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第 4 章 実験結果と考察 89

4.4 Polyethylene の CARS 信号の低温での測定について

4.4.3 Coherent 分子振動の温度変化に関する考察

CARSスペクトルの温度変化について

図4.28において、温度を6Kまで冷やしてCARSスペクトル測定を行うと低波数側 の強度が大きく変化した。この原因は高分子の主鎖(C-C結合)の倍音がCARS信号 発生に関与しているためであると考えている。自発ラマンの場合、温度を変化させた ときラマンスペクトルは変化することが報告されている。具体的には、C-C結合の倍 音(2310 cm1)、3倍音(3040 cm1)のラマン強度が増加する [6]。このような変化が CARSスペクトルに現れたと推測している。または、Polyethyleneは図4.32、表4.3に 示すように炭素鎖C-C結合とCH2結合同士で結合音や差音として複雑な振動状態が 存在することが予測される。それ等の振動が低温になって変化したのではないか考え ている。

図4.32: PEのCARSスペクトルと振動モードとの対応図

表4.3: PEの振動モードと波数の対応[7–9]

コヒーレント振動緩和時間の温度変化について

時間分解CARS法を用いて測定した、常温時と冷却時(6K)のPolyethylene中に存 在するCH2基のコヒーレント振動緩和時間を比較すると表4.4となる。

表4.4: 常温と低温のPEのコヒーレン振動緩和時間の比較

CH2対称伸縮

(2868cm-1) 180 fs

Mode T2 ( fs )

CH2対称伸縮

(2868cm-1) 450 fs

Mode T2 ( fs )

CH2反対称伸縮

(2932cm-1) 80 fs CH2対称伸縮

(2932cm-1) 90 fs

常温時 冷却時 (6 K)

ここで、1つの振動モードの振動準位を単純な二準位系と考えると、この二準位系 におけるコヒーレント振動緩和時間T2は、振動の寿命T1と純位相緩和時間T2 を用 いると

1 T2 = 1

2T1 + 1

T2 (4.1)

と表現することができる。この関係は光学遷移の二準位系についても成立することが 知られている[10]。この式において、温度の影響を受ける項は純位相緩和(1/T2)であ る。したがって、サンプルを冷却することで純位相緩和の影響を無視できるほど小さ くすると式(4.1)は

1 T2 = 1

2T1 T1 = T2

2 (4.2)

となり、振動の寿命T1を見積もることができる。

冷却時のCH2対称伸縮振動のコヒーレント緩和時間T2を式(4.2)に代入し振動の寿 命T1を求めるとT1 =225 fsと求めることができる。同様にCH2反対称伸縮振動のコ ヒーレント緩和時間から振動の寿命T1を求めるとT1=45 fsとなる。

求めたそれぞれの振動の寿命T1は温度変化によって値が変化しないと仮定すると、

式(4.1)に常温で測定したコヒーレント緩和時間と振動の寿命をそれぞれ代入するこ

4.4. PolyethyleneのCARS信号の低温での測定について 117 とにより純位相緩和時間T2 を求めることができる。その値は、CH2対称伸縮振動の 純位相緩和時間T2 =300 fs、CH2反対称伸縮振動の純位相緩和時間T2 =90 fsとそれ ぞれ見積もることができる。以上より、サンプルの温度が上昇して常温になると、純 位相緩和の寄与が大きくなり、常温での速いコヒーレント振動緩和時間を与えている ことが解明できた。つまり、温度上昇により、Phononや高分子中に存在するといわれ ている二準位系の揺らぎが大きくなり、その影響でコヒーレント振動緩和が速くなる ことを示唆している。

純位相緩和時間の寄与について

二準位系モデルとCARS法によって得られたコヒーレント緩和時間からCH2基の 対称伸縮振動と反対称伸縮振動の振動の寿命と、常温における純位相緩和時間をそれ ぞれ求めることができた。ここで、温度により影響を受ける純位相緩和(T1

2

)に着目す る。CH2の対称伸縮振動と反対称伸縮振動の純位相緩和時間を比較すると、反対称伸 縮振動の方(1/90 fs)が常温における熱(Phonon)、二準位系から受ける影響が大きいと いう結果であることが分かる(表4.5)。

