論 説
ド イ ツ 行 刑 に お け る 社 会 と の 同 化 原 則 の 意 義
大 谷 彬 矩
は じめ に 第 一章
同化 原 則 前史
⎜ 自由 刑 草創 期 から 一 九 世紀 行 刑改 革 まで 第一 節 自 由 刑 草創 期 第二 節 一 九 世 紀の 行 刑改 革 期 第三 節 第 一 章 の小 括 第 二章
同化 原 則 の萌 芽 と衰 退
⎜ワ イ マー ル 共 和国 期 から 第 三帝 国 期 まで 第一 節 ワ イ マ ール 共 和国 期 第二 節 第 三 帝 国期 第三 節 第 二 章 の小 括 第 三章
再社 会 化 思想 の 発展 と 同化 原 則の 定 着
⎜戦 後 の行 刑 改革 か ら 連邦 行 刑法 ま で 第一 節 戦 後 の 行刑 改 革期
(84‑4‑ )
907 1
第二 節 同 化 原 則の 停 滞期 第三 節 第 三 章 の小 括 第 四章
連邦 制 度 改革 以 降の 同 化原 則 の発 展 第一 節 連 邦 制 度改 革 以降 の 展開 第二 節 同 化 原 則の 展 開場 面 第三 節 第 四 章 の小 括 第 五章
行刑 に お ける 同 化原 則 の意 義 第一 節 生 成 過 程に お ける 特 徴 第二 節 ド イ ツ 行刑 に おけ る 意義 第三 節 わ が 国 への 受 容に 向 けて お わり に 巻 末資 料
は じ め に
筆者 は︑ 以前 の 論稿 にお いて
︑ 刑務 所の 生活 水 準を 分析 視角 と して
︑受 刑者 に 対す る 適切 な関 わり の あり 方に つい て 検 討を 行っ た1
︒︶
そ の際 に︑ 社会 と の同 化原 則を
︑ 今後
︑日 本行 刑 が依 拠す るべ き 尺度 と 評価 する に至 っ た︒ そこ で本 稿
論 説
で は︑ それ を実 際 に連 邦行 刑法 の 中で 規定 した ド イツ 連邦 共和 国
︵以 下︑ ドイ ツ
︶を 比 較法 研究 の対 象 国と して 検討 を 行 う︒ その 理由 は
︑同 化原 則を 明 文で 規定 して い ると いう だけ で なく
︑以 下の 事 情に も 基づ いて いる
︒ 比較 対象 とな る ドイ ツは
︑人 権
︑自 由︑ 民主 主 義な どを 重ん ず る欧 州地 域の 中 でも
︑ 行刑 の分 野に お ける 先進 国と 評 価 でき る︒ また
︑ 歴史 的に は︑ わ が国 とド イツ に は行 刑の 分野 に 限っ ても 相当 の つな が りを 見出 すこ と がで きる
︒わ が 国 で国 家制 度の 整 備を 進め てい た 一八 八九
︵明 治 二二
︶年 に当 時 の内 務大 臣で あ った 山 縣有 朋ら の招 請 によ り︑ ドイ ツ 人 の
K u rt v o n S ee b a ch
が 内務 省 獄務 顧問 とし て 来日 し︑ わが 国 の監 獄制 度の 改 革と 監 獄官 吏の 育成 に 尽力 した2
︒︶
わが 国 初め ての 行刑 法 の制 定と なっ た 一九
〇八
︵明 治 四一
︶年 の監 獄 法︵ 法律 第二 八 号︶ も
︑プ ロイ セン の 内務 省所 管監 獄 則 を模 範と して い た︒ それ に加 え て︑ 一九 七〇 年 代の 社会 復帰 処 遇に 対す る疑 念 が提 示 され た時 代を 経 て︑ なお 受刑 者 の 再社 会化 を行 刑 目的 に据 え︑ 処 遇の 充実 を図 っ てい ると いう 点 で︑ 受刑 者の 社 会復 帰 を目 的と する わ が国 の行 刑と 共 通 点を 有し てい る3
︒︶
した が って
︑ ドイ ツは 行刑 の 先進 性を 有す る と同 時に
︑わ が 国と の 共通 点を 有す る 国と して
︑そ の 実 務及 び理 論を 参 照す るこ とに 適 した 国な ので あ る︒ 本稿 では
︑ド イ ツ行 刑の 歴史 的 経緯 に沿 って
︑ 同化 原則 の生 成 過程 を明 らか に する
︒ 国際 的・ 地域 的 人権 基準 と異 な り
︑実 際の 刑事 施 設の 運営 に対 し てシ ビア に責 任 が問 われ る国 家 にお いて
︑い か に同 化 原則 が生 成さ れ てい った のか
︑ ま た︑ それ はど の よう な内 容を 持 つも ので あっ た のか を追 究す る こと は︑ 同化 原 則の 意 義を 知る 上で 有 益で ある と思 わ れ る︒ 具体 的に 取り 上 げる 期間 は︑ 近 代的 自由 刑が 生 まれ た時 代か ら 連邦 制度 改革 以 降の 諸 ラン ト4
で︶
の発 展 まで の時 期で あ る
︒こ のよ うに 広 範な 対象 期間 を 設定 した 理由 は
︑自 由刑 とは そ もそ も劣 悪で あ るこ と が当 然と して 考 えら れて いた 時 代 と︑ 自由 刑を で きる だけ 回避 し よう とす る現 状 との 間に は大 き な隔 たり があ り
︑そ の 変化 の道 筋を 追 う中 で︑ 同化 原 則 の生 成経 緯に つ いて も明 らか に し得 ると 考え た ため であ る︒ 対 象期 間は
︑次 の 四つ に 区分 でき る︒
(84‑4‑ )
909 3
第 一期
:
同 化原 則 前史
⎜自 由刑 草 創期 から 一九 世 紀行 刑改 革ま で 第 二期
:
同 化原 則 の萌 芽と 衰退
⎜ ワイ マー ル共 和 国期 から 第三 帝 国期 まで 第 三期
:
再 社会 化 思想 の発 展と 同 化原 則の 定着
⎜ 戦後 の行 刑改 革 から 連邦 行刑 法 まで 第 四期
:
連 邦制 度 改革 以降 の同 化 原則 の発 展 第一
期は
