高校生物Ⅱにおける「生物の進化」の取扱い
金 井 康 恭・小 池 啓 一
群馬大学教育学部理科教育講座
Treatment
on
“Evolution”
in
BiologyⅡ
of
High
School
Kosuke
KANAI,
Keiichi
KOIKE
Department of Science Education, Faculty of Education, Gunma University
キーワード:高校、生物Ⅱ、進化 Keywords : high school, biologyⅡ, evolution
(2011年10月31日受理) 1 はじめに 現在の高等学校生物において、「生物の進化」は理科 基礎、理科総合B、生物Ⅱにおいて取扱われている。 理科基礎、理科総合Bでは、進化の考え方や生物界の 変遷が簡単に扱われる程度であるが、生物Ⅱでは「生 物の進化」を「生物界の変遷」と「進化の仕組み」の 2つの単元に分けて詳しく扱う。平成21年に改訂され た学習指導要領においても「生物の進化」の取扱いは 継続され、現行の生物Ⅱと同様の内容が取扱われる。 「生物の進化」については、実験的に検証することが 困難であること、進化についての様々な仮説があるこ となど生物教育としての取扱いが困難であることが佐 藤・大鹿(2005)により示唆されている。 生物Ⅱにおける「生物の進化」の単元についての調 査研究は次のようなものが挙げられる。福井・鶴岡 (2000)は、進化的内容の90カテゴリーとISM法を用 い、教科書の単元構成を詳しく調査した。佐藤・大鹿 (2005)は、進化教材について国内で調査し、進化に おける教材研究の方向性を示した。 しかし、教科書で取扱われる内容を用いて、どのよ うに「生物の進化」を理解させるかについては未だ十 分に議論されていない。そこで本研究では、教科書で 取扱われる内容を現代の進化論と比較することで課題 を明確にし、「生物の進化」を扱う上での新しい提案を 示した。 2 方法 まず、現代の進化論を基に平成11年度改訂学習指導 要領に準拠した5社(東京書籍、教育出版、第一学習 社、啓林館、大日本図書)の生物Ⅱの教科書を分析し た。「生物の進化」は「生物界の変遷」と「進化の仕組み」 2つの単元から構成されており、単元ごとに分析した。 「生物界の変遷」では、生命の起源から現在に至る までの生物進化の道筋を地球環境の変化とともに学習 するため、進化の歴史で重要な事象が取扱われる。教 科書ごとに取扱われている事象を調査することで、高 校生物で進化の歴史として取扱う事象を明確にした。 「進化の仕組み」では、進化の証拠と進化が起こる メカニズムについて学習する。進化の証拠として取扱 われる内容については「生物界の変遷」と同様に調査 し、進化が起こるメカニズムについては、現代の進化 論を理解するために重要な内容を3つのカテゴリーに 分け、それぞれのカテゴリーの理解に必要な内容が教 科書で取扱われているか調査した。カテゴリーの分類
に関しては、レーヴン/ジョンソン(2006)を参考に 作成した(表1)。 表1 現代の進化論に重要なカテゴリー (1)進化論の基礎 進化の定義 自然選択説 遺伝的変異 (2)種内の進化的変化 Hardy-Weinbergの法則 突然変異 遺伝子流動 非任意交配 遺伝的浮動 自然選択 (3)種分化 種の定義 生殖的隔離 異所的種分化 同所的種分化 3 結果 a.「生物界の変遷」 この単元で取扱われる内容は分析対象の教科書でほ ぼ共通しており、その結果を表2に示す。ここでは、 地質年代に沿って地球環境の変化と生物の進化の歴史 が取扱われており、大きな分類群レベルでの進化、す なわち大進化が扱われていることがわかる。 b.「進化の仕組み」 進化の証拠として扱われる内容は表3に示す。すべ ての教科書で見られた項目は、相同器官、分子にみら れる証拠のみであるが、相似器官、痕跡器官、適応放 散と収斂も扱われることが多い。進化の証拠に関して は、教科書ごとに扱う内容、量ともに違いが見られた。 進化が起こるメカニズムについては、表1のカテゴ リーごとに分析結果をまとめた。 (1)進化論の基礎 進化の定義を明確に記述している教科書は5社中2 社であったが、現代の進化論の基礎となっている自然 選択説の考え方や進化が起こるためには個体群中に遺 伝的変異が必要なことなど、進化を考える上で基礎と なることは詳しく扱われていた(表4)。 (2)種内の進化的変化 すべての教科書で扱う内容が共通していた。Hardy-Weinbergの法則を基本とし、突然変異、自然選択、遺 伝的浮動により進化的変化が起こるメカニズムを扱っ ている。