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一 十九世紀会計史

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(1)

十 九 世 紀 会 計 史 の 構 図

茂 木 虎

自 次

一商業資本の損益計算より産業資本の損益計算への転回二資本主義の発展と固定資本概念の形成三十九世紀のイギリスにおける会計事情

四株式会社企業の発展と企業会計

t

カミ

われわれは﹁十九世紀会計史の構図﹂と題して︑資本主義の母国とか︑産業革命を他国にさきがけて自生的に展開

した国といわれるイギリスの十九世紀に焦点を集めて︑︿近代会計﹀の成立過程の歴史的分析を行い︑問題の所在を

明らかにしようとおもう︒その方法論的考察である︒

複式簿記は成立以来︑約七百年の歴史をもっている︒十四・五世紀の北イタリアで︑前期的商業資本の口別損益計

算の手段として形成されたものであった︒

複式簿記の生成は同時に確立である︒﹁単なる勘定記入が︑複式簿記へ発展結実した第一段階が資本主資本

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十九

世紀

会計

史の

構図

C七

(2)

十九

世紀

会計

史の

構図

O八

J}})を中心とする勘定の体系化の形成であったとすれば︑

(1

術化の形成であるといえよう﹂︒勘定の体系化は北イタリアで複式簿記の成立した時点でなされていた︒勘定の体系 ﹂れに次ぐ第二段階は複式簿記の記帳技

化によって︑体系性が寸貸借平均の理﹂を内包してくる︒これは今日においても貫いている︒複式簿記の記帳技術的

発展は手記式簿記のみならず機械簿記へと進むが︑簿記思考の基底には依然として等式関係(借方H

貸 方 と い う 関

係)思考が存在し︑全く変化がない︒これはA・

c ‑

リトルトンの会計発達史にあらわれた考え方であるが︑複式簿

記の社会的機能は歴史の発展に応じて全く異なってきている︒十四・五世紀︑十七世紀︑十九世紀︑二十世紀とそれ

ぞれの段階における簿記・会計問題の内容は単に算術的等式公理の企業簿記的発現である複式簿記の形式的発展過程

を分析するのみでは解明きれなくなってきている︒

会計史研究は複式簿記という計算手段目技術それ自体の歴史的分析をこえて︑それらの社会的機能を把握しようと

するところから始めねばならない︒従来の会計史研究︑すなわち会計史学史をふりかえるとき︑あまりにも多くの比

重が前者にかかり︑会計史は複式簿記の技術史としてあらわれた︒複式簿記史が勘定の体系化過程史として十嗣・五

世紀の北イタリアに焦点を求めて行論された︒

会計史という名で複式簿記史が研究されてきて︑七十年の歴史をもっている︒それは主として複式簿記の計算機構

を勘定組織とみて︑その形成H体系化過程としての分析であった︒

表され会計史研究の先鞭がつけられた︒ しかし一九三五年に前述のリトルトンの一研究が発

一九三三年(昭和八年)頃のわが国は︑複式簿記の本質論争がたたかわされ

ていた︒木村和三郎教授と黒海清教授の論争︑これはそれぞれ﹃銀行簿記論﹂と﹃簿記原理﹄にまとめられる︒

に太田哲三教授︑木村重義教授によって論ぜられた︒複式簿記の基礎理論について空前絶後の花を咲かぜたのであっ

(3)

た︒複式簿記史の研究も複式簿記本質論の一子段としてなされた面がある︒このような状態で︑まだ会計史は必ずし

も意識されていなかった︒

第二

次大

戦後

昭和二十五年に山下勝治教授は損益計算発達史として会計史を展開された(﹃損益計算論

l

l損益

計算制度の発達

li

﹄・泉文堂版)︒これは従来の会計史の方法から一歩進んだもので︑会計史のあり方の一つの方向

を示したものであった︒十七世紀のオランダ︑十九世紀のドイツ・イギリス︑その二十世紀への発展にまで問題を求

めている︒とくに十七世紀分析に功績があり︑十九世紀・二十世紀にかけては会計実践史というよりは会計学史の性

格をもっ研究であり︑ドイツ会計学に対象を求めた︒この点について会計実践史としての展開はどうあるべきかとい

う問題が残る︒小島男佐夫教授は昭和三十五・六年頃より︑今後の会計史研究の焦点は十七・八世紀の分析が中心と

なるとされている︒

会計史研究は従来の成果にたって︑十四・五世紀分析をさらに深めてゆく方途ハ泉谷勝美教授の﹁中世イタりア簿

記史

論﹄

︑﹁

ルカ

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lリに関する若干の問題﹂﹃経営経済﹄4

︑﹁

複式

簿記

の生

成﹂

﹃経

営経

済﹄

3等)と︑他方

に十七・八世紀の分析に向うものとある︒この方向の発展としての十九世紀︑二十世紀については原価計算史家が多

く問題としてきたが︑改めて会計史として問題とする必要がある︒

北イタリアの十四・五世紀は口別計算段階で︑オランダの十七世紀に期閣計算が成立してくる︒期間計算において

口別計算になかった決算評価が問題となってくる︒オランダで二ハOO

年に

D・Rの貸借対照表といわれる決算

貸借対照表が作られてくるが︑まだ口別計算的性格が強い︒期間計算的評価が決算語価として形成されてくるが︑そ

の対象となるものは今日いう﹁流動資産しが多かった︒産業資本の循環が問題となって固定資産が認識されてくる︒

十九

世紀

会計

史の

構図

O九

(4)

十九

世紀

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史の

構図

二 ︒

われわれは産業資本の会計問題をイギリスにそくして考察したいとおもう︒固定資産会計こそ近代会計の中心に位

すると考えるものであるが︑資産H資本に二つの回転速度の異なるものがあることを知ったときが近代会計の出発点

ではなかろうかと考える︒回定資本認識はは直ちに減価償却計算に結びつくものではないが︑減価償却思考の生成基

盤は固定資本(概念)の成立にあった︒この関係がイギリスにおいてはどのようにして現われるのであろうか︒︿十

九世紀﹀はリトルトシのいう会計発展における栄光の世紀であるが︑十九世紀を産業革命期︑産業資本主義期︑そし

て独占資本主義への移行期とに分けて考察してゆくが︑その典型を一ぷすものはイギリスではないかと考える︒その基

民には国民経済形成方の問題がある︒独占移行期が産業資本主義段階と異なり﹁会計﹂を本来的に問題とするが︑問

国組の所在をアメリカ︑ドイツに求める必要がある︒この間の会計事情分析︑か本稿の課題である︒

十九世紀のイギリスにおける会計実践の構造分析と︑︿イギリス会計学Vの構造的基底の考察が本稿の課題であっ

て︑近代会計思考と近代会計学の論理の歴史的分析を行いながら︑リトルトンのいう八十九世紀﹀の会計史的な意義

を明らかにしてゆきたいとおもう︒

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達史

﹄第

十章

資本

主簿

記二

四七

頁 商業資本の損益計算より産業資本の損益計算への転回

腹式簿記は資本の簿記として形成された︒資本は利潤追求を目的とするが︑その計算手段として複記式簿記が機能

する

(5)

