≪嘱託研究員特別公開講座≫
こころにゆとりがないと、遊び心は生まれない
ケーキハウスツマガリ津 曲 孝
私は、学士経験者でもなく、学力があるわけでもない。中学は半分、高校にも行ってお らず、九州の片田舎から機関車に乗って着の身着のままで就職した。行き当たりばったり の人生の中で、どう生きるかということは深く考えない、そういう生き方だった。 九州の日南海岸より南に都井岬というところがあり、それより、もう少し南の方に志布 志湾というのがある。家の裏が、丁度ロケットを発射する場所の真向かい側にあたるよう な風光明美な場所に 15 歳まで住んでいたが、いろいろ事情があり、破産をして、何もかも なくなった。父がいなくなり、母、祖父も寝込みがちで、74 歳の祖母が稼ぎ頭。兄弟 4 人、 何もない中生活していくこととなった。しかし、そんな中でも、お金がないから遊び心が 生まれないとか、ものがないから無理とか、ふさわしい環境でないから何かができないな どということは一切ないということを思った。どんな状況にあっても、平気でいられる自 分がいた。傍から見ると修羅場であるような状況でも、私にとっては、そうではなかった のである。それが、私の人生の中で、どれだけ役に立ったかしれない。この時のことを話 すと、15 歳だったが 30 年くらい生きていたような錯覚が起きる。よくテレビであるような アドベンチャー、そういうものも、私は平気なのである。昨日もたまたま呼ばれてゴルフ に行ったが、大雨だった。ゴルフ場はカラッポ。100 ミリぐらい降っているような雰囲気だ ったが、雨など降っていないと思えば、ゴルフだってできる。カッパなんて着ていられな い?いやいや、雨は恵みではないか。恵みの雨を嫌ってはいけない。靴がズボっと入るく らい地面は濡れていたし、ゴルフ場の小川はすごい鉄砲水だったが、やはりそれも平気で ある。どうということはない。寒かろうが、暑かろうが。寒かったら「服がない」と震え るのは大間違い。お腹に新聞紙を詰めていれば、最高の服を着たのと同じだ。体中に新聞 紙を詰めていれば防寒具を身につけたのと同じだ。靴底が濡れたなら、靴の中に新聞紙を 詰めればいい。どれだけ温かいか。そういう工夫をしなくてはいけない。遊び心とはそう いうところから生まれるのではないのだろうか。だから、世の中つまらないと思う人はつ まらない、つまらないと思わなければどんな状況でもつまらないことはないのである。 中学校を卒業する 3 日前、先生に「どこか行くところはないですか?」と聞いた。先生 は「お前は行くところがないのか」と言った。田舎にいるわけにはいかない、社会に出て お金を稼いで仕送りをしないといけないですから、と言うと、技術家庭の先生が、「私の同 級生が東京にいるからそこに行きなさい」と言ってくれた。何もいらないと言うので、学 校へ行く恰好のまま、ボストンバッグもなく小さな鞄をひとつ持って行った。着替えも持 っていない、下着だけ、3 年間着た学生服と学生帽のまま社会に出たのである。4 千円お金を借りて田舎から出てきたが、借りたお金はお返しした。家を建て、それでお返しした。 借りたものは倍にして返す、とても大切なことだ。 私の経営哲学は、祖母が汽車に乗る時に言ってくれた、「仕事を一生懸命すること」「人 に好かれること」「女性を大事にすること」の 3 つである。この 3 つを守ったことが、今日 よかったのである。女性を大事にすると店が栄える、家が栄えると幸せになれる。そして、 人に好かれるということ。遊び心というのは、喜ばれようという発想から生まれる。人が 喜んでいるのを見て、自分も喜ぶのである。最後に、仕事を一生懸命するということ。哲 学雑誌に「プロフェッショナル 100 人の流儀(珠玉の名言)」として載せてもらった私の言 葉があるのだが、人間、100%頑張ろうとしてもなかなかしんどい、しかし、150%頑張ろ うと覚悟を決めると大概の事はできる。できないという壁を作ってしまうと、そう脳が発 令した瞬間に体が萎えてくるのである。物事をどう前向きに捉えるか。前向きに捉えるこ とで、人間の脳は活性化するのである。私は、学校は満足に出ていないが、これらの人生 哲学を身につけさせてくれた祖母に感謝している。 15 歳で社会に出た私であるが、最初に就いた仕事はお菓子屋ではなかった。東京の某紡 績会社の化学工場で、トンネルのようなところを潜っていって原料を採ってくるという仕 事であった。