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へミングウェイにおける 「耐えること」 の意味につ いて

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Academic year: 2021

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へミングウェイにおける 「耐えること」 の意味につ いて

著者 新井 哲男

journal or

publication title

英語英文学研究

volume 3

page range 39‑50

year 1997‑10

出版者 東京家政大学文学部英語英文学科

URL http://id.nii.ac.jp/1653/00009600/

(2)

ヘミングウェイにおける

  「耐えること」の意味について

新 井 哲 男

 アーネスト・ヘミンウェイ(Ernest Hemingway,1899−1961)の晩年の 作品『老人と海』(The Old Man and the Sea)に次の文がある。

Iwill show him what a man can do and what a man endures.1)

(俺は、人間がどんなことができ、どんなことに耐えられるかを奴に見

せてやる。)

大魚を相手にして老人が述べるこの言葉は、老人の相手が単に大魚ではな く、もっと大きなもの、つまり大自然やそれを司る神であることを強く感 じさせる。老人は大魚を相手に二晩三日の戦いをするが、これは、老人の 意識からすれば、人間と人間界を統治するものとの戦いである。実際、老 人は、一人で海に乗り出してすぐに、海を眺め、次のように考える。

...the birds have a harder life than we do except for the robber birds and the heavy strong ones. Why did they make birds so delicate and fine as those sea swallows when the ocean can be so cruel?She is kind and very beautiful. But she can be so cruel and it comes so suddenly and suCh birds that fly, dipping and hunting,

with their small sad voices are made too delicately for the sea.(p.

29)

(泥棒鳥や大きくて強い鳥を除けば、鳥は我々人間より辛い生活を送っ

(3)

ている。海がひどく残酷になることもあるというのに、なぜ鳥は、あ の海つばめのようにひ弱で繊細にできているのだろう。海はやさしく、

とても美しい。しかし、ひどく残酷になることもある。しかも全く突 然になる。水に浸り、餌を探し、小さくて悲しげな声をたてながら飛 びまわる鳥たちは、海に対してあまりにもひ弱にできている。)

ここでヘミングウェイは、老人に、海と対照しながら、海に住む小鳥とそ の背後にいるものについて考えさせている。彼は、更に海について、次の ように記す。

But the old man always thought of her as feminine and as some−

thing that gave or withheld great favours, and if she did wild or wicked things it was because she could not help them, The moon affects her as it does a woman, he thought.(p.30)

(しかし、老人はいつも海を女性と考え、何か大きな恵みを与えたり抑 えたりするものとして考えていた。そこで海がたとえ大荒れになった

り、大きな損害を与えることがあったとしても、それは海がそうせざ るをえなかったからなのだ、月が女性に影響を及ぼしているように、

海に影響を及ぼしているのだと、老人は考えた。)

ここでも作者は、老人に、海を思いながら、その背後にいるもっと大きな ものについて考えさせている。そして、思いは人間の女性にまで及ぶ。老 人は、海上で一人になりながら、小鳥を思い、海を思い、人間の女性を思 いながら、常にその背後にいる造物主のことを考えている。彼はまるで人 間を司る神に対抗して海に出てきたかのように、大魚との戦いの最中に、

「俺は人間が釣りに出ることのできる範囲を越えた沖まで出てきた」2)と 言い、「人間は偉大な鳥や獣の傍らに置いてみると、大したものではない」3)

と言う。前者は、人間の領分を越えて行動しようとする老人サンチャゴの

(4)

神への挑戦の言葉とも考えられ、後者は、造物主が作り出した大自然界の 存在物に対する驚異と賛嘆の念とも考えられる。このように考える時、冒 頭に引用した老人の言葉は、ただ大魚に対して述べられたものではなく、

老人が対置して考えている人間を司るものに対して述べられた言葉、つま り、神に対抗して人聞がどこまでできるか、人間がどこまで耐えられるか を見せてやるという老人の強い意志を示した言葉といえる。

2

 ヘミングウェイの神への挑戦は、「キリマンジャロの雪」( The Snows of Kilimanjaro )では、豹という形をとってより明確に描かれている。

 Kilimaniaro is a snow covered mountain 19, 7ZO feet high, and is said to be the highest mounimn in Africa. Its western summit is called the Masai 取魏く磐δ4 the Hoase Of God. Close to the western szammit there is the dried and fro2en carcass of a leoPard.

