戸u.. 吊
井
喜兵 衛注 側右者常井喜兵衛夢想之巻喜兵衛自筆
注
側 ニテ書記被置候ヲ七戸権右衛門へ相侍被申候
高上極位夢想心鏡明鑑之巻。末にも添え書きがある。 写真。6)
夫S
Yじ
禄
五三十
へ 役
J
fr 七、.‑‑相 ( ゆ 年 三
侍 関 八
月十
善
之承
及 末 端 棟 方 嘉 権 共 右 衛 校 矯 へ時円 相 布
f
専 同年 月 十 四 日 予 と 指
薄
授i主夫
事(]毒
5
‑ 浅 利 伊 兵 亡
荷居合ノ印可不残申請帳番物斗 命
川﹁議方﹂鋒辻ホコ︑箪の先勢︑鋭い勢のことであるが︑こ︑では鋭い太刀の意︒ 日 迂
出﹁打発﹂州大相として打つ︒
円か ん︾
山間﹁如噂簿鵠将軍太万入手﹂﹁関将軍の太刀を奪い得て手に入るるが加しJと読む︒﹃無門関﹄の﹁第
吋欝の語此対話・無門関い一間1
一 一
O頁参照︑既出)に出ている︒
︿号ゅう
dv
w
ハか んう
﹀
﹁関将軍太刀ヘ盛山内爵﹄では﹁太刀Lでなく﹁大万﹂である︒﹁三国時代の欝舗の何回であった関認の所持した長柄の大刀Lを指 しているが︑禅の上では﹁あらゆるものを載断して残きぬLという意があり︑﹁盤
r
の一万で分別意識をたち切ることである︒﹁鵠の劉備の臣で天下に豪勇を轟した関羽からその得意の大万を奪いとっておのれの武器としたごとくLと訳すが︑ニ︑では次の
語句﹁幹生死陣頭持大自在
1i
i﹂と連動し﹁無﹂の一刀の意が伏せられている︒
川間﹁舵生死弾頭得大自在向六道路生﹂8﹁岩ム口外物次第五Lの﹁官同上総位之巻﹂の注3
参照
︒ 山間二趨重入怒来之地い二超直入して如来の地とならん
Lと読む︒﹁連安から一気に︑併ものにもさえぎられることなく仏の境地
に至るであろうじということ︒
山間﹁得本英愁宋﹂﹁本を得て米を愁うるなかれ
L O
﹁線本を体拙付して︑生死がどうのと末々のことを愁うるようなことはするな︒Lと
ぃ ︑ つ 車
息 ︒
的﹁如誠腕嶋璃合横方不求真本賠妄﹂﹁誠に瑠璃は{五万全含み︑真を求めず妄を断た
るr c
が如
し︒
L﹁瑞璃﹂(琉璃)は七宝のひとつで︑つやのある青い宝石のことであるが︑吋雪聾頒古﹄の十八期﹁粛宗と患国師の無縫塔﹂︿司揮の
一語
録日
・雪
費額
古
h五六i五九頁参賠⁝)の意にならい︑こ︑では﹁滞土L
と理
解す
る︒
まことに持士は︑﹁無Lの一刀のような宝万を含んでいて︑ぞれ故に︑殊更に真を求めるとか迷妄を眠とうとかあがくような
超州
拘子
し︿
一千
悶高
士 と
はし
ない
ii
ーと
い︑
つこ
と︒
︿亨ょうちV
削﹁了知﹂﹁了﹂器識すること︒明らかじすること︒﹁知
L知ること︒きとること︒了知は明らかにきとること︒
(ノ︑よノ︾仙川﹁聾﹂最も難解な鱒所のひとつであるが︑こ︑では︑正保二年二六四五)五月十二日︑宮本武蔵が寺尾孫之丞にあてた﹃五輪
書の﹁空の巻﹂(今品川一晴雄編吋日本武道全集・第一歩四九OlE九一一泉参照︑既出)の一手乞引用して詮としたいの
﹁内ぬといふ心は物毎のなき所︑しれぎる事を空と見たつる也︒加の議空はなきなり︒ある寸前をしりでなさ所を知る︑是則的変説︒世の中におゐてあしく見れば︑物をわきまへぎる引所を空と見る所︑実げ空にはあらず︑皆をよぶ心なり︒此兵法の道におゐて
も︑武士として道をおこなふに士の法を知らぎる所︑空にはあらずして︑色々まよひありてせんかたなき所︑を空といふなれど
も︑是実の空にあら
5
也︒武士は兵法のま同ピ覚へ︑其外武ぎ能つとめ︑武去のおこなふ道少もくらからず︑心のまよ
ふ所なく︑朝々時々におこだらず︑心意二つの心会みがき︑観見二つめ践をとぎ︑少もくもりなく︑まよひの雲の晴れたる所こ
そ︑東の空と知るべき也J締﹁常井‑警県警一時船︒本資料の巻物では常井喜兵籍直則と番かれているが吋輿議士一物語・巻目下恥では﹁期直Lとし可青森繁人 名大事典Lも﹁則蹴﹂としている︒
出告については不詳であるが﹁羽州L生まれで秋田卒人と一五われる︒津軽弘前第四代藩︑法借政が居合武芸者として﹁弐在石﹂で百
し拾え︑﹁御手廻﹂﹁議馬蝿﹂︒武芸は一誌であったが大讃豪で不行儀もあったらしい︒門弟数も多かったが︑そのやでも保出してい
た七戸権右衛門・浅利判伊兵衛が門弟指導に当っていたというc伝系にみられるように浅利指兵籍均禄の師匠に当る人物で・ある︒
船﹁七戸権者欝開けい﹃奥富士物語・巻関下いによれば﹁七一円五太夫(権右衛門)︑一一宮五十石にて物頭︑宝欝初め頃死去しという︒
