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中世末期の聖と寺院社会―近世賤民の起源によせて―

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Academic year: 2021

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-近

の起

は じ め に 故 三 浦 圭 一 氏 に よ り 提 唱 さ れ 、 今 日 も 根 強 く 支 持 さ れ て い る 被 差 別 部 落 の 中 世 起 源 説 が あ る 。 比 較 的 、 戦 国 末 期 の 史 料 に 恵 ま れ た 地 域 で 提 起 さ れ た 説 で も 診 り 、 実 証 的 に 議 論 が 行 わ れ て い る 。 し か し 、 近 年 、 ﹃熊 野 那 智 大 社 文 書 ﹄ の 翻 刻 が 行 わ れ 、 多 く の 大 阪 地 域 に 関 わ る 旦 那 場 の 売 券 が 披 見 で き る よ う に な り 、 ま た 藤 田 達 生 氏 に よ り 、 泉 南 の 根 来 衆 で あ り 、 根 来 寺 に 子 院 を 持 っ て い た 土 豪 中 家 に 伝 来 す る 文 書 に つ い て 注 目 す べ き 研 究 が 現 れ 、 三 浦 圭 一 氏 に よ り 提 唱 さ れ た 説 の 当 否 を 検 討 し て も 良 い 時 期 で あ る 。 ﹁中 家 文 書 ﹂ に 現 れ る 中 世 賤 民 に 拘 わ る 問 題 を 取 り 上 げ た い 。 ﹁中 家 文 書 ﹂ の 売 券 類 に は 多 く の 中 世 賤 民 に 関 わ る 文 書 が 存 在 す る 。 時 藤 知 之 氏 は 中 世 と 近 世 と の 地 名 の 系 譜 を 分 析 し 、 嶋 と い う 地 名 が 後 の 被 差 別 部 落 の 地 名 に 連 続 性 が あ る と さ れ た 。 こ う し た 論 証 に も 拘 ら ず 、 な お 疑 問 が 残 る 。 即 ち そ の 嶋 に 居 住 す る 売 り 主 で あ る 与 三 郎 は 、 そ の 売 中 世 末 期 の 聖 と 寺 院 社 会 買 に 懸 か る 土 地 を 、 天 文 十 五 年 ﹁与 三 郎 畠 地 売 券 ﹂ に お い て 、 ﹁鶴 原 エ ン タ 村 ﹂ と 記 載 し て い る 。 も し 自 ら が ﹁ エ ン タ ﹂ と 呼 ば れ て 居 る な ら ば 、 そ の 呼 称 を 自 ら 作 成 す る 売 券 に 用 い る で あ ろ う か 。 ま た 永 禄 五 年 ﹁五 郎 三 郎 ・太 五 郎 田 地 売 券 ﹂ の 端 裏 書 に は ﹁ツ ル バ ラ   エ ッ タ ヨ リ ﹂ 等 と 記 載 す る 例 が あ る 。 端 裏 書 は 売 買 の 時 点 で 記 載 さ れ た か 否 か 検 討 を 要 す る と と 考 え て き た 。 そ の 他 、 近 世 の 癩 病 者 を 収 容 し た と い う ﹁物 吉 ﹂ 村 に つ い て も 、 売 券 に そ の 旨 を 記 載 す る と い う 様 々 の 問 題 を ﹁中 家 文 書 ﹂ は 抱 え て い る 。 こ う し た ﹁中 家 文 書 ﹂ の 原 本 に 接 す る 機 会 は な か っ た が 、 文 書 に 記 載 さ れ て い る 内 容 か ら 判 断 し て 、 後 に 追 筆 さ れ た 可 能 性 が あ る と 筆 者 は 考 え て き た 。 先 述 し た 藤 田 達 生 氏 ﹁中 ・ 近 世 移 行 期 の 西 国 と 東 国 に お け る 検 知 と 村 落 に 関 す る 比 較 研 究 ﹂ と い う 注 目 す べ き 研 究 に 依 れ ば 、 ﹁中 家 文 書 ﹂ の 中 世 の ﹁売 券 の 過 半 が 、 数 種 類 の グ ル ー プ ー 同 一 筆 跡 で 、 ほ と ん ど 同 一 表 一 五

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一 六 ま れ て い た こ と は 明 ら か で あ る 。 藤 田 達 生 氏 が 正 文 書 と 推 定 さ れ た 中 家 文 書 に は 、 嶋 ・ 宿 な ど と 称 す る 村 が あ り 、 人 々 の 呼 称 に も ﹁ つ る は ら の ひ ち り (鶴 原 の 聖 ) ﹂ な ど の 中 世 賤 民 の 呼 称 の 例 が 確 認 さ れ 、 ﹃九 條 政 基 旅 引 付 ﹄ に も 中 世 賤 民 と 見 ら れ る 人 達 が 記 載 さ れ る が 、 ﹁ エ ッ ク ﹂ ﹁ エ ン タ ﹂ と い う 呼 称 は 中 家 の 写 し の 文 書 に し か 確 認 で き な い 。 し か し 、 中 世 か ら 近 世 へ の 移 行 期 の 賤 民 と 目 さ れ る 人 々 に 関 す る 実 証 的 な 研 究 は さ ほ ど 進 ん で い る と も 思 え な い 。 こ う し た 人 々 の 問 題 を 宗 教 史 的 な 観 点 を 取 り 入 れ な が ら 若 干 の 考 察 を 加 え た い 。 同 朋 大 学 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 九 号 現 で あ り 、 ほ ぼ 同 一 寸 法 で 等 質 の 料 紙 が が 使 用 さ れ て い る も の I に 分 類 す る こ と が 出 来 る ﹂ と 指 摘 し 、 同 文 書 の 中 の 中 世 文 書 の 過 半 数 に 及 ぶ 四 百 七 十 点 、 中 世 ﹁中 家 文 書 ﹂ の 約 五 十 七 % を 占 め る 文 書 が 近 世 初 頭 の 写 し で あ る こ と を 論 証 さ れ た 。 こ う し た 写 し の 文 書 の 中 に 、 既 に 指 摘 し た 疑 問 と さ れ る 被 差 別 部 落 の 中 世 起 源 説 に 関 わ る 文 言 を 記 載 す る 売 券 類 が あ る 。 写 し で あ る か ら 信 憑 性 に 欠 け る と い う 訳 で は な い と し て も 、 写 し の 文 書 が 忠 実 に 原 文 書 を 復 元 し て い る と 考 え る わ け に も 行 か な い 。 同 氏 は 、 そ う し た 例 の 一 つ と し て 、 新 た に 中 家 か ら 発 見 さ れ た 正 文 書 で あ る 大 永 七 年 の 中 世 売 券 と 、 写 し に な る 大 永 七 年 の 売 券 と で は 、 文 字 記 載 に 明 ら か に 相 違 が あ る 、 と 指 摘 し て い る 。 復 元 さ れ た 写 し の 文 書 は 書 き 換 え 、 或 い は 書 き 加 え を 経 て 作 成 さ れ た と 言 え る 。 藤 田 氏 は 、 天 正 十 三 年 の 戦 乱 に よ り ﹁中 家 も (根 来 衆 ) 成 真 院 と 同 様 に 炎 上 し た の で あ っ て 、 そ れ 以 前 に 持 ち 出 す な ど し て 焼 失 を 免 れ た 文 書 の 大 部 分 は 、 や は り 売 券 を 中 心 と す る 地 主 経 営 に 関 係 す る 文 書 で あ っ た の で あ ろ う 。 そ れ と 盛 重 が 持 ち 込 ん だ 成 真 院 の 売 券 と 、 検 地 に 具 え て 復 元 あ る い は 操 作 し た 大 量 の 売 券 が 、 一 括 し て 伝 来 し て き た ﹂ と 理 解 さ れ て い る 。 妥 当 な 解 釈 で あ る と 思 う 。 更 に 文 書 の 写 し の 作 成 時 期 に つ い て も 、 天 正 十 三 年 に 実 施 さ れ た 太 閤 検 地 の た め に 準 備 し て 作 成 さ れ た と 推 定 さ れ て い る 。 中 家 の 文 書 写 し の 作 成 が 何 時 で あ っ た か 更 に 研 究 を 深 め る 必 要 が あ る だ ろ う が 、 同 氏 の 推 定 通 り 天 正 十 三 年 に 写 し の 文 書 が 作 成 さ れ た と す れ ば 、 そ の 時 点 で ﹁ エ ッ ク ﹂ ﹁ エ ン タ ﹂ と 呼 称 さ れ る 人 々 が 生

三 浦 氏 は 、 特 に 中 世 の 泉 南 地 域 の 被 差 別 部 落 の 起 源 の 問 題 を 取 り 上 げ ら れ 、 部 落 の 中 世 起 源 説 を 証 明 す る ﹁史 料 と し て 一 六 世 紀 で 発 見 で き た も の は 、 わ ず か こ こ に 掲 げ た 二 通 だ け で あ る ﹂ と し て 中 家 文 書 に 注 目 さ れ た 。 ﹁厳 密 な 検 討 を 加 え る 必 要 が あ る ﹂ と 断 り な が ら 、 そ れ が 中 世 末 期 に 既 に 霜 牛 馬 処 理 圏 、 近 世 の 旦 那 場 が 成 立 し て い た と 論 じ る と こ ろ に 三 浦 説 の 特 色 が あ る 。 史 料 自 体 は 、 永 代 売 渡 申 タ ン ナ ン 放 券 文 之 事 鶴 原 ( 四 方 東 ( 熊 取 ヽ 限 、 南 ( 瓦 屋 庄 堺 限 。 西 ( ウ ミ 限 、 北 近 木 川 限 合 タ ン ナ ン ( 鶴 原 ・ 朝 社 、 同 ス ス メ ノ ( ト モ ニ ア サ シ ロ ワ 東 ( ミ ノ ワ ア タ 限 、 南 ( 日 根 野 サ カ イ ヲ 限 、

