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〈銀河鉄道〉をめぐるふたつの夜

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Academic year: 2021

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銀河鉄道



をめぐるふたつの夜

遠藤



はじめに 「銀河鉄道の夜 」 (1) (宮澤賢治) の語り手は、 地上のある町の夜と、 銀河の 流れに沿った天界の一角の夜との双方にかかわるこの物語を、どの作中人 物の視点から語っているのだろう? その答えを求めて、わたしはすでに 「「銀河鉄道の夜」 を読む」 と題した一 文 (2) を記した次第なのだが、 「銀河鉄 道の夜」とは読者に何ごとを提示する物語なのだろうと想うと、あらため てその試みでは充分な応答は得られていないことに気づく。そこでいま一 度、 「銀河鉄道の夜」 のなりゆきを追って、 物語はどのように語られたか  をたずねてみたい。すると語り手は、作中人物の一人、ジョバンニと 名乗る少年と多く視点を共有していることが見えてくる。とともに、物語 のかかわる夜のひとつ、少年を含む「三次空間」から来た「旅人たち」の、 「銀河ステーション」 を出発して 「南 十 字 サウザンクロス 」 駅へ向かう旅の、 そして 「石 炭袋」 、 銀 河の一個所にあいた 「まっくらな孔」 の先の分岐点までなお続 く、ジョバンニとカムパネルラの旅の夜の情況を伝える語りでは、語りの 視点がジョバンニひとりに固定されず、そこに姿をみせている人物それぞ れにひとしく置かれていることをも、書き添えておく。 とはいえ、 「銀河鉄道の夜」 の物語情況推移の軸となるのがジョバンニ である事態は、 基本的にかわらない。 午后の授業 で先生の質問に手を 挙げかけてやめた、という幕開けから、夢中でわが家に向けて走った、と いう幕切れまで、ずっと舞台の表てに立ち続けるのは、彼だけなのだから。 1 ジョバンニと「山のあなた」 ジョバンニ  町の印刷所でアルバイトをしながら学校にかよう小学六 年生。 「裏町の小さな家」に母と二人で暮らす、数えで十四歳になる少年。 船乗り  「今朝 けさ の新聞に今年は北の方の漁は大へんよかったと書いてあ ったよ」 「あゝだけどねえ、 お父さんは漁へ出てゐないかもしれない」 と の子と母の対話があるゆえ、北洋漁業に従事する船の船長かとみられる父 は、海に出たまましばらく帰らないのが気がかりの種のひとつだが、その 父が、 カ ムパネルラの 「お父さん」 、 物 語の最後に登場する 「博士」 と 「小さいときからのお友達だった」 という縁で、 同級生のカムパネルラは 頼むに足りる、唯一 無 二の 親 友になった、という。 以 上物語にとって大事 学 苑 第 八 二 八号 三 八~五〇 (二 〇〇九 一 〇 )

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な存在であるジョバンニのプロフィルをざっと紹介したのだけれど、その なりゆきをたどるに当たって、心を惹かれる次の言葉を記憶しておきたい。 「あゝだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行 ったよ。あ 、 の 。ぼくは学校から帰る途中たびたびカム パネルラのうちに寄った。カムパネルラのうちにはアルコールラムプで走 る汽車があったんだ。レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱や 信号標もついてゐて信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるやうに なってゐたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつかったら、 罐 かま がすっかり煤 すす けたよ。 」  やはり子が母と語る対話の一節、 銀河なら ぬ模型鉄道のキットによるカムパネルラとの旅の思い出、そこに 幸い  が見つけだされていたことは、傍点の語りで明らかだ。そのジョバンニの 姿 は 、 わたしの裡にふと一 の詩を喚びさます  山のあなたの空遠 く/「幸 さいはひ 」住むと人のいふ。/噫、われひとと尋 と めゆきて、/涙さしぐみ かへりきぬ。/山のあなたになほ遠く/「幸 さいはひ 」住むと人のいふ。  上田敏の訳詩集『海潮音』 (3) に収められた、詩人の切ない悲しみが心にし みる、カール ブッセの「山のあなた」だが、作中の「山」を 丘 に置 き換えると、 「われ」はジョバンニと、 「人」はカムパネルラとなって、こ の叙情小品に「孤独な少年の悲痛で美しい物語」 (4) のなりゆきを想いみるこ とができると思う。銀河の祭で賑わう町の夜を歩いて、同級のザネリたち の揶揄の言葉に傷つき、 彼らと一緒にいたカムパネルラの、 「気の毒さう に、だまって少しわらって、怒らないだらうかといふやうに」自分を「見 てゐ」る視線を、ありありと感じながら、ひとりジョバンニが目指すのは 「牧場のうしろ」 、 町の郊外にあって、 「北の大 おほ 熊 ぐま 星 ぼし の下に、 ぼんやりふだ んよりも低く連って見え」 る 「丘」 。 だから 「山」 の代わりに 丘 なの だが、急いで林を抜けて、その「頂」に着いたとき、最初に彼は「がらん と空がひらけて、天の川がしらしらと南から北へ亙 わた ってゐる」光景を見た  という。それは 丘のあなたの空 に想いを馳せた動きにほかなるま い。ならば何ごとかがそこに望み見られたか、どうか。 すでに、カムパネルラに連れられて模型鉄道の旅に出た思い出に倖せを 見いだしていたこの夜のジョバンニの在り様、 「もっと遊んでおいで。 カ ムパネルラさんと一緒なら心配はないから」 という母の言葉に送られて 「勢よく」 家 を出ると、 「檜 ひのき のまっ黒にならんだ町の 坂 」を「 立 派 な 機関 車」 にみ ず からを 擬 して 「下りて 来 」 るところが、 ま ず注意 されよう。 「青 白 く 立 派 に光って」 立 つ 街燈 の下を通りながら、 「(ここは 勾 こう 配 ばい だから 速 い ぞ 。 ぼくはいまその電 燈 を通り 越 す。そうら、こんどはぼくの 影法師 はコムパ ス だ。あんなにくるっとまはって、 前 の 方 へ 来 た。 )」と思う少年の裡には、 自分は 単 機 ではなく 列 車の 先頭 にたつとの想いが動いていたは ず だ。その ジョバンニ 列 車 は、 「さまざまの 灯 や 木 の 枝 で、すっかりきれいに 飾 ら れた 街 を通って」 、ネ オ ンの 輝 く 時計屋 の 店先 に途中 停 車する。 そこで、 飾 り 棚 に 並ぶ 品物のひとつ、 「円い黒い星 座 早 見」 に、 ジョバンニの 眼 が 釘付 けになる様 さま も見 逃 せない。 「 午后 の 授業 」 で みたものよりは ず っと小型の 「 その 日 と 時 間 に合せて 盤 をまはすと、そのとき出てゐるそらがそのまゝ 楕 だ 円 ゑ ん 形 けい のなかにめぐって あらはれるやうになって 居 を りやはりそのまん中には上から下へかけて銀河 がぼうとけむったやうな 帯 になってその下の 方 ではかすかに 爆発 して 湯 気 でもあ げ てゐるやうに見える」 その 「星 座 の 図 」は 、「うしろの 壁 」に か かった 「空 ぢゅ うの星 座 をふし ぎ な 獣 けもの や 蛇 へび や 魚 や 瓶 びん の 形 に 書 いた大きな 図 」 とあわせて、 観 るものの想いを 宇宙 空 間 にいざなうにふさわしい。ジョバ

