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⑤駒形木製品

武家屋敷地 区第

7地

点の調査 で は、駒形 の木製 品が

5点

出土 してい る (図2‑31)。

W241は

24号 土坑 か ら、

W242〜

245は

2号

遺構か らの出土である。24号土坑 は、

 2号

遺構 に隣接す る廃棄土坑である (年報19第 1分冊)。

24号土坑の出土遺物 は、陶磁器や木簡の内容か ら、

 2号

遺構 と同様 に18世紀前葉の資料であることが考 え られて いる (年報19第

2分

冊、第

3分

)。 W241、 243、 245は、欠損部分 もあるが、馬の立像であ り、W242、 244は馬 の頭部か ら頸部 を表 した ものである。

仙台城下における馬の立像 については、近世 に遡 ることが考え られるもの として、木 ノ下駒が挙 げ られる。木 ノ下駒 とは、旧暦三月三 日の木 ノ下 白山神社の祭礼の際に、参道の露店で売 られていた もので、「青葉駒」(永田 久光1956)、 「 ウマ ッコ」(小野寺正人

1998)な

どの呼び方がある。 白山神社 は、陸奥国分寺一 山の鎮守神 として 勧請 された一 山十八伽藍の一社 である。 白山神社 の神事では、舞楽奉納が終わると神楽が演 じられ、その後 に流 鏑馬が執行 された。 白山神社 の祭 りでは、参道の露店で、木 ノ下駒や松川達磨が売 られ、参詣 に来た人 々が これ らを買い求めた (小野寺正人1998)。 木 ノ下駒 の起源 は、江戸時代 に陸奥 国分寺境 内で催 された馬の競 り市であ るとされている (仙台鉄道局編1937、 永 田久光1956)。 この馬の競 り市では、良馬が選 ばれ、多賀 の国府か ら、

朝廷 に奉ず る習慣があった。その献馬の胸 に下げた馬形が木 ノ下駒のは じま りとされ、後 に、厩の守護信仰 とし て、 これを奉 る風習が生 じた と伝 えられている。 しか し、木 ノ下駒 自体が、具体的にいつの年代 に誕生 した もの かについては不明である。東北地方 には名馬の産地が多 く、三春駒 (福島県)、 八幡駒 (青森県

)な

ど、他 にも 類似 した木製の駒形の郷土玩具が知 られる。近世 まで遡 ることを確実 に確認で きるものは少ないが、木製の他 に も張子製、土製 など、東北地方には馬 を模 った郷土玩具が多数存在 してお り、馬の産地 として、馬が身近 な存在 であったことが推測 される。

木 ノ下駒 の伝世 品 としては、仙台市博物館所蔵の三原良吉 コレクシ ョンに収蔵 されている ものがあ る (図

2‑

32、 仙台市博物館1996)。 近世 と推測 されているものでは、3233、 3234、 3235の

3点

があるが、詳細 な年代 は不 明である。大 きさは、3233が 高 さ20.lcmとやや大 きく、3234、 3235は これ よ り小 さく、それぞれ高 さ16.2cm、 高 さ15.8cmである。

鰤炉齊

伝世品の木 ノ下駒 と、W241、 243、 245を比較 して、類似す る点では、鞍 と尾の作 り方が挙 げ られる。伝世品 において も、W241、 243、 245において も、鞍の部分 は、前後2カ所 に溝状 の切 り込みが入 り、そ こに薄い板 を 挿 し込んで表現 されている。残存状態 によって、薄い板 は欠落 している場合 もみ られる。尾 については、いずれ も小孔が穿たれている。近代の民芸品では、 シュロなどの繊維 を挿 し込んで尾 を表現 した ものがみ られるため、

これ らの小孔 について も同様の ものであった と考 え られる。大 きさでは、

W241の

み高 さが判明す るが、15.Ocm であ り、伝世品の うち、比較的小 さい もの とおお よそ同 じ大 きさと考えてよいであろう。

一方、全体的な形状 には違いがみ られる。伝世品の木 ノ下駒では、各部位が直線的で角張 った形 を基本 として いる。耳か ら後頭部にかけては直線的に削 られてお り、背部か ら見 ると逆

V字

状 に耳の形が作 られている。後頭 部か ら背部の繋が りも直線的で、脚部 も直線的で太 い作 りである。それに対 してW241、 245では後頭部 と背部の 繋が り、胸部や後背部の作 りに丸みがみ られる。 また、たてがみについては、W241、 245では、後頭部にそれぞ れ5カ所、 4カ 所 の小孔がみ られる。伝世 品では、両耳の間に小孔が3カ(3223)、 後頭部 に2カ所 (3234)、

