B
Fー,〜ー『
(3) (2) (1)
御文︹文明十二年八月︺歎異抄︵奥書︶
二尊
大悲
本懐
︵一
且訳
書︶
66
歳九歳
歎異抄蓮如本は従来︑蓮如六十五歳頃の筆蹟として周知せられ来った︒多屋頼俊氏の記録せられたところに基く︑
︵仲代6︶禿氏一桁祥氏による認定の如きがこれである︒けれども︑今︑基準尺度を根拠とした測定結果は次の如くであった︒
①
歎異抄蓮如本奥書の筆蹟は禿祐氏祥氏の認定せられた所とされる如く︑まさに六十六歳頃の基準筆蹟︵前記御文
︹文
明十
二年
八月
︺六
十六
歳︶
と合
致す
る︒
②
けれども︑歎異抄蓮如本の本文そのものは決して六十五
t
六歳頃の筆蹟ではあり得ないことが判明した︒すなわち︑これから約二十年も遡る︑四十一ニJ四歳頃の基準筆蹟に合致︑相応しているのである︒︿持名紗︹康正三年︺四十三
歳︑
また
三帖
和讃
︹長
禄二
年︺
四十
四歳
︶
かかる意外なる測定結果の有すべき意義については︑
︿ 注
7︶今は省略する︒本稿におい他の拙稿において論述したので︑
ては︑これを専ら純粋なる筆蹟所見の問題に限定し︑筆者の収録せる基準尺度に基く年時測定の一Jサンプルとして提
一不
する
と共
に︑
かかる筆蹟判定方法の有効性を証一不すれば足りるのである︒
蓮如筆績の年代別研究
九
蓮如筆蹟の年代別研究
九四
五
次に
︑
かかる筆蹟研究のために︑欠くべからざる前提をなすべき料紙の問題について一言したい︒
蓮如の場合︑若年より晩年にいたる聞の︑経済的生活面の激変に関連して︑使用料紙の紙質も転移していると見ら
れるのであるが︑今︑それら各時点の料紙の顕微鏡写真中より三点を摘出して︑ここにスライド表示しよう︒
第四部顕微鏡写真代表例︵本誌九六ページ所載①上段左︑@下段右︑③上段右︶
①浄土真要紗︵︑氷享十年︶M
歳
︹ 対 物 レ ン ズ 6接眼レンズ司吋凶︑露出
γ
︑照明スベロ︑扇形絞り弘︺②歎異抄︵本文﹀GJM歳頃と比定︒︹倍率同日︑司吋凶︑露出同右︑フィルタなし︺
③ 御 俗 姓
︵ 文 明 九 年
︶ 臼 歳
︹ 倍 率 同
①
︑ 露 出 向 右
︑ 照 明 同 右
︑ フ ィ ル タ な し
︺
右において︑漸次良質の料紙に転移している状況がうかがわれよう︒ただし︑この問題については︑蓮如及び同時
代の料紙に閲する︑より包括的な基準尺度の樹立が先決であるから︑今後の研究の進展が切望されるのである︒特
︵ 注
8︶に︑我が国における﹁紙の歴史﹂の科学的研究がヨーロッパ等の諸外国に比べ︑著しく立ち遅れている現況にかんが
み︑年時の明記された豊富な原資料を有する蓮如資料の分野において︑その独自の発達が待望されよう︒
日IJ
述 の 如
く︑筆蹟部門において先進している︑坂東本をはじめとする親驚部門においてさえ︑その使用料紙に関する顕微鏡写
真その他の科学的判定報告の現存しない現況を見ても︑我が南における料紙研究の立ち遅れを摂すること︑かできるで
あろう︒原資料を所蔵される関係各位の御助力に到する所︑
まこ
とに
多大
にし
て切
なる
もの
があ
ると
一二
一口
わね
ばな
らな
いの
であ
る︒
また︑この料紙部門より更に一段と立ち遅れを示しているのは︑料墨・墨色の科学的研究の領域であろう︒この点
については︑それに対する科学的研究の方法論そのものがあまりにも未開拓の領域であるとさえ︑極言し得るであろ