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ンニもその例に洩れず、 「ほんたうにこんなやうな蝎 さそり だの勇士だのそらに ぎっしり居るだらうか、あゝぼ 、 く と思 って」しばらく立ち尽くしたと、語り手は告げている。そういう 列車  の走行ぶりを眼にすると、やがて目指した「丘」の「頂」に到着した「立 派な機関車」 が 、 丘のあなたの空 の 遠く に、 人のいふ ごとく 「幸 さいはひ 」 の 住む ことを望み見たとしても、 それは自然のなりゆきとし て認められよう。 とくに引用中の傍点を付した一節は、 「その中」 すなわ ち星々のきらめく夜空に身を置くことに倖せを見出すものの思いを表わし ているはずだ。 2 丘 の頂きの かなしみ  まず「空」をみた「丘」の少年は、それからどうしたか。頂きの「天気 輪の柱」 の下の草原に身体を投げ出したジョバンニは、 「機関車」 からジ ョバンニ自身に戻って、 眼下にひろがる地上の風景、 「町の灯」 と 「町の はづれ」の野原を眺めながら、かすかに聞こえる「子供ら」の楽しげな声 や口笛に耳を傾け、 さらに野原を過ぎ行く実際の 「小さな列車」 の窓の 「赤」 い灯の列に、 地上の 「旅人」 たちが車内で 「苹 果 りんご を いたり、 む わら ったり、いろいろな風にしてゐる」と、やはり彼らの明るく愉しげな様を 考えたとき、 「もう何とも云へずか 、 な なって、 また眼をそらに挙げま した」 と語り手はいう。 彼をとらえた言葉に表わせぬほど深い かなしみ  がどういうものかは、くどくどと説くまでもあるまい。この場に在るのは、 「お父さんが監獄へ入るやうなそんな悪いことをした筈 はず がないんだ」 と母 にいう言葉から察せられるように、勝手な憶測で世間から冷たい眼で見ら れるわが身の 不幸 を思うゆえの悲痛な心情のきわみに、ほかならない。 だからこそ、続くその動作「ま 、 た 眼をそらに挙げました」が意味深い。傍 点の語りが、 「丘」 に来た彼の最初の在り様を踏まえていることに、 注意 しておく。 繰り返せば、 明らかにジョバンニの眼は、 あなたの空 に在るはずの 倖せを探している。しかもそこで「あゝあの白いそらの帯がみんな星だと いふぞ」と自分に言い聞かす彼の心の奥底に、深い かなしみ とともに ひとつの歌声が聞こえていたのではないか  とわたしは想う。その歌と は、 三節から成る歌詞のそれぞれが Wh ata fr ien dw e ha vei nJ es us いつくしみ深き 友なるイェ

スよ とはじまる讃美歌三一二番 (5) 。のちの段 に銀河鉄道の「汽車のずうっとうしろの方から」多勢のコーラスによって 物語空間に 「聞えて」 くる、 おなじく三二〇 番 (6) Ne ar er ,m y G od ,t o T he e 主よ、 み もとに 近づかん とともに、 広 く世に知られた曲で、 と くに 悩みかなしみに 沈めるときも、祈りにこたえて 慰 めたまわ

ん  (二節) 、 世の友われらを 棄 て 去 るときも、 祈 りにこたえて 労 いたわ りたま わ

ん (三節) は、心にひ び く 個所 であったに 違 いない  と想う。 ジョバンニと讃美歌三一二番を 結 び つけるのが、 無理 な想いつきとは思 わない。ジョバンニを キリ ス ト教徒 と見なすことは 控 えるけれど、讃美歌 に 惹 かれているのは 確 かだろう。銀河鉄道の車内にはじめて 届 いた 主よ みもとに の 「ふし」 は、 「あの聞きなれた」 旋律 にほかならなかったの だし、そこにいた人 び との間で「いつともなく 誰 たれ ともなくその歌は歌ひ出 されだんだんはっきり 強 く」 なったとき、 「思 、 は ジョバンニも カムパネ ル ラも一 緒 にうたひ出した」というのだから。傍点の語りが、何よりもよ くジョバンニにとって讃美歌が身近なものであることを、物語っているは

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ずだ。そうであれば、地上の団欒 まどい  祭の夜を、賑やかな旅のときを一緒 にすごす人びとの楽しみを余 よ 所 そ に、言 、 葉 孤絶の かなしみ を背 負って 丘の頂き に在るいま、 いつくしみ深き 友なるイ ェ