紡績といっても、化学工業なのだから、実際に糸を紡いでいるわけではない。 その工場にはホルマリンのプールのようなものがあったが、私はそれが毒薬だと知らなか った。下請けのさらに下請けのような会社で、体に害を与える恐れがある危険な仕事をす る職場だった。ウレタン(スポンジ)を圧縮するとベッドの原料になる、それを作る仕事 もあった。薬品などを被ったりしたら大変である。断熱材、食器なども作った。あと、石 綿というものも扱った。今でいうアスベストだ。それをプレスにかけて車のクラッチを作 る。工場の倉庫には石綿がたくさんあって、昼休みなど何も知らずその綿にくるまって昼 寝もしていた。今思えば、危険なものがゴロゴロしているような環境で、それでも、私は 奇跡的に生き延びている。そんなだったから、自分が洋菓子の世界に入るなんてことは夢 にも思わなかったのだが、1 年程経ったとき、その時の状況に疑問を持ちだした。そこで、 その会社を辞め、板金の仕事や労働環境が劣悪な仕事など、いろいろな仕事を経験した。 普通なら逃げ出してしまいそうになる、そのような状況も私はその場その場で適応した。 どこでも平気なのである。それも、子どものころの経験が生きているのである。屋根に穴 があいている家でも、雨の当たらない場所で寝ればいいのである。寒い時は、うちには猫 がいたので、猫を布団に招いて寝ると温かい。ネズミ退治もしてくれるし、猫は役に立つ。 全てその時の状況判断である。人生難しく考えるといけない、単純に、シンプルに考え ると楽しくなるのである。世の中難しくしているのは、難しく考えるからである。楽しく しようと思えば、いくらでも楽しくなる。家庭内でもなんでもそうで、にこりと笑えばそ れでいい、笑顔が宝である。お金もなにもいらない、話もしなくていい、ふと見た時にに こりと笑い合うだけで「心が通じている」と感じる。難しい顔をしていると「何を怒って いるのか」となる。言葉であれこれ説明しなくても、笑顔で通じるのである。笑顔の中に
を借りて田舎から出てきたが、借りたお金はお返しした。家を建て、それでお返しした。 借りたものは倍にして返す、とても大切なことだ。 私の経営哲学は、祖母が汽車に乗る時に言ってくれた、「仕事を一生懸命すること」「人 に好かれること」「女性を大事にすること」の 3 つである。この 3 つを守ったことが、今日 よかったのである。女性を大事にすると店が栄える、家が栄えると幸せになれる。そして、 人に好かれるということ。遊び心というのは、喜ばれようという発想から生まれる。人が 喜んでいるのを見て、自分も喜ぶのである。最後に、仕事を一生懸命するということ。哲 学雑誌に「プロフェッショナル 100 人の流儀(珠玉の名言)」として載せてもらった私の言 葉があるのだが、人間、100%頑張ろうとしてもなかなかしんどい、しかし、150%頑張ろ うと覚悟を決めると大概の事はできる。できないという壁を作ってしまうと、そう脳が発 令した瞬間に体が萎えてくるのである。物事をどう前向きに捉えるか。前向きに捉えるこ とで、人間の脳は活性化するのである。私は、学校は満足に出ていないが、これらの人生 哲学を身につけさせてくれた祖母に感謝している。 15 歳で社会に出た私であるが、最初に就いた仕事はお菓子屋ではなかった。東京の某紡 績会社の化学工場で、トンネルのようなところを潜っていって原料を採ってくるという仕 事であった。紡績といっても、化学工業なのだから、実際に糸を紡いでいるわけではない。 その工場にはホルマリンのプールのようなものがあったが、私はそれが毒薬だと知らなか った。下請けのさらに下請けのような会社で、体に害を与える恐れがある危険な仕事をす る職場だった。ウレタン(スポンジ)を圧縮するとベッドの原料になる、それを作る仕事 もあった。薬品などを被ったりしたら大変である。断熱材、食器なども作った。あと、石 綿というものも扱った。今でいうアスベストだ。それをプレスにかけて車のクラッチを作 る。工場の倉庫には石綿がたくさんあって、昼休みなど何も知らずその綿にくるまって昼 寝もしていた。今思えば、危険なものがゴロゴロしているような環境で、それでも、私は 奇跡的に生き延びている。そんなだったから、自分が洋菓子の世界に入るなんてことは夢 にも思わなかったのだが、1 年程経ったとき、その時の状況に疑問を持ちだした。