資本はまず前期的資本として存在した︒

近代

H資本主義以前に存在するもので︑価値法則の未貫徹状況において価

格差利潤を求めるものであった︒これがワンダーホ1ゲル的経営で遠隔地貿易を営み︑

シュ

1

レン

バッ

ハのいう

﹁口別計算﹂がなされた︒すぐれて商業資本の取引であって︑その取引が営業活動のすべてであり︑会計計算の対象

であ

った

︒こ

の取

引の

計算

たとえば胡槻取引とか毛織物取引とかのそれぞれの口別に損益計算がなされたもので︑

ロ別取引の全体としての企業の綜合的利潤を把握することを必要としなかったし︑目的ともしなかった︒これが十三

・四・五世紀の商業経営の特色であって︑そのなかに複式簿記という計算機構ができあがってきたのである︒

この実践のうえにルカ・パチョlリの簿記室田が成立した︒世界最古の簿記書であるが︑記帳技術の解説論であっ

た︒今日︑簿記学H

簿記

論︑

また会計学の社会科学への昇華を問題とする議論がなされてきている︒この学問の方法

は社会科学的展開はなしうるかもしれないが︑簿記学は直ちに社会科学であるか︑またなりうるかは検討さるべきで

ある︒この見地から十九世紀︑二十世紀の会計学はその性格が問題とさるべきであるが︑パチョ1リ簿記論も技術解

説論としてグンストレi

レで

はあ

りえ

ても

ピィッセンシャフトではなかったのである︒

簿記論はクンストレlレとして展開されてきた︒この発展過程を社会科学の方法によって分析することは必要なこ

とで

ここに会計史・会計学史が成立してくるのである︒会計学の学問的体系には︿利殖の学﹀としての性格がつき

まとう︒その歴史は利殖の方法論として展開されてきた︒今日︑﹂れを批判して新しい体系を築こうとする方向が出

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批判

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計学

派の

形成

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クン

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lレとしての簿記技術論に対して︑会計学が問題となった時点はどこか︒会計学は貸借対照表評価論と

して︑株式会社形態をとる産業資本のなかである︒この成立時点は産業資本主義段階というよりも巨大株式会社の機

十九

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会計

史の

構図

(6)

十九

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構図

能する独占資本主義の形成過程であった︒この仮説を−証明してゆく一つの試みが本稿であるが︑貸借対照表論はドイ

ツにおいて評価論を中心に形成された︒しかし︑貸借対照表は企業の財産一覧表として期間損益計算と同次元に存在

する︒この形成時点は十七世紀初頭のオランダであった︒会計学は評価論としてドイツに成立するが︑なぜイギリス

において形成されなかったか︒

期間損益計算は前期的商業資本のうちに形成された︒等しく前期的商業資本の機能下にあるとはいえ︑

オラ

ソダ

十七世紀は十五世紀のイタリアとは経済事情が具なっていた︒十七世紀のオランダの商業は毛織物取引を中心とし︑

十五世紀のイタリアにおいては胡栂取引であった︒前者のうちに期間計算が形成されてくるのであったが︑後者は口

別計算に終始した︒崎川概中心取引はその取扱の量的拡大のみでは期間計算をうみだすものではなかった︒

両者とも等しく仲立商業的機能を営むが︑

アでは白然的ないしは農産物を取引したのであった︒工業生産に関連する商業資本のうちに期間計算が必要視されて

オラ

γダでは工業生産物としての毛織物を取引したのに対して︑

イタ

くるのであった︒しかし十七世紀初頭では資本の回転に二種あること︑すなわち流動資産と固定資産の区別があるこ

とはまだ認識されていなかった︒オランダの十七世紀では会計的には︑まだ固定資本H固定資産概念はなく︑今日い

う流動資本のみの資木構成であった︒これが資本の実体であった︒

固定資本の損益計算への関連認識が近代会計を成立させる︒近代会計は閏定資産会計を中核とする︒これがいかに

して認識され︑会計計算に組み入れられるか︒ここを明らかにするのが十九世紀の会計史である︒

前期的資木は︑商業資本の営みをするが︑そのなかには貨幣取扱資本と商品取扱資本という双生児があった︒それ

らのなかで複式簿記は形成されるが︑前者から一﹁銀行簿記﹂が︑後者から﹁商業簿記﹂が具体化する︒

﹁工

業簿

記﹂

(7)