ス が、 声 歌い出された三一二番の旋律に連れてジョバンニの裡に影を 落としたとしても、不思議ではあるまい。 とくに 丘の頂き のジョバンニの かなしみ は、彼の人生において、 一遍のかなしい気持にとどまらないことが注意されていい。語り手は、天 気輪の柱の下にそれゆえの心身の疲れを休めるうちに、地上の夜に身を置 く 我 を忘れて、いつしか「銀河ステーション」を起点とする「銀河鉄 道の夜」の世界にひ 、 か いく少年の姿を、伝えてくれる。その動きを指 示する語りが六の冒頭の一段にほかならない  「そしてジョバンニはす ぐうしろの天気輪の柱がい 、 つ ぼんやりした三角標の形になって、しばら く螢 ほたる のやうに、ぺかぺか消えたりともったりしてゐるのを見ました。それ はだんだんはっきりして、たうとうり 、 ん うごかないやうになり、濃い鋼 青のそらの野原にたちました。いま新らしく いたばかりの青い鋼の板の や やうな、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。 」 ちなみに、 「三角標」 とは鉄道車輪の入れ換えの際に使用される、 逆 三 角形の三灯式信号機を指すが、 してみると、 「螢のやうに」 点滅している うちに「だんだん」はっきりしたかたちをとって、ついに「そらの野原」 に立つのは、 物語のはこびからみて、 銀河鉄道 用の信号にほかなるま い。 しかも傍点の 「りんと」 (凜と) にかさねて 「まっすぐにすきっと」 立つとも告げられるその「三角標」の姿は、新たな物語空間の「そらの野 原」 、「鋼青の」鮮やかなイメジのなかに、みずからが確かに在ることを、 読者の眼に  きつけて くれるだろう。 したがって、 そういう標識を 「見」 た ジョバンニは、 六の冒頭ですでに 銀河鉄道 の 「 小さな列車」 に乗っていたとすることができる。であるなら地上の 丘 の夜から天界 の鉄道の夜への転移は、五の終わりで「……たくさんの星の集りが一つの 大きなけむりかのやうに見えるやうに思ひました」と語られてから、六で 「そしてジョバンニは……」と語りだされるまでの あいだ 、おおむねジ ョバンニの視点で語る語り手が かに「いつか」とだけ触れているにすぎ ないその あいだ に生じたと見られよう。すると、少年はいつの間にか、 自身気づかぬうちに転移した、ということになるわけで、そこにわたしは ひとつの を見いだす  彼を地上から連れ出したのは、いったい誰なの だろう? それとも、彼は無意識裡に自分で「小さな列車」に乗ったのか。 この をわたしは、 「するとどこかで、 ふ 声が、 銀河ステーショ ン、銀河ステーションと云ふ声がしたと思ふといきなり眼の前が、ぱっと 明るくなって、まるで億万の螢 ほたる 烏 賊 か の火を一ぺんに化石させて、そら中に 沈めたといふ工 ぐ 合 あひ 、……ジョバンニは、思はず何べんも眼を擦 こす ってしまひ ました」とある語りの示す、駅名を告げる「ふしぎな声」の主 ぬし 、声はすれ ども姿を見せない 誰か とのかかわりで、 その作中人物こそ、 「丘」 の 草原にい 、 つ ジョバンニを、 「夜の軽便鉄道の、 小な黄いろの 電燈のならんだ車室」 に運んだ、 と解く。 何しろ彼は、 「銀河ステーショ ン」の「声」を耳にすると同時に「眼を擦 こす って」眠りから醒めたのだし、 そのとき「車室に」いて「 窓 から 外 を見ながら 座 ってゐた」自分に気がつ いたのだから。そういう 誰か 、「ふしぎな声」を 響 かすこの の人物の 正体 は、いよいよはじまる「銀河鉄道の夜」の旅のなりゆきをたどれば明 らかになるはずだが、それは物語の 本質 に触れる 重 い 課題 であるゆえ、解 くのはあとに 譲 って 、 次 に地 上に 戻 ったジョバンニの 在 り 様 をみておきたい 。

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3 涙さしぐみかへりきぬ  ジョバンニの地上への回帰には、いささか劇的な印象がともなう。旅の 終わりの場面、 分岐点にさしかかった列車のなかで、 「ふりかへって」 カ ンパネルラの姿のないのに気づいた彼は、 「まるで鉄 てつ 砲 ぱう 丸 だま のやうに立ちあ がり」 「そして誰 たれ にも聞えないやうに窓の外へからだを乗り出して力いっ ぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽 の 喉 ど いっぱい泣きだし」た、と いう。 ふたたび痛切な かなしみ 、それに加えてここでははげしい苦悶 が 「胸を」 、 心 臓をうつ。 その傷みにたえきれず、 彼は失神したものと思 われる。だから「もうそこらが一ぺんにまっくらになったやうに思」った に違いない。意識の空白情態はしばらくの間  テクストで二九三ページ の一行空白の分だけ  続くのだが、やがて「眼をひら」いたジョバンニ について語り手は次のように告げている、 「もとの丘の草の中につかれて ねむってゐたのでした。胸は何だかをかしく熱 ほて り にはつ ほほ 、 め 。」と。 天界の旅に出る直前にいた場所すなわち「もとの丘の草の中」に「ねむ ってゐた」 われ に還った、 ジョバンニの在り様、 傍点のそれが、 わた しに 「山のあなた」 の第四行、 涙さしぐみかへりきぬ を憶い起こさせ ずにはおかない。そもそも さしぐむ とは、ひとりでに涙がわいてくる ことだから、 「山のあなた」 の われ の影は、 「つめたい涙がながれてゐ」 たのに気づいた少年の姿とかさなるのだ。とともに、ひとり車室にのこさ れ「はげしく胸をうって」友の名を「叫」んだ彼のその「胸」が、ここで は「何だかをかしく熱 ほて り……」と語られている点にも、注意しておこう。 「胸が」 、心臓が、通常以上に熱く脈打つのは、やはり異様な情況をくぐり 抜けてきたからであるだろう。それにしても、失神したジョバンニはどう して「もとの丘」に帰って来られたかと不思議に思うのだが、物語空間を あちこちたずねたうえで、その を解く鍵を、わたしは、九のはじまりで 車掌が検札にきたとき、ジョバンニの「渡し」た 切符 に、見いだす。 それは「四つに折ったはがきぐらゐの大きさの緑いろの紙」に、見馴れ ぬ 「十ばかりの文字を印刷したもの」 で、 「見てゐると何だかその中へ吸 ひ込まれてしまふやうな気がする」のだという。しかも渡された「車掌は まっすぐに立ち直って叮寧にそれを開いて見てゐました。そして読みなが ら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしてゐましたし燈台看守も下か らそれを熱心にのぞいてゐました……」と告げられ、 「ちらっとそれを見」 た「鳥捕り」の「あわてたやうに」口にする、驚嘆の念をこめたせりふ、 「おや、 こいつは大したもんですぜ。 こいつはもう、 ほんたうの天上へさ へ行ける切符だ。天上どこぢゃない。どこでも勝手にあるける通行券です。 こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄 道なんか、 どこまででも行ける筈 はず でさあ、 あなた方大したもんですね。 」 も、紹介されている。ちなみに「燈台看守」と「鳥捕り」は、 「銀河鉄道」 沿線に住む、 「車掌」 とおなじ天界の人たちだが、 彼ら三人のジョバンニ の 切符 に見せた反応、 とくに 「車掌」 のそれには、 切符 そのもの への畏敬の念がにじんでいる、と認められよう。したがって「銀河ステー ション」で「ふしぎな声」の 主 が、ジョバンニに渡したか、あるいはそっ と「上着の ポ ケッ ト」に 入 れたかした  この「紙きれ」は、一 枚 の「切 符」ではあるけれど、 同時 に所持するものの 身許 の 正 しさを 保障 し、 身 の 安 全を 確保 する、 護 に 準 じた 聖 なる力を 宿 す 「通行券」 と、 わ たし