ぅ︒それ故︑筆者はこの問題について陪行・模索し︑その結果︑当該同組出握のための科学的方法について︑
いさ
さ
か知
聞す
る所
あり
︑
またひそかに開発し︑試用しつつ︑その有効性を確認し得た部面も存するのであるけれども︑こ
の点については︑他の機会に報告させていただくこととする︒
最後に︑筆者の拙い研究に対し︑なみなみならぬ御好意と絶大な御助カを賜った︑関係各位の一人一人の方々に︑
その学問的寛容と御理解に対し︑深く深く謝意を表させていただきたい︒この報告はひとえにそれらの方々の御力の
上にのみ︑この形をなし得たものに他ならないと回く信ずるからである︒
︹補︺先記の如︑さ︑顕微拭撮影による料紙研究の成果の一サンプルとして︑次の事実報告を追記したい︒歎恩︵抄蓮
如本末尾部分に対する連続的顕微鏡時影記録を行ったが︑その写真所見を基礎とする研究によって︑次の事実が判明
するにいたった︒すなわち︑本文とそれ以後︵流坪記録と蓮如奥書を含む︶との間に料紙上の断絶が存することである︒
この問題につき︑当日︑口頭を以て︑原本の現況を明らかにすると共に︑その詳細及び意義については︑あらためて
他の論文において報告することとする︒
蓮如筆蹟の年代別研究
九五
浄土真要紗〔二十四歳〉 御俗姓(六十四歳)
歎異抄(本文〕
蓮如筆蹟の年代別研究
九六
九七
蓮如筆蹟の年代別研究
九八
註 (1)
︶ E ︵ 両氏の当該問題研究につき︑それ?ぐ代表的論作︑一を挙げれば左の如くである︒小 川貫 弐氏
﹁阪 東本 教行 信一 誕の 成立 過程
﹂︵
﹁教 行信 託炉
︑述 の研 究﹂ 所収
︶
︑明先品帯山科
L赤松俊秀氏﹁教付信託の成立と改訂 r l ヘ
︵ 到
II ョ即国主顕浄土資実教行証文相周MW印
本﹁ 併説
﹂所 収︶ ただし︑この﹁五十八才以前﹂というのは︑てhb初稿本の成立川一応下限としておられるのであるから︑八行本文の革協認 定とは必ずしも直結するとはなし得ないであろう︒︵八ノ什十本文をJ初稿本からの単純書官7と見なす場合︶すなわち︑初J柄
本
と八行本文︵清書︶との内容上の誤差如何︑という川題と関係し米るわけである︒︵従って︑この五年の川起は純粋に令山
上の誤差と見なし得るものではない︒︶
(3) ただこの場合︑氏はJ品川専修寺蔵の﹁弥陀和茂﹂の筆蹟を辻諮問之助氏の﹁﹄戊湾聖人筆跡之研究﹂一則収写真に依出しつつ︑
親潜七十六歳︵宝治二今︶の真肢と見なして︑採用された︒ここにも文献所徴と並んで︑前後二十年以上の沼山伝一帽を泣
起すべき背景が仔したのである︒︵同氏前掲書二五四ページ︶
ただ両氏の文献所微の処理臼体についても︑若干の問題点︑か存するように忠われるのであるが︑この点については他の論
文にゆずることとする︒
(4) 同
二 十
J五十代について︑数年おきに︑一を撰択した︒これ以後は御文として︑多くの真践が仔しでも署名を欠くものが多い︒
帥﹁歎異抄新誼﹂解題一
0
ページ完波古典文学大系﹁親驚集日蓮集﹂解説二二ページ︵また︑﹁親驚聖人全集f一口
行指
1﹂解説一
八八 ペー ジ参 照︶
史学雑誌第七十五巻第三号︵昭和四十一年一一一月号︶所哉︑拙稿﹁歎異抄蓮如本の原本状況﹂参照︒
(8) (7)
ヨーロッパ諸国における︑紙に対する科学的研究所として︑機械を有し︑著大な実演を有するものに︑マインツの﹁紙史
研究 所ロ 1マの﹁図書病守研究所︑﹂同じく?