︑自 由 刑草 創期 から 一 九世 紀の 行刑 改 革期 であ る︒ 同 化原 則が 存在 し なか っ た時 代で あり
︑ 同化 原則 の前 史 に 当た る︵ 第一 章
︶︒ 第二 期は
︑同 化 原則 が生 まれ た ワイ マー ル共 和国 期と
︑反 対 に 原則 の危 機を 迎え た第 三 帝国 期で あ る︵ 第二 章︶
︒ワ イ マー ル共 和国 期 は︑ 同化 原則 の 萌芽 を 見 出す こと がで きる 時代 で あり
︑ 同化 原則 初期 の 段階 で同 化 原則 がど のよ う な意 図を 持っ て 生ま れた のか を 知る 手が かり と なる
︒第 三期 は
︑戦 後 の行 刑改 革期 か ら初 の統 一的 行 刑 法典 であ る連 邦 行刑 法制 定ま で であ る︵ 第三 章
︶︒ 連邦 行刑 法 の立 法過 程で 初め て 同化 原則 が明 文化 され た 背景 を探 る
︒第 四期 は︑ 二
〇〇 六年 の連 邦 制度 改革 以降 の大 きな 変化 の中 で︑ 同化 原則 が発 展す る 時期 であ る︵ 第 四章
︶︒ 同化 原 則の 現在 の到 達 点に つい ても 明 らか にす る︒ 同 化原 則の 歴史 的 生成 過程 を概 観 した 上 で︑ 最後 に︑ 行 刑に おけ る同 化 原 則の 意義 につ い て考 察を 行う
︵ 第五 章︶
︒ 1
︶ 拙 稿
﹁﹃ 行 刑 の社 会 化
﹄論 の 再検 討
⎜代 替 概念 と し ての
﹃ 同化 原 則﹄ の 可能 性
⎜
﹂法 政 研究 八 四巻 二 号︵ 二
〇 一 七年
︶︒ 本 稿 は︑ 同 論文 と と もに 筆 者の 学 位取 得 論文
﹁ 行 刑に お ける 社 会と の 同化 原 則 の意 義
﹂の 一 部を 基 とし て い る︒ 2
︶ 佐 々 木 繁典
﹁ 解題
﹂﹃ 近代 監 獄制 度 の指 導 者 ク ル ト・ フ ォン
・ ゼ ーバ ッ ハ﹄ 矯 正協 会
︵一 九 八 五年
︶viiixv
頁
︒ 3
︶ 受 刑 者 の収 容 人員 も ほぼ 同 様の 規 模 とな っ てい る
︒二
〇 一六 年 の 日本 の 受刑 者 総数 が 四九
︑
〇 二七 人 であ る のに 対 し
︑ ド イ ツ は 四六
︑ 三
〇八 人
︵少 年 受刑 者 を除 く
︶ であ る
︒Statistisches Bundesamt,Fachserie 10,Reihe 4.1,2016. 4
︶ 連 邦 を 形成 し てい る ラン ト
︵Land
︶ は
︑ 州
﹂ と訳 す 場合 も あ るが
︑ 実態 と して は
﹁邦
﹂ で ある た め︑ 本 稿 で は ラ ン ト と 呼 称
論 説
す る︒
第 一 章 同 化 原 則 前 史
⎜ 自 由 刑 草 創 期 か ら 一 九 世 紀 行 刑 改 革 ま で
第 一 節 自 由 刑草 創 期 近代
的自 由刑 の 起源 とし て︑ 一 五五 五年 にロ ン ドン に設 立さ れ たブ ライ ドウ ェ ル懲 治 場や
︑オ ラン ダ にお いて 一五 九 五 年に 設立 され た アム ステ ルダ ム 懲治 場が 挙げ ら れる5
︒︶
そ れら の 地域 は経 済の 中 心地 と して 栄え た一 方
︑浮 浪者
︑乞 食
︑ 売 春婦
︑不 良少 年 等が 激増 し︑ そ の対 策と して
﹁ 懲治 場﹂ が設 け られ たの であ っ た6
︒︶
と もに 本来 は浮 浪 者の 救済 と殖 産 を 目的 とし た慈 善 的︑ 行政 的な 作 業場 であ った が
︑や がて 被収 容 者の 中で 貧し い 犯罪 者 の占 める 割合 が 高く なり
︑刑 事 施 設と して の性 格 を持 つよ うに な った
︒し たが っ て近 代的 自由 刑 の初 期形 態は
︑ 彼ら を 一定 の施 設に 収 容し て作 業を 賦 課 し︑ その 更生 を 図る とい う形 で 出現 した
︒こ れ は︑ それ まで 死 刑や 身体 刑が 刑 罰の 中 心的 地位 を占 め てい た中 世の あ り 様に 比べ ると
︑ 画期 的な ヒュ ー マニ ズム の前 進 であ った7
︒︶
しか し︑ ヨー ロ ッパ 諸国 にお け る刑 務所 の模 範 とし ての 地位 を 獲得 した 懲治 場 その も のも
︑ド イツ に おけ る三
〇年 戦 争 の混 乱の 結果
︑ 既に 一七 世紀 に は衰 退へ の道 を 進ん でお り8
︑︶
施 設拘 禁と 労働 に よる 改 善の 思想 がよ り 普遍 的な 地位 を 占 める には 近代 市 民社 会の 本格 的 な展 開を 待た な けれ ばな らな か った
︒ その 後︑ 受刑 者 が直 面す る惨 状 に対 して
︑一 八 世紀 後半 から 一 九世 紀に かけ て
︑と り わけ 北ア メリ カ
︑イ ギリ ス及 び ド イツ の一 部の 都 市で 熱心 な監 獄 改良 運動 が展 開 され た︒ イギ リ ス人 の
Jo h n H o w a rd
は
︑一 七七 三年 に ベッ ド フォ ー
(84‑4‑ )
911 5
ド の州 執行 官に 任 ぜら れた こと を 契機 に監 獄改 良 運動 に身 を投 じ
︑イ ギリ ス中 の 監獄 だ けで なく ヨー ロ ッパ 各国 の監 獄 を 視察 し て一 七七 七年 に﹃ 監獄 事情
﹄を 著 し た9
︒︶
そ の中 で
H o w a rd
は︑ 監獄 にお け る犯 罪者 の悲 惨な 実態 を 明ら かに し なが ら︑ 人道 主 義的 かつ 合理 主 義的 な犯 罪者 処 遇を 説い た︒ さ らに 彼は 監獄 の 改良 案 とし て独 居拘 禁 を提 唱し10
︑︶
やが て イギ リス にお け る独 居房 を付 設 した 刑務 所の 建 設に 結び つい た