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北 ( 光 明 寺 ノ 岡 、 西 ( I 本 ヲ カ キ ル 、 右 件 之 旦 那 者 、 元 ( 嶋 之 次 郎 五 郎 先 祖 雖 為 旦 那 、 只 今 依 有 要 用 仁 、 直 銭 参 貫 八 百 文 宛 、 限 永 代 、 根 来 寺 菩 薩 谷 城 真 院 へ 売 渡 申 處 、 実 正 明 白 也 、 然 上 者 、 天 下 一 同 之 雖 為 御 徳 政 。 於 此 旦 那 者 、 末 代 無 違 乱 妨 可 有 御 知 行 者 也 、 働 為 後 日 支 証 明 鏡 之 文 書 状 如 件 、 天 文 十 九 年 庚 戌 拾 月 廿 三 日        売 主   嶋 二 郎 五 郎 (略 押 ) 買 主 根 来 寺 菩 薩 谷 城 真 院 へ 参 と い う の が 一 例 で あ る 。 三 浦 氏 ﹁15 16 世 紀 の 人 民 闘 謬 ﹂ 論 文 は 。 こ の 文 書 に 見 え る 旦 那 を 解 釈 し て 、 ﹁賤 民 で あ る 嶋 の 二 郎 五 郎 が 先 祖 相 伝 し て い た 旦 那 ﹂ で あ る 日 根 郡 内 鶴 原 と 朝 社 と の 地 域 を 三 貫 八 百 文 の 代 価 で 根 来 寺 成 真 院 に 売 却 し た と い う 。 鶴 原 ・ 朝 社 の ﹁タ ン ナ ン ﹂ は ﹁同 ス ス メ ノ ﹁ ト モ ニ ﹂ と あ る 様 に 、 こ れ を ﹁勧 め の 場 ﹂ と 解 釈 さ れ 、 ﹁勧 め ﹂ と い う 表 現 か ら 判 断 し て 、 ﹁神 明 社 の 勧 請 ・伊 勢 代 参 講 の 勧 進 、 さ ら に 神 札 等 の 売 却 配 布 を 勧 め る こ と を 内 容 と す る も の で あ る ﹂ と 推 定 さ れ た 。 更 に 、 こ の ﹁勧 め の 場 ﹂ を ﹁同 時 に 完 牛 馬 処 理 圏 と 重 な っ て い る と 考 え て よ か ろ う ﹂ と さ れ 、 ﹁ こ の 旦 那 職 の 内 容 は 、 中 世 賤 民 の 非 農 業 的 職 業 た る 完 牛 馬 処 理 ・ 神 札 呪 札 な ど の 販 売 ・ わ た り 芸 能 ・ 代 参 講 結 成 運 営 の 援 助 ・ 非 人 乞 食 の 取 締 ・ 雪 踏 直 し と か 皮 革 製 品 の 販 売 な ど に か か わ る も の ﹂ と 論 じ た 。 様 々 な 留 保 を つ け な が ら 述 べ ら れ て き た 三 浦 氏 の 見 解 が 、 ﹁16 世 紀 に お け る 地 域 的 分 業 流 通 の 構 造 ﹂ と い う 論 文 に お い て 、 同 一 の 史 料 を 解 中 世 末 期 の 聖 と 寺 院 社 会 釈 し て 、 ﹁結 論 的 に い え ば す で に 述 べ た こ と も あ る よ う に 、 こ の ﹁旦 那 ﹂ は 艶 牛 馬 処 理 の こ と で あ る ﹂ と 理 解 が 短 絡 的 に な り 、 論 理 的 に 飛 躍 が 見 ら れ る 。 鶴 原 が 近 世 部 落 で あ る こ と か ら 、 こ こ か ら 逆 に 推 定 さ れ て 旦 那 場 を 完 牛 馬 処 理 圏 と 解 釈 さ れ 、 歴 史 的 な 結 論 を あ ま り に も 早 く 出 し す ぎ た よ う に 思 う 。 泉 南 地 域 の 先 達 と 関 係 が 深 い と 思 わ れ る 根 来 寺 に は 、 中 家 を 始 め と す る 山 伏 集 団 が 存 在 し た 。 根 来 寺 の 山 伏 に 関 し て は 興 味 深 い 記 録 が ﹁大 乗 院 寺 社 雑 事 記 ﹂ に 収 め ら れ て い る 。 そ れ に 依 れ ば 、 紀 州 根 比 山 者 別 当 三 宝 院 也 、 東 寺 末 寺 也 、 然 而 山 伏 共 聖 護 院 之 下 方 也 、 (中 略 ) 学 衆 方 上 百 人 号 学 侶 、 此 末 衆 為 大 将 分 召 仕 山 伏 方 云 々 、 此 事 為 事 実 引 懸 諸 山 寺 珍 事 也 、 と あ り 、 根 来 寺 は 三 宝 院 の 末 寺 で あ る に も 拘 わ ら ず 、 根 来 寺 の 山 伏 は 、 真 言 系 統 の 三 宝 院 と 措 抗 関 係 に あ っ た 天 台 系 統 の 聖 護 院 を 中 心 と す る 熊 野 本 山 派 で あ る こ と が 分 か る 。 中 家 が 成 真 院 を 根 来 寺 に 持 っ て い た 事 か ら 考 え て も 、 嶋 二 郎 五 郎 が 売 却 し た 旦 那 場 は 熊 野 の 旦 那 場 で あ る と 解 釈 す る こ と が 出 来 る 。 近 年 、 ﹁熊 野 那 智 大 社 文 書 ﹂ の 刊 行 に よ り 先 達 の 研 究 が 飛 躍 的 に 進 展 し て き た 。 宮 家 準 氏 ﹁熊 野 修 験 ﹂ に 依 れ ば 、 各 地 域 の 先 達 の 分 布 を 分 析 し て 、 泉 南 地 域 に 熊 野 先 達 の 旦 那 場 が 存 在 し た こ と を 指 摘 さ れ た 。 即 ち ﹁実 報 院 檀 那 帳 ﹂ で は 、 南 之 郡 や 日 根 郡 な ど 和 泉 南 部 の 檀 那 が あ げ ら れ て い る ﹂ と 記 し て い る 。 年 未 詳 だ が 恐 ら く 近 世 初 頭 に 作 成 さ れ た と 思 わ れ る 熊 野 実 報 院 に は 明 ら か に 鶴 原 と 記 載 す る 旦 那 場 が 存 一 七

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一 く ほ た   T さ わ   一 つ y ミ ー か う さ き   一 鶴 原 一 長 勝 寺   一 か 村 一 こ き 庄 ノ 内 壱 圓   一 庵 治   一 地 蔵 堂 一 か じ   一 畑 中 一 八 壇 那 場 の 買 得 は 中 家 だ け の 特 有 の 現 象 で は な か っ た と 考 え ら れ る 。 三 浦 氏 が 想 定 さ れ た よ う に 中 家 文 書 に 見 え る 旦 那 場 は 熊 野 先 達 の 旦 那 場 と 考 え て 良 い だ ろ う 。 宮 家 準 氏 は 熊 野 先 達 の 類 型 化 を 試 み 、 四 種 類 に 分 け ら れ た 。 即 ち 、 第 一 に 熊 野 御 師 が 直 接 自 己 の 配 下 と し た 先 達 で あ る 。 第 二 に 、 拠 点 を 持 ち な が ら も 、 各 地 を 遊 行 し て そ の 先 々 で 檀 那 を 熊 野 に 導 く 遊 行 先 達 で あ る 。 第 三 に 、 各 地 の 霊 山 ・ 社 寺 や 市 ・ 港 に 依 拠 し て た 在 地 先 達 で あ る 。 こ の 中 に は 俗 人 の 先 達 も 存 在 し た 。 ﹁中 家 文 書 ﹂ に 見 え る 嶋 二 郎 五 郎 も そ う し た 俗 人 先 達 の 類 型 に 当 た り 、 ま た 戦 国 時 代 に 著 名 な 活 躍 を す る 堺 の 能 登 屋 等 も い る 。 第 四 に 、 室 町 時 代 比 か ら 本 山 派 、 当 山 派 を 形 成 し た 諸 寺 院 の 先 達 で あ る 。 そ の ほ か の 類 型 と し て は 、 念 仏 聖 、 比 丘 尼 、 六 十 六 部 、 十 穀 聖 、 陰 陽 師 等 が 認 め ら れ る と 言 い 、 高 野 聖 の 中 に も 熊 野 先 達 が い た と も 言 う 。 右 の 史 料 で は ﹁さ か い ち や う め の な か れ の れ ん し や く ﹂ と 記 載 す る 例 も あ り 、 道 者 が 堺 の 連 雀 商 人 と 理 解 さ れ る の で あ る 。 鶴 原 周 辺 地 域 に 関 す る 史 料 で あ る ﹁政 基 公 旅 引 付 ﹂ に も 。 彼 三 味 聖 之 叔 父 安 松 ニ ア リ 、 当 道 之 儀 ( 更 二 敵 御 方 之 不 及 沙 汰 儀 也 。 田 ノ ー 反 モ 不 作 、 以 当 道 之 職 計 ニ テ 渡 世 之 事 也 、 と あ り 、 道 者 と 称 す る 三 昧 聖 、 ま た 高 野 聖 な ど 聖 と 称 す る 人 々 が 散 見 す る 。 ﹁米 良 文 書 ﹂ に は 、 寛 正 二 年 に 那 智 山 三 昧 僧 で あ る 定 賢 等 三 人 に よ り 摂 津 国 旦 那 と 道 者 ・小 物 等 が 熊 野 実 報 院 に 売 却 さ れ て い る 例 が あ る か ら 、 三 昧 を 理 由 に 墓 所 に 限 定 し て 三 昧 僧 の 権 利 を 考 察 す る だ け で は 不 充 分 で あ ろ う 。 同 朋 大 学 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 九 号 在 す る 。 ﹁実 報 院 諸 国 旦 那 帳 ﹂ に は 、 一 、 泉 州 持 分   南 之 郡 (中 略 ) 南 之 郡 一 、 水 間 之 内   一 馬 場   一 大 川 一 き ひ 谷 壱 圓 日 根 郡 一 熊 取 谷 壱 圓   一 お か い と   一 あ さ し ろ   一 お た に   一 か う 田   一 つ ち 丸 一 大 渾 壱 圓   一 と の 原   一 て こ ひ 村   一 牛 瀧   一 山 口 村   一 御 紋 村 一 七 山 村 一 あ ま か 谷 壱 圓   一 瀧 村   一 か う 津 や   一 は つ た   一 流 木   一 こ く ら し   一 畑 村   一 三 ヶ 村 一 大 鳥 之 内   一 中 村 一 大 木 之 内   一 吉 見 一 さ か い ち や う め の な か れ の れ ん し や く   壱 圓 と あ る 。 広 範 に 熊 野 先 達 の 旦 那 場 が 成 立 し て い た 状 態 が 伺 う こ と が 出 来 る 。 ま た 檀 那 場 売 券 は 熊 野 実 報 院 に 所 蔵 さ れ る だ け で は な く 、 水 間 寺 に 関 係 す る ﹁井 出 家 文 書 ﹂ に も 弘 治 四 年 の 檀 那 場 売 券 が 存 在 す る こ と か ら 、 一 瀧 本 村 一 た y 岡 一 野 村 一 小 泉

