[
シンポ ジウ ム]
第
25
回
学
術 大 会
記
念
シ ンポ
ジ ウ
ム(
報
告
)
2011
年5
月21
日,東 京大 学で 開催されたパ ー リ学仏 教 文 化 学 会第 25
回学 術 大 会の 午後の 部に お い て , 創 立25
周年を記 念 して 「パ ー リ学
と上座仏教
」 と題す
る テ ーマ で シ ン ポジ ウ ム が実 施さ れた とこ ろ , その 際の発表概
要は以 下 の通 りで ある。[
参
加者] (
敬 称 略)
〈
司 会〉
下田 正 弘 (東 京 大 学 大 学 院 人 文 社 会 系研 究 科 教 授 /Professor
,Graduate
School
ofHumanities
andSociology
,
The
University
ofTokyo )
(
1> <
発題者 1 >森
祖
道(
パ ー リ文 献 協 会〈
英 国〉
日本 代 表/Japanese
Representative
Qfthe
Pali
Text
Societ
メUnited
Kingdom
)
論題
:「パ ー リ仏教学の 継承 と発 展」(
Succession
andDevelopment
ofthe
Pali
Buddhist
StUdies)
〈
レ ス ポ ン デ ン ト1 >
佐々木閑 (
花園 大学 文 学部
教授/Professor
,Faculty
ofLetters
,
H
azonoUniversity
)
〈
発題 者 II>林 行夫 (
京都
大学
地域 研究統 合
情報
セ ン ター教 授 /Professor
,Centre
for
lntegrated
Area
StUdies
,Kyoto
University
)論題 :「上座
仏
教徒研 究
の 課題 と展望」(
Subj
ect andPrQspect
for
Th
¢rav 巨da
Buddhists
StUdies
)
80
パ ーリ学仏 教 文 化 学Professor
,Tokyo
University
ofForeign
StUdies
)
(
下
田)
この 「パ ーリ仏 教学 と上 座 仏教」 とい うシ ン ポジ ウム の タ イ トル で あ り ま す が ,一 方は純 粋な文 献 学で あ ります。 ま た 、 一 方は行
動科学
に も とつ い た 学問
で あ ります。 こ の 方 法, 対象
資 料 等をお よ そ異にす る二 つ の学 問が, こ こ に一同
に会
する場
を設け まし た。 思 えば, こ れは パ ー リ学仏教 学会
が25
年を か けて,進めて き た歴 史 その もの で あ ります。 過 去を踏ま えて未来
に出発 す る にあ たっ て ,改
めて その 歴 史の 意 義を確 認 して お き たい と思 い , そ れ ぞ れ の領域
で第
一線
で活躍
してお られる先 生お一人ず
つ に対 談を お願い し, さ らに それ ぞ れ コ メ ン テー タ ーの 方におい で い た た だ い て,会を進行す るこ とに い た し ま した。仏教 学 は,
文学部
の なか に成
り立っ てい るわ けですが, 文学 部の 学 問 自体 が, 今, 大きな危機 に さ らされて い ます。 この危機の なか で , どうや っ て学問
を持続
させて い くか とい うこ とが ,重要
な課題
になっ て い ます。 文 学 部は 伝統的 に は哲, 史,文
, つ ま り哲学
,歴史
,文学
の三つ の領域
か らな りたっ てき ま した。 その いずれ もが, 言 葉を研 究 対象 と しな が ら も, そ れ ぞ れに踏 み込む とこ ろ,抑制
する とこ ろ, 微 妙に異なっ た 立 ち位置
を持
っ て ,学問全
体を成り立 たせ てき ま し た。 言葉
その もの を扱
う文学, これは言語
その もの の解
明に向かっ てい き ま す。 一方 , 理念を あつ か う哲学は, 思 想 と して結実
する営
み の解明
を 目指し ま す。 これ ら二 つ で は, 時 間 とい う要素
が捨象
さ れ がちにな る の で す が , そ れ を 重 要 な考 察の枠 組み とす る歴史
とい う分野が あっ て, これ ら全体で 言葉
を対象 とす る学 問を成 り立た せ て き ま した。 し か し, じつ は, 言葉
にな る以前の ,行為
を問
い直
す必 要があ ります。 そ こ で, 行動とい う領域が 人 文 学の な か に入 っ て きて 既 に久 しい 歴 史を持っ てい ま す。今
回, 「パ ー リ学と 上座 仏教 」 とい う タ イ トル で先 生 方に対 談い た だ き ます こ とは, 今, 文 学 部が立 っ てい る こ う した位置
を確認
し, こ れか らの 道 を切 り開
い て い く上で , 有 益で ある と私は思っ て い ます。第 25回学 術大 会 記 念シ ン ポジ ウム (報 告 >
81
趣 旨をご説 明
申
し上 げ ま した ら, お二 人の 先生 に ご快諾
を頂 き ま した。 ま ず森先 生に ご発表
を願い , 次に コ メ ン テ ー タ ー と して佐々木 閑先牛 に お立 ち や い た だ き, そ れ が終わ り まし た ら, 林 先生 に お話
を して い た だ き, その 次に奥平先生 に お立 ち頂 く とい う順 序で進め て まい りま す。森 先生 に関 し て は, あ ま りに著 名で ご紹介 の必要はない と思い ます。
文献
学
, と くに歴 史 研 究 とい う立場
か ら仏教
を解
明 し,揺 るぎない 研 究成果
を私 た ちに残 し て い た だい て い ます。 今後新 しい 道 を ど う切 り開け ばい い か, そ の こ とにつ い て お話い た だ く とお聞き して お りま す。 そ れ で は森先生, よろ し くお願 い しま す。(
森) 〈
パ ー リ仏
教学の継承 と発 展〉
ご紹介 にあずか り ま した ,森でご ざい ます。 本 日の シ ン ポジ ウム の テーマ は 「パ ー リ学 と上
座
仏教」 で あ りま すが , 私 は その 前半部分
の 「パ ー リ学 」 に っ い て分 担す る よ うに との 司会者か らの ご依 頼で あ りま したの で,後 半の 「上座 仏 教 」 との関連 に留意 しつ つ , 具体 的に は, 「パ ー リ仏 教学
の継
承 と発展
」 と題
して私見
を述
べ たい と考
え ます。まず始めに, 配布した レジュ メをこ こ に示 し, その 項 目に従っ て 話を進め ます。
1
. は じ め に 下田正弘編 ・林行 夫
(
協
力)2011
『ス リ ラ ン カ ・東南