しかし、反対称伸縮振動のコヒーレント緩和時間の求め方には問題がある。今回反 対称伸縮振動のコヒーレント緩和時間は3.3.4節のビートを持たないコヒーレント振

動緩和のFitting方法を用いて求めた。しかし、対称伸縮振動と比べて反対称伸縮振動

の緩和時間は光学系の時間分解能程度の値しか持たない。そのため厳密なコヒーレン ト振動緩和時間を求められていない可能性がある。以上のことから、反対称伸縮振動 のコヒーレント振動緩和についてはより正確なFittingモデルを適用してコヒーレント 振動緩和時間を求める必要があると考えている。

表4.5: PEのコヒーレン振動緩和時間の比較

CH2対称伸縮

(2868cm-1) 180 fs

Mode T2 ( fs )

225 fs 300 fs

T2 ( fs )

CH2反対称伸縮

(2932cm-1) 80 fs 45 fs 90 fs

常温時

T1 ( fs )

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参考文献

[1] T. Kozai, H. Miyagawa, N. Tsurumati, S. Koshiba, S. Nakanishi, H. Itoh, Proceeding of Ultrafast Phenomena XVII, Oxford University Press, 251 (2010).

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Nakanishi, H. Itoh, Proceedings of CLEO Pacific Rim 2011, Optical Society of Amer-ica, 193 (2011).

[3] T. Kozai, S. Yamashita, K. Hirochi, H. Miyagawa, N. Tsurumachi, S. Koshiba, S.

Nakanishi, H. Itoh, Chem. Phys. Lett., 553, 26 (2012).

[4] S. Yamashita, T. Kozai, K. Hirochi, H. Miyagawa, N. Tsurumachi, S. Koshiba, S.

Nakanishi, and H. Itoh, Proceedings of CLEO Pacific Rim 2011, Optical Society of America, J537 (2011).

[5] T.Kozai, Y. Kayano, T, Aoi, N. Tsurumachi, S. Nakanishi, J. Raman Spectrosc.

(2015).

[6] T. Lue, S. Xu, Z. Li, M. Wang, C. Sun, Molecular and Biomolecular Spectroscopy, 131, 153 (2014).

[7] S. Mohan and A. R. Prbakaran, Asian J. Chem.,1, 162 (1989).

[8] N. B. Colthup, S. E. Wiberley, L. H. Daly, Introduction to Infrared and Raman Spectroscopy , 2nd ed.,Academic Press (1975).

[9] F. R. Dollish, W. G. Fateley, F. F. Bentley, Characteristic Raman Frequencies of Organic Compounds , A Wiley-Interscience Publication (1974).

[10] Y. Matsumoto and K. Watanabe, Chem. Rev., 106, 4234 (2006).

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5 まとめ

本研究では、時間分解CARS法を用いて高分子に含まれるCH2基、OH基のコヒー レント分子振動緩和時間を求めることで、高分子中の分子振動ダイナミクス、特にコ ヒーレンス緩和のメカニズムと分子振動緩和のメカニズムの解明を目指して研究を 行った。以下に、本研究で得られた成果をまとめる。

高分子のコヒーレント分子振動緩和時間測定について

本研究の成果として、高分子であるPolyvinyl alcohol、Polymethyl metachrelate、 Polyethy-leneのCH2およびOH基のコヒーレント分子振動緩和時間を測定することに成功し た。これらの結果は、実験的には難しいフェムト秒時間分解CARS法を初めて高分子 に適用することで得られたもので、世界的にみても初めての報告である。特に、常温 では測定困難と予測していた分子振動緩和が予想外にゆっくりであったこと、OH基 の分子振動緩和をCH2基から明確に分離して測定できたことは大きな成果であると 考えられる。また、PEにおいてCH2基の分子振動緩和の温度による変化を検出した ことで、分子振動緩和の理解を深めることができた。これらの結果から下記の知見が 得られた。