は工業資本の循環運動を計算的に把握するが︑存在基盤には産業資本が成立していなければならない︒産業資本は工

業資本として具体化するが︑その範ちゅう的確立は資本主義の胎内であった︒

前期的資本は資本主義以前に存在するものであるが︑産業資本への転回が近代目資本主義形成史である︒それぞれ

の段階に適合的な企業資本が存在し︑それに対応的に計算制度が展開する︒十四・五世紀のイタリア前期的資本の胡

椴取引は口別損益計算を展開させ︑そのなかで複式簿記を成立させた︒十七世紀のオランダ︑

フラ

γスも前期的資本

の段階であるが︑向上してくる生産力に裏付けられた商業資本で︑まだ口別計算的性格を極めて濃厚に残している

が︑期間計算が意識されてきた︒前期的資本の体制下で期間計算が形成されてくる点は注目すべきであり︑これに対

応した簿記計算H決算手続きが形成されてきた︒ここに複式簿記が本来的に確立したともいえる︒

期間計算の発展は決算貸借対照表を作りあげる︒決算評価の問題が口別計算段階においては存在しなかった︒十四

‑五世紀に形成された複式簿記が︑資本の簿記としての一貫性をもって︑それぞれの段階に機能する︒複式簿記は資

本の簿記であるとすれば︑資本主義社会が本来的な存在の場であるが︑まず成立したところは封建社会であった︒封

建社会末期の前期的資本の胎内で複式簿記を形成させたが︑それは経営管理手段として機能し︑そのなかで利潤が算

出された︒それが期間計算として問題となってくるが︑今日の会計の基底には期間損益計算がある︒

前期的資本の胎内で口別計算が期間計算へと発展する︒これは商業資本の計算の発展である︒

社会進化の歴史的発展は封建社会より資本主義へと転回する︒資本主義は前期的資本の量的な発展でなく︑むしろ

異質的な産業資本が中核的に機能するところである︒前期的資本は利潤を搾出するが︑産業資本はみづからの胎内に

ここで剰余価値H利潤を創出する︒生産過程をふくみ︑

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構図

一 一

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構図

一一

封建社会の経済的基礎過程と産業資本のそれは本来的に敵対的関係にある︒産業資本は前期的資本の発展として成

立したものでなく︑系譜的断絶があった︒近代化の西欧・アメリカ型の途を歩んで形成される資本主義︒これが資本

主義の自生的発展であるとされ︑イギリスにその典型を見出す︒

十五世紀より二十世紀への発展を把握しようとするとき︑それぞれの段階でイタリア︑オランダ︑イギリスへと視

点をかえてきているが︑そこには等しく複式簿記という計算技術が継承されてきている︒

前期的資本と産業資本の関連︒連続性を示すものは資本主義発展における後進性を示す国であり︑断絶性を示すも

のが先進性を示す国である︒われわれが会計史の世界史的把握をしようとするとき︑断絶性を示す先進国日イギリス

を問題とせねばならなかった︒資本の系譜的断絶性と複式簿記の継承性︒複式簿記は前期的資本の胎内ですでに形成

されてきた︒資本のあるところどこでも適用されうる︒

複式簿記は一たび成立すると超歴史的に損益計算手段として機能するものであろうか︒超歴史性というとき︑資

本・資本主義の存在は必ずしも前提とはならないという考え方も成立する︒社会主義社会に複式簿記は存在しうるか

どうかという問題である︒複式簿記は資本の利潤計算手段としての歴史的制約をもって今日機能している︒たしかに

借方総計は貸方総計に等しいとうこと(貸借平均の原理)それ自体は数学的・抽象的公理を基礎として成立している

が︑その原理を内包した複式簿記は歴史的・具体的な経済事象の把握を目的として出現したのである︒これによって

損益計算を行う︒その算式は︿荷齢│醐迫H

謹臥

V

と示

され

るが

それぞれの内容が歴史的に規定されるのであっ

n‑

口別計算のもとにおいてはこの算式が純粋にあらわれる︒純粋といういみは︑収益・費用概念が収入・支出概念と

(9)

一致することである︒これは︿湾臨i

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計算に複式簿記が機能するが

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である︒収入H収益︑支出H費用という概念がイコールで結び得なくなるところに期間計算の成立を知る︒収支部分

で損益計算に操込れない部分︑か生ずるところが近代会計の出発点でもあり︑貸借対照表の成立点となる︒

期間計算においては︑複式簿記を基底とすると︑

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という損益計算の除外・繰越部分の算式の二つからなる︒純利益は両者から︑資

本運動の軌跡としてまた企業資本の在高比較計算として示される︒純利益数値が損益計算︑在高計算の両面より算出

される簿記構造に複式簿記の特色がある︒これが今日の一損益計算の構造図式であるが︑在高計算は口別計算段階では

現金の増減比較計算であるにすぎなかった︒口別計算にはロ別計算に応じた勘定体系が︑期間計貨には期間計算に応

じた勘定体系を含んで複式簿記が形成された︒損益計算の発展は口別損益計算より期間損益計算へという図式で現わ

される︒十七世紀が転回の一つの画期を示すものであるが︑﹂れらの勘定が一挙に期間性をもつものではなく︑ある

ものは依然として口別計算性を保っとか︑またあるものは︑すでに期間性を示すとか一時点においては種々の展開を

してくる︒簿記が口別計算にたっか︑期間計算によるかを区別する指標は商品勘定の性格を吟味することによって判

明す

る︒

商品勘定は商業資本の損益計算の中心に位するむこれは︿ロ別・商品名商品勘定

V 1 1 i

八一般商品勘定Vi←八三v

分割商品勘定

V

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る︒

口別・商品名商品勘定は口別損益計算段階に存在するものであり︑

十九

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史の

構図

一一

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史の

構図

一一

四O年のゼノア財務庁簿記の胡栂開定を典型とする︒一般商品勘定の出現は期間計算の成立に対応ずるものである︒

簿記計算においては期間性と総括性がどういう関係にあるか︒逆に口別性H個別性と非期間性がどういう関連をもっ

か︒従来ば期間計算と総括計算は同義的に考えることが多かった︒その例としては山下勝治教援の﹃損益計算論﹂(昭

お・泉文堂)がある︒しかし口別計算についてはあまり研究が進んでいない︒伺別性という理解と非期間性という理

解が混在しているが︑両者の併存に口刷計算の性格の特性がある︒

一般的商品勘定の成立は期間損益計算の形成でもある︒これは十七世紀のオラソダでなされた︒期間的総括的商品

勘定の発展として商品勘定は三分割されて︿る

il

仕入勘定︑売上勘定そして繰越向品勘定の成立となる︒新芽は古

くか

らあ

るが

これを十九世紀のイギリスに求めたいとおもう︒産業資本の流通過程に位する商品勘定である︒

十七世紀のオランダ︑ト九世紀のイギリスは等しく︿期間計算﹀のうえにたつが︑﹂こには決定的な損益計算の差

がある︒すなわち前者は商業資本で︑前期的資本の循環のうえに形成されるが︑後者は産業資本で︑資本主義の胎内

で形成されるものである︒

資本主義は産業資本の循環運動を中核として形成される︒﹁産業資本を基軸として構築されたところの特殊歴史的

主義的な生産関係︑ な再生産機構﹂としての資本主義は﹁特殊近代的な生直方が化体せられていると同時に︑それは厳密な意味での資本

即ち賃労働関係の上にうち立てられている﹂︒産業資本の循環も窮極的には剰余価値H

利 潤 の 収

みずからの胎内に八資本の生産過程﹀をもって剰余価値を生虚しているのである︒これぷ中心で︑商業

資本は産業資本に従属して実現のための一補助機能をはたすこととなる︒ 得

にあ

るが

十九世紀のイギリスを問題とするとき︑商業資本の商菜簿記的な商品勘定の三分法は︑産業資本の工業簿記的な製

(11)

造勘定との関連で把握せねばならぬ︒

原価との差違を生ずる︒単純に三分法のみを問題としても本質は明らかにならない︒産業資本を中核とする勘兵体系

の構造・性格を改めて問題としてゆくところに︑近代会計学の構造が明らかになるのである︒損益計算はすぐれて資 ﹁損益勘定﹂の性格規定の問題である︒減価償却費の取扱いの問題が︑損費と

本の流通過程にたつが︑十七世紀は商業資本に︑十九世紀は産業資本に規定される︒

1︶ 

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研究

﹄第

九章

損益

勘定

に関

する

一考

察五

・六

節参

照 資本主義の発展と固定資本概念の形成

十八世紀末より十九世紀の三十年代にかけて︑

イギ

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国に

さき

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て︑

しかも自生的に︿産業革命﹀を遂行

した︒すでに八市民革命﹀は完成しており︑そのうえに産業草命が行われて︑︿資本主義﹀が確立した︒体制として

の資本主義の成立に対応する個別資本の経営は︑仕事場が工場に変ってくる︒工場制工業の成立は個別資木の規模を

拡大すると同時に︑資本の有機的構成を高度化した︒資本の循環過程に生産過程を包含し︑その構成素材の回転が商

業資本の循環と異なってきた︒流動資本と固定資本の回転速度日様式の差が明確化してきた︒また産業資本としての

個別資本の再生産過程

11

lそれは拡大再生産をめざすが||に資本主義の発展がみられる︒

産業革命はその完成の指標として過剰生産恐琉を招来する︒これが一八二五年恐慌であって循環性恐慌の出発点と

一八二五年の第一次資本主義恐慌である︒資本

主義恐慌の最初の勃発は資本主義的再生産軌道の確立H産業資本の確立を一ホすものであ訂ご﹂れが一八二五年恐慌 hhAn− ︒

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﹁産

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結果

H資本主義経済確立の最も確かな表徴は︑

十九

世紀

会計

史の

構図

一一

(12)