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の眼に映る。その力に護られて、ジョバンニはつつがなく地上に回帰でき たに違いない。そういう彼の以降のなりゆきはどうだろう? 「もとの丘の草の中に」 帰ったことに気づくと、 「ばねのやうにはね起き」 て、 「さっき」 すなわち 天上の旅 にでる前よりも 「熱した」 ような町 の夜景と、 「さっきの通り」 そらにかかる 「天の川」 の流れを眼にしたジ ョバンニは、 「一さんに丘を走って下り」 、 わが町 の灯を目指した、 と いう。その彼の裡に兆した想いがわたしの注意をひいてやまない  「ま だ夕ごはんをたべないで待ってゐるお母さんのことが胸 、 い 思ひだ されたのです」 。それはわたしの裡に、 「たったいま夢であるいた」と語り 手の告げる「天の川」のほとりで、旅の終わりにカムパネルラの遺した言 葉を、動きを、呼び覚ます。 具体的には、 「小さな列車」 が 「石炭袋」 = 「 そらの孔 あな 」 のわきにさし かかったとき、 「僕はもうあんな大きな暗 やみ の中だってこはくない。 ……ど こまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行かう」といったジョバンニのと なりで、 「「あゝきっと行くよ。あゝ、あすこの野原はなんてきれいだらう。 みんな集ってるねえ。あすこがほんたうの天上なんだ。あっあすこにゐる のぼくのお母さんだよ。 」 カ ムパネルラは俄 には かに窓の遠くに見えるきれい な野原を指して叫びました」と語られるその在り様と、そして「そっち」 を見ても情景ははっきりとせず、言いようのない さびしさ を感じなが ら、ジョバンニがもう一度「僕たち一緒に行かうねぇ」と声を掛けて、視 線をカムパネルラに戻したときの、 「そのいままでカムパネルラの座って ゐた席にもうカ 、 ム 」と語られるそのなりゆきとが。ただ傍点の語りはわたしに、な らば 「青い天 鵞 絨 びろうど を張った腰掛けが、 まるでがら明き」 だった 「車室の中」 で気づいたジョバンニが認めた「ぬれたやうなまっ黒な上着を着た、せい の高い子供」 、 以 後ずっと旅をともにしてきた 「カムパネルラ」 は 、 は た してほんとうのカムパネルラだったのか  との 疑い をもたらすけれ ども、 その点につまずくことはするまい。 「銀河鉄道の夜」 は明らかに、 いわゆるゴシック ノベル ( Go th icn ov el) ではないのだから。 それにしても、姿の消えたカムパネルラはどこへいったかと、これもま たことごとしく問う必要はないだろう。答えはすでに、彼の遺した言葉、 「遠くに見えるきれいな野原」 に 「 お母さん」 が待つのを認めたときの 叫び に明らかだ。 カムパネルラの 胸いっぱい の声は確実に彼方の 母の許に届き、次の瞬間そこに移って仕合わせを見いだす彼の姿を、読者 は想い描くことができよう。それが語られないのは、語り手が、その情景 をはっきりとみることのできないジョバンニの視点に立つからだ。そうい うカムパネルラのなりゆきに、 「もとの丘の草の中に」 友を見失った悲し みの痕を に宿しながら「はね起き」たジョバンニの動向は、なんとよく 似ていることか。彼もまたはるかな「下に」前よりも輝きをましたように 町の灯のつらなる夜景を眺めたとき、 そこに自分を 「待ってゐるお母さん」 の姿が「思ひだされ」て、カムパネルラとおなじく 母への帰還 を果た したのだから。その点にわたしは「銀河鉄道の夜」が、ジョバンニのこと にはじまり、そのなりゆきを見届けて終わる「孤独な少年の悲痛で美しい 物語」でありながら、またジョバンニの幼馴染、たがいに成長して小学校 の最上級生となったいまも、同級の少年たちから仲間はずれにされる「孤 独な」彼を見 棄 てない 心 の友カムパネルラの物語でもある 所 以を、見いだ す。 ただ、よく似てはいても、 二人 のなりゆきには 異 なるところがひとつだ

