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自治体職員有志の会第 19 回オフ会 in 宇土 2011/06/25 宇土市市民会館

市長講演 「はじめの一歩」 宇土市長 元松茂樹 さん

1 宇土市の紹介

1年半前まではみなさんと同じ自治体の職員で係長だった。 今日は「はじめの一歩」として話をさせていただく。

宇土市の概要。人口3万8千人の小さな市。市制施行より52年が経過し、平成の大合併には乗り遅 れ、単独を貫いている市である。財政力も弱く、何の取り柄もないような市ではあるが、私どもは熊本 市の南に隣接している。

熊本市は現在人口73万人くらいになっており、もうすぐ政令市になる。

熊本市で有名なのは熊本城。日本三代名城の1つと言われている。熊本城を作った大名が加藤清正とい う戦国武将。秀吉の時代に熊本に入って、当時熊本は25万石といわれていたが、それを収めたのが加 藤清正である。

ただ、熊本はそのとき二分されており、南に宇土、当時14万石、最終的には24万石になるのだが、 小西行長というキリシタン大名がこの地を統治していた。

熊本をちょうど二分して、石高的には25と24と、あまり変わらないような状況であった。そして、 朝鮮出兵とかいろんなことがあって、秀吉が亡くなり、最終的に宇土は小西行長が関ヶ原で西軍につい て負けてしまった。加藤清正が勝って、小西が負けてしまったのだが、勝った加藤の居城があった熊本 が73万人、負けた小西の居城があった宇土が3万8千人と、今では人口20倍になっている。しかし、 そういうようなこともあって、もともと宇土と熊本は張り合っていたようなところがある。古墳時代に は、宇土の方が中心地で、熊本には大した豪族がいなかったようなのだが、時代の流れとともにこのよ うな形になって、今は熊本市の隣でこじんまりとしたまちになっている。

隣に宇城市という町がある。5町が合併して宇城市になったのだが、元々宇土市と下益城郡を併せて、 宇城地区といっていた。そこの一部が合併したものだから、よく、「宇土市は宇城市になったのですよ ね?」と言われる。宇土市は合併してないので、そのまま宇土市としてあるのだが、忘れ去られている と。そういうところを何とかして宇土市をアピールしていきたい。

熊本とは比較にならないけれども、宇土は宇土として、宇土は昔からある町として、プライドをもっ てひと味違う味を出していきたいと思っている。

2 市職員として感じたこと

平成3年に市役所入庁。出身が隣町。学生時代は麻雀、パチンコ、アルバイトなど遊びに明け暮れて いた。自分の遊び仲間は大学が好きで、4年で卒業できなかったのだが、自分は4年で卒業できたので、 仲間内から見ると相当優秀な方だった。(笑)

就職課に行ったのが卒業式の前の月、就職はどうにかなるかと思っていたら、時期遅く、就職がなか った。

仕方ないので、地元の役場で臨時職員になって2年間お世話になった。2年間役場にいたが、採用試 験もなく、どうしようかと思っていたところに、前々から商売したかったので、営業でもやってみよう かなと思い、営業職についた。OA 機器の営業を2年間ほどやった。

ある日、先輩から宇土市の職員試験があると聞いた。隣町の役場に合格するとは思わなかったし、宇

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土市役所がよその町の人間を採用するという実績もなかったので、通る気はしなかったが、せっかく勧 めてくれたので、願書だけ一応出していたら、たまたま通ってしまった。営業よりも公務員の方が安定 しているからいいかと思って市の職員になった。

26歳のとき市の職員になって、一番初めに感じたことは、「なんて生ぬるいのだろう」ということ。 営業のときは毎朝7時半に会社に行って、会社を出るのは夜の9時半くらい。一日中走り回って、会 社に帰って残業しても残業代は一円もつかない。そんな辛い生活をしていた。それが、役所に来たら、 8時半から5時15分まで、ちょっきりの生活。8時半ぎりぎりに役所に来て、5時には机を片づけは じめて、5時15分には役所を出る。こんな役所だった。今は少し違ってはいるが。そのとき、役所は なんて甘いのだろうと思った。