ア ジ ア静
と動の 仏 教 :
新
ア ジ ア佛教史
04
』 佼成
出版 社 前田惠學 編1986
『現代ス リラ ン カの 上座 佛 教 』 山喜 房 佛書林
Cf
. 田辺 繁冶 編 著1993
『実
践宗 教の 人類 学 :上座部 仏教の世界
』京都
大 学 学 術
出
版 会鈴 木正崇
1996
『ス リラ ン カの 宗 教 と社 会 :文化 人 類 学 的考 察 』 春 秋 社82
パ ーリ学 仏教 文化 学林 行 夫 編 著
2009
『〈
境域〉
の実
践宗教
:大陸部
東 南ア ジァ 地 域と
宗
教の トポロ ジー』 京都 大 学 学 術 出版会2
. パ ーリ仏 教 学
の継
承
イ ン ド
仏
教 学 (
古 典 学 )
へ の貢 献
パ ー リ註釈文献 (
アッ タカ ター)
を活 用1
) 原始仏教研究
へ の貢献
2
) 部派 (ア ビダ ルマ)仏 教
研究へ の貢 献3
)
インド仏 教 教 団史研究
へ の貢献4
)
大乗仏 教研 究へ の貢献
CE
拙稿
2010
「イ ン ド仏 教 研 究 とパ ー リ註 釈 文 献 」 『仏典
か らみた仏
教世界
』 新ア ジ ア仏 教史
03
(
イ ン ド皿)
佼 成 出版 社Ex
.佐
々木閑
2000
『イ ン ド仏教変異論
』 大蔵 出
版勝 本華
蓮2006
「Cariy2pitakatthakatha
とBodhisattvabhUmi
」 『佛 教
研
究
』34 号
馬場紀久
2008
『上 座 部 仏教の 思 想形成
』Cf
アッ タ カ タ ー
(
自身)
の 文 献学 的研 究拙書
1984
『パ ー リ仏教註釈文献
の研 究 』 山喜 房佛書林
拙稿
2006
「パ ー リ註釈 文献研究の 最 近の 展望
」 『印度学仏教学研
究』
55
巻1
号Mori
,Sodo
2007
“Recent
Japa
血eseStUdies
in
the
PAIi
Commentarial
Literature
:sincel
984
”,
Journal
q
ブThe
Pali
Text
Society
vol.XXIX
:Festschrift
in
honour
ofthe8
びhbirthday
(ofK .R
.Norman
in
2005
andthe
125
‘h anniversa7yin
2006
{ofthefounding (〜fthe
Pali
Text
Socie
リノ
,
Bristol
.3
. パ ーリ
仏教 学
の発 展
上座仏 教現代研
究
へ の貢
献
1
) 観音菩薩
よ りナータ神へ の変 容 :ス リラン力大乗仏教研究
の一課題
(パ ー リ文
献 (
文
証)
と美 術 彫 刻 (物 証)
と(
碑 文 )
に よ る, イ第25回 学術 大会記 念シンポ ジ ウム (報 告)
83
Buddh
ist
Scuiptures
ofSriLanka
,Hong
Kong
;Visual
Dharma
Publications
∫.
C
.Holt
l
991
Buddha
in theCrown
’AvalokiteSvara
in
tkeBuddhist
Traditions
ofSriLanka
,New
York
!Oxfbrd
:Oxford
U
.P
.2
)
上座部
比 丘尼 サン ガの 復興 運動 をめ ぐっ て拙 稿
2011
「上 座 部仏 教教 団 の相 互 支 援 と交流」 上 掲 『ス リ ラ ン カ ・ 東 南ア ジア静 と動の
仏
教』第 2 章
4
.お
わり
に1
)パー リ仏教 学の 継承パ ー リ
文献 (
三蔵 ・蔵 外の 三書 ・ア ッ タ カ タ ー ・その他)
の 文 献 学 的 研究
の基礎 の上 に立っ て , イン ド仏 教 研究
上の諸
問題の解
明に資
す る資
料の提 供 と総
合 的多 角 的検 討に参加 するこ とに よっ て, イ ン ド仏 教 研究 の 一角にその地位
を確保
す るこ と2
)パ ー リ仏教 学の 発 展パ ー リ文
献
・教 理 思 想 ・E
座 仏 教全史
な どの研 究に よ っ て ,現 代E
座 仏教 の 文 化人類 学 的宗 教 社 会学 的研究
に対
し, 教理思想 的歴 史 的側 面か らの寄
与 を な し, 以っ て 現代 上 座 仏 教の 全容の解明
に貢献
す る こ とまず ,冒頭の
2
冊 の本の う ち, 下田 正 弘編, 林 行 夫協 力に よ る 『ス リ ラ ン カ ・東 南ア ジ ア動と静の 仏 教』 は今 年 (
2011
)1
月に刊行され た ぼか りの本
で , これ は主 と して 文 化 人 類 学 者 ・宗教 社会 学者 に よる分 担 執 筆の 本で す。 そ して も う 一冊の 前田惠 學 編の 『現 代ス リ ラ ン カの上 座 仏 教 』 は1986
年
の出
版で , 両書の 出版に は25
年 ぐ らい の年 月の へ だ た りが あ る わ けで す が ,他 方
, こ の25 年
の問
に は, 例え ぼ田辺 繁治の 『実 践宗 教の人類 学』 , 鈴 木正崇の 『現 代ス リ ラン カの 宗 教 と社 会』, 林 行 夫の 『〈
境 域〉
の 実 践宗教
』 等々 の 分 厚い 大著
, あ るい は編
著が非 仏 教 学 者 に よ っ て出版 されて い ま す。84 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 こ の よ うな研 究 状 況 の進 展 を考え ま す と, 我々パ ー リ仏 教 学 者が 名 著 と
称
え, 研 究上 の バ イ ブル とし て来
た前田先生 たちの本
は, もはや少
し古
くなっ て しまっ た と感 じますし, そ れ と同 時に,研
究目的も手法も異
な る文化
人類
学や宗教 社 会学 等の 学 問を勉 強 して 来た若手研
究者
の成長
をひしひ し と感じ るの で あ ります。故
前田先
生 の研 究
に対
して は今更
コ メ ン トするこ と は何
も あ りませ ん。先
生 は名古
屋 地域
の仏教学者
を中
心 と して, プロ ジェ ク トチ ー ム を結
成 して,ス リ ランカの現地 に 出入 り して現地調査 を さ れ , ま た仏 教 学 の知識
や総合的知 識
を駆使
して あれだ けの成果
を挙げ
られたわ けで した が, その際
に一番
の基礎
とな る はず
の現 地 語の 習得を軽 視されて い た よ うに思わ れ ます。 しか しそ うは言っ て も , 一 般 論 とし て我々仏 教学 者は外 国語の 習得 を決して軽視
して は い ませ ん。 む しろその逆で あっ て , 例 え ぼイン ド仏 教の 研 究の た め に は,サ ン ス ク リッ ト語
