• 検索結果がありません。

第 3

Manusmr.ti における世界構成原理

行為が生じる場所あるいは原因は、心、言葉、身体の3つに分類され、それにより善悪の 結果が生じることが説かれる。この心というものがマナス(manas)として説かれている。

心(マナス)には、さらに3つの分類があり、それは次のように説かれる。

paradravyes.v abhidhy¯anam. manas¯anis.t.acintanam/

vitath¯abhinive´sa´s ca trividham. karma m¯anasam//MS 12.5

他人の財産をむやみに欲しがる、良くないことを心に思う、誤った考え方に夢中に なる——これらの三種は心4による行為である。

他人の財産を欲しがること、良くないことを思うこと、誤った考えに夢中になること、こ れらが心の3種として説かれている。

また、次のようにも説かれる。

m¯anasam. manasaiv¯ayam upabhu˙nkte ´subh¯a´subham/ v¯ac¯a v¯ac¯a kr.tam. karma k¯ayenaiva tu k¯ayikam//MS 12.8

人は心5でなされた行為の善悪〔の果実(結果)〕を心で味わい6、言葉でなされた行 為〔の果実〕を言葉で、身体でなされた行為〔の果実〕を身体で〔味わう〕。

心(マナス)でなされた行為の結果を心(マナス)によって享受するということである。

以上のように、ここでは、心(マナス)、言葉、身体からなる3つの行為が、輪廻の原因 を為すということが説かれている。また、心(マナス)でなされた行為の善悪は心(マナ ス)で享受され、言葉や身体と3つのセットと見なされていることから、ここでのマナス は、一般的な「心」全体を指すと考えた方が良いであろう。

しかし、マナスについては次のようにも説かれる。

tasyeha trividhasy¯api tryadhis.t.h¯anasya dehinah./

da´salaks.an.ayuktasya mano vidy¯at pravartakam//MS 12.4

この世における身体を有する者にとって、意(マナス)は、三種(心、言葉、身体)

からなり、三種の住処(上、中、下の帰着点)を有し、十の特相を持つもの(すな わち行為)の発動者7であると知るべきである。

マナスについての性質が説かれる箇所であるが、そのマナスに活動因としての性質が見ら れる。渡瀬氏に従えば、“trividha”は心・言葉・身体であり、“tryadhis.t.h¯ana”は上・中・下の

4マナス性のもの(m¯anasa

5“m¯anasa”、すなわち「マナス性のもの」。

6すなわち、「マナスによって享受する」ということ。

7「行動を引き起こすもの」(pravartaka)である。

帰着点を意味する8。一方、Olivelleは、“trividha”(three kinds)を“ highest”、“middling”、

“lowest” とし、“tryadhis.t.h¯ana”three bases)を“mind”、“speech”、“body”とする9。両 者の解釈は相違するが、内容的には齟齬するものではない10。さらに、渡瀬氏は、このマ ナス(意)を、クシェートラジュニャと同一に見ている11。そのため、ここでのマナスは、

「心」ではなく、「意」と翻訳しているのであろう。渡瀬氏の解釈に従えば、MS 12.4のマ ナスを個々人の主体として考えることができ、先に述べた心としてのマナスとは異なるも のと解釈できるであろうが、やや強引のようにも思える。ここの箇所だけでの判断は難し く、むしろMSが様々な思想を折衷していく上で、統一性を欠いてしまったとみなすべき であろう。

以上のように、心を意味するものとしてマナスが説かれるが、続く1011偈において は、ブッディが登場する。

v¯agdan.d.o ’tha manodan.d.ah. karmadan.d.as tathaiva ca/ yasyaite niyat¯a buddhau tridan.d.¯ıti sa ucyate//MS 12.10

言葉の抑制、心12の抑制、身体の抑制——これらが意識(ブッディ)において確立 している者は「三種の抑制を有する者」(トリダンディン)と呼ばれる。

tridan.dam etan niks.ipya sarvabh¯utes.u m¯anavah./

k¯amakrodhau ca sam. yamya tatah. siddhim. niyacchati//MS 12.11

人はすべての生き物に対してこの三種の抑制を保持し、欲望と怒りを抑えるなら ば、その後、成就を手中にする。

言葉の抑制、心の抑制、身体の抑制がブッディにおいて確立されるという。そしてその抑 制状態を維持させることが重要であると考えられている。つまり、ブッディにコントロー ルの機能(統覚機能)が与えられているのであり、それにより言葉・心・身体を抑制する のである。以上のように、MS12章では、古典サーンキヤにおいて説かれている3 の内的器官のうちマナスとブッディが説かれているが、アハンカーラについては何も説か れていない。そして、3つの内的器官に機能を分けるのではなく、マナスのみで心一般を 表し、ブッディは、上位概念として、コントロールする機能を有している。

8[渡瀬2013: p. 428]