実は、役所で初めてもらった給料が、営業のときと同額だった。今まで自分はこんなにきつい思いを して、これだけもらっていたのに、ここではこんな短い時間でこんなに給料がもらえるのかと思ったら、 やはり、「これはいかんのじゃないか、これで本当に大丈夫なのか」という思いをしていた。でも、当 時の先輩というか退職前の人たちは、「市役所はこんなに給料が安くて、やってられない」とか、給料 が安い話ばっかりされていた。自分からみると、役所はもらいすぎなのじゃないかと思うくらいの状況 だった。時間的な制約が民間と比べて相当甘いというか、規則通りというか、そういう部分があった。

また、仕事をしていく中で感じたのは、新しいことをやろうとしない。「こういうことをやりましょ うか?」と言っても、「忙しいからしなくていいよ」、「そんなのしても無駄だよ、誰がやるの?時間が もったいない」「無理せんでやめた方がいいよ」と先輩たちから言われていた。新しいことをやろうと すると足を引っ張られる状況があった。

今思えば、上司の、もう今は辞められた方だが、とにかく自分に責任が及ばないように逃げる。 また、新しいことをやろうとしたら、「だめだよ。前やっていたこっちのやり方がいいよ」というよ うな前例踏襲ばかりだった。前例踏襲のよいところは失敗しても自分は責められないところ。これが少 しでも変えて失敗したら、自分が責められる。そういう意味でも、前例踏襲に凝り固まっている、とい うこと。

それに、役所内での横の連携が取れていない。苦情を受け、いろいろ話をしても、「それはあそこに 言えばいいよ。あんたがする必要はない。担当者じゃないのだから。うちの仕事じゃない。」といって、 隣の課になすりつける。隣の蠅は追うな、そういう雰囲気が強くあった。これはどこも一緒だろうと思 うが。

また、「できない理由さがし」。今でもそうだと思うのだが、何か事業をやろうとするときに、やれな い理由を探すのがとにかくうまい。障害を探すのは、公務員はプロ級だと思う。ただ、「こういうこと をしたらこういうメリットがある、こういう効果がある」というプラス面や効果を探すのが公務員は苦 手。だから、何かをやろうとするとマイナス面ばっかり山ほど出てきて、いいところはちょっとしか出 ない、だから新しいことに取り組めないというような傾向が今でもあると思う。

前例踏襲が当たり前なので、仕事も効率化しないし、マンネリ化してしまうというのが、当時市職員 になって数年間感じていたこと。

そういうことを思っていた教育委員会の職場から、人事担当部署に異動した。役所は後ろ向きでやる 気がない人ばかりだと思っていたところに人事に来たら、人事の先輩たちはぜんぜん違っていた。「こ んな体質を何とかしたい」という前向きな思いを持っている人たちだった。

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ただ、なかなか変わらない。どうやって手を打ったらいいかわからないけれども、「こういうのは変 えたい」という思いをもっておられた。

市の職員みんなが駄目なんじゃなく、ちゃんとした思いをもった人がいることがわかった。将来をち ゃんと考えている人がいる、これなら何とかなるのかなと思ったのが人事に異動したときに思ったこと。

3 まちづくり活動を通して

まちづくり活動を以前からやっていた。

まちづくりと単純に言ってもいろいろあるのだが、まず私は、仕事で宇土に大きな太鼓がたくさんあ る雨乞い大太鼓の活用事業に携わった。

宇土には江戸時代以後に作られたケヤキの大太鼓がたくさんある。そこで、大太鼓を集めて叩くグル ープを行政で作ろうという機運があり、私が事務局としてかかわった。地元の太鼓を復活させようとい う人たちがたくさんいて、その人たちとつきあいを深めていった。自分も太鼓を叩くようになったのだ が、練習が終わったら毎回飲みにいって、未来の夢を語っていた。「宇土市の太鼓をこうやったらいい のではないか、ああしたらいいのではないか」と。太鼓の練習で汗を流し、イベントをするときは太鼓 運搬用に自分の車を出し、誰もお金をくれる訳ではないのに身銭を切ってやるような人たちだったのだ が、その人たちと交流しはじめて、やはり市民の力の強さ、このまちを何とかしたいと思って動いてい る人が相当たくさんいることを知った。こんな形で民間の力や活動と接点ができて、ここが自分の原点 になった。

まちをよくするのは、行政の力だけではなくて、こういう思いを持ったまちの人たちが自由に動ける ようになること、そういうことでまちが強くなっていくのかなと思ったりした。

