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Lコ
繋尽謳‑1轟靭 ゝ単暉巡 丼 曽 コ熙1轟靭 曽コ繋巡半 貧事囀④箸状木製品
武家屋敷地区第
7地
点の調査では、2号
遺構か ら多量の箸状木製品が出土 している。2号
遺構 出土の箸状木製 品は、完形の ものが4611点 、一端が欠損 した ものが14320点 、両端が欠損 した ものが9213点 と、 これ までの仙台 城跡二の丸地区、武家屋敷地区の調査 で出土 した箸状木製品をはるかに超 えた数が出土 している。2号
遺構 につ いては、武家屋敷地区ではあ ま り多 くない傾 向にある土師質土器の皿が大量 に出土す る点、木簡の記載内容 に「二の丸」 を示す ものが多い点な どか ら、
2号
遺構 は仙台城二の丸か ら搬 出 されたごみが廃棄 された土坑であろ うと考 え られる (年報19第1分
冊、第2分
冊、第3分
冊)。 そのため、 これ らの大量の箸状木製品について も、土師質土器の皿 とともに、二の丸内で行われる武家の儀礼的な饗宴の場で使用 され、その まま廃棄 された もので あろ うと推測 される。
2号
遺構 の出土遺物 は、木簡に記載 されている年号か ら、18世紀前葉の一括資料 と考 え ら れ、 これ らの箸状木製品 も、18世紀前葉 に位置づ け られるものである。表
2‑5は
、年報9で
示 した箸状木製品の先端形状の集計 に、武家屋敷地区第7地
点2号
遺構の資料 を加 えて示 した ものである。2号
遺構 の資料 については、両端が残存 している完形の箸状木製品について、その先端形状 を 集計 してお り、一端が欠損 した ものの点数は含 まれていない。先端形状 は、年報9で
示 したA類
〜D類
の他 に、新 たに
E類
、F類
を追加 している。A類
〜D類
は、先端 に特 に加工 を加 えず切断面 を残す も(A類
)、 先細 に作 り出すが切断面 を残す もの(B類
)、 先端 を尖 らせ切断面 を残 さない もの(C類
)、 ヘ ラ状に作 り出す もの(D類
)である。
E類
とした ものは、先端の一側面か らだけを削って尖 らせた もの (年報19第4分
冊W125。 W126)、F
類 とした ものは、
A類
〜E類
以外の特殊 な先端形状の もの (年報19第4分
冊W128)で
ある。2号
遺構 出土の箸状木製品では、両端 とも加工 を加 えず、断面が略楕 円形のAA類
が量的に圧倒的に多い。次 いで、一端 は加工 を加 えず切断面 を残 し、他端 を尖 らせ るAC類
や、他端 を先細 に作 り出すが切断面 を残すAB類
が多 くなる。 しか し、AA類
はこれ らをはるかに超 えた点数が出土 してお り、主体 となるのはAA類
の箸状木製 品であると考 え られる。 また、一端 は加工 を加 えず、他端 を一側面か ら削 って尖 らせたAE類
や、他端 をヘ ラ状 に作 り出すAD類
なども、多 くはないが一定程度み られる。BB、 BD、 BE、CCな
ど、両端 ともに加工がみ られる 形状の箸状木製品 もみ られるが、出土点数が1〜数点程度であ り、 ご く限 られた特殊 なものであろうと考 え られ る。圧倒的に多 い
AA類
は、「寸胴箸」 と呼ばれるものに相当す る (萩尾 昌枝1992)。AB類
やAC類
の中で、AA類
と同程度の長 さの ものは、「片口箸」 に相当す るもの と考 えられる。
AB類
・AC類
の うち、AA類
と比べて、長 さ が短い ものについては、すべてが箸 として用い られた もの とは考 えがた く、箸以外の用途の もの も含 まれている と考 え られる。BB類
やBC類
、CC類
はほ とん ど出土 していないが、「両 口箸」 に相当す る もの と考 えられる。大 多数が自木の箸 であ り、漆塗 りの箸 は9点
出土 しているのみである。 白木の箸 に関 しては、整形 。調整の非常 に 丁寧 なもの もみ られるが、多いのは調整痕が残 る状態の ものである。次に、
2号
遺構 出土の箸状木製品の長 さについて、図2‑30に
示 している。 なお、2号
遺構 出土の資料の うち、断面が方形 を呈す るものは、その形状か ら箸以外の串や楊枝の ような用途の可能性が高い ものが多いため、点数 か らは除外 している。18世紀前葉 の2号遺構 では、210〜
219mmに
