酸化エチレンガス滅菌装置
‑ 低 温 で 完 全 滅 菌 効 果 が 発揮します。
‑被滅菌物に対し汚染,
備触の心配はまったく ありません。
‑臭気・残留毒性の残るニ とはありません。
< 特 許 品 で す >
!E/生省内E変化エチレン滅菌機 製造認示 (3gB第4号) されておりますのは,我が 社だけです。
(カタログ進呈)
我が国で最初に本器の開発に成功し,約
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年たちました。発売以来多数納入させて 頂きました。益々技術を磨き,逐次改良され本日の機械になりました。今後も技術 陣は, 日夜製品の[iIJ
上に努力いたしております。協w..øm:微微鏡倣~働側輯倒閣.磁WØA勿~!!!III I!I !!IIIJIIII JIIIIIIIIJJJ Ir@'..øJ?~~..øJ?~勿røJ'~勿1lI8I1'..øAæ移鰯
⑪ 特 許 理 化 興 業 株 式 会 社
本 社 東 京 都 中 央 区 宝 町 2 ‑ 8 電 話 東 京 (563) 0 7 7 1代表
晩 夏 光
イスタンブール雑記
j度 謹 進
午前9時40分に、ベイルートを飛び立ったパン アメリカン機は飽くまで蒼い晩夏の空を、キプロ スを越えマルモラ海を過ぎて、定刻の11時にはイ スタンブーノレのイエシールキヨイ飛行場に静かに 着陸した。
8月30日である。第21回赤十字国際会議の紋章 である赤十字と紅獅子と、大きな赤い新月(クレ セント〉を固いた板を高く揚げた、白衣姿のト ルコ新月社の看護婦さん達が、ボランテイヤの大 学生ともども飛行機に走り寄って、会議代表団を 出迎えてくれる。旗を飾った飛行場の特別室に は、イスタンブール駐在の塩尻領事さんも居られ て、東竜太郎日赤社長以下5人の日本赤十字代表 団に、にこやかに挨拶された。東京と同じように 焼けつくような暑さであるが、大気はまことに爽 かに乾燥していて肌に心地よかった。
まず、香り高いトルコ煙草をすすめられる。こ の小箱の煙草にも会議紋章のレッテルが貼られ歓 迎の特製品と知られた。
小憩ののち、社長は領事の車で、我々はトルコ 新月社の患者輸送車で市内に向う。赤十字会議の 腕章をつけた、大学生3人が一緒に乗り込んで満 員。この輸送車は窓が聞かない。飛行場から市の 中心まで、は約30kmあるという。大学生の 1人がか なり達者な英語を話し、実に快活に途中説明を加 えてくれた。
ここはイスタンブールの南西に当リ、イエシル
キヨイという海水浴場と漁村のあるところ。飛行 場を出ると、坦々たる道が聞けて、右手はすぐマ ルモラ海。目のさめるような澄んだ蒼い波の色で ある。左手は鉄道が沿うていて、忽ち日本製と覚 しき(山手線の新式国電と同じ型式に見え、クリ ームと赫赤色に塗られている)8両編成の電車が 過ぎた。この辺は新に建てられたらしい団地が続 き、 3階くらいの細長いアパートがいくつも立ち 並ぶ。自動車もかなり多く、いずれも超スピード でとばして行くが、その聞を縫って速歩でゆく、
1、2頭だての馬車がひどく目立つ。
やがて、ゆくてに、古い土色の城壁が見えて来 た。海岸から市内、金角湾まで約8凶の聞の有名 なローマ城壁である。まずテオドシユース帝によ り築かれたこの城壁は実に1400年の歴史を語る。
車が海岸に立つエデイクレ要塞の城門を抜ける と、いよいよ右側はボスボラス海峡となって、尖 塔がそそり立つ回教寺院(モスク〉が夏空を背景 にいくつも浮び出て来た。
トルコ看護学生さんたちと韓国代表朴医学博士(左〉
オリエンタル急行のヨーロツパ側終着点である シルケチ駅から船っき場の喧騒の聞を縫って車は ガラダ橋を渡りヌスレチエ・モスクの所から左に 折れて坂を上り、漸く市の中心であるタクシム広 場に出て会議場である「文化官」に到着。代表と
しての登録を済ますと、マーク入りの大鞄ーぱい の資料が渡された。
イスタンブールはヨーロツパトルコ(ルーメリ ア〉に位置し、ボスボラス海峡(マルモラ海より 黒海へ、その長さ 29.9km。最大幅 3km。最小幅は 700m。深さは最大120m)を 越 え ア ジ ア ト ル コ (アナトリア〕に対するトルコ国第 1の都会であ
日本病院協会雑誌V01.17,N 0. ,11970 63
る。人口約
2 2 0
万〈昭和4 2