それからいろんなまちづくりに取り組むようになった。

先ほど、私は地元出身じゃないという話をしたが、私は平成3年に採用された。それまでは宇土市役 所では地元以外の人は試験を受けても通らなかった。

私のときは、たまたま市長が変わって民間出身の方で、地元優先という考えが全くなかった。いい人 を採れ、という方針だった。

ここだけの話だが、「議員から声がかかっている奴の名前出せ。そういう奴は落とせ。人の力を借り るような奴はいらない」と、当時の市長はそういうタイプの人だった。

そういうことで、市役所に地元以外の出身者がぼちぼち入り始めた。でも、地元に入ると、宇土のよ うな田舎だと、よそ者として仲間はずれにされる。「よそもの」としてレッテルをはられる風土があっ た。それが私は悔しくてたまらなかった。宇土市のためにやろう、動こう、今の宇土市のいいところを 見つけて、こういうのを何とかアピールして動こうとしているときに、「おまえはよそものだから」と か言う風土があったので、それを何とか払拭したかった。そのためには、自分が宇土のまちのためにな ることをしないといけない、宇土市役所に自分の足跡を残してやろうと思った。誰からなんと言われて も、あいつがここにいたからと言われるようにならないといけないと思うようになった。それからは何 かを頼まれたら絶対に断らないことにした。貧乏暇なしといわれるほど何かにずっと関わってきた。

「何で忙しいのにそんなことばかりやっているの?」と人からいわれるが、最初は「いやー、断れない のですよ」と言っていた。実際は、好きだからやっている。だから、そのうちに「好きだから仕方ない」

「好きでやっているのだから文句ないでしょ」と人には答えるようにした。そうしていたら、もう人か

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らそういうことを言われなくなった。そういうことを通して何か地元のためになればいいなぁと思って いた。でも、地元のためになるというよりも、自分が満足したい、その結果地元のためになればいいの かなと思っていたのだと思う。

いろんな人とつきあうようになって、役所を外からみるようになった。役所の中でやっていることと 外でやっていることは全然違うということがわかった。役所の常識は世間の非常識といわれるくらい、 役所の中では当たり前のことが、外では当たり前でないことがたくさんある。たとえば、仕事のときに 暑いからスリッパを履いて仕事をしていたのだが、じゃ、銀行とかふつうのお店でスリッパを履いて仕 事している人がいるかというと、絶対にいない。でも、役所だったら当たり前というのが当時の役所だ った。でも、お客さんがこられるところで、スリッパサンダルがけで仕事をするのはお客さんに対して 失礼だと思うのだが、役所の中ではあまり議論にならない。「暑いから仕方ない」「そっちの方が疲れな いし、楽だからいい」「健康的にもいいのではないか」そういう理屈になる。そういうような小さいこ とから大きいことまでいろいろあるのだが、役所の中の常識は世間では通用しないということに気づい た。

役所の中でいろいろ仕事をするときに、これは「市民のために」といってやるが、市民は興味も持っ てくれてないし、あまり喜んでくれてない。何のためにやっているのかわからないということがある。 そういうことも、外で聞くと感じることがある。それは結局、机の上でしか考えていないから。その効 果は外にでないとわからない。外でいろんな人とつきあうとわかるようになる。

職員は、「こういう仕事をやりましょう」となったときに、いかに仕事をやりやすくするか、問題が おこらないかということは考えるが、そのようなことを中心に考えていくと、市民が望んでいることや、 市民のメリットから離れていくような気がしている。

役所内部での仕事の進め方を追求していくと、市民にとってはマイナスになってしまっている。 それはどっちがいいということではなく、バランスをとる必要があって、視点を役所の外において見 る。役所の職員ではく、市民としてその事業を見つめる、こういったことを考えながら、最終的にはバ ランスを取る必要があるのかなということも感じてきた。

職員として、「これはいかんなー」と感じること、そしてまちづくり活動を通して、熱い市民がいる、 そして、市民と役所の考えに相当な開きがあることに気づいて、じゃあ、何かやろう、生ぬるい体質を 何とか変えようじゃないかと動き出したのが30代のとき。上の人に言っても変わらないので、若手職 員の勉強会をはじめた。当時は人事にいたが、よその仕事は知らないということで、みんなで資料を持 ち寄ってよその部署の仕事を知る勉強会をやった。応援してくれる先輩がいる一方、相当足も引っ張ら れた。ある先輩に呼ばれて、「誰に断ってそういうことをやるのか」「おまえがリーダーになるのは10 0年早い」みたいなことをうだうだと夜中まで言われた。