パ ー リ語 , チベ ッ ト語, 古 典 中国語(
漢文)
な ど複数の 外 国の古 典 語の 学 習者が, 研 究の基 礎 とさ れて い ま す し, 我々は こ の ような研究領 域
の 中で 育っ てい る わ けで す。 しか し そ れで も前
田 先 生は仏 教の研 究は古 典 学に終始 して はい け ない , 現代 仏教の研 究にも 目 を 向けな くて はな ら ない と主 張さ れ続
け ま した。 だ が現 代仏教
の研究
を本 格 的 に行
うに は, や は り文化
人類学の門
を叩き ,現 地語
の 習得を前提
と しな くて は無理 な の で はないか と私は考 えてい ま す。 とこ ろ で, この ように仏 教研 究 が古典 学 であ り続
けて来
た, その理 由の 一つ は , これは案外, 見 落 と され勝
ちの こ と だ と思い ますが ,仏教
の 本 家 本元の イ ン ドの 仏教 史その もの にあ る と考え ま す。 つ ま り言 うまで も な く, イ ン ドの 仏 教は13
世 紀の 初 頭 頃 に滅 亡 したの で, そ の研 究は本 質 的に古典学
であ り, その限
りで 現代性
に乏 しい わ けで あ ります。 しか しな が ら, これ は イ ン ド仏
教の研 究の話
で あっ て, イ ン ド本 土 よ り外に 目を転 ずれ ぼ, その 事情
は大い に異 な りま す。 例えぼパ ー リ上座部
やパ ー リ文献
の研究
は遂
に はス リ ラン カ や東 南
ア ジ ア大 陸部の 仏 教 国の現代仏
教の研
究に まで辿 りっ くはず
の もの だ と考え ます。 け れ ど も古 典学
として の 仏教研
究が ,一足 飛びに現 代 研究
に飛 躍す る こ とは, 個 人の 問題 意 識や関 心 と しては可能
で あっ て も, きちん とした学 問として は, 本 当はな第25回学術大 会記念 シ ンポジウム (報 告) 85 か な か困難な大問題で あろ うか と考え ま す。 そこ で こ の よ うな現 実を踏 ま え て, 我 々の パ ー リ仏 教学 はい か に して 過 去の研 究を踏 襲継 承 しっ っ ,新 しい 領域 に発 展
前進
して い け るか とい う,本
日の主 題につ い て考え て み た い と思 い ま す。 そこ でまず 「パ ー リ仏 教学の 継承 」 の 問題 につ い て で すが , これ は一言で 言えば古典学
と して の イ ン ド仏
教研究へ の 貢献 とい うこ とで す。 こ の 点は今 まで と同じ様に,今 後も継 続 して遂行 さ れ な け ればな り ませ ん。 例えば, 原始
仏 教の研 究は今 後 も継 続され な くて は な りませ ん。 しか し, も しイン ド仏 教研 究の他 の分 野で 研 究が進 歩 して行 くの に対 応せず して , イン ド仏 教研 究 の一分 野を形 成すべ きパ ー リ仏教 学 だ け が , も し取 り残 され る よ うな こ と に な れば, や がて パ ー リ仏教 学は こ の領 域に お い て レー ゾン デ ー トル を失 うこ とに な りま す。 そ うな らない た め に は, パ ー リ仏 教 学 自身が まず進展し, そ の成 果を イン ド仏教研 究の各分 野
の 研 究に提 供 し, 研究者
が そ こ に参
入 して 行 くこ とが 必要か と考え ま す。 そ して そ の た め に,今もっ と も必要で 求 め ら れて い るの は, い さ さ か我田引水の論
と見 られる か も知れ ませ ん が, や は り,従 来 未 開 拓で未知の 文献で あっ たパ ー リ註 釈 文 献,ア ッ タカ タ ーの 文献
学的解明 と, そこ に 秘め ら れ て い る様々 な 知識 情 報の紹 介 や 活 用で あ る と考 え ま す。 こ の 辺 りの問題
は,私
の 「イ ン ド仏 教 研 究 とパ ー リ註 釈文献
」(
レ ジメ参 照)
に既 に 述べ ら れて い ま すが, こ こ で こ の 問題
を少
し具体
的に述 べ る と , そ れ は 原始 仏 教 研 究, 部 派 (ア ビダル マ ) 仏 教 研 究, イ ン ド仏
教 教 団史研
究
, 大乗仏 教研 究
な ど とい っ た分 野 に関わ っ て来
ま す。(
レ ジメ参
照)
この点 を さ らに 具体的 に最 近の 成 果を挙げ
て説 明 します と,例
えば教団
史研 究
へ の 貢献の 例 として は , 佐々木 閑 先生 の 『イ ン ド仏 教 変 異論 』 が あ り ま す。 こ の研
究は, パ ー リ律 蔵の 註 釈書 , 『サマ ン タパ ー サ ー デ ィ カ ー』 を イ ン ド仏 教教団史研 究
の資料
と して 活用 す るとい う手 法を始め て 打ち 立てた もの で あ りま す。 従 来はパ ー リの律 文献 とい えぼ ,律 蔵だ けで あ っ た わ けで すが, そ こ に今
まで等閑視
さ れ て い た 『サマ ン タパ ー サ ー デ ィ カ ー』 を 加 え て,北 伝の 律 文献 と比較 検討 して新 しい 成果 を出しま した。 ま た勝本華
蓮先86 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 生 の研 究 は 『瑜伽 師地論 』 の 中の 「菩 薩地」 に対 応す る 『ボ ー ディ サ ッ トゥ ヴァ ・ブ ーミー』 の大
乗
的内容
が, パ ー リの 『チャ リヤー ピタカ ・ア ッ タカ ター』中
の 「雑 論
」 の 内容
に影響
を与えて い るこ とを論
じ た もの で あ りま す。 そ う します と, アッ タカ タ ー とい う文献
は,従来
, 上座部
の教理 思 想 を純粋
に述
べ たもの と考
え られて いた 「定説
」 に対
して, その中
に は異質の教
説
も含
ま れてい る とい うことにな りま す。 そ こで どうして そ の よ うなもの が挿
入 さ れ てい るの か とい う問題が提 起され, そ こ に上座 部 とイン ドの大 乗 仏教
との関
わ りが クロ ー ズア ッ プ されて来
ま
す。 それ か ら 一 番 新 しい 研 究は , 馬 場紀 寿 先生の 『上座 部 仏教の 思想 研 究』 で あ りま す。 これはブッ ダゴ ーサ の 主著 『ヴィ ス ディ マ ッ ガ』 の他に, 彼の 四部 註を新た に加えた文 献資料の 中に彼の 思想ひい て は上座 部の中核 的思想を探 り , これ を イ ン ドの原始仏教
や部派の 教理 思想 と比較す るこ とに よっ て, イン ド仏教の研 究に貢献
した研 究で あ り ま す。 な お本
