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丹治先生を偲んで

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Academic year: 2021

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(1)

丹治先生を偲んで

著者

青島 雅夫

雑誌名

外国語外国文化研究

18

ページ

i-iii

発行年

2020-03-31

URL

http://hdl.handle.net/10236/00028601

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【T:】Edianserver /関西学院大学/外国語外国文化研究/ⅩⅧ/ 【追悼文】青島

i

丹治先生を偲んで

青島雅夫

「法学部へ移ってきませんか?」という丹治先生からの電話での 一言が私の関学生活最後の⚘年を決めるきっかけになった。当時私 は理学部に籍が有った。その理学部が西宮から三田に移転すること になり、それを見据えて西宮から三田に住居を移した直後であっ た。阪神淡路大震災の直後でもあった。私は迷った。理学部におけ るドイツ語に対する考え方が、私が就職した頃と比べ大きく変化 し、その需要度は極端に減っていた。当然私は居心地が悪くなって いた。丹治先生からの誘いは丁度そのような時だったのである。ま さにその時を同じくして更にもう一つの学部から誘いが入った。私 は恐縮した。大した研究者でも教育者でもない私にそれ程にまで 言って頂くなど本当に有難いことであった。丹治先生からの催促が 何度か来た。私の心は揺れに揺れた。どちらの学部にも行きたかっ た。時間だけが早く過ぎた。結局私は法学部に断を下した。理由は 法学部からの誘いの方が先だったので、そちらに義理を果たした、 とでも言えようか。他にもう一つ理由があった。それはドイツ語の 須賀先生、フランス語の丹治先生という旧知のお二人が居られたこ とであった。 丹治先生、須賀先生そして私は関学に同じ年に就職した。丹治、 須賀の御両名は法学部の助教授として、私は理学部の専任講師とし てであった。爾来32年随分とお会いする機会も多かった。長年続い た研究会では毎月⚑回の定例会に加え、夏には合宿で和歌山の白浜 や京都の宮津等にも出かけた。特に丹治先生は、圧倒的に多くのド イツ語関係者の中で少ないフランス語の一員として、ほぼ欠席され ることも無く頑張っておられた。私がスタール夫人のドイツ論につ いて発表した時には、その後長時間にわたって質問攻めにあい、そ

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【T:】Edianserver /関西学院大学/外国語外国文化研究/ⅩⅧ/ 【追悼文】青島

ii して異説、反論を述べられた。こちらはたじたじだったが今思い起 こせばそれも懐かしい。その他に学内の外国語担当者の集まりが あった。そうした会の後では甲東園駅周辺の呑み屋に寄るのが常 だった。丹治先生は美食家であった。お酒も強かった。或る時ワイ ンの話になり、「ドイツのリースリングというやつ、あんなもの飲 めたものではない」と言われたことがあった。この言葉はまさにフ ランス人のドイツ人に対する文化的優越感を示すと共に、日本人の フランス語教師がドイツ語教師に対して持つ意識との共通性を示す ものかもしれない。 丹治先生は学内における教員職間の身分格差に対する是正、解消 にも随分と貢献された。関学では外国語担当者と専門科目担当者と の間には長年に亘り定年、担当時間数が異なっていた。外国語担当 者には不利な条件が課されていた。その是正要求は常になされてい たものの、学院側はあいまいな返答をするばかりで、一向に変えよ うとはしなかった。それを変えさせたのは、ドイツ語の久山秀貞、 神崎昭伍、フランス語の丹治恆次郎の三人の先生方の力によるとこ ろ大であった。21世紀に入ってから関学に勤め出した人たちは、彼 らを中心とした、外国語担当者の辛抱強い戦いがあったことは知る 由もないであろう。語学懇話会、外国語教育研究会、大学教員組合 等がその母体となり、この三人の先生方がそれらの会の責任者を長 く勤め、頑張ってくださったお蔭である。 理学部の第二語学としてのドイツ語が縮小される頃、私は単なる 教養科目として考えるのならば、フランス語も入れるようにと要求 し、これは教授会で思いの外すんなりと受け入れられた。そこで私 は法学部の丹治先生に相談に伺がった。ドイツ語もフランス語も同 じ単位、時間数であった。その開講された初年度には丹治先生ご自 身も担当してくださった。そして以後の担当者も丹治先生がお世話 してくださった。理工学部となった今でもその人たちが担当してい

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【T:】Edianserver /関西学院大学/外国語外国文化研究/ⅩⅧ/ 【追悼文】青島

iii る。丹治先生ご自身はおっしゃられなかったが、先生は学会でも有 名で、西日本フランス文学会の会長も務められた方だということは 後に他の人から聞いて知った。 振り返って見ると、私は丹治先生とは思いの外深い縁があったこ とを思う。そして多く助けられ、導いて頂いた。ご退職直前に脳梗 塞で倒れられたが、その後大分回復され、法学部でのクリスマス祝 会に奥様と共にご出席されていたこともあった。「ここまで書ける ようになりました」という年賀状も頂いた。現役時代のあまりにも お元気なお姿を存じ上げていただけに、いまだに亡くなられたこと が信じられない。今はあの世でのんびりと読書をされ、楽しく絵画 を鑑賞され、ゆっくりとワインでも飲まれておられるのかもしれな い。先生にお声をかけて頂き、私は法学部に関学最後の⚘年を在籍 させて頂き、良き先輩、同僚に恵まれ、楽しく、幸せでした。感謝 申し上げます。有難うございました。 心より先生のご冥福をお祈り申し上げます。

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