十九

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史の

構図

一一

で︑世界最初の循環伎恐慌をイギリス資本主義が経験することとなった︒

年の恐慌をもってはじめてその近代的生活の周期的循環を開始した﹂という︒ マルクスはイギリスの﹁大工業は一八ニ五

﹁最初の工業恐慌の発祥地はイギリス

であり︑その根源地はイギリスの木綿工業であり︑その諸前提をつくりだしたのは機械制工業の時代をひらいた産業

革命である︒手工業やマエュファクチュアから工場への移行は︑途方もなく重要なド飛躍を意味していた﹂とメンデリ

ソン

はい

うが

﹁工場制度の発生と発展とは︑資本主義に固有な︑生鹿の社会的性格と取得の私的性格との矛盾‑を︑

より高度の段階にたかめた﹂︒

新し

く︑

産業資本主義の成立は産業資本運動を中核とするが︑価値法則が経済体制を包含した段階である︒単に商業資本の

価格差利潤の追求から積極的にみ︑ずからの胎内で剰余価値H利潤を形成する段階へと転回してくる︒社会的半均利潤

概念が形成され︑利潤率の傾向的低下が法則的に展開されてくる︒このような状態において企業会計は何を目的とし

て ︑

いかなる展開を示すか︒

複式簿記は前期的商業資本のなかで形成され︑価値法則の未貫徹状態を利用した価格差利潤を計算していた︒産業

資本の成立は︑その流通過程にのみ依拠する商業簿記をこえて︑平均利潤率との対比による管理的計算H原価計算を

形成させる︒原価の計算ば古くはオラン︑タの十七世紀のプランタγ印刷工場においてなされていた︒この段階ではま

だ損益計算とは無関係であったが︑注業資本は損益計算としての一原価計算と同時に︑経営管理計算としての原価計算

を成

立さ

せた

原価計算が近代会計の体系に繰り込まれるのは固定資本棋念が形成されたことによる︒工場制工業以前においては

流動資本部分によって︑直接費的な原材料と工賃のみで原価は計算されていたが︑固定資本部分の存在は製造間接費

(13)

を認識させてくる︒原価構戎の三要素が出揃ってくるのであった︒

﹁一八二五年の恐慌ののち︑国定資本の再生産は︑

響をおよぽしはじめ︑それによって︑その舟掛降︑比較的一定した間隔をおいた規則的な反復性︑の物質的基礎とし

て登場し

h v

循環局面の交代における固定資本の再生産の役割が増大するという歴史的過程が展開されてくるが︑ 一つの恐慌を他の恐慌からきりはなす期聞を決定するうえに影

固定資本の再生産ぽ個別資本の有機的構成の高き︑資本総量における画定資本の比重︑全工業のなかでの固定資本の

諸要素の生産に従事する部門の比重という条件に規定されることとなる︒

恐慌日景気循環と固定資本の循環日再生産の会計的把握が原価構成計算や減価償却費測定計算を生む︒ここにまた

﹁動

態観

﹂の

基礎

があ

る︒

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しな

がら

﹁一八二五年の恐慌は︑機械の大量的な社会的磨損をともなわず︑それをより完全な機械によってとりかえること この関係が直ちに一八二五年恐慌とともに現われたものではなかった︒

もなかった﹂︒すなわち産業革命の完了直後であって︑﹁一八二五年には機能していた大部分の機械はまだあまり物理

的に磨損していなかった﹂︒さらに﹁機械は相互に競争しあうというよりも︑むしろ手工業者の手工道具と競争した︒

技術的にはややふるくなった機械でさえ︑そういう条件のもとでは︑競争戦で大きな優越を保障し︑高い利潤をひき

だす可能性を保障していた﹂という競争の性格もあって︑直ちに固定資本の会計的処理として減価償却問題を起して

くるものではなかった︒

イギリス産業革命は木棉工業の作業機から開始された︒

部門に及ぶのが普通であ計一戸二主年恐慌︑二一六年恐慌を終える噴‑ぎでは繊維工業が国民経済のなかで最も重要な地 ﹁産業革命は消費手段生産部門からはじまり生産手段生産

位を占めた︒繊維工業では増大したとはいえ︑重化学工業に比して固定資本の比重はまだ小さかった︒

﹁や

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十九

世紀

会計

史の

構図

一一

(14)

十九

世紀

会計

史の

構図

一 一 一

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年代以降に︑資本主義史上最初の鉄道ブlム以降にはじめて︑状態は急変した︒

は︑工業および鉄道の建設の規模の変動を︑

いま

や︑

生産

の一

揮聾

的な

拡大

と収

︵ ? ︶  

そのもっとも重要な基礎の一つとしてもつことになった﹂︒四七年恐慌を

機として﹁やっと十九世紀なかごろになって︑機械制の士業と運輸の発達は︑固定資本の再生産がその完全かつ発展

したかたちでの恐慌と循環との物質的基礎となる段階にたった︒このことは︑どこよりもまずイギりスについていえ

8︶ L︒固定資本の再生産認識の会計的反映が減価償却である︒減価償却認識はいかにして形成されていったかο

減価

償却形成の時間的出立以は四七年恐慌と五七年恐慌の中間にある︒イギスリでは軽工業より貫工業への重点の移行期

でも

あり

﹂れ

が会

計史

上の

画期

的時

点と

なる

われわれは近代会計の構造を規定する損益計算にそくして︑械価償却計算!!これはまた原価計算ともなる︑か

1 1

の成立時点を問題としたい︒減価償却計算がなされればこそ固定資本概念は認識され︑またそれの損益計算への献功

が近代会計を成立さぜることとなるのである︒諸先学の所説を検討して問題を明らかにしてゆきたい︒

産業資本主義段階に減価償却の成立を求めるものとしては︑木村和三郎教授︑大河内暁男助教授の説がある︒独占

移行期説は宮上一男教援によって代表され︑批判会計学の立場をとるものは多くζ

の説

をと

って

いる

固定資本の存在が減価償却の基礎となるといった場合︑流動資本と異なる固定資本の形成という認識が存在したけ

ればならない︒これは物理的存在である以上に︑認識上の存在である︒認識が政策性H悲意性をもってくるυ恋意性

n

政策性宮内包する認識は個別資本の物理的H個別的な存在によって決定されるものではな︿︑制度的H社会的に決

定されてくる︒減価償却の成立のモメントは物理的な同定資本の財務的圧力である︒減価償却形成の基礎論理として

ハ資本の有機的構成高度化説Vが妥当するかどうかcまたこれのみで充分かどうかをみてゆきたい︒

(15)