誰にも迷惑かけていないと突っぱねていたら、妨害工作がつづいた。

しかし、若い職員はいろんな勉強をして成長していくので、上(先輩の言葉)は無視して、次の世代 を担う人を大事にしてきたつもり。

2年くらいやって、勉強会自体はやめることになったが、その頃感じていたのは、「鉄は熱いうちに 打て」じゃないが、新たに入ってきた人には本当のことを教えてあげよう、成長するきっかけを作って あげよう、このような思いをもつようになった。

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私は、精一杯仕事はやっていたが、公務員というだけでいろんなことを言われる。それが我慢ならず に、悔しかった。言う人に対して「私に言うな。私の仕事をみてからいえ」と食ってかかっていた。マ スコミ報道などで、市民も誘導される部分もあるのかもしれないが、やはり、精一杯がんばっているの であれば、自分たちもアピールすべきだ。アピールするためには、更に頑張って仕事をしないといけな い。認めてもらうようにしていかないといけない。

そのころに、公務員を批判する人に対して何か抵抗したいと思い、HPを開設した。「地方公務員も 物申す」というサイトで、1999年開設だったと思う。いろんなことを発信したり、掲示板で討論し たりした。

HPをみた出版社から話があり、本を出すことになった。「The 市役所改革」という本を出版させて いただいた。

これがのちのち選挙につながってくるのだが、まぁ、それは置いておいて、私は、人事係長をやって いたが、今、宇土市では、人事考課制度を入れている。平成16年に導入をして、2年間試行して、平 成18年から本格導入という形でやった制度である。組合に話を持っていくと、「平等な給与」という 話になる。公務員特有の「入って5年目はいくらだ」「10年目はいくらだ」という例の階段式の公務 員の給与体系。ここを崩す必要があるのではないかという思いもあって、最終的には信賞必罰で、悪い 人は落とす、上げない、いい人は少しプラスをするというような制度になっている。

仕事をした人に出すのはいいと思うが、少なくとも仕事をしない人、足を引っ張る人の給料を上げち ゃならないというのが持論としてある。そこを上げていくからいろんな問題も起こってくるのではない かと思っている。全然仕事をせずにさぼってばかりいる人も同じように給与が上がっていくというのは、 これは許せない。そういう人たちは、上げる幅を減らすとかいうようなことをやったがいいという発想 で、人事考課制度を導入している。これもぬるま湯対策だと思っている。生ぬるい体制の中で、そのま まではやっていけないということを示すのがこの制度だと思っている。このような制度の導入にも係長 になったばっかりのときに関わってきた。

4 何かやろう!何か出来るはず!

本を出したあと、人吉でちょうどオフ会があったときに参加して、その後宇土でもオフサイトミーテ ィングをたちあげた。最初は学習会的な位置づけだったのだが、だんだん趣旨が変わってきて、職員間 でまちおこしに取り組もうという動きになった。職員として仕事をするのは当たり前、それにプラスし て何かできることはないかと考え、みんなで議論して、自分たちでまちおこし活動をやってみようと取 り組んだのが「お茶漬けプロジェクト」。

宇土市には、商工会とか飲食業組合とかいろんな団体があるのだが、これが個別の団体としては活動 できるのだが、違う団体の所属ならば取り扱ってくれない。しかし何の団体にも所属していないような 店も多い。宇土でB級グルメ的なことをやろうというときに、一つの枠を中心にしたら何もできないの で、その枠を取り払おうと。そして、私たち市の職員も、仕事ではなく、アフターファイブでやろうと いうことで、とにかく、商工会に入っているとか所属がどこだとか関係なく、宇土市にあるお店に声を かけようということではじめたもの。

休みの日に取材があったり、お店を回ってくどきまわったり、そのようなことを全部職員でやった。

これが効果があったかどうかはわからないが、職員としてよかったと思うのは、例えば、「宇土市の 活性化をしましょう」というようなことはみんな思うが、仕事としてどうかということになると、市民

