• 検索結果がありません。

省│享

ドキュメント内 津 軽 弘 前 議 の 武 芸 川 間 (ページ 38-51)

林崎新夢想流居合 極位秘術唯授一人

向次第

押立 写 真 山 側 海 押抜

写 真 目 安 防 身 写 真 目 立 除身

写 真 的 東 幕越

写 真

M Z

nHMM‑J

│ 

ι

浅利静兵衛慰殿

5︑﹁居合右身之次第

形詰人物画をも

て一

一小

毒し

てい

林崎新夢想流居合

極註秘祷唯授一人

主義

右身次第

突入

写真

一定

柄取

写真

山室

回以

足芝

持一

円 配

川 町

一 弾

jl

il

i

!

浅利研兵衛尉殻

6︑﹁結合左身之次第

形は人物爾をもって示している︒

林崎新夢想流精合 援位秘術唯授一人

ムぷ

身次

関抜

写真

似通

鞭結

E な ま

向足

写真

浅科研兵諾尉慰 言

主療義現 官 代 1tf: 匝)  写 寄 lE

  J Z

物申人 次第

人 合居

寺本 なてl.四

崎 し

る 甚

巻 子 本

浅利伊兵衛尉殿

8

﹁ 居 合 外 物 次 第

田宮平兵衛照常

長野無楽斎檀露

一宮左太夫照信

谷小左衛門季正

常井喜兵衛尉直則

形は人物画をもって示している

巻子本

林崎新夢想流居合 極位秘術唯授一人 目

外物次第 録

頂上

写真

側楽

切先 廻写 真側

※ 二方 詰写 真糾

高上極位之巻写

真 附 抑此兵術者自己黙然而

無レ進莫レ退左右又如レ斯唯

向 陵 是

云 J 主 主 芦

道 方 会 源

四二

i

J+.注三七 二十(2)死 銅

空 岸 延 古 頭 上

会得走

世 犬

7

. K 問 自

E

空無併性空々真按レ之右之

兵術是也

ヘ千金莫侍可秘々々 唯授一人

高事抜

居合外物次第五「高上極位之巻」の部分。

写 真 附

K

令位

浅利伊兵衛尉殿

d=. . 

ー 通 林崎甚助

重信

田宮平兵衛照常 長野無楽斎檀露

一宮左太夫照信

谷小左衛門季正 常井喜兵衛尉直則 浅利万之助均費

浅利金五郎殿

2 (1) 

の出

品開

八三五

いて

の巻

()

に︑刀法﹃銅忍誠﹄について説く醤所があ

心形刀流の松浦静山が議き著した武装警

︑ そ の め

⁝ 節 が あ る

に弁んぜり︑然れどもただ韓震にして正説なし︒近頃組問くσ民事 宋 に 日 く む 齢 十

⁝ 諸 制 一 切

¥ 是 非 交 結 の 加 地

︑ 聖 も 亦 知 事 能 は ず

︒ 逆 順 縦 横 の 時

︑ 仏 も志弁る事能はずο絶世超倫之土と為て逸群大士之能を顕はす︒は一一口一一区一院氷凌上に向って行き︑銅乱上に走ると︑これ巴しく鋸浮

上の文字の出づる所なり︒以下唱し︿今村嘉誰一編正本武道全集第一巻﹄所収︑﹁鰻致件二.七八││二八三真︑⁝九六六︑人物註

来社)