︒ また
︑北 アメ リ カで は︑ 自由 刑 によ って 受刑 者 を改 善更 生さ せ ると いう
︑改 善 思想 が 影響 力を 持つ よ うに なっ た︒ ク エ ーカ ーの 思想 に 基づ き昼 夜間 独 居で 反省 と悔 悟 の生 活を 送ら せ て改 善更 生を 図 ろう と する ペン シル バ ニア 制︑ 昼間 は 完 全沈 黙の 中で 雑 居・ 労働 させ て 夜間 は独 居さ せ るオ ーバ ーン 制 等の 拘禁 形式 が 考案 さ れた
︒し かし
︑ これ らは 人間 の 社 会性 を無 視し た もの で長 続き せ ず︑ 昼間 雑居
・ 夜間 独居 また は 昼夜 間雑 居の 拘 禁形 式 が一 般化 した
︒ 一九 世紀 の後 半 以 降︑ 自由 刑の 改 革は 拘禁 形式 か ら受 刑者 の処 遇 方法 へと 重点 が 移り
︑累 進制
︑ 分類 制
︑受 刑者 自治 等 の処 遇方 法が 導 入 され た︒ 一方
︑当 時の ド イツ にお ける 監 獄の 実態 は悲 惨 なも ので あっ た
︒一 七七 六︑ 七 八︑ 八 一年 にド イツ 各 地の 監獄 を視 察 し た
H o w a rd
は︑ 残酷 な拷 問が 行 われ てい るこ と や監 房の 汚さ
︑ 狭さ を批 判し て いる11
︒︶
第 二 節 一 九 世紀 の 行 刑 改 革 期 悲惨
な状 態に あっ た ド イツ にお いて 一九 世 紀初 めに 起こ った 監 獄 改良 運動 は
︑
H o w a rd
や
C es a re B ec ca ri a
の啓 蒙 思 想及 び活 動に 影 響を 受け た牧 師 の
W a g n it z
やハ ン ブル クの 医師
12︶
Ju liu s
に よっ て指 導さ れた
︒ま た
︑ク エー カー 教徒 ら の﹁ 愛の 運動
︵
fr ei e L ie b es ta tig k ei t
︶﹂ をド イ ツに おい て展 開 した 宗教 団体 を 中心 と する 保護 団体 に よっ ても 展開 さ れ た︒ 一 八 二六 年に はデ ュッ セ ルド ルフ 監獄 の 教誨 師で あっ た
T h eo d o r F lie d er
に よっ て ドイ ツ最 初の 監 獄協 会で あ
論 説
る ライ ン・ ヴェ ス トフ ァー レン 監 獄協 会が 設立 さ れ︑ 翌年 には ベ ルリ ン保 護協 会 が設 立 され た︒ これ ら の団 体は
︑改 善 施 設と して の監 獄 の理 想像 を掲 げ
︑被 収容 者の 教 育も 行っ た13
︒︶
刑の 執行 に関 す る実 務が 各ラ ン トで 個々 に発 展 して いく 中で
︑ 統一 的な 行刑 法 典制 定 が求 めら れる よ うに なる
︒ド イ ツ では
︑刑 法典 や 刑事 訴訟 法が
︑ 領邦 間の 不均 衡 を解 消し 統一 を もた らす ため や
︑個 人 の権 利へ の国 家 の法 的介 入に 根 拠 をあ たえ るた め に制 定さ れた
︒ 一方 で︑ 刑の 執 行に 関し ては 統 一法 典が 存在 せ ず︑ 法 に拘 束さ れな い 行政 の事 項と し て 通用 して きた
︒ すな わち
︑各 ラ ント は一 般に 命 令に よっ て︑ 言 い換 えれ ば議 会 の同 意 なく して 自由 刑 の内 容と 執行 を 扱 って いる 状態 で あっ た︒ これ に対 して
︑ 帝国 ある いは 連 邦の レベ ルで の 統一 的行 刑法 典 制定 の要 求は す でに 一 九世 紀中 頃に は あっ たと され る
︒ こ の要 求 に応 える 動き は︑ 当 時 のバ ー デン 大公 国に お ける
﹁ ブル フザ ール の 新 しい 男子 監獄 にお け る行 刑 に 関 する 法 律
﹂が 公布 され た 一八 四五 年か ら
︑刑 法典 が発 効 した 一八 七一 年 にか けて 多く の ドイ ツ 諸ラ ント にお い て見 られ た14
︒︶
し か し︑ それ らは 部 分的 には
︑受 刑 者の 権利 と義 務 を法 律に よっ て 明確 にす べき で ある と いう 法治 国原 則 に応 える もの で は あっ たも のの
︑ 特定 の自 由刑 や 施設 にし か通 用 しな い法 律で あ った
︒ま た︑ 行 刑の 改 革の 努力 は︑ 実 施に とも なう 財 政 的負 担を 嫌っ た こと と︑ 教育 行 刑に 冷淡 で刑 罰 の執 行に つい て も応 報思 想に こ だわ る 刑法 学や 刑事 司 法の 立場 から の 妨 げに より
︑統 一 的行 刑法 典制 定 へと 結実 する こ とは なか った
︒ その よう なド イ ツの 行刑 にお け る停 滞し た状 況 にお いて
︑重 要 な出 来事 とな っ たの が
︑一 八七 一年 の 刑法 典の 発効 で あ った
︒新 しい 刑 法典 は刑 罰の 執 行に 関し ては ご くわ ずか の規 定 しか もた ない 上 に︑ 総 則的 規定 しか 含 んで いな いた め に
︑自 由刑 の内 容 が不 十分 であ っ たこ とが 非難 さ れ︑ 統一 的行 刑 法典 要求 の新 た な動 因 とな った ので あ る15
︒︶
しか し︑ こ の 頃の 努力 は成 果 を生 まな かっ た
︒一 八七 九年 に 帝国 政府 によ っ て提 案さ れた
﹁ 自由 刑 の執 行に 関す る 法律 草案16
﹂︶
は独 居 拘禁 を基 調と し た受 刑者 の収 容 と処 置の 規定 を 備え てい たも の の︑ 財政 的影 響 の点 か ら連 邦参 議院 の 抵抗 に遭 い︑ 挫
