目〜305 圏 〜325
0 ユOm
図ll3 9層検出水圏(縮尺1/600)
考 察
地部と北東〜南西方向に走る谷部を成している。
畦畔の検出状況は,微高地部と谷部で異なっている。微高地部では,本層は12層と7層(古 代)とに挟まれた状態であったため,7層下面近くでの僅かな盛り上がりを追いかけ,それに 加えて本層に伴う鉄分の沈着も手がかりとした。やはり,畦畔の高さは僅かなもので,地形に 沿った軸方向は比較的明瞭であったが,直交する畦畔はやや不明瞭で間隔も均一性に欠けた。
谷部では,上部を黄色系の砂質の強い8層にある程度覆われており,本層が暗い粘質土であっ たことからかなり明瞭に検出することができた。
本層の水田畦畔では谷部への広がりが認められ,調査区の北東部の一角を除く,ほぼ全域で 検出された。検出した水田面数はll5面,水田総面積は約1380㎡にのぼる。その内,一区画の 水田面積の推定可能なものは45面あり,平均5.44㎡,最も多いのは3〜4㎡で,12層よりはや や大きくなる傾向が窺われる(図116)。レベルは高いところで標高3.47m,低いところで標高 3.02mでかなりの比高差が存在する。区画は12層と同様に地形の軸方向に長軸を有する長方形が 中心で,主要な長軸方向の畦畔が2条認められることから,大きな単位での区画が存在した可能 性が想定される。水利施設としては微高地部上に谷に沿って走る幅55cm前後,深さ約20cmの溝が
1条認められる。出土遺物から弥生後期〜古墳時代初頭の問に属すると考えられている。
◎.鍵層検幽水田(図114)
本層は9層段階での谷部を埋める形で堆積しており,その分布はその周辺に限定されている。
検出された水田畦畔は谷部斜面の一部において僅かに残存したものである。出土遺物から弥生 後期〜古墳時代初頭の時期が考えられる。
畦畔の検出は7層除去最終段階の面で
L㌧
若干の盛り上がりを捉えることによって
行つた・状況としては9層の微離6の 1 古凶
状況に近似している。水田面は17面を検 謝31, 標高(,m)
菖〜325 出したが,面積の推定可能なものは6面
1≡1〜330
であった。平均面積は約5㎡,高さは狭 [コ331〜 O一m
い範囲ではあるが,斜面部であることか 図川 8層検出水圏(縮尺1/600)
ら3.15〜3.35mを示している。
d.7層検出水田(図ll5)
本層段階では,地形は大きく変化し,調査区は全域がほぼ平坦な状態となる。出土遺物から 古代(平安時代)の時期が考えられる。8・9層の時期と断絶が認められることからも,大規模 な造成が行われた可能性が高い。畦畔の検出は,畦畔自体の高まりが断面ではほとんど確認で きない状況で,非常に困難であった。本層が脱色による白色化が進んでいたことから,平面的
一136一
に白く走るラインを捉えることで畦畔の可能性を認めた。検出面数は87面,面積推定可能なも のは30面,平均面積は9.1㎡である。畦畔の方向はほぼ方位に合っており、,一区画も3×4m 程度が多く,正方形により近くなっている。水田面のレベルは標高約3.45mである。
水利施設としては,調査区北端部に東西方向に走る溝が認められている。この溝は幅7m以 上の規模を有し,水利調節用の杭群を伴う部分が確認されている。位置的には条里の坪境と想 定される位置にあたることから,深い関連を窺うことができる。
㊧.6層検出水田(図98)
検出状況・所属時期・水利関係・水田畦畔の方向など,7層とほとんど同じ状況であった。
ただし,検出水田面は約30面,面積推定可能水田が8面あるが,平均面積は12〜20m2で7層よ りはやや大きくなり,水田面レベルは3.55m前後である。
奮.5屡検出水醗(図100)
出土遺物から中世(室町時代)の層と考えられる。
畦畔の検出は非常に困難であった。畦畔の高まりからの検出・確認はほとんど不可能な状態 であったため,鉄分・マンガンの沈着などの状況を参考にしている。そのため,上層からの影 響も十分に考えられるが,畦畔の位置が4層とは異なっているため,この面に確実に伴うかど うかは不明瞭であるが,どこかの穀階にこうした状況があった可能性を指摘するにとどめたい。
標高(cm)
巨i≡曇〜335 圏〜350
0 ユOm
図篇5 7層検出水田(縮尺1/600)
考 察
畦畔は幅0.5〜1.5rnで,4〜6m間隔で南北に長く延びる。東西方向の畦畔はほとんど確認さ れていないため各面の面積は不明である。水田面レベルは標高3.65m前後である。水利施設と しては調査区北端付近において6・7層で確認された東西方向の溝が,上層からの破壊を受け ながらも,一部で確認されている。それに加え,新たに調査区東端部に南北方向の溝の存在が 想定されている。この位置は条里の里境に当たることから,それに関わる溝と考えられる。