顕著 な集中がみ られる。他 の時期 と比較す る と、17世紀末葉では240mm前
後 に、18世紀後葉 は210mm前
後 に顕著 な集中がみ られ、18世紀前葉の段 階で箸の 長 さが短 くなっていることが読み取れる。17世紀末葉では八寸箸が用い られ、18世紀前葉の段 階で七寸の長 さに 短 くな り、18世紀後葉の段 階で も七寸の箸が用い られていることが明 らか となった。また、
2号
遺構の箸状木製品では、比較的短い もの も一定量み られることが注 目される。短い ものについては、特 に集中す る箇所 はみ られない。長 さの境 としては、長 さ210〜
219mmの
ものは比較的多 く出土 してお り、七寸 の箸のば らつ きの範疇 に含 まれるもの と考 えられ、長 さ190〜199mmで
急激 に点数が少 な くなることか ら、 この 前後 に境があるもの と推測 される。表
2‑5
仙 台城跡二の丸地区 お よび武家屋敷地 区出土箸状木 製品の先端形状 Tab.2‑5 Count of chopsticks frorn the secondary citadel of Sendai Castle and samuraf residence箸状木製品の先端形状 AA AB AC AD AE BB BC BD BE CC CD CE CF DD DE EE 合 計 二の九地区第9地点
8・ 7層、16号 溝 (17世紀初頭〜前葉)
0 Dl 5D
二の丸地区第9地点 基礎9区Ⅶ層 (17世紀末葉)
︲3
0 8
3
D 1 1 2 ︲ 6
②
武家屋敷地区第7地点 2号遺構 (18世紀前葉)
4171
(8)
3
助 l 1 1 1
(1)
1 1 1 1
4 6 ︲
m
二の九地区第9地点 16号 土坑 (18世紀後葉)
1 3
助 1
1
⇒
3 7②
( )内 は断面が方形 を呈す るもの
二の丸地区第5地点基礎9区Ⅶ層 (17世 紀末葉 :元禄年間)
0 100 200点 0
武家屋敷地区第7地点2号遺構 (18世紀前葉)
1000 2000 3000
二の丸第9地点 16号 土坑 (18世紀後葉)
100 200 300′点
1
1
i37
-223
(ヒ寸=約212mm)
1
N=375(断面 方形 を含 む)
4000メ1 0
99mm以下 100〜109mm l10〜119mm 120‑129mm 130‑139mm 140‑149mm 150‑159mm 160‑169mm
コ 233 3R37
コ149 (七寸=糸 212mm)
1
N=4516(断面方形 は含 まない)
170‑179m 180‑189mm 190‑199m
200〜 209mm 210〜 219m 220〜 229mm 230〜 239m 240〜 249m 250〜 259m 260〜 269m 270〜 279m 280〜 289m 290〜 299m 300mm以 上
図
2‑30
仙 台城跡二の丸地区 お よび武家屋敷地 区出土箸状木 製品の長 さFig.2‑30 Histograms for length of chopsticks fronl the second citadel of Sendai Castle and samLrraf residence N=165(断面 方形 を含 む)
表
2‑6
仙 台城跡武 家屋敷地 区第7地点2号遺構 出土箸状木製品の先端形状 Tab.2‑6 Count of chopsticks from No.2 structural rernains at BK7表
2‑6は
、2号遺構 出土の箸状木製品について、先端形状 を長 さの違いによって比較 した ものである。 なお、断面 が方形 を呈す る もの は除外 してい る。長 さが集 中す る210〜
219mmや
そ の前後 の200〜209mm、 220〜
229mm、 230〜
239mmで
は、AC類
、AD類
、AE類
などの先端が尖 る加工がなされているもの も含 まれてはい るが、先端形状AA類
の方が多数である。一方、190〜199mm以
下の長 さでは、先端形状AA類
はわずかで、先 端が尖 る形状の ものの方が多 くなっていることが読み取れる。 このことか ら、長 さが短い箸状木製品では、箸以 外 の、例 えば串の ような用途の ものが含 まれているもの と考え られる。短い箸状木製品の1つ 1つ
を観察すると、整形や調整の痕跡 は、箸状木製品の主体 を占める先端形状
AA類