No one has exPlained what the leoPard was seeking at that altitude.4)

 (キリマンジャロは、雪に覆われた19,710フィートの山で、アフリカ で一番高いと言われている。その西の頂はマサイ語で「ヌガイェ・ヌ ガイ(神の館)」と呼ばれている。西の頂の近くに乾いて凍った豹の屍 がある。この豹が、この高さの所で、何を求めていたのか説明したも のはいない。)

上記は、作品冒頭に置かれたエピグラフであるが、ここに描かれた豹は、

果敢にも神の館と呼ばれるキリマンジャロ山頂目指して進んだ。つまり、

他の豹たちの住む俗世間を離れ、豹としての領分をわきまえず、神の住む とされる館へと向かったのである。換言すれば、豹としての自分の限界に 挑戦したのである。もちろん、豹は豹であり、神の世界に行き着くことは ない。しかし、その努力のおかげで、豹は、息が絶えはしたものの、雪に

(5)

蔽われ「太陽の光を受け、信じられないほど白く輝く」( unbelievably white in the sun )5)キリマンジャロ山頂近くの清い世界で、身を腐らせることな

く、永遠の眠りにつくことができるのである。

 前章で述べた『老人と海』の老人は、まさにこの豹の人間版といえる。

老人は「陸地の臭いを後に残し、早朝の清らかな海の臭いの中へ」6)と一人 で船出する。彼は悪臭、腐臭の漂う俗世間から一人抜け出し、清らかな世 界へと旅立つのである。目指すは「他の人が誰も行ったことのない」遠い 海の先、そこには、老人と同じように「(他の者とは異なり)並み外れた

strange )」7)大魚が待っている。大魚は、老人を陸地からますます遠ざ け、沖へ沖へ、海の先へ先へと引いていく。まるで豹が神の館を目指して、

キリマンジャロ山を上へ上へと登り続けたように、老人は広い海を沖へ沖 へと出て行く。老人は、「何も考えないで、ただ耐えることに努め」8)、「お そらく、俺は漁師になるべきではなかったのだ。だが、漁師になるように

と俺は生まれついたのだから、漁師としての仕事を全うしなければならな

い」9)と考える。

 それは互角の戦いである。後に、老人は、再び「おまえは、あの魚が魚 に生まれついたのと同様に、漁師になるという運命のもとに生まれついた のだ」1°)と考えているが、両者とも、それぞれ生まれついたものに従って、

全力を尽くして、与えられた使命を全うするのである。老人は言う。

But man is not made for defeat,._Aman can be destroyed but not defeated. (p.103)

(しかし、人間は敗北するようには作られていない。…身は滅びること はあっても敗北はしない。)

まさに「キリマンジャロの雪」で豹が、その苦行、試練のゆえに、生命は 絶えても身を腐らせることなく、清い世界にその身を置き続けるのと同じ ように、老人もまた、陸地から遠く離れた清らかな世界で、「身は滅びても

(6)

敗けることはない」と感じるのである。そして、豹が真っ白な雪の中で、

永遠に眠り続けるのと同様に、老人も、帰国後は、老人の後継者ともいえ る少年に見守られ、ライオンの夢を見ながら眠り続けるのである。15年前 には人間の理想として、憧れとして、人間の代替物として豹を用いたヘミ ングウェイであったが、『老人と海』では、人間を豹の位置にまで高め、偉 大なる動物の傍らにおいても見劣りすることのないものとして老人を用い ている。

3

 さて、老人の偉大さに言及する時、老人の相手となった大魚の偉大さに ついても触れないわけにはいかない。老人は、「この魚を食するに値する人 間なんているのだろうか」11)と考える。もちろんこの魚は大きくて強い。老 人を二昼夜以上引き回すのである。しかし、この魚の真の偉大さは、大き さや強さによるのではない。賢さによるのである。彼は、釣り綱の付いた 鉤針を飲み込んでしまったと分かっても決して狼狽しない。あわてて飛び 上がり、暴れ回ることをしない。ただじっと暗く深い海の底に潜み、沖へ 沖へと舟を引き、老人の疲れを待つのである。そこに老人は、魚の偉大さ を認め、美と気品を感じる。魚は常に落ち着いており、 calm steady/

