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F う 照

ドキュメント内 真宗研究17号全 (ページ 136-139)

︵大谷大学︶

別時意趣会通の問題は︑中国浄土教における大きなアポリアであり︑

﹂れ

に対

する

弁証

は︑

智頭

︑霊

裕︑

道綜

︑去

半日

導︑迦才︑懐感︑窺基︑神泰︑元暁︑わが国の源信などが独自の見解を示しており︑さらに元祖会下の証空︑幸西︑

そして良忠︑顕意なども会釈を試みている︒

しかるに︑宗祖の教学には直接この問題を提起して論証したものがないようでもあり︑一般的に別時意会通の歴史

は中国浄土教において結論を得ているとの理解もあるようである︒けれども︑諸師の会釈を仔細に検討すると多くの

問題を残しているのであり︑それらを通して宗祖の教学を仰ぐならば現生不退︑往生即成仏︑横超の直道の顕聞に至

る教理的必然性として︑大きな関係を見いだすことができる︒

さて︑この問題を考える場合︑そこに問題以前の問題がある︒

それ

は︑

凶原

典的

な問

題︑

同摂

論家

の問

題︑

であ

て︑前者は﹃摂大乗論﹄に関する伝訳に︑本論の三訳︵ゆ後親・仏陀一扇多訳2

巻︑

︵川

︶梁

・真

諦訳

3巻

︑③

唐・

玄挙

︑訳

3巻︶あり︑釈論に二種三訳︵世親釈論

ω

一梁・真諦訳日巻︑⑤惰・達摩笈多訳叩巻︑②唐・玄笑訳叩巻︑無性釈論也

玄社へ訳叩巻︶があり︑党本が現存せず西蔵訳のみ残っていることは︑周知の如くであるけれども党本が伝わっていな

いことは︑原典の解明上看過できないマイナスであろうし︑漢訳における諸本の用語を見ても通論家の批難したよう

な別時意の理解でいいのか︑さらにそのための会通の仕方が果して﹃摂論﹄の意趣を顕聞しているか︑そこに種々の

疑問

があ

ろう

世親が﹃釈論﹄顕了意依章に

依﹂と釈述するように︑無着の﹁大乗荘厳経論﹄

d 縁 此 六①事

と 為

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も 仰

望設 i i 手

四 月

秘主筆

密函

Z 治 伊

秘 衆

密 牛を 決

釈 定

し 入

故 名

此因

﹁復

次顕

一一

一不

大乗

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功徳

一有

一二

八種

一一

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仏障

二軽

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三僻

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:為

レ対

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僻怠

障一

故大

乗経

説若

有一

一衆

生一

願レ

生一

一安

楽国

土一

一切

当レ

得ニ

往生一称ニ念無垢月光仏名一決定当レ得一一作仏己とあり︑窺基にもこのような姿勢が見える向︑これら唐代の訳・撰述を

それ以前の摂論学徒は知る筈もないけれども︑

ともあれ別時意趣は四意四依全体の視点から把握されるべきもので

あろ

うし

そこに今日的課題として十分研究されねばならぬ必要を感ずるのである︒

③ 

﹁如ニ無量寿経説一:::﹂が訳者の補足かどうかの論議も原党本不在によることを思えば︑内容・形態ともに原典的な

なお

︑ 仏陀扇多訳﹃摂論﹄文

たしかめの問題が残っているけれども︑小論では到底それに触れる余裕がないし︑問題を限定して漢訳諸本とそれの

理解および弁証を対象として論究したい︒

倒については︑摂論家の諸師︑真諦︑智恒︑曇遷︑僧弁︑道基︑法護︑智

儀︑などの著述が散逸しており︑論難の趣旨を詳細に直接知ることができない︒ただ会釈の諸文を通して間接的に窺

うのみであり︑ここにも別時意論評の資料的限定があるといわねばならない︒

ただ︑道宣の史眼から﹃続高僧伝﹄道梓伝の終りに 難=継相同﹂と批判している点から見ても︑摂論家の学風が実践から遊離した観念的なものであったと推察される︒

﹁今

有一

一惰

夫一

口伝

ニ摂

論一

惟心不レ念縁境又需

用レ

此招

レ生

別時

意趣

会通

につ

いて

別時

意趣

会通

につ

いて

一 一 一 一

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意、血『」四群

述 論

と 疑』=

