申
215て三≡ ヨ:軍
フ 子8
C」181
CT213
CT214
筵餞ぐ
CT207
0 10 1ayer at BK7
CT211
図
2‑7
武家屋敷地 区第7地点20号 土坑03a層出土陶磁器 Fig.2‑7 Porcelains and glazed cerarnics from No.20 earthen pit and 3a17世 紀初頭〜前葉
17世 紀末葉
18世 紀前葉
18世 紀中葉
18世 紀後葉
19世 紀前葉〜中葉
17世 紀初頭〜前葉
17世 紀末葉
18世 紀前葉
18世 紀中葉
18世 紀後葉
19世 紀前葉〜中葉
‐
□ 磁器
■ 陶器
図
2‑9
仙 台城跡二 の丸地 区出土供膳具 (皿類)の
材 質Fig.2‑9 R/1aterials of table ware(diShes)fron■ the second citadel of Sendai Castle
表
2‑1
仙 台城跡二 の丸地 区 出土供膳具 (碗・ 皿類)の
材 質別 出土点数 Tab.2‑l Count of bowis and dishes fron■ the second citadel of Sendai Castle□ 磁器
■ 陶器
図
2‑8
仙 台城跡二 の丸地 区 出土供膳 具 (碗類)の
材 質Fig.2‑8 Materials of table ware(bowiS)frOm the second citadel of Sendai Castle
漆器・木器
漆器・木器
時 期 資 料
碗 類 皿 類 碗・皿識別不明
磁 器 陶 器 漆器等 合 計 磁 器 陶 器 漆器等 合 計 磁 器 陶 器
17世 紀初頭〜前葉 NM9 7・8層、I期遺構
17世 紀末葉
NM5北
区Ⅶ・Ⅵ・V層 4 418世紀前葉 BK7 2号遺構 252 25(19)
18世紀 中葉 BK7 20号土坑 。3a層 7 202 18世 紀後葉 NM9 15・ 16号 土坑
19世 紀前葉〜中葉 NM9 1号池 638 222 208(8) 1
陶器 の向付 や漆器 の椀 蓋 は皿 と して用 い られ る場 合 が多 い と考 え皿 の数量 に含 め てい る。
( )内の数値 は、皿 に含 め た蓋 類 の数。
磁
器
10% 20% 30% 40% 50% 60% 70% 80% 90% 100%
17世紀初頭〜前葉 17世紀末葉a 17世紀末葉b 18世紀前葉a 18世紀前葉b 18世紀中葉 18世紀後葉 18世紀末葉〜19世紀初頭a 18世紀末葉〜19世紀初頭b 19世紀中葉a 19世紀中葉b
17世紀初頭〜前葉 17世紀末葉a 17世紀末葉b 18世紀前葉a 18世紀前葉b 18世紀中葉 18世紀後葉 18世紀末葉〜19世紀初頭a 18世紀末葉〜19世紀初頭b 19世紀中葉a 19世紀中葉b
陶
器
10% 20% 30% 40% 50% 60% 70% 80% 90% 100%
■ 碗類
□ 皿類
□ 碗 皿不 明
■ 鉢類
団 袋物類 圏 その他
□ 器種不明
□ 混入
■ 碗類
□ 皿類
□ 碗皿不明
■ 鉢類
E]発
類 匿ヨ袋物類
巫 その他
□ 器種不明
図
2‑10
仙 台城跡二の丸地 区出土陶磁器 の器種 組成比率Fig.2‑10 Histograms of porcelains and glazed ceranlics fronl the second Citadel of Sendai Castle
表
2‑2
仙 台城跡二 の丸地 区出土陶磁器 の器種 別 出土点数Tab.2‑2 Counto of porcelains and glazed ceranlics fronl the second citadel of Sendai Castle
時 期 資 料
磁 器 陶 器
碗 類 皿類 皿 明 碗
不 鉢 類 袋物類 その他 種 明 器
不 混 入 合 計 碗 類 皿 類 皿 明 碗
不 鉢 類 甕 類 袋物類 その他 種 明 器 不 合副‐
17世紀 初頭 〜前 葉 NM9 7・8層、16号溝 0 5 1 l
17世 紀 末 葉 a NM5 1ヒ区 Ⅶ・Ⅵ層 0 1 1 1 7 1
17世紀 末葉b NM5 4号土坑、北区V層 0 1
18世紀前葉a BK7 2号遺構 l 4 1 7
18世紀前 葉b NM5 3号土坑 1〔 1 0 5 1 4
18世紀 中葉 BK7 20号土坑・3a層 1 l 1 9 l
18世 紀 後葉 NM9 15・16号 土坑 7 3 44 (
18世 紀 末葉 〜 19世 紀 初頭 a NM9 2号池 1 l l 1乏
18世 紀 末葉 〜 19世 紀 初頭 b NM17 3層一括 1 l l 0 1 1 9