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課の職員はできない、関われない。教育委員会の職員、学校教育をやっている職員は仕事上では関われ ない。

でも、まちをよくしたいという思いは絶対にある。そういう思いを形にすることができた。そして、 これは役所がやるんじゃない、これは自分たちが市民グループとしてやるんだという位置づけで、お茶 漬けプロジェクトをはじめた。

最初これを始めたときは取材が多くて、仕事なんかできる状態ではなくて、大変だった。

人事係長としての公務では対応できない。しかし、マスコミの取材はチャンスなので、「これを逃し てはいかん」と思い、休んでマスコミと同行したりしていた。その頃、一緒に仕事をしていた同僚の方 たちには迷惑をかけたとは思うが、それなりに効果はあったなぁと思っている。

ただ、事務所もなく、市の職員がボランティア的にやるには限界があり、2年目からは観光物産協会 にお願いして、事務局をやってもらっている。効果は最初ほどはないような気もしているが、いろいろ と苦労しながらやられているのでそれはそれでいいのかなと思っている。

職員でもやろうと思えばこういうこともできる。これも、直接言われたことはないけれども、「あい つらがいらんことしやがって」と思っている人もいると思う。組織の中にはおそらくそんな目で見てい る人はいると思うのだが、悪いことはしてないので、堂々とやれば、何も遠慮することはない。

最近では、オフサイトミーティングの方で、「ふるさとCM」というものの募集に応募したりしてい る。

熊本のテレビ局でふるさとCMコンテストというものの募集があっており、優秀賞をとったら、テレ ビで流してくれるというもの。金賞をとったら50回流してくれる。

行政の部もあるため、宇土市では、オフサイトミーティング有志でやろうということになり、これも メンバーだけでシナリオを作り、撮影して編集し、応募をした。去年は5本CMを出した。そのうち1 本が金賞をとった。

実は県外でも流してもらっているらしい。

こういうのも、市として取り組むのではなく、職員有志で取り組もうということでやっている。 こういうことを市としてやるのと、職員有志で取り組むことの違いは、行政が公務でいろいろとやる と、「何でうちの店を使わないんだ」とか、「こっちの店だけ出して、どうしてこっちの店を出してくれ なかったんだ」とかいう話になる。そういうのを考えたら、職員で自由に自分たちの発想で、誰にも遠 慮することなく出すのが一番いい。

職員も、「何とか地元のためにならないかなぁ」とか自分たちが思っている夢を少し形にできないか なぁということで、オフサイトミーティングの方で取り組んでみているところである。いろんな知恵を 出してやるのはストレス発散にもなる。

5 市長になって感じたこと

そんなことをいろいろやっていたら、選挙という話になった。平成21年の9月頃に選挙に出ないか という話が実はあったが、私は、子供を抱えて、家族を抱えて、そんなばかげたことをするつもりはな いと、ずっと断り続けていた。しかし、最後に、12月22日くらいだったかと思うが、人を集めるか ら、みんながいる前で「出ない」と表明してくれと言われたので出ていった。私はそもそも市長になる 夢もなかったし、市長という仕事がどれだけ大変かも知っていた。そこで、みんなが集まる会場に出向

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き、「申し訳ありませんが、私は出ません」といったら、会場がシーンとなった。

そこで出てきたのが本のことだった。ある人が本のことに触れ、「あれは何のために書いたんだ。市 役所のここがおかしい、あれがおかしいと書いているじゃないか。書くだけだったら誰でもできる。何 で自分で変えようとしないのか。なぜ立ち上がらないんだ」と言われた。それで、私も無駄な正義感が 強くて、無鉄砲な性格なので、かーっときて、そこで決断してしまった。市役所を辞めると。そして、 家に帰って、嫁さんと子供を集めて、「市役所辞めるから」と言ったのが、12月22日の夜だった。 そして、28日には辞職願を市役所に出して、市役所をやめた。そして、選挙に臨むことになった。