(1)高分子種ごとのコヒーレント分子振動緩和時間について

常温におけるCH2基のコヒーレント振動緩和時間測定では、CARS信号波形に現 われるビート信号および、2段階緩和波形を基に、対称伸縮振動と反対称伸縮振動の コヒーレント振動緩和時間を導出することができた。対称および反対称伸縮振動のコ ヒーレント緩和時間はそれぞれ、PVAで350 fs、300 fs、PMMAで300 fs、270 fs、PE

で180 fs、80 fs、と測定された。特徴的な点は、一般的に反対称伸縮振動のコヒーレ

ント緩和時間が対称伸縮振動より短くなっていることである。これは、反対称伸縮振 動がエネルギー準位が対称伸縮振動より高く、エネルギー緩和過程として、対称伸縮 モード へ遷移する過程が加わるため、反対称伸縮モードの寿命が短くなることを反映 していると考えられる。

もう一点指摘すべき事は、PEでのコヒーレント振動緩和時間がPVA、PMMAと比 べて極端に短いことである。PEは基本骨格がCH2基のみで構成されており、CH2に 誘起された分子振動が容易に近傍のCH2基に拡散できると考えられる。そのため、PE におけるCH2基の分子振動は共鳴エネルギー移動のプロセスを経て高速にエネルギー 緩和するため、非常に短い寿命(225 fs)を有していることを示す結果であると考えら れる。この短い寿命についてはPEでの温度変化の結果から証拠づけられている。

OH基のコヒーレント振動緩和時間の測定は、OH基を含むPVAのみで行なった。

実験の初期の予想では、OH基のコヒーレント振動緩和は水素結合による相互作用の ために非常に高速で、測定不可能ではないかと考えていた。しかし、実際の測定では

580 fsと、CH2基の対称伸縮振動のコヒーレント振動緩和時間350 fsより非常に長く

なった。この理由は定かではないが、CH2に比べてOH基の振動エネルギーの拡散が ゆっくりであるためではないかと考えている。

(2) PEにおけるコヒーレント振動緩和時間の温度変化について

PEにおけるCH2基のコヒーレント振動緩和を常温と6Kで測定した結果、低温にお いてはコヒーレント振動緩和が非常に長くなることを見出した。この温度依存性は、

CH2基の対称および反対称伸縮振動の両モードで観測された。このような温度依存性 が報告された例はなく、本研究により初めて明らかにされた分子振動の温度依存性で ある。コヒーレント振動緩和時間T2

1 T2 = 1

2T1 + 1

T2 (5.1)

と、振動寿命T1とコヒーレンスを乱す純位相緩和時間T2の2つの成分で決定される として解析した。6KではPhononなどの純位相緩和を起こす熱的じょう乱(Phonon、

Two Level system)がなくなっていると仮定すると、T1 =225 fsを得ることができた。

この振動寿命は短すぎると考えられるかもしれないが、∆ν = 2πT12 で計算される常温 のラマンスペクトル幅とよい一致を示すため、妥当な値と思われる。また、常温にお ける純位相緩和時間はT2 = 300 fsと見積もることができる。このことから、常温に おけるコヒーレント振動緩和への振動寿命と純位相緩和の寄与はほぼ同等であること が分かった。このように2つの寄与を分離した報告はなく、我々が時間分解CARS法 を行うことで初めて得られた結果である。

本研究によりコヒーレント緩和が受ける影響の種類やエネルギー移動に関する新し い結果を得ることができたと考えている。

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今後の展望

• 本研究で、PEに関して低温時と常温時のコヒーレント振動緩和時間を求めるこ とができた。しかし、より詳しく温度による影響を調べるためにはより詳細な 時間分解CARS信号の温度変化を測定する必要がある。その結果を解析するこ とでPhononの影響はもちろんその他の相互作用(Two level system)との相互作 用の寄与を確認できると考えている。

• 我々の3つの高分子でのコヒーレント振動緩和測定をもとに、他のより構造の 複雑な高分子の分子振動ダイナミクスの研究を行い、分子振動ダイナミクスを 決める主要な要因を解明することが課題である。

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