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一度食しても他来落に行きでは更BE
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同一敬匿に住するも随意の鹿虻て布薩するを得︒5
賛同時同省
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民衆議にて決するとを議員定数に満たざるも後に至︒て賛成さるるを務想して可決するは可︒6
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であって.南北雨停に依る十事は相営の相異があるが蓋し各紙の解揮の相異にも依る事乍ら摩詞借低律の如く犬家
部所停の律なるにせよ第二結集の記事を載せて居る限り十事に闘して詳しく研究して居たい事は一面不思議であるが
何れにせよ大衆部は進歩涯であり︑十事を提唱した方でありませうから第二結集の夫自身を問題にしないはやであり
ますのに第二結集の事を自ら記述し然かも是が上首としまして耶舎の名を出し︑
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居る底を見ると十事中の金銀静が営時一番の問題とたったものであらう︒備段是を裏書せるものが国
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小品第二章に於て十事の非法に閲して詳述して居る中に金銀浮が中心問題である事で︑今此の間の事情を見るに︑耶
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の重閣講堂に滞留してゐたとき宛かも布薩舎の自に蹴闇子族比丘等は銅鉢に水を盛り優婆塞の参9
詣者に向ひ︑﹁償伽=一銭ヲ輿ヘヨ︑或ハ宇銭ヲ或ハ四分ノ一ノ銭ヲ或ハ一厘ヲ奥へて借伽ハ共−一依リテ種々ノ用具
ヲ購ハシ﹂と︑金銭を貯積ぜんとする様子を見て憤慨せる耶舎は昆舎離の優婆塞を論評し蹴闇子比丘の非法を犯して
ゐると批難したのである︒掃に耶舎は破門されんとしたが越に脆して西の方コl
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宮崎賞捕に趣き更に阿呼恒阿山に居る隼者三浮陀商都和修の鹿に至り︑先きの趣を訴へ如上白非法非律を決裁されん事の讃同を求めた
是に依て各長老が諸方から昆合離に舎集して践閤子比丘とその問題の固滞在る解決を議したが︑末#八十事に闘する制
定がなく︑究罪科も判明して居らぬ故に論議紛粉として一向に纏ら・なかった︒共鹿で離婆多乃ち費議して南方より委
員を出す事とし︑東方よりは薩婆迦摩︑抄蘭.クツジヤソl
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離婆多︑=一浮陀商那和修︑耶合︑修摩那を出だし婆利迦園に舎し離婆多十事の一々を問ひ︑薩婆迦摩一々に答え十
事皆非律なりとす︒かくて蹴闇子比丘衆︿東方﹀を正法正律に惇るものとして正営祇たる︿西方﹀長老祇から撹斥し
てしまったのである︒是が契機とたって正営祇即ち西方と改革祇乃ち東方進歩振との雨祇封立とたったわけであるが
兎も角此鹿に十事の非法決裁は一段落したのであるが中心の問題は金銀静であった事は・先きの摩詞借抵律の速記にも
ある如く︑此れだけはさすがの改革振も認めたものである︒さればとそ此の大衆部所停の律たる摩詞情抵律に於て︑
その事が事質を事賓とし有りの偉にやろやく認識されたであらう事が背かれる弐第である︒此の十事非法の律結集を
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都 劃 立 思 考
一 一 一
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根 本 二 部 封 立 思 考
一 一
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第三結集と云ひ︑七百の比丘ある事より七百集法とも云ふが︑此れは小品に倖ふるもので︑島史阿︶町宮
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には更に此の十事の非法を決したる後七百の比丘が律結集したと一五ひ又七百結集後︑共に服せぢる徒が
別に大結集をし此によりて大衆部が起ると一五ふが十事の非法の決裁の舎議が第二結集でるり︑此は保守祇上座長老白
結集であり︑律中心の結集と一去って好いと思ふ︒
ロ︑大天の五事の新設
先づ大天出世の年代に就いては悌減百余年百二ハ年︑百三十七年.百六十年︑二百年以後等諸説が在り︑叉二人の
大天主立てL前大天︵舶主児﹀を以て伸減二世紀の初に出でて新設を唱えて二部を出立せしめたりとしの後の大天︵賊
住﹀を以て伸減三世紀に出でL大衆部の首領として再び前大天の設を唱えたりとする等甚だ異設が多いのでるる︒然
し西臓偉が阿育王の孫なる勇軍王︵
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阻む白時とし異部宗輪論述記が好雲玉︵恐らく阿育王の異名か︶の時とす
るを除いては︑執れも阿育王の時に置いて居るが故に若し此の阿育玉が悌減三世紀に川世した阿育王でるるならば