そこで、 その会社を辞め、板金の仕事や労働環境が劣悪な仕事など、いろいろな仕事を経験した。 普通なら逃げ出してしまいそうになる、そのような状況も私はその場その場で適応した。 どこでも平気なのである。それも、子どものころの経験が生きているのである。屋根に穴 があいている家でも、雨の当たらない場所で寝ればいいのである。寒い時は、うちには猫 がいたので、猫を布団に招いて寝ると温かい。ネズミ退治もしてくれるし、猫は役に立つ。 全てその時の状況判断である。人生難しく考えるといけない、単純に、シンプルに考え ると楽しくなるのである。世の中難しくしているのは、難しく考えるからである。楽しく しようと思えば、いくらでも楽しくなる。家庭内でもなんでもそうで、にこりと笑えばそ れでいい、笑顔が宝である。お金もなにもいらない、話もしなくていい、ふと見た時にに こりと笑い合うだけで「心が通じている」と感じる。難しい顔をしていると「何を怒って いるのか」となる。言葉であれこれ説明しなくても、笑顔で通じるのである。笑顔の中に 人生の全てがつまっていると私は思う。上手く交渉事をしようと思ったら、笑顔でいるこ と。難しい顔をしているとまとまる話もまとまらない。人間意地を張るといけない。意地 を張ると尾を引いてしまう。意地の「意」というのは心の中の根である。意志の強さを表 す。志を持って、一瞬一瞬を精一杯生きるように努めたいと思う。終わったことをいつま でも引きずってはいけない。反省することは大事だが、尾を引いて、引きずってみても仕 方がない。かといって、20 年、30 年先を考えて思い悩んでも同じことである。やはり、「今」 である。「今」を一生懸命、楽しく、感謝の気持ちを忘れず生きることである。そこに遊び 心は生まれるのではないだろうか。やはり、哲学者、思想家は 100 年先を詠むらしい。そ れも大事なことだと思うが、私にとってはお菓子作りの中に「真(まこと)」がある。 小さい頃、ハマグリを獲って塩水で洗い、生で食べた。あの貝や魚の美味さはたまらな い。お金がなく、お腹が空いていたということもありなんとも言えず美味い、あの味が忘 れられない。私はそうして味を覚えた。学校へも弁当は持って行けなかった。帰り道、季 節になると畑にはなすがある。他人の畑であるが、盗んだのではない、味見を買ってでた のである。畑によっては美味しいところとまずいところがある。水分が多いような肥えた 畑になるものは美味しくない。枯れたようなところになるものの方が美味かった。すいか も大きいものは水分ばかりで美味しくない、小さい方が美味かった。そうして、近所の畑 を味見してあげると、いろんなことがわかってくる。やはり、甘く有るべき果物は甘いも のが一番美味い。見栄えばかりで美味くないものもあれば、トマトなどは小さくて不格好 なものも美味い物は美味かったりするのである。台風の頃はなおうれしかった。梨や柿が 落ちるのである。海に行けば魚が上がっている、ピンチはチャンスである。台風の風なん て、私にとってはそよ風と同じなのだ。波の高い海にも平気で入っていった。三角波が体 を飛ばせてくれる。波にもいろんな種類のものがあって、強くても命を助けてくれる波と しぶ波(引っ張られる波)というものだ。喧嘩などして危ないところへ出ていくと、命を 取られたりする。長男、次男が亡くなって、親は泣いていたが、私たちは助かった。私た ちの頃の遊びは命を落とすようなこともあったが、兄弟が多い頃だったから、平気だった。 子どもが4人というと少ない方で、大体 10 人ほど兄弟がいて普通だった。母親も、子ども の名前がわからなくなるほどだ。昭和 20 年から 26、27 年ぐらいまでは子沢山だったから、 命の尊さに対する意識も希薄だった。子どもが海へ行って危険な遊びをしていてもかまっ ていられないし、叱る時も手が挙がる。父親が居なくなって、私が兄弟の面倒をみるよう になって尚更だ。しかし、私は父親の供養をしている。自分の父親であることに変わりは ない。父親がいたおかげで自分がこの世に存在しているということを感謝している。決し て恨みなどない。親にいじめられてもトラウマになるなんてことはない。親も必死だった のである。子どもの逃げ足も速かった。障子を突き破って逃げるのである。手が届かなけ れば釣り竿で子どもを捕まえる。このような経験が今日の私を助けている。少しくらい何 か言われたからといって、気にしないし、落ち込むなんてことはない。小さなことをくよ くよ考えない。思い悩んでも仕方ないことを一生懸命悩む、これは無駄なことだ。悩むこ