日午
前中
の林隆嗣 先
生 の発表
もア ッ タ カ タ ー自身
の文献学
的 基礎研究と して優
れ た もの で あっ た と考
え ま す。 ま た この よ うな , アッ タ カ タ ー自
身に対 する文献 学的研究に関す る研 究史や 目標や方法 論を論 じた もの が, 私自身
の2006
年 の論 文で あ り, そ の 内容を外 国の人に も知 ら せ たい と考
えて書
い たの が, その 翌年の 英 文論 文で あり ます(
レ ジ メ参 照)
。 さて次 に は 「パ ー リ仏 教 学 の発 展」 とい う問題に進み ます。 こ の 問題は 一 言で言い ますと, 現代
上座部仏
教の研
究へ の貢献
とい うこ とで あ ります。今
まで説明 し ま した古 典研
究 と して の パ ー リ仏 教 学が , ど う して21
世紀
の上 座 部の現 代 的研 究に関わ りを持
て るか, とい う点に つ い て述
べ たい と思 い ま す。 しか しこれ か ら先
は私の まっ た くの 私 見であっ て, た ま た ま私が最 近, 少し勉
強 してい る過程で気付い た実 際例を二 例だ け こ こ に説 明い た します。 その一つ は,ス リラン カ仏教史
上の一っ の課題
で あ り ます。 そ れ は大 乗 仏教 の観音菩 薩がス リラン カの 国神, ナ ータ神に変 身 した とい うテ ーマ で あ りま す。 私は こ こ数年の 間, ス リ ラン カの 大乗 仏 教につ い て 研 究を続けて い ま す が, これ に はパ ー リ文 献な どの 文献資料
と美 術 彫 刻や碑
文 などの 考古資料
の 両方が必 要です。 例 え ば問題の観音菩 薩
は, 私の知る限 りで は, パ ー リ文献第 25 回学 術 大 会 記念シン ポジウム (報 告)
87
中に は, た だの 僕 も出て き ませ ん が, その 反 面, お よ そ140
点 以上 も出土 して い る大 乗の 諸 尊 像の 中で,観音像
は37
〜38
点も含まれて い て, その数 は 最 多で あ ります。 こ の よ う な文献 (
文 証)
と彫 刻(
物証)
の乖離
は驚
くべ きこ とで す。 しか しそ れ だ か ら と言 っ て ,文献の 資 料 的価 値がな くなる とい う問
題で はな く,文献
の中
に何
か が有る と か無い とか, 有る と した ら どの よ うに記述 説 明さ れ てい るか とい うこ とが 明 らか に なっ て初
め て出土
品の持
っ 意味
も分か る し, その 価 値 も評価で きる とい うこ と だ と思 い ま す か ら, や は り文献資料
はその研 究の 基 礎である と考
え ま す。 し か し文 献だ けで は な か な か解明で き ない 問題 も ある とい うこ と も ま た確
かで あ り ま す。 そこ で, ス リ ラ ン カの 大乗 仏 教は,12
世 紀 の 中 頃 に パ ラ ッ カマ バ ー フ ー世 が, 上座 部 教 団の 三派 を粛 清 し再統
一 した, そ の 時に排 除さ れて し まっ た とい うの が今の 定 説で あ りますが, この よ うな 大乗仏 教の 滅亡後の消
息に つ い て は, 滅亡消滅
した た め に, ほ とん ど何も分 かっ て い ませ ん。 これはイ ン ドの仏教が滅亡後
の こ とは ほ とん ど何 も明らかで ない の と同 じ です。 しか しこ の よ う な状況 の 中で ,観 音 菩 薩は ナータ神 と して 生 き残りま し た。 そ の ナー タ神 とは, 元来
,14
世 紀 頃にマ レ ー半 島か ら到来 した外 来 神で あ りま した が , そ の 後 次第
に , シ ン ハ ラ人の 国神 と して キャ ン デ ィ 王朝か ら も篤 く信仰さ れ る よ うに な り,その 結 果,神々 のパ ン テオ ン の 中で その 地位
を高めて 行 き ま した。 そ して当時
, 残存 し て い た観音像
は , い つ の 頃か らか この ナ ー タ神 に変 容 し て信奉
さ れ るよ うにな りま した。 こ の よ うな図像 的に明らかに観
音像で あ る仏 教像
は ,今日, キ ャ ン デ ィ地 方 を 中 心 に 各地に存 在 し て い る との こ とで す が, その 土地の 人に尋ねる と, 全 員が その 観 音像を ナー タ神 で ある と答え る そ うで す。 …方で , ナー タ神信仰
その もの はス リ ラ ン カで 今なお盛んで あ り ま すが, こ の 国神の こ と を現 代 研 究の専 門家が現地調 査 した場
合 に は, こ の ナ ータ が大 乗の 観 音の変化
身で あ る とい う歴 史的側面
は なか なか究 明で き な い の で はない か と考
え られ ま す。 し か しこれ を仏教 史研究の テ ーマ と し て 歴史
的に 検 討 して 行 けば , その成
果は 遂に は現 代 仏 教 研 究 と ドッ キ ン グして , ナ ータ神 信 仰の 全容の解
明に 役立つ もの と考 え ま す。
88
パ ーリ学 仏 教 文化 学次に,
第
二 の事例
は上座部 比
丘 尼サ ンガ の 復興 運動 につ い て で あ ります。 この問題 は現代上座 部の研 究 者に とっ て は一つ の ビ ッ グ トピ ッ クで あ りま す し,特
に 女性の 研 究 者の 関心が高
い よ うで あ りま す。 そ して この 問題 は, 冒頭
に述
べ ました下田先生編の 本の一章
と して含
ま れて い る私の 「上座 部 仏 教 教団の相 互支援と交流」 (レ ジ メ参
照)
の中の一節, 「比 丘尼サ ンガの滅
亡 と 復興運 動 」 に おい て も少 し論
じて い ます が, 上座
部 比丘尼サ ン ガ はお お よ そll
〜13
世 紀まで に , 上 座部
の どの国に お い て も滅亡 し, 比丘尼サ ン ガ の 戒 統は断 絶 し, 比丘尼 律の内容や実践 の詳 細は分か らな くなっ て今
日に到
っ て い ます。従
っ て その比丘
尼
の サ ンガ の戒統を復 活させ, 比丘尼サ ンガ の復興
を図るこ とは,律
の規
定上 ,二 度と不 可 能で ある とい うの が現在の比丘 サン ガの公式 見解であ り,各
国共に この 大原 則を厳守
して い る わ けで す。 しかし こ の よ う な状況
の 下で も正規の 比丘尼 な らざる女性
の修行者
が各
国に存在
し て , そ れ な りの活躍を続けて い ま す 。 そ こ で 比丘尼の戒 壇を再興