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913 7
折 した
︒ま た︑ 刑 法は
︑刑 の執 行 の種 類お よび 方 法に よっ て︑ 個 々の 刑罰 に本 質 と内 容 とを 与え るこ と を執 行機 関に 委 任 する こ とに なっ て おり
︑執 行 機 関の 裁量 の余 地を 大 幅に 認め る現 状を 追認 す るも のに 過 ぎ な かっ た︒ こ のよ う に︑ 個 々の ラン トに お ける 様々 な事 情 がそ れま での 行 刑の 統一 化に 障 害と して 作用 し てい た こと から
︑ド イ ツ国 内へ の統 一 的 な法 的規 制の た めに 一八 九七 年 に連 邦参 議院 が
﹁裁 判所 によ り 言い 渡さ れた 自 由刑 の 執行 の場 合に
︑ 更に 一般 的で あ る 規制 に至 るま で 適用 され る諸 原 則17
﹂︶
以 下︑ 連 邦参 議院 原 則︶ を 議決 した
︒し か し︑ 連邦 参議 院原 則は
︑帝 国法 律の 授 権に 基づ くわ け では なか った こ とか ら︑ 各ラ ン トの 協定 によ る 統一 的行 政規 則 に過 ぎ なか った18
︒︶
例え ば︑ 財政 上の 負 担 が大 きい
﹁隔 離 の原 則﹂ を実 現 する こと は︑ 各 ラン トが 可能 と する 範囲 に任 せ られ て おり
︑そ の実 現 は裁 量に 任せ ら れ てい た︒
第 三 節 第 一 章の 小 括 近代
的自 由刑 の 黎明 期に は︑ ド イツ でも 劣悪 な 環境 の下 で刑 の 執行 が行 われ て いた
︒ しか し︑ 一九 世 紀か らの 監獄 改 良 運動 を契 機と し て︑ 刑の 執行 に 関す る実 務が 各 ラン トで 発展 し てい った
︒こ の 動き は
︑行 刑の 発展 を もた らす もの で あ った もの の︑ 一 方で ラン ト間 の 格差 を拡 大す る もの でも あっ た ため
︑統 一的 な 行刑 法 典の 制定 が求 め られ るこ とに な る
︒統 一的 行刑 法 典制 定の 動き は
︑連 邦全 体で 最 低限
︑保 障さ れ るべ き生 活水 準 を模 索 する 試み とし て も注 目す るべ き も ので あっ た︒
論 説
第 二 章 同 化 原 則 の 萌 芽 と 衰 退
⎜ ワ イ マ ー ル 共 和 国 期 か ら 第 三 帝 国 期 ま で
第 一 節 ワ イ マー ル 共 和 国 期 同化
原則 の萌 芽 はワ イマ ール 期 の司 法大 臣
G u st a v R a d b ru ch
に見 出す こと が でき る︒
R a d b ru ch
は師
L is zt
のF ra n z v o n
と 同様 に︑ 刑法 およ び刑 事政 策 に関 して 学問 的意 義 を有 する 著作 を著 して い る︒L is zt
が 刑事 政策 の 一般 原理 お よ び刑 法の 目的 に 重点 を置 き︑ 行 刑の テー マを む しろ 副次 的に 扱 って い る のに 対し
︑
R a d b ru ch
は行 刑に 対 して 並々 な ら ぬ関 心を 寄せ て いた19
︒
R a d b ru ch
︶の 刑罰 観 は︑ 彼自 身が 作 った 一 九二 二年
R a d b ru ch
草案
︵普 通ド イツ 刑法 典草 案20
︶︶
に 示さ れて いる
︒ 草案 は改 善刑 思 想を 中心 に据 え てお り︑ 応報 を 根拠 とす る死 刑
︑重 懲 役刑
︑名 誉刑 の 廃止 を大 きな 特 徴 とし てい た︒ 罰 金刑 が第 一の 刑 罰と して 形成 さ れ︑ 受刑 者の 社 会復 帰に とっ て 有害 な 短期 自由 刑は 後 退さ せら れた
︒ 一方 で︑
R a d b ru ch
は実 務 家と して のバ ラ ンス 感覚 をも 持 ち合 わせ てお り
︑教 育 思 想を 過度 に追 求は し なか っ た︒ そ も そも
︑教 育思 想 に対 して は二 つ の難 点が 見つ か る︒ 一つ は教 育 を必 要と しな い 者は 処 罰す る必 要も な いこ と︑ もう 一 つ は教 育の 困難 な 行為 者︑ とく に 常習 犯人 また は 傾向 犯は
︑そ の 行為 がた とえ 比 較的 重 要で なく とも 彼 が﹁ 治癒
﹂す る ま で不 定期 に長 く 拘禁 され なけ れ ばな らな いこ と であ る︒ 特 に 教 育 を 施 す こ と の 比 較 的 難 し い 犯 罪 者 と し て︑
R a d b ru ch
は 確 信 行 為 者︵
U ̈
b er ze u g u n g st a te r
︶ と 確 信 犯
︵
U ̈
b er ze u g u n g sv er b re ch er
︶を 挙 げる21
︒︶
確 信行 為者 は充 分な 良 心を 持っ た 犯罪 者 で あ るも の の︑ 明 確な 世 界 観 に基 づ い て行 動し てお り
︑自 分自 身に 対 する 反論 の声 に 聞く 耳を 持た な い︒ 確信 行為 者 にと っ て刑 罰は 教育 で はな く︑ 倫理 的 優 越性 を持 つも の とし て観 念す る こと がで きな い
︒確 信犯 は︑ 現 在の 経済 的・ 社 会的 情 勢に 対す る疑 問 の増 大か らの 確 信 の欠 如に 起因 す る犯 罪で あり
︑ 価値 観の 虚無 的 な崩 壊か ら生 じ た犯 罪者 であ る
︒こ の 種の 職業 的犯 罪 者に 対す る教 育
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は