年イスタンプール領事 館〕。首都がアンカラに移ってからも依然として この国第一の政治、貿易、交通、経済、軍事の中 心地である。ヨーロツパ人は、ここまで来ると、ここに初め てオリエントを感じ、東洋人はまたここに達し て、造けくもヨーロツパ到着の思いがしたと古来 言われている。
都市は、 658BCギリシヤ民族の首長ピザスが デルヒ神肢の神託をうけて、この七つの正の上に 都を定めそれによりピザンチンと名付けられたと 伝えられている。
次いでローマ帝国に占領され、コンスタンチヌ ス大帝は330年この地に遷都して、名称をコスタ
ンチンチノーフ.ルと改めた。
爾来、 10ω年余りの繁栄を誇ったが、やがてア ナトリヤに勃興したオスマントルコは、
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才の青 年大守スルタン・メフメツト二世を戴き、 1453年 難攻ののち、この都市を陥落せしめた。この激戦 の際敗退する市民が「町の中へ=イス・テン・ボ リγ 」と口々に叫んだのが、やがてオスマント ルコにより市の名前をイスタンブールと改められ た所以であるという。メフメツト二世は直ちに金角湾南方の丘上にト ピカプ大宮殿を建設して権勢を誇った。 1850年代 にこのサルタンの大宮肢は、ボスボラスに臨む、
ドルマパフチエに移ったが、
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年共和国と改ま りアンカラに政府が移るまでの文字通りの主都で あった。 iイスタンブールのー木ー草あらゆるも の、これすべて歴史である。もし口がきけるもの ならば、ここの一つの石くれがどんなに素晴らし い歴史を我々に物語ってくれるであろうか」とト ルコの案内書にも書かれている。※
ボスボラス海峡は、牛の角のような形をして西 北に市街を中断して湾入し、ここに、アタチユル ク橋とガラダ橋の二つが架っている。南岸が所謂 旧市街であり、北岸ベイオールと言われる地区が 新市街であるが、新といっても
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年近い歴史を 有して居る。イスタンブールは世界で、最も美しい と言われる夕焼けの名所で、その時この湾が金色 に輝くので金角湾(ゴールデンホーン〉と呼ばれた。真紅に燃ゆる夕映えの空に全市400に余るモ スク(回教寺院〉のミナレツト(尖塔〉が黒いシ ルエツトを劃す光景は筆舌に尽せぬとのことで、
金角湾上流の南岸には今なお、この夕映えをこよ なく愛したというピエール・ロチが常用したロチ の茶庖(トルコではチヤハイネという〉というの が残っている。
ヒルトン・デバン・パーク・タラパヤといった 全く新しい豪華なホテルも一方にはあるが、イス タンブールの良さは、かえって古くさい裏街に、
石造りの 4層位のごみごみした庶民の住居の裡に ある。なかにはローマ城壁をそのまま壁とした家 も残っているし、日本領事館だって 100年以上の 古い建築だそうだ。そして歴史が語る古来この地 をゆききしたいくつかの民族の血が混じて生まれ たトルコ人のその容貌と心の中に美と善があると 言えよう。
髪の黒っぽい、皮膚も白くない、比較的小柄な トルコ人。男性は好んで美髭を誇り、女性は目鼻 立ちの整った彫りの深い美貌。それですべてがし んからの親日派である。
この市に到着の夜、塩尻領事さん大日向副領事 さんの御夫妻に招待された席上、集ったN H K、 朝日、読売、毎日の特派員の方々も口を揃えてこ のまちの心に凄む良さを語られた。
この日は、ギリシヤに対しての戦勝記念日で家 々には真紅の地に白く新月と星を浮べたこの国の 国旗が翻り、ボスボラスには、この国の駆逐艦ゲ リボル号、ゲムリツク号が満艦飾で碇泊していた が、会食の終る頃テラスに出ると、今しも満月に 近い月が海峡の上に輝き、イルネミーシヨンの艦 の側を対岸ウシユクダラに向うフエリーボートの 銀波を曳いて行き来する情景はまことに忘れ難い 印象であった。
※
赤十字国際会議は4年ごとに、赤十字連盟加盟 国赤十字社と、ジュネーブ条約加盟国政府の夫々 の代表が赤十字国際委員会を中心に開催し同理事 会監理のもとに、国際赤十字事業の方向と大綱を 決める。今回はその第
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回で、 トルコ新月社長リ ザ・ツアーセル氏が主催された。困に回教国は、「赤十字」の紋章に代えて「紅い新月」を紋章に 64 日本病院協会雑誌Vol.17.No.1. 1970
