英語1オンキャンパス 8「GENDER」 イントロダクション 和訳
小野上光彦
間違えてたり、分かりにくかったらゴメン
男 女間には明らかに様々な違いがあるようだ。その違いとは、最も根本的に生理的であれ身 体的であれ精神的であれ、明らかに重大な社会的影響を与えるものだ。しかし、これらの 影響はとても複雑な方法で理解される。駒場キャンパスを見渡した時、なぜ東京大学には 男性よりも女性の方がかなり少ないのか疑問に思うことがありますか?もしくは、なぜ ノーベル賞受賞者が男性より女性の方がずっと少ないのか念入りに考慮したことがありま すか?
も し、およそ140年前のビクトリア朝時代のイギリスに住む人々に男女の異なる社会的地位 について尋ねたなら、ほとんどすべての人が生来の生物学的な違いの中の“自然な”違い のもとに理由を探しただろう。私達はチャールズ・ダーウィンの「人間の由来」の中にこ の思考様式を最もよく表す例をみることができる。
ダ ーウィンは身体的能力だけでなく精神的能力においても、女性に対しての男性の先天的優 位性を知覚しており、そして、この違いは、“生存闘争”と“自然選択”という長い進化 的過程の間にゆっくりと形成されてきた、生物学上受け継がれる違いであると彼は述べた。
女 性と比べ勝っている男性の大きさ、力、勇気、喧嘩っ早さ、体力は原始時代に獲得された ものであり、そして、主として女性の所有を求めてのライバルの男性との争いを通して、 二次的に強化されてきたと私達は結論づけるかもしれない。男性の優れた知的能力や発明 能力は彼ら自身や妻子を守り扶養することに成功するだろう最も優れた男性を求めての自 然選択がおそらく原因であり、それは受け継がれた性質と関わる。
生 物学的または進化論的に決定されたものとしての男女間の違いに対するダーウィンの理解 はビクトリア朝時代の社会には広く認められ、そして、産業革命後のイギリスでの日常生 活の規範的な構造を正当化するイデオロギーとして維持された。これは社会的な役割―例 えば男性が外に仕事に出かけ、女性が家事や育児を行う―が男女間でますます決められた 社会であった。
れるという正反対の見解を述べた。
: もし、今までに女性のいない社会に男性がいたならば、または男性のいない社会に女性が いたならば、あるいは、女性が男性の支配の下にない社会に男性と女性がいる社会があっ たならば、それぞれの性質上生まれ持つ精神的・道徳的違いについて肯定的に知られる物 があったかもしれない。いわゆる女性の性質は著しく人工的なものである―さまざまな方 向への強要された抑圧の結果や他者への不自然な刺激の結果。
こ こにみられる様に、ミルは男女間のほとんどの違いを、“それぞれの性質として受け継が れる”本質的な特徴の結果というよりはむしろ、“人工的”に形成された結果とみなして いる。ミルにとって、表面上の違いは、遺伝質や生物学的に決定されたものというよりは むしろ、“教育や外部環境”の結果であるのだ。つまり、ミルは違いを性質というよりは むしろ育った環境によると考えているのだ。
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0世紀のフェミニズムは、ダーウィンの生物学的または進化論的決定論を否定しミルの社
会的形成論を好むという明白な傾向があった。例えば、イギリスのフェミニスト作家の バージニア・ウルフは、「自分だけの部屋」(1929)の中で“アテネの奴隷の息子より も少ない知的自由しかあたえられてこなかった。女性が詩を書くほんのわずかな見込みも もってこなかった。そういう訳で私は金と自分自身の部屋にこれほどの重点を置いてきた のだ。”
と述べて、彼女の構造上の地位を示した。フランスのフェミニスト作家で「第二の性」
(1949)の中で“女性に生まれるのではない、女性になるのだ”と述べたサイモン・
デ・ボーヴォワールは構造上の方向に沿ってウルフに従った。
スト
レ
スに対する女性の生物
行動
学的な
反応
ま ず始めに論文の導入から引用する。ここで著者たちは研究の学術的根拠を述べ、研究に当 たるに至った鍵となる疑問を明らかにしている。