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﹁有 釈者 言念 仏修 二十 六観 一等 即是 発願

又有

釈言

論師

雄レ

挙一

一願

一吉

一意

亦取

一一

其念

仏一

亦 かの徒が由って立つ瑞伽教学の論理からは報土へは地上の大土でなくては往生を認 めないし︑当然その因行においても円満の行が必須条件となるから︑

下品の凡夫による願生の行などは︑行の規準に

入れなかったものと考えられる︒

このように見てくると︑別時意論諦の展開には二つのアポリアがある︒第一には︑

すでに善導も注意したように一

行別時︑万行円備成仏といわれる成仏︵一行︶別時意の問題である︒これは後に述べるが︑念仏成仏が証明されるた

めに

は︑

一行と万行︑念仏と諸行との関係が究明されねばならないのであって︑名号の勝易二徳を説かれた元祖源空 にも その 試み が窺 われ るが

︑ 宗祖 は

﹁教行信証﹄等においてこのアポリアを透過し︑念仏の絶対性を完全に証明さ

れ︑往生即成仏の円頓性が示されたのである︒

第二 のア ポリ アは

︑ 善導はじめ諸師が種々に会釈を試みた往生︵唯

願︶別時意説にひそむもので︑

会通の一般形式ともいうべき願行具足論の理解にしても︑機の三業において考えた り︑あるいは生願仏行と配当したり区々の状態であって︑聞己即滅の機の問題が看過されたり︑

さらに前述のごとく

瑞伽仏教の行規準から見て行の本質そのものが具足の名に価するかどうかを厳しく批判され︑改めて願の本質から問 われなければならない所以があり︑源信は願に注目して大菩提心の徳用を明らかにする方法で唯願別時意を会釈され

− 園 ︑

︑ 当 ︑

さらに宗祖は浄土の大菩提心︑横超の金剛心を強調して︑間信の一念における現生不退の論理と時制とを明さ

聖道

方便

一加 の れ︑このアポリアを高い次元で釈答されたといえよう︒そして︑証空︑幸西などに見られる聖道別時︑

発想が︑宗祖の二費四重の教判においてはより有機的に︑

より 深層 的に 表現 され て︑

誓願一仏乗の世界が証明された

のであり︑この意味で両別時意説はその﹁意趣﹂を果しえたといえよう︒

ここに︑小論の指向する問題の限定と設定とを示したわけである︒

諸師の会通を検討するに先立って︑真諦訳﹃釈論﹄文を抄出すると︑﹁論回復次有一一四意四依

A一 切仏 世尊 教応 ユ随 決 了

釈日

如来

所説

正法

不レ

出ニ

四意

四依

一此

意及

依一

一由

三性

一故

可ニ

決了

一若

離一

三性

一無

一一

別道

理一

能決

一一

了此

法一

論日一平

等意

釈日

目言

如下

有レ

人執

巾平

等法

爾説

ム即

是我

世尊

亦爾

平等

法身

安一

一置

心中

一説

一一

如レ

是一

一一

口一

釈日

非一

一昔

昆婆

戸即

是今

釈迦

牟尼

一此

説中

以一

一平

等一

為レ

意是

名一

一通

平等

一若

一説

一一

別平

等一

謂因

果思

論日

警如

一一

説有

一昔

是時

中我

名ニ 見婆 戸一 己久 成仏

皆同

是名

−一

平等

意一

論日二別時意

釈日

若有

ニ衆

生一

由コ

欄堕

障一

不レ

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勤修

行一

如来

以一

一方

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説由

ニ此

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一於

−一

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正法

中一

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一行

方便

説一

者論

日誓

如一

一有

説一

若人

語一

一持

多宝

仏名

一決

定於

ニ無

上菩

提一

不一

一更

退堕

釈日

是慨

堕善

根以

レ語

一一

多宝

仏名

一為

レ進

一一

上品

功徳

一仏

意為

レ顕

ニ上

口問

功徳

一於

一一

浅行

中一

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令下

於ニ

欄堕

一勤

中修

道上

不下

由−

曜論

一一

仏名

即一

不−

一退

堕一

定得

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