して 具足 戒 を授け, 戒統を復 活 させ て, こ の 人たち を正規
の比
丘尼
に して比丘尼 サンガ の復興
を実現させ る とい うの が こ の復興
運動
で あっ て,現に ス リ ラ ン カな ど の 国々 に おいて こ れが実 現 し, こ の運動
は今 後 も推進されて行 くこ とで しょ う。 そ し て この運 動の推
進者
は,欧米及 び
ア ジ アの仏
教徒で あ りますが, そ の 思想 的 背景と して は,男女平等
,性差是
正 の 思想があ るこ とは 明 らかであ ります。 しか し彼 らの 主張
の理論 的根拠な ど につ い て 調べ て み ます と,比丘 尼サ ンガ に対す る歴史認識
や教義実 践
上の バ イ ブル と も言
えるパ ー リ律蔵
の 内容理解
や解釈
につ い て は色々 と問題が あ る よ うに見 られ ます。 そ こ で この よ う な問 題
に関
して は佛 教 史 研 究者や律の 専 門 家の出番
で あろ う と思い ま す。この よ うに,古典 学で あ るパ ー リ仏 教学 に おい て も, その歴 史研 究や文 献 研究を
着
実に進め て行け ば, 現 代 上座部
の諸
問題に対して多
くの貢 献が可
能 である と考
え ます。最後
に, こ の 「パ ー リ仏教 学の継承 と発 展」 とい う本 日の テ ーマ を ま とめ とますと, レジ メ中の 「4
. お わ りに」 の記述 にな ります。私
の話
は これで第25回 学 術 大 会 記念シ ンポジ ウ ム (報 告 )
89
終
わ りま す。 ご清 聴あ りが とうご ざい ま した。(
下田)
そ れで は , コ メ ン テーター, 佐々木 閑先生 に お願い しま す。 も う, こ の学
会
の方で あ れ ば, こ の 著 名 な先生 もご紹介の 必要も まっ た く無
い だ ろ う と思 い ま す。(
佐々木)
突然 出て まい り ま し た が , 佐 々木で ござい ま す。
5
分か ら10
分で 話す よ うにt と言わ れ ま したの で , 間を とっ て7
分30
秒 話 し た い と思い ま す。 ま ず, こ の我々 の学 問分 野の 先 駆者 と して,大き な領域
を開
い て くだ さ い ま し た ,森祖道先
生に 心か ら敬 意を表 し た い と思い ます。 さ らに森
先生 は , 仏 教 研究
とい う雑誌
の編集責任 者
と し て, 我々 の研究
を本
当に後
ろか ら励ま して くだ さい ま し て, その お陰
で 我々 が研 究を続 ける こ とがで きて い る, とい う こ とで も深 く感謝申
し上げま す。さて,
今
日の お話
で すがも ちろん こ の後も ま た林先生か らお話が あ り ますが
研
究を す る際に, 歴 史 的にや るの か, そ れ とも ある段 階で 区切 っ て, そ れ をフ ィ ール ドと して 横に見て い くの か , そ して そ れ ら歴 史 研 究 と フ ィール ド研究
を どの よ うに兼ね合わ せ る の か, とい う点 が問題に な ると思 い ます。実
はこ れは, 仏教 学 をやる者の 悩み とい うだ けで な く, あ ら ゆる学 問 分野 に おい て 普 遍 的につ い て 回っ て くる問題の よ うであ りま す。そ れで,
今
日の講演
の テ ーマ を聞い て , そ れ とは全 然関
係ない の で すが, す ぐ思い 浮か ん だ こ とが あ り ます。 「歴史
なん か嫌
い だ , 我々 の 学 問は歴史 な ど とは無縁の 普 遍 的 真理なのだ」 と言っ てい たの が , ど うに もこ うに も仕 方な くなっ て , 歴 史を受け入れ ざるを得な くなっ た分野 が あ るとい うこ と で す。 そ れ は物
理 学で あ ります。 ニ ュ ー トンやア イ ン シ ュ タ イ ン の ころ まで は, 宇 宙の普
遍 法 則 を 見つ け れ ばい い の で あっ て , そ こで見つ か る法 則 とい うの は , ど ん な時 間の , ど ん な場所の , どん な宇宙で も成 り立っ 普 遍 的な法
90
パ ーリ学仏 教 文 化 学 則だ か ら, 我々 は歴史 なんて もの とは何
の関係
も ない の だ とい うこ とで や っ て い た の ですが,1927年
に ジ ョ ル ジ ュ ・ル メ ー トル とい う人が,宇 宙 に は 始ま りが あ るとい うこ とを言い出
したの です。 ビッ グバ ン です ね。 それ を物
理学者た ち は大 変に嫌
うの です ね。 「歴史的変化
」 な ど とい う概 念を持ち出 して , 果 た して そ れで物
理学とい う普 遍 的学 問が成 り立っ の か とい うこ とに な るわ けです。多
くの物
理学者
が そ れ を認め ない 。 ア イ ン シ ュ タ イ ン も認
め ない 。 し か し, ど う して もそれが実 証 的に証 明さ れて し まっ たの で, 泣 く泣 く物
理学 は歴史を受け入れ るわ けです 。そ れで どうな るの か とい うと, ビッ グバ ン の と きに は,
今
とは違
う物理 法
則が ある とい うこ と になるの です。 そ れ が発展 して今の物
理学 とい う もの が あるわ け です。 歴 史を さか の ぼっ て研 究 してい か な け れ ぼ, 今の物理法 則も 分か ら な い とい うこ と になっ て し まっ た わ けで す。 今の物
理学 者は, 歴 史 を さ かの ぼ る とい う作業
, つ ま り歴史学
を や らな け れ ぼ な らない とい うこ と に なっ た の で あ りま す。これ は
最
も極端
な一つ の例
ですが, 歴史か ら最 もか け離 れて い る と思わ れ て い る学
問分野です ら,歴史研 究 とフ ィール ド研 究は, 大 き な対 立項で ある と同 時 に ,協力 すべ き項で も あ るとい うこ とを思い 知 らされ ま す 。 こ の 点に つ い て,仏教研
究
に関する私の持っ て い る イメ ー ジを お話
しま す。釈迦
か ら 始まる, 或い は釈 迦以前か ら始ま る イン ドの仏 教 とい うの は,時代
と と もに 変化 し ま す。 変化 しない の で あれ ば, 歴史研
究な んて しな くて い い わ けで す が, 実 際 に は時 と と もにお お も との仏教
は枝
別れ,融合
を繰
り返 し激 しく変 容して い き ます。 釈 迦 とい う 一点か ら始
まる枝
別れの系 統 樹が で きて い るわ けで す。時間
も空間
も含
めた こ の系統樹
の 全体