後頭部 に1カ所 (3235)と それぞれ観察 される。 これ らの小孔 は、尾 と同 じように繊維 を挿 し込んで、たてがみ を表現 した もの とみ られるが、伝世品ではW241、 245よ りも形式的に表現 されている。 さらに、伝世品では、表 面が黒色 に塗 られ、日部、胸部、胴部、臀部、脚部な どに、 自 。赤 な どの色で街、鞍や腹帯、前掛 けな どの装飾 が描かれていることが特徴 である。W241、 243、 245で は、埋没段 階で消 えた可能性 もあるが、彩色や表面が黒 色 に塗 られた痕跡 は観察 されない。 また、

W245で

は、日部側面 に小孔が貫通 してお り、紐 などを通 して、手綱 の装飾 を加 えたことが考 えられるが、伝世品では観察 されない。

結論 として、W241、 243、 245の駒形木製品 と、伝世品の本ノ下駒 とは、共通点 もみ られるが相違点 も大 きく、

W241、 243、 245が 木 ノ下駒であるか どうかは、現状では判断がつかない。伝世品の木 ノ下駒 は、各部位が直線 的で、たてがみや耳、胴部、脚部の表現が形式化 しているのに対 して、W241、 243、 245は比較的馬の形態 を写 実的に表 している。木 ノ下駒 は、藩士の手内職 として製作 されていた との記載 もみ られることか ら (仙台鉄道局 編1937)、 製作者 によって、仕上が りに差がみ られる可能性 も考 え られ る。 また、年代 によって も形態 に違 いが ある可能性 も考 えられる。

2号

遺構 出土の駒形木製品は、供伴す る遺物の年代か ら、18世紀前葉頃の ものである ことが考 えられる。伝世品の木 ノ下駒 は、近世の ものであろうと推測 されているが、その詳細 な年代 は判明 して いない。そのため、年代が異 なれば、形態に違いがみ られる可能性 も考 えられる。

W241で

は、

4本

の脚部 に側面か ら穿 たれた小孔がみ られる。形状か ら推測 して、車輪 などを通 して、馬が動 くように作 られていたのではないか と考 え られる。木 ノ下駒では確認で きなかったが、福 島県の三春駒では、年 代 は不明であるが、車付 きの もの もみ られ (斎藤良輔1968)、 木 ノ下駒 に もこの ような形があった可能性 も考 え られる。現在知 ることがで きる郷土玩具にも、木製や張子製など材質はさまざまであるが、馬や牛 に車輪が付 い た ものが各地で存在 している。 また、浮世絵や絵本 などの資料で も、馬に車輪が付 いた玩具がみ られ (図

2‑34

の1・ 2)、 玩具の形態 としては珍 しくはないようである。絵や郷土玩具では、馬や牛が台車の上 に乗 っている ものが多いが、脚部 に車輪が付 くもの も存在 した可能性が推測 される。

次 に、馬の頭部か ら頸部 を表 したW242、 244であるが、本ノ下駒や仙台周辺の郷土玩具の資料の中には、 この ような木製品はみ られなかった。浮世絵や絵本 などの絵画資料や郷土玩具 には、木製や張子製、練 り物製 と材質 はさまざまであるが、春駒や首馬 と呼ばれる駒形の玩具がみ られる (図2‑33、 図2‑34)。 首馬 とは、木製や張 子製で、馬の頭部か ら頸部 を模 した玩具である。春駒 とは、丸竹の先端 にこの首馬 を取 り付 け、他の端 に小 さい 車輪 を付 けた もので (斎藤良輔1968、 佐久 問良彦2005)、 馬 に乗 っている状態 を真似 て、子供が遊ぶ玩具である。

喜多川守貞の『守貞漫稿』(朝倉治彦・柏川修一編

1992)に

も、絵 とともに春駒 に関する記述がみ られる (図

2‑

34の3)。 首馬や春駒 は、材質、形態、由来など、全国に色 々な種類があ り、郷土玩具 として現在確認で きるもの には、大 山の竹馬 (鳥取県)、 首馬 (大阪府)、 竜泉寺 の串馬 (愛知県