で長 さが七寸の もの と同様である。 これ らの先 端 を加工 して短い箸状木製品が作 られていることが考 えられ、加工途中 とみ られる資料 も出土 している (年報19 第4分
冊W105。 W109)。 そのため、先端が尖 る ものは七寸 よ り短い方 に多 くな り、用途が様 々であるため、分 布 に も集中がみ られないのであろ うと考 えられる。小結
これ らの箸 は、多量の土師質土器の皿 とともに出土 してお り、それ らは、儀礼的色彩 を帯びた饗宴の席で使わ れた後、 まとめて捨て られた もの と考 えられる。 白木の箸が短小化す ることについては、
2号
遺構 出土資料 を検 討することによって、18世紀前葉の段階で、7寸
の箸 に短 くなっていることが明 らか となった。その背景につい ては、伝統的な儀礼が、形 を維持 しなが らも次第に形骸化 してい くとい う事情が存在す るもの と考 えていた (年 報9)。 箸 の長 さとい う視点か らは、17世紀末葉か ら18世紀前葉の間に、時代が変化 してい く様相の一端が伺 え る もの と考 えられる。長 さ 先端形状
AA AB AC AD AE BB BD BE CC CD CF DD DE EE 合 計
99mm以
下 1 l 1 1100へ ´
109mm
1110〜
119mm
1120‑129mm 130‑139mm
140へ ´
149mm
150^´
159mm
1160‑169mm 170‑179mm
1180‑189mm
190^´
199mm
1200〜
209mm
205 1 1210〜
219mm
3766 1 3837220^´
229mm
230へ´
239mm
240^´
249mm
270へ´
279mm
1 1合 計 44 1 1 1 1 1 1 1 1
⑤駒形木製品
武家屋敷地 区第
7地
点の調査 で は、駒形 の木製 品が5点
出土 してい る (図2‑31)。W241は
24号 土坑 か ら、W242〜
245は2号
遺構か らの出土である。24号土坑 は、2号
遺構 に隣接す る廃棄土坑である (年報19第 1分冊)。24号土坑の出土遺物 は、陶磁器や木簡の内容か ら、
2号
遺構 と同様 に18世紀前葉の資料であることが考 え られて いる (年報19第2分
冊、第3分
冊)。 W241、 243、 245は、欠損部分 もあるが、馬の立像であ り、W242、 244は馬 の頭部か ら頸部 を表 した ものである。仙台城下における馬の立像 については、近世 に遡 ることが考え られるもの として、木 ノ下駒が挙 げ られる。木 ノ下駒 とは、旧暦三月三 日の木 ノ下 白山神社の祭礼の際に、参道の露店で売 られていた もので、「青葉駒」(永田 久光1956)、 「 ウマ ッコ」(小野寺正人
1998)な
どの呼び方がある。 白山神社 は、陸奥国分寺一 山の鎮守神 として 勧請 された一 山十八伽藍の一社 である。 白山神社 の神事では、舞楽奉納が終わると神楽が演 じられ、その後 に流 鏑馬が執行 された。 白山神社 の祭 りでは、参道の露店で、木 ノ下駒や松川達磨が売 られ、参詣 に来た人 々が これ らを買い求めた (小野寺正人1998)。 木 ノ下駒 の起源 は、江戸時代 に陸奥 国分寺境 内で催 された馬の競 り市であ るとされている (仙台鉄道局編1937、 永 田久光1956)。 この馬の競 り市では、良馬が選 ばれ、多賀 の国府か ら、朝廷 に奉ず る習慣があった。その献馬の胸 に下げた馬形が木 ノ下駒のは じま りとされ、後 に、厩の守護信仰 とし て、 これを奉 る風習が生 じた と伝 えられている。 しか し、木 ノ下駒 自体が、具体的にいつの年代 に誕生 した もの かについては不明である。東北地方 には名馬の産地が多 く、三春駒 (福島県)、 八幡駒 (青森県
)な
ど、他 にも 類似 した木製の駒形の郷土玩具が知 られる。近世 まで遡 ることを確実 に確認で きるものは少ないが、木製の他 に も張子製、土製 など、東北地方には馬 を模 った郷土玩具が多数存在 してお り、馬の産地 として、馬が身近 な存在 であったことが推測 される。木 ノ下駒 の伝世 品 としては、仙台市博物館所蔵の三原良吉 コレクシ ョンに収蔵 されている ものがあ る (図
2‑
32、 仙台市博物館1996)。 近世 と推測 されているものでは、3233、 3234、 3235の