︑強 力な 価値 観 を印 象的 な方 法 で植 え付 ける こ とに よっ ての み 達成 でき る︒ し かし
︑ どの よう な価 値 観も 現実 の経 済 的・ 社会 的 情勢 と 矛盾 する 状態 が 続く 限り
︑刑 罰 を科 され た人 間 がそ の刑 罰を 正 当と 認め ない と いう 有様 は続 く と
R a d -
b ru ch
は 主張 する22
︒︶
さら に︑ 教育 刑は
︑ それ が成 人に 対 する 教育 であ る ため に
︑他 人が 明ら か な意 図 をも って 教育 を施 そ うと する とき に 反抗 を示 すの が 成人 の特 性で あ るこ と︑ まし て その 教育 が強 制 され る もの であ り︑ し かも 刑罰 の意 味 を 持っ てい るこ と が︑ 相互 の信 頼 に基 づく 教育 を 困難 にし てい る とい う問 題を 有 して い る23
︒︶
そこ で
R a d b ru ch
は︑ 一方 で 刑罰
︑他 方で 保 安処 分と いう シ ステ ムを 採用 す るこ とに よっ て この 難題 に 対応 しよ うと した
︒
R a d b ru ch
草 案自 体は
︑ そ れを 審議 した 政 府に よっ て原 則 的な 変更 を加 え られ た上 に︑ 草 案の 内容 も実 現 しな か った もの の︑ 確 信犯 及び 確信 行 為 者を めぐ る考 え 方か らは
︑
R a d b ru ch
の刑 罰観 を垣 間見 る こと がで きる
︒ とこ ろで
︑
R a d b ru ch
は︑ ハイ デル ベル ク での 講師 時代 の 論文 です でに
︑ 行刑 の 現状 を憂 え︑ 改善 思想 の見 地か ら︑ 独 居拘 禁と 雑居 拘 禁と いう 伝統 的 な行 刑形 式の 現 実が もた らす 問 題の 分析 的な 洞 察と
︑ この 問題 を解 決 する アプ ロー チ を 行っ て い る24
︒︶
論 文の 中で
︑
R a d b ru ch
は受 刑 者処 遇に 着眼 し︑
数 年の 間︑ 刑 務所 規 則や 刑務 所職 員の 指 示す るこ と の みに 従う 者は 更 生の 意欲 を忘 れ
︑未 成年 の子 ど もが 処遇 され る よう に扱 われ る 者は 子 ども にな る25
﹂︶
と 述べ た︒ 反社 会 的 な者 を社 会化 す るた めに
︑こ の 者を 市民 社会 か ら隔 離し
︑他 の 反社 会的 な者 と 共に 隔 離す るの が一 般 的で ある もの の
︑ そ のよ うな 試み は うま くい かな い
︒か とい って 宗 教的 起源 に由 来 する と考 えら れ る独 居 拘禁 も︑ 期待 さ れる よう な︑ 法 違 反者 の効 果的 か つ継 続的 な改 善 をな しえ ない
︒ なぜ な ら︑
独 居拘 禁は さび しく 後 悔に 打ち ひし がれ てい る 状態 の中 で 邪悪 な意 思を 打 ち砕 くこ とに ね らい が置 かれ て いる
︒し かし
︑ 大部 分の 犯罪 理 由は 断 固と した 犯罪 を 行う 悪し き意 思 で はな く︑ くり 返 し犯 罪に 帰す る 弱さ であ る︒ 必 要な のは 邪悪 な 意思 を刑 罰に よ って 打 ち砕 くこ とで は なく
︑か 弱い 意 思 に力 をつ ける こ とで ある26
﹂︶
から であ る
︒一 方で
︑ 独居 拘禁 は︑ 人 格 を変 える 可能 性を 有 して はい る︒ し かし
︑ それ は 単に 施設 のた め の改 善で あっ て 生活 のた めの そ れで はな い︒ 房 の中 の受 刑者 の 生活 条 件は
︑自 由な 生 活の 中の 生活 条
論 説
件 と比 較に なら な いほ ど異 なっ て いる ので
︑壁 の 中で の改 善は
︑ 決し て外 側の 行 動へ の 帰納 的推 論を 許 さな いほ どで あ る27
﹂︶
と指 摘 した
︒
R a d b ru ch
は︑ そ の上 で受 刑 者を 社会 化す るた め の二 つの 道を 示す
︒す なわ ち︑
受刑 者 を市 民社 会 と 統合 させ てい く か︑ それ とも
︑ 受刑 者を 他の 受 刑者 とと もに 市 民社 会を モデ ル とし て 構成 され る共 同 体と して 統合 し て いく か28
﹂︶
とい う道 であ る︒ た だ し
R a d b ru ch
は 独居 拘禁 の反 面と し て雑 居拘 禁を 認 容し て い る わ けで は な い︒ 彼 は
﹁雑 居 拘禁 は人 間を 悪 くす る︒ 独居 拘 禁は 人 間を 弱く する
﹂と 述べ てい る︒ そ こで
︑解 決策 とし て︑ 受 刑者 の 生活 条件 が
﹁社 会に おけ る 生活 条件 に可 能 な限 り接 近さ せ られ なけ れば な らな い﹂ とす る
︒特 に 彼は 教育 と同 様 に全 ての 受刑 者 に 対し て︑ 休暇 と 宗教 教誨
︑外 部 交通
︑運 動︑ 新 聞の 閲読 を特 に 重要 と判 断し た
︒そ れ は﹁ 同化 原則 の 完全 な先 取り29
﹂︶
で あっ た︒ この 論稿 が発 表 され たの は︑ 自 由刑 を受 けた 国 民の 一部 の特 別な 憲 法上 の地 位に つい て︑
受 刑者 の法 的 地位
﹂ の確 立 を提 唱し
︑議 論 の端 緒を 開い た こと で有 名な
︑
B er th o ld F re u d en th a l
の 学長 就任 演説
﹁ 囚人 の 国法 上の 地位
﹂ 一九 一
〇年30
︶︶
の 翌年 で ある
︒し かし
︑
R a d b ru ch