)な

どが挙 げ られ る (西沢笛畝1965)。

W242、 244と

最 も形状が似ているのは、大山の竹馬で、板で作 られた馬の頭部か ら頸部に、竹の棒 を付けたもの である。

W242、 244に

も、下部に突起がみられ、この突起は竹に差 し込むためのものではないかと推測される。

大山の竹馬にみ られない特徴 としては、

W242、 244で

は、日部側面に小孔が貫通 してお り、 W245と 同様に、

紐などを通 して、手綱 としたのであろうと推測される。絵画資料では、張子製 とみられるが、春駒に手綱が付 き、

子供がその手綱を持っている様子が多数描かれている

(図

2‑34の

2・ 406)。

また、

W242、 244に

は、馬の頭部 にそれぞれ

6カ

所、

5カ

所の小孔がみ られる。これらは、繊維を差 し込んでたてがみ としたものと考えられ、図 2‑34か らもたてがみの様子がうかがえる。

春駒は、生竹に紐 を付けて手綱 とし、これを馬に見立ててまたがって遊ぶものから転化 したとされている。江 戸時代頃から、木製や張子製の首馬や、竹に車輪が付 く形になったようであるが、その発祥について詳細な年代 はわかっていない。江戸時代の絵本や浮世絵などからは、

18世

紀中葉〜末頃には、このような形のものがすでに あったことがうかがえる。図 2‑34の

4は

、柳原関月の『絵本二葉松』の絵で、春駒にまたがって遊ぶ童子が描か れている。柳原関月は生没年が延享四年

(1747年

)〜 寛政九年

(1797年

)の 人物であ り、この頃にはすでに春駒 が子供の玩具 として存在 しているようである。図 2‑34の

6は

、西川祐信の『絵本西川東童』の中の絵で、初版が 延享三年

(1746年

)の 刊行 と考えられているものである

(加

藤康子

1997)。

神田明神祭の様子が表 されてお り、

春駒にまたがる子 どもの様子が描かれている。図 2‑34の

5は

、享保十五年

(1730年

)に 出版 された長谷川光信の

『絵本御伽品鏡』の中の挿絵である。大阪および付近の名物風俗が描かれたものであるが、春駒の様子が描かれ ている。これによると、子供の玩具だけでなく、鼓や三味線 を伴った芸能の様子が見 られる

(西

沢笛畝

1957)。

また、図 2‑34の

7は

、作者不詳で、「元禄頃の凧    周辺は焼けて失なわれたもの    作者不詳」の但 し書 きが 付 く資料である。凧揚げをする様子が描かれているが、春駒 もしくは首馬を持つ童子が傍 らに描かれていること がわかる

(久

保田米所

1936。

西沢笛畝

1957)。

作者や出典が不明であ り、描かれた年代 も不明であるが、この絵 が元禄頃の様子を描いたものであるとするならば、元禄頃まで春駒 もしくは首馬の存在を追うことができる可能 性 もある。

W241、 245は

2号

遺構からの出土であ り、供伴遺物から

18世

紀前葉の年代が推測 される資料である。

18世

紀前葉の資料に春駒が含 まれていることは、年代的には矛盾はないものと考えられる。

小結

以上の ように、武家屋敷地区第

7地

2号

遺構、24号土坑か ら出土 した駒形の木製品は、木製の玩具類である 可能性が考 えられる。駒形の玩具は、材質、形状 はさまざまであ り、年代 によって も違いはあると考 え られるが、

近世において比較的身近な形の玩具であったようである。見落 としがあるか もしれないが、江戸の遺跡では駒形 の本製品の出土例 は確認で きなかった。絵本や浮世絵 などには駒形の玩具が多 く登場 してお り、 これ らは張子製 な ど、木製以外の ように観察 され、遺物 として残存 しに くいことも考 えられる。

これ らの駒形木製品以外 に も、武家屋敷地区第

7地

点の調査 では、木製品では羽子板、竹 とんぼ、将棋 の駒、

独楽など、土製品の ミニチュア玩具、人形、箱庭道具、陶磁器の円盤状加工品、石製品の碁石 な ど、玩具類 と考 え られる遺物が出土 している。江戸の遺跡か ら比べ ると、必ず しも多い出土点数 とは言 えず、年代別の様相や地 域性 などを考 えられるような状況にはないが、仙台城下において もさまざまな玩具が作 られ、用い られていたこ

とが推測 される。

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報19 第5分冊 (ページ 70-74)

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