思いはよかったんだけれども、実際、選挙になると、現職相手に戦う厳しさ、そして自分自身の知名 度の低さというのも痛感した。地元ではいろいろと活動していたので、ちょっとは名前も知られている と思っていたが、宇土市も広いし、人口3万8千人もいると、自分のことを知らない人ばかり。「何で あなたは市役所を辞めたの?市長よりも職員の方がいいのではないか。もったいない」と、行くところ 行くところで必ず言われた。そんなこと言われても、もう市役所は辞めているし、選挙活動を頑張るし かなかった。朝目覚めて、選挙運動はきついので今日はやめたいなーとか、雨が降ってるから今日はい いかー、なんて思ったりもしたが、隣に寝ている子供の顔を見ると、「父ちゃんはこんなことではいか ん、父ちゃんが今怠けたらこの子供たちはどうなるんだ」というような思いもしながら、何とか頑張っ た。最終的には、いろんな方の支援があって当選した。やはり、市民の思いとしては、「宇土市は何と かして変わらなければならない」というものがあって、その方たちが応援してくれたんだろうと思う。 そういう意味で、市長にはなったものの、市長にもともとなりたかったわけではなかったし、何でなっ ちゃったんだろう?という感じだったが、なったからには、私なりには頑張ってやっているつもりであ る。

役所では係長だったから、課長補佐以上の幹部連中は、全部、一人残らず自分の先輩だった。 実際、相当やりにくいのはやりにくい。それと、自分も役所の中で経験したのはほとんど総務系ばか りで、福祉も行ったことなければ、財政も行ったことない、税も行ったことないということで、主要な ところは全部行ったことないものだから、情報は仕入れているので少しはわかっても、細かいところに なると全然わからないのに、最終的な決断は全部市長に回ってくる。そういうところは相当大変だなぁ という思いがする。

でも、それは、部下のみなさんがスクラムを組んでいろんな情報を教えてもらったりして、何とかや っているところである。

前の市長もとてもすばらしい人だったけれども、一人の力というのは限界があるということを市長に なってから相当感じた。

市長がやる気があっても、職員がそっぽを向いて、市長に情報をくれなかったら、市長でも一人じゃ 何にもできない。そういう意味では、組織という一つ一つの歯車を大事にしていかないと、組織は回ら ないなというのが、最近強く思っていること。

私も、「いろんな市民の意見を聞きます」というのは市民活動を通して思っていたことで、市民のみ なさんと交わろうと思って、いろいろお声かけしてくれるところには全部行くようにしているし、時間 がないときや病気のとき以外は、必ずみなさんと飲むようにしている。おかげで、選挙のときには8キ ロやせたが、市長になって2ヶ月で9キロぐらい戻ってしまった。今ではそれから3キロくらいパワー アップしてしまっている。(笑)

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運動しろと言われてはいるが、私が運動したのは選挙運動だけで、選挙運動以来運動をしていないの で、太ってしまってどうしようもないのだが、体には気をつけながら少しは静養もしていかないといけ ないと思っている。

市長になってよかったことは、今まで職員時代に「こうすればいいなー、こうしたい」と思っていた ことができるようになったこと。「なぜこういうようなやり方をするんだろう」と思っていたことを変 えることができるようになった。これはやはり夢を形にできるようになったことだろうと思う。そうい う意味では市長の権限は大きいと思った。

一方では、できないことにはそれなりの理由があるんだということも気づいた。

6 職員に望むこと

最近思っていることとして、職員に望むことということだが、まずは、役所内だけで考えるのではな く、外に出て、市民と交わって考えよう。市民の団体でもサークルでもいいので、市民の生の声を聞く のは本当にプラスになる。

こういうような集まりに参加し、よその自治体の話を聞くのも参考になる。ただ、よその例はストレ ートにもってきてもなかなかできない。よその事例を自分の自治体の風土にアレンジして取り入れるこ とはできる。そういう意味では、同じ役所の中、同じ部署の職員とばかりいつも議論していても何も進 まないのではないかと思う。まずは外に出ようということがまず1つ。

そして、2つめは、モノ言わぬ公務員でなく、モノがいえる公務員になってもらいたい。

自分の信念があったら、まずはぶつけよう。それがかなわなくても仕方ない。「どうせ無理だから」 ではなくて、本当に自分が「これが正しい」と思うのであれば、ぜひ、モノを申してもらいたい。

若い人には、指示を受ける前に、次は何をするかぐらいのことは考えて、少し先を見て仕事をしても らいたいとも思う。

3つめは、「出る杭は打たれる」と言うが、私は今まで、「打てるものなら打ってみろ、抜けるものな ら抜いてみろ」という気持ちで、実は仕事をやってきたが、最近、組織の長になって初めてわかったと いうか、それもちょっと違うのかなという気持ちもでてきた。