は受 刑者 に法 律 上の 地位 を与 え るこ とに 基づ いて 同化 を求 めた わ けで はな か った
︒拘 禁状 態 にあ る犯 罪者 に
︑社 会及 び法 の 相反 する 条件 の 下で
︑社 会的 に 責任 の ある 自由 な生 活 を送 る準 備を さ せ るに は︑ いか な る方 法が 適切 か を思 考し た結 果 であ った
︒彼 は 教育 目的 を原 則 的に 志 向し ては いた も のの
︑自 由の 剥 奪 によ る教 育に は 抑制 的な 態度 を とっ た︒ 彼に とっ て は︑
刑 罰の 概念 は問 題で はな く︑ 犯罪 者を いか に合 目 的的 に取 り 扱う かが 重要31
﹂︶
なの であ った
︒ 国際 人権 法の 文 脈で は︑ 同化 原 則は 人権 保障 に 基づ い てお り︑ また 人 権保 障を 内容 と す べき とも 考え ら れて いる もの の
︑ド イツ にお い て︑ その 萌芽 期 には 人権 保障 の 視点 よ りも 犯罪 者の 合 理的 処遇 が前 面 に 出て いる
︒背 景 には
︑
R a d b ru ch
自 身の 帝 国司 法大 臣と し ての 経験 と︑ 刑 罰に よる 改善 効果 を過 度に 信頼 し ない 客観 的 冷静 さが ある32
︒︶
さら に
R a d b ru ch
は︑ 一九 二三 年 六月 七日 にラ ン ト政 府 の協 定事 項と し て︑
自由 刑 執行 の原 則33
﹂︶
を 公表 した
︒
(84‑4‑ )
917 11
こ の 原 則 の 最 大 の 特 徴 は
︑刑 罰 の 目 的 を 受 刑 者 の 教 育 に 置 き
︑行 刑 の 最 終 目 標 を 受 刑 者 の﹁ 再 社 会
so zi a lis ie ru n g
化︵R e-
︶﹂ に 設定 した こと で あっ た︒ 第四 八 条は
︑受 刑者 に
﹁労 働と 秩序
﹂ への 価値 観を 教 え︑ 犯罪 を 行わ ない よ う﹁ 道徳 的に 強 固﹂ な人 間へ と 教育 する こと が
︑行 刑の 目的 で ある と明 示し た
︒ また
︑ 段 階行 刑︵
S tu fe n st ra fv o llz u g
︶﹂ を導 入し たこ とも 大 き な特 色 で あ る︵ 一 三
〇 条︶
︒段 階 行刑 は
︑受 刑者 の 道 徳的 向上 を目 的 とし
︑受 刑者 の 内的 変化 の程 度 によ って 刑罰 を 緩和 し︑ また 優 遇措 置 が付 与さ れる
︒ より 高次 の段 階 に 進む ほど 刑罰 の 緩和 や優 遇措 置 の内 容が 拡大 さ れる
︒ 刑務 官の 教育 に つい て規 定し て いる こと も特 筆 する べき 点で あ る︒ 第九 条は
︑ 専 任刑 務官 には 刑 務所 の事 務に 対 し︑ 理 論及 び実 務に 関 して 研修 を受 け た者 に限 り任 命 され るも のと
﹂ し︑ また
﹁実 務 研修 は 刑務 所の 事務 の すべ ての 細目 を 根 本的 に習 得さ せ るべ く理 論上 の 研修 は特 に被 拘 禁者 の考 査及 び 取り 扱い に対 し 価値 あ る範 囲に おい て 教育 学及 び精 神 病 学上 の問 題に 及 ぶも のと する
︒ また
︑釈 放さ れ た受 刑者 に対 す る保 護の 領域 に つい て 特に 重き を置 く もの とす る︒ 刑 務 官吏 に対 して は なお 刑事 法及 び 刑事 手続 法の 原 理に 関し 教育 をし な いこ とは 許さ れな い︒
﹂と 定め てい た︒ 同化 原則 実 現の 担い 手と な るべ き刑 務官 に 対し て︑ 従来 の よう に刑 法及 び 刑事 手続 法の み が研 修 の主 たる もの と され てい ない 点 が 注目 に値 する
︒ 教育 思想 の前 提 とし て受 刑者 の 生活 の一 般社 会 との 同化 を強 く 押し 進め てい た
R a d b ru ch
の改 革 努力 は
︑各 ラン トで も 追求 され た︒ 例 えば
︑ド イツ 最 大の ラン トで あ った プロ イセ ン は︑ 一九 二三 年 八月 一 日に 前記 一九 二 三年 の原 則を 具 体 化し た﹁ 服務 及 び執 行規
P re u ß en v o m 1. A u g u st 1 92 3
則︵D ie n st - u n d V o llz u g so rd n u n g fu r d ie G ef a n g en en a n st a lt en d er J u st iz v er w a lt u n g in
︶﹂ を公 布し た︒ こ こで は︑
精 神的 道 徳的 向上
︑健 康 と労 働力
﹂を 維 持し
︑ 釈放 後の 秩 序 ある 法に かな っ た生 活へ の教 育
﹂を 目指 すと さ れ︑ 受刑 者の
﹁ 再社 会化
﹂の 原 則が 採 用さ れて いた34
︒︶
次い で︑ 一九 二 九 年六 月七 日の 省 令で
︑プ ロイ セ ンに おけ る﹁ 累 進処 遇令 に関 す る命 令﹂ を発 布 し︑ 累 進制 度適 用の 可 否に よっ て受 刑
論 説
者 を分 類し
︑タ イ プ別 の収 容所 に 収容 する 仕組 み が提 示さ れた
︒ テュ ーリ ンゲ ン も一 九二 三年 原 則に 倣っ て一 九 二四 年五 月二 四 日に
﹁服 務及 び 執行 規 則﹂ を定 めて い た︒ 五二 条一 項 で は︑
す べて の段 階で 受刑 者 の教 育 に向 け て 従 事さ れ ね ば な らな い︒ 受 刑者 の 教 育 は︑ 段 階 行 刑 の枠 組 み に おい て 個 々の 人格 への 影 響を 通し て行 わ れる35