木村和三郎教授説について︒﹁減価償却の本質は︑固定資本の価値が生産工程において︑生産的労働を媒介として

生産物へ価値の移転をなす事実を基底とする記録計算であるが︑信用制度の発達した時代においては︑それが固定資

本価値の回収益に転化す訂という基本線から発生史の研究を出発させる︒教授は﹁減価償却の歴史的生成の論理

的な時期は︑固定資本の運動が︑個別企業資本の価値循還過程の中において構成的な機能を営むに至った時に︑その

時期を劃するということができる﹂とされる︒

﹁減価償却の本質は︑生産工程において有形回定資産としての生産手段の価値が生産物に移行する過程の計算であ

る点にあり︑生産工程における﹃生産的労働﹄が︑常にその移行の媒介となるものである﹂が︑それは﹁生産過程に

おいて体現する経済的性質のゆえに行なわれる計算手続きであって︑減価償却の手続きは︑

その基本的形式におい

て︑このような生産過程における有形固定資産の価値移転の計算的反映である﹂といわれる︒木村教授は減価償却計

算を価値移転計算とみられるのである︒

固定資本の循環は産業資本の損益計算において問題とされた︒減価償却計算H原価形成計算生成の必然性は何か︒

﹂れにこたえるのが減価償却本質論であった︒

木村教授は﹁歴史上︑問題生成の時期は︑英国における産業革命の確立︑すなわち︑十八J十九世紀の転回期を中

心とする六

OJ

七0年間にあり︑問題の確立は一八三O年をもって︑産業革命の一応の確立の時期円減価償却の問

題︑すなわち固定資本(資産)の価値評価の問題も発現しているべきであるが︑現実の歴史は︑このように明瞭にあ

その時期もまた︑ある程度の時間的ずれがみ注されるのであ勾という︒別言して﹁閏定資本

らわ

れて

いな

いし

の運動の範時的確立の時期をもって減価償却論の発生の時期とする﹂とし︑﹁原価計算上の減価償却計算の確立をも

十九

世紀

会計

史の

構図

(16)

十九

世紀

会計

史の

構図

一 一 一

って範層的生成の時期とする﹂とされる︒

産業革命日産業資本主義の成立→←国定資本の比重増大H資本の有機的構成高度化→←減価償却実践・減価償却論

の生成︒この三者を同次元的関連的存在として把握するものが木村論理である︒減価償却の生成についての資本の有

機的構成高度化論といえるものである︒

﹁問

題の

確立

は一

八一

二O年をもって︑産

業革命の一応の確立の時期に︑減価償却の問題すなわち固定資本(資産)の価値評価の問題も発現しているべきであ

る︑か︑現実の歴史は︑このように明瞭にあらわれていないし︑その一時期もまた︑ある程度の時間的ずれがみいだされ 木村教授は減価償却の形成の物質的基盤を固定資本の存在に求められる︒

るのである﹂︿傍点I

茂木

)と

いわ

れる

しからば減価償却実践の成立はどの時点に求められるか︒基慌が形成された

が︑発現しなかったと考えられる︒ここに時間的ズレが問題となるが︑会計はすぐれて資本H

資 本 家 の 認 識 が 問 題 で ︑

この認識自体に悲意性H政策性が駐胎しているのである︒このズレ論をイギリス経済史にそくして次節で考察す

ザ ︒

減価償却成立時点の問題を産業草命進行期に求めるものとして大河内暁男助教授の説明がある︒﹁十八世紀の末に

と減価償却という側面と︑ は早くも︑固定資本を自己所有して経営するに至った一部の大企業のもとで︑固定資本の年々の価値移転という側面

この両面から同定資本の概念ば次第に形成され始めていち)という︒減価償却の成立を固

定資本自己所有経営における産業革命期の十八世紀末に求めるものであった︒

大河内教授の論文は﹁産業革命期イギリスの工業における固定資本概念﹂と題され︑﹁産業革命以後︑経済社会に

とって決定的な重要さをもって歴史の舞台に現われた固定資本について︑産業革命当時の企業がどのように会計的に

(17)

把握し︑処理していたかを追求しつつ︑固定資本概念の生成過程について三の照明を与えようとするよ息慾的な研

究である︒とのなかで当時のイギリスの工企業は作業場や生産施設の賃借経営が一般的であった点に注目して︑v

における固定資本概念の形成H認識過程を問題とされる︒賃借経営と減価償却の関連については会計史家が全く問題

としなかったものである︒この研究の発展は資本の技術的構成の高度化が減価償却を認識するという通説的論理を書

きかえるものであるかもしれない︒賃借経営の会計問題

1l

(これは単に工業のみでなく︑農業でも重要な問題であ

る︒イギリスの農業資本家は借地農であり︑

イギ

リス

経済

史︑

とくに土地所有制度史との関連で賃借制経営を把握す

べきである︒土地所有制度が経緯間関係を規定し︑工業経営の性格にも影響する

)

iーーは改めて次節で吟味するが︑

i司

定資本の自己所有経営の十八世紀末説は木村論理を徹底させた立場というべきで︑固定資本の財務的圧力が︑恐慌過

程で減価償却を意識し︑計算を構成させるというものである︒しかしこれが一般化には賃借制の問題があったのであ

る︒賃借制経営からは減価償却問題はでてこない︒

木村教授の時間のズレ論に関連するが︑産業資本ーーーこれは資本主義に存在するもので

li

の減価償却問題は原価

計算に具体化するのであるが︑雪上一男教授は独占形成の進行期に︑原価計算の成立をみたとされるO

宮上教授は﹁固定資本は原価計算の直接の内容をなし︑その成立を促進した直接の動因と認められよう︒しかし︑

これをもって原価計算制度の成立原因叉はその物質的基礎とみることは具体的︑現実的︑従ってまた理論的ではあり

得な切とされ︑制度的成立の認識に資本の有機的構成高度化論はとらないとされる︒﹁原価計算の機能の本質は産

業資本主義期にあるのでなくして独占段階にある﹂とされ︑﹁資本主義の発展が極限に達し︑独占諸条件の成熟期に

且つ︑それきで世界市場を制覇していたイギリス資本主義がドイツ︑アメリカの資本主義と世界市場で競争しなけれ

十九世紀会計史の構図

一 一

(18)