とを全て否定するわけではない。自分にとってプラスになる悩みには、きちんと向き合え ばいい。悩むべきである。しかし、マイナスになる悩みは、悩まざるべきである。なぜか というと、どんどん深みにはまるからである。プラスの悩みはとても大切である。何事も プラスに考えることが大事なのである。叶えるという字は、口に+と書く。プラスに話す のである。そういうこともお菓子の開発に役立っている。私は製菓学校を出ていない。け れど、プラスに考えることで乗り切れる。物事をマイナスに考え出したら果てがないので ある。 ある時ゴルフに呼ばれた。それまでゴルフなどしたことがなかったので、その日一日わ けの分らぬまま、教わることをこなすだけのラウンドで、なぜこんなことをしないといけ ないのかと思ったが、ふと、どうしたら勝てるのかと聞いてみた。真剣には取り合っても らえなかったし、これまでの人生でスポーツなどしたことがなかったので、とりあえず、 まっすぐ飛ばせばいいんだろうと考え、そんな調子で続けていくうち、どんどん上達して、 しまいには誘ってもらえないぐらいになった。このようにして、なんでもいいので、自分 がこれと決めたことに徹底的に打ち込むことである。お菓子のこともそうであった、独学 であるが、追求するのである。 私は運のいいことに、最初に入ったお菓子屋も洋菓子協会の会長さんの店だった。泉佐 野で働いていた時、知り合いから洋菓子屋にならないかと言われたが、私は嫌だと言った。 なぜなら、知らない世界だからである。洋菓子など焼いたことがない。それに、特に嫌だ ったのはフランス語が出来なくてはならないということだった。私は嫌だと言い張ったが、 半ば強引に連れて行かれ、伸び放題だった髪を切って面接に行った。今よりもだいぶ痩せ ていて、目がギョロっとしていたが、いい顔をしていると言われた。何を質問されても、 「はい、お願いします」「はい、頑張ります」それしか答えなかったが、いい顔をしてい るということで雇ってもらった。ある時、銭湯に行って湯船に浸かっていた時、向かいに いたおじいさんに「君はいい顔をしているな、出世するぞ」と言われ、真に受けた。世の 中、ある一言の言霊によって人生が変わることもある。祖母の 3 つの教えの時にはそれ程 重く感じていなかったのだが、この時の一言によって今日の私があるということを思うと、 言霊の力を軽んじてはいけないと言える。だから、後ろ向きなことを口にしてはいけない。 言霊というのは、ナイフを突き付けるより怖い、言霊によって人生をだめにすることだっ てあるのだ。私はその時、そのおじいさんに言われた一言で人生のチャンスをもらったの だと思う。「出世するぞ」という言葉を信じると、次の日から、元気がどんどん湧いてき た。仕事もいくらでも頑張れる。そうすると、いろんなことを任された。私をその洋菓子 屋へ呼んでくれた知り合いから教わったことがある。仕事を任されたら一生懸命頑張って、 終わったら、「次何をすればよろしいですか」と必ず声をかけること。黙ってじっといる よりは、次に何をすればいいかと口にすることで、次から次に仕事を回してもらえるので ある。宿直の当番も先輩から代わるよう言われた。工場の中で、ネズミと二人。ケーキ食 べ放題、先輩のデコレーションを眺めて研究し、12 時になったら点検して眠りに就いた。
とを全て否定するわけではない。自分にとってプラスになる悩みには、きちんと向き合え ばいい。悩むべきである。しかし、マイナスになる悩みは、悩まざるべきである。なぜか というと、どんどん深みにはまるからである。プラスの悩みはとても大切である。何事も プラスに考えることが大事なのである。叶えるという字は、口に+と書く。プラスに話す のである。そういうこともお菓子の開発に役立っている。私は製菓学校を出ていない。け れど、プラスに考えることで乗り切れる。物事をマイナスに考え出したら果てがないので ある。 ある時ゴルフに呼ばれた。それまでゴルフなどしたことがなかったので、その日一日わ けの分らぬまま、教わることをこなすだけのラウンドで、なぜこんなことをしないといけ ないのかと思ったが、ふと、どうしたら勝てるのかと聞いてみた。