9.嬉層縷出水騨(図105)
近世の水田層である。やはり,畦畔の検出はやや不明瞭な部分が多く,南北方向に延びてい る畦畔が,上層の位置と一致することを考えあわせると,この面に直接伴う畦畔かどうかにつ いてはやや疑問が残る。水田面レベルは,坪境の溝より南については標高3.85m前後,以北に ついては標高3.65m前後を測り,20cm程度の段差の存在が認められている。水利施設としては
5層と同様の位置に坪境・里境にあたる可能性の強い溝が継続して存在する。
㎞.3層検出水囲(図109)
近世の水田層である。畦畔はかなり明瞭であり,幅20〜30cm,高さ5cm前後を測る。また,
畦畔の脇には小規模な溝が付随する場合が多く見られる。水田レベルは標高3.9m前後である。
以上,各面での水田の概略を記したが,全体としてその変遷は4段階に分けて考えることが できる。各段階の特徴を表記し,まとめとしたい。
〈咽段階〉 弥生時代前期(12層段階)…水田初現期
本調査で認められた特徴としては,限定的な選地と地形に即した小規模な水田区画の設定と いう点が挙げられる。水田畦畔は本調査区における微高地部分にのみ広がりが認められ,谷部 には作られていない。地形的に谷部のレベルが低く,水の影響をかなり受ける状態であったた め水田化ができなかった可能性が考えられる。比較的条件の良い場所が選択されたことが窺わ れる。また,自然地形を最大限利用する,つまり,小規模な区画は地形に合わせた水田形成で あったため,ある程度の水平化を保つためには,小区画が必要であったものと考えられる。主 要な区割りを行った後,必要に応じてその間を仕切る形で畦畔が作られたのではないだろうか。
〈2段階〉 弥生時代後期〜古墳時代初頭(8・9層段階)…水田域の拡大期
本段階では,地形に即した区画の設定については従来と変化はないが,新たに水田域の拡大 化そして水利施設の出現が確認される。9層段階での水田総面積は前段階の約L5倍になって おり,地形的には谷部分が前段階以後の堆積作用で埋まった結果,底面の上昇が水田化を可能 にし,水田域の拡大という現象に現れる。水利施設についても地形に沿っているという点では 大きな改変ではないが,微高地部の最も高いレベルの地点に位置する点から,用水路的な性格 が想定され,より人工的な施設を伴っての水田域の拡大化が指向されていると考えられる。
一138一
〈3段階〉 古代(7・6層段階)…水田経営の再編成期
従来とは大きく異なり,地形の改変と方位に沿った区画の設定・大規模水利施設の出現が特 徴である。水田区画は,依然,小規模であった可能性が高い。前段階と時期的に断絶が存在す るため,水田の変遷を連続的に追うことはできないが,少なくとも,地形は水平化という点で 大きく変化しており,この段階にはすでに広範囲に及ぶ造成が実施されていたことは事実であ る。畦畔の方向も方位に沿った状態に変化しており,調査区北端には東西方向の溝が出現する。
この溝は杭群を伴う大規模な部分を有しており,位置は復元される条里の坪境の位置に一致す る。以上の状況から,本段階は1・2段階とはまったく異なる体制での計画的な水田経営が存 在したものと考えられる。条里制の施行と関連が深いことが窺われる。時期は平安時代を示す。
〈4段階〉 中世以降(5〜3層段階)…水田区画の変化
地形や方向性の点は前段階と変化はない。水利関係については前段階の東西溝に加えて調査 区東端部に南北方向の溝が認められる。条里の里境の位置にほぼ一致し,既に確認されている 坪境の溝に加え里境溝の存在もこの段階までには出現していることがわかる。そして,新たに,
大きな変化として長地型に通じる南北に長い水田区画の出現が挙げられる。
こうした4段階の変化を,周辺地域において概略的に見ると,ほぼ同様のことが看取される。
く ユラ く う く ぶ
1段階での確認例は少ないが,県下では津島遺跡,津島江道遺跡,百間川遺跡群などで確認さ れている。いずれも面積的
にも狭く憤落域よりはや3㌍
竺)や低いが,低湿地には至ら
ない程度のレベルで確認さ 25 〈12層> 5 れている。また,1区画の
強い。本調査で検出した水 15
この段階の特徴としてとら 10 えられる。2段階では,南
(言主 4 ) (言主 5 )
などで確認されている。こ
こにおいても水田の拡大化 012345678910U(㎡)0ユ2345678g10111213ユ4ユ516(㎡)
は進んでいることが認めら
れる。3段階・4段階では 図佃各層検出水闘面積分布