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ドキュメント内 コミュニケーション (ページ 122-132)

「作業や行動の順序姓 を どの ように して、示 しますか

?」

手原 E; 手原Aか らDで考 えたことの歳ぎ合

「すでに設定 した手順 を組 み合わせ て、総合的 な表示 を試み て くだ さい

。」

例 :

4. 2 腐貨摩穿者への貫岸 117

手順A ;「一年 間の社 会的 な活動 をわか りやす くま とめて示 したい !

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最終的 な結 果

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4. 3 地域鎗7着動 とコミ1 118

4. 3 地域保健活動 と視覚コミ ュニケーショ ン

自分 自身の中にあるわか りやす さの枠組み

「健康 に関す る情報 をわか りやす く楽 し く住民 に伝 えたい

とい う気 持 ちは現場 にい る多 くの保健従事 者 に共通 していると考 え られ る しか し、現在 の 医学教育 や 保健婦教育 では、 「わ か りやす く、楽 しくコミュニ ケーシ ョン をす るに は どうす る か」 とい うことは教 え て くれない。現場 に出てか ら、 自分で試 行錯誤 を始め る しか ない。図2はN市のS地区 を担 当 している保健婦 の グループが作成 した 「健康す ご ろ く」である。 この作 品は、 どの ような論理 に したが って作 られたのだ ろうか ?

2.N市S地区 における健康 す ごろ く

この画を作成 した過程 に関 して当事者 にJ質問 した ところ、当事者は当初 、明瞭 に は ̀過程' を意識 して いなかったO しか し描 いた と きの問題 意 識 につい て さらにPf

4. 3 地域保鎗店動 とコ:1ニケー3> 119

問 を続けている うちに、(1)その地区における保健活動 の流れ をわか りやすい形に示 そ うとしたこと、 (2)その ために最初陸上競技場でハー ドル競争が行わ れる トラック

(図 3A) をイメー ジ したが押 しつけが ま しいの でやめた こと、 (3)最後 にす ごろ く 型の表示 (図 3B) を思いついたが、す ごろ くだ とゴールを達成 した ら、そこで上が りになって しまい、後 が ないよ うな気がす るので、完全 には満足 してい ないこと、

などの点が指摘 された住民 に情報 をわか りやす く伝 えたい とい う動機 か ら、す ご ろ く型の情 報表示構造 を採用 し、そのなか に保健活動 に関連 した部分的 な情報 を配 置す る作業 を していたことが明 らかになった。

匝 幸 室 璽

Å@A@A@毒)CRA.トラック型の情報表示構造 図 3B.す ごろ く型の情報表示構造 情報表示構造の 中に配 置 されていた視 覚化 され た要素的 な情報 を取 り出 して図 4に示す。 この ような整理 によって、六種類 もの情 報が配置 されていた ことが明 ら かになった情報配置の構造 と、そこにお ける要素 を意強化す ることに より、これ まで画の上手 な保健婦 が直観で行 っていた 「わか りやす くす る作業」の過程が明 ら かにな り、その経験 を他者が共有す ることも可能 になる

1. 保健鋸 のL車内芥、Jl'f購lTI

2.地域でのil'hfuの保健行Jl

4.季節 と地域 に合 った健

/1.止LIW ・l ..

5.病Jjiのこわき、注意すべ き点

4. 3 .地域保鎗活動 とコ1̲ケう3> 120

3.季節 と地域 に合 った鮎F,k増進 6.地域の'J.lj:

図4.健康す ごろ くの構成 要素

̀わか りやす くす ること'を医学教育 や保健婦 教育で習わ な くて も、われわれ はある程度 は 「わか りやす くす るための基本的 な物の見方 と枠組み」 を生来 身に つ けているように考 えられ る。 しか し、結果だけ に注 目 して多忙 な保健活動 を続 けていたのでは、 この枠組 みは意識 され ない と考 え られ る。 上述 した例 では、わ か りやす くす る作業 の過程 に注 目 して意 識的 に質問 を続 けた ために、この枠組み が浮かび上が って来 た。で はこの普段 は意識 され ない枠組み とは何 だろ うか ? 例 えば、す ごろ く型 の枠組 みは誰で も持 っている もの なのだ ろ うか ? これ らの 意識 されない枠組み は、現場での試行錯 誤 を通 して段 々に洗 練 されてゆ くのだろ うか ? この ような認識 に関す る枠組み をよ り明確 な もの と して取 りだ し、それ を現実の問題解 決 に役 立つ形で支援 ・強化 してゆ くことは可能だろ うか ?

