Title
史料紹介『沖縄實業時報』について
Author(s)
納富, 香織
Citation
史料編集室紀要(27): 127-140
Issue Date
2002-03-26
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/7696
Rights
沖縄県教育委員会
史 料 編 集 室紀 要 第 27号 (2002)
史料紹介 『沖縄賓業時報』について
納富
香織
本稿 では、大正期 に発刊 された 『沖縄賛業時報』 について、筆者 が把握 してい る記事 目 録 と、 4点の記事 を紹介 したい。 同紙 は殆 ど現存 してい る紙面がな く、 これ まであま り活 用 され て こなかった資料 である。 『沖縄賓業時報』 は、沖台拓殖製糖株式会社の機 関新 聞であ り、大正 3年 (1914) 6月 10日に発 刊 され た。 当時 の総理大 臣 ・大隈重信や奈良原繁等 の後援 を得 て、 山内国太郎 (沖台拓殖製糖株式会社監査役)が同紙 を創 立、創刊号 として 「大阪活 版所 に於 て48頁の 美麗 に して然 も内容豊富な るもの」 を発刊 した とい う。 (楢原翠邦編 『沖縄 県人事録』沖 縄県人事録編纂所、1916年)紙面は、沖縄 の様子、 とくに実業 を他府県-紹介す るもので あ り、購 買層 は実業 家や教 育家 で あった。 月 3回の発 行 で、大正 5年 には、発行部数 5,000部 を超 え、他府 県及び海外- の発送 もあった とい う。主筆 ・秦蔵吉 (元沖縄県立高 等女学校長)、記者 ・屋裁宗恭 、営業部主任 ・山田茂- 、発 送主任 ・小林勇 、編集兼発行 人 。宮崎卯之助 (後 に海運業-転身)であった。終刊 日は不明である。 筆者が これ まで確認 してい る 『沖縄賓業時報』 の現存状況 は以下の通 りであ り、原所蔵 者 は2つ に大別できる。 一つは、神戸大学経 済経営研究所 「新聞記事文庫」に所収 され ている切抜 き記事 8点で ある。 「新 聞記事文庫 」 とは、神 戸大学経済経営研 究所 によって作成 され た、明治末か ら 昭和45年 までの新聞切 抜資料 であ り、切抜帳約3200冊、記事数約50万件 とい う膨大な資料 群 である。切 り抜 き台帳 とともに約650巻 のマイ クロフィル ム も作成 されてい る。 また、 同文庫 の一部 は、「デ ジタル版 新聞記事文庫」 として、1999年 よ り神戸大学経 済経営研究 所 のホームページ上で も公 開 されてい る。 2つ 目は2002年 2月 、原所蔵者 ・喜納政仁氏 よ り沖縄県公文書館 に寄贈 された資料であ る。大正 5年 1月 1日付 の紙面の内、 4枚 (1 ・2 ・27・28面)の原紙 が保存 されている。 本稿 を作成す るにあた り、神戸大学経済経営研究所 の方 々、琉球新報社 の松 島弘明氏、 新城栄徳氏 にご助言 を賜 りま した。記 して感謝いた します。又、本稿 に掲載 した以外 の紙史 料 編 集 室紀 要 第 27号 (2002)
面 をご存 じの方 は、是非御一報下 さい。
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がカ払 進呈今 . 舟 両 々b従i:軌 多k充実と官主や 許F溜 賢搾 主 監 思E 孟-a 『沖縄 賛業時報』第4
4
号 大正5年1月1日 第1面史 料 編 集 室 紀 要 第27号 (2002)
『沖縄賓業時報』 首録
凡例
1
.本 目録は、広告を含む新聞の見出しを抽出した。 2.『沖縄賓業時報』の原所蔵者の うち、神戸大学経済経営研究所 「新聞記事文庫」のものには+、 沖縄県公文書館のものには*を付 した。 3.神戸大学経済経営研究所 「新聞記事文庫」のものには、資料番号も付 した。 4.旧漢字はなるべ く新漢字に直 した。但 し送 りがなやその他かなづかい、人名についてはそのま ま使用 した。誤字 と思われるものもそのまま表記 した。 5,記事には全て/レビがふ られているが、本稿では省略 した。+