闘 争か逃走かの反応(※以下fight-or-flight response)は一般的に、ストレスに対する人間の
反応の原型とみなされている。1932年にWalter Cannonが初めて陳述したところによ
ると、fight-or-flight responseは交感神経系の活性化により副腎髄質を刺激し、ホルモ ンのカスケード反応を生み出すという生理学的特徴を持つ。その付随して生じる生理学的 現象に加え、fight-or-flight responseはストレスに反応した人間の行動の象徴として用 いられ、交感神経が興奮した中で人間(もしくは動物)が戦うのか逃げるのかということは ストレス因子の性質によると考えられている。もしその生物が脅威や捕食者を見極め、そ れに打ち勝つ現実的可能性があると判断したならば、おそらく攻撃が行われるだろう。そ の脅威がより手強いものだとわかった状況であれば、より逃走する可能性が高い。
ストレスへの生物行動学的な調整された反応は、捕食者による攻撃、同じ種の一員から の襲撃や、地震・竜巻・洪水・その他の脅迫的出来事などのあらゆる脅威に対する反応の 中心にあると考えられている。この適切かつ調整された反応は生存において重要である。 自然淘汰の原則により、ストレスに対する反応が成功を収めた生物は、おそらくそれを次 の世代に伝えるだろう。そしてfight-or-flight responseはそのような進化の結果として 生じた反応と考えられている。
この論文の最後の部分で著者たちは主張をまとめ、彼らの調査の限界を認めるとともに 結論が含意するものについて議論している。二つ目にこの部分の始めから引用する。
我々はまず、ストレスへの反応のうち成功したものは自然淘汰の原則を通して次の世代 に伝えられるということを前提とする。脅威に対して適切な反応を持たない個体は生殖が 可能になる年齢に達する可能性が相当低くなる。加えて雌は幼い子の世話という点で概し て雄よりも大きな役割を担ってきたので、首尾よく伝えられた、脅威に対する反応は自分 自身と同様に子を保護するものになっていただろうということが挙げられる。種の雌は第 一に雄よりも妊娠と育児に多くを投じ、一般に子が十分に成長するまで育てるための活動 において主な役割を果たす。母親が子に対して非常に多くを投じることで、彼らの健康を 危険にさらさず、生き残る可能性を最大にするようなストレスに対する雌の反応の選択に 繋がったはずだ。Tending、つまり静かに子の世話をして環境と溶け込むことは多種多様 な脅威に対処するのに効果的だろう。対して雌の闘争反応は自身と子を危険にさらし、逃 げるという行動は妊娠や未成熟な子の世話という必要性により妨げられる。従って、それ に代わる反応が雌の中で発達してきた可能性がある。
自身と子を守ることは多くの脅威が存在する環境の中では複雑で困難な課題であり、社 会的集団を効果的に利用した群れはそうでないものよりも多くの脅威に対してよりうまく 対処できたはずだ。この想定は、雌はストレスに対する反応として選択的に連携し、その おかげで群れの大多数のメンバーが自身とその子を守ることのできる可能性が最大になっ ただろうという予想を導いた。従って我々は、雌がストレスに対して子を保護し社会的集 団と連携するという反応をとることは、befriendingという過程によって促進されている と考える。これは集団内にネットワークを作り、ストレス下にある雌とその子に対して援 助と保護を提供するというものだ。
tend-and-befriend patternの根底には、子が母親に愛着を感じ、母親が子の面倒を見 るというattachment-caregiving systemという生理学的なメカニズムが働いていると
我々は考える。これは、母親の絆の形成と子供の成長においてそれが果たす役割について
以前広く調査されたストレスに関するシステムである。ある点では、ストレスの多い状況
下において雌が子を世話するという反応をとることは、それに対応した、幼い子が愛着を