真剣には取り合っても らえなかったし、これまでの人生でスポーツなどしたことがなかったので、とりあえず、 まっすぐ飛ばせばいいんだろうと考え、そんな調子で続けていくうち、どんどん上達して、 しまいには誘ってもらえないぐらいになった。このようにして、なんでもいいので、自分 がこれと決めたことに徹底的に打ち込むことである。お菓子のこともそうであった、独学 であるが、追求するのである。 私は運のいいことに、最初に入ったお菓子屋も洋菓子協会の会長さんの店だった。泉佐 野で働いていた時、知り合いから洋菓子屋にならないかと言われたが、私は嫌だと言った。 なぜなら、知らない世界だからである。洋菓子など焼いたことがない。それに、特に嫌だ ったのはフランス語が出来なくてはならないということだった。私は嫌だと言い張ったが、 半ば強引に連れて行かれ、伸び放題だった髪を切って面接に行った。今よりもだいぶ痩せ ていて、目がギョロっとしていたが、いい顔をしていると言われた。何を質問されても、 「はい、お願いします」「はい、頑張ります」それしか答えなかったが、いい顔をしてい るということで雇ってもらった。ある時、銭湯に行って湯船に浸かっていた時、向かいに いたおじいさんに「君はいい顔をしているな、出世するぞ」と言われ、真に受けた。世の 中、ある一言の言霊によって人生が変わることもある。祖母の 3 つの教えの時にはそれ程 重く感じていなかったのだが、この時の一言によって今日の私があるということを思うと、 言霊の力を軽んじてはいけないと言える。だから、後ろ向きなことを口にしてはいけない。 言霊というのは、ナイフを突き付けるより怖い、言霊によって人生をだめにすることだっ てあるのだ。私はその時、そのおじいさんに言われた一言で人生のチャンスをもらったの だと思う。「出世するぞ」という言葉を信じると、次の日から、元気がどんどん湧いてき た。仕事もいくらでも頑張れる。そうすると、いろんなことを任された。私をその洋菓子 屋へ呼んでくれた知り合いから教わったことがある。仕事を任されたら一生懸命頑張って、 終わったら、「次何をすればよろしいですか」と必ず声をかけること。黙ってじっといる よりは、次に何をすればいいかと口にすることで、次から次に仕事を回してもらえるので ある。宿直の当番も先輩から代わるよう言われた。工場の中で、ネズミと二人。ケーキ食 べ放題、先輩のデコレーションを眺めて研究し、12 時になったら点検して眠りに就いた。 それが、仕事を覚える研究の場となった。お金の報酬も欲しいが、仕事の報酬を沢山得る 方がもっとよい。休みの日も寮でいろいろ用事を言いつけられ、出汁のように使われた。 今日、それが私の人生の出汁となっている。経営の出汁である。いろんな経験を重ねるこ とで、自分の生きざまの中に学ぶことが増えていく。生きざまの中に教材が増えていく、 それが一番ではないかと思う。 昭和 47 年にはエーデルワイスに行くことになる。私が 21 歳か 22 歳の頃で、お菓子のこ ともそれまでに 5 年程経験できていたこともあり、仕事に打ち込んだ。その店で妻に出会 った。妻は、私のことをおもしろい男だと見ていたようである。私は、その日の仕事が終 わっても、まだ仕事をした。大体一日に 2 日分は働いた。次の日の段取り、下準備を済ま せ、夜中の 3 時頃帰路につく。そうしてまた次の日の朝 7 時には仕事を始めるのである。 そんな中、妻がカップラーメンや、おにぎりを差し入れてくれた。妻は妻で、将来この人 とお菓子屋を始めたらいいのではないかと策略を練っていたようだ。 こうして 27 歳の時、ヨーロッパへ行くよう言われた。言葉もわからないし、スイスへ行 って何を覚えるのかと思った。けれど、元気がいいからと、周りがこの話を避ける中、先 陣をきって行くことになる。その時英語が堪能な上役がいた。1 ドル 360 円の時代、旅費を 安く上げたと自慢していたが、英語が堪能なものだからチケットも全部英語だった。道中 も乗り継ぎばかりで、私自身も英語が話せれば問題なくいったのだろうが、荷物一つにし ても乗り換える度に探して積み換えねばならないのだから大変だ。最初に金浦(キンポウ) 空港へ向かった。飛行機を降りたら夕方だった。白い帽子を被った警備にあたる者達が機 関銃を持って立っている。機関銃など見たことがないので、どこへ連れていかれるのかと 怖かった。待合室では多くの人たちが声を上げて白黒のテレビを見ている。