『沖縄葺 業時報』大 正3年 (1914) ①産糖地 と しての沖縄 (上 ・中 ・下)/大 田朝敷(於 浪速 客舎) 掲載年 月 日不 明 (「新 聞記事文庫」 には 「大正3年 自 8月 5日至 9月 5日」 と記載 あ り、 以下 同) [製糖 業 02-114] (「新 聞記事文庫」資料番 号、以下同) ②沖縄 の糖 業及 び販 路/ 内国砂糖合資会社支配人 森川 泰 大正3年8月20日 【製糖業 02-112] ③沖縄糖 の重大 問題 /安部幸兵衛大阪支店 白木藤次 大正3年 9月 5日 [製糖業 02-113】 ①社説/糖価及糖 業改 良 大正3年10月5日 [製糖 業 02-118】 ⑤分蜜糖製 法 に就 て (1- 3)/嘉手納 伏原生 掲載年月 日不明 (大 正3年 自10月5日至11月 5日) [製糖 業 02-125]史 料 編 集 室 紀 要 第27号 (2002) (参沖縄 県の樟樹栽植及び製脳 に就て (1- 3)/専売局那覇 出張所長 植 木廉 掲載年 月 日不明 (大正3年 自11月20日至12月20日) [樟脳 工業 oト017] ⑦ 内外砂界糖 の大勢 黒糖 の運命遂 に如何/安部信吉 大正3年 11月20日 [製糖業 03-001】
+
『沖縄葺業時報』 大正4年 (1915) (砂製脳 に就 きて/ 島崎技手 掲載年月 日不 明 (大正4年至2月20日至5月11日) [樟脳 工業 01-018] ※ 『沖縄貰業時報』第44号 大正5年1月1日 (土) 1面 大正年 を迎ふ/沖縄賛業時報社 同人 (右端 に 「本紙 は他府県に多数 を配附す るを以って沖縄紹介 は本紙 の外 に求むべか らず故 に広告 の効力絶大也」) 2両 那覇市場 の改良を望む/県会議長 仲吉朝助 2面 国頭郡各村牛豚数2
面 首里 区 と団扇製 作 2面 年末那覇市場 2面 九十二歳 で元気 のお祖母 さん 2面 金鈴銀鈴 2面 公 私往 来 2面 元旦 27面 広告/八重 山炭鉱採掘受賞 河野吉次 28面 広告/沖台拓殖製糖株式会社史 料 編 集 室 紀 要 第 27号 (2002)
記事紹介
・産糖地 としての沖縄 (上)/於浪速客舎 大 田朝敷 『沖縄賓業時報』 (大正3年8月5日∼ 9月5日) ※ これ は、大 田朝敷 「産糖地 としての沖縄 (1-ll)△ 中頭教育支部会講習 に於 ける講演 △」(
『琉球新報』大正 3年 8月4- 14日) を下敷 きに した ものである と考 え られ る。『琉 球新 報』 に比べ、『沖縄賓業時報』では、 よ り簡単 に沖縄製糖業の概略 を説 明す るととも に、沖縄 の糖業 をよ りア ピール してい る。 沖縄 を紹介すべ く 『沖縄賓業時報』 と云ふ新聞が発行せ らる ゝとの事従来ハ ブ と称す る 毒蛇 とか尾類 と称す る売笑婦 とか乃至は婦人の鯨 、葬式や墳墓杯 は賢明なる旅行者の精透 な る畑眼に映 じて毎度紹介せ られ業に既 に他府県の諸君 に広 く知 られて居 る事柄 だか ら我 輩 は愛 に産糖 地 としての沖縄 が果 して幾許 の価値があるかを研究 して見たい と思ふ ◎沖縄 が 日本帝国有数の産糖地た ることは産業界には多少知 られ て居 る台湾が帝国の版 図 に入 り台湾総督府 の熱心なる保護奨励 の結果 として台湾の糖業が 目醒 ま しい発展 をしたの で沖縄 の糖業 は余 り注意 を引かない様 になっ たが領台以前 に於ては確 かに帝国の産糖地 と して第-位 を占めて居た沖縄 に於 ける糖業の源起沿革 を尋ねた ら随分興味があ らうと恩ふ が此処 には格別必要 もあるまいか ら略す ること ゝして只二百七八十年以前製糖業 を創始 し て以来大正三年の今 日に至 るまで少 しの盛衰 もな く消長 もな く順調 に進 んで来た と云ふ事 実 に徴 して沖縄が産糖地 として適 して居 ることと沖縄 の農民が甘庶作 に多少 の経験がある ことは認 めて貰いたい併 しなが ら土地が台湾 の如 く広 くない為 め其産 出高 に於 ては到底多 量 を望む訳 には行かない我輩 の所見では極度 まで進 めた所 で二億 乃至二億五千万斤に過 ぎ まい と思ふ最近の調査に拠れ ば全耕地が六万余町歩其内約一万町歩 は甘煮の敷地 になって 居 る百分比例 を取って見れ ば耕地の約十七八パーセ ン トは庶国になって居 る或人の計算で は六十パーセ ン トまでは庶圃に して も生活上 当面の必要作物 に不 自由を来す様 な ことはあ るまい と云ふ事である此計算 に して正 当な らしめば尚は三倍余の余地がある訳 である然 ら ば今 日幾許 の砂糖 を産出 して居 るか と云ふ に一万町歩の庶国か ら黒糖約七千七八百万斤 で 之 を樽数 に して六十 四五万樽 にな る(黒糖-樽 の正味は約 百二十斤黒糖-樽 を造 るには平 均 して約千三百斤 の甘庶を要す ることになって居 るか ら本年度の黒糖六十五万樽 とすれ ば 所要 の甘煮は八億 四千五百万斤で-町歩か