が 「仏教
」 とい う もの を形作
っ て い る訳です が,仏教学
の 目的は, それを全て整 理 し, 理解 し, 説明 す る とい う こ とに な ります。 そ ん な ことが で きる訳はな い と思 うの で す が, と もか くそ れ を最終
目標
と して進んでい くの が仏 教 学 とい うもの で す。その と きに, そ の
系統樹
を どうい っ た断面で 見て い くか とい うこ とが 重要 にな りま す。 その 系統樹 を, ある時間 的 平 面で横
にス パ ッ と切っ て み ま す。第 25回学 術大 会記念シ ンポジ ウム (報 告 ) 91 そ うす る と何が見え て くるか とい うと, 多 くの
系統線
が走 っ て い る系統樹を 横に 切 るわ けで すか ら, 沢山の 点が見え て き ます ね。 そ れ を, 歴 史を全 く考慮
しない ま まに語 ろ うとする と,各点
の 紹 介 に しか な ら ない 訳で す。 「 こん なの が あ り ま す」, 「あん な の も あ り ま す」 とい っ た た だの 紹 介で す。 しか し, まっ とうな好 奇心 と知 的 探究心があ る人なら, その 点 と点を調べ て い る う ちに色々 な こ とに気 が付
い て くるわ けで す。 「こ の 点と こ の 点が 近 くて似
て い るの は ど うし て なの か」 あるい は 「こ の 点 と こ の点
は どんな関係にある の か」 とい うこ と を必ず 知 りた くなっ て くる。 し か し, そ れ はその 断面だ け を見て い て は絶
対に 分か っ て こ ない の で す。 そ こ で初
め て,時 問 を さ か の ぼっ て, その 点が 現わ れ て くる時 間 的経過 を知 ら な ければな らな く な っ て く るの で す。 こ こ に歴史研 究が 必ず 付随 し て くる。 も し も付 随 し て こ ない と し た な ら, それは その研究者
の 知 的レ ベ ル が 低 い とい うこ と です。 つ ま り, そ の点 を見て い るだ けで, そ れ 以上の こ とに対
して疑問
が浮か んで こない とい うこ とにな る か らで す。 だか ら, 現在の あ りさ ま だ け を見て, 過去
に遡らな い の で あ れば, それは学 問 と して稚 拙だ とい うこ とに な りま す。一方 ,逆の こ と も言え ます。 地 域 的な
多様性
を無 視 して , 歴史
だ けし か考 え ない 人問が い た ら ど うな る か 。 現 時点で の あ る 一点だ け を捕
ま えて , その 点だ けに つ い て 「昔は ど う なん だ 」 「昔は ど うなん だ 」 とい うこ と しか考 え ない わ けで す。 そ れ を外か ら見た ら,複雑
な系統樹 を, ある 一本
の流
れだ け を伝
っ て , ただ 過 去 に遡 っ て い る だ け で あっ て , そ れで は い く ら遡 っ て も,系統樹
全 体を見わ た す こ とはで き ません。 つ ま り, ひ とつ の 点 だ けに絞っ て 過 去 に さ か の ぼ っ て も, 系 統樹 全 体を見渡す力
は ない とい うこ とに な るの で す ね。結
局は, 結論 と して は簡単
な こ とで あっ て , 広い面 積を 見 な が ら, そ れ ぞ れの 点に於い て歴 史的 に遡る とい うこ とが必要に なっ て き ます。先
ほ ど森 先 生 が, 古 典 を や る と きに は古 典 語でや る ん だ とい うこ と をお っ しゃ い まし た。 これは何を言っ て い るの か と言え ぼ , 切 り口の 問題です。 現 代 の こ と を や るの で あれ ば ,現 代か らずっ と遡っ て い くの で すか ら, 現代語
の 知識が絶
92
パ ーリ学 仏教 文化 学 対に必 要 になっ て くる。 例えば2000 年
前か ら現 在まで の 全 体 像を見たい と い うの で あれ ば, その2000
年 前
の言語
か らや らね ば な らない とい うことに な りま す 。 理想は, 最 初 か ら全部
や るとい うこ となの で しょ う が , 一人 の 人 間で は お そら く不 可 能で しょ う。 で す か ら, 役 割 分 担を す る の で あ れ ば, 「私はこ の 面で切っ て そ こか ら下
をやる」, とい うこ とにな ります。 こ うい っ た作業
を ある程 度 進め るこ とに よ っ て, こ の複雑
な仏
教系統 樹
の形 を , あ る程度
リア ルな形で 把 握で きる よ うにな る。 把 握す れぼ, そ れ を説 明で き る よ うに なる。 これが仏教
を知
る とい うこ との一つ の道であ り, それは歴 史学な のか, フ ィ ール ドなの か , とい う問い に対す る 一 つ の答え な の で は ない か と 思い ます。 私が そ れ を十分
にや っ てい る とい うわ けで はない ですよ 。 そ うい う人が出
て くるとい い なあと思 う訳で, そ れ が 一つ の道筋
なの か も知れ ま せ ん。 そ う言
う訳
で, どうもありが と うござい ま した。(
下田)
ありが と うござい ま した。 非 常に明
確
な ガ イ ドマ ッ プを今, 示 して い た だ き ま した。 学問に は, 広さ と深さ を求
め るこ とが必要で, 具体 的に は, これ か ら ど う してい っ た らい い か とい うこ とが 大き な課 題 にな っ て くるの で す が, その 課 題を明確 に して い た だ き ま した。 こ の 課題を解
くため の ひ とっ の 方法は, 恐らく, 他 者 と出会
う とい うこ とだ ろ う と思い ます。 学 問 をするこ とは, 一 っ の山に, 一人で登 っ て い くこ と に た と え られ ると思い ます。 あ る ときに途 中から全 然 違う登 り口か ら登っ て きた人 ,全然
違う景 色を見て き た 人と語 り合 っ て, 山全体の姿
が 見えて くる とい うこ とがある, こ こ に学問
の広
が り と深ま りが ある。 さ て, こ れか らご紹
介す る林先生で すが, 文献学
, 古典学か ら は違っ た 登 り口か ら歩い て こ ら れ た方で, 現在, 京都大学
地域研 究統 合情 報
セ ン タ ーの教 授 をなさっ て い ま す。 ご専 門は東南
ア ジ ア民族 誌 学, 文化入類学
,宗教
と社 会の 地域研