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けあること、すなわち天の川のほとりと、それを映す川の流れる町とでは、 それぞれの「お母さん」たちの二人を待つ ところ に違 、 い が在ることを、 見逃すべきではないだろう。その違いを物語に即 つ いて具体的に確かめてみ ると、天界と地上とのふ 、 た にかかわるこの物語に、 「銀河鉄道の夜」 という題の附された所以が明らかになると思うけれども、その確認作業は 後に譲って、 いまは、 「一さんに」 丘を駆けおりた、 地上の夜のジョバン ニのゆくえをたどることにしよう。 麓の牧場で母のための「まだ熱い」牛乳瓶を受け取ってから町へ入った ジョバンニが、 「大通り」を十字路のところまでくると、 「女たちが七八人 ぐらゐづつ集って」 、右手の「橋の方を見ながら何かひそひそ談 はな してゐる」 のにゆき合った、という。沢山のあかりの揺れているその「橋」は、彼に とって「さっきカムパネルラたちのあかりを流しに行った川へかゝった大 きな橋」にほかならない。だからこそそこにただならぬ気配が動くのをみ たとき、 「ジョバンニはなぜかさあっと胸が冷たくなったやうに」 感じた のだし、 「いきなり」見ず知らずの人たちに何があったかと「叫ぶやうに」 訊ねもしたのに違いない。 「こどもが水へ落ちたんですよ」 の返答と 「一 斉に」こちらに向けられた視線とは、親友の身の上を気遣うジョバンニに 確たるおそれをもたらし、ただちに「下の広い河原」へと彼を導く。続い て彼は河原の下流の「洲 す のやうになって出たところ」に人びとの黒い集ま りができているのに気づき、 「どんどんそっちへ」 駈けつけることになる けれども、と同時に語りの告げる情景、あかりの行き交う「その河原」と 「向ふ岸の暗いどて」 との 「まん中をもう烏 からす 瓜 うり のあかりもない川が、 わづ かに音をたてて灰いろにしづかに流れてゐた」というそれをも、眼にした に違いない。 「川」 の 「灰いろにしづか」 な在り様と、 集まりのなかにいた同級生、 「さっきカムパネルラといっしょだったマルソ」 から聞いた、 その川にカ ムパネルラが姿を消した一部始終とは、さらに銀河を映発して「まるで水 のないそのまゝのそら」ともみえる下流の眺めを加えて、地上の川の夜の なぎさにたたずむジョバンニの心に、いかなる影を投じたのだろうか……。 そこには学生や町の人たちに「囲まれて」 、カムパネルラの「お父さん」 、 二人の少年と同様にジョバンニの父と「小さいときからのお友達だった」 と聞く博士が、 手にした時計と河面を 「見つめて」 、 静かに立っている、 という。周囲の「みんなもじっと河を見」て、 「誰 たれ も一言も物を云ふ人も」 ない、という。その緊張と沈黙の集まりのわきで、ジョバンニもまたあま りの緊張に「わくわくわくわく足がふるへ」たというのだが、そこに語り の次の一行のあるのが、わたしの注意をうながす  「ジョバンニはそ 、 の カムパネルラはもうあの銀河のはづれにしかゐないといふやうな気がして しかたなかったのです」 。 とくにカムパネルラの上に指示語 「その」 でア クセントの打たれているところに、見てきた諸情況のジョバンニの裡への 浸透の度を、わたしは見いだす。 のみならず、カムパネルラが不意に現われるのではないかと「みんな」 が「まだ」 抱 く 期 待を、 肌 に感じながら、しかし「もう 駄 だ 目 め です。落ちて から 四 十 五分 たちましたから」 と、 博士が 「きっ ぱ り」 告げたとき、 「思 はず」 近 づいて、 「 ぼ くはカムパネルラの行った方を知ってゐます ぼ くは カムパネルラといっしょに 歩 いてゐたのです」 と言おうとしても、 「もう のどがつまって」何も言えず、ただ 挨拶 を交わすだけのジョバンニの姿を も、 見 届 けておこう  。 このように、 「河原へおり」 てからのジョバン ニのなりゆきをたどってくると、わたしの裡にはまた「山のあなた」の 詩

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句がよみがえる。 涙さしぐみかへりきぬ のあとの残りの二行、 ただし 物語に即して、 丘のあなたになほ遠く/ 「幸 さいはひ 」 住 むと人のいふ が、 ほ かならぬそれなのだが、思い掛けぬ、行方不明だった父の消息を伝えてく れて、ふたたび「川下の銀河のいっぱいにうつった方へ」視線を注ぐ博士 とわかれ、 「早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知 らせようと思ふともう一目散に河原を街の方へ走りました」と語られるジ ョバンニの背には、 やはり 「幸 さいはひ 」は 、 銀河鉄道 の旅路の果てに彼自身 がカムパネルラに語った ほんたうのさいはひ は、いまここにではなく、 「なほ遠く」 に在る  という かなしみ が影を宿す、 とみられるので はなかろうか。そこで、天界の時間でおおよそ六時間ほどが経過するとみ られる二人の旅の情況、とくに終わりに近い数刻のそれに、眼を向けてお きたい。 なお蛇足ながら、天界と地上とでは時の流れ方が異なるので、六時間の 旅といっても、地上では 丘 の草原にジョバンニが眼を閉じていた一時 間ほど、カムパネルラの「お父さん」のひそかに深刻な かなしみ をに じませた宣言、 あの 「もう駄目です。 落ちてから四十五分たちましたから」 を参照すれば、数十分が経過したにすぎないことを、断わっておく。その 点に読者は、 銀河鉄道 をめぐる かわらぬ夜 と うつろう夜 との 鮮かな対比を、読みとっていいのかもしれない。 4 噫、われひとと尋 と めゆきて  地上の到るところからはるかな旅をして、 「銀河ステーション」 に集ま った、カムパネルラとジョバンニを含む多くの「旅人」を乗せた「夜の軽 便鉄道」 の 「小さな列車」 は、 「そらのすゝきの風にひるがへる中を、 天 の川の水や、 三角点の青じろい微光の中を」 、 紫 の 「りんだうの花が、 い っぱいに光って」 いるなかをしばらく走ったのちに、 「立派な眼もさめる やうな、 白い十字架」 の立つ、 銀 河の流れに浮かぶ島を車窓に見せて、 「白鳥の停車場」を目指す。そのとき車内に生じたでき事は、 銀河鉄道の 旅 の目的をありありと伝えて、見すごすわけにはいかない。 「「ハルレヤ、 ハルレヤ 。」 (7) 前からもうしろからも声が起りました。 ( * 少年二人が) ふり かへって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを 垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶の数 じゆ 珠 ず をかけたり、どの人もつ つましく指を組み合せて、そっちに祈ってゐるのでした。思はず二人もま っすぐに立ちあがりました。カムパネルラの は、まるで熟した苹果 ほほ りんご のあ 、 か のやうにうつくしくかゞやいて見えました。 」  傍点の 「あかし」 は、 証 か 灯 のどちらなのかで頭をひねるところだが、 あとに燈台 の「あかし」とする例があるので、後者と 解 しておこう。そのカムパネル ラとジョバンニ 以 外 の 「旅人たち」 の、 「そっち」 すなわち物語が白鳥 座 の五 星 のかたどる 北十字 をとりいれた、 粛然 と島にかがやく十字架に 向かう 敬虔 な 姿勢 は、彼らの旅が 信仰 の旅 にほかならぬことを、それ が目指すのはただひとつ、 主 なる 神 の 御許 であることを、 瞭 あき らかに物語っ ているだろう。 しかも、これまで 信仰 生 活 とはかかわりのなかったジョバンニとカムパ ネルラも、 「思はず」 立ちあって、 み なと一 緒 に 「島と十字架」 を見 送 っ たという。 そこにわたしは、 「軽便鉄道」 のおなじ車室に 偶然 たがいを見 いだしたところからはじまる二人の旅の 真相 を、 実 は 大 きな 摂理 のもとに 調 えられた旅であるというそれを、 求 めずにはいられない。だからこそ、