ら約八万斤穫れた訳になる-町歩か ら八万斤 の史 料 編 集 室 紀 要 第27号 (2002) 甘庶が収穫 された とすれ ば台湾 よ り約五六割 も多い世界に於 ける甘庶糖業 の模範国 と云は る ゝ瓜畦に比す る と及 ぼ ざること尚は遠 いが進んだ学術杯が殆ん ど応用 されて居 ない農民 としては先ず可な りの成績 と云はねばなるまい此等の事実か ら概観 して も気候 が庶糖業に 適 し農 民が斎作に経験 して居 る事 は棺推知せ らる ゝと恩ふ (未完) (中) 沖縄 は世界 に於て類 のない糖業地たるの素質がある是れは我輩 のお国 自慢 で も何でもない 二百七八十年来訓練 し来った先任努力 の結果 として当然生育 した素質で此素質は二十世紀 の糖業界 に立って優 に模範 を示す価値があると思ふ沖縄 に誇 る可 き ものあ りとすれ ば此れ 等 は決 して見逃す可 らざるものである世界の甘煮糖 は殆ん ど総て殖民地 に発 達 したので勢 ひ製造者 と耕作者 との間に往 々利害が一致 しない傾 きが多い之が為 め相 当の庶園を持つか 或 は耕作者 に無理の圧迫 を加- るか或は多少の不利 を忍ばなけれ ば双方の融和 を見 ること が出来 ない と云ふ状態に在 る庶国を直営す るときは勢ひ多大の資本 を固定 させ多 くの労働 者 を要す るので経済に伸縮 の力 を失ふ訳 で順境 に在 る間はよいが一旦不慮 の支障が起 ると 非常の打撃 を受 けなけれ ばな らない耕作者 に圧迫 を加- るの も不利 を忍んで融和 を謀 るの も何れ に して も糖業上の-欠陥で決 して完然無欠 と云ふ ことは出来ない然 るに沖縄 には耕 作者即 ち製造家た り得可 き素質 を備へて居 る甘庶の耕作者 は今 日約五万あるが内地各府県 に於て米作 しない農民が殆 ど居ない と同様沖縄 には甘庶を作 らない農民は極 めて少ない然 らば此多数 の甘庶耕作者が各 自製糖場 を持って居 るか と云ふ に製糖場の数 は全県下で僅 々 二千二三百に過 ぎず十四五戸乃至三十戸位共同 して-の製糖場 を持って居 る製糖場の共有 者 を製糖組 と称 し此組合 には種 々の生産的習慣 が出来労力か ら圧搾 の動力 たる牛馬 に至 る まで互 に共用す る方法 も出来て居 るので此習慣 を醇化 したな ら前 に述べた様 な欠点を補ふ 随分面 白い糖業組織 が出来それ こそ世界無類 の糖業地にな り得 る と思ふ ◎産業組合法は沖縄 の糖業 に適用 して始 めて大なる効果 を発揮す る と思ふ砂糖組 と称す る 組合 は前 にも述べた通 り十五戸乃至三十戸位ひの組合で今 日では其結果力 も棺緩んで来 る 傾 きはあるが何分 にも原料 の苅取か ら圧搾製造 に至 るまでには一 目に三樽 の黒糖 を造 ると して も少 くも七八人の人間 と三四頭 の牛馬 の力 を要す るか ら是等 に一々労銀 を支払っては 引合ふ ものでない之が為 め組合の力 は尚は一般 に認 め られて居 るか ら之 を醇化 した ら随分 進歩 した大なる組織 が出来 る と思ふ沖縄糖業の理想 は是等小なる砂糖組が四五若 くば六七 も合 して生産組合 とな り是等の生産組合が数個或ひは数十個連合 して三百噸乃至四五百噸 位 ひの製糖 工場 を持つ ことである斯 なれ ば耕作 と製造資本金 と労力十九世紀以来常に衝突
史 料 編集 室 紀 要 第 27号 (2002) が断へない両者が一致 して安 に他 に見 ることが出来ない糖業組織が成立す る訳 になる是れ 決 して空想ではあるまい ◎沖縄 の製糖場 は前 に も述べた通 り二千二三百個所 もあるが台沖拓殖会社 は四百噸能力の 圧搾機 を運転 して分蜜糖 を造 り外 に百噸の分工場があって足れ亦分蜜糖装置である高嶺製 糖場 に八十噸の機械 を据 えてあるが此処には分蜜装置 はない此外に石油発動機 で運転す る 十五噸乃至二十噸位 ひの ものが五六箇所 あるみので皆牛馬動力の輯硬式の車で一 日に三樽 乃至四樽位ひの能力 しかない此等 旧式の圧搾車では平均 して五十二三パーセ ン トしか搾れ ないが新式の機械 だ と六十五六乃至八十三四パーセ ン トも搾 るか ら此差が即 ち旧式か ら新 式 に移 る有力 なる条件で且つ最 も興味のある点 と思ふ (下) 今 日の糖業は決 して局部 の問題 ではない世界の糖業 を眼中に置いて打算 しない と永遠 の計 画 を定む ることは出来ない其処で今 日世界で最 も優 良の成績 を挙げ居 る瓜畦があるか ら油 縄 が爪畦 と赤裸 で相撲 を取 