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な が ら 、 秩 序 変 動 の 原 因 を 明 ら か に せ ず 。 あ く ま で 職 業 問 題 に こ だ わ り 、 論 証 も さ れ て い な い ﹁中 世 の か わ た 職 人 ﹂ の 存 在 を 想 定 し て い る 。 藤 原 宏 氏 同 論 文 の 指 摘 に 依 れ ば 、 部 落 の 人 々 に ﹁オ レ の 先 祖 は 皮 な ん か や っ て な い の に 、 ム ラ の 中 に そ ん な 奴 が お る か ら 、 オ レ の 先 祖 ま で が 巻 き 添 え を 食 っ て 身 分 を 落 と さ れ て し ま っ た と い う 屈 折 し た 心 理 ﹂ を 抱 か せ て し ま っ た と あ る 。 職 業 に 注 目 し て 差 別 の 系 譜 や 起 源 を 論 じ る 理 論 が 良 い と は 思 え な い し 、 ま た 実 証 的 に も 問 題 が あ る と 思 う 。 中 世 に 近 世 の 如 き 旦 那 場 が 存 在 し た と は 思 え な い が 、 中 世 に も 皮 革 生 産 は 存 在 す る 。 そ の 関 連 史 料 は 少 な い が 、 若 干 な が ら 大 阪 周 辺 で 生 産 地 を 確 認 で き る も の が あ る 。 一 つ は 、 検 討 を 要 す る と 思 う が 、 近 世 の 大 坂 城 に あ っ た と 見 ら れ る 太 鼓 に 関 す る 記 録 が 残 さ れ て い る 。 そ れ は 、 願 諸 賢 聖 同 道 場 入 、 願 諸 悪 趣 倶 時 離 苦 、 五 大 昏 有 響 、 十 界 具 言 語 、 六 塵 悉 文 字 、 法 身 星 実 相 、 生 馬 山 大 聖 林 寺 太 鼓 張 之 記 録 事 、 古 伝 聞 、 迦 葉 打 鼓 、 則 阿 難 立 舞 、 上 宮 吹 笛 則 神 出 遊 、 誠 是 五 常 不 乱 物 、 天 下 無 煩 、 五 音 和 響 者 、 冥 衆 催 成 、 沈 綸 受 苦 之 衆 生 、 同 之 得 、 祓 苦 与 楽 之 便 、 得 脱 安 楽 之 諸 賢 聴 之 、 肢 同 入 道 場 之 義 、 然 則 凡 賢 集 会 之 漆 冥 顕 得 益 術 、 尤 在 期 者 欺 、 就 中 、 筒 筒 則 々 々 山 之 霊 木 、 而 埓 則 竹 林 寺 之 貴 木 、 彼 山 者 是 海 公 大 師 之 聖 跡 、 此 寺 行 基 菩 薩 宿 樹 也 、 彼 言 是 言 、 結 縁 之 輩 何 亡 益 手 (乎 ) 、 働 附 記 録 之 銘 如 件 、 正 安 二 年 歳 次 壬 寅 正 月 八 日 宗 師 長 老 智 光 律 師 一 九 勿 論 、 三 浦 氏 は 以 上 の 旦 那 場 を 以 て 被 差 別 部 落 の 直 接 の 成 立 の 理 由 と さ れ て い る よ う に は 思 え な い 。 天 正 十 三 年 の 豊 臣 秀 吉 の 紀 州 責 め 特 筆 さ れ て ヽ 直 接 に は そ の 年 次 を 以 て 被 差 別 部 落 の 起 源 と さ れ て い 乱 ﹁﹂ 中 家 文 書 に あ る ﹁次 右 衛 門 尉 宗 俊 書 状 ﹂ を 取 り 上 げ ら れ 、 紀 州 大 田 城 に 寵 城 し た 五 十 三 人 の 頚 を 大 坂 阿 倍 野 に 運 ば せ た 豊 臣 秀 吉 の 政 策 に 、 近 世 大 坂 の 賤 民 集 団 の 形 成 の 端 緒 を 認 め ら れ て い る 。 た だ 同 氏 は 霜 牛 馬 処 理 圏 の 成 立 が 既 に 天 文 年 間 に は 成 立 し て い た と 断 定 さ れ 、 こ れ を 第 一 次 的 に 被 差 別 部 落 成 立 の 指 標 と さ れ る 。 第 二 次 的 に は 政 治 的 な 要 因 を 指 摘 さ れ て い る が 、 必 ず し も 両 者 の 論 理 的 な 関 係 が 明 ら か で は な い 。 中 世 以 来 の 賤 民 と 近 世 部 落 と 連 続 面 か ら 捉 え る と い う 特 徴 が あ り 、 ま た 被 差 別 部 落 の 生 じ る 原 因 を 路 牛 馬 処 理 の 如 く 、 職 業 的 な 問 題 に 還 元 し て 理 解 す る と い う 特 徴 が あ る 。 政 治 的 な 問 題 、 或 い は 歴 史 の 非 連 続 は 副 次 的 な 問 題 と な る 。 藤 原 宏 氏 は 、 職 業 問 題 に こ だ わ り な が ら 、 ﹁農 業 を 主 要 産 業 と す る 嶋 村 民 衆 が 、 鶴 原 嶋 村 の 一 部 に 中 世 ﹁か わ た ﹂ 職 人 が ふ く ま れ て い た こ と を 根 拠 と し て 、 ま ず 鶴 原 嶋 村 住 民 総 体 が 血 統 原 理 に よ っ て ﹁か わ た ﹂ = ﹁椋 多 ﹂ に 身 分 既 下 さ れ た 。 次 に 鶴 原 嶋 村 住 民 と 信 仰 を 同 じ く し 、 相 互 保 証 体 制 に あ っ た 瓦 屋 嶋 村 住 民 総 体 が 、 鶴 原 と の 血 統 的 な つ な が り を 想 定 さ れ て 、 こ れ ま た 身 分 既 下 さ れ た 。 中 世 の ﹁か わ た ﹂ 職 人 = 皮 革 業 者 が 、 そ し て 彼 ら だ け が 横 ス ベ リ に 近 世 ﹁欄 多 ﹂ に 身 分 既 下 さ れ た わ け で は な い 。 (中 略 ) 近 世 身 分 制 の 固 定 化 の 規 準 が 血 統 原 理 で あ る こ と の 再 確 認 で あ る ﹂ と 言 う 。 中 世 と 近 世 と で は 社 会 秩 序 の 原 理 に 相 違 が あ る と は 認 め 中 世 末 期 の 聖 と 寺 院 社 会

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二 〇 千 時 天 正 六 年 戊 寅 十 二 月 、 管 弦 方 役 者   上 品 院 咸 宥 { と あ り 、 正 平 二 十 二 年 に 松 尾 寺 金 堂 の た め に 製 作 さ れ た と あ り 、 作 者 と し て は 誉 田 に 在 住 の 権 律 師 源 梅 と 執 事 権 律 師 賢 昌 と の 両 名 が 記 載 さ れ て い る 。 こ の 両 名 が 直 接 の 太 鼓 の 生 産 者 と は 思 え な い が 、 彼 等 二 人 が 僧 侶 で あ る こ と に 注 目 す れ ば 、 誉 田 周 辺 に は 西 琳 寺 等 の 真 言 律 宗 の 拠 点 と も い う べ き 所 で あ り 、 律 宗 関 係 者 と 皮 革 生 産 者 と は 密 接 な 関 係 を 有 し て い た と も 想 定 さ れ る 。 ま た 同 じ 律 宗 寺 院 で あ る 河 内 の 叡 福 寺 に は ﹁応 永 年 中 旧 記 ﹂ と い う 記 録 が あ り 、 そ こ に は 新 春 で あ る 射 礼 の 儀 礼 に 用 い る と し て 、 皮 的 を ﹁楠 多 ﹂ が 張 っ た と い う 記 載 が あ る こ と で も 知 ら れ る 。 こ う し た 皮 を 用 い た 的 張 り を お こ な っ た 人 々 こ そ 、 穴 師 神 社 の 太 鼓 を 作 っ た 人 々 と 推 定 さ れ る 。 酒 井 一 氏 の 研 究 に 依 れ ば 、 駒 ヶ 谷 に は 大 阪 南 部 と 大 和 を 結 ぶ 竹 内 街 道 に 沿 っ て 馬 喰 が 存 在 し た と い う 指 摘 が あ る 。 そ の 馬 喰 の 存 在 は 中 世 に 遡 っ て 考 え る こ と も で き る が 、 そ の 明 ら か な 証 拠 は な い ・ た だ 観 心 寺 文 書 ﹄ に 軋 万) 駒 ヶ 谷 の 近 辺 に あ る 寛 弘 寺 に 居 住 し た 新 次 郎 と い う 者 が 、 堺 の 向 井 助 三 郎 と い う 伯 楽 が 牛 を 牽 い て 大 和 へ 向 か う 途 中 を 襲 い 、 観 心 寺 領 内 石 見 川 辺 で 、 ﹁牛 伯 楽 を 刃 傷 而 、 牛 を 追 落 候 ﹂ と あ り 、 即 刻 新 次 郎 は 搦 め 取 ら れ た と い う 。 牛 を 盗 む と い う 行 為 は 、 単 な る 強 盗 で は な く 、 伯 楽 業 に 拘 わ る 利 害 の 抗 争 が あ っ た と 見 て 良 い の で は な い か 。 間 接 的 な が ら 、 駒 ヶ 谷 周 辺 に 馬 喰 集 団 が 存 在 し た と い う 一 例 に な る か も し れ な い 。 近 世 に 描 か れ た 絵 図 で あ る が 、 忍 性 が 入 寺 し た 鎌 倉 の 極 楽 寺 に 馬 病 院 同 朋 大 学 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 九 号 綱 維 比 丘 明 心 知 事 比 丘 明 心   張 大 工 左 近 将 監 八 重 行 宗 太 鼓 之 図 、 長 三 尺 五 寸 、 差 渡 二 尺 余 、 環 赤 銅 、 鋲 ( 鉄 也 、 胴 黒 ぬ り に て 所 々 口 損 有 之 、 奉 張 直 大 聖 竹 林 寺 仰 堂 太 鼓 奉 右 破 損 年 有 此 岸 無 力 及 修 補 、 歎 而 送 宝 衆 輩 相 儀 公 自 幼 年 之 昔 、 迄 長 大 之 宿 身 、 仏 家 範 蒙 法 恩 、 然 無 酬 薩 郷 広 緒 、 不 能 一 分 之 報 謝 、 依 之 捨 少 分 之 浄 財 、 方 成 無 謂 之 借 下 、 以 通 弁 米 銭 、 誠 加 修 補 興 隆 者 也 、 仰 願 本 尊 聖 者 大 聖 文 殊 庶 跡 (師 利 ) 、 亦 和 光 行 基 応 身 伽 藍 護 法 大 小 也 之 善 神 必 廻 哀 愁 納 受 之 、 慈 眼 之 、 成 伽 藍 興 復 之 素 願 給 、 但 志 趣 大 概 如 件 、 寛 正 三 年 辛 巳 年 九 月 廿 五 日 住 持 大 徳 隆 恵 律 師 と あ り 、 文 意 は 取 り に く い が 、 正 安 二 年 に 大 和 の ﹁竹 林 寺 仰 (御 ヵ ) 堂 ﹂ の 為 に 作 ら れ た 太 鼓 が 、 寛 正 三 年 に 補 修 を 行 っ た と い う も の で あ る 。 竹 林 寺 は 同 史 料 に も あ る よ う に 、 行 基 の 墓 所 が 発 見 さ れ た 寺 で あ り 、 忍 性 等 が 足 跡 を 残 し た 律 宗 寺 院 で あ る 。 ま た 一 つ は 和 泉 国 の 薬 師 寺 の 神 宮 寺 と す る 穴 師 神 社 の 太 鼓 で あ る 。 そ の 太 鼓 胴 銘 は 、 于 時 正 平 廿 弐 年 丁 未 十 二 月 三 日 、 和 泉 国 松 尾 寺 金 堂 流 口 物 也 、 作 者 河 州 誉 田 住   権 律 師 源 梅 執 事 権 律 師 賢 昌 (梵 字 )

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が 附 属 し て い た 。 こ の 事 か ら 、 寺 院 或 い は そ の 周 辺 に 馬 医 者 が い た と 推 定 さ れ る 。 そ う し た 例 は 京 都 の 清 水 寺 周 辺 に も 確 認 で き る 。 例 え ば 、 祇 園 ﹁社 家 記 録 ﹂ 観 応 元 年 六 月 十 九 日 條 に は ﹁馬 血 取 了 、 遣 坂 沙 汰 之 用 途 不 遣 之 ﹂ と あ り 、 清 水 坂 に 馬 の 血 を 抜 く と い う 医 術 を 施 し 、 ま た 祇 園 ﹁社 家 記 録 ﹂ 観 応 元 年 九 月 廿 四 日 条 に は ﹁鹿 毛 馬 於 坂 山 城 房 許 酉 フ (刻 ) 死 去 了 ﹂ と あ り 、 山 城 房 と 称 す る 宗 教 者 の 馬 医 者 が 清 水 坂 に い た 。 こ う し た 馬 医 は 清 水 坂 以 外 に 京 都 の 吉 田 周 辺 に も 獣 医 が い た こ と を 記 す 鎌 倉 時 代 の 文 献 、 ﹁駿 牛 絵 図 ﹂   が あ る 。 同 文 献 は 牛 飼 に 関 し て 記 録 し て 残 さ れ た も の と 思 わ れ る 。 そ の 記 載 の 中 に は 、 承 久 の 変 の 後 の こ と と し て 、 吉 田 辺 に 播 磨 僧 都 、 実 名 何 と 申 し や ら む 、 う し に と り て ゆ 卜 し き す き 人 に て 侍 し か 、 坊 中 に 数 十 間 の 牛 屋 を つ く り て 、 洛 中 の 病 牛 も し は 小 牛 の ゆ く す ゑ を か ひ た つ る 事 を こ の み 沙 汰 し け れ ば 、 世 こ ぞ り て 飼 口 を つ け て を き て あ づ け 侍 し か ば 、 さ ま ゞ ゝ い た は り た て ゝ 本 主 に か へ し つ か は し け り 、 播 磨 の 牛 文 と 申 て 世 に つ た は り て 侍 な り 、 又 八 十 五 後 堀 河 院 御 代 の 程 に や 、 伝 法 院 法 印 御 房 道 厳 、 五 明 の 道 く ら か ら す し