自然選択と遺伝的浮動の効果は、モデルを使っ て掲載されていることが多く、自然選択による進化の 例としてオオシモフリエダシャクの工業暗化が4社で 掲載されていた(表5)。 表2 「生物界の変遷」で取扱われる内容 地質時代 生物界の変遷 地球環境の変化 代 紀 新生代 第四紀 人類の出現 草本類の出現 氷期・間氷期のくり返し 第三紀 中生代 白亜紀 隕石の衝突 ジュラ紀 鳥類の出現 被子植物の出現 三畳紀 哺乳類の出現 古 生 代 ペルム紀 海水中の酸素激減 気候の乾燥・寒冷化 石炭紀 爬虫類の出現 裸子植物の出現 デボン紀 両生類の出現 シルル紀 シダ植物の出現 オルドビス紀 魚類の出現 オゾン層の形成 カンブリア紀 バージェス動物群 先カンブリア時代 エディアカラ動物群 真核生物の出現 ラン藻類の繁栄 生命の誕生 原始海洋の形成 約46億年前 地球誕生
(3)種分化 ここでは、生殖的に隔離された状態を種分化が進ん だ状態とし、メカニズムが記述されている。また、基 本的に個体群が隔離された状態でのメカニズム、すな わち異所的種分化が説明されており、具体例としてガ ラパゴス諸島のゾウガメの甲羅の変異が取扱われてい る。同所的種分化については扱わない、もしくはコム ギの倍数化を例として参考程度に掲載されていること が多い(表6)。 c.教科書分析のまとめ 教科書の分析結果から、「生物界の変遷」では生物の 表3 進化の証拠として取扱われる内容 項目 A社 B社 C社 D社 E社 相同器官 ○ ○ ○ ○ ○ 分子にみられる証拠 ○ ○ ○ ○ ○ 相似器官 ○ ○ ○ ○ 痕跡器官 ○ ○ ○ ○ 適応放散と収斂 ○ ○ ○ ○ ウマの進化 ○ ○ ○ 脊椎動物の胚発生 ○ ○ ニワトリ胚の窒素排出物の変化 ○ 中間型化石 ○ ○ ○ 示準化石 ○ ○ ○ 示相化石 ○ 生きている化石 ○ ○ 適応 ○ 大陸移動 ○ ○ 総ページ数 4 4 9 13 4 表4 進化論の基礎についての分析結果 A社 B社 C社 D社 E社 進化の定義 ○ ○ 自然選択説 ○ ○ ○ ○ ○ 遺伝的変異 ○ ○ ○ ○ ○ 表5 種内の進化的変化についての分析結果 A社 B社 C社 D社 E社 Hardy-Weinbergの法則 ○ ○ ○ ○ ○ 突然変異 ○ ○ ○ ○ ○ 遺伝子流動 非任意交配 遺伝的浮動 ○ ○ ○ ○ ○ 自然選択 ○ ○ ○ ○ ○ 表6 種分化についての分析結果 A社 B社 C社 D社 E社 種の定義 ○ ○ 生殖的隔離 ○ ○ ○ ○ ○ 異所的種分化 ○ ○ ○ ○ ○ 同所的種分化 ○ ○
大進化を扱い、「進化の仕組み」では生物の小進化のメ カニズムを取扱っていることがわかる。しかし、「進化 の仕組み」で大進化に関する記述はC社、D社でしか みられず、教科書によっても記述が異なる(C社「大 進化は小進化の蓄積で起こるかどうかは解明されてい ない。」、D社「大進化は小進化と異なる仕組みが働 く。」)。そのため、生徒が大進化について正しい認識を せずに「生物の進化」を学習すると、これまでの生物 の進化はすべて小進化のメカニズムで起こったという 誤った認識を与えてしまう可能性があることが考えら れる。 現代の進化論は、小進化、すなわち同じ個体群や種 内でおこる遺伝的変化のメカニズムを説明するもので あり、この原理は主要な分類群レベルの大きな表現型 の変化である大進化に適用することができるかどうか は未だ結論が出ていない。これは、DNA塩基配列の進 化と形態的特徴の進化の関連が十分に明らかになって いないためであり、現在でも研究がなされている最中 である。DNA塩基配列の進化と形態的特徴の進化の関 連を探るためには、発生機構の変化も考慮しなくては ならず、これを探る有効な手段となる比較ゲノミクス が急速に発展してきている。これに伴い、新たな事実 が次々と発見されているため、いずれ比較ゲノミクス の成果が高校生物でも扱われるようになると考えられ る。 4 提案 大進化と小進化の関連を考えるためには、遺伝子レ ベルの進化とともに発生機構の進化についても考えな くてはならない。比較ゲノミクスによる新たな知見を レーヴン/ジョンソン(2006)から以下にまとめる。 a.ゲノムの変化 異なる種間でゲノムを比較することで、生物の進化 の歴史の中でゲノムが劇的に変化してきたことが明ら かになった。ゲノムが変化する要因は単一遺伝子の突 然変異、重複、種間での遺伝子交換などがある。 重複は、部分的なものから倍数化による全ゲノムの 重複まで含まれる。わずかな遺伝子の重複でも生物の 形態的な多様性を生みだすおもな要因となるという証 拠も次々に報告されている。これは重複した部分が遺 伝子のバックアップを提供するため、重複した遺伝子 が新たな機能を果たすチャンスをもつためである。