ることが出来 るや否や を研究 して見 る必要がある瓜畦に於 ける 甘庶作の進歩 は連 も沖縄杯 と較べ ものにはな らないが単 に収穫量を瞥見す るに千八百九十 三年 よ り千九百三年 に至 る十年間の平均我一町歩 に対 し十二万七千五百六十斤 と云ふ こと で ある然 して沖縄 の収穫量 は前述の通 り平均は八万斤 になって居 るが中には実際二十二三 万斤の もある砂糖 の収穫量 を見るに瓜畦は-町歩か ら一万五千四百十三斤乃至一万七千百 二十五斤 と云ふ ことであるが沖縄 は末だ黒糖 を製造 して居 るので比較 は とれ ないが試験場 で分析 して結果 を見れば可結晶糖分が一万五百二十六斤が最 も多い様 である此成績か ら見 る と其間に随分径庭 があるが庶作か ら圧搾製造其他多大の余地 ある沖縄現今の黒糖業の上 か ら云-ば将来優 に瓜畦糖 と外国の市場 にて競争 し得 る と我輩 は信 じて居 る瓜畦及び台湾 の生産費 を見 るに砂糖百斤 に対 し 原料費 製造及営業費 計 円 円 円 爪 畦分密 二、
-
〇一 一、七五三 三、九五 四 台湾同 二、一九五 二、-四二 四、八八一 台湾赤糖 三、-九五 二、-六〇
五、三五五 是れ に由て観れ ば瓜畦糖 は三 円九十五銭五度以下には到底売れ ない訳 になるか ら之を 目安 として経営すれば 自作 自製 の糖某組織 の下で強大なる弾力がある丈 け競争 に堪 ゆる訳 にな る現今の甘庶読谷 山種 と称す るもので も九割六七分の歩留 りはあると云ふ ことだか ら甘煮史料 編集 室 紀 要 第 27号 (2002) の種類 を改良 し耕 作 に注意す る様 にな り且つ組合員 の労力の運用 に工夫すれ ば生産費 を節 減す ることも亦決 して砂少ではあるまい現に甘庶の化学的陶汰の試験結果 を見 るに最少八 に対 し最多二十二 と云ふ可結晶糖分がある又一反歩か ら一万斤以上 も収穫す るか と思-ば 一方では五六千斤 に過 ぎない所 もある此等 を能 く統一 して系統的に奨励す ること今 日千斤 四円内外 で売 る甘庶 を二 円以下に売って尚は多 くの利益 を見 る訳 になる此方針は現 に存立 して居 る沖台拓殖 の如 き新式製糖場の方針 と矛盾す る様 であるが其実 さ うでない現存 の新 式製糖場 の区域 内では原料供給の組合 を設 け組合 と会社 と特別 の協定 を した ら差支へはあ るまい只台湾 の如 く利益 を聾断す ることが出来ないのみである。 旅行 中の事で材料 も不十分で且つ十分推考の余裕 もないので殆 ど抽象的文字ばか り並べ たが之 に依 りて沖縄糖業の大体で も紹介す ることが出来れ ば幸甚 ・糖価及糖業改良 (社説) 『沖縄賓業時報』大正 3年 10月15日 サ ラエ ヴオー発 の銃火忽 ちに して欧洲の大乱を致すや、世界の産業亦甚だ しき波動 を受 け、 物価 の変動実 に測 り知 るべか らざるものあ り。彼 の糖価 の如 きは其の最 も甚だ しきものゝ -にあ らざるか、先づ之れが一例 を英国に見んか、平常既 に砂糖供給 の不足 を感 じ消費の 全部 を海外 の諸産地に仰 ぎつ ゝあ りし英 国は、兵火一度び動 くや甜菜糖 の輸入全 く杜絶 し 狼狽愛 に玖喝糖 の買付 を始む るに至れ り然 るに玖喝糖 も時収穫 の終 に際 し市場余す処漸 く 五十万噸 を算す るのみ。 而か も是等の在荷 は米国に供給せ ざるべか らざるものなれ ば相場 暴騰 して充分買付 をのす能 はず、由 りて瓜畦糖の大注文 を発 し此処 に再び瓜畦の商状 を し て大躍進 を致 さしめた り。又た其の後 に至 りて報ぜ らる ゝ所 に依れ ば同国筋 は玖喝糖来年 物二十五万噸の先約定 を試み 日本 に対 して も台湾糖及海外諸糖 の在荷 を引合せた り。吾人 は 目今此の英 国の対砂糖手 当が十分 に行 き届 きた るや否や知 らず と雄、兎 に角英国に於 け る糖価暴騰 の状 は、英国政府 が命令 を以て各種双 日精 の卸売値段 を最高三十志に制限 した るに見 るも其の大体 を察知す るに難 か らざるな り。 而 して英 国以外、独逸、喚国、露西亜は消費に比 して供給常に過剰 なれ ば変動 もあるま じ く特に甜菜糖 の産地たる独嘆 の滞貨は甚だ しきものあるべ く察せ らる ゝと雑 、仏蘭西なぞ は平生英 国 と同様供給不足 を感 じつ ゝある国柄 なれ ば此処 に も糖価 の暴騰 は現ぜ られたる べ く、又た米 国 も欧洲糖 の輸入杜絶 し、品薄の玖喝糖 を只-の頼み とす るに於いて之れ亦 た糖価 の激変 は免れ ざる所なるべ し。扱 て我国は如何 と云ふ に先づ少 しく戦争以前 に潮 り