当 道 の 先 達 に は こ れ を ぞ あ ふ ぎ 申 侍 し 、 と い う 記 録 を 残 し て い る 。 河 東 の 吉 田 周 辺 に 牛 の 病 院 が 播 磨 法 印 や 伝 法 院 道 厳 と い う 僧 侶 に よ っ て 営 ま れ て い た 例 で あ る 。 道 厳 に 関 し て は 、 貞 応 二 年 ﹁法 印 道 厳 譲 状 ﹂ を 記 し た 僧 侶 と 時 代 的 に は 相 違 は な く 、 同 一 人 物 と 考 え ら れ る 。 同 文 書 に 依 れ ば 、 最 勝 光 院 別 当 で あ る 。 鎌 1  極 楽 寺 に 中 世 末 期 の 聖 と 寺 院 社 会 あ っ た と い う 馬 病 院 の 例 は 特 異 な も の で は な か っ た と 考 え る べ き で あ ろ う 。 こ う し た 獣 医 の も と で 箆 死 し た 牛 馬 の 皮 は ど う 処 理 さ れ た の か 不 明 と し か 言 え な い 。 確 か に 平 安 期 の ﹁河 原 人 ﹂ が 牛 黄 を 貴 族 の 邸 宅 に 持 参 し た と い う 例 あ り 、 鎌 倉 末 期 の 同 じ 鴨 河 原 の 地 に 皮 剥 職 人 が い た 事 は ﹁ 天 狗 草 紙 ﹂ の 絵 画 の 例 か ら 伺 う こ と が 出 来 る 。 さ ら に 注 目 す べ き は 鎌 倉 不 調 の 延 慶 三 年 に 河 東 牧 童 ﹁口 直 1  ﹂ に よ っ て 著 さ れ た 牛 馬 の 鑑 定 書 と も 称 す べ き ﹁ 国 牛 十 図 ﹂   が あ る 。 同 図 は 諸 国 の 牛 の 品 定 め を 行 っ て お り 、 肥 前 国 宇 野 御 厨 か ら の 貢 牛 に は 西 園 寺 家 か ら 下 さ れ る ﹁輛 絵 ﹂ の 印 が 押 さ れ 、淡 路 牛 に 関 し て も 西 園 寺 家 の 御 厨 印 が 近 年 押 さ れ る よ う に な っ た と い う 。 西 園 寺 家 と 牛 馬 喰 と の 密 接 な 関 係 を 推 定 さ せ る 記 録 は 、 先 に 例 示 し た ﹁駿 牛 絵 図 ﹂ に も 次 の よ う な 記 録 が あ る 。 寛 元 四 年 (後 嵯 峨 院 ) 御 脱 履 の は じ め 、 西 園 寺 太 政 入 道 公 経 殿 も と よ り 牛 馬 の 御 沙 汰 世 に す ぐ れ て お は し ま し け れ ば 、 御 随 身 、 御 牛 飼 も 彼 御 か た よ り め し 進 せ ら れ 侍 き 、 孫 太 郎 、 鷹 法 師 、 饗 王 丸 等 也 、 と い う 。 西 園 寺 家 と 牛 馬 の 沙 汰 の 関 係 は 暫 く 措 く と し て 、 こ う し た 河 東 の 地 が 牧 童 の 世 界 で あ り 、 ﹁駿 牛 絵 図 ﹂ に 登 場 す る 牛 飼 の 中 に は 、 如 何 に も 鷹 法 師 や 餐 法 師 等 の 卑 賤 な 僧 名 を 持 つ 者 も い た こ と が 知 ら れ る 。 こ う し た 河 東 の 地 に 獣 医 が お り 、 牛 馬 を 常 に 扱 う 馬 喰 集 団 が 存 在 し た こ と か ら 、 獣 医 学 へ の 需 要 が 必 須 で あ っ た 。 路 牛 馬 が 出 る と 、 こ の 牛 馬 の 皮 を 剥 ぐ 職 人 は 必 要 で あ っ た と 思 わ れ 、 こ う し た 馬 喰 や 獣 医 の 集 団 の 一 角 に 皮 科 聡 人 は 存 在 し た と 考 え ら れ る 。 ニ ー

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二 二 謹 上   尊 滝 院 僧 正 御 房 同 七 年 に は 足 利 義 満 に よ る 安 堵 を 受 け 、 康 正 二 年 に 至 る ま で 熊 野 社 領 で あ っ た こ と が 確 認 さ れ る 。 ま た 同 様 に 蒐 田 庄 が 応 永 八 年 に 吉 見 庄 と ﹁ 一 具 ﹂ と し て 足 利 義 満 か ら 安 堵 を 受 け て い る 。 吉 見 庄 は 守 護 の 押 領 に あ い 、 蒐 田 庄 も 金 剛 峰 寺 に よ る 押 領 や 、 根 来 寺 山 臥 の 高 利 貸 活 動 に 起 因 し て 不 知 行 状 態 だ っ た が 、 短 期 間 と は い え 熊 野 社 領 庄 園 が 鶴 原 周 辺 に 成 立 し て い た こ と は 注 目 さ れ る 。 熊 野 信 仰 に は 他 の 神 社 参 詣 と は 異 な り 禁 忌 の 観 念 を 示 す 事 は 少 な い 。 ﹃ 一 遍 聖 絵 伝 ﹄ の 記 載 に よ れ ば 、 同 上 人 が 熊 野 で 、 信 不 信 を 選 ば ず 賦 算 を 始 め た と い う 様 に 、 熊 野 の 不 浄 或 い は 禁 忌 に 対 し て は 寛 容 な 態 度 を 示 し て い た 。 例 え ば 、 新 城 常 三 氏 は ﹁熊 野 は 古 来 禁 忌 に 対 し て 極 め て 寛 容 で あ っ た よ う で あ る 。 平 安 末 承 安 四 年 、 熊 野 に 参 詣 し た 吉 田 経 房 は 、 そ の 日 記 の 中 で 、 ﹁然 而 重 軽 服 之 人 、 往 古 不 忌 之 、 ﹂ と 記 し 、 重 軽 服 の 輩 が 、 参 詣 を 止 め ら れ た の は 白 河 院 以 降 で あ る と 誌 し て い る 。 し か し 、 当 時 軽 服 の 人 は 勿 論 、 左 衛 門 尉 親 盛 の 如 く 重 服 の 者 す ら 参 詣 し て い る の が 実 状 で あ る 、 ま た ﹃吉 部 秘 訓 抄 ﹄ に は ﹁熊 野 詣 に は 汚 槻 の 身 を 以 て 進 発 せ し 例 あ る も 、 自 余 の 神 社 に は 一 切 之 あ る を 聞 か ず ﹂ と 述 べ る よ う な 史 料 も あ る 、 と 指 摘 し て い る 。 熊 野 参 詣 者 を 道 者 或 い は 旦 那 と 称 し 、 こ れ を 熊 野 へ 導 く も の を 先 達 と 称 す る 。 こ の 先 達 か ら 取 次 を 受 け て 参 詣 者 に 宿 を 提 供 し た 者 を 御 師 と 称 し た 。 宝 月 圭 吾 氏 の 指 摘 で は 、 中 世 後 期 に は 、 先 達 は 宗 教 的 な 先 導 者 と 同 朋 大 学 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 九 号 ま だ ま だ 皮 の 生 産 を 巡 る 問 題 は 実 体 の 解 明 が 先 決 で あ ろ う 。 し か し 、 近 世 と 同 様 な 旦 那 場 を 想 定 す る よ り は 、 律 宗 等 の 僧 侶 と 伯 楽 集 団 と の 結 び つ き を 想 定 し 、 様 々 な 職 人 類 型 の 中 の 一 つ と し て 皮 革 職 人 を 位 置 づ け て 考 察 を 深 め る の も 一 方 法 で あ ろ う 。

熊 野 は 多 く の 参 詣 者 を 集 め 、 泉 南 地 域 に も 多 く の 熊 野 街 道 沿 い に 熊 野 王 子 が あ り 、 鶴 原 に も 王 子 社 が 存 在 し た 。 今 井 啓 一 氏 の 研 究 に 依 れ ば 、 ﹁泉 佐 野 市 に 入 る 貝 田 部 落 の 見 出 川 畔 に 数 十 年 前 ま で 於 駒 茶 屋 と い う の が あ り 、 そ の 傍 に 東 西 三 間 ・ 南 北 四 間 半 許 り の う ち に は 巨 松 一 株 優 仰 し 、 俗 に 小 栗 判 官 松 と 呼 ば れ る の が あ つ た と 伝 え て い る 。 こ の 地 が 貝 田 王 子 の あ つ た 所 で 、 建 仁 元 年 十 月 七 日 の 御 幸 に は 鶴 原 王 子 で 昼 御 宿 と あ り 、 王 子 記 に は 貝 田 端 王 子 と 見 え る も の で あ ろ う か ﹂ と 指 摘 し て い る 。 ま た 泉 南 地 域 に は 熊 野 社 領 の 庄 園 が 確 認 さ れ る 。 例 え ば 、 近 年 紹 介 さ れ た ﹃冷 泉 家 文 書 ﹄ に は 、 後 小 松 院 が 応 永 五 年 に 長 講 堂 領 吉 見 庄 を 熊 野 の 尊 瀧 院 僧 正 へ の 寄 進 状 が あ る 。 即 ち 、 長 講 堂 領 和 泉 国 吉 見 庄 熊 野 山 御 寄 進 分 、 被 知 行 、 可 令 抽 御 祈 祷 情 精 (精 誠 ) 給 侯 由 、 天 気 所 候 也 、 偽 上 啓 如 件 、      

(押

)

﹁﹂

応 永 五 年 七 月 十 九 日       右 中 弁 (花 押 ) (勧 修 寺 経 豊 )