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出発の時点でジョバンニの耳にした「声」のことが、どうしても気になる のだ。 「銀河ステーション、 銀河ステーション」 と繰り返し告げるその声 は、どこの駅でも普通に聞ける駅名のアナウンスであるには違いない。そ うだとしても、それは「ふしぎな声」であって、それがおそらく深みのあ る声 音 こわね で物語空間に響いたとき、 あたりの様子は一変し、 「いきなり眼の 前が、 ぱっと明るくなって」 、 ジョバンニは自分がどこにいるのかに気づ いた、という。そこで読者は、なるほど「ふしぎな」力をそなえたその声 が、たんなる 報知 (アナウンス) ではなく、光とともにジョバンニの許 もと に届けられた 告知 の声と聴くことになって、ならば声の主 ぬし は 誰 な のだろうと、それこそ「ふしぎ」に思う。だがその問いに答えをだすのは、 まだ早い。 ちなみに、 告知 すなわちここから 信仰の旅 の最終コースがはじ まるという お告げ は、ひとりジョバンニだけに向けられていたのでは ないだろう。 「銀河ステーション」 にたどり着いた 「旅人たち」 のすべて が、それをつつしんで聴いたに違いない。 ところで「銀河ステーション」を出発した「小さな列車」が、先にみた 北十字の島のそばを通って、白鳥停車場の「大きな時計の前」でとまった とき、 「さはやかな秋の時計の盤 面 ダイアル には、 青 く かれたはがねの二本の針 や が、くっきり十一時を指」す。停車時間の「二十分」  少年たちはその 間に「プリオシン海岸」を訪れて、戻ってくるのだが  も過ぎ、定刻に 発車した列車に、 白鳥停車場から乗り込んだと思われる 「鳥を捕る人」 (「鳥捕り」 と 略称される) 、 ジョバンニとカムパネルラに 「ここへかけても ようございますか」 と声を掛けて、 車室に現われた新たな作中人物、 「茶 いろの少しぼろぼろの外套 ぐわいたう を着て、白い巾 きれ でつつんだ荷物を、二つに分け て肩に掛けた、赤髯 あかひげ のせなかのかがんだ人」とは誰かについては、すでに 「「銀河鉄道の夜」を読む」にみたので、詳細はそちらに譲りたい。むしろ ここでは、いまの論考に「六のはじめに鳥捕りの登場にともなって、その 場に姿を明らかにしていた」と記しながら、触れるべくして触れえなかっ た、いま一人の作中人物の在り様に眼を向ける必要があるだろう。 語りに即 つ けば、 何 処まで行くかをめぐる鳥捕りと二人のやりとりで、 「あなたはどこへ行くんです。 」とカムパネルラが「いきなり、喧嘩 けんくわ のやう にたづね」たので、ジョバンニが「思はずわらひました」と告げられると ころに、その人物が「すると、向ふの席に居た、尖 とが った帽子をかぶり、大 きな鍵 かぎ を腰に下げた人も、ちらっとこっちを見てわらひましたので、カム パネルラも、 つい顔を赤くして笑ひだしてしまひました。 」 と 、 姿を明ら かにする。 彼は、 鳥捕りに 「どうです、 今年の渡り鳥の景気は。 」と た ず ねられて、 「いや、 すてきなもんですよ。 一 昨 日 をととひ の第二限ころなんか、 な ぜ燈台の灯を、規則以外に間〔一字分空白〕させるかって、あっちからも こっちからも、電話で故障が来ましたが、なあに、こっちがやるん ぢゃ な くて、渡り鳥どもが、まっ 黒 にかたまって、あかしの前を通るのですから 仕方 ありませんや。 …… 」と答えるので知られるように、銀河のほとりの どこかに 立 つ燈台の 番 人で、またのちのことになるけれど、この 地 でとれ た「 黄金 きん と 紅 でうつくしくいろどられた大きな 苹果 」を 携 えていて、 ま わりの 皆 にすすめながら、 「この 辺 ではもちろん 農業 はいたしますけれど も …… 」と、 当地 の 農業 事情 を 説 くところにも 示 されるように、鳥捕りや 列車の車 掌 とともに 天界 の 住 人なのであって、 地 上 から来た「旅人たち」 を 迎 える 立 場にあるわけだ。 そういう燈台の 番 人、登場以 降 ずっと 控 えの 位置 におかれていた「燈台

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看守」 (もしくは 「 燈台守」 と語り手は呼ぶ) は、 物語のはこびをふり返れば、 九のはじめに車内検札があって、いささか神秘性をにじませた ジョバン ニの切符 が話題となった直後に退場した鳥捕りと入れ替えに、出番がき て舞台の表てに立つことになる。そのとき車室内にも変化が起きて、苹果 りんご と野 茨 のいばら の匂いがしたかと思うと、 「そこに、 つ やつやした黒い髪の六つば かりの男の子」 が 「がたがたふるへてはだしで」 、 手をかたわらの 「黒い 洋服をきちんと着たせいの高い青年」 に「しっかり」 ひかれて立ち、 「も ひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛らしい女の子」が「あら、こゝはど こでせう。まあ、きれいだわ」といいながら「窓の外を見て」いた、とい う。この三人の新たな作中人物、地上で辛く苦しい目をみてきたらしいカ オルとタダシ姉弟と家庭教師で保護者でもある青年の登場を迎えて、最初 に声を掛けたのが、 「さ 、 つ 燈台看守」 すなわちジョバンニたちの 「向 ふの席に居」て、控え目になりゆきを見守ってきた「尖 とが った帽子を」かぶ ったこの人である点に、注意しておこう。 丁 どこから来たのか、どうしたのか を青年に訊ねて、その一部 始終  「今日か昨日のあたり」 「船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾き もう沈みかけ」 、 乗 船者の 「みんな」 とともに讃美歌三二〇番を、 祈りの 心でうたったとき、 「俄 には かに大きな音がして私たちは水に落ちもう渦に入 ったと思ひながらしっかりこの人たちをだいてそれからぼうっとしたと思 ったらもうこゝへ来てゐたのです。 」 と いうことの経緯を識った燈台看守 は、 「ほんたうにどんなつらいことでもそれがたゞしいみちを進む中での できごとなら峠の上りも下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつ ですから」と告げて、 「燈台守がなぐさめてゐました」と語られるとおり、 青年と「あの姉弟」を思い遣る心を表わし、三人の裡なる大きな傷みに、 癒し の手をさし伸ばす。そういう 癒し手 は、 「いちばんのさいはひ に至るためにいろいろのかなしみもみんなお 、 ぼ です」と答える青年 とひとしく、主なる神の御旨 みむ ね に添うところに「ほんたうの幸福」が在る、 とする人物にほかならない。 すると、そこに不思議なでき事の生じたのに気づく。姉と一緒に深く寝 入った弟が「さっきのあのはだしだった足にはいつか白い柔らかな靴 くつ をは いてゐた」 というそれ。 いったい 誰 が靴を調達したのだろう? 「い つか」とあるゆえ、それはまわりのものの気づかぬうちになされた、その 場にはいない 誰 かの業 わざ であることに意を留めると、わたしには、あの 「声」の主 ぬし 、「銀河ステ ー ション」を「 旅 人たち」に 告 したものの 影 が、思い 浮 かぶ。 詩 、 第八 六の 詩句 を 借 りれば わたしはあなた 依 よ り 頼 たの む者 もの である燈台看守と青年の声は、 期 せ ず してその業をひき出す 役割 を 果たしたのだ、と思われる。さらに 列 車が「 鷲 わし の 停 車場」近くの 幻想的 な 風景 の 広 がる「 燐 りん 光 くわう の 川 の 岸 」を進み 行 くとき、そのほとりに 稔 った「苹 果」 を 「 両 手で 膝 の上にかゝへ」 、 元 気づける よ うにして、 みなにすすめ るこの燈台看守の イメ ジについて、どうしても気になることをつけ 加 えて おく。 それは、 彼 が「尖 とが った帽子をかぶり、大きな 鍵 か ぎ を 腰 に下げた人」だとい うこと  とくに「 鍵 か ぎ をもった人」とも語られる後者の在り 様 が、わたし の 関 心をひいてやまない。まことに 聖書 的 と 読 まれるこの物語で、それは おの ず から、 「初 代 教 会 の 指導 者」 ( ) となった、 福 音 書 の 使徒ペ テ ロ の 面 影 を、わたしに 想 わす。 キリ ス ト 教美 術 の 図 像 に 具体 的 に 姿 を 現 わす ペ テ ロ もまた、 「大きな 鍵 」をもつ ( 9 ) 。ただそれは 腰 に下げるにはあまりに大きく、 胸 のところに 右 手で 抱 えているけれども、 マ タ イ に よ る福音 書 に よ れば、