健康 認識学 の試 み

5.鍵康詔.#学の試 み 121

5 .健康認識学の試 み

社会医学 における視覚 コミュニカテ イヴ ・アプローチの発展 に向 けて

1.現代の風景

著者は現 在 この本 を長崎大学 の研究室で書 いてい ます。わが 国 におけ る近年の医 学 と医療の進歩 には、 目を見張 らせ る ものがあ りますが、 日本 が オランダや ドイツ を初 め とす るヨーロ ッパの国々 か ら西洋医学 を学 び始めたの は 、江戸時代 になって か らです。江戸時代 の初期 には江戸幕府の6次 にお よぶ鎖国令 に よって 、国交 を断 絶 した 日本 ですが、そ の中で長崎の出島は唯 一、 ヨーロ ッパ に対す る窓 口 となって いま した。 この ように西洋医学 を学ぶ窓口 は大 きな ものではな く、また言語の壁 も あったため 、学ぶ ため の苦労 は想像 を絶す る ものが あ ります。 この中で 、わが国の 医学の進歩 に大 きな貢 献 を した出来事 と して、例 えば杉 田玄 自 らに よる解体新書の 刊行 (1774年)が 挙げ られ ます。 日本 におけ る系統的な西 洋医学の 教育の初期 には、 シー ボル トが 1823年 か ら1830年にか けて、また ボ ンベが 1857年 か ら1862年 にかけ て長崎 に滞在 し、系 統的な医 学教育 を試 み ま した。特 にボ ン ベ は 日本 に着いた年 に長崎奉行 所 にて医学 を開講 し、1859年 には長 崎の西坂刑 場で解剖学実習 を行 い 、1861年 には長崎大学医 学部の前身 であ る小 島養生所 と 医学所 を開設 しま した。

西洋医学 との限 られた接触であ ったに もか かわ らず 、実 に多 くの ことを わが国が短 期 間にと りいれていったことが 読み取れ ますが、 なぜ この ようなことが 可能だった ので しょうか ? 西洋 医学 は、 日本人 とは社会的 に も文化的 に もまった く異 なる西 洋の人 々を対象 と して成立 して きま した。それを取 り入 れることがで きた背景 には、

この西洋医学が、社会 や文化 の差 を越 えた ところで 、生物 と しての人間 の共通姓 に 根座 した ものであった ことに由来 します。 す なわち 、オランダ人であっ て も日本人 であって も、人体 を構 成 してい る骨の種類 や形、内臓 の相対 的 な位 置や 形、体 の中 で生 じてい る生化学的 な反応 な どは同一です。 この 同

性が保 証 されて いる限 り、

5.健康piB諸学のBtl 122 オランダ語 や ドイツ語 で学 んだ医学知識は、その まま日本人 に当てはめ ることがで きます。 この ような臨床医学 における事情 は、著者が所属す る社会医学 の分野で も 認め られます。

社会全体 の健康 の水 準 を上 げて行 く際 には、近代 的な医学の導入 に加 えて、健康 を維持 ・増 進で きるよ うな社会 的な組織 や活動が必 要 とされ ます。長崎 県の出身で 後 に初代の内務省衛生局長にな った長与専斉 は、欧米の医療 を視察 した ときの事情 を 「松香私 志」 とい う著書 にま とめています。 これ によると、長与は視 察 を始めた 当初か ら、あちこちで 「サニ タ リー

「ヘ ルス」 な どの語 を耳 に しま した。 これ ら の語 を聞いた長与 は、 当初 はその意味 を 「個人にお ける健康保 護」 とい うように理 解 していま したが、その後 もっと深い意味があるのではないか、 と疑い始め ました。

そ してつい に、 「此 に国民一般 の健康保護 を担当す る特殊の行 政組織 あ ることを発 見 しぬ」 と記 しています。 この とき長与が ̀発見 ' し、その後 の衛生局 長時代 に発 展 させ たのは、欧米にならった衛生行政の組織で した。

この ようにわが国の近代医学 は、すでに出来上が っている具体 的な技 術や知識、

西洋の理性 によって 目に見 える具体 的な もの、例 えば基礎医学 や臨床医 学であれば 生物 としての同一性の原則 に立 った具体 的 な医学知 識 を、また社会医学 の分野であ れば衛生行政の理念や具体的 な組織 を急激 に学ぶ ことで発展 した と言えます。

この ように目に見 え、普遍

があ り、理鮎 でそれ を理解で きる具体的 な知識の吸 収 によって発展 して きたわが国の近代医学 の方法は 、現在の医 学教育に も当てはま ります。特 に医学部の講義では、朝から晩 まで殆 ど切 れ 目な く続 く講義 と実習の中 で、莫大な量の医学知識が学生 に与えられます。例 えば、痛み を例 にとって も、 0

しか し、

20

世紀 も終 りに近付 いて きた現在 にお いて、疾病 や健康 を理解 しよう とした時に、人間を生物 としての同一性 だ けで見 る ことではす まな くな って きま し た。例 えば

、qu a l i t yofL i f e

、ということが言われ出 してい ますが、これ らの動 き は理牲だけでな く感

によって人間を捉 え ようとす る方向です 例 えば 、痛みを例 にとって も、それが病んでいる人の 日常生活 をどの程度 に障害 しているのか、 といっ たことが問題 とな ります。 この ような視点 を大切 にす るならば 、かな り系統的に物 の見方を変 えていかなければな りません。言 ってみ れば、これ まで第三者の立場か ら、理性で コン トロール された厳密 な言葉 で語 られ ていた人の心 と体 についての知 識を、感鮎 で語 り直す必要があ るように見 えます。 そ してこの ような作 業の大切 さ が分かった ときに、我 々は気が つ くことが あ ります 。理鮎 につ いては我 々は多 くの

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