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幕 府 の 裁 判 史 料 で あ る ﹁賦 引 付 ﹂ に は 坂 東 屋 に 関 連 す る 天 文 十 六 年 の 二 点 の 史 料 が あ る 。 そ こ に は ﹁坂 東 屋 ﹂ 或 い は ﹁鞍 馬 寺 山 上 山 下 坂 東 人 宿 職 ﹂ と あ り 、 坂 東 屋 が 鞍 馬 寺 へ 坂 東 か ら の 参 詣 者 に 対 す る 人 宿 を 提 供 す る 御 師 の 如 き 活 動 を し て い た と 思 わ れ る 。 鞍 馬 寺 に も 多 く の 聖 が 結 集 し 、 御 師 も 存 在 し た の で あ ろ う 。 西 山 克 氏 は 、 伊 勢 御 師 を 分 析 さ れ て 特 異 な 高 利 貸 し 活 動 を 認 め ら れ た 。 児 玉 洋 一 氏 も 、 同 じ く 高 利 貸 し 活 動 が 熊 野 御 師 に も 当 て は ま る と 見 て 居 ら れ る 。 ﹃熊 野 那 智 大 社 文 書 ﹄ を 分 析 し た 宮 家 準 氏 の 指 摘 に よ れ ば 、 熊 野 先 達 は 畿 内 に 濃 厚 に 分 布 し 、 特 に 摂 津 地 域 に は 濃 厚 な 分 布 状 態 を 伺 う こ と が 出 来 る 。 同 氏 の 指 摘 に 依 れ ば 、 兵 庫 の 熊 野 先 達 は 、 ﹁武 家 沙 汰 の 外 に あ り 、 熊 野 僧 供 米 な ど を も と に 、 独 自 の 金 融 活 動 に 従 事 し て い た ﹂ と 言 う 。 摂 津 北 部 に は 豊 島 郡 の 満 願 寺 、 勝 尾 寺 、 尊 鉢 (池 田 ) の 若 王 寺 ・栄 向 寺 、 ま た 摂 津 南 部 の 蒲 生 荘 、 渡 辺 、 四 天 王 寺 、 住 吉 に 先 達 が 存 在 し た こ と が 確 認 さ れ る 。 天 王 寺 の 道 者 は 天 王 寺 青 苧 商 人 と 思 わ れ る ﹁あ お そ 衆 ﹂ を 含 ん で い た と 見 ら れ 、 ま た 堺 に は 連 雀 商 人 が 道 者 と し て 見 え る 。 室 町 期 に 入 る と ﹁勝 尾 寺 の 先 達 が 現 れ 、 吉 野 の 先 達 を も 兼 帯 し 、 ま た 勝 尾 寺 を 中 心 と し て 頼 母 子 を 営 ん で い た ﹂ と い う 。 勝 尾 寺 周 辺 の 先 達 の 拠 点 を 列 挙 す れ ば 、 茨 木 の 惣 持 寺 の 宝 勝 院 と そ の 系 統 の 忍 頂 寺 ・ 清 水 寺 ・ 真 龍 寺 ・ 大 門 寺 や 、 大 田 保 、 芥 川 、 高 槻 の 霊 山 寺 ・ 金 龍 寺 金 善 坊 、 島 本 の 善 宝 寺 な ど が 挙 げ ら れ る 。 河 内 国 の 南 北 朝 期 の 先 達 ・ 檀 那 を 分 析 し て 、 太 子 堂 と そ の 周 辺 の 先 達 が 、 河 内 国 の 先 達 の 中 核 を 占 め て い た と 推 定 さ れ る と 二 三 し て の 性 格 か ら 、 次 第 に 道 案 内 を 勤 め る 世 俗 的 な 性 格 が 濃 厚 に な る と い い 、 旦 那 か ら は 御 師 へ 納 め ら れ る 初 穂 等 の 中 か ら 中 間 得 分 を 取 得 す る だ け の 者 ま で 現 れ た と い う 。 児 玉 洋 一 ﹁中 世 に 於 け る 寺 社 の 檀 那 株 売 買 ﹂ に よ れ ば 、 ﹁御 師 は 、 時 に 自 ら 檀 那 の 為 に 神 前 に 祈 祷 し 、 巻 数 ・撫 物 ・守 札 ・ 香 水 ・ 大 麻 ・ 薬 種 ・ 暦 等 を 配 布 し て 米 銭 の 寄 進 に 預 る こ と も あ っ た 。 御 師 に は か i る 経 済 的 利 益 が 随 伴 せ る た め 、 御 師 た る こ と も 一 種 の 株 と な っ た ﹂ 、 ﹁中 世 熊 野 の 御 師 仲 間 に 於 て は 、 其 の 得 意 先 た る 檀 徒 に つ い て 各 自 一 定 の 勢 力 範 囲 を 確 立 し 、 狼 り に 他 の 侵 害 を 許 す こ と な く 、 其 の 檀 徒 網 の 構 成 は 、 氏 族 ・ 家 門 を 単 位 と す る も の 、 郷 村 ・ 国 郡 を 単 位 と す る

に 祀 官 ・ 山 伏 を 配 置 ・ 連 絡 し 、 団 体 社 参 の 信 徒 を 案 内 宿 泊 せ し め た の で あ る ﹂ と い う 。 先 達 に 関 し て 、 新 城 美 恵 子 氏 は ﹁中 世 後 期 熊 野 先 達 の 在 所 と そ の 地 域 的 特 徴 ﹂ と い う 論 文 に お い て 、 西 日 本 で は 旧 仏 教 寺 院 に 依 拠 し た 山 伏 の 活 動 が 見 ら れ た と い う 。 大 阪 周 辺 で も 同 様 の 傾 向 は あ り 、 観 心 寺 や 金 剛 寺 、 或 い は 勝 尾 寺 等 に 山 伏 の 関 係 史 料 が 今 日 で も 残 存 し て い る が 、 根 来 寺 を 始 め 多 く の 寺 院 は 織 豊 期 の 戦 乱 の た め に 滅 び 、 聖 関 係 の 史 料 は 浬 滅 し た と 思 わ れ る 。 新 城 美 恵 子 氏 は 、 ま た 摂 津 川 辺 郡 の 富 松 庄 に 基 盤 を 置 い た 坂 東 屋 を 分

に≒

の 熊 野 先 達 と 密 接 な 関 係 を 持 ち 、 京 都 の 公 家 社 会 や 聖 護 院 と 交 流 を 保 ち な が ら 、 更 に 鞍 馬 に も 坂 東 屋 な る 人 宿 を 所 有 し て い た と 指 摘 す る 。 室 町 中 世 末 期 の 聖 と 寺 院 社 会

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二 四 勝 尾 寺   八 幡 大 菩 薩 御 宝 前 名 田 事 、 合 壱 段 小 者 在 摂 津 国 萱 野 西 庄 内 伯 領 、 字 道 祖 本 四 至 見 券 文 右 、 件 名 田 、 橘 氏 女 親 父 相 伝 之 私 領 也 、 而 為 専 彼 亡 魂 後 生 善 所 、 将 又 氏 女 依 奉 致 八 幡   大 菩 薩 帰 敬 之 誠 、 現 世 預 除 病 延 命 益 、 当 来 遂 往 生 浄 土 之 望 、 偽 相 副 次 第 証 文 九 通 、 永 所 奉 寄 進 毎 月 一 日 不 断 大 般 若 転 読 僧 膳 料 也 、 於 方 々 課 役 等 者 、 任 傍 例 、 下 作 人 可 勤 仕 之 也 、 内 地 子 米 壱 石 弐 斗 内 、 弐 斗 者 寄 附 石 橋 坊 、 今 壱 石 者 、 為 彼 坊 沙 汰 、 可 被 進 上 当 寺 、 若 損 亡 之 時 者 、 可 被 遂 検 見 者 也 、 又 致 不 法 塀 怠 時 者 、 云 坊 、 云 作 人 、 可 為 寺 家 御 1  也 、 向 後 更 不 可 有 異 変 、 価 寄 進 状 如 件 、 延 慶 三 年 戊 戌 二 月 十 日        橘 氏 女 在 判 と あ り 、 石 橋 坊 の 勧 進 に よ り 、 橘 氏 女 が 勝 尾 寺 の 不 断 大 般 若 経 の 転 読 料 に 寄 進 し た と 思 わ れ る 。 同 寄 進 地 の 加 地 子 は 一 石 二 斗 で あ る が 、 二 斗 分 は 石 橋 坊 に 寄 附 と あ り 、 勧 進 僧 の 得 分 に な っ て い た 。 残 り 一 石 は 石 橋 坊 の 沙 汰 と し て 勝 尾 寺 に 納 め ら れ た 。 勝 尾 寺 領 は こ う し た 勧 進 活 動 に よ る 寄 進 地 か ら な る と 考 え て 良 い 。 こ う し た 勧 進 僧 の 中 か ら 、 室 町 期 に 山 伏 方 が 生 ま れ て く る 。 室 町 期 の 勝 尾 寺 の 山 伏 方 は 政 治 的 に も 大 き な 足 跡 を 残 し て い る 。 和 泉 国 で は 、 長 禄 三 年 の 頃 に 細 川 兵 部 少 輔 (教 春 ) が 山 伏 を 殺 害 し た 事 件 が あ る 。 こ れ に 抗 議 し て 山 伏 は 新 熊 野 社 に 立 て 寵 も り 全 国 の 山 伏 に 動 員 を 同 朋 大 学 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 九 号 い う 。 以 上 の よ う に 、 大 阪 の 各 地 に 先 達 が 旦 那 場 と 、 拠 点 ら し き 土 地 を 確 保 し て い た 有 様 が 伺 え る 。 先 達 ・ 山 伏 の 関 係 史 料 が 比 較 的 多 く 残 っ て い る の は 摂 津 の 勝 尾 寺 と 河 内 の 観 心 寺 で あ り 、 先 ず 勝 尾 寺 か ら 簡 単 な 検 討 を 加 え る 。 ﹃新 猿 楽 記 ﹄ や ﹃梁 塵 秘 抄 ﹄ な ど に 修 験 者 や ﹁聖 の 住 所 ﹂ の 一 つ と し て 挙 げ ら れ た 寺 院 で あ り 、 同 寺 に 出 入 り す る 客 僧 や 病 者 等 を 迎 え る た め に ﹁客 僧 無 頼 病 者 粥 料 米 升 石 ﹂ と い う 財 政 的 な 基 盤 を 有 し て い た 。 ま た 同 史 料 に は 、 私 持 仏 堂 四 宇 と 房 舎 五 十 三 宇 が 存 在 し た こ と を 記 録 し て い る 。 源 義 経 に よ る 焼 討 ち の 後 、 復 興 が な っ た 勝 尾 寺 に は 、 東 西 の 谷 に 分 か れ て 多 く の 房 舎 が 存 在 し 、 鎌 倉 室 町 期 に は 多 数 の 聖 的 な 宗 教 者 が 山 内 に 居 住 し 、 ﹁寺 僧 ﹂ と い う 身 分 を 持 っ て い た 。勝 尾 寺 に は 今 日 も 厖 大 な 中 世 の 土 地 売 券 が の こ っ て お り 、 こ う し た 売 券 が 残 っ た 理 由 は 、 同 寺 院 の 盛 ん な 宗 教 活 動 に 対 し て 土 地 の 寄 進 を 受 け た 結 果 で あ る 。 勝 尾 寺 の 山 伏 の 初 見 は 応 安 元 年 ﹁三 河 阿 闇 梨 浄 範 旦 那 去 渡 状 ﹂ で あ り 、 応 永 七 年 ﹁勝 尾 寺 衆 徒 等 申 状 案 ﹂ に 依 れ ば 、 近 隣 の 宿 久 ・小 野 原 の 山 人 が 寺 領 の 山 林 を 伐 採 し た 時 、 ﹁山 伏 以 下 走 向 ﹂ と あ り 、 山 伏 が ﹁山 廻 ﹂ を 勤 め て い た こ と が 分 か る 。 そ れ 以 後 、 ﹃勝 尾 寺 文 書 ﹄ に も 山 伏 関 係 の 文 書 が 散 見 す る 。 室 町 期 の 史 料 に 山 伏 と し て 現 れ る 石 橋 坊 に 付 い て み る と 、 鎌 倉 末 期 の 石 橋 坊 は ﹁橘 氏 女 名 田 寄 進 状 案 ﹂ に 依 れ ば 、 (端 裏 書 ) ﹁鎮 守 毎 月 一 日 大 般 若 田 寄 進 状 [   ] 奉 寄 進