史 料 編 集 室 紀 要 第27号 (2002) て其の経過 を揮ね ざる可か らず。一昨年の台湾糖 は暴風雨の害 を受 け其の産額僅かに百万 余担 を算せ るに止 ま り内地製糖糖 の原料用 は元 よ り直接消費 さ-五十万担の不足 を見た り、 よ りて関西の糖 商は此の五十万の不足補充に瓜畦糖八十万担 を輸入 したる結果 、各糖商は 一斉売急 ぎをすの 巳むなきに至 り遂 に七 円見 当を唱-たる同糖 は一時一 円方下落 し之れに 連れ て内地相場 も漸 次下落 に傾 きて瓜畦糖手持筋の損失砂か らず 、従って此の状態に して 推 し移 らんか勝 て二百二十万担の今年 の台湾糖売 出に多大の影響 を及ぼすべ き形勢 とな り た り。之れ を以て台湾の各粗糖会社 は案 を廻 らし市 中停滞 の瓜畦糖 を大 日本 、明治、台湾 の各製糖 工場 に原料糖 として買ひ取 らしめ以て今年 の直接消費 に対す る需給 の平衡 を図 り 市場 の動揺 を防止せ ん もの と企て Lも此の事成 らず市況は益 々不振 を加-分蜜精糖共 に更 らに低落 して救ふべ か らざるに至 り、糖商 を して救済の一策 なか るべか らざるを感ぜ しむ るに至れ り。愛 に於 て六月上旬、関東 関西の主なる糖 商は東京 に会す る所 あ り、再び手持 瓜畦糖 を精糖原料 に振替 ゆるの方策 を廻 らし一方 は台湾粗糖連合会 に対 して明年 の産糖 を 明年一月二十五 目前 に市場 に売出 さ ゞる事 を要望 し又別 に規約 して糖商各 々明年一月二十 五 日迄直接消費 の 目的 を以って爪畦糖 の新規買入 をな さ ゞるを提議 し漸 く此の議成 り人為 的の救済策 は一部の効果 を挙 げ、分蜜糖 は十三 円八九十銭 よ り十 四円三四十銭 に後戻 した り。然れ ども其の実際は市況軟弱を免れず 、動 もすれ ば下落 を見ん とす る状 あ り、糖界未 だ全 く意 を強ふす るに足 らず、殊 に我が黒糖 の如 きは買手一 向に買進 まず、瓜畦赤双 は荷 嵩 を告 げ、只精糖 の棺や荷捌 けを見ん とす るものあるのみに して諸銀行 の警戒等弱味材料 は依然 として糖業 の前途 に黒雲の如 く横 はれ り。此の時に当 り彼 の欧洲動乱 は勃発せ り。 其 の結果 として糖界 は甚だ しく奔騰活躍 し、分蜜糖 は一時十八 円六十銭 の高値 を唱へ、黒 糖 の如 き も一時十一 円三四十銭 を唱ふ に到れ るは-奇 とすべ し、然 し如何 に強味材料 ある にせ よ、此の如 き高値 は所謂熱狂相場 に して今 日に至 りては気勢精々鈍状 を呈せ るは巳む を得 ざる所 な り。然れ ども分蜜糖 の下落は黒糖 の如 く甚だ しか らず、黒糖 は十一 円三四十 銭 よ り現今八 円九十銭 、即 ち二円五十銭方の下落 をなせ Lに反 し分蜜糖 は十七 円六十五銭、 即 ち僅か一 円方 の下落のみ。元 と分蜜糖 は市場需給関係健全 に して他糖 中比 なき処なれ ば 容易 に市況 下落すべ きものにあ らず して、今 日の下落 は単に他糖 の下落 に連れ たるものに 過 ぎず。斯 の如 く精糖分蜜 の市況が戦争 の恩恵に浴 して活発羨むべ きものあるに反 し独 り 黒糖市況 が不成績 を現 じつ ゝあるは何ぞや。尤 も黒糖 も前述 の如 く他糖一時の熱狂相場 に 連れ、九 円二十銭 よ り十一 円三四十銭 に昂騰 したるも、之れ赤糖 の奔騰 に連れ て一部の思 惑 貝を誘致 した るものに過ず して元来が品物過剰 なれ ば昨今 は漸 く低落 して八 円九十銭 と な り殆ん ど戦争前 と相 近 き相場 に帰れ り。夫れ惟ふ うに黒糖 は其 の糖質時代 の進化、人間 趣 向の昂上 と伴 はず、 由 りて其需要の激進彼 の分蜜糖 の如か らず。得意は概ね奥地辺域 の
