意味にも触れることになる︒
注
本稿で用いた﹃善の研究﹄原文は︑全集版でなく︑現在流布している岩波文庫(一九七九年改版)のものを用いた︒ただし︑﹃善
の研究﹄以外の西田の論考については全集版を用いた︒﹃善の研究﹄についてはページ数のみを記し︑他の論考については岩波版
全集(第三次)の巻数とページ数を括弧内に記した︒また︑あえて注記しないが︑筆者なりの判断で︑文章を部分的に現代表記に
なおしたものがある︒
二序文について
﹃善の研究﹄(以下﹁本書﹂という)には︑三種の序文がついている︒①明治四十四年初版のもの︑②大正十年の再版のも
の︑そして③昭和十一年の改版のものである︒(①は弘道館発行であるが︑②③は岩波書店発行)
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初版の序文から
まず︑先にもあげた①明治四十四年の初版の序文についてであるが︑ここで注目されるのはつぎの言葉であろう︒
﹁純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明して見たいというのは︑余が大分前からもっていた考えであった︒初め
はマッハなどを読んで見たが︑どうも満足はできなかった︒そのうち︑個人あって経験あるにあらず︑経験あって個人
あるのである︑個人的区別よりも経験が根本的であるという考えから独我論を脱することができ︑また経験を能動的と
考えることによってフィヒテ以後の超越哲学とも調和し得るかのように考え︑遂にこの書の第二編を書いたのであるが︑
その不完全なることはいうまでもない﹂(四頁)
﹁純粋経験﹂はまさに本書を貫くライトモチーフである︒その内容については以下本稿でみていくことになるが︑この
﹁純粋経験﹂という言葉そのものについては︑当時︑マッハ(国崔馨冨鴛買H︒︒ω︒︒占㊤δ)やジェームズ(ヨ旨§﹄§︒p
一︒︒合山箪o)などによって︑比較的よく知られていたものであった︒西田も︑日記や著作の随所でこれらの思想家に言及し
ているが︑とくにジェームズについての記述が多い︒たとえば︑明治三十七年一月八日の日記に﹁ゼームスのく曳豊︒ω
︒h閑魯咀2ω国砦①二88という書物を借りてきてよみ始めた﹂とあり︑明治三十九年(と推定される)七月十三日の鈴木
大拙宛の書簡には﹁近来芝・﹄聾①︒︒氏などの勺霞①︒壱巴88の説は余程面白いと思う﹂とある︒西田もジェームズの思
想には共感を覚えるものがあったと思われる︒﹁純粋経験﹂という言葉は︑ジェームズの﹁根本的経験論﹂のなかでいう
(1)ところの窟器①巷霞δ琴①の訳語でもある︒
﹁純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明して見たい﹂という西田の言葉は︑本書執筆の動機であり︑実際本書全編
にこのモチーフは貫かれている︒ところで西田が初めに読んだというマッハについては︑のちにマッハやアヴェナリュー
スなどの純粋経験論の立場について︑﹁膚浅なるを免れない﹂(第一巻四二四頁)と述べているところからも︑どうも満足
しえなかったようである︒
﹁個人あって経験あるにあらず︑経験あって個人あるのである﹂という西田の言葉は︑きわめて的確に彼の立場を表現
しているといってよい︒つまり︑個人というものがまずあり︑その個人に属するものとして経験があるというのではない︒
そう考えるのは﹁我﹂という実体概念に囚われた錯覚つまり独我論である︒反対に︑経験こそ先なるものである︑と西田
は主張する︒しかしこの西田の主張に対して︑経験を実体と考えているのではないかという批判がありうる︒だが︑経験
は不変の実体ではない︒経験は動的なものであり︑変化するものであるから︑実体とはいえない︒この経験から個人︑あ
(2)るいは我という実体概念が導き出されるというのが西田の主張である︒
したがって︑﹁純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明してみたい﹂と西田がいう場合の﹁実在﹂とは﹁実体﹂とは