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し か け 、 直 接 対 立 の 状 態 に 及 ん だ こ と が あ る 。 結 果 は 、 守 護 方 か ら 下 手 人 を 受 け 取 り ヽ 科 怠 料 と し て 百 二 十 貫 文 ヽ 十 六 町 を 要 求 し て 獲 得 し ご ﹃﹄ 守 護 は そ の 山 伏 の 持 つ 政 治 力 や 富 に 注 目 し て で あ ろ う 、 享 徳 三 年 に 勝 尾 寺 の 行 政 管 轄 地 域 を 豊 嶋 郡 か ら 嶋 上 郡 に 変 更 し 、 守 護 方 か ら 二 十 貫 文 の 公 事 が 課 さ れ る と い う 事 件 が 生 じ た 。 勝 尾 寺 の 山 伏 と 聖 護 院 と の 関 係 を 示 す 初 見 史 料 で も あ る 享 徳 三 年 の ﹁勝 尾 寺 山 伏 等 申 状 案 ﹂ に 依 れ ば 。 摂 州 勝 尾 寺 山 伏 等 謹 言 上 右 当 寺 者 、 御 門 跡 御 入 峰 之 御 時 、 参 御 同 行 奉 致 奉 公 之 処 、 自 守 護 代 長 塩 備 前 入 道 方 、 年 来 無 謂 公 事 於 被 懸 之 間 、 連 々 致 其 沙 汰 、 無 力 于 今 雖 及 堪 忍 、 今 度 又 懸 要 脚 、 致 加 責 之 間 、 寺 僧 等 悉 退 散 仕 焉 、 然 間 以 目 安 管 領 工 庭 中 申 処 、 以 奉 行 清 備 前 守 可 有 披 露 之 由 、 被 仰 出 之 間 、 則 付 置 目 安 数 日 致 催 促 之 処 、 未 能 披 露 之 條 迷 惑 之 至 也 、 所 詮 以 御 扶 持 自 御 門 跡 様 管 領 工 被 立 御 使 、 依 御 成 敗 本 寺 致 再 住 者 、 弥 抽 奉 公 忠 勤 、 為 奉 参 御 門 主 万 代 之 御 同 行 、 粗 言 上 如 件 。 享 徳 三 年 三 月 日 と あ り 、 郡 役 の 停 止 を 求 め て 五 十 余 人 が 離 山 し 、 在 京 し て 聖 護 院 門 跡 に 対 し て 幕 府 管 領 へ の 訴 訟 の 取 次 を 求 め た 。 同 年 五 月 に は 守 護 方 か ら ﹁停 止 諸 公 事 処 、 近 年 被 懸 課 役 云 々 、 為 事 実 者 太 不 可 然 、 所 詮 向 後 可 被 止 才 者 也 ﹂ と い う 折 紙 が 到 来 し 、 山 伏 方 は 帰 寺 し て 事 件 は 解 決 し た 。 ま た 聖 護 院 を 中 心 と す る 勝 尾 寺 の 山 伏 方 の 軍 事 組 織 は 堅 固 で あ っ た 。 長 禄 三 年 に 川 辺 郡 森 本 に あ っ た 山 伏 寺 の 積 善 院 住 持 職 の 後 継 を 巡 っ て 生 じ た 訴 訟 中 世 末 期 の 聖 と 寺 院 社 会 に 際 し て 、 判 決 は 聖 護 院 が 下 し た が 、 山 伏 が 独 自 に 遵 行 権 を 行 使 し て い た 。 勝 尾 寺 の 山 伏 の 旦 那 は 、 文 安 四 年 の ﹁四 人 惣 領 旦 那 売 券 ﹂ に よ れ ば 、 勝 尾 寺 先 達 小 池 小 坊 漆 本 在 所 木 代 ・ 切 畑 あ わ 一 族 地 下 共 、 同 又 、 貝 野 之 一 族 地 下 共 、 是   皆 勝 尾 寺 引 旦 那 也 、 と あ り 、 木 代 ・ 切 畑 あ わ (粟 生 ヵ )   一 族 地 下 共 等 が ﹁勝 尾 寺 引 旦 那 ﹂ と 記 さ れ て い る 。 粟 生 一 族 と は 勝 尾 寺 の 山 麓 に 粟 生 村 に 居 住 し た 一 族 と 考 え ら れ る 。 注 目 す べ き は 、 山 伏 内 部 組 織 に 関 連 す る 史 料 が ﹁勝 尾 寺 文 書 ﹂ に 残 さ れ て い る 。 応 永 九 年 の ﹁山 伏 中 置 米 年 行 事 人 数 帳 ﹂ に 依 れ ば 、 十 一 人 の 山 伏 名 が 記 載 さ れ て お り 、 一 人 当 た り 五 斗 の 置 米 を 徴 収 し て い た 。 五 斗 と い う 額 は 山 伏 方 へ の 加 入 の た め の 料 と 思 わ れ る ﹁入 供 ﹂ 料 と も 称 さ れ て い た 。 応 永 八 年 の ﹁山 臥 頼 母 子 米 日 記 ﹂ に 依 れ ば 、 熊 野 や 吉 野 へ 先 達 と し て 赴 け ば 一 回 分 と し て 銭 百 文 が 頼 母 子 か ら 支 給 さ れ て い た 。 宮 家 準 氏 や 和 歌 森 太 郎 氏 の 研 究 史 で は 、 勝 尾 寺 の 頼 母 子 講 を 高 利 貸 し 活 動 と 評 価 し て き た が 、 中 世 の 頼 母 子 を 分 析 さ れ た 三 浦 周 行 氏 ﹁頼 母 子 の 起 源 と 其 語 源 ﹂ に 於 い て ﹁多 数 人 が 合 力 依 頼 し て 互 に 融 通 を 計 る ﹂ 組 織 と 評 価 し 、 共 済 的 で は な く 救 済 的 性 格 が あ る と 指 摘 さ れ た 。 こ の 見 解 に 従 え ば 、 ﹁山 臥 頼 母 子 講 ﹂ の 性 格 は 、 高 利 貸 し の 組 織 で は な く 、 山 伏 に よ る 熊 野 や 吉 野 信 仰 の 自 救 的 団 体 と 評 価 し 得 る 。 観 心 寺 に も 山 伏 が 存 在 し 。 同 寺 に は 、 平 安 期 の 経 疏 類 の 奥 書 に は 熊 野 那 智 で 写 本 が 作 成 さ れ た と 記 記 さ れ て い る 。 和 歌 森 太 郎 氏 は ﹁修 験 道 史 二 五

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二 六 事 書 已 上 二 通 有   之 、 将 又 、 自 宗 徒 方 、 同 文 言 如 此 1  二 通 、 彼 方 江 渡 畢 、 判 ﹁ 何 モ 時 之 一 老 被 仕 畢 、 可 為   後 日 支 証 、 ﹂ 観 心 寺 東 西 衆 依 評 論 、 永 正 年 中 丙 寅 中 春 比 、 寺 家 悉 令 破 壊 畢 、 然 而 今 術 策 人 高 野 山 宝 聚 院 之 当 住 雄 岑 ・ 明 王 院 老 僧 定 秀 ・ 順 覚 ・ 奥 坊 、 田 川 殿 以 下 知 、 岩 瀬 藤 七 大 夫 等 為 逸 、 院 内 切 定 之 、 各 別 仁 令 居 住 畢 、 然 上 者 、 於 向 後 、 止 宿 意 、 以 和 与 之 儀 、 令 住 山 者 也 、 雖 然 、 湯 屋 風 呂 集 会 加 藍 等 可 為 各 々 、 於 西 宮 神 事 、 分 座 可 有 出 仕 、 井 自 寺 家 被 下 条 目 一 書 等 別 紙 在 之 、 其 外 諸 篇 競 望 仕 間 敷 候 、 若 背 此 旨 、 令 違 犯 者 、 為 寺 家 、 如 先 規 、 可 被 勤 進 退 之 法 途 処 也 、 偽 所 定 如 件 。 永 正 五 年 戊 辰 十 一 月 廿 九 日      西 座 方 時 之 一 老 禅 覚 (花 押 ) 衆 徒 御 方 と あ り ヽ 同 日 に は 観 心 寺 掟 書 案 (﹁ 375 が 作 成 さ れ た 。 こ れ が ﹁禅 覚 請 文 案 ﹂ に 見 え る ﹁自 寺 家 被 下 条 目 ﹂ を 指 し て い る 。 こ の 請 文 に は 山 伏 方 が 寺 内 で 遵 守 す る 事 項 が 盛 り 込 ま れ た 。 和 睦 に 至 る 経 過 は 、 高 野 山 の 寺 僧 等 の 仲 介 に よ り 、 山 伏 方 が ﹁令 住 山 ﹂ と あ り 、 山 伏 方 の 実 質 的 な 勝 訴 で あ っ た と 言 え る 。 寺 院 内 部 の 重 層 的 な 構 造 は 観 心 寺 に 特 有 の こ と で は な く 、 金 剛 寺 で は 、 山 伏 方 を ﹁西 座 ﹂ と 称 し 、 衆 徒 方 を ﹁東 座 ﹂ と 呼 ん で い た 。 五 来 重 氏 は 高 野 聖 を 分 析 し て 。 聖 等 の 活 動 な く し て 、 中 世 の 高 野 山 は 存 在 し な か っ た と 評 価 さ れ て い る 。 実 際 の 寺 院 経 営 に お い て は 、 こ う し た ﹁下 僧 ﹂ の 支 え が な け れ ば 成 り 立 た な か っ た と 言 え よ う 。 観 心 寺 に は 、 衆 徒 の 年 齢 同 朋 大 学 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 九 号 研 究 ﹄ に お い て 、 観 心 寺 の 山 伏 を 取 り 上 げ ら れ 、 同 寺 で は 古 来 山 伏 の 入 峯 が 禁 止 さ れ て い た と 指 摘 さ れ た が 、 当 時 接 す る 金 剛 寺 で は 古 代 末 期 に は 熊 野 参 詣 に 伴 い 写 本 の 作 成 が 行 わ れ 、 純 宗 教 的 に 行 わ れ て お り 、 山 伏 道 は 制 禁 さ れ た と は 思 え な い 。 山 伏 道 を 禁 止 さ れ た の は 室 町 期 の 事 で は な い か と 思 わ れ 、 そ の 禁 止 の 例 が 応 永 年 間 に あ る 。 そ の 後 、 寛 正 六 年 に は ﹁観 心 寺 満 寺 集 会 評 定 事 書 ﹂ が 作 成 さ れ て お り 、 そ れ に 依 れ ば 、 ﹁今 度 下 僧 等 敷 地 事 、 始 而 望 申 者 、 多 有 其 聞 、 望 之 依 先 次 第 、 敷 地 可 被 親 疎 出 者 也 ﹂ と あ り 、 山 伏 方 の 出 自 階 級 と 思 わ れ る ﹁下 僧 ﹂ が 寺 内 に 敷 地 を 望 み 、 ﹁行 満 屋 敷 ・正 相 屋 敷 ﹂ 等 と 称 す る 屋 敷 が 設 置 す る 事 が 承 認 さ れ た 。 こ う し た 屋 敷 の 名 称 か ら 判 断 し て も 、 ﹁下 僧 ﹂ は 在 家 者 で あ る と 言 え よ う 。 聖 護 院 方 は 山 伏 を 組 織 化 す る た め 、 明 応 三 年 に は 観 心 寺 山 伏 中 宛 に 、 翌 明 応 四 年 に は 金 剛 寺 宛 に 聖 護 院 の 入 峯 に 奉 公 す る こ と を 促 す 書 状 を 出 に惣 観 心 寺 で は 山 伏 道 の 復 活 が 見 ら れ た よ う で あ る 。 永 正 二 年 ﹁観 心 寺 ( 65 ) 重 申 状 案 ﹂ に 記 さ れ た 観 心 寺 の 主 張 に 依 れ ば 、 入 峯 は 守 護 代 遊 佐 氏 か ら 山 伏 方 に 申 し 懸 け ら れ た も の で あ り 。 こ れ に 対 し て 観 心 寺 が 相 論 に 及 ん だ こ と が 分 か る 。 裁 判 は 守 護 の 畠 山 氏 の も と で 始 ま り 、 同 五 年 に は 和 睦 が 成 立 し た 。 山 伏 方 の 請 文 で あ る ﹁観 心 寺 西 座 方 一 肩 禅 覚 請 文 案 ﹂ に 依 れ ば 、 ﹁両 座 和 睦 之 時 、 自 西 座 方 上 条 目 請 文 二 通 ﹂ ﹁永 正 五 年 戊 辰 十 一 月 廿 九 日 西 座 与 寺 家 和 睦 之 時 、自 西 座 方 上 ル 条 目 井

