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第Ⅵ章 WACC と ROIC――企業価値との関連を中心に
第Ⅱ章ではMPTの到達点としてCAPMを考察したが、本章では企業価値との関連を中 心に、WACC(ワック)と呼ばれる加重平均資本コスト(weighted average cost of capital)
と、ROIC(ロイック)と呼ばれる投下資本利益率(return on invested capital)につい て考察する。
本章では、まず企業の資本コストについて説明し、DCF法による企業価値評価を考察す る。そして、WACCと企業価値評価の応用問題として、公募増資と企業価値についてNPV を用いて考察する。次に、ROICと企業価値の創造について考察する。最後に、EVAスプ レッドと株価の関係を考察することによって、WACC,ROIC,NPV,EVAと効率的市場 仮説との関係を確認する。
1.WACC と企業価値評価
資本コスト
資本コストとは、資本市場で要求される最低限の期待収益率であり、資本提供者が要求 する必要収益率といえる。これは経済学の機会費用の考え方に基づき、リスクを反映した 概念である。
資本提供者は、その負担するリスクの相違によって債権者と株主に大別される。同様に、
企業の資本は他人資本と自己資本に大別される。このため資本コストは、債権者の必要収 益率と株主の必要収益率から構成され、前者は負債コスト、後者は株主資本コストと呼ば れる。具体的には、負債コストは社債や銀行借入れなど負債の利子率であり、株主資本コ ストは株式の期待収益率である。
企業の資本コストは、負債コストと株主資本コストの加重平均であり、WACCと呼ばれ る。WACCは次式で定義される。
ED r
E D T E Er
D WACC D
1 ………(6-1)
D:負債の価値、E:株主資本の価値、rD:負債コスト、rE:株主資本コスト、
T:法人税率
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負債コストrDに(1-T)を掛けるのは、利子費用が損金として処理されるので、その分だ け法人税の負担が軽くなるからである。
なお、複数の事業を営む企業において、リスクは事業ごとに異なるため、理論的には WACCは事業ごとに推計されるべきである。
資本資産評価モデルと株主資本コストの推計
株主資本コストの推計方法として、第Ⅱ章で前述した証券市場に関するいくつかの仮定 の下で、CAPMを用いることが一般的である。CAPMは次式で示される。
ri rf i
E
rm rf
E β ………(6-2)
E(ri):株式iの期待収益率(株主資本コスト)、rf:リスクフリー・レート、
βi:株式iのベータ値、E(rm):市場ポートフォリオの期待収益率、
E(rm)-rf:市場リスク・プレミアム
(6-2)式から、β値と株主資本コストの関係について確認すると、次のようになる。すなわ ち、β値が大きいほど、株主資本コストも大きくなる。したがって、負債コストと株主資 本コストとの加重平均であるWACCもまた、β値が大きいほど大きくなる。
なお、CAPMを用いて株主資本コストを求めることは、現在ではナイーブ過ぎるかもし れない。Fama and French (1992) は、β,企業サイズ(株式時価総額)、レバレッジ、簿 価/時価比率(株価純資産倍率の逆数)、収益/株価比率(株価収益率の逆数)を用いたファ クターモデルによって、株式の期待収益率のクロス・セクション分析を行っている。それ によると、1963 年から 90 年の米国株式市場の分析において、「企業サイズとは無関係な βの変動を考慮すると、βと平均収益率の間に信頼しうる相関はない」1という。
このため、株主資本コストの推計には、Ross (1976) が提起したAPT(裁定価格理論)
に基礎を置くマルチ・ファクターモデルを使うべきだろう。この場合、Fama and French
(1992; 1993; 2012) などの実証研究の成果を参考にして、ファクターを選択しなければな
らない。
しかし、この分野のわが国の株式市場を対象にした実証研究の蓄積はまだ十分ではない といえるだろう。
1 Fama and French (1992) p.445.
第Ⅵ章 WACCとROIC
49 DCF法による企業価値
企業価値 の評価を巡って、様々 な手法が研究・開発さ れている。ここで は DCF
(discounted cash flow:割引キャッシュフロー)法を用いて、企業価値とWACCの関係 を極めてシンプルに整理してみる。
企業価値は、企業の事業価値と非事業用資産価値の和と定義できる。非事業用資産価値 とは、事業価値の算定の基になるフリー・キャッシュフローを生み出すために必要ではな い資産であり、たとえば、余剰現金、余剰投資有価証券、遊休資産などが該当する2。
事業価値EVは、企業が将来稼ぎ出すFCFの割引現在価値の総和であり、次式で示すこ とができる。
WACCn
nFCF WACC
FCF WACC
EV FCF
1 1 1 2 2 1 ………(6-3)
FCFn:n年後のフリー・キャッシュフロー
(6-3)式から WACC の低下が事業価値を増大させ、したがって企業価値を増大させること
がわかる。また、フリー・キャッシュフローの成長率が高ければ高いほど、企業価値は増 大することがわかる。
フリー・キャッシュフローとは、「企業がその本業の事業活動によって 1 年間に生み出 す、正味のキャッシュフロー」と定義され、次式で示される3。
フリー・キャッシュフロー=
営業利益×(1-実効税率)+減価償却費-(追加設備投資+追加運転資本)
税引後営業利益(NOPAT; net operating profit after tax)に減価償却費を加えたものが税 引後営業キャッシュフローである。フリー・キャッシュフローとは、税引後営業キャッシ ュフローから追加的な設備投資額と運転資本の増加額を控除したものである。