究です。 先ほ どの森 先 生のお話に もあ りま した が ,私は林 先生 の こ著 書,特
に 『〈
境 域〉
の 実践宗教
』 に , それこ そ出会い ま して, 大 きな衝撃
を受
け ま した。 それ か ら先 生の フ ァ ン にな りま第25回 学 術 大 会 記念シ ンポジ ウム (報 告 )
93
した。 そ れか ら先生 に お願い し て, 『静 と動の仏教 』 とい う一冊 の 本が生 ま れ ました。林先
生, よろ し くお願い します。(
林)〈
上座仏教徒研究の課題
と展
望〉
ご紹 介にあずか りま した, 林で ござい ます。 学 会 員で も ない
私
を, こ の よ うな記念すべ き会に 招待 して い ただ き ま した こ と, 大 変 重 く受け止 めて お り ます。 先ほ どの森先生
の お言葉
で はあ りませんが , 私の よ うな者が仏 教学 の 端っ こ の ほ うで チ ョ ロ チ ョ ロ 動い て い る うち に,下
田先生 を は じめ と して , 本 日の よ う な 過分な評 価をい た だ き, 大 変 恐縮で ご ざい ま す。 た だ , 人類
学, 地 域研 究 とい っ た学 問 と い うの は, ま だ非 常に 若 い 学 問で して , 皆さ ん が そ れこそ世 界一級の 文献の 読み方をするよ うに, 人類
学者
, 地域 研究学者 が 一級
の研 究を して い る か とい う と, クエ ス チ ョ ンマ ー ク を付けざるを得
な い とい うの が 現在の 心境です。本
日の テ ーマ は 「上座 仏 教 徒 研究
の 課題
と展
望」 と さ せ て い た だ き ま し た。 私は1981 年
か ら京都 大 学
の 東 南ア ジ ア研 究セ ン タ ー(
当 時)
の研究
生 にな りま した が, そ れ まで は龍谷 大 学で 文 化 人 類学, 社 会 学を学ん で お り ま し た。仏教
を勉 強す る とい うよ りは,宗
教 と は何か とい う理論的問題に 関心 が強か っ た の で す。1979
年に龍谷 大学に教え に来 られて い た 石井 米 雄 先 生 に お会い し, 偶 然で は あ り ま す が単
位を と る こ と にな りま した。79
年か ら タ イ に 留 学 する81
年までの2 年 間
は,語
学もそ うだ っ た の で す が ,行 っ た こ と も ない 国の 民族 誌を読む こ とが辛 くて嫌々読ん で い た記 憶があ り ま す。1981 年
か ら今
日に至 る ま でラオ ス や カ ン ボジ ア は冷 戦 終 結 後の
90
年 代 に入 っ て公 的に調 査がで きる よ うに な りま した一80
年 代 初 頭か ら10
年ほ ど は タ イ東 北部の 農 村 と周 囲の地域 社会 の なかで 仏 教を見て まい り ま した。 正確にい う と, そ こ に住 んで い る人々 の 宗 教の 変化を 地域の 歴史 の なかで と らえる とい うこ と を や っ て きま し た。90
年 代に入 る と, ミャ ン マ ー , ラ オ ス , 中 国云 南省 西 双版 納とい っ た地域の 共 産 主 義,社会
主義
が緩
んで, どん ど ん 市 場 開 放 して い く, その 流れで 調 査 さ せ て い た だ く恩 恵 に恵 ま れ ま し94 パ ーリ学仏 教 文 化学 た。 そ し て
93
年と94年
, カ ン ボ ジア の 仏 教 復興の 調 査にで かけ ま した。 そ の後
, 先 ほ どか ら ご紹介
して い た だい てい る編 著 者 を書 くた めに科研
で調査
を3 年間
や らせて い た だ き, 現 在は, 調 査 区画を定めて ,寺 院
施 設の分 布 と 出家行動
を詳細
に 調べ る とい うこ とを やっ て お り ます。最近
の人類 学 者は , こ うい う チョ ウチ ョ や ネコ の 頭 数 を調べ る よ うな調査
を や りた が らない の で す が, 私 はそれが大事な こ と だ と思っ て お り ますの で,自
分の こ とを人類 学者
と言わ ない よ うに し ようと思っ て お りま す。前置
きが長 くな りましたが, 仏 教学者
の先
生方
が研究
対 象 として こ られ たの は, 仏tw
Buddhism
で あ ろ う と思い ま す 。 私達 は よ く言 うの ですが, 仏 教徒 Buddhistsを研 究して い ます。 つ ま り,現 在生 きてい て, 生活 してい る 人々 を研 究対象 として い ま す。1942
年
に宇野 円空 先
生(
宗 教 人 類 学者)
が 「あ らゆ る宗教は実 際 に作
動してい る生活の なか に分け 入 る こ とで よ り適 切 に理解で き る」 とおっ しゃ っ てい ま す が, そ の26
年後に, エ ドモ ン ド ・リー チ とい う英国の人類学者が ,神学者
の 見解よ り日曜日に教 会へ でか ける市井 の 人々 の な か に あ るpractical
religion を研 究 対 象に せ よと言い ます。両者
の 論点は繰
り返し唱 え られてき た こ とを確
認してお き たい と思 い ます。 その 流 れのな か で の人類学
や地 域研 究の 方 法で す ね , その地域で暮
ら してい る人の輪
のな か に入っ て,Lebenswelt
の 意 味で の 生活 世 界で宗
教を見る。 現 象 学の アル フ レ ー ト・ シ ュ ッ ッ と か, ピー タ ー ・バ ー ガ ー とい っ た人達, 私の 学 生時代
の こ ろ, 流行 りとい っ た ら お か しい です が ,先行 するM
・ヴ ェ ーバ ー やE
・デュ ルケムなどの 古 典に誘う形で現象学的
なアプロ ーチが盛んで したの で, そ うい う理論
的関
心 か ら,仏教徒
か ら見た仏 教の 現実の 研 究に着手
した わ けで す 。 地域研 究者とい っ て も色々 あ りま す。 森 先生 も強調 され ま したが ,現地語 を使う学者
がい ま す。 現 地 に入っ て い くた め には現
地語
を習得
しない とコ ミュ ニ ケ ーシ ョ ンの手段がない の で 全然 ダメ なの です が ,最近 の地域 研 究は ご存知の 通 り, 大学にた くさん学 科がで き ま した。 こ の 図は私の 同僚の 山本博
之さ ん が ,今 日現在 日本で 地 域研 究 とい う学科
を置
く とこ ろ に調査
に行っ第25回 学 術 人 会 記 念シン ポジ ウム (報告) 95 て ,実 際に どん な 地域 研 究 者が い るの か分類 したもの で す
【
資1 】