十九

世紀

会計

史の

構図

ばならなくなったような︑資本主義的矛盾の尖鋭化した時期に︑ほかならぬこのイギリス資本主義のもとに原価計算

の成立をみたという点に︑原価計算成立の物質的基礎が求められなければならない︒独占が全経済生活の基礎となる

前夜︑即ち独占形成の進行期に︑原価計算の成立をみた点がとくに注意されねばならない﹂とされるの

﹁資

本主

義の

基本矛盾の尖鋭化が︑原価計算成立の物的基礎である﹂として︑﹁具体的には一八七

O 1 1 i

一八

八O年のイギリス資本

主義が世界市場のもとにおかれた条件で︑原価計算の成立をみたことのうちに原価計算成立の問題点が横たわる﹂と

いわれる︒教授の指摘する成立時点は独占移行期であった︒

独占移行期はイギリスの栄光がドイツアメリカに移行するときで︑イギリスの世界市場における工業独占が崩解

L℃ゆくときでもあった︒原価計算は没落期において競争力を防衛的に強化する手段として形成されたとする考え方

を宮上教授は展開されるのであった︒イギリスでの原価計算を教授は﹁古典型原価計算制度しと呼ばれる︒古典型原

はみ出たそれらの否定形態として現われ国のであるが︑内容は発生主義に価計算は﹁簿記即ち長期損益計算から︑

よる実際原価の全部的把握ということで︑間接費H減価償却費計算の正確性H合理化を強調したものであった︒

原価計算目減価償却費計算の独占移行期説の基底には︑教授のつぎのような基本論理があ句︒)﹁簿記は個別資本の

簿記であるが︑会計は株式会社の会計であり︑同時に独占の会計である﹂︑また﹁資本主義の発展からみれば︑

独 占

が︑そしてその個別企業の構造からみれば株式会社が簿記から離れて︑会計問題を提起したのである﹂と︒官上教授

の論理は内・外の競争の激化に原価計算H減価償却計算の制度的成立点を求めるものであり︑他方株式会社

! i

︹ 教

授は生産力集積という面ハ経営i茂木)と信用の展開という面ハ企業

ll

茂木)の結節点に株式会社がたつとされ

る︒これを図式化して

(19)

生産力集積│←その経営の独自性│←社団・株式会社

4 1

資本充実の原則キ│独自性地棄→1信用

(

とさ

れる

1 1

の一般化過程が独占移行期でもあり︑株式会社の資本の調達・運用の問題として原価計算H減価償却

計算がまず財務会計のなかで問題となったのである︒

宮上教授の論理の基礎には︑簿記問題と会計問題は社会の発展段階の差遣を考慮して概念的に峻別すべきであると

いうものである︒これはA・

c ‑

リトルトンの︿簿記より会計(学)への展開﹀における会計の十九世紀の重視説で

もある︒十九世紀をどう把握するか︒十九世紀のどの時点を問題とするか︒木村教授︑宮上教授︑A・

c ‑

リトルト

ン︑皆それぞれに異なっている︒官上教授は十九世杷の一最後の四半世紀に焦点を集め︑独占移行期に会計問題が登場

するとされている︒宮上教授は十九世紀の十九世紀的意義を独占段階に求められている︒独占資木主義と産業資本主

義の構造的日性格的差達︑すなわち資本主義の基本矛盾の激化という点から会計H原価計算H減価償却計算の制度的

確立を論証されようとしたのである︒

大河内助教授の産業草命期説︑木村和三郎教授の産業資本主義成立期説︑官上一男教授の独占段階移行期説をみて

きたが︑すべてに固定資本の存在が減価償却計算形成の物質的基礎となっていた︒しかし︑この関係が発現する規定

が問題であった︒

資本主義発展のそれぞれの段階において︑資本の有機的構成の量的度合の差違がある︒これは経営的側面の問題で

ある

が︑

また株式会社形態が一般化しているかどうかで資本の所有関係が異なる︒所有関係は公表会計の報告機能に

団連し︑経営問題は業種︑業態によって経営執行会計の性格を規定する︒ここに統一的視点として企業会計が形成さ

れるのである︒

十九世紀会計史の構図

一二

(20)

十九

世紀

会計

史の

構図

一 一 一 六

軽工業における固定資本の会計的意義は重工莱に比しておとる︒株式会社形態をとる重工業の固定資本の回転が減

価償却の基盤になる︒減価償却の認識や発生主義思考が問題となりだしたのは一八五七年恐慌をエポックとする︒

ギリスでは四七年恐慌をへた五十年代に軽工業より重工業に中心が移る︒﹁一八五七年における恐慌は︑

のばあいと同様に︑国際的性格をもっていただけでなく︑資本主義の歴史上はじめて真に世界的性格をもっていた︒ 一八四七年

恐慌のこのもっとも重要な特殊性のための諸前提は︑

(泊)市場の急速な発展によってつ︿りだきれていた﹂︒ 一八四七ーーー一八五七年における資本主義︑

工場

制生

産︑

世 界

四十年代のイギリス鉄道狂時代をはじめとして︑﹁世界の鉄道ブlムがイギリスの落大な工業建設の基礎となった﹂

が︑工業生産において重工業の伸びが著しい︒機械製作部門が重要な生産部門となってくるが︑工業の固定資本の拡

大となる︒固定皆本分の拡大は︑減価償却の必要性認識を量的に大きくした︒

増大する画定資本の重圧が原価計算H間接費計算を認識さ﹂せる物質的基礎である︒これは︑すでに産業資本主義段

階に存在し︑恐慌を経験するごとに重圧を強く意識する︒これが経営遂行における計算合理性指向となって︿減価償

却﹀をうみだす可能性を形成するQ量的拡大は可能性を増大させてくるが︑現実性に転化させるものは恐慌期であ

る︒恐慌︑停滞期における資木の防衛が投下資本の回収を意識させて減価償却を成立させる︒十九世紀前半期では高

度化したとはいえ︑資本の有機的構成はまだ比較的低く︑五七年恐慌を機にこの圧力が減価償却を生む︒この段階で

ドイツが競争相手として登場しアメリカと並んでイギリスを追いあげてくる︒やがて独占移行期にいたるとイギリ

スは没落の方向をたどり始めるが︑この防衛側にまわったイギリスの競争力増強策として原価計算︑減価償却計算が

形成されてくる︒

(21)

八工場制工業

! i

固定資本(資本の運用

) i l

世界市場・競争﹀という経営的関連と︑︿株式会社の一般化傾向

1 1

資本の調達││企業会計の形成(とくに報告会計

)V

という企業的関連が一八五七年恐慌を機として統一化されてく

る︒ここに減価償却H原価計算が現実化する︒これは独占段階においてその重要性をますものではあるが︑成立一日機

能時点を一八五七年恐慌期に求めたい︒私は資本の有機的構成高度化論の立場にたつが︑もう一つ株式会社形態のな

かで成立したという点を重視したい︒この一般化という点で︑賃借制経営からの脱却がはかれたのであって︑

一八

十九世紀の後半になって︑ 0年代に固定資本の社会的磨損のもつ本質的意義が︑恐慌を機とし℃﹁寵撃性﹂があらわれたのであった︒

﹁ま

さに

工業資本の有機的構成はとくに急速にたかまり︑そのなかで固定資本の割合はいっそう急

速に増大し﹂︑﹁工業の構造はしだいに変化する﹂︒

(1 )

堀江

英一

﹁産

業革

命﹂

﹃近

代社

会の

成立

﹂(

社会

科学

講座

W

・弘

文堂

刊)

一八

二頁

(2)