﹂︶
と 定め
︑ 段階 行刑 の導 入 を明 確に して い た︒ 中で も︑ テュ ー リン ゲン 南西 部 に位 置す るウ ン ター マス フェ ル ト監 獄は
︑こ の 時代 の 同化 原則 の実 務 上の 例と して 注 目 され る36
︒︶
教育 刑 の様 々な 実験 的 試み を行 った こ とで も知 られ る ウン ター マス フ ェル ト 監獄 では
︑受 刑 者の 自治 を採 用 し
︑受 刑者 は観 察 級︵
B eo b a ch tu n g ss tu fe
︶︑ 処遇 級︵
B eh a n d lu n g ss tu fe
︶︑ 保護 級︵
B ew a h ru n g ss tu fe
︶ の三 段階 の処 遇 を受 ける こと に なっ てい た︒ 各 級に は世 話人
︵
F u rs o rg er
︶と して の職 員が 付け ら れて おり
︑彼 は 日々 の 生 活の 指導 者 であ ると 同時 に ソー シャ ルワ ー カー とし ての 職 務を 担っ てい た
︒ 制度 の概 要は 次 のよ うな もの で ある
︒受 刑者 は まず 観察 級に 六 か月 間入 る︒ 一 日の 大 半を 労役 作業 に 従事 する こと で 過 ごし
︑そ れを 通 して 自己 規律 を 学び
︑釈 放後 に 仕事 を見 つけ ら れる よう に訓 練 を受 け た︒ それ から 処 遇級 に移 る︒ 受 刑 者は
︑日 中は 雑 居拘 禁で
︑夜 間 は独 居拘 禁と な る︒ 雑居 拘禁 の 間は 労役 が課 さ れ︑ 週 に二 回は 運動 を する 機会 が与 え ら れた
︒そ の他
︑ 合唱
︑弦 楽合 奏 団︑ 吹奏 合奏 団 など の音 楽グ ル ープ の結 成︑ ラ ジオ の 共同 聴取
︑所 内 新聞 への 参画
︑ 日 曜日 の休 息時 間
︑受 刑者 図書 室 の設 置な どが 試 みら れた
︒さ ら に︑ 将来 良好 な 生活 を 送る こと がで き ると 見込 まれ た 受 刑者 は︑ 保護 級 に進 んだ
︒日 中 は農 業に 従事 し
︑夜 間は 鍵の か けら れた 部屋 に 居な け れば なら ない も のの
︑受 刑者 は 可 能な 限り 自由 な 社会 での 生活 と 同様 の扱 いを 受 ける こと がで き た︒ 自治 は保 護 級で 初 めて 許さ れ︑ 受 刑者 は独 自に 委 員 会を 結成 し︑ 自 由時 間を どの よ うに 使う かと い うこ と を自 分た ち自 身で 決 定す るこ とが でき た︒
移 行施 設﹂ で は︑ 出 所後 の受 刑者 の 生活 を考 慮し て ほと んど 外部 と 同じ 生活 を送 る こと がで きた
︒ この よう に︑ ウ ンタ ーマ スフ ェ ルト 監獄 での 生 活は
︑他 のラ ン トで の累 進制 度 から 抜 きん 出て 多く の 自由 が認 めら れ
(84‑4‑ )
919 13
て いた
︒そ れゆ え
︑こ れら の措 置 は﹁ 刑務 所生 活の 社会 にお ける 生 活状 態へ の漸 進的
︑段 階的 な同 化37
﹂︶
を 意味 し︑
時 代 には るか に先 ん じて いた38
﹂︶
と評 価さ れて いる
︒ とは いえ
︑ウ ン ター マス フェ ル トで の取 り組 み が総 じて 肯定 的 に評 価さ れた わ けで は ない
︒そ れら は 従来 の応 報的 な 刑 罰観 に急 進的 な 変化 を迫 るも の であ った ため
︑ 受刑 者に 日々 相 対す る現 場の 刑 務官 か らも 不評 を買 う こと とな った
︒ 刑 務官 の一 人は
︑ 教育 刑が 導入 さ れて 以来
︑受 刑 者の 反乱 や刑 務 官に 対す る暴 力 が相 次 ぎ︑ 現在 の非 暴 力的 で教 育的 な 行 刑で は全 く抵 抗 でき ない こと を 訴え る書 状を テ ュー リン ゲン の 司法 省に 書き 送 って い る39
︒︶
また
︑他 の ラン トの 行刑 指 針 も再 社会 化の 要 素を 認め なが ら
︑同 時に
﹁刑 罰 の害 悪﹂ を与 え るこ とや
﹁秩 序 と規 律
﹂の 維持 が目 的 とし て残 され
︑ 応 報的 な刑 罰観 を 保持 する もの で あっ た︒ この よ うに 各ラ ント に おい て一 九二 三 年原 則 の実 質的 な導 入 は進 まな かっ た
︒ そ の理 由と して は
︑一 九二 三年 原 則が あく まで ラ ント 政府 間の 協 定事 項に 過ぎ ず
︑法 律 とし ての 地位 を 有し てい なか っ た こと が考 えら れ る︒ 一方 で︑ ワイ マ ール 共和 国諸 政 党も 社会 との 同 化の 努力 を行 っ てい た︒ 当時 の ドイ ツ 社会 民主 党︵ 以 下︑ SP D︶ の 行 刑政 策は 基本 的 に再 社会 化思 想 によ って 特徴 づ けら れる
︒S P Dは 当時 の刑 務 所に お ける 受刑 者の 孤 立し た生 活状 態 を 問題 視し
︑教 育 思想 の見 地か ら 社会 との 同化 を 求め た︒ 具体 的 には
︑沈 黙の 規 則︑ 独 居拘 禁及 び多 く の懲 戒処 分の 廃 止 を求 めて 努力 し た40
︒︶
SP Dの 提 案は
︑結 果に お いて は﹁ 一般 的 な生 活状 態﹂ と の距 離 を縮 める 十分 な 成果 をも たら す こ とが でき なか っ たも のの
︑他 の 政党 に比 べる と改 善思 想を 貫い て 積極 的な 提案 を行 った こと から
︑ イ デ オロ ギー 上 の 先駆 者と して の 役割
﹂を 果た し たと 評価 され る41