。 現地語を や っ て, 現 地 の こ とを やる とい うの は,今
は少
な くて , 自分 のdiscipline
で 地 域の こ とを語る とい う学者が増 えてい ま す。 そ の よ うな研 究を 社 会 的に立 ち 上 げて い る制 度が で きてい る とい うこ とで す 。私の 立 場 は, こ の少 数 に属 す るわ けです。 地域 研 究 とい っ て もい ろい ろあ る とい うこ とで ご ざい ます。それか ら上 座 仏教 と社 会 とい うこ とですが, パ ー リ仏 教 徒は実 際 どこ に広 が っ て い る か とい う と, イ ン ドの ア ッ サ ム か ら, そ れ こ そア メ リカ, ヨ ー ロ ッ パ に 亡命した東 南ア ジ ア の 人間が 作っ たセ ク トまで , 世 界 中に広が っ て い る訳で す。 バ ン グラデ シ ュ もその 一 つ で すが , 私が調 査 して きた東 南 ア ジア の 大 陸部を 上座 仏 教 徒 社 会 と し て お話さ せ て い た だ き ま す。 私 たち が
1970
〜80
年代にか けて , こ の 地域の 仏 教 徒の 社 会を観 よ う とした とき に, すで に メ ル フ ォ ー ド・ ス パ イ ロ に よ る ビ ル マ の モ ノ グ ラフBuddhism
andSociety
(
1970)
,ス タン リー ・タン バ イ ア の東 北タ イ の モ ノグラフBuddhism
and theSprit
Cults
in
Nonh
−eastThailand
(
1970
)
, キ ャ ン デ ィ
ー高 原で の リ
チ ャ ー ド ・ゴン ブ リッ ジの
Precept
andPractice
(1971
)
などが 出揃っ て い ました。 日本 で も,石 井米 雄 先生 が
1975
年に 『上座 部 仏 教の 政 治 社 会 学 』 を 出されてい ま す。 こ の時期, 一つ の高ま りが あっ た よ うに思い ます。 そ れか ら1986
年に ,森 先生 が お っ しゃ っ て お られ たバ イ ブル , 前田惠 學 先生 の こ 編著
で す ね。 私 もアル バ イ トし て 買い ま し た。 ア ジ アの 仏 教 研 究が 一っ の うね り をつ くっ て い た その 時 期に , 私 も タ イで調 査を始めた の です。 そ し て ,90 年
以降
にタ イ以外
の 国を調査
して初
めて気 付
い たの で すが ,植
民 地 支 配を受け た国と, そ うでない 国,或い は独立後 社 会主義を採 用 し た 国と し な か っ た 国で はT 随分 と制度
的 な様相が違 う とい うこ とを実感 し ま し た。 外96
パ ーリ学 仏 教 文化 学 【資2】 西 南 中国、東南ア ジ ァ大 陸部上 座仏 教徒社会に お ける 寺院 と出 家者数 統 計 寺 院 僧侶 1寺 院あ たり 晃 習 僧 1寺院 あたり 統計 年 見 習僧 数 憎 侶 数蕪
liiii
讐
iii
i
:
灘
i
:i
iil
欝
納:
]
18
器
1
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濳
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:ll
:
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1
出典 「タ イ国家仏 教 庁2582年 仏教基 礎 資 料」、ミャ ン マー、カンボジアは林 編(2009》、ラ オλ は吉田香世子 氏 の ネ ホ ラオ サーン サートで の聴取調査、西 双 版納、徳宏 は小 島敬 裕氏 に よ る各州 仏 教協会で の聴 取調 査による 【資 3 】出家と在 家の連 続と不連続 【出 靉餐 図・・・…「在 俗信徒(男 子 )から亅 楹 イ呂 廴20歳 以上 の黒 畢 ) 227戒を燈 守 畳 雪 馥 くロ歳から節歳以 軍 の舅子 ) 吟瓶 を遜 守蠶
在俗信幽
。. ,鮴 。戒、,常 遵 。,鷲
喫 瓢
灘 驚
【在 俗 信 徒1
・・…咄 家 者 の 物 質 的 支援(布 施)」 「元 出 家者と しての 知 識 の 継 承」 国の支配
を受けずに, 立 憲 王権 政,未
だ に王様
を抱
えて い る タ イ ,正確
に言えば最 近王政復 古 し ま したの で カン ボジア も 入 れ なけれ ば な ら ない です が , タ イ は非常
に例外
的 な とこ ろに な る と思い ます。統計 【
資
2
】
か ら 概 観す れ ばそれ ぞ れの数字 は お よ その 傾 向を示すだ けです が , 入 手す る の は苦 労 し ます 日本の 寺 院数は
7
万 くらい とい うこ となの で, ミャ ン マ ー , タ イ と もに,人口比率か ら言っ てほぼ同 じ くらい の寺 院が あ る わ けですね。 そ こ に出家者
が い る。パー リ
仏教
の特徴
と して 出家主 義 とい うこ とが よ く言わ れ ます。 出家者
VS
.在 家 者 とい う扱
い が さ れ るの で す。 こ れは 良 く見る と, 一般
的に言わ れ るよ うな 出家者 と俗人 , 理念を しっ か り持っ て い るエ リー ト と,何 も知 ら な い一般 人 とい う二項対
立 に似
て ,少
数者
が大 衆に教え を授ける とい う よ う な こ とが含 意され ます。 とこ ろが, タ イで村
か ら地域
の 仏 教の 現 実を見て い き ま す と, む しろ, 僧 俗の 間に は連続
がみ られ る【
資 3 】
。 確か に, 制 度 的に は,戸籍
の離脱 とか, 兵 役の免除
とか,俗
人世界
と は切 り離れ る とい うこ と はあ り, 出 家す れぼ守る べ き戒の数
も変
わ るわ けです が , 生ま れなが らの 僧 侶はい な い わ けで して , さ らに言えぼ出家の動機
も様
々 です。 功徳を積むた め,お母 さ んに 功 徳 を分 けるた め, 仏 法を勉 強
す る た め, な どな ど あ り ま す。 年 齢 も二十歳を過ぎ
れぼい つ で も出家で き ますし, さ らに はい つ で も還 俗でき ま す。 で す か ら, 出家 と在 家の連 続 とい うの は,強 調 して も しすぎる第25回 学 術 大 会 記 念シ ン ポジ ウム (報 告 ) 97 こ とは ない と思 い ま す。 同じ よ うに, 知 識の あ りか た も見 直さ な け ればい け ませ ん。 若い 僧 侶 が , かつ て 出家 し て い た老 人か ら説 法を学ぶ とか , そ うい う場 面は村で