史料 編 集 室 紀 要 第 27号 (2002) 農 民に止 まれ り。 而 して是等の農 民は現下に於ては生活の状態 も底 く、其 の糖質如何 を論 ぜず、只価格 の安 きをのみ之れ思ひ、往 々糖 中に磯片塵芥 の発見 さる ゝあるも多 く意 とせ ず 、然れ ども世は段 々賓沢 とな りつつ あ り、生活 の程度の進む と共 に値段幾分高 くとも粗 末 なる黒糖 よ りも好 き分蜜糖 なぞ を撰ぶ事 となるべ し。尤 も是等の農民 とて急激 に生活 の 程度 を進 め、急激 に趣 向を昂上せ しむべ Lとは云は ざるも、文化 の大勢 は支-難 し。三家 の村里、鉄軌 を通 じ、電鈴 を響かす る今の世、農民 も段 々 目が高 くな り、 口が肥 ゆるは 自 然 の勢 に して、 田吾作与太郎の徒 、イ ンバチスを着、万年筆 を捻 るや うにな りては黒糖 の 運命 も如何 か と思わ る ゝな り。現 に黒糖 が需要供給相伴 はず、市場 に残荷 の増加す るは既 に此の間の消息 を伝ふ るものにあ らざるか。非欺。人或 は云はん黒糖 の残荷 あるは販路縮 小せ るにあ らず、只だ産額が非常に増加 したる為 めのみ と、然れ ども供給 が全 く消化 され て こそ其の産物 の発展 と見 るべきなれ、需要に伴 は ざる増産 は消極的の意 味に於いて之れ を販路縮小の一名 と云ふ を妨げず。吾人は此の点 に於て黒糖 の前途に憂 なき能はずO翻っ て近時沖縄県農民生活 の状態 を見 るに生活 の程度 は内地農民 と同様 に向上 し、物価 も又た 漸 次騰 貴 して其の製す る黒糖 も曾 ては-担六円位 な りしもの も七 円八円に売 らざれ ば到底 相償 は ざるに至れ り。然 るに前述黒糖供給過多の結果 としては糖商側 に於 て も農民の期待 通 りの値段 にては取引 らざるに至 るべ く斯 くては農民を して益々困窮の裡 に排陥せ しむ る ものに らずや。農 民は経済的観念 に乏 し、彼等は只だ祖先の与- られたる業 を忠実 に遵守 して愉 らざらん とし、その経済的圧迫 が毒蛇の如 く其の身辺 を襲撃せ ん とす るに気付かず。 然 らば之れ を早 きに於 て警告 し彼 の毒蛇の刺牙、未 だ深 く骨 肉に人 らざるに先って、之れ を救 はん とす るものなか らざるべか らず、即ち吾人は方 に県下先覚者 と共 に之れ を救ふの 任 に当 らん事 を欲す。 人更 に或は云はん、黒糖 の過剰今 日の如 きは異状 の事な りと、然れ ども今年十一万挺の残 荷 を留 め、明年 の増産又た多大の残荷 を出す事必すべ く、斯 くの如 くんば非常の手段なき に於ては黒糖 はい よ/-一市場停滞 を来た し精糖者 は遂 に捷ふべか らざるの窮地に陥 るべ し、 吾人は此の如 き一時的気休 めを云い、此の如 き胡麻化 を以て農民永久の不幸の襲来 を坐視 せ ん とす るに忍びず 、故 に世界糖価 を論究 して言遂 に麦 に及べるものな り。 請 う然 らば吾人此処 に至 りて何等 の議 をか進 め、何等の策 をか建て、以っ て県農民の提携 を未然 に趣 はん とす と云ふか、吾人末だ容易 に言 を放たず と難 も、要す るに黒糖 は需給の 度 を測 りて市価の安全 を測 り、漸次に黒糖業の健康 を促す の策に出で ざるべか らず、之れ を行ふ勢ひ黒糖業者 の 自然淘汰 を免れず、農民は分業の大則 に従って単に原料の栽培者た るの天命 に安ずべ く、製糖 を業 とせ る農民の他業 に転ず るものを出す は当然の結果たるを 以て意 を産業政策 の改善に致す もの深 く思ひて此の製糖業組織の変更に便せ ざるべか らず、
史 料 編 集 室 紀 要 第 27号 (2002) 聞 く沖縄県下根本的糖業政策未 だ成 らず と、吾人先づ一発 の煙火 を揚 げて糖業革命軍の蜂 起 を号令す。 ・分蜜糖製法 に就 て (-∼三)/嘉手納 伏原生 『沖縄賓業時報』 (大正3年 10月 5日∼11月5日) (-) 砂糖 は一国の文野 を 卜す るに足 る宜なる哉O看 よ観近世界 に於 ける砂糖 の消費 は逐年増加 著 しく、実 に其消費高二百五十億 万斤 の多額 を算 し、且つ社会の文明開展 に伴ひ、其品質 も漸次に改良進歩 を来 し、今や全糖業界は分蜜糖時代 とな り、益 々発展前途又多忙なる事 は言 を侯 たず従って欧米各国に於 ける幾多の研究調査は公 にせ られ、此等の智識 は一般 に 普及 し以て進歩の実 を見 るに至れ り。 彼 の台湾糖業界は数年 に して驚 くべ き長足の進歩 を為 し、今や世界の大糖業界 に活歩す る 事 を得 た り。翻て我沖縄糖業界 を看 るに昔時二百数十年以前 よ り黒糖製造 を主 とし、大正 の今 日に至 る迄著 しき進歩 もな く、依然 として原始時代の幼稚 なる製法 をせ り、然れ ども 農民は甘煮耕作上多年 の経験 を有 し、且つ土地面積 に比 し甘芹の収穫多量、井 に発育状態 の良好 なるを想察せ ば、我帝国の産糖地 として憶 に価値 ある事は世人 の能 く知 る処な り。 