日本でも力道 山の試合を街頭テレビで見ていたが、そういった感じである。次に韓国の飛行機に乗って アンカレッジへ…。わからないこと、知らないことだらけだったので、道中見聞きするこ とに驚かされた。妻には、これが今生の別れになるかもしれないと言って出て来た。海外 に向かうのは未知の経験で、それほどの覚悟でのことだった。やっとの思いでフランスに 着いたのだが、次の飛行機への乗り継ぎの場所がわからない。チケット片手に、日本語と 身振り手振りでいろいろな人に声を掛け、命からがら辿り着いたのが、チューリッヒだっ た。我々日本人なら迎えに行く配慮があると思うのだが、待てど暮らせど店からの迎えは 来ない。私は途方に暮れてしまった。それでも自分でなんとかしなくてはと、もらってい た手紙を頼りに、どうにか両替を済ませタクシーに乗った。そのタクシーでも、知らない が故に高い料金を取られたように思う。ぐるぐる回り道をしているようようなのだ。知ら ないということがどれだけ自分にとって不利になるかということを思い知り、勉強になっ た。それからは日々勉強である。 日本なら、当然のように雇い主から白衣が支給してもらえる。しかし、あちらでは何も 用意されていない。ロッカーだけが宛てがわれた。白衣なしでどう仕事をしたものか、と 思っていると、ゴミ箱の中に白衣を見つけた。これは丁度いいと、着てみると破れている
ところがある。それを着て厨房に行った。「グーテンモルゲン(おはよう)」も知らない ものだから、日本語で「おはようございます」と姿勢を正して言った。帰る時も大きな声 で、「失礼します」と言った。怪訝な目で見られていたように思う。私は、3 か月間でその 店に 10 年いる職人達の技を盗んでいった。目で見て覚えるのである。写真にも撮れない、 メモにも取れないとなると、目で見て覚えるしかないのだが、そうすると長い月日が経っ ても鮮明に覚えているものである。脳がその時の雰囲気、温度まで感じて覚えている。粉 の配合などは「もう少しゆっくりして下さい」などと頼もうものなら叱られた。そう言わ れても言葉も知らないものだから、周りからは笑われていたと思うが、その悔しさがかえ って「すぐに追い抜いてやる」というような励みになった。我々日本人は素晴らしいパワ ーと能力を持っている。そういった点が優れていると思う。単純な作業なら周りの3倍速 かった。掃除も 3 倍速かった。そうしているうちに、肩を組んで「ツマガリ!」と声を掛 けてもらえるようになった。やはり、悔しさなどをバネに一生懸命やることが大事である。 休み時間ももったいなくて、倉庫に行ってはゴミ置き場に置いてある段ボールから材料 の取引先の社名をカッターで切りぬき、持ち帰ってスクラップにしていた。日本に帰って から、いろんな商社に「これが次世代の材料になる、勉強して取引ができるようにしてお いて欲しい。将来の菓子文化に必要だから」と言った。今日、日本の菓子が世界にこれだ け認められているのも、すばらしい材料あってこそだと思う。お菓子は良い材料にかかっ ているのである。私は世界中の良い材料をかき集める。どんなに高くても使う。中国とア メリカだけは少し性質が違って、くるみひとつにしても、くるみならなんでもいいといっ た感じである。石が入っていようが、つぶれていようが、お構いなしである。ところが、 日本は違う。食べ物には細心の注意を払う。わが社には、X線の機械が 3、4 台ある。金属 探知機も 5~7 台。そういったもので、常に不純物が紛れていないか調べている。200kg の ピスタチオも入国の際の検査の為に 20 ㎏も抜き取られ、それからも数回の関門を経てお菓 子作りの現場まで辿り着くのである。そうして出来上がったお菓子は、時に買いに来てく れたお客さんに「お菓子、高くなったんじゃない」なんてお声を頂いたりするが、お客様 に喜んで頂けるお菓子を作り上げるまでに必要な経費を考えると、申し訳ないと言わざる を得ない。材料を吟味し、研究を重ねて作り上げたケーキの半分の金額は税金として納め なければならない。厳しい状況の中でも、お客様に喜んで頂けるお菓子作りをするのが、 私共の仕事であると思っている。スタッフも日々頑張っている。人に喜んでもらいたいと いうその頑張りが、遊び心を生むのである。人を喜ばせる為には、精神的にタフでないと いけない。なにがあっても負けない心である。私は学校の成績が全てではないと思ってい る。小学校の頃、成績表に 1 と 2 しかなかった。登校するのに鉛筆も持って行ってなかっ たくらいだったから、授業を受けている間も手持無沙汰でいた。祖母には「おまえの通信 簿はオイチニーオイチニーの行進だ」と言われた。しかし、ビリでも回れ右したら一番だ とも言われ、「ああ、そうか。人生回れ右したら一番だ、そうすればいいんだ」と思った。 なんでもプラスに考えた。算数の問題を解くのに、1+1=3 とか 5 と書いていた。数字の上