出る杭が何本もあればいいのかと思っていたが、杭をいっぱい出せばいいというものではないと思う ようになった。杭をいっぱい出せばいい。1本じゃなくて10本あれば目立たない。20本あればもっ と目立たない。100本出れば、出ていることがふつうになる。これはこれで間違いはないのだが、杭 というのはやはり一本じゃだめである。一本が2カ所あるよりも、2本で一本の方が叩きにくいし抜け にくい。杭が3本固まっていた方がもっと強い。そういう意味では、グループというか、組織が大事な のではないかと思う。だから、一人だけ出る杭になっても、なかなか厳しい。組織の中で叩かれてしま うけれども、同じ思いを持った仲間が、グループとして、杭の束をいくつも作れるような組織が一番強 いのではないかと最近では思っている。昔から何とかリーダーを作りたいと思っていたが、リーダーひ とりじゃ何にもできない。リーダーが持ってない部分、違う要素を持っている人たちとグループを組ん で、組織として動けるようになることが大事。そういうのが増えてこないかなーと思っている。さっき のオフサイトミーティングの話と被るが、やはり一人でじゃビデオを作ろうと思ってもできない。みん なが一緒になると、いい意見が出るし、いい仕事もできるし、思いを形にすることができる。なので、

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仲間づくりをしていただきたいと思う。

タイトルは「はじめの一歩」となっているが、じゃ、どうやって仲間づくりを始めるかということだ が、今よりもっと違う人やグループに関わってみるということをやってみるのも大事ではないか。一人 では何もできないが、仲間と一緒に考えるといい知恵も出るし、力にもなる。そして、みんなで一歩踏 み出せるような組織、グループを作り、そのなかで活動している自然にリーダーになる人が出てくると 思う。リーダーを立ててグループを作るのではなく、グループを作ってリーダーが出てくるというのが いいと思う。そういったことにもぜひ取り組んでいただきたいと思う。

私の座右の銘を紹介したい。「進取敢為(しんしゅかんい)」これは私の母校である宇土高校の校歌に 入っている。

意味は、「みずから進んで物事に取り組む、困難があっても成し遂げる、挑戦する」ということ。 まずは一歩踏み出して、仲間を作ってみよう、何かに取り組んでみようと思ってもらうことが、みな さんの町をよりよくしていくのではないかと思う。

7 質疑応答 Q 山路さん

市民の意見を聞いて、どのようなことに生かそうと思われているか?

A 市民に意見を聞いてもできないことばかり。もちろんできない理由もある。市民の中に意見がある のを知っていてやらないのと、知らなくてやれないのでは大違いである。

知っていれば、ほかの政策に生かせるということもある。 知っているのと知らないのでは大違い。

建築の補助をもらった余りのお金で道路は作れない。そういうことは市役所の職員なら誰でもわかる が、市民にはきちんと説明してあげれば、市民の納得にもつながる。

Q 中西さん

昨日お茶漬けがすごくおいしかった。

職員時代に見えなかったことが市長になって見えたこと。 職員にどうやって伝えているか。

A 市長になってわかったことは、自分ひとりではできないということ。そういう意味では、黙って計 算をしてくれる人、チェックをしてくれる人がいないと組織は回らないということ。リーダーを作る ことばかりを考えていたが、そうではないということがわかった。職員への伝え方は難しいところ。

Q 橋本さん

さっきのCM、ちょうど地元で1ヶ月前に見た。

オフサイトミーティングの集まりで、どうやって参加する職員を集めたのか。

A 職員全部にメールを出して、お誘いをした。

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その前に何人か思いがありそうな人には声をかけていた。

ただ、どうも行きづらいという状況があるようだ。新規に行くというのは相当勇気がいるようなので、 そういうのをあまり感じさせないようにするために、テーマを打ち出すようにした。興味関心がある ときに参加しやすいように。一回参加してみれば、自分にあまり関係がないテーマのときでも参加で きるようになる。だから、参加メンバーは結構流動的。

何人か発起人の名前を表に出して、その人が参加するのであれば、行きたいと思う人が何人か来るか なーというような感じで。

参照

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一︑意見の自由は︑公務員に保障される︒ ントを受けたことまたはそれを拒絶したこと