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イエスが弟子たちの前で 「あなたはペトロ。 わたしはこの岩 いわ の上 うえ にわた しの教会 きょうかい を建 た てる。陰 よ 府 み の力 ちから もこれに対抗 たいこう できない。わたしはあなたに天 てん の国 くに の鍵 かぎ を授 さず ける」 ( 16: 18~ 19) と告げて、 そ れを渡した、 という。 し てみると、彼は 教会 すなわち 天の国 の入り口を守る番人なのであ って、その点で天上界の夜をてらす燈台の「大きな鍵」を携えて、そこを 管理する「燈台守」に一脈通じるところがある、とみられよう。なお美術 図典 ( ) の解題は、 「頭には何もかぶらず、 足は素足」 であったペテロの図像 は「 10世紀初めの頃は円 、 錐 をかぶった。こうした教皇形は 15世 紀に定 、 型 」と説く。傍点の個所に注意すると、燈台の番人のかぶる のがほかならぬ「尖 とが った帽子」であるのも、ペテロの姿と無縁ではあるま い。 こうして 「苹果」 をジョバンニたちに手渡し、 「睡 ねむ ってゐる姉弟の膝に そっと」置いてからあと、燈台看守は舞台の表てから身をひく。車室には 以後四人の少年少女たちのさまざまなやりとりが続くけれども、彼はつい に語りの表てに姿をみせない。といって、列車が「旅人たち」の目指す目 的地、 「 南十字 サウザンクロス 」 ( ) の十字架の許にいたる前に下車した気配もない。 お そら く鍵のかわりに「苹果」の籠をかかえ、黙って青年やカオル タダシの姉 弟と行をともにしたものと思われる。 では列車が、 「かっきり第二時」についた「鷲の停車場」をあとにして、 「新世界交響曲」 の 楽 がく の音 ね の高まるなか、 渓谷の急勾配を駆け抜け、 夜空 に「音なくあかるくあかるく燃え」る「蝎 さそり の火」の標識のそばを過ぎ、い よいよ 信仰の旅 の終着駅を目前にしてからの情況に、 眼を移そう。 「その火がだんだんうしろの方になるにつれてみんなは何とも云へずにぎ やかなさまざまの楽の音や草花の匂 にほひ のやうなもの口笛や人々のざわざわ云 ふ声やらを聞きました。 」 と語りはいう。 それは、 子供たちに 「今夜」 が 「ケンタウル祭」 であるのを想い出させるが、 同時に 「次の第三時ころ」 に到着 予 定の「南十字 サウザンクロス 」の停車場の 近 づ く前 兆 であるに 違 いない。それ ゆ え「もう ぢ きサウザンクロスです。おりる 支度 をして下さい」と告げる青 年の声で、子供たちの 間 に 別 の 悲 しみがひろがり、 最 後に「わたく しはあなた方がいまにそのほんたうの 神 さまの前にわたくしたちとお会ひ になることを 祈 ります」とジョバンニたちに語って、女の子とともに 祈 り を 捧 げる青年の姿に、彼は「あぶなく声をあげて 泣 き出さうと」した、と いう。 そこに、 丘のあなたの空 遠 く  幸 さいはひ を 求 めたジョバンニの、 噫、わ れひとと 尋 と め ゆ きて …… との 嘆 きを 聴 く想いのするわたしの眼には、こ の 体験 がジョバンニの身の上に 即 して 深 い意 味 をもつものと、 映 る。ここ では 別 れても「いまに」 神 の前に 相見 ることを 祈 るとの 言葉 の、少年の 魂 における ゆ くえがとても気になるけれども、どうなったかを 宮 澤賢治 の 物 語世界に 求 めることは 不可能 であって、いまは「さあもう 仕 度 はい ゝ んで すか。 ぢ きサウザンクロスですから。 」と 、 再 度 姉弟を 促 す青年の声を、 心 して 聴 くほかはない。すると  物 語情況は「あ ゝ そのときでした。 見 えない天の 川 のずうっと 川 下に青や 橙 だいだい やもうあら ゆ る 光 でちりばめられた 十字架がまるで一 本 の 木 といふ 風 に 川 の 中 から 立 ってか ゞ やきその上には 青じろい 雲 がまるい 環 わ になって後 光 のやうにかかってゐるのでした。 汽 車 の 中 がまるでざわざわしました。みんなあの 北 の十字のときのやうにまっ す ぐ に 立 ってお 祈 りをはじめました。 」「 「 ハ ル レ ヤ ハ ル レ ヤ 。」 るくたの しくみんなの声はひ ゞ きみんなはそのそらの 遠 くからつめたいそらの 遠 く からすきとほった何とも云へずさはやかな ラッパ の声をききました。 」と