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と 見 ら れ る 。 武 家 法 が 僧 の 妻 帯 を 禁 止 し た の は 、 い つ 頃 か 判 然 と な っ て い な い 。 こ の 問 題 を 取 り 上 げ る 前 に 、 こ う し た 妻 帯 を 禁 止 し た 政 治 の 直 接 の 目 的 は 恐 ら く 民 衆 的 な 宗 教 者 、 即 ち 聖 に 対 す る 迫 害 と 関 連 が あ る と 思 わ れ る 。 真 宗 や 時 宗 の 沙 弥 に 対 し て 、 幕 府 は 妻 帯 を 認 め て い る が 、 真 宗 ・ 時 宗 共 に 宗 教 団 体 と し て の 序 列 は 低 か っ た と 云 っ て も 良 い 。 ま た 近 世 の 妻 帯 僧 は 真 宗 や 時 宗 に の み 見 ら れ た 現 象 で は な く 、 近 世 の 賤 民 の 中 に 様 々 に 現 れ る 乞 食 坊 主 は 一 面 で は 妻 帯 僧 で あ る 。 中 世 の 聖 が 近 世 に な る と 如 何 な る 処 遇 を 受 け た の か 、 五 来 重 氏 は 、近 世 の 高 野 聖 を 取 り 上 げ て 、 越 中 で は そ の ほ か 中 新 川 ・ 婦 負 ・ 東 砺 波 ・ 西 砺 波 の 各 郡 の 祭 礼 行 列 に 、 願 念 坊 と い う 仮 装 の 道 化 が で る こ と が 多 い 。 俗 に オ ド ケ と か ス リ コ ン 、 ま た は ス ッ コ ン 棒 と よ ば れ 、 黒 衣 に 袈 裟 の 坊 主 頭 で 、 儒 粉 木 や オ シ ャ モ ジ や ソ ウ ケ (筑 ) を も っ て 道 化 踊 を す る 。 し か も こ れ を ス ッ タ カ 坊 主 あ る い は 願 人 と も い う が 、 ス ッ タ カ 坊 主 や ズ タ ズ タ 坊 主 は ﹁ま か し よ ﹂ と も い い 、 願 人 坊 や 高 野 聖 の 異 称 で あ る 。 ま た 江 戸 時 代 に は 高 野 聖 は 高 野 願 人 と も よ ば れ た の で あ る か ら 、 い ず れ も 高 野 聖 や 願 人 帽 の 伝 播 し た 念 仏 踊 の 道 化 だ っ た の で あ る 。 越 中 砺 波 地 方 に は 高 野 聖 の 碑 が 各 地 に の こ り 、 俊 寛 塚 (久 利 須 ・ 沢 川 ・ 小 野 ・ 子 換 ・ 宮 村 な ど ) が あ る の で 、 こ の 推 定 は い よ い よ た し か な も に な る 。 と 論 じ て い る 。 五 来 氏 は 、 近 世 賤 民 と は 説 明 さ れ て い な い が 、 願 人 坊 主 と 近 世 の 高 野 聖 の 姿 を 紹 介 さ れ た 。 こ う し た 妻 帯 僧 が 何 故 生 ま れ た の か 、 こ の 問 題 を 前 節 で 取 り 上 げ た 聖 ・ 山 伏 或 い は 御 師 に 付 い て 検 討 し て み た 二 七 階 梯 集 団 で あ る ﹁若 衆 ﹂ と い う 集 団 が あ り 、 ﹁小 法 師 ﹂ ( ﹁下 僧 ﹂ を こ う 称 し た ) を 加 え て 湯 屋 ・風 呂 の 興 行 に 当 た り 、 ま た 観 心 寺 の 武 力 で あ る ﹁兵 具 ﹂ も 若 衆 が ﹁小 法 師 ﹂ と 共 に 携 わ っ て い た 。 こ の ﹁下 僧 ﹂ 集 団 は 永 正 の 相 論 を 通 じ て 寺 内 居 住 を 始 め て 保 証 さ れ た と 言 え る 。 室 町 期 の 大 阪 の 史 料 に 見 え る 山 伏 に 関 し て 若 干 の 考 察 を 加 え て き た が 、 山 伏 は 聖 と も 称 し 、 寺 院 内 部 で は 下 層 の 宗 教 者 で あ り な が ら 、 寺 院 内 部 に 深 く 入 込 ん だ 世 俗 的 性 格 を 持 つ 宗 教 者 で あ る 。 勝 尾 寺 で は 山 伏 方 が 強 固 な 団 体 的 性 格 を 有 し て お り 、 頼 母 子 講 を 営 み 相 互 に 信 仰 活 動 の 支 え を 行 っ て き た 事 が 判 明 す る 。 そ の 団 体 性 は 政 治 的 に も 力 量 を 発 揮 し 、 聖 護 院 門 跡 と の 関 係 を 深 め た 。 観 心 寺 で も 、 在 俗 的 な 宗 教 者 が 次 第 に 寺 院 内 部 に 進 出 し て 、 独 自 に 山 伏 方 を 形 成 し た と 考 え る こ と が 出 来 た 。 こ う し た 山 伏 、 或 い は 世 俗 的 な 先 達 の 在 り 方 の 中 に 聖 、 念 仏 者 等 の 姿 を 見 付 け る こ と が 出 来 る 。

僧 侶 の 中 に は 清 僧 と い う 概 念 が あ る が 、 こ れ は 妻 帯 僧 と 対 に し て 用 い ら れ る 。 も と よ り 僧 尼 令 に 僧 の 妻 帯 は 禁 止 さ れ て お り 、 妻 帯 生 活 が 世 俗 生 活 の 指 標 に も な る 。 ﹁沙 石 集 ﹂ に は 数 多 く の 聖 の 妻 帯 例 を 記 し て い る が 、 近 世 で は 、 僧 侶 の 犯 罪 と し て ﹁女 犯 ﹂ 或 い は 肉 食 が あ る 。 特 に 女 犯 は 幕 藩 権 力 が 僧 侶 に 課 し た 犯 罪 で あ り 、 僧 侶 が 盛 ん に 摘 発 を 受 け た 犯 罪 で あ る 。 中 世 武 家 法 は 僧 侶 の 犯 罪 に 対 し て は 寛 容 で あ り 介 入 し な か っ た 中 世 末 期 の 聖 と 寺 院 社 会

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二 八 門 堂 へ の 参 詣 者 を 集 め 、 配 札 を 参 詣 者 の た め に 行 っ て い た と 考 え ら れ る 。 坂 東 屋 は 世 俗 性 を 強 く 持 っ た 鞍 馬 寺 の 聖 階 級 と 見 ら れ 、 参 詣 者 の た め の 人 宿 を 経 営 し て い た と 思 わ れ る 。 こ の 鞍 馬 寺 の 下 僧 等 が 、 豊 臣 秀 吉 か ら 追 放 処 分 を 受 け た こ と が ﹃鞍 馬 寺 史 ﹄ に 収 録 さ れ た ﹁青 蓮 院 文 書 ﹂ に 記 さ れ て い る 。 即 ち 、 鞍 馬 寺 之 儀 、 衆 僧 行 儀 狼 に 付 、 既 仏 法 及 退 転 之 旨 、 無 是 非 次 第 候 、 然 者 。 彼 妻 帯 之 僧 、 悉 被 追 却 、 今 般 、 寺 法 被 相 改 、 法 事 勤 行 為 専 、 堂 舎 修 理 等 之 儀 、 可 為 肝 要 候 。 当 門 為 寺 務 之 間 、 聊 不 可 有 油 断 之 状 如 件 。 天 正 十 七 七 月   日        関 白 (花 押 ) 青 蓮 院 殿 と い う 天 正 十 七 年 の 秀 吉 判 物 に 依 れ ば 、 寺 法 を 改 め さ せ て 、 秀 吉 は 妻 帯 の 僧 を 追 放 処 分 に 処 し た 事 を 明 記 し て い る 。 鞍 馬 寺 と 豊 臣 政 権 と の 間 に 他 に 政 治 的 な 緊 張 関 係 が 存 在 し た の か 否 か は 不 明 だ が 、 後 述 す る 他 の 寺 院 に も 類 似 す る 追 放 令 が 存 在 す る 所 か ら 判 断 し て 、 妻 帯 僧 の 寺 院 か ら の 追 放 は 豊 臣 政 権 の 一 般 的 な 政 策 で あ っ た と も 考 え ら れ る 。 こ れ を 受 け て 鞍 馬 寺 は 文 禄 二 年 に 寺 法 を 制 定 し 、 妻 帯 僧 の 追 放 を 決 定 し た 。 ﹃ 鞍 馬 寺 史 ﹄ 143 頁 の 指 摘 に 依 れ ば 、 ﹁旧 臓 の 地 下 中 起 請 に 基 き 、 寺 法 三 ヶ 条 を 制 定 す ﹂ と 解 説 し て い る 。 即 ち 、 そ の 起 請 文 に 依 れ ば 、 条 々 一 、 相 改 坊 号 宿 直 次 罷 成 山 下 在 之 上 者 、 毘 沙 門 井 札 巻 数 以 下 諸 檀 方 江 相 同 朋 大 学 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 九 号 い 。 新 城 美 恵 子 氏 は 、 鞍 馬 寺 の 坂 東 屋 を 取 り 上 げ 、 こ れ が 鞍 馬 の 毘 沙 門 天 に 参 詣 す る 人 宿 の 如 き 性 格 を 持 っ て い た と 指 摘 し た 。 即 ち 、 室 町 幕 府 の 裁 判 史 料 で あ る ﹃賦 引 付 ﹄   を 引 用 し て 、 諏 神 左 一 、 野 洲 井 源 次 郎 清 助 申 状 右 於 鞍 馬 寺 山 上 山 下 坂 東 人 宿 職 事 、 帯 屏 行 売 券 状 、 清 助 当 知 行 仕 候 畢 、 弥 可 致 存 知 之 旨 、 被 成 御 下 知 者 、 可 添 存 者 也 、 働 言 上 如 件 。 天 文 十 六 年 閏 七 月 日 野 洲 井 清 助 が 偉 行 か ら 同 宿 を 買 得 し 、 そ の 当 知 行 の 安 堵 を 幕 府 に 申 請 し た も の で あ る 。 こ の 史 料 と 同 趣 旨 で あ る が 抹 消 さ れ た 記 録 に は ﹁坂 東 屋 ﹂ と あ り 、 こ の 坂 東 屋 が ﹁坂 東 人 宿 ﹂ を 指 す こ と は 言 う ま で も な い 。 更 に 著 名 な 高 利 貸 し で あ る 野 洲 井 氏 が 買 得 す る 以 前 の 坂 東 屋 の 主 を 坂 東 屋 富 松 氏 と 推 定 し 、 坂 東 屋 富 松 氏 は 松 聖 護 院 ・ 近 衛 家 や 伊 達 家 な ど と 人 的 交 流 が 深 く 、陸 奥 国 田 村 庄 の 熊 野 先 達 と 密 接 な 関 係 を 持 っ て い た と さ れ る 。 商 人 資 本 で あ り 、 熊 野 先 達 と も 関 係 の 深 い 人 物 が 鞍 馬 寺 の 人 宿 を 経 営 し た と い う 指 摘 で あ る 。 鞍 馬 寺 に は 、 既 に 見 た 観 心 寺 等 と 同 様 に ﹁下 法 師 ﹂ や ﹁下 僧 ﹂ 、 或 い は ﹃純 河 原 勧 進 猿 楽 日 記 ﹄   に 依 れ ば 純 河 原 で 猿 楽 勧 進 を 興 行 し た ﹁鞍 馬 寺 勧 進 聖 ﹂ が 存 在 し 、 盛 ん な 金 融 活 動 を 行 う と と も に 、 中 に は 百 六 十 歳 の 鞍 馬 寺 勧 進 聖 が い た と い う 記 録 も あ る 。 こ う し た 勧 進 聖 は 鞍 馬 寺 の 毘 沙

