原因論 第二十八章 改訂版
小林 剛
199 純一な実体はすべて自身によって、すなわち、自身の本質によって存立してい
る。
Omnis substantia simplex1 est2 stans per seipsam, scilicet per essentiam suam.3
200 なぜならそのような実体は時間なしに創造され4、その実体性において時間的諸
実体よりもより上位だからである。
Nam ipsa5 est creata sine tempore, et est in substantialitate sua superior substantiis temporalibus.
201 このことを示すのは、[そのような実体が]自身の本質によって存立しているがゆ
えに、何か6から生成したのではないということである。何か7から生じた諸実体は生 成の下に在る複合的諸実体である。
Et significatio illius est quod non est generata ex aliquo, quoniam est stans per essentiam suam; et subsantiae generatae ex aliquo sunt substantiae compositae cadentes sub generatione.
1 simplex
(「純一な」)に当たるアラビア語原語がアラビア語ライデン写本にないので Pattinはこのsimplexにカギ括弧を付けたと思われるが、イスタンブール写本にはこ れに当たる語があるので、カギ括弧は外す。
2 Pattinはこのestにもカギ括弧を付けている。理由は恐らく、アラビア語原文ではこ れに当たる語がなく、199節は全体が200節のestの主語になっていると読めるからで ある。しかしラテン語訳では200節の冒頭にNam ipsaがあるのでこの通りには読めな い。ラテン語訳者は恐らく199節に当たるアラビア語原文にestに当たる語を補って読 み、200節に当たる箇所は199節に当たる箇所と切り離して読んだのであろう。したが ってカギ括弧を外す。
3 Pattin
はこのピリオドにもカギ括弧を付けているが、註2と同じ理由でカギ括弧を外 す。
4 この箇所に当たるプロクロス『神学綱領』第51命題には「創造された」という内容 は出てこない。
5 PattinはNam ipsaにもカギ括弧を付けているが、註2と同じ理由でのカギ括弧を外 す(Nam ipsaに当たると読めるアラビア語は存在する)。
6 この「何か」に当たるアラビア語原語は、アラビア語ライデン写本では「生成を起こ すもの」と理解できるような語であるが、イスタンブール写本では「何か」となってい る。
7 註5と同じ。
202 だから、自身の本質によって存立している実体はすべて、ただ時間なしに8のみ
在り9、 時間と時間的諸事物よりもより高位、上位のものであることはすでに明らか である。。
Iam ergo manifestum est quod omnis substantia stans per essentiam suam non est nisi in non tempore, et quia10 est altior et superior tempore et rebus temporalibus,
8 「時間なしに」と和訳したラテン語訳in non temporeのアラビア語原文は、200節 のsine temporeとまったく同じなので、sine temporeと同様に和訳する。
9 「在り」はアラビア語原文では「創造されており」になっている。
10 Pattinはquiとしているが、註を見るとquiaとなっており、誤植と思われるので、 Taylorに従ってquiaと読む。