カー

ル・

マル

クス

︑畏

谷部

文雄

訳﹃

資本

論﹄

第一

部︑

︿車

問木

室田

活版

第一

分冊

)第

二版

への

後書

き七

八頁

(3)エリ・ア・メンデリソン著飯田貫一他訳﹁恐慌の理論と歴史L

第一分冊第一部恐慌の法則

i

1恐慌の一般的理論

二貰

(4

﹀エリ・ア・メγデリソン著飯田貫一他訳前掲書河上

(5

﹀メンデリソγ

著飯田貫一他訳前掲書向上一八六頁

(6)

堀江英一前掲論文前掲書一七五頁

(7

﹀メンデリソン著飯田貫一他訳前掲書同上一八八頁 (8 )

メンデリソン著飯田貫一他訳前掲書向上一八八頁

(9 )

木村和三郎﹃新版減価償却論﹄序

( m )

木村和三郎前掲書第二章減価償却論の歴史的生成

(日)木村和三郎前掲書向上一一頁

十九世紀会計史の構図

一八

六頁

二 頁

一二

(22)

十九世紀会計史の構図

一 一 一 八

(ロ)大河内暁男﹁産業革命期イギリスの工業における固定資本概念﹂﹃経営史学﹄第一巻二号(昭必)四二頁︒なおここで問題

とされた賃借経営

( F S R

﹃立教経済学研究﹄第十七巻第四号(昭叩・ ) については︑大河内暁男﹁イギリス工鉱業における作業場および土地の賃貸借制の展開とその意義﹂

2)

︑第十八巻第一号(昭

ω

6)

︑第十八巻第三号(昭ぬ・ロ)にくわしい︒

(口)大河内暁男﹁経営史学﹄論文一一一一頁

(H

)

宮上一男﹃工業会計制度の研究﹂第二章工業会計制度の分化二原価計算制度の成立コ一五

l1 三 八 頁 参 照 (日)宮上一男前掲書向上一二四頁 ( 日 ) 宮 上 一 男 前 掲 書 向 上 三 六 頁 ( 口 ) 官 上 一 男 前 掲 書 同 上 三 六 頁 ( 国 ) 宮 上 一 男 前 掲 書 向 上 三 九 頁

(川口)宮上一男前掲書第三章損益計算制度の分化第二節ドイツ型損益計算制度とアメリカ型損益計算制度

( 却 ) 宮 上 一 男 前 掲 書 向 上 二 三 八 頁

(幻)エリ・ア・メンデリソン著飯田貫一他訳﹃恐慌の理論と歴史﹄2第一一章(辺)エリ・ア・メンデリソン著飯田貫一他訳前掲書同上回一O頁(幻)エリ・ア・メンデリソン著飯田貫一他訳前掲書1

第 一 部 第 三 章

頁 二二八頁

一八五七年恐慌四八四頁

過利生産恐慌の経済的諸条件と歴史過程

一八

九 十

九 世 紀 の イ ギ リ ス に お け る 会 計 事 情 十九世紀の世界史の中心にイギリスがたつ︒産業革命を他国にさきがけて遂行し︑資本主義を先進的に形成してき

T

一八

三0年代に成立し︑七0

年代に独占段階に移行してゆくイギリス産業資本主義段階に機能した企業会計は︑

鉄道業を中心とする公益企業

Q2 58 8H gg

円 買

20

﹀と他の一般的私企業では異なった様相を呈した︒固定資産の

(23)

会計的処理に違いがあった︒減価償却会計は一般的私企業の固定資産の自己所有経営から生成してくるが︑生産手段

の所有状態と資本関係が鉄道業と私企業では異なっていたのである︒

産業革命はまず綿業のなかで︑作業機の機械化とLて開始される︒綿業における回定資本H固定資産部分の増大に

よる会計問題が︑近代会計の基本問題としての減価償却問題を生むべきであったが︑事態は必ずしも一直線ではな

い︒素材的・商品学的にみれば確かに機械設備部分が増大してくるが︑﹂れを綿業資本家は会計対象として意識した

かど

うか

﹁十八世杷から産業革命を経て十九世紀半ぽころに至るまで︑イギリスの工業経営においては︑経営上の一つの大

きな特徴として︑作業場や生産施設の賃借経営が広︿行なわれていた︒産業革命期の綿業において︑蒸気動力の賃貸

を含む工場アパートが旗生したことは︑当時のエピソードとして広く知られているが︑これに限らず︑大規模な固定

設備が必要な製鉄業では︑十八世紀当時︑高炉や水車をはじめ︑全生姥設備の賃借経営が支配的であったし︑その他

多くの業種で︑作業場建物︑機械類︑水車場︑炉︑鍛冶場など固定的な生産設備の全般に及ぶ賃借経営が行なわれて

(1 ) 

いた﹂と大河内暁男助教授はのペている︒賃借制経営について︑大河内助教授は﹁本来企業にとっては固定資本とし

て資本投下すべきところを︑現物形態で賃借することに他ならない﹂とされる︑が︑﹂のような経営が十八世紀から十

九世紀前半に一般的であったことはT‑S・アシュトンや中川敬一郎教授によっても指摘されている︒大河内助教授

は﹁十八世紀から産業革命期におけるイギリス工業では︑製鉄業によって代表されるような大規模工業においても︑

あるいは繊維工業や金属加工業においても︑大規模なると小規模なるとを問わ︑ず︑その作業場建物︑生産設備︑作業

場敷地などを経営者が賃借して︑そこで経営を展開するということが︑広く一般におこなわれていた﹂といわれる︒

十九

世紀

会計

史の

構図

一二

(24)

十九

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史の

構図

規模︑業種を問わず賃借制が行われており︑産莱資本も資木主義も賃借制のうちから形成されてきたといえる︒

﹁経営上必要な固定的生産設備つまり固定資本を賃借している限りは︑経営主体たる企業家の側から主体的に︑自

L P使用している固定資本財について︑その価値移転なり減価とその償却の必要性なりの一認識が発生する契機は︑そ

もそも存在したい斗ので︑会計認識としての固定資本概念は形成されてこない︒素材酌・物質的な建物︑土地︑機械

等の存在は減価償却計算の基礎であるが︑賃借という条件は貸借対照表能力を持ちえず︑資本家(経営者﹀にとって

ば資本ではなかった︒原価計算においても︑せいぜい賃借料が問題となったのみである︒減価償却思考はいわゆる国

定資産の自己所有経営のなかに芽生える︒これは産業革命期の大企業の一部に現われてくるが︑減価償却額は賃借制

経首とのかねあいで︑寸なわち利子率に規定された大ききであったcここにも賃借制経営の主導性がみられる︒

木村和三郎教授が︑産業革命が一応完成をみた時点で減価償却は現われるべきであるが︑現実には若干のタイムラ

グがあるといわれる理由の一勺にこの賃借制経笛の一般化という事情がある︒作業場︑その他の自己所有経営の本格

的確立期は資本の有機的構成が量的にも拡大する重工業への転換期でもあるが︑﹂れが一八五0年代でここに減価

償却が制度的に確立してくる︒これはまた株式会社の一般化時点でもある︒当時のイギリスの企業形態・企莱金融の特

色として﹁家族企業﹂の繁栄があげられる︒パートナーシyプの輩固な存在は株式会社形態の普及を制約していい勺)