steadily slowly という語が繰り返し使われる。また、この魚は strange な魚と記され、 strange に行動するとも述べられている。老人もこの作品 では、 strange な男12)として描かれている。つまり、 strange な人間と

strange な魚との対決である。しかも、作品では、老人がこの魚につい て、どのくらい齢を重ねているのだろうと考えていることから、大魚も老 人と同じようにかなりの齢を重ねていることが推測される。齢を重ねるこ とは、経験を重ねることである。ヘミングウェイが経験の積み重ねを重視 していることがうかがわれる。実際、この魚は賢い。賢いから戦いの仕方 を知っている。賢い戦いの仕方とはむやみと暴れ回ることではなく、じっ と耐えることである。魚はこのような賢い戦いの仕方を、恐らく経験から

(7)

学んだのだろうと老人は考えている。13)

 このことは、『日はまた昇る』(The Sun A lso Rises)において、老人で あるミピポッポラス伯爵が人生の生き方を十分に心得ており、生を十分に 享受していること、「清潔な明るい場所」( AClean, Well−Lighted Place で本当の生を生きるために苦しむ老人を見て、その老人の気持ちが分かる のは、年上のバーテンであり、若いバーテンは、若さゆえに「生きること」

について考えが深く及ばないことなどにも表れている。また、この『老人 と海』においても、作品の冒頭で描かれる漁民たちの姿からは、老人の気 持ちを理解する年寄りたちと、老人の生き方が全く理解できずに老人を嘲 笑するだけの若い漁師たちとの対比が明確に描き出されている。そして、

若い漁師たちは、若さゆえに本物の漁を考えずに、力まかせ、金まかせに 魚を獲り、金のある時に電動機付きの舟を買い、海を男性の「エル・マル」

(el mal)と考え、漁をただ単に戦いの場としか考えない人として描かれて

いる。

 「老人」という言葉には、老いて力が衰え、よぼよぼになるという語感 と、経験を積んでいて賢いという語感とがあるが、ヘミングウェイにとり 年をとるということは、一方的に前者の意味になるのではなく、齢を重ね

ることにより賢者になる、人生を真に享受する生き方のできる人になると いう意味合いを持つようである。しかし、それだからこそ、なお一層、そ の充実した生の燃焼の裏に、人間誰もが避けて通ることのできない力の衰 えに対する苛立たしさが垣間見える。人間であるかぎり、誰もが肉体は衰 え、滅びていく。人間の限界に挑戦することはできるが、人間は決してそ の限界を越えることはできない。ただ耐えて、その束の間の生を激しく、

しかし落ち着いて、全力をあげ精一杯に生きるだけである。常人を越えて、

strange に生きる年老いた人間と、同じように strange な生き方をする 年老いた魚との戦いは、どちらの勝利とも決定のつかないまま終わる。作 者は、老人と大魚との、何事が起ころうとも決して狼狽することなく、忍 耐強く、落ち着いて生を全うしようとするその生き方を、造物主により限

(8)

界を定められた被創造物による一つの悲しいが精一杯の行動として、美し く謳いあげるのである。

4

 『老人と海』は、ヘミングウェイが、晩年になって書き上げた作品である が、この作品を、彼が若い時代に著した彼の最初の本格的な出版物とされ る短篇集『我らの時代に』(ln Our Time)の冒頭に置かれた作品「インデ ィアン・キャンプ」( Indian Camp )と比較してみると興味深い。「インデ ィアン・キャンプ」には、麻酔無しで行なわれる妻の帝王切開手術に耐え られず自殺する男、その自殺を目にして狼狽する父親、それらを冷静な目 で見つめる息子の姿が描かれている。インディアンの夫が自殺した後、息、

子のニックは父親と死について次のような会話を交わす。

Do Iadies always have such a hard time havng babies? Nick asked.

No, that was very, very exceptional.

Why did he kill himself, Daddy?

Idon t know, Nick. He couldn t stand things, I guess.

Do many men kill themselves. Daddy?

Not very many, Nick.

Do many women?

Hardly ever.

Don t they ever?