9[Olivelle 2005: p. 347]

10MS 12.40で「三種の帰着点」として“trividh¯a gatih.”という文が使用されているので、ここでは、Olivelle の解釈がより正確である考える。

11[渡瀬2013: p. 496]

12原文は“manas”である。

第 1.2 節 アートマンとクシェートラジュニャ

MS第12章には、自己の主体に関して言及している箇所があり、そこにおいて、エピッ ク・サーンキヤ説の述語が見られる。

yo ’sy¯atmanah. k¯arayit¯a tam. ks.etrajñam. pracaks.ate/

yah. karoti tu karm¯an.i sa bh¯ut¯atmocyate budhaih.//MS 12.12

この〔生き物の〕本体(アートマン)を作動させる主体13をクシェートラジュニャ

(身体を知るもの。すなわち意識)と賢者たちは呼ぶ。一方、行為を行う主体はブー タートマン(生き物の本体)と呼ばれる。

まず、ここでは、アートマン(¯atman、クシェートラジュニャ(ks.etrajña14、ブータート

マン(bh¯ut¯atman)という3つの概念が示される。渡瀬氏はアートマンを「本体」とし、ク

シェートラジュニャを「身体を知るもの、すなわち意識」、ブータートマンを「生き物の本 体」と説明する15。一方、Olivelleはアートマンを“body”とし、クシェートラジュニャを

「身体とその活動を観察するものとしての精神」、ブータートマンをあまり明確ではないと しながらも「物質的要素から成る自己」と説明する16。また、中野氏は、様々な注釈書に 依りつつ、アートマンを「肉体、または三座を含む粗大可見の肉身」とし、クシェートラ ジュニャを「ジーヴァ、または最高我(param¯atman)」、ブータートマンを「元素すなわち 地水等から成る、またはその変容たる肉身、非感性の形すなわち元素等を有する自我、ま たはジーヴァ」と説明する17。ここでは、ブータートマンを活動する本体とし、同偈に説 かれるアートマンと同義と考えられる。それに対し、クシェートラジュニャは、主体とし て、ブータートマンより高次の存在として想定されている。

さらに、もう一つの別の主体的存在が説かれる。

j¯ıvasam. jño ’ntar¯atm¯anyah. sahajah. sarvadehin¯am/

yena vedayate sarvam. sukham. duh.kham. ca janmasu//MS 12.13

ジーヴァ(生命体)と呼ばれる別の内部のアートマン(アンタラートマン)がある

13行為を起こさせるもの(k¯arayit¯a

14クシェートラジュニャとは、土地(クシェートラ)を知るもの(ジュニャ)という意味で知田者と言われ る。この土地というのが物質原理のことであり、古典サーンキヤでのプラクリティに該当する。そして、

クシェートラジュニャはプルシャに該当する。

15[渡瀬2013: pp. 429–430]

16[Olivelle 2005: p. 230]

17[中野1951: p. 465]

18それは身体を有するすべてのものとともに生まれる19。それによって〔身体を 有するすべてのものは〕諸々の生においていっさいの苦楽を感知する。

このように、クシェートラジュニャとブータートマンとは別に、ジーヴァと呼ばれるも のが存在するという。Johnstonも、ここでのジーヴァを、「クシェートラジュニャやブー タートマンと反対のもの」とし、「全体的に身体を活動的にさせる機能は失われている」と

説明する20また、Olivelleは、このジーヴァについて、「一般的には、身体の中にある自己

自身で、クシェートラジュニャと同一視される」ものとするが、「ここでは2つを区別し ているようである」と説明する21。さらに、中野氏は、注釈書に説かれている様々な説を 紹介している。おおよそ次のような説が見られる。(1)大(マハット)に覆われている微 細な身体、通例はジーヴァと呼ばれる個人我は前偈でクシェートラジュニャと表されてい る。(2)ジーヴァをマナス・ブッディ・アハンカーラの形を持つ内部機関とする。(3)ジー ヴァ=マナス、(4)ジーヴァ=マハットとする22

さらに、もう一つ、マハットと呼ばれる原理も登場する。それは次の通りである。

t¯av ubhau bh¯utasam. pr.ktau mah¯an ks.etrajña eva ca/

ucc¯avaces.u bh¯utes.u sthitam. tam. vy¯apya tis.t.hatah.//MS 12.14

生き物と結合するこれらの両者、すなわちマハーン(偉大なるもの——一二・一二 で述べられる行為する主体アートマンないしはブータートマン)とクシェートラ ジュニャ(意識・行為させる主体)は、上位下位の生き物の中に存在するそれ(ジー ヴァ。生命体)に染みわたって存在している23