ま た、遺伝子の重複は起こりやすい部分とそうでない部 分があり、遺伝子重複率は種によって多様である。例 えば、ヒトでは成長および発生に関与する遺伝子や、 免疫系の遺伝子、細胞表面の受容体の遺伝子が重複を 起こしやすい。 種間での遺伝子交換は、細胞間や種間の境界がいま ほど明確ではなかった生命の歴史のごく初期には一般 的であったと考えられている。ヒトのゲノムについて も外来のDNAがトランスポゾンとして侵入してきた ことがわかっている。 b.発生機構の進化 比較ゲノミクスは、進化と発生を同時に扱える生物 学の新分野を発展させた。この分野の研究では似た配 列の遺伝子でも種が異なると似たような機能をもつ場 合と全く異なる機能をもつ場合がある、ということが 発見された。例えば、眼はもっとも複雑な器官の一つ で、その構造は動物によってきわめて多様であるが、 これらの動物では、すべて という遺伝子が眼の発 生を開始させている。これと同様に、数十の遺伝子が 多様な動物の発生を制御することがわかっている(表 8)。そして、同じ遺伝子がどのようにして異なる機能 をもつのかに対する一つの答えは、その遺伝子が調節 遺伝子で、異なる生物では異なる遺伝子群を発現する、 ということである。また、発現される遺伝子と同様に 遺伝子発現のタイミングの変化によっても大きな形態 の違いを生みだす可能性も示唆されている。 表8 多様な動物の発生を制御する遺伝子の例 遺伝子 働 き 転写因子をコードしており、発生中 の脊索で発現する。無脊椎動物でも みられるが、異なる機能をもつ。 この遺伝子がコードするタンパク質 は肢をつくるのに必要な遺伝子群を 発現する。これに伴い、いくつかの 遺伝子が発現するが、それらは種に よって異なる。 ホメオティック 遺伝子 転写因子をコードしており、体の部 位を特徴づける遺伝子群を活性化す る。動物界で広くみられる。 このように比較ゲノミクスの研究の成果は、DNA塩 基配列の進化と形態的特徴の進化の関連を探る手段と
なる。生物Ⅱの「生物の進化」の単元でこれらの内容 をすべて取扱うのは困難であるが、現行の教科書で取 扱われている内容と関連付けて学習することはでき る。 まず、ゲノムの変化については、主に単一の遺伝子 の突然変異が扱われ、重複、種間での遺伝子交換につ いては基本的に扱われていない。しかし、重複につい ては同所的種分化の説明でコムギの進化を例として倍 数化を取扱っている(A社、B社)。この内容からゲノ ムの変化は、単一の遺伝子だけではなく、ゲノム全体 レベルのものも存在することが理解できる。 発生機構の進化については、生物Ⅱ「遺伝情報とそ の発現」の単元で、ホメオティック遺伝子、調節遺伝 子が5社の教科書で取扱われている。ここでの学習を 生かし、ホメオティック遺伝子は多様な生物の形態形 成に関与していること、それが調節遺伝子であること を学習することで、同じ遺伝子でも異なる機能をもつ ことが理解できると考えられる。 教科書においては、「生物界の変遷」で大進化が取扱 われている。ここでは化石などの証拠を挙げることで、 生物が誕生してから現在に至るまで生物の形態が大き く変化してきたことは十分に認識できると考えられ る。しかし、「進化の仕組み」で取扱われる進化のメカ ニズムは形態の進化ではなくDNA塩基配列の進化に ついてのメカニズムであるため、形態が大きく変化す るメカニズムまでは理解することができない。現行の (かない こうすけ・こいけ けいいち) 教科書でも取扱われているコムギの倍数化やホメオ ティック遺伝子は、比較ゲノミクスによる研究の成果 のほんの一部でしかないが、生徒がこれらの内容を進 化に結びつけて学習することで、形態の変化とDNA塩 基配列の進化を関連付けて考えることができるはずで ある。また、これまでの研究で明らかになっているこ とを基に、未だ十分に解明されていない大進化につい て探究することは、生物の進化についての理解を深め、 考え方を身に付けさせるために有効な手段であると考 える。 5 文献 参考文献 1)文部省(1999) 高等学校学習指導要領、405pp 大蔵省印 刷局 2)レーヴン/ジョンソン(2006) 生物学上、506pp 培風館 3)レーヴン/ジョンソン(2007) 生物学下、744pp 培風館 引用文献 4)福井智紀・鶴岡義彦(2000) 高校生物Ⅱ教科書における生 物の進化の取扱い 千葉大学教育学部研究紀要(教育科学 編)48:75-93 5)佐藤崇之・大鹿聖公(2005) 教科書分析と教材研究から見 た高等学校生物における進化の単元に関する一考察 広島 大学大学院教育学研究科紀要 第二部 54:17-24