Oh, yes. They do sometimes. 14)

(「女の人は、子供を産む時には、いつもあんなに大変なの?」と、ニ ックは尋ねた。

「いいや、あんなことは、ごくごく稀なことだよ。」

「あの人は、なぜ死んだの、お父さん?」

(9)

「分からないよ、ニック。たぶん、物事に耐えられなかったのだろう。」

「たくさんの男の人が自殺するの、お父さん?」

「あまり多くはないよ、ニック。」

「女の人は多いの?」

「ほとんどいないよ。」

「絶対にしないの?」

「いや、することもある。女の人も時々はするよ。」

ここでも作者ヘミングウェイは、インディアンの夫の自殺の原因を「物事 に耐えられなかったのだろう」と記している。 endure と stand と語は異 なるものの、似た意味を持つ語が作者の第一作ともいえる初期の作品と実 質的には最後となった作品の両作品のキーワードとして用いられているこ とは興味深い。「インディアン・キャンプ」では、インディアンの死を見た ニックは、作品の最後で、「自分は物事に耐えられない弱い男にはならな い」15)と強く決意する。

 「インディアン・キャンプ」のニックに限らず、ヘミングウェイの作品に 登場する主人公たちの多くは耐える男である。「何かの終わり」( The End of Something )では、作品の最後で自分から恋人との別れを言い出しなが

ら、別れた後の悲しみにじっと耐えているニックの姿が描かれる。「兵士の 故郷」( Soldier s Home )では、旧態依然たる社会に住む母親の説教をじ

っと聞いているクレブスの姿が描かれている。その説教を聞いているとき のクレブスの心は Krebs looked at the bacon fat hardening on his plate.

(朝食のべ一コンの脂が皿の上で固まっていくのをクレブスはじっと見て いた)(p.75)という一文に見事に描き出されている。

 『日はまた昇る』では、戦傷のため性的不能になったジェイクが「昼は簡 単にハード・ボイルドになれるが、夜ともなると話は別だ」16}と苦悩する。

「フランシス・マコーマーの短くて幸福な生涯」( The Short Happy Life of Francis Macomber )では、「おまえは売女だ」という言葉に「それな

(10)

らばあなたは臆病者よ」17)と言われ、耐えるしかない男の姿が描かれる。

 このようにヘミングウェイの作品では、初期のものから中期を経て、後 期に至るまで、「耐える男」のイメージが一貫している。しかし『老人と海』

では、先にも引用したように、老人は、「陸地の臭いを離れて清らかな海」

の世界で耐えている。しかも、帰港した老人はまるで永遠の眠りについた かのように熟睡している。しかもライオンの夢を見ながら、気持ち良さそ うに眠っている。中期の作品である「フランシス・マコーマーの短い幸福 な生涯」や「キリマンジャロの雪」でも「耐えてきた男」は、それぞれの 作品の最後で死に向うことにより幸福を得ている。このように考えると、

ヘミングウェイの多くの主人公たちは、物事に耐えることに意を注ぎなが らも、結局は現実の世界から離れることで憩いを得ているように思われる。

「兵士の故郷」のクレブスは作品の最後で、この町を出て行くことを決意 する。「医者と医者の妻」( The Doctor and the Doctor s Wife )では、医 者であるニックの父が、種類の異なる二つの激しい戦い(ディック・ボウ ルトンとの男同士の凄まじい口論と、妻との壁を間に挟んだ冷たい対立)

をした後、その場にいることに耐えられなくなり、家を出て、森に入り憩 いを得る。作品には lt was cool in the woods even on such a hot day.

(こんな暑い日でも森の中は涼しかった)(p.27)と記されているだけであ るが、現実世界を離れ、森に入ったニックの父の爽快感がよく伝わってく

る。

 ヘミングウェイは初期の短編で、現実世界の悪臭を描くことに多くの頁 を使い、そこからの脱出を最後に添えた。晩年の『老人と海』では、現実 世界から脱出した後の苦しくはあるが爽快な思いを多くの頁を使って描い た。そこには、初期の作品から一貫して「耐える男」のイメージを追いか けながらも、実際には、現実からの逃避や現実からの離脱を考えざるを得 ない卑小な人間の姿が浮かび上がってくる。『老人と海』で老人は「海は大 きく、(老人の乗る)舟は小さい」 8)と言うが、人間は大自然と較べると何と 小さいことか。人間は、いつの時代にも、大自然という荒波にもまれ、現