不幸 に して地遠僻 に り交通の不便又免れず、為に此の富僚 なる産糖地 を週祝 し活動力 の乏 しか りLは吾々国民 として頗 る痛嘆きの念禁ず ること能 はず此時 に当 り 『沖縄賓業時報』 此所 に生れ沖縄 を遺憾 な く解剖 し其実相 を他府県に広 く紹介 し、産業の改良発達 を図 り、 以て県民の福利 を増進せ ん とす豊慶事 と謂 ざる可 けんや吾人知 るや砂糖 の改良には既 に沖 台製糖会社 あ り、同社 は近時完全 なる機械 の設備 に莫大なる資 を投 じ、専 ら分蜜糖製造 に 従事せ り、是れ独 り会社 の利益 に走 るのみな らず即ち眠れ る我沖縄糖業界 を覚醒 し大発展 大進歩 を試み、以て柳 か県益 を図 り倶 に天恵 に浴せん とす、希ふ賢明なる同県諸氏 よ、此 の意 を諒 とし前途 に対 し熱誠 なる援助 と多大の便宜を与-此業 を盛 に し以て世界の大舞台 に雄飛せ しめんことを、鼓 に於て不 肖浅学 を顧みず同時報の趣意 に双手 を挙 げて賛同 し我 糖業界の為 にベス トを尽 し柳 か意 中を吐露せ ん とす。乞ふ先づ分蜜糖製法各部分 に亘 りて 説 明す る前 に以下大体の製糖順序 を極 く簡単に説明せ しめよ (二)製糖順序 農民の手 にて刈 り出 した る甘庶は台車 に積み会社構内に運搬 し直に秤量機 にて秤量 し其億 甘庶置場 に留置 し、集 りたる甘庶は台車 と共 に順次人夫の手押 し又は牛馬 の引牽に依 り、
史 料 編 集 室 紀 要 第 27号 (2002) 廻転台若 しくはア ンロー ダー機 にて甘庶 を甘庶輸送機 に投入 し高所 に持 ち運び砕圧機 にて 甘庶は長 さ六七寸位 に噛砕 し、然 して三個 の転子 よ り成 る圧搾機 にて圧搾操作を行ふ、搾 出糖汁は転子 を沿ひて下に流れ搾殻 は中間輸送機 によ りて順次の圧搾機 に入 り同様 の圧搾 操作 を為 し、甘庶含糖量の大部分 を搾 出せ しめ最後の圧搾機 よ り出でたる搾殻は搾殻輸送 機 にて此れ を受 け 自動的に汽鋒室に輸送 し直に汽錐焚 口に投入 され燃料 に供せ らる ゝもの な り 一方搾 出糖汁は爽雑物液過網 を経て糖汁受槽 に流れ込む、溜 りた る糖汁 は榔筒 を以て石灰 混合槽 に揚送す 、此の糖汁 を一に混合糖汁 と称 し是れ に種 々の操作 を施 し分蜜糖製造 に着 手す るものな り、石灰混合槽 に溜 りたる混合糖汁 に適 当の石灰乳 を添加 し空気圧縮機 を利 用 して完全 に摸拝混合 を促す、而 して石灰 の加入 した る糖汁 は一度受槽 に落 し榔筒 を以て 二個若 くは三個の加熱器 を通過せ しめ適度 の温度 を与-沈澱槽 に順次に散人す、然 して沈 澱作用 を為 した る清澄汁 よ り逐次に排 出 し功用錐供給槽 を導 き然 して沈澱槽 に沈下 したる 汚溶物 は汚液槽 に落送す るものな り (≡) 功用缶供給槽 に集 りた る清澄糖汁 は真空三重効用缶 に吸ひ込み連続的に蒸発操作 を行ひ濃 厚液 となす、濃液 は榔筒 を以て清浄缶 に送 り加熱沸騰せ しめ浮汚物 を掬ひ取 り清浄法 を為 す、斯 くして其の清浄濃液 は噺筒 を以て結晶缶供給槽 に揚送 し一方浮汚物 は直接管にて汚 液槽 に落送す 汚漆槽 に集 りたる沈澱槽 の汚漆及び清浄缶の浮汚物 に少量の石灰乳 を加入 し直接蒸気 を吹 き込み加熱沸騰せ しめ波布 を張 りた る圧波過機 は榔筒 を以て圧送 L波過糖汁は受槽 に導き 直に効用缶供給槽 に榔筒 を以て揚送 し前述の清澄糖汁 に混合 し蒸発操作 を行ふ ものな り、 圧波過機 の波布 に附着せ る癒梓 は温水及び蒸気 を注入 し癒揮 中の糖分 を洗 出せ しめ其の櫨 過汁の含糖量僅少 とな りし時操作 を止 め波布 に附着せ る癒梓 は除去 し運搬器 を以て放棄す、 波布 は洗濯 を為 し再び使用す るものな り、次 に結晶缶供給槽 に集 りたる濃糖液は真空なる 結 晶缶 に吸ひ込み直 に蒸気結晶操作 を行ふ 、即 ち濃液 を蒸発せ しめ結 晶状態 となす ものに して最 も技術 を要す る所 な り、而 して結晶状態 とな りたる白下糖 は 自然結 晶器 に落送 し暫 時冷却の後分蜜機 受器 に導 き分蜜操作 を行ふ、即 ち砂糖 と糖蜜 とを遠心力 を応用 したる過 速度 の廻転機 に依 り分離す るものな り、然 して出来上 りた る砂糖 は螺旋輸送機又は 「グラ スホッパー」にて輸送 し砂糖昇降機 にて之 を受け乾燥室 に持 ち運び乾燥機 にて乾燥 を助 け 尚鮪 を通 して蜜玉 を除去 し一定の見本 に合 し充分 に乾燥 した る後 「アンベ ラ」に包装す、 然 して市場 に販売す るものな り
