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最近の更新履歴 ボードゲーム読書会@高田馬場

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Academic year: 2018

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4.5 Tony Bath のハイボリア・キャンペーン

・征服王コナンの世界ハイボリアを舞台にしたミニチュア・ウォーゲーム・キャンペーン。イギリス。

・1950 年代後半∼1970 年代前半まで。1973 年には、キャンペーンを運営するための本 Setting up a Wargmaes Campaign を書いている。

・ファンタジー世界とウォーゲームを接合したおそらく最初の試み。

・ブラックムーア/D&D と比べるとソード&ソーサリーな物語性は薄い ・あと初期においては魔法性も薄い(Featherstone が嫌がったらしい)

・Bath にとっては、自由の効く舞台設定でぶつ切れでない連続性のあるミニチュアゲームキャンペーンをやることが重要だった

・最初(1950 年代後半)は 1 人で実施、後に Donald Featherstone などが参加

・Jack Scruby や Featherstone の雑誌にリプレイ記事が載っていた →ガイギャックスはこのリプレイ記事を読んでいる可能性が高い。

但し、前述の通りスタイルがかなり違うので、Chainmail / D&D への影響は限定的と考えられる。

・初期には政略レベルから戦闘レベルまで全階層を扱っていたが、プレイヤー内での利害衝突の問題など、運営に支障が出た

→後期(1968-)には、ゲームマスターを一人立てた上で各プレイヤーが君主個人(コナンなど既存の書物から借用したキャラクター)を プレイするスタイルに移行(RAND のシミュレーションとほぼ同型)。プレイ人数も増えた(1969 年時点で 17 人)。

・また、1970 年代に入ると、Society of the Ancients のメンバーとのキャンペーンを開始した。 この頃になると、初期と異なり、ファンタジーとか即興とかそういうのを好む参加者が多くなった。

人数も増加し(Society of the Ancients のメンバー数は 73 年には 890 人を数えた)、むしろ制御の難しさが問題となった。

・Bath はハイボリア・キャンペーンのプレイ記録を編年体やキャラクターの日記や新聞といった凝った形で残していた。 (1973-4 年に A History of Hyboria としてまとめられている)

ハイボリアは結局のところ D&D のようなセンセーションにはならなかったのだが、著者は主な理由として以下を挙げている。 ・メールでの遣り取りが主体だった

・また、編年体での記録など方向性が渋好みで、パルプファンタジーを即興で再現、みたいな方向に行かなかった ・結果として、プレイヤーは没入感を得ることが少なかった

ただし、(5 章に出てくるように)このハイボリア・キャンペーンは、70 年代最大のミニチュア製造会社 MiniFigs の 直接的な母体となっており(Tony Bath 自身も後に MiniFigs に入社)、むしろミニチュアゲームの歴史において重要。

4.6 ミッドガルド現象

もう一つ、「D&D にならなかった例」として、ミッドガルドを挙げる。ミッドガルドはハイボリアより更に D&D に近い。 ただし、ミッドガルドはひとつの集団やキャンペーンやゲームではない。

・最初に、オーストリアの SF ファンジン「Lands of Wonder」周りの人々が 67 年に始めた Kriegsspeil 式の マルチゲーム「Armageddon」がある。SF の人がやってたゲームなので、ヒーローや魔法使いが登場していた。 また、このゲームも単発ではなくキャンペーンとしてプレイされた。

・さて、1970 年、独逸はハイデルベルグでワールド SF コンベンション"HeiCon"が開かれたのだが、ここに

Armageddon のチラシも置かれていた。で、H.Patterson というトールキンファンで郵便ディプロマシー好きのイギリス人が このチラシを見て、似たようなことを英国でやってみようと思い立ち、そのためのファンジン「Midgard」を創刊。

Midgard は Armageddon に比べると遥かにキャラクタードリブンなゲームとして(1 プレイヤー1 キャラのゲームとして)構想され、 キャラクターの「ロール」の概念も存在し、GM(という言葉が出てくる)が提供する舞台で冒険するオープエンドのゲームだった。 かなり D&D に近いゲームだが、パーティや経験値や戦闘モードの概念がなく、確固たるルールがなかなか定まらず、かつ郵便ゲームだった。 (つまり、RPG というよりはメイルゲームの直接の祖先と言うべき形式だった)

Midgard は Featherstone の雑誌に紹介されたりもしたのだが、Patterson はディプロマシーのほうが大事だったので、 結局 Midgard は脇に置かれることになった。(なお、Patterson は 75 年夏に D&D に出会い、強く推奨する記事を書いている)

・Patterson はアメリカの郵便ディプロマシー界とも繋がりがあり、そちらでも Midgard の宣伝をしていたので、 アメリカでも Midgard の名前を知っている人が居た。そのうちの 1 人である T. E. Drake が Patterson の許可を得て、 独自のヴァリアント「Midgard II」を 1972 年夏に立ち上げた。Midgard II は成長の概念を持ち、郵便プレイという点を除けば D&D に非常に近いものだった。また、Midgard II はガイギャックスたちのコミュニティと近いところで活動しており、 ほぼ確実にガイギャックスは 1972 年夏の時点で Midgard II のことを知っていたと考えられる(ただし、1972 年夏といえば 既に Blackmoor が存在しており、D&D が Midgard II の影響で出来たとは言い難い)。

Midgard II が D&D ほどの影響力を持たなかったのは、定まったルールを持たずキャンペーンとしてのみ運営されたこと、 郵便ゲームだったこと、そもそも商業的な野心が全く無かったこと、などが挙げられる。

4.7 節は、4 章のまとめ。4.5/4.6 節の各ゲームとの共通項としてディプロマシーやファンタジー、ウォーゲームが確認されると共に、 それらとの差異として、改めて没入感の重要性が強調される。

参照

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