1 6
の﹁中央保存研究所﹂︑ベルギーの﹁文化財保護研究所﹂等の存すること7
等︑ 人の 知る 如く であ る︒
︵大 沢忍 氏の 御教 示に よっ た︒
︶ 蓮如
筆蹟 の年 代別 研究
九九
行信関係の基本的立場
8
行 信 関 係 の 基
本 的 立 場
寺
,b.、
;目
裏
︵同
朋大
学︶
宗祖は﹁御本書﹂後序に﹁選択集﹂の附属と真影の図画を一汗されたことを感激的に叙述せられ︑その中に﹁選択
集﹄について﹁真宗筒要念仏奥義摂三在干二斯一﹂と記している︒この﹁選択集﹂を﹁御本書﹂六巻の中行巻にのみ引
用し︑その文は題号と題下の十四字並びに総結八十二子である︒これらの文は﹁選択集﹂の精要を抽出したものに
して︑古来いう如く﹃選択集﹄一部全体を引用する意と窺われる︒この引用の祖意より窺うに﹁選択集﹂の中心は
二行章にありと見るべく︑又行巻の大行は二行章相承の称名念仏なりと見られる︒元祖はこの称名念仏が正定業であ
る所以を本願の行なるがゆえとしている︵貫主いんし
ι
社おじ︒果して宗祖は行巻に大行を釈するに称名念仏を以い い
て真実の大行とせられた︒行巻のみならず﹁尊号真保釘丈﹂末一γにおける﹁選択集﹂の文を釈する下にも明らかに称
イ寸
名念仏をもって往生の正業正因となしている︒称名を住生の正業となす所以ば凡夫相応の易行なる︑かゆえにして︑本
願に﹁乃至十念﹂と誓与える願意を宗祖は﹁尊号真像銘文﹂本一い︑﹁
E m M
U
文意﹂仁計︑﹁工事念文意﹂計四にそれρ
\解明し﹁この誓願はすなはち易往易行のみちをあらはし︑大慈大悲のきわまりなきことをしめしたまふなり﹂と釈し︑又行巻の行一念釈に﹁謂就ニ称名術数一顕二間選択易行至板一﹂といっているにても明らかである︒
元祖はこの称名念仏の一行が本願に選択せられた願意を鋭い﹁選択集﹂本願章に易勝の二義をもって説明してい
る︒称名が易行なるのみにては往生の正業たりえぬのである︒易にして然も勝なるがゆえに可能である︒こうした元
祖の釈意を承け宗祖亦大行釈に﹁称元碍光如米名﹂とあるは易徳を︑﹁斯行乃受名大行﹂は勝徳を顕わすものと窺われ
る︒元祖はこの勝徳を顕わすに名号の徳より釈しているが︑今宗祖も亦称名をその行体である名号の徳より之を明ら
かに
して
いる
︒
大行が称名であることは既に明らかであるが︑然しそれは単なる称名ではない︒宗祖はこ与に﹁論﹂
﹁論
註﹂
の釈
をかりてその称名が如実修行の称名なることを明らかにしたのである︒即ち元祖相伝の称名念仏は単なる口称の称名
ではなく︑如実修行の称名なりとなした︒こ与に宗祖における大行の性格が明らかになると同時に︑信別間の必然性
が顕わされる︒既に元祖は﹁選択集﹂三心章に﹁念仏行者必可具足三心之文﹂と標し︑善逗の三心釈を引き私釈に﹁所
引三心者是行者至要也﹂といい︑﹁欲v生
二極
楽一
之人
全可
ν具
一二
三心
一也
﹂と
いい
︑更
に﹁
当
v知生死之家以ν疑
為ニ
所止
一担
架
之城以ν信為二能入こと信心正肉の義を閃顕している︒又﹁三心料簡および御法語﹂
︵法
然上
人全
集四
五三
一頁
︶に
は﹁
取
一一
信於
一念
一尽
ニ行
於一
形一
疑一
二念
往生
一者
即多
念皆
疑念
之念
仏也
﹂と
あり
︑
﹁常
に仰
せら
れけ
る御
詞﹂
︵人
エ上
回九
O
頁 ︶には﹁上人かた利給へる詞には︑名号をきくといふとも︑信ぜずぱ聞かざる︑が如し︑たとへ信ずと云とも唱へずぱ信
ぜざるが如し︑只つねに念仏すベし﹂といっている︒その他信を必要とする文は幾多あるが︑既に元祖かくの如く行
行信関係の基本的立場