史 料 編 集 室 紀 要 第 27号 (2002) 一方分蜜機 にて分蜜 きれ た る糖蜜 は一度受槽 に集 り噺筒 を以 て結 晶缶糖蜜槽 に揚送 し、再 び結 晶缶 にて結 晶操 作 を行 ひ然 して又前述 の分蜜操作 をなす ものな り、斯 くして糖蜜 中の 含 糖量 を減 じ結 晶操 作 に困難 を来す迄此 の循環操作 を繰 り返 し而 して最後 の糖蜜 は一般 に 廃蜜 と称 して廃蜜槽 に揚送す るものな り、療蜜 は樽又 は石 油空缶 に詰 め市場 に販売す 、現 今其用 途主 に 「アル コール」製 造原料 に使用せ らる 前記 の順序 を経 て製 造 した る もの を一般 に分蜜糖 と称 し、分蜜糖 に車糖 と双 目糖 の二種 あ りて、車糖 は結 晶極 く細 くして直接 消費 に用 ゆる ものな り、双 目糖 は結 晶大いに して直接 消費 と原料糖 との二類 あ り、原料糖 は精製糖 工場原料 に用 い るものな り 尚は分蜜糖 に比 し黒糖及び赤糖 の製造法 を簡単 に左記せ ん 黒糖 は圧搾機 よ り得 た る搾 出糖汁 を直火鍋 に吸み石灰 を加入 して加熱 し浮汚物 を掬 ひ取 り 煮 詰 めて製 造 した る ものな り 赤糖 は黒糖 よ り一歩進歩 した るものに して圧搾機 よ り得 た る糖汁 に沈澱操作 を行 ひ汚漆 を 除去 し、然 して得 た る清澄汁 を直 に火鍋 に掬み煮詰 めて製造 した る ものに して双方 とも製 法至っ て簡易 な り、故 に製 品 中に爽雑物 の含有 を免れず 、従って色素粗悪 なるが為 めに其 の用途 も人智 の発 達せ ざる非文明地 に多 く使用せ らる ゝものに して到底分蜜糖 と同 日の論 に非 ざる こと明かな り、是等 に対す る収支計算 の対照 を筆 を洗ふ て他 日改 めて記 さん とす ●那覇市場 の改良 を望む/県会議長 仲 吉朝助 『沖縄 葉菜 時報』大正5年1月1日 他府県 よ り本県 に初 めて渡来す るもの先つ那覇市 内に踏 み込み遭遥散策や- と吃驚仰天す るのは何 であるか といふ に彼 の市場 の光景である といふ実 に最 も千万 と思ふ、彼 の町 の両 側 に大傘 を張 りた る有様や橋 の枚 に鶏豚 を縛 した る模様 な とを 目撃 し其上言語風俗習慣 等 の相違 を見 聞す るや彼 等 は直 に男逸女労 とか南洋 の土人的 とか早取写真 の好資料 とか内地 通信筆頭 の光彩 とか所 謂先人主 とな り之れ か為 め此の皮相 の観 察が専 ら他府 県- の誤解 を 伝播す るの因 とな る実 に情 ない次第 ではあるまいか 置 県以来殆 ん と四十年 県制施行せ られ て最早幾年 な りや桟橋 、鉄道 、電信 、電話 、電車 、 電燈な との設備 と相反 し那覇市 内の大道 而か も玄関 口の体裁 は全 く原始的時代 と遠 くない のではないか、官 吏の妻や小 学校 の女教員等 に服装改 良な との声計 り高 きに も拘 らす斯 か る至大至重 の関係 あ る方面 は却 て無頓着 に放棄 して顧 みぬ とは憤慨 に堪 えない のである以 上 は単 に体裁論 な るが都 て此の市場 の設備 を整理改善 した る暁に於 ては第一規律上 、経済 上 、衛 生上 、等幾多実 質上利 す る所 あるは多言 を要せ ないのてある余輩 は台湾 を視察 して
史料 編集 室 紀 要 第 27号 (2002) 大 に感 した ることがあるソハ台湾 は如何な る小 さな町で も必す到 る処 に公共的市場 の設備 が あって相 当の建物 を有 し月々に何程 と定めて貸与 し又 田舎 よ り売物 に出て も一 日に何程 と一定の使用料 を出 さしめ晴雨に拘 らす市場 は賑かな ものである本県の如 く雨が降って も 立 ちん坊 で商売す る様 な ことはないのである那覇 は敷地は既 に出来て も居 り建物 さ-設備 すれ は よいのである区にて経営困難 なれ は個人 に させて も結構 に出来 ると恩ふ斯 く市場 を 整理 改善せ は 自然 と規律 も立 ち取 引 も殖 えて来 る隔て経済上にも有利 にして且衛生上 に如 何程よいかも知れ ぬ況んや 内地へ本県を紹介する上に於てをやだ 目下の通りでは如何 に他 に 物質上文明的設備かあっても只此市場の一事で万事類推せ らるゝことになる那覇 区及び県 当局 者 なとは果して如 何なる考慮を有するか敢て聞かんと欲する所てある新年早々より決して悪 口を 言ふのではない一片の赤心経世の警句と思召し何卒お 目出度の聞きお願ひ度い