これが公表会計の発展を制約しており︑減価償却思考を発展させなかった︒五十年代に経済事情が大きく変化する︒

五十年代にいたるイギリス経済史上の特色として一ニ十年代から始まる﹃鉄道狂時代﹄がある︒鉄道会計がイギリス

十九世紀会計史の一つの問題点で︑固定資産会計史の一つの確立過程に特異な問題を提起する︒

鉄道会計について

R‑ P

・ブ

lフは﹁公益企業

GR EE S同 一

B R召

江田

ε

は︑歴史的に︑ある種の現金主義会計

(25)

を実践した︒現金収入と支出の対応関係によって利益を決定した︒﹃合理的簿記は公共基金に基く経営のなかには入

って

ζなかった﹂︒さらにこれらの会社の準公共性のために会計実践は﹁z冨房的﹄簿記手続きの成長であった︒これ

(5

) 

は重要な歴史的閣係である﹂という︒現金主義と官房簿記を同類とし︑発生主義と合理的簿記H企業簿記を同類とし

て︑系譜的対抗関係を論理の基礎においている︒官房簿記が複会計制度(号ロ

EO Rg cE

唱え

g M )

に具体化する

が︑損益計算が発生主義的認識によって原価主義基準によることを本流とし︑﹂こに近代会計の主流を求めるなら

ば︑鉄道会計の複会計制度は傍系の問題となってくる︒複会計制度は閏定資産の管理・維持計算を目的として︑必ず

しも損益計算を第一義におくものではなかった︒中佐のマナーの管理計算に起源があるという考え方も成立しうる︒

一般的私企業が︑多くパートナーシップ形態をとっていたとき︑鉄道業はすでに株式会社形態をとっていた︒

﹁ 十

その治線に居住する零細株主がきわめて多いことが一つの特徴となっていた﹂︒九世紀当時のイギリスの鉄道企業は︑

長期安定的利潤の獲得こそ資本集中の円滑化を促進する︒大衆より資木を動員し︑その維持を法的に規制したのが

﹁鉄

道事

業規

制法

( H d m M U m

巳山

05 0

H U

‑ ‑ 4 3

匂﹀

丘︑

52 )

で︑複会計制の採用が規定されていた︒これは一九

四0年代まで続いた︒

十九世紀中棄においては鉄道業が最も資本の有機的構成が高かった︒固定資産は賃借したものでな︿︑株式会社の

自己所有であった︒しかも企業形態が株式会社形態であること︒この点は次節で詳論したいが︑長期安定利潤︑利潤

の平準化が要請されていた︒さらに固定資産が他産業に比して磨損度が大きく減価認識が容易に成立してくる︒鉄道

業における固定資産の会計的処理は経営財務H投下資本の回収視点からの減価償却問題を引きおこしたc原価計算と

の関連が明確化しないままに︑評価損的減価認識が︑設備の更新H補修の費用認識であった︒これを法的に支えたも

十九

世紀

会計

史の

構図

一 一

(26)

十九

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史の

構図

一 一

のが鉄道事業規制法で︑複会計制度であった︒

複会計制度は損益計算における固定資本の棚上げ制度である︒産業革命を経験して増大する固定資産の会計的処理

は︑損益計算へのアプローチを︑どうするかという実践からの要請として形成されてくるが︑生産的産業の外から問題

となってこなければならなかったところに減価償却の特殊性がある︒鉄道業の複会計制としてまず登場してくるとこ

ろにイギリス会計此の特殊性があると同時に︑他の国々においても固定資本範ちゅうが経済的に成立した時点でどの

ような処理法がなされたかは具体的検討を必要とする︒

複会計制と回定資産会計︒固定資産の実体的・具体的維持を目的として︑固定資産を凍結する会計方式である︒凍

H固定化は企業の永続性を保証するものであるが︑特殊な利益概念を形成する︒

発生主義会計における固定資産は︑なしくずし的に償却分が損益計算に入ってくる減価償却計算を形成する︒しか

し複会計制のもとにおいては基本的には現金主義であり︑収入・支出概念を資本的収支と収益的収支とにわける︒固

定資本維持のための費用は収益的支出として収益勘定に計上されるが︑固定資本は資本勘定に示され企業存続中は損

益計算には関係がなかった︒固定資本ば資本的支出によって取得されるが現金主義原則によっている︒

資本的収・更の差額である資本残高は運転資本で︑資本勘定残高であるが一般貸借対照表に示される︒

一般

貸借

照表は本来的に収益的収入・支出の残高表である︒純利益は収益勘定において︑収益的収入と収益的支出の差額とし

て示される(荷駄忌荷﹀1話隊罫同

E

H護主駄)が︑一般貸借対照表においても八流動資産﹀と︿運転資本十流動負

債V

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る︒

複会計制におげる基末的勘定は資本勘定(資本的収・支を一市すV︑収益勘定(収益的収・交を示す)︑そして一般貸

(27)

借対照表である︒文字通りの現金取引のみから経営がなされるとすれば一般貸借対照表は現金勘定を示すものとな

る︒債権・債務が期末に未決済分として残ってくるとき収益勘定に発生主義が生成してくる︒一般貸借対照表は発生

主義的処理がなされるところに存在意義をもっ︒

複会計制度は収入および支出を︑資本(固定資本)に関係あるものと︑収益(流動資本)に関係あるものとに二大

別す

るこ

と︑

また在高表としての貸借対照表が資本勘定と一般貸借対照表に二分されているところに特色がある︒資

本的収支を出資大衆に示すべく形成されたもので︑固定資本と運転資本を資本勘定と一般貸借対照表に分けて示すも

のであった︒これは資本的支出を極めて多額になす企業にとられた固定資産会計発達史の一勧をなすものであって︑

イギリスにおいて産業資本主義段階で形成されてきたのである︒

複会計制度は固定資産管理の財政H配当政策的配慮として形成された︒十九世紀なかばに固定資産の償却と純利益

﹁減価償却は配当政策上の目的を達成するための必要なる手段であったのであり︑無

茶な配当を防止すべく配当可能純益を内輪に計上する手段であった﹂︒複会計制度における(固定)資本の維持H修 との関係が論ぜられてくるが︑

繕と発生主義を指向する減価償却とは次元が違うが︑ともに財務的考慮が先行している︒

減価償却が原価形成に寄与するのだという認識が未成熟の段階における固定資本の一種の処理方法として複会計制

度が存在したが︑当時のアメリカにおいては︑鉄道業者の議論には設備は適当な部分更新を行うことによって標準作

業能率を維持し得る︑という論理があった︒鉄業会計のなかからは︑価値移転と投下資本の回収という二重的性格を

もつ減価償却は本来的には形成されてこなかったが︑複会計制度は資本と収益の区分思考を成立させ︑半発生主義会

計として︑近代的H発生主義会計成立の準備をなしたのであった︒

十九

世紀

会計

史の

構図

一 一

一 一

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