3次調査の概要
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ライン問において,幅30〜40c識,深さ15縢前後の溝状遺構も検出されている。畦畔に付随する 他の溝状遺構と規模・方向などに差は認められないことから,同様の性格が考えられる。
以上の畦畔・溝によって合計6面に区画された水田の上面レベルをみると,坪境溝SDI4以 南では東から3。9〜3.95m・3。9〜3。95m・3。9〜3。95m・3。9m・3。9m・3。9〜3.85mを測り,
地形的な落差はないが,9ライン付近を頂部として接する水田間で2。5倣程度の段の存在が東 西方向に認められる。
次に,水田区画の畦畔・溝の間隔を里境の中心を基準としてあげると,1列目までが約 10.8m・2列目までが約18m・以下約33m・約50.4m・約58m・約64。8mである。つまり,そ れぞれの間隔は10。8m・7。2m・15m・17。4m・7.6m・6.8mとなる。とすると,1・3・6 列目はほぼ長地型の10分割の区画線上にのり,2列目は1・3列目の東1/3の線上に,4列目 は本来あるべき4列目と5列目の問を三等分した西1/3の線上に,5列目も本来あるべき5列 目と6列目の問を三等分した東1/3の線上にのってくる。それぞれの比率をあげると東から1
:2/3:2/3×2:1+2/3:2/3:2/3となり,1区画と2/3区画で構成されていることがわかる。
条里の規則性を色濃く残している。
時期は出土した陶磁器類から近世と考えられる。
溝SD韓(図109・110)
4層の溝SDI2の上部に位置する。調査区端部のため平面的にはほとんど検出されなかった が,11・17ラインの断面観察で下部に旧溝が存在することが確認された。上層溝をSD14a,下 層溝をSD14bとする。 SDI4aはdライン上を東西方向に走り,13ラインのところで北に分流し ている。4ライン以東は撹乱で破壊される。幅0.9〜1.lm,深さ45〜4Gc鵬であるが,西端では やや規模を拡大して幅約2mに及ぶ可能性が高い。畦畔も拡大するため深さも60cmに至る。底 面の高さは標高3。45m(西端部)〜3。5m(7ライン)を測り,東から西への傾斜が認められる。
13ラインでの分流は幅2.4m,深さ20c磁,底面の高さは標高3。5mであり,東西方向の本流との 高低差は存在しない。北への部分は,調 d
査区内に長さ約60c鵬しか入らないため, 4.Om
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方向あるいは水流の方向等は不明瞭であ る。いずれの埋土も細礫混じりの灰色土 で〈2層〉に近似する。一方,SDI4bの底
面の高さは3。6m前後で西に下降する。 畦畔 oL『5 m
1.灰色細礫混土 …SD14a 埋土は茶灰色土である。
2.茶灰色土(Mn⇔)…SD14b
SD14の南北両側は畦畔を伴なう。南 図1抑溝SD韓断面図(縮尺1/30)
3次調査の概要
側では,18ライン以東で幅45〜70cm,高さ5〜10cm(標高3。95m前後)で西に向かって規模が拡 大し,23ラインでは幅約lm,高さ約10c瞼(標高4.05m)に至る。一方,北側の畦畔は下部の溝 を埋めた上に形成されている。幅0。3〜0.6m,高さ5cm(標高3。9m)とする規模が想定される。
両側の畦畔を比較すると,高低差では5cm内の差ではあるが,全体として南側がしっかりして
いる。
また,南側の畦畔で,小規模な溝が畦畔を切断している箇所が2箇所認められる。1ヶ所は 7ラインの東80c醗のところである。幅40cm,深さは13cm,底面の高さは標高3.77mを測る。も う1ヶ所は17ラインの東1mのところで,幅1m,深さ10cm,底面の高さは標高3。7m前後で ある。いずれも北側の溝SD14の底から20cm前後上になり,埋土は〈2層〉である。両者は規模 の違いなどやや異なる部分はあるが,そのあり方からSDI4から南の水田への引水溝として機 能した溝と想定される。
本溝の所属時期は,土師器の皿1・伊万里の染め付け等が多く出土していることから,近世に 比定される。また,古代以降の坪境に位置することから,継続的にその性格を有する溝と考え
られる。
溝SD騰(図109)
調査区東端部,1ラインの西側を南北に走る溝である。坪境の溝SDI4と直交する。平面的 には調査区内には西側の肩部がかかる程度である。幅・深さは調査区外にのびるため不明であ るが,断面観察から東への広がりは大きいと思われる。埋土は〈2層〉に近似したものである。
また,西側には畦畔を伴っている。幅lm,高さ10c頭標高3。95m),南端で幅1。3m,高さ3
〜4c鵬(標高3.9m)である。
所属時期は,遺物を伴わないため不明瞭であるが,検出面から近世に属すると考えられる。
また,本溝は中世の里境溝の位置にほぼ合致しており,同様の性格を有する可能性が高い。
溝SDお(図109)
調査区東半,5ライン付近を南北に走る溝でSD15の西10。8mにあたる。幅50cm,深さ10cm,
底面の高さは標高3.8m,埋土は〈2層〉である。また,北半部については,本層上面での撹乱 等で確認できなかった。遺物は出土していないが,検出面から近世に属すると判断される。
溝SD17一⑳(図109)
いずれも南北方向の小規模な畦畔に付随する溝であるため,詳細は畦畔のところで先述した。
一130一
緯 近代の遣構・遣物
綾.2層検嚢の遺構・遺物
本層上面での検出遺構は畝・畦畔・溝・野壷 2基がある。
敵状遺構(図111)
15ライン以西において,南北方向に1.5m前 後の間隔で幅1m前後で認められ,15ライン以 東にはほとんど検出されていない。北はdライ ンを東西に走る溝SD21までで,南は調査区外 に伸びており,30m以上の広がりを有す。
北端部分においては,SD21とeラインの間
(d18〜21区)に,周囲を浅い溝で仕切られた畝 が密に施された小区画の畑状遺構が検出されて いる。苗代的性格が考えられる。
溝SD2囎(図111)
調査区北端,dライン上を東西に走る。幅1
〜L5m,深さ50儂,造成土で埋没している。
南北両側に畦畔を有す。特に,南側ではしっか りしており,幅80〜90c膿・高さ10c鵬(標高 4。Om)を測る。一方,北側は幅30c鵬程・度高さ は約10cmである。また,北側は一段下がってお
り,南北畦畔の高低差は10cmである。
南側では17ラインの東L2mと21ラインの西 1。2mのところに引水口が確認されている。幅 約50cmで,底面の高さはいずれも3。88 mであり,
SD21の高さとは約30cmの差がある。
埋土中からは備前焼・伊万里や唐津等の染め 付けなどの破片約30点が出土している。いずれ も近代に属すると考えられ,その時期に廃棄さ れた溝である。
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