19世紀 中葉a NM5 12号 池 1 0 1 1
19世紀 中葉b NM9 1号池 0 5 4 5 7
17世紀初頭〜前葉 17世紀末葉a 17世紀末葉b
18世紀前葉a 18世紀前葉b
18世紀中葉 18世紀後葉a 18世紀後葉b 18世紀末葉〜19世紀初頭a
18世紀末葉〜19世紀初頭b 19世紀 中葉a 19世紀 中葉b
産 地 不 明 平 清 水 堤 そ の 他 堺 東 北 産 相 馬 系 小 野 相 馬 大 堀 相 馬 中 国 京
・信 楽 瀬 戸
・美 濃 肥 前
︵唐 津 含 む
︶
一 az
殴 fg︲
■ 囲 国 □ □ □ □ □ □ ■ □ 圃 □
Fig.2
- 11
Histogram仙 台城跡二 の丸地 区出土陶器 の産地別組成比率
cerarnics frorn the second citadel of Sendai Castle by producing district
表
2‑3
仙 台城跡二 の丸地 区出土陶器 の産地別 出土点数Tab.2‑3 Count of glazed cerarnics fronl the second citadel of Sendai Castle by producing district
時 期 資 料 肥 前
戸 濃 瀬 美
京 麟
中 国 堀馬 大 相野 馬 小
相 相馬系 東北産 堺 その他 堤 平清水 地 明 産
不 合 計
17世紀初頭〜前葉 NM9 7・8層、16号溝 1 1 0 0 0 0
17世紀末葉a NM5 Jヒ区Ⅶ・Ⅵ層 1 0
17世紀末葉b NM5 4号土坑、北区V層 2 1 7
18世紀前葉a BK7 2号遺構 0
18世紀前葉b NM5 3号土坑 2 0
18世紀中葉 BK7 20号土坑、3a層 5 1
18世紀 後葉a NM9 16号土坑埋±4層以下 0
18世紀 後葉b NM9 15号土坑埋±4層以下 7
18世紀末葉〜19世紀初頭a NM9 2号池 3 1 1
18世紀末葉〜19世紀初頭b NM17 3層一括
19世紀 中葉a NM5 1・2号 池 1 274
19世紀中葉b NM10 2区Ⅲ‑2b・2c・3・4層 2
2号 遺構 (18世紀前葉)
20号 土坑・3a層 (18世紀中葉)
産 地 不 明 相 馬 系 小 野 相 馬 大 堀 相 馬 京
・信 楽 瀬 戸
・美 濃
︵唐 津 含 む
︶ 肥 前
■ 国 目 □ □ □ □
図
2‑12
武家屋敷地 区第7地点 出土陶器碗類 の産地別組成比率Fig.2‑12 Histgrarns of bowis of glazed ceramics frorn BK7 by producing district
表
2‑4
武家屋敷地 区第7地 点 出土陶器碗類 の産地別 出土点数 Tab.2‑4 Count of bowis of glazed ceranlics frorn]3K7by producing district時 期 資 料 肥 前
戸 濃 瀬 美
堀 馬 大 相
野 馬 小
相 相馬系 信楽示 不 明 合 計
18世 紀前葉 BK7 2号遺構
18世紀 中葉 BK7 20号土坑・3a層 4 1
ら
5割
を占める。一方で、瀬戸・美濃の割合がかな り減少 してい くが、図2‑8で
もわかるように、代 わって肥前 磁器が浸透 してい くため と考 えられる。17世紀末葉 になる と、一部で大堀相馬の陶器が出現す るが、灰釉丸碗 の みで、出土量 も少 ない。18世紀前葉aでは、17世紀末葉の様相 を残 しつつ も、肥前が さらに少 な くな り、大堀相 馬 とともに小野相馬が加 わるなどの変化がみ られ る。18世紀前葉bの段 階では、 よ り18世紀中葉 に近 い様相 を示 す ようにな り、肥前 はさらに減少 し、大堀相馬が急激 に増加 している。大堀相馬の比率が高 まる と、大堀相馬 と 競合 関係 にある瀬戸・美濃 は、出土量が減少 していることが よくわか る。18世紀中葉以降、大堀相馬が陶器の主 体 を占めるようになる。18世紀中葉 には、肥前の割合 も減少 し、その分、大堀相馬や小野相馬が比率 を伸 ば して いる。18世紀 中葉の段 階では、小野相馬 は碗類が主体 で、他 の器種 も出土 している ものの、数 は非常 に少 ない。小野相馬が碗類以外の器種 を積極的に生産するようになるのは、18世紀後葉頃であろ うと考 え られる。肥前、瀬 戸・美濃 は、あ ま り高 くない割合 なが らも、19世紀初頭 まで一定量 出土 している。京 。信楽は、各期 を通 して出 土 しているが、18世紀後葉 にはその比率が高 まっている。18世紀第
2四
半期〜第3四