︒︶
その 他
︑ド イ ツ共 産党 は︑ 労 働︑ 教 育︑ 生活 の領 域 で︑ 書籍
︑新 聞
︑ ラ ジオ のよ り多 く の利 用と 配偶 者 との 接見 に関 し て︑ 社会 との 同 化を 求め た42
︒︶
教育 刑に よる 行 刑の 改善 は︑ 国 全体 で追 求さ れ るも のと して 考 えら れて いた こ とか ら
︑ワ イマ ール 共 和国 の時 代の 行 刑 法制 定の 試み は 近い 将来 結実 す るよ うに 思わ れ た︒ しか し︑ 統 一的 行刑 法典 制 定の 動 きは
︑一 九三
〇 年の 帝国 議会 の
論 説
解 散に よっ て頓 挫 する こと にな っ た︒ 第 二 節 第 三 帝国 期 ワイ
マー ル共 和 国の 行刑 に関 す る改 革努 力の 挫 折に 追い 打ち を かけ たの は国 家 社会 主 義の 台頭 であ っ た︒ 一九 三二 年 七 月の 選挙 でナ チ ス党 が第 一党 と なる と︑ 三三 年 に入 って から の 数か 月で
︑各 ラ ント に おい てそ れま で 行刑 改良 に貢 献 し てき た進 歩派 が 一掃 され るこ と にな った43
︒︶
ナチ スの 行刑 思想 の 影響 は︑ ラン ト の法 律 にも 表れ た︒ 例 えば
︑一 九三 三 年 のプ ロイ セン の 新し い行 刑規 則
st iz v er w a lt u n g , d en 1 . A u g u st 1 93 3
︵D ie n st - u n d V o llz u g so rd n u n g fu r G ef a n g en en a n st a lt en d er P re u ss is ch en Ju -
︶は
︑ 受刑 者 の生 活状 態に つ いて
︑ド イツ 市 民の 職 を失 って いる も の以 下の 水準 で な けれ ばな らな いこ とを 定め てい た︵ 一七 条︶
︒ま た
︑懲 役囚
︵
Z u ch th a n g sg ef a n g en e
︶ には 二か 月に 一度 の 発信 また は 受信 しか 許さ れ なか った
︵一 九 条︶
︒ 一方
︑連 邦レ ベ ルで は︑ 一九 三 四年 に公 布さ れ た﹁ 自由 刑の 執 行並 びに 自由 剥 奪を 伴 う保 安及 び改 善 の処 分の 執行 に 関 する 命令44
﹂︶
が︑ それ まで の教 育 思想 を転 換し
︑ 刑罰 目的 に威 嚇 と応 報を 再び 導 入す る こと を明 確に し てい た︒ 行刑 に 関 して は︑
自 由剥 脱 は︵
⁝︶ 受刑 者 にと って きび し い害 悪と なる よ うに 形成 され な けれ ばな らな い
﹂ 四八 条一 項︶ こ と が確 立さ れ︑ 受 刑者 の生 活態 度 は︑ 最下 層の 国 民の 生活 以下 で なけ れば なら な いと さ れて いた
︵一 七 条︶
︒ さら に︑ 一九 四
〇年 の統 一行 刑 令45
で︶
は︑ 民族 共 同体 の一 員と し ての 改善 が説 か れた
︒ 第
四八 条
⑴ 自由 刑 の執 行 によ り︑ 民族 が 保護 され
︑実 行 され た不 法が 贖 われ
︑新 しい 可 罰行 為 の実 行が 妨げ ら れな けれ ばな ら
(84‑4‑ )
921 15
ない
︒
⑵ 特に 執 行が 目 的と する のは
︑ 刑務 所生 活一 般 の印 象に より
︑ また
︑厳 格な 有 用労 働 や規 律及 び秩 序 への 習慣 づけ に より
︑受 刑者 に 働き かけ るこ と であ り︑ 改善 能 力の ある 受刑 者 に︑ 自由 な生 活 に戻 っ た時 に民 族共 同 体の 有用 な構 成 員と して 適合 し てい くよ うに 訓 練す るこ とで あ る︒ この
時期 の行 刑 は︑ 自由 刑の 過 酷さ を強 調す る よう に構 成さ れ
︑内 面に おけ る 反省 を 激し く迫 る点 に 特徴 があ る︒ ま た
︑民 族共 同体 の 名の 下に
︑労 働 と規 律秩 序へ の 習慣 づけ によ っ て有 用な 人間 に 矯正 す るこ とを 目指 し てい る︒ 第 三 節 第 二 章の 小 括 以上
から
︑ワ イ マー ル共 和国 期 は︑ 上か らの 教 育刑 の理 念の 押 し付 けに 対し て
︑各 ラ ント や第 一線 に 立つ 刑務 官か ら は 反発 が強 かっ た 一方 で︑ 行刑 改 革の 意識 も強 く 見ら れた 時代 で あっ たと 総括 で きる
︒ しか し︑ その 後 のナ チス 行刑 の 基 本的 発想 は︑ 受 刑者 の内 面へ の 干渉 や︑ 労働 と 秩序 維持 への 習 慣づ けを 肯定 す るも の であ り︑ つら く 厳し い受 刑生 活 を 志向 する もの で あっ た︒ 仮に そ れら の思 想に 類 似し た考 えに 基 づく 行刑 が過 度 に追 求 され るの であ れ ば︑ どの よう な 行 刑と なり 得る の かを ナチ ス行 刑 は示 して いる と 言え よう
︒ 5
︶Vgl.Theodor von Hippel,Beitrage zur Geschichte der Freiheitstrafe,ZStW Bd 18,1898,S.419ff.
6
︶ ド イ ツ にお け る懲 治 場の 展 開に つ い て︑ ヴ ォル フ ガン グ・ ゼラ ー ト︵ 石 塚 伸一 訳
︶ ド イ ツ刑 事 司法 史 にお け る自 由 刑 の起 源 と 展 開に つ い て﹂ 北 九州 大 学法 政 論集 一 八 巻二 号
︵一 九 九〇 年
︶三 五
〇 三 三 五頁 を 参 照︒
論 説