フリー・キャッシュフローとは、経営者の「自由」になるキャッシュフローという意味 であり、理論的には資金提供者たる株主と債権者に帰属すると考えられる。
2 鈴木 (2004) 31-32頁。
3 大津 (2005) 178頁。
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2.公募増資と企業価値
公募増資――MMの命題との関連で
本節では、WACCと企業価値評価の応用問題として、公募増資と企業価値について考察 してみよう。企業が資金を調達するために、時価発行による公募形式によって投資家から 払い込みを受けて新株を発行することを公募増資(時価発行・公募形式による有償増資)
という。公募増資が企業価値や株価に与える影響については、多くの理論的考察が行われ てきた。
公募増資によって借入金を返済する場合、完全資本市場のもとで法人税がないならば、
企業価値は影響を受けない。法人税がないならば、完全資本市場のもとで、企業価値は資 本構成(負債と株主資本の比率)と無関連であるからである(MM の無関連命題)4。企 業価値が不変であるならば、株式の総市場価値も不変であり、公募増資による株式数の増 加は株価を下落させるはずである。
法人税を考慮すると、利子費用が損金として処理されるので、負債利用による節税効果 が働く。負債利用による節税効果の現在価値分だけ企業価値は増大する5。
公募増資によって借入金を返済する場合、株主資本比率が上昇し負債比率が低下するた め、節税効果は低下する。これは企業価値を低下させ、株価を下落させる要因となる。し かし、負債比率の低下は、一方で倒産コストの低下をもたらし、企業価値を増大させる要 因となる6。
また、株主・経営者間、および債権者・経営者間の情報の非対称性に注目すれば、エー ジェンシー・コストを考えることができる7。株主・経営者間の場合、株主をプリンシパル
(委託者)、経営者をエージェント(受託者)とすれば、監査やディスクロージャーのため のコストは、株式発行のエージェンシー・コストとなる。これは株主資本比率を高めるほ ど(負債比率を低めるほど)、上昇するだろう。
債権者・経営者間の場合、債権者をプリンシパル、経営者をエージェントとすれば、債 務制限条項等の機会コストは、負債のエージェンシー・コストとなる。これは負債比率を 高めるほど(株主資本比率を低めるほど)、上昇するだろう。こうしたエージェンシー・コ ストの総和の現在価値を最小にするような資本構成が、企業価値を最も高めると考えられ
4 MMの無関連命題はMMの第1命題とも呼ばれ、Modigliani and Miller (1958) によって提起された ものである。亀川 (1993) 第6章は、Modigliani and Miller (1958) およびModigliani and Miller (1969) にもとにMMの3命題を考察している。なお、亀川 (1993) 第7章はMM命題を動学的に考察し、第8 章はMM命題と配当政策について、第9章はMM命題と情報の不完全性について考察している。完全資 本市場の下の配当政策に関する先駆的業績としては、Miller and Modigliani (1961) がある。
5 負債利用による法人税の節税効果については、Modigliani and Miller (1963) が先駆的である。
6 Stiglitz (1969). 倒産コストに関する先駆的な実証研究としては、Wagner (1977) がある。
7 最適資本構成を巡るエージェンシー理論の先駆的な業績としては、Jensen and Meckling (1976) があ る。
第Ⅵ章 WACCとROIC
51 る。
このように法人税および倒産コストやエージェンシー・コストを考慮すると、公募増資 による借入金の返済が企業価値や株価に与える影響を、一意的に述べることはできない。
NPVと企業価値
一般に公募増資は企業の投資計画と対になっている。すなわち、公募増資で調達する資 金によって、どのような投資が行われるのを示す投資計画とともに、公募増資は発表され る。株式市場において投資家は投資計画とともに公募増資の是非を判断し、その判断が当 該企業の株価に織り込まれる。この意味で株価は投資家の見解であり、「市場の声」と呼ば れることもある。
公募増資の発表と対になっている投資計画に対する株式市場の評価である「市場の声」
を考察する場合、当該投資の実行が企業価値を創造するのか毀損するのかがひとつの焦点 になる。そこでNPV(net present value:正味現在価値)を用いて、投資計画の是非を 考察してみよう。NPVは、ある投資計画を実行すべきか否かを企業内において判断する際 に使われる経営管理指標である。
NPVは当該事業の将来キャッシュフローを予測し、これをWACCによって割り引いた 現在価値の総和から、当該事業の投資額の現在価値を差し引いたものである。NPVは次式 によって定義される。
WACCn
nFCF WACC
FCF WACC
FCF FCF
NPV
0 1 1 1 2 2 1 ………(6-4)
FCF0:投資額の現在価値、FCF1:1年後のフリー・キャッシュフローの予測値、
FCFn:n年後のフリー・キャッシュフローの予測値
(5-4)式からNPVは投資額の現在価値、WACC,将来のフリー・キャッシュフローの予測
値に依存することがわかる。
NPVがプラスであるならば、当該事業は資金提供者の要求する収益率を上回り、企業価 値を創造するといえる。反対に、NPVがマイナスであるならば、当該事業は資金提供者の 要求する収益率を下回り、企業価値を毀損しているといえる。
NPVがマイナスとなるような投資計画が公募増資とともに発表されるならば、投資家は 企業価値の毀損を予測するので、当該企業の株価は下落するだろう。反対に、NPVがプラ スとなるような投資計画が公募増資とともに発表されるならば、投資家は新たな企業価値 の創造を予測するので株価は上昇するだろう。実は株価がこのように反応するためには、
株式市場が効率的市場仮説の想定するように効率的である必要がある。