半期 に京焼が量産品の生産 を本格化 させ た と考 え られ (赤松和佳2006)、 信楽焼 も18世紀 中頃を上限 として、京焼風の碗類の生産 を本格化 し始めた と考 え られている (畑中英二2003)。 18世紀後葉 に京 。信楽の比率が高 まるのは、 この ような動 きが影 響 しているため と考 え られる。小野相馬は、18世紀末葉か ら19世紀初頭で減少 し、19世紀 中葉 にはみ られな くな る。それ と符合 して、仙台の堤が出現 している。堤 に関 しては、窯跡の調査がなされてお らず、考古学的にはそ の実態がわかっていない。そのため、その出現の時期 に関 して も、 さらにさかのぼる可能性 も含 まれている。19 世紀 中葉 になると、大堀相馬が陶器の大多数 を占めてお り、陶器 は東北地方の窯の製品でほぼ占め られているような状態 になる。
小結
武家屋敷地区第
7地
点の出土資料 によって、18世紀前葉の陶磁器の様相が明 らか となった。特 に、大堀相馬 と 小野相馬の陶器では、両者 を区別す る特徴が明確 でない資料 も多 くみ られた。両者の特徴が明確 になって くるのは、18世紀 中葉頃であ り、器種 の上での作 り分けが明確 になるのは18世紀後葉頃である。生産開始期、あるいは
生産拡大期の両者の関係 を考 える上で、今 回の資料 は重要である。
また、橘鉢や壺・甕類、火入 。灰吹 。香炉 などの器種では、東北地方の窯で生産 された可能性が考 え られる陶 器が含 まれている。 これ らの窯 は、おそ らく
1つ
ではな く、複数の窯の製品が含 まれているもの と考 え られる。また、18世紀前葉以降の年代の資料 にも一定程度含 まれてお り、 これ らの陶器が一体 どこの窯で生産 された もの であるかは、今後の課題 として残 されている。
②土師質土器・瓦質土器
仙台城跡 出土の土師質土器・瓦質土器の変遷 については、年報
9に
おいて、それ まで出土 した一括資料 を中心 に検討がなされている。そ こでは、良好 な資料 に欠ける時期があるものの、仙台城跡出土の土師質土器・瓦質土 器の様相や画期が考察 されている。その後、仙台城跡の二の丸地区や北方の武家屋敷地区では、本年報で報告す る武家屋敷地区第
7地
点の調査 の ほか、い くつかの調査が行われた。特 に、武家屋敷地区第7地
点の2号
遺構 は、供伴す る木簡の記載 内容か ら、享保年 間のご く限 られた時期の廃棄土坑であることが考 え られる。
2号
遺構 か らは、大量の土師質土器の皿が出 土 してお り、それ以外 にも焼塩壺・焙烙・規炉・火鉢 など、 さまざまな種類の土師質土器や瓦質土器が出土 して いる。 これ らは、出土遺物の検討か ら、二の丸か ら排 出されたごみが廃棄 された ものであろうと考 えられている (年報19第1分
冊)。ここでは、
2号
遺構 出土の一括資料 を中心 に、年報9で
の考察に18世紀前葉の土師質土器・瓦質土器の様相 を 追加 してい きたい。 また、それ以外 にも、二の丸地区第17地点や、武家屋敷地区第4地
点の資料 な ど、出土点数 は少 ない ものの、出土状況か ら時期が限定 される資料 も確認 されている。 これ らについて も、必要 に応 じて触れ てい き、仙台城跡出土の土師質土器 。瓦質土器の様相や変遷 について、考察 してい く。A.資
料の概要年報
9で
は、年代が限定で きる9資
料群 を提示 し、「仙台城跡 出土の皿類以外 の土師質・瓦質土器の変遷」 を 示 している (年報9図
90)。 図2‑18〜
図2‑20は
、 この変遷図に、その後の調査で出土 した一括資料 を追加 して 作成 した ものである。追加 した資料の概要は、次の通 りである。 なお、年報9で
示 した資料群の説明や集成図に ついては、年報 9と それぞれの調査の年報 を参照 されたい。17世紀初頭〜前葉 :武 家屋敷地区第
7地
点14号
土坑 18世紀前葉 :武 家屋敷地区第7地
点2号
遺構 18世紀末〜19世紀初頭 :二 の丸地区第17地点3層
二の丸地区第17地点14号土坑 二の丸地区第17地点2号溝
武家屋敷地区第
7地
点の2号
遺構 は、出土遺物の検討か ら、二の丸か ら運ばれたゴミが廃棄 された もの と考 え られる。そのため、出土遺物 は、二の丸地区の様相 を反映 しているもの と考 え られる。図2‑13〜
図2‑15に
は、2号
遺構 出土の土師質土器、瓦質土器 をまとめて示 している。武家屋敷地区第
7地
点の14号土坑 は、遺構の詳細 な性格 はわか らないが、武家屋敷 に伴 う遺構であろうと推測 される。二の丸地区第17地点の