本資料の﹁封割問来上走氷陵

t L

辻︑右のJ綴致﹄成立以前の信奉一回の⁝節であるので在からの引用とは考えられない︒

また︑寸林時流居合指南秘伝書﹂1mm富流和銀秘之巻

L J出宮流居合目録﹂等

18 本武道全集第七鳴い所収︑二五五ーーコ千八支 援出)にも出てこないところから︑間流の話番に︑もともと使われていたかどうかも不詳であるc

T7L

}

﹃郎総決﹄のいう中国末代の閣情克勤禅鮮の

JW

巌集恥︿吋碧巌録﹄とも︒設くは♂伯楽欝倍禅都議巌録いまたは叶仏果碧議被襲撃

︿事ょうしよう}円うてきぞいV蔀品という﹀のJ経一一部いからの引用というの誌︑五w巌鎌μ

第 四 十 六 則 吋 鋭 諮 問 満 繋

﹂ の

1知二氷凌

t

︑ 組 乱 上 定 一

﹂ ( 氷 凌

}

u h

{

Vg

いし

に一

行き

︑飯

kに殺るが加し﹀からでみるつまた︑同じく綴⁝百則の

15

鞍吹毛緩め寸詳唱﹂に﹁氷陵上行﹂の語はないが

お司ヴかぶ鍛浮上吹レモ試レ之︑党ハモ・日断﹂︿鋭ゑヒに毛を吹いて之を試むるに︑笠ハの毛自ら断つ)と寸鏡浮上Lの語は見受けられる

c (

朝比

奈系議訳註式品巌録・山TL

一三

二ー

一一

一一

三夏

︒吋

路面

巌諒

・下

﹄二

四四

i二四七頁︒罪法文産)

よ泌総撒詩恥は︑﹁市来人宗門第一の書¥とよばれて仏道修行のテキストに用いられ札︑中間出・5本を通じてもっとも流行した禅の公

案集

L 3梯教大事典﹄参考︒一九八↓八︑小学館)であったので︑武芸修行者もまたこれに接する機会が少なからずあったと考えられ

しかし︑無関ハ慧開禅師によって﹃碧麗録﹄の約百年後に成立(中国・南宋紹定一応年人一二一一八ヤ)したといわれる﹃無門関﹄の第

(2

)

三十二ばパ道局仏﹂の﹁頒﹂においても寸額浮上に行き︑氷按上に走る

Lの語は見られる︒︿寸悩憾の語諮問﹂盛山門間﹄平田高士

註︑二一O

二一

一一

一頁

︑一

九六

九︑

筑摩

書一

身)

右を整理すれば 碧 巌 録 第 四 十 六 則 知 二 氷 凌 上 行 銅 来 上 走 一 無 門 関 第 三 十 二 親 来 上 行 氷 凌 上 走 本 資 料 到 二 一 蹴 来 上 二 走 二 氷 陵 上 一

となり︑本資料では﹁行﹂が﹁到﹂に︑﹁凌﹂﹁稜﹂が﹁陵﹂に変えられ︑語の並べ方も﹃碧巌録﹄の﹁氷凌上﹂が先にあったのが︑

後者では後におかれている︒どちらかの引用かは軽々に断じ難いが︑語の並べ方の点や﹃無門関﹄の方が広く流布されていた点か

ら︑﹃無門関﹄からの引用の可能性が強いと考えられる︒

(また︑飯篠長威斎家直を流祖とする天真正伝香取神刀流(新当流)の第七代・飯篠盛繁の﹃新当流兵法書﹄(寛永の頃八一六二四

( ) ( )