ところがある。それを着て厨房に行った。「グーテンモルゲン(おはよう)」も知らない ものだから、日本語で「おはようございます」と姿勢を正して言った。帰る時も大きな声 で、「失礼します」と言った。怪訝な目で見られていたように思う。私は、3 か月間でその 店に 10 年いる職人達の技を盗んでいった。目で見て覚えるのである。写真にも撮れない、 メモにも取れないとなると、目で見て覚えるしかないのだが、そうすると長い月日が経っ ても鮮明に覚えているものである。脳がその時の雰囲気、温度まで感じて覚えている。粉 の配合などは「もう少しゆっくりして下さい」などと頼もうものなら叱られた。そう言わ れても言葉も知らないものだから、周りからは笑われていたと思うが、その悔しさがかえ って「すぐに追い抜いてやる」というような励みになった。我々日本人は素晴らしいパワ ーと能力を持っている。そういった点が優れていると思う。単純な作業なら周りの3倍速 かった。掃除も 3 倍速かった。そうしているうちに、肩を組んで「ツマガリ!」と声を掛 けてもらえるようになった。やはり、悔しさなどをバネに一生懸命やることが大事である。 休み時間ももったいなくて、倉庫に行ってはゴミ置き場に置いてある段ボールから材料 の取引先の社名をカッターで切りぬき、持ち帰ってスクラップにしていた。日本に帰って から、いろんな商社に「これが次世代の材料になる、勉強して取引ができるようにしてお いて欲しい。将来の菓子文化に必要だから」と言った。今日、日本の菓子が世界にこれだ け認められているのも、すばらしい材料あってこそだと思う。お菓子は良い材料にかかっ ているのである。私は世界中の良い材料をかき集める。どんなに高くても使う。中国とア メリカだけは少し性質が違って、くるみひとつにしても、くるみならなんでもいいといっ た感じである。石が入っていようが、つぶれていようが、お構いなしである。ところが、 日本は違う。食べ物には細心の注意を払う。わが社には、X線の機械が 3、4 台ある。金属 探知機も 5~7 台。そういったもので、常に不純物が紛れていないか調べている。200kg の ピスタチオも入国の際の検査の為に 20 ㎏も抜き取られ、それからも数回の関門を経てお菓 子作りの現場まで辿り着くのである。そうして出来上がったお菓子は、時に買いに来てく れたお客さんに「お菓子、高くなったんじゃない」なんてお声を頂いたりするが、お客様 に喜んで頂けるお菓子を作り上げるまでに必要な経費を考えると、申し訳ないと言わざる を得ない。材料を吟味し、研究を重ねて作り上げたケーキの半分の金額は税金として納め なければならない。厳しい状況の中でも、お客様に喜んで頂けるお菓子作りをするのが、 私共の仕事であると思っている。スタッフも日々頑張っている。人に喜んでもらいたいと いうその頑張りが、遊び心を生むのである。人を喜ばせる為には、精神的にタフでないと いけない。なにがあっても負けない心である。私は学校の成績が全てではないと思ってい る。小学校の頃、成績表に 1 と 2 しかなかった。登校するのに鉛筆も持って行ってなかっ たくらいだったから、授業を受けている間も手持無沙汰でいた。祖母には「おまえの通信 簿はオイチニーオイチニーの行進だ」と言われた。しかし、ビリでも回れ右したら一番だ とも言われ、「ああ、そうか。人生回れ右したら一番だ、そうすればいいんだ」と思った。 なんでもプラスに考えた。算数の問題を解くのに、1+1=3 とか 5 と書いていた。数字の上 では間違いである。けれど、今の私は、1+1=5 は間違いとは思わない。1+1=5 にしない と成功しないのである。1+1=2、後の 3 は付加価値なのだ。思いやり、感性、人を喜ばせ ようという気持ち、遊び心、これらが付加されていくと価値が増すのである。ブランディ ング=商品価値を高めるということである。すばらしいものに更に本物の価値をつけてい くのである。