マハーンすなわちマハットがクシェートラジュニャとは別に存在する。渡瀬氏は、活動 する本体としてのアートマンであるブータートマンとマハットを同一視している24。さら に、上記の通り、dパダの“tam”をジーヴァと見なし、クシェートラジュニャとマハット はジーヴァの中に遍在するものとみなされている。

以上のように、MS 12.12–14 の短い文の中に、主体としての機能を有すると考え得る 原理が複数現れる。すなわち、アートマン(¯atman)、クシェートラジュニャ(ks.etrajña)、

ブータートマン(bh¯ut¯atman)、ジーヴァ(j¯ıva)、マハット(mahat)である。クシェート ラジュニャとは、行為を起こさせるもの(k¯arayit¯a)であり、その字義が示す通り、究極的

18「ジーヴァと呼ばれるものが、内部のアートマンとは別にあり」とも訳せる。

19すなわち、生まれつきにあるということである。

20[Johnston 1974: p. 46]

21[Olivelle 2005: p. 230]

22[中野1951: p. 465]

23「遍在している」ということである。

24[渡瀬2013: p. 496]

な主体を表すものである。そしてこれとは別にもう一つのアートマン、ブータートマンが ある。このブータートマンは、諸々の行為を為すもの、身体の主体として機能するもので あり、そして、マハットと同一のものを示していることは明らかである。

ところで、マハットとアートマンに関する興味深い記述が、MBh12巻において見ら れる。第298章の創造説が説かれている箇所25で、未顕現(avyakta)からマハット・アー

トマン(mah¯an ¯atm¯a)が生じ、さらに、マハットからアハンカーラが生じることが説かれ

26。また、第32727では、プルシャ→未顕現→マハット・アートマン→アハンカーラ

→5粗大元素というパターンのサーンキヤ説が想定され、未顕現以下、8つのプラクリ ティが生み出すものとして考えられている28。これら第298章と第327章の2つの章は、

いずれも創造説に関連してマハット・アートマン(mah¯an ¯atm¯a)という語が見いだせる。

そして、第 298章では、このマハット・アートマンをマハットと考えている。おそらく、

MSでも同様に、マハット・アートマンが意識されている29ため、アートマンとマハット が同一とみなされていると考えることができる。これらはいずれも賢者達(budh¯ah.)の説 として説かれていることにも注目されるが、それぞれのサーンキヤ説が異なることに注 意しなければならない。MBh第298章では、アハンカーラからマナスが創造されるが、

MBh第327章ではアハンカーラから5大元素が創造され、一方、MSではアハンカーラ は登場しないのである。

MS第12章では、ブッディも説かれるが、マハットとの関係は不明瞭である。SKなど では、すでにマハットはブッディの単なる異名とされ、MBh第12巻291章30でも、ブッ ディがマハットの異名であることが説かれる31。MSでは、ブッディはコントロールする ものとして単なる心よりも上位概念であることが伺える。そのため、活動する主体として

25流出論と考える事ができる9の創造について扱われている。詳しくは第2章 第4.2節 を参照。

26「未顕現(avyakta)から、マハット・アートマン(mah¯an ¯atm¯a、大なるアートマン)が生じる。王よ。覚 者たちは、これを、根本原質に関する第1の創造と言う。」(MBh 12.298.16

「さらに、マハットからアハンカーラが生じる。王よ。〔覚者たちは〕これを第2の創造と言い、ブッディ を本性とするものと言われている。MBh 12.298.17

27内的器官と神格とを対応させる説が説かれる。詳しくは第2章 第5.1節 を参照。

28「それから生じた未顕現(avyakta)を覚者達はかのプラダーナ(根本原理、第一のもの)と知る。世界創 造のために、主宰神(¯ı´svara)である未顕現(avyakta)から顕現(vyakta)が生起した。MBh 12.327.25

「実に、〔それは〕世界において、アニルッダ、大なるアートマン(mah¯an ¯atm¯a、マハットというアートマ ン)と言われる。そして、この顕現性(vyaktatva)を獲得したもの(アニルッダ)は、祖父を作り出した。

それが、アハンカーラであると言われる。実に、それは、あらゆる光からなるもの(tejomaya)である。」

MBh 12.327.26

29MS 1.15において、マハット・アートマンが説かれる。第3章 第3節を参照。

3025原理によって世界を説明しつつも、シャンブによる創造が説かれるなど、神話的要素が融合している。

詳しくは第2章 第3.1節 を参照。

31〔シャンブは〕終わりなく行為する最初に生まれた存在物であるマハットを、創造する。〔すなわち〕無形 態のスヴァヤンブーであるシャンブ(シヴァ)は、形あるものすべてを〔創造する〕MBh 12.291.15abcd

「〔一方〕この聖なるものは、ヒラニヤガルバであり、ブッディと言われる。また、ヨーガにおいてはマ ハットと〔言われ〕、さらにヴィリンチャ(viriñca)とも〔言われる〕。」(MBh 12.291.17