│一六四三﹀成立)の﹁玉簾集﹂の一節に﹁得一一自由一則親身上行︑氷陵上走︒是微妙不可得之儀﹂(自由を得るは則ち親身上を行

き︑氷凌上に走る︒是れ微妙得べからざるの儀なり︒)(今村嘉雄編﹃日本武道全集第二巻﹄所収︒二五六頁c既出)とある︒本資料

のみでなく︑他流の武芸伝書にも﹁銅来上行氷凌上走﹂の禅語が使われていたことを物語っているが︑この﹁新当流兵法書﹂から

の引用とは考え難い︒

ω

﹁到二一飢来上一走二氷陵上一の意味について︒

意味については︑司無門関﹄の﹁頃﹂を語句通り解釈すれば﹁(仏と外道の問答は)鋭い観の来上を行くがごとく︑またいつ割れる

かわからない氷の上を走るようなものである︒ちょっととまどうと喪身失命する﹂(﹃無門関﹄平田高士訳注︒一一二二頁︒既出)とい

うことになろう︒

しかし︑禅者安谷白雲はその著﹃禅の心髄・無門関﹄(二一二一頁︑一九六五︑春秋社)で﹁銅来上に行き︑氷稜上に走るは︑二っ

とも誓えだ︒ぐずぐずしていると足が切れるし︑すべってころぶと︑言葉の表面では︑外道の機敏な所を歌っているが︑実は分別心

が少しでも動いたら︑すぐに足がぶち切れるということだ︒ハテナと頭をひねったら︑一ぺんに落第だということだ﹂と述べてい

Q

本資料に即して意訳すれば﹁わが身の無事を少しも考えず︑自ら死生の境に身を投げ入れて自他の餌に活殺をゆだねる﹂というこ

とになろう︒この心底を禅の語句をかりで表現したものと思われる︒

ω

﹁卦二生死岸頭一得二大自在一向二六道四生一空﹂の出典について︒

前記﹃無門関﹄第一﹁超州狗子﹂の次の一節からの引用ではないかと思われる︒

﹁前略│1︒逢仏殺仏︑逢祖殺祖︑於生死岸頭︑得大自在︑向六道四生遊戯三昧︒││後略﹂(前略││︒仏に適うては仏を殺

(4) 

し︑祖に逢うては桟を殺し︑生苑岸頭に卦て大自在を得︑

関恥平田合同士訳注︑一四

li ニ

O頁︒既出)

右の意味について

Jハ

道回

Lについて︑中村一芯著

ι

4 w

では﹁六道は業生が業に従っておもむき住む六種の世界︒地裁︑競飢鬼︑車教語大僻典

生︑岡修羅︑入問︑天上を去︑九四生は生類をその昌生の形態上から四つに分醸したもの︒胎生︑卵生︑湿生︑化生をいう

O L

と述

べて

いる

注川仰の平田高士は︑右のJハ遵西冷亡について﹁輪廻の世界をいう︒地獄・餓鬼場資生・修羅・人間・天上が六濫で︑弘知生・卵

生・謹生・也生をいう︒述いの世界のすべてLと滞べている︒ 右は⁝偶者とも寸六道回生しの語句の解釈として述べているが平田高士は先に挙げた﹁越州狗子Lの⁝節の意味については次のよう

に訳している︒

J

略 ii i(

無の一宇の別体験こそ詰﹀釈迦に逢うては釈迦を殺し(仏縛を破りて連勝に逢うては達磨を斬って捨てる(控師

縛を破る﹀のであり︑そのとき︑君たちは生死無常の現世に在りながら︑無生死の大吉在をチに入れ︑ムハ道や題生の世界に荘りな

がら︑すでに平和と真実の世界に遊んでいる︒Lまた︑右と同じ鵠醗について安谷白骨一古川︑逼げの︑心髄・無門関恥︿既出︑三二i三一一⁝東﹀で次のように訳(嫌嶋﹀している︒

J

gieすなわち仏といわれる釈迦が出て来ても︑祖師と呼ばれる連勝が出て来ても︑一万の下に新り殺してしまう︑とは何

か︒ぞれは仏の教︑えを聞いても︑その一言葉に執われることがなくなり︑祖婦の一畳一市を開いても︑その一一段匂の末に持泥することがな

くなるということを強く表現したのだ︒

したがって貧苦に加均しても憂うることなく︑慈賞に処しても騒ることなく︑堂々と正しく︑立援に人生を生き抜くことができる

とともに︑いつ死に室面しでも︑怒々として︑これに応とて適当な態度をとることができる︒そして︑地様︑競由加︑議生︑修羅︑

L

L人間︑天上等の六道の世界に︑あるいは胎生︑あるいは路生︑あるいは福生︑あるいは化生と︑何になっても︑決して瀬濃の境

に鵠まきれることがなくなり︑常にそれらの生活を︑あたかも児獲が嬉々として余念なく離れていると同じように︑憐挟に満喫す

ることができるようじなるJと︒この方がわかり易い︒

本資料に却して意訳すれば︑

Jt

宛を分けるぎりぎりの場でなおかつ態々と自由な心境にあるということは︑現世のいかなる趨

りあわせにあっても無心でいることができるLということになろう︒

Sぷ一山悌性﹂①仏となるべき可能性のないこと︒@仏建はわれわれの心にあり︑あら命るものはみなこれの顕現であるから︑仏性

に向

って

︑遊

戴一

一一

味な

らん

;i

後略)(禅の措錨認﹃無門

(5) 

ドキュメント内 津 軽 弘 前 議 の 武 芸 川 間 (ページ 38-51)

関連したドキュメント