常井喜兵第の高一一弟で浅利伊兵第の兄弟子に当るようであるが︑一流操十五年二月十四日死去している︒
間﹁松出善之丞い常井装兵衛の門弟︑七戸権お構門の弟弟子にお一る︒
MW
﹁棟方嘉兵衛﹂需井喜兵衛の門弟︑七一戸権右衛門の弟弟子に当る︒
ω
書物{巧ニ荷樽護﹂伝授の方法には三通りある︒つ業(椅技)の伝授二︑口伝一一一︑語︒浅利伊兵籍は松山善之永一より書伝を受けたということであろう︒当居合の術技については常井喜兵衛より直一接指導を受けていたものと思われる︒
解 ー︑本資料は捧軽弘前第四代藩主語政に 説
って
で召し抱えられた林崎新夢想流居合の
た一巻の写しである︒浅利伊兵籍均禄が吉井喜兵備より授与きれた の原本と思われる︒また︑が寸均禄夢想居合極意之巻Lをつくる端緒とな
た
われ
る︒
2
この
巻が拶兵衛均提のもとる経緯はの添え書きにみる︒すなわち
いて
おいたこの﹁夢想之巻﹂・皆︑高弟七へ相伝したが︑同権右寄門が
月 十 四
5
死亡したのその妻子より同年間八月十六の弟
弟子
松山
善之
丞へ
缶︑
ぇ︑
ら更に捜方嘉
それかへと伝えられたというのでみる︒それが正第五年七一五
日 の
とで
︑
その時には﹁夢想之巻﹂のみではなく︑林崎新夢想流居合の印可に関する書物一切であ
たら
しい
︒
3︑本資料の本文について
高上極位夢恕心鋭明鑑之巻
持居合は夢想明鑑至極の秘籍︑動静黙黙として終る︒鋒万
ハかんしよう守ん)赴れ関将軍の太刀︑そ奪い得て子に入るるが加し︒生死岸頭に於いて大自在を得︑六道西生に向かいて
にゅう}入︑如来の地とならん︒本を得て末を愁うるなかれ︒誠に瑠璃は宝刀を含み︑真を求めず妄を断たざるが如
ハむ げ)
し︒了知二法は空にして無相なり︒無相は無空・無不空即ち是れ真実の相︑心境明鑑無離なれソG
︿ゆいじゅいちにん)なり︒秘すべし︑唯授一入︒
し3
ことなく退くことなくして
超 車
の兵構是れ
そもそも居合は︑澄みきった静かの極致にある秘術である︒その秘術たるや︑動にし静にして 4
イコ
ね
のうちζ黙然と大事を済まし終︑えるものたとい
しミ
つ
ミ ミ 了
し・ 力六
︒
い太万に逢っても︑少
しも惑わず︑進むことなく退くことなく︑間髪を入れず対応して打つ︒これは︑かの著名な中国の猛将関拐の大
にしている大万を奪いとっておの仇の武器とするようなもので︑明鏡な心であればこそ︑平常心のうちに機に
臨み変に応じてこのような難事をや
てのけることが
る ︒
まさに暁鏡︑心は︑生死のに富一面して怒々とこれに応じ︑現世の顕逆の境にあって直ちに仏の境地に至らし
めるものである︒このば︑生死がどうの現世の壌がどうのと悩むことはない︒このことは︑まことに︑
が宝刀を内在している故には何かなどと求めたり︑迷妄を額ち切ろうとあがいたり試しないの
と同じことだQ
きとることと知ることの
法
で為って実鉢があるのではなく無相である︒無相は︑知るべきことも知らず︑
学ぶべきことも学ばず
l !
というのではなく︑知るべきは知
て少しも関いところがなくべきことは奥の
奥まで学びきてこそ撰棺という︒これの相というものだ︒ここにこそ心鏡明鑑︑何ものにも訪げられず︑
何ものにもとらわれない昌由昌在がある︒これが林崎新夢想流居合の極致でみる︒それ故にこの秘伝は軽々
えではならず︑日似︑えるに口ぬる人物唯一人に相伝すべきである︒
リ円︑居合印可十ニ期之次第
本資料は先が欠損のため標題は不詳︒ただし表に
抑制字で次の覚︑ぇ書き様の器︑ぇ諜きがある︒人物画は
介#L
(一七一五)
﹁ 正
徳 四
乙
来年八月五日棟方氏
5 伊兵衛我等御相惇書写﹂
﹁居合印可十二用之次第
L林崎新夢想流居合
極位秘術唯授一人目
十二用次第
録写 真 m
第 第 第 第 第
四
第五
第 第六七
第 八居合印可十二用之次第(1) 写真問
第 九 第 十 第 十 第 十
こ
七二 ハ
享保元丙申
八月五日
林 崎
写真側
甚助重信 田宮平兵衛照常 長野無楽斎穫露
一宮左太夫照信
谷小左衛門季正
七戸 常井喜兵衛直則
権右衛門 松 棟
山
善之丞
嘉兵衛
I l
‑
‑
方
居合印可十二用之次第(2)伝系の部分と日付。朱印・花押はない。
写真側
解
ー 説
︑﹁
十
には形を一不す人物画はなく︑
既出
︑
九
グ〉
lま
刀 法
グ〉