感じるというメカニズムが存在することを表している。これは、子の中で正常な、生理学 的に調整されたシステムが発達するのに極めて重要なメカニズムだと思われる。母と子の 結びつきが幼い子の感情的・社会的・生物学的な面での発達に及ぼす影響を調べる研究は
数多く行われてきたが、それに対応した母親のメカニズム、つまり母親が子を世話すると
いう行動を引き起こすものについての研究論文は少ない。我々はここでこの不均衡を正そ うと試みる。加えて、befriending pattern はattachment-caregiving systemにおそ らく便乗しており、そのため少なくとも部分的に、tendingを調整する生物学的なシステ
動がfight-or-flight responseに生理学的な基盤を提供すると考えられているのと同じよ うに、神経内分泌系のメカニズムはストレスに対するこれらの反応を調整するために進化 した、という結論が続く。
これからの研究への影響についての議論で論文を結論付ける前に、著者たちはこの調査 の社会的・政治的な影響についての観点を明らかにしている。
人間の行動における性差は、進化した生物行動学的な反応としてよりも、社会的役割に おける違いとしての方がよく理解されるのかどうかという問題が生じる。例えば、人間の
行動にはかなりの柔軟性があることを考えると、今後も父親より母親が子に多くを注ぎ続
けるのかという疑問が生じる。これに応じて、両親が子供を世話する中での男性と女性の 現在の違いは、ストレスに対する反応が進化した期間においての両親の世話の違いより重 要ではないということに我々は気づいた。進化論的な生物行動学の主張は現在の人間の行 動を束縛することはないが、かといって現在の人間の行動が柔軟性をもっていることが必 ずしもそれに対する反論になるわけでもない。人間の社会的役割は文化によって相当異な り、tend-and-befriend patternのような行動パターンを取ることを規範として女性に課 しているような社会が存在するかもしれないが、社会的役割のみではそれを説明できそう もない、ということにも我々は気づいた。社会的役割という見解は、我々が発見した異種 間の類似性に対処することも、我々の立場の根底にある生物学的な根拠を説明することも できない。にもかかわらず、これからの研究で周囲の介入に敏感な我々の生物行動学的モ デルの各部を詳述するためにはそれが重要になるだろう。
その上、行動における性差に生物行動学的な基盤があるとする分析は、重要な政治的問
題を提起する。ある程度は無理もないことであるが、多くの女性はそのようなモデルが差
別や社会的抑圧の傾向を正当化するために使われていると感じている。そうした奮闘を全
て防ぐために、我々の分析は女性が占める社会的役割について特定の規範を前提にはして いないということを強調して指摘したい。我々の分析は、女性は母親になるべきで、この ようなメカニズムのおかげで良い母親に、男性よりも良い親になるだろうということを暗
示していると解釈されるべきではない。同様にこの分析は、女性は自然に男性よりも社交
的になるという根拠としても、女性は社会の基本的構造を作り出す結びつきや活動におい て過剰な責任を負うべきだという根拠としても解釈されるべきでない。
しかし、その他の社旗的問題は生物学的基盤が示すことについての誤った思い込みに基
づいているようだ。人間の行動に関する生物学的分析は時に社会科学者によって、人間の 行動の非柔軟性と必然性を暗示するものや、行動が均質的であると考える還元主義的な試 みとして誤解される。こうした見方は行動の生物学的基盤についていわれのない懸念を構 成する。生物学は運命ではなく中心的傾向である。しかしそれは社会的・文化的・認識
年の生物学の研究は、遺伝子発現からストレスの多い状況への急性反応までの範囲で、生 物学が行動に影響するように行動も生物学に影響するということを示してきた。社会的な 役割と生物学を人間の行動の二者択一的な説明と見るよりは、人間の行動の驚くべき柔軟