遊び心には知識ではなく知恵がいる。一番基礎になる知識を得たら、それを 何回も繰り返し、こなしてアイデアを盛り込み、知恵にしていくのである。知恵は知識と は全く別のものである。私は実践を積み重ねて知恵だけを身につけて来た。目をつぶって 絵を描くこともできる。今は姫路市文化センターに展示してある、お菓子の姫路城の製作 にも加わったが、知識だけではあのような凄みのあるお城はできなかった。自分の魂を、 500 年前のあの城を建てた大工達の想いにシンクロさせた。石垣の石は実際に河原で石を拾 ってきて、それを見本にお菓子の石を削り、本物と同じように、一つ一つ積み上げていっ た。魂がこもっている。だから、完成から 7 年ほど経った今も、城は凄みを増しているし、 場所を変えてずっと展示され続けている。自分が死んでからもこのお城が輝きを失わず在 るよう、私は魂を込めて作った。今姫路城は白い。以前のような何百年歳月を重ねた趣が ない。それを感じるにはお菓子の城を見てもらいたい。 今日このような場を頂き、いろいろお話したが、もし明日にもこういう機会があるとし たら、また違った内容の話をするだろうと思う。その場その場に初心で向き合う。一期一 会である。お菓子作りも毎回その場が初めての気持ちで取り組む。「慣れ」は禁物である。 毎回初心に返るのである、私の人生はその繰り返しである。今私は 66 歳であるが、早く 70 歳を迎えてみたいと思っている。70 歳になった時、どんな人間になっているか楽しみであ る。どんどん勉強して、70 歳になったら次は 80 歳と、自分を見つめ直してみたいと思う。 遊び心をいつまでも忘れずに。同級生もなんだか老けこんでいるが、私は若い。社会に出 た頃は、一番ぼろぼろで、お金もなく。いろいろあり今日の私がいる。行き当たりばった りの人生、常に今が人生の最前線である。与えられた仕事を一生懸命する。初めからの天 性なんてものはない。どんな仕事も自分で天性にするのだ。与えられた仕事が徳を頂いた 最高のものなのである。最後に「得をとれば徳が逃げる、徳むくいれば得はくる」という 言葉を皆さんに贈りたい。これが、私がこれまでの人生で学んだことである。私はこれか らも、この言葉のような人間で在ることを目指し頑張りたいと思う。 質疑応答 津曲さんの店舗は、創業 1 号店から立地条件的に目立つようなところにはなく、お店が 大きくなったからも住宅街に溶け込むようなお店が多いが、それはどうしてか。 独立した頃、大きなショッピングモールが各所に建ち始め、昔ながらの商店街が元気を なくしているという話を耳にし、商店街の空いた店舗に店を出すことにした。この店から、 町に活気を呼び起こそうではないかという思いだった。
それにお菓子はロマンである。大きな工場で衛生的に作るお菓子は無機質である。菌も つかない、虫もつかないようなお菓子は美味しくない。そういうお菓子には、人もつかな い。全てが、各店舗で作りたて。原料も自分たちで作る。お菓子の機械も考える。ドライ フルーツもフレッシュな果物を干して作る。バニラビーンズも、マダガスカルから仕入れ た 4~5 万円の最高のものから作るのである。イチジク、くるみも自分たちで加工する。今 一般に市販されている牛乳は牧場で育てられた牛から採る。乳脂肪分は 3.45 以上ある。昔 は山地酪農と言って、山を削り、草を生やした土地で牛を放し飼いにして牛乳を採ってい た。その牛乳は乳脂肪分 3.45 以下であるが、乳糖が多く美味しい。一度私たちのシューク リームを食べてみて頂きたい。牛乳は美味しいし、卵、砂糖も最高のものなので、美味し いはずである。牛乳の美味しさは何物にも代えがたい。この牛乳を生クリームに加えると クリームが臭くならない。刺身でも魚が臭ければ台無しである。本物の魚は臭くない。甘 みがある。自然が食材に手間をかけているのである。 都市計画の話に戻るが、我々はショッピングモールに負けてなるものか、という気持ち である。ショッピングモールには色々なものが売られている。しかし、品数がいくら多く とも、買うものはない。お客様の心を動かすものは売られていないのである。ショッピン グモールが正解か、商店街が正解か、私は問いかけたい。 (2016 年 6 月 25 日、生活美学研究所本年度嘱託研究員特別公開講座における講演に基づく) コーディネーター 武庫川女子大学生活環境学部教授