用い、 トルコではKIZILAYOZEL (クズライ。
英文ではレッド、グレセγト・ソサエテイ〉と言 う。
会場の文化宮〈パラス・オプ・カルチユアー〉
は、タクシム広場の一角に聾える堂々たる高層建 築であるが、それでも92加盟国代表〈日本代表西 村アンカラ駐在大使ほか)84の赤十字社代表(日 赤代表東社長ほか〉に、国連代表その他オブザー パーまで入れて7∞人を容れるには少々手ぜまで あった。中共、北鮮、北ベトナムから、ついに代 表派遣が無かったのは遺憾である。
8月29日の分科委員会、 9月1日の連盟理事会 から会議の幕はひかれた。
9月6目、第21回赤十字国際会議総会が開会さ れた。この日12時、現トルコ大統領スナイ将軍夫 妻、ツエルセル新月社長夫妻、 トルコ首相、イス タンプール市長等列席、イスタンプール市管弦楽 団の演奏する壮重な交響楽が極めて印象的であ り、厳かに赤十字基本原則宣言、即ち、人道、公 平、中立、独立、篤志、単一、世界性の朗読があ った。
会場の周囲は正装のトルコ儀伎兵が居ならび、
文化宮の玄関から会場迄の両側には、純白の制服 に黒ネクタイ、帽章に赤い新月を飾った看護大学 の学生が、真白い手袋に長いキヤンド.ルの灯を捧 げて整列し大統領及各国代表の入退場を送った情 景は、まことに感慨深い一刻であった。
会場を一歩出ればタクシム広場の中央に無名戦 士の記念碑があり、ここから八方へ石畳の大道が 岐れている。その道は大きなプラタナスの2列の 並木が中央にあり、その外側を真紅のトロリーパ スが往来する。雲もない真青の晩夏の空。爽かな 風に葉ずれの音を響かせるプラタナス。黄の帯を まいたタクシーの喧騒のうちを整然と通る馬車。
群衆。街ぎわにならぶカフェテリヤからのトルコ コーヒーの香り。
会議は、世界人種の見本市のような異った肌の 色とそれぞれのエキゾチックなお国振りの風俗が 集って赤十字という一つの志に溶けこみ、霧々の うちに議事はスムースに運ぶ、代表席の前には大 きな国名を英文で書いた板がある。賛成だとこれ を抜いて頭上にゆらゆらと打ち振る。
今回は、主としてジュネープ第4条約の「文民の 保護」の徹底が議せられ、世界平和の要因として の赤十字の存在が強調され同時に細菌化学兵器、
原水爆(特にその実験は海空陸とも即事中止〉の 使用禁止の要望が議決され、最後に、 トノレコ新月 社のイスタンプール宣言が採択された。日く「永 続的平和を享有する権利、その他基本的人権を確 保するため法の優位はいかなる所に於ても効果的 に保証されねばならない。」
尚、この間に「昭憲皇太后基金」の増額に対す る日本皇室及び日赤に対する感謝の表明があっ た。
※
9月1日の夕刻、ツエルセエル社長夫妻から 代表団一同はイスタγプール赤新月社看護大学に 招待された。このカレツヂはイスタンプールの西 郊遠くアクサライという風光明掘な所にある。会 場から20台近いパスを連らねて出発。 1時間近く
も石畳の道を揺られて、木立に閉まれた坂の下の 閑かな学校に着いた。私はあとの方のパスだった ので、玄関に出迎えられた、温顔肥大のツエ社長夫 妻に揖手を交わすやいなや押され押されて地階の 食堂に連れ込まれた。隣はドイツ医師とスエーデ ン夫人、むかいは、ナイゼリヤとスベイ γ代表と 言った有様で身動きも出来なければ風も通らぬ。
簡単な食事のあと、大講堂に上って行く。学生さ んの民俗舞踊が9時からあるわけであるが講堂も 大ガラス戸が閉め切ってあるのにはみな参った。
このカレッジはトルコで一番古い看護学校で、
1925年2月に開校。トルコ赤新月社の管理であり 修業は中学校卒業生を入れて年限4年である。約 200名の学生が全寮制度で学んでいる。民族舞踊 は、英語、体操とともに正課に入っている。カリ キユラムについては文部、厚生両省の監督を受け るという。
学校はあってもイスタンブールには赤新月社病 院はないので、実習は市内の病院に行くという。
可愛いい学生さんは舞台で袖と裾の長い美しい 原色の民俗衣裳で踊る。立派なカイゼル髭の壮漢 が大太鼓を腹にかけ、これを打ち鳴らして調子を とる。時々破れるような叱陀がとぷと、学生さん はグルリと向きを変える。全く日本の盆踊りと同
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