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賦 交 衆 之 望 不 可 在 之 事 、 一 、 向 後 奉 対 門 跡 様 、 構 野 心 、 不 儀 緩 怠 之 儀 聊 御 座 有 間 鋪 事 、 一 、 諸 事 宿 直 次 順 寺 役 不 可 有 異 儀 事 、 右 、 先 年 各 企 非 分 口 訴 訟 、 其 以 来 既 至 旧 冬 四 ヶ 年 之 間 、 御 門 跡 様 江 一 切 出 入 相 止 、 不 順 寺 役 、 諸 事 恣 所 行 、 併 大 和 大 納 言 様 御 意 之 旨 ヲ 以 相 背 候 條 、 旁 以 曲 事 被 思 召 候 間 、 今 度 在 所 可 被 追 却 之 由 被 仰 出 候 、 致 迷 惑 、 以 准 后 様 井 御 寺 中 御 詫 言 申 上 候 處 、 御 赦 免 恭 存 候 、 自 今 以 後 相 背 右 之 旨 候 者 。 一 類 共 可 被 加 御 成 敗 候 、 為 其 親 類 中 別 紙 請 状 を 以 申 上 候 、 働 如 件 。 文 禄 二 年 二 月 十 一 日         連 署 省 略 鳥 居 小 路 大 蔵 卿 殿 参 と あ り 、 山 下 に 居 住 し た 者 達 は ﹁毘 沙 門 井 札 巻 数 以 下 諸 檀 方 江 相 賦 ﹂ る 交 衆 を 望 ま な い 、 門 跡 に 対 し て 野 心 を 構 え な い 、 寺 役 を 緩 怠 し な い と い う 誓 約 を 行 っ た 。 四 年 間 、 即 ち 天 正 十 七 年 以 来 、 妻 帯 僧 は ﹁非 分 の 訴 訟 ﹂ を 止 め 、 出 入 り も 止 め て 、 寺 役 を 勤 め な か っ た と い う 。 併 せ て 豊 臣 秀 長 の 御 意 に 背 い た と さ れ 、 改 め て 寺 家 か ら 赦 免 を 受 け る に 至 っ て 問 題 は 解 決 し た 。 鞍 馬 寺 の 妻 帯 僧 と 目 さ れ た 人 達 に 対 す る 進 止 権 が 確 認 さ れ た と 云 う こ と で あ ろ う 。 し か し 、 他 方 で 近 世 賤 民 の 一 類 型 と し て 願 人 が 存 在 し 、 そ の 願 人 が 鞍 馬 寺 大 蔵 院 ・ 円 光 院 と 帰 属 関 係 を 持 っ て い る こ と は 注 目 さ れ て 良 い 。 江 戸 や 大 坂 で 活 躍 し た 乞 食 僧 や 大 道 芸 か ら 関 心 を 集 め 願 人 に 関 し て 、 中 尾 健 次 氏 は ﹁ 百 戯 述 略 ﹂ を 引 用 し て 、 ﹁元 和 夏 御 陣 の 節 。 中 世 末 期 の 聖 と 寺 院 社 会 住 僧 某 道 御 案 内 申 上 、 此 時 御 賞 状 拝 領 ﹂ と い う 由 緒 書 の 如 き も の の 存 在 を 指 摘 さ れ た 。 ま た 、 鈴 木 明 子 氏 の 指 摘 で は 、 願 人 に 三 類 型 が 設 定 さ れ る と 云 い 、 第 一 に 特 定 の 寺 社 に 属 さ な い 宗 教 者 、 第 二 に 鞍 馬 寺 に 属 す る 願 人 、 第 三 に 鞍 馬 寺 以 外 に 帰 属 し た 願 人 を 挙 げ ら れ た 。 何 れ も 宗 教 者 と し て の 願 人 の 位 置 づ け を 試 み ら れ て い る 。 近 世 願 人 の 起 源 は 、 鈴 木 氏 が 指 摘 す る 問 題 は 改 め て 近 世 の 願 人 が 鞍 馬 寺 に 帰 属 さ せ ら れ る と い う 問 題 で あ っ て 、 も と よ り の 妻 帯 僧 と 鞍 馬 寺 の 関 係 を 見 れ ば 、 天 正 年 間 に 鞍 馬 寺 か ら 追 放 処 分 に 逢 っ た 妻 帯 僧 を 起 源 と す る と 考 え ら れ る 。 天 正 年 間 に 妻 帯 僧 が 鞍 馬 寺 か ら 追 放 に 処 せ ら れ た 処 に あ る と 思 う 。 天 正 年 間 に 願 人 団 体 が 成 立 し た と は 思 え な い が 、 願 人 団 体 は 鞍 馬 寺 か ら 追 放 さ れ た 妻 帯 僧 の 集 団 を 核 に し て 結 成 さ せ ら れ た 可 能 性 は 大 き い と 思 う 。 そ の 上 で 改 め て 近 世 の 願 人 を 巡 る 幕 府 法 に よ る 規 制 の 在 り 方 は 問 い 直 さ れ る べ き で あ ろ う 。 鈴 木 明 子 氏 は 万 治 元 年 八 月 の 江 戸 の 町 触 に 注 目 し て 、 願 人 の 名 称 が 見 い だ せ る と 指 摘 し て い る が 、 同 氏 が 引 用 す る 寛 文 二 年 九 月 十 八 日 の 町 触 に 至 っ て 漸 く 、 次 の 如 き 内 容 を 示 す 。

宿

(

X

取 、 其 上 請 人 を 立 、 裏 た な 二 差 置 可 中 候 、 本 寺 な き 方 二 は 一 円 宿 借 申 間 敷 候 、 即 ち 、 願 人 等 が 宿 借 を 致 す と き に は 本 寺 の 弟 子 で あ る こ と を 証 明 す る 証 文 が 必 要 と さ れ た 。 所 謂 、 寺 請 け を 云 う と 解 釈 さ れ る 。 こ こ に 願 人 と 寺 院 と の 帰 属 関 係 を 証 明 す る 必 要 が 生 じ た 。 ﹃鞍 馬 寺 史 ﹄ の 指 摘 に 依 れ ば 。 二 九

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三 〇 に よ っ て 、 そ れ ま で 願 阿 弥 以 来 、 一 貫 し て 外 来 者 と し て の 位 置 し か 与 え ら れ て い な か っ た 成 就 院 は 、寺 内 で よ り 安 定 し た 地 位 を 確 保 す る ﹂ に 至 っ た と 解 説 し て い る 。 時 衆 の 徒 で あ っ た 願 阿 弥 の 後 継 者 が 清 水 寺 に 基 盤 を 喪 失 し た 大 事 件 で あ る と 理 解 す る こ と が 出 来 る 。 更 に ﹃成 就 院 文 書 ﹄ に 鞍 馬 寺 と 同 じ く 天 正 十 七 年 に 妻 帯 僧 の 処 分 を 命 じ る 豊 臣 秀 吉 の 判 物 が 発 給 さ れ た 。 清 水 院 本 堂 銭 箱 五 ヶ 所 之 事 、 妻 帯 之 僧 共 取 之 、 育 女 子 侯 に 付 而 、 今 度 被 成 御 改 、 何 茂 被   為 召 上 、 当 寺 造 営 之 為 、 永 代 之 寄 附 詑 。 本 願 令 執 沙 汰 、 修 造 可 仕 者 也 、 天 正 十 七 年 十 月 十 四 日          関 白 (朱 印 ) 清 水 寺 成 就 院 と あ る 。 ﹁清 水 寺 史 ﹂ に 依 れ ば 、 ﹁妻 帯 の 僧 と は 、 六 坊 の 住 持 を い う ﹂ と し て い る 。 更 に 同 年 一 二 月 三 日 の ﹁成 就 院 文 書 ﹂ に よ れ ば 、 真 乗 坊 を 除 い た 六 坊 、 実 際 に は 五 坊 が 豊 臣 秀 吉 に 懇 願 し て 本 堂 銭 箱 の 返 付 を 求 め た が 、 真 乗 坊 に い た は ず の 妻 帯 僧 の 行 方 に つ い て は 不 明 で あ る 。 恐 ら く 、 鞍 馬 寺 の 妻 帯 僧 と 同 様 に 追 放 に 処 さ れ た と 考 え ら れ る 。 こ う し た 妻 帯 僧 の 追 放 は 清 水 寺 や 鞍 馬 寺 に 見 ら れ た が 、 更 に 禅 宗 に も ﹁放 下 僧 ﹂ と 称 さ れ る 乞 食 僧 が 存 在 し 、豊 臣 政 権 は こ う し た 僧 の 追 放 を 図 っ た と 見 ら れ る 。 ﹁大 徳 寺 文 書 ﹂ に は 天 正 十 二 年 ﹁豊 臣 秀 吉 1  下 ﹂ が 大 徳 寺 宛 に 発 給 さ れ 、 ﹁或 刃 傷 殺 害 或 折 檻 人 、 為 免 其 過 、 号 遁 世 押 入 之 族 、 一 切 不 可 有 御 許 容 ﹂ と あ り 、 刃 傷 ・ 折 檻 人 が 遁 世 と 号 し て 大 徳 寺 に 押 し 入 り 、 こ の 遁 世 者 を 同 朋 大 学 佛 教 文 化 研 究 所 紀 要 第 十 九 号 こ の 幕 府 の 方 針 を 受 け て 鞍 馬 寺 で は 寛 文 十 二 年 に ﹁覚 書 ﹂ を 制 定 し 、 江 戸 や 大 坂 で 願 人 仲 間 の 組 織 化 を 図 り 、 組 頭 支 配 を 始 め 、 組 と し て 規 約 を 設 け さ せ た と い う 。 な お 願 人 仲 間 に 加 入 し よ う と す る 者 は 、 組 頭 を 通 じ て 大 蔵 院 ・ 円 光 院 へ 許 状 を 申 請 し な け れ ば な ら な か っ た 。 幕 府 の 指 示 に 従 い 、 鞍 馬 寺 と 願 人 は 改 め て 帰 属 関 係 を 結 ん だ が 、 願 人 仲 間 は 鞍 馬 寺 の 独 自 組 織 と は 言 い 難 い 一 面 で あ る 。 妻 帯 僧 の 追 放 は 、 こ の 時 期 の 京 都 の 寺 院 で 幾 つ か 見 つ け る こ と が 出 来 る 。 即 ち 、 清 水 寺 や 大 徳 寺 な ど で も 同 じ 処 分 が 繰 り 返 さ れ た 。 ﹁清 水 寺 史 ﹂ 巻 一 に 引 用 す る ﹃成 就 院 文 書 ﹄ に 依 れ ば 、 従 信 長 様 被 仰 出 候 、 此 度 真 乗 坊 大 阪 寵 城 中 江 、 方 々 廻 文 を 以 、 入 城 を か た め 被 取 、 被 成 御 成 敗 候 、 然 者 、 彼 者 坊 屋 敷 ・ 銭 箱 以 下 不 残 、 為 本 願 、 諸 事 可 被 申 付 之 旨 、 被 仰 出 候 、 為 以 来 、 以 折 紙 申 入 候 、 恐 惶 謹 言 、 (天 正 年 中 ) 八 月 七 日        村 井 貞 勝 (花 押 ) 清 水 寺 成 就 院 本 願 御 同 宿 中 と あ り 、 真 乗 坊 は 石 山 合 戦 に 本 願 寺 方 と し て 廻 文 を ま わ し 、 大 坂 へ 入 城 を 行 っ た 。 織 田 政 権 に よ る 制 裁 と し て 、 成 就 院 真 乗 坊 の 本 願 の 勧 進 活 動 が 成 就 院 に 委 ね ら れ 、 真 乗 坊 自 身 は 廃 絶 に 追 い 込 ま れ た 。 本 願 と は 、 願 阿 弥 以 来 の 遺 跡 を 守 っ て い た 坊 で あ り 、 ﹁清 水 寺 史 ﹂ は ﹁真 乗 坊 の 廃 絶 は 、 清 水 寺 の 歴 史 の 中 で 、 た ん に 六 坊 の な か の 一 坊 の 廃 絶 と い う に 止 ま ら な い 大 き な 意 味 を 持 っ て い た 。 と い う の は 、 真 乗 坊 の 遺 跡 を 継 ぐ こ と

参照

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