(11)

実世界のさまざまな悪臭に翻弄されながら、

ある。

必死に耐えて生きているので

       注

1)Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea,(New York:Charles    Scribner s Sons,1952), p.66.以下、この作品からの引用及び頁数はこ    の版により、日本語訳は拙訳による。

2)この記述に関連し、作品には My choice was to go there to find him    beyond all people. Beyond all people in the world. (The Old Man    and the Sea, p.50)と記されている。

3)原文は Man is not much beside the great birds and beasts. (The    Old Man and the Sea, p.68)である。

4)Ernest Hemingway, The Snows of Kilimanjaro, The Snows Of    Kiliman/ aro and Other Stories,(New York:Charles Scribner s

   Sons,1964), P.3.

5>

6)

7)

8)

9)

Ibid., p.27.

原文は _he left the smell of the land behind and rowed out into the clean early morning smell of the ocean. (The Old Man and the Sea, p.28)である。

作品には He[The fish]is wonderful and塑and who knows

how old he is, he[the old man]thought. (The Old Man and the Sea, p.48)及び If you re not tired, fish, he said aloud, you must be very strange. (lbid, p.67)とある。(下線は筆者)

原文は He_tried not to think but only to endure. (The Old Man and the Sea, p,46)である。

原文は Perhaps I should not have been a fisherman, he thought. But that was the thing that I was born for. (The Old Man and the Sea,

p.50)である。

(12)

10)原文は You were born to be a fisherman as the fish was born to be    afish. (The Old Man and the Sea, p.105)である。

11)原文は How many people will he feed, he thought. But are they    worthy to eat him〜No, of course not. There is no one worthy of    eating him from the manner of his behaviour and his great dignity.

   (The Old Man and the Sea, p.75)である。

12)作品には Iam a strange old man. (The Old Man and the Sea,

   p.14)及び  1 told the boy 1 was a S1t!!al}gg old man, he said. (lbid,

   p.66)とある。(下線は筆者)

13)この記述に関連し、作品には He is wonderful and strange and who    knows how old he is, he thought. Never have I had such a strong    fish nor one who acted so strangely. Perhaps he is too wise to jump.

   He could ruin me by jumping or by a wild rush. But perhaps he has    been hooked many times before and he knows that this is how he    should make his fight. (The Old Man and the Sea, pp.48−49)とあ    る。

14)Ernest Hemingway, lndian Camp, 、ln Our Time,(New York:

   Charles Scribner s Sons,1925), p.19.以下、この作品及び The Doctor    and the Doctor s Wife Soldier s Home からの引用及び頁数は,この    版により、日本語訳は拙訳による。

15)原文は _he felt quite sure that he would never die. ( Indian Camp    P.19)である。

16)Ernest Hemingway, The Sun A lso Rises,(New York:Charles    Scribner s Sons,1926)からの引用で、原文は It is awfully easy to be    hard・boiled about everything in the daytime, but at night it is    another thing. (p.34)である。

17)Ernest Hemingway, The Short Happy Life of Francis Macomber,

   The Snows of Kilimaniaro and Other Sto ries,(New York:Charles

(13)

   Scribner s Sons,1964)かちの引用で,原文は You are a bitch.     Well, You re a coward. (p.140)である。

18)原文は The ocean is very big and a skiff is small and hard to see,

   the old man said. (The Old Man and the Sea, p.124)である。

       参考文献

石 一郎 『愛と死の猟人くヘミングウェイの実像〉』 南雲堂 1988 西尾 巖 『ヘミングウェイ小説の構図』 研究社出版 1992

南 英耕  『ヘミングウェーの巡礼』 早稲田大学出版部 1983 Baker, Carlos. Hemingway;The Writer As∠1γ 魏. New Jersey:

   Princeton University Press,1972。

Burwell, Rose Marie. H2痂ηg醐y. Cambridge:Cambridge University    Press,1996.

Gurko, Leo. Ernest Hemingway and the Pzarszait of Heroism. New    York:Thomas Y. Crowell Company,1969.

McCaffery, John K.M., ed.. Ernest H鰯勿9醐y The Man and his    Work. New York:Cooper Square Publishers, Inc.,1969.

参照

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