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なって、間もなく列車は「十字架のちゃうどま向ひ」に停車する。 ちなみにこの 「ラッパの声」 は、 「旅人たち」 のつつがない 天 てん の国 くに  への到着を、祝福歓迎の意をこめて知らせる合図であるだろう。ただし誰 が吹き鳴らしたかを問うならば、やはりわたしには 新約 のヨハネの黙 示録に 「神 かみ の秘 ひ められた計画 けいかく が成就 じょうじゅ する」  ( ) ことを告げるラッパを吹奏し た 第七 だい の天使 てんし  ( ) の姿が想い浮かぶ次第を、記しておこう。 「さはやかなラッパの声」に迎えられて、 「南十字 サウザンクロス 」の停車場で列車を下 りた、青年と姉弟をはじめとする「旅人たち」は、いかなる 仕合わせ  にめぐりあったか。 「俄 には かにがらんとしてさびしくなり風がいっぱいに吹 き込」む車室にのこったジョバンニとカムパネルラの眼にした情景こそ、 銀河鉄道の夜 の旅を信仰とのかかわりでたどってきたわたしの心に、 強く きつく。 や 「見てゐるとみんなはつゝましく列を組んであの十字架の 前の天の川のなぎさにひざまづいてゐました。そしてその見えない天の川 の水をわたってひとりの神々 かうがう しい白いきものの人が手をのばしてこっちへ 来るのを二人は見ました。 」  そう語られて、 信仰の旅 の最後の最後 にみずからを示現する。神性を帯びたこの「人」を、読者は誰もただの人 とは思うまい。 「水をわたって」 、 信 徒の 「旅人たち」 に 「手をのばし」 、 親しく「みんな」を出迎えてくれるのは、まさしく「ひとり」すなわち唯 一の存在、創造主 つくりぬし である神にほかならぬとしてよいだろう。 だからわたしは驚く、本来 見えざるもの である神が、形象化されて 物語空間に直接姿を現わす例は、 稀なのではないかと。 だとしても、 「神 々 かうがう しい白いきものの人」 というイメジはどこからえられたのだろう? それを想うと、わたしはまた、聖書に恃 たの まなければならない。共観福音書 の伝える イエスの変容 、たとえばマタイによる福音書に、 弟子たちを つれて高い山に登ったとき イエスの姿 すがた が彼 かれ らの目 め の前 まえ で変 か わり、 顔 かお は 太陽 たいよう のように輝 かがや き、服 ふく は光 ひかり のように白 しろ くなった  ( ) と示される 神の子 イ エスの相貌が、そこに影を落としているのではなかろうか。あるいは物語 のその「人」が「天の川の水をわたって」近づくとある点にも、 湖 みずうみ の上 うえ を歩 ある いて弟子 でし たちのところに行 い かれた  ( ) というイエスの姿が尾をひいてい るかもしれない。 長く 信仰の旅 のなりゆきにかかわってきたけれども、ようやく先に 答えを保留した問いに対応すべきときがきたようだ。 旅 のは 、 じ に駅 名を 告知 したのは  、な 、 か を過ぎてタダ シ 、 海 難事故 の 犠牲 とな った 少 年の「はだしだった 足 」に「白い 柔 らかな 靴 くつ 」をはかせたのは  、 誰 なのか。 旅 のお 、 わ に到 達 したいま、わたしはただちに答えるこ とができる、それこそ、天上の夜を 駆 ける「 小 さな列車」の 背 後から、車 中 のすべての人びとを見 守 り 続 けた、この「神々 かうがう しい白いきものの人」に ほかならないと。 おわりに 「 南十字 サウザンクロス 」 の停車場を過ぎて、 なおジョバンニとともに車 内 にとどまっ た、 親 友 のカムパネルラについて、 ひと 言 書き 添 えよう、 彼もまた、 「あゝ、 あすこの 野原 はなんてきれいだらう。みんな 集 まってる ね え。あすこがほ んたうの天上なんだ。 あっあすこにゐるの ぼ くのお 母 さんだよ。 」と の 言 葉 を 遺 して、 主なる神の 許 に在る 母 の 懐 ふところ へ 帰 ったことを、 「銀河鉄道 の夜」の物語において、わたしはわすれたくない  。

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〔注〕 ( 1 ) ちくま文庫版 『宮沢賢治全集 7 』(一九八五 一二 第一刷) 所収の 「 銀 河鉄道の夜」を、本論のテクストとした。引用中の傍点は、筆者の附した もの。 ( 2 )『解釈と鑑賞』 (至文堂)二〇〇九年六月号所掲。 ( 3 ) 岩 波文庫版 『上田敏全訳詩集』 (山内義雄 矢野峰人編、 二 〇〇一 一一 第 31刷)所収。 ( 4 )注 ( 1 )の全集本の「解説」 (天沢退二郎)の 銀河鉄道の夜 の項。 ( 5 )( 6 ) 『 讃美歌』 (日本基督教団出版局、 一 九九八 一 22版) に拠る。 旧 版『讃美歌』ではそれぞれ三二九番と三〇六番。 ( 7 ) 原 子朗著 『 新 宮 澤賢治語彙辞典』 (東京書籍、 一九九九 七) の ハル レヤ の項に、 「 ハレルヤ ( ha lle lu ja h) をもじった 賢 治 の 造 語 か 。」 とある 。 ( 8 )『聖書辞典』 (新教出版社、一九八八 三 37刷)の ペテロ の項。 ( 9 )柳 宗 玄 中森義宗編 『キリスト教美術図典』 (吉川弘文館、 一九九〇 九 第 1 刷)所掲のペテロ像(二八八ページ)を参照した。 ( 10)注 ( 9 )におなじ。 ( 11)注 ( 7 )の辞典の 南十字 の項に「南天星座。ケンタウルス座( ↓ケン タウル祭)の真南に位置し、α、β、γ、δを結ぶと美しい十字形となる ので、北十字(白鳥座)に対して南十字と言う。 」とある。 ( 12) 第一〇章七節。 ( 13) 第一一章一五節。 ( 14)( 15) マ タイによる福音書、 第一七章二節、 第一四章二五節。 な お本稿に おける聖書の引用は、 すべて 『聖書 新 共同訳』 (日本聖書協会 一 九八 七)に拠った。 (えんどう ゆう 元本学教授)

参照

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