大天の出世も亦伸減三世紀の出世となるのである︒然るに錫惜侍は阿育王に二人ありとして前の阿育を迦羅阿育関白
由︒宮︵黒阿育︶と名付けて僻誠二世紀の初めの出世とし︑後の阿育を建摩阿育︵同︶号H P
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︵正
法阿
育︶
左名
付け
て伸減二百十八年即位してゐるを以て︑恰かも雨大夫を雨阿育に配賞して大天の問世年代を確定する事が出来る様に
思はれる︒而して雨阿育を倖ふる南俸には南大天を立てや︑之に反し南大天を立つる北停は南阿育を立てぬが︑今雨
倖の比較により一推測を下すと北俸が阿育王を以て伸減二世紀の出世とするは︑年代の上に一百年の短縮があるので
あって.又南停が二人の阿育王を立つるは一人の阿育王を其の師備前の暴君時代と師伸後の正法宣布の時代とに依つ
て善悪の二名を附して呼んだものが誤って別人の如く障べられ︑それに年代の錯誤が入って来たものでないか主恩は
れるo随って大天に舶主児︿貿易商の子︶と賊住︵混入外道﹀との二人を分つ事も恐らく同一大天の時代分裂であっ
て舶主兇にして同時に賊住であったものであらう︒叉慌に南大天共に貫在したとしても前の大天は悌減二世紀の初め
阿育王時代の出世でるるに相違たい︒弐に大天の停には虚構の設多く上座部及び有部宗からして彼の婆婆論に三無問
義bL犯せる極悪非道の徒とされ︑叉新設︵異端邪説﹀を唱出した動機を以て自他︵悌陀の敬へを携凱する︶を欺繭せ
んとしたものであると云ふが︑日疋等は反封祇たる上座部の徒の担遣に相違・なく︑犬家部系統の資料によると︑分別功
徳論第二十五巻三十二頁には﹁唯大天一人是大士共余皆是門節也以是言之大乗難排多趣聾聞﹂瑞伽略纂第一には﹁大
天名高徳犬︑果詮年平王貴欽風借徒仰道既市卓埜無侶港震時俗所嫉﹂と大天を以て営時に於ける唯一の大士として稀
揚してゐる︒されば大天は婆婆論に云ふ如く︑極悪非道の者で在い事は分る︑否既に有部宗に問題されて居るだけに
それだけ大きた人物であり問題の人物であらう︒然に異部宗輪論に於ては第一百年の大天と第二百年の大夫とを架げ
共に五甲子乞唱えた事になってゐるが異部宗輪論と岡本異曹と稿する鹿の部執異論・十八部論には.かLる人の名を
少しも出てない上に所停に依って五事其の物の内容も幾分づL遣って居る︒されば大天とは︑阿育王の傍導師班誼の 折に︵伸減二八六年︶阿陀羅抵の起りし南方印度即ち阿陀羅園に趣いた大天であると思はれるoそれがやがて大衆部
の一一蹴の組と仰れた関係から此の人物を悌減百年に遡らせ一一概分裂の開祖たる所謂大天冨
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と祭り上げてし
まったものでるらう︒即ち大天は摩倫羅舶主白子で︑長じて出家し聴敏にして疾く三蔵に通じ夙に阿羅漢を誰して
厚く上下の傘敬する鹿となり或日鶏園寺開︒
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の布薩曾に於て瓦事の新説を一つの偏文として唱え且つ
衆に向って日く﹁悌在世ノ時ハ諸天及ピ問衆ノ所設ヲ悉ク印可シテ受持セシメ以テ経トシ夕︑故−一滅後−一於テモ聴明
ノ人在リテ善ク法ヲ設カパ亦経ヲ遺ル事ガ出来ルカ一フ︑汝等若シ経ヲ作−フント欲セパ随意−一是ヲ作レ﹂と衆中脅宿長
根 本 二 部 鈎 立 思 考
一 一
一 一
一
根 本 ニ 爺 艶 立 思 考
一コ 一問
老是を器きて大いに驚き︑大天が五事を以て是名真偽敬としたるを汝言非伸敬と改め︑菰に可否の論紛然として起り
鶏閏寺は永く論静の巷と化した︒阿育王即ち大臣を遣して和合を命やるも聴か・子︑叉自ら来りて鎮撫せるも効たく︑
止むたく大天の語に従って多数決としたのである︒然るに大夫衆勝を制し︑論誇依然として息守︑還に犬天の設を非
とする上座の一圏と是れに左担する大衆の一闇とに分れ上座の一固たる上座部は北方迦操繭羅闘に去って中印度の敬
権は大衆部の手に師したのでるる︒而らば大天の新設︿大衆部とは如何怠るものかと云ふに南北雨倖少しく異って居
るが今異部宗輪論に依ればー︑無所誘2︑無知3︑猶談晶︑他令入5道因聾故起の五事であって.伎は布
薩舎で﹁飴所誘︑無知︑猫族︑他令入道因聾故起︵南停には護諾︶是名良伸敬﹂なる偶舗を宣言したのである︒今一
々の解轄は略す事として此の五事の備に於ける第一時より第四時迄は根本僻敬乃至原始伸教に於ける理想たる阿羅漢
に闘する諸問題即ち僻陀観伸身観の問題である︒而して第五時は聖遺現起の問題︵修行門︶であり︑営時山静止に論議
せられてゐた僻敬k皐の主要問題に就て最も自由な立場から取り扱はれたものである︒要之従来理想とせられてゐた
阿羅漢と雌も天躍に誘惑せられ不滞を漏出する事もあらうし︑自ら沙門果を得て居乍ら向此れを知らぬものもあらう
し︑自己の果徳を畳知しない様た羅漢に在ては理に叶ふ接左判断が自ら出来危い時に︑理に叶はない判断をたす事が
あらうから所謂鹿非躍の疑惑を生十るであらう︑従ってその様な羅漢に在つては自己の解院︑浬繋の境涯を意識して
居らぬであらうと思はれる︒最後に聖道が加行に依って現起する物であるとの従来有部系に依って云はれて居るのに
封して﹁苦ナル哉/\﹂と一民ふ具合に至誠の情から聾を出して唱へる事により解股浬撰の遣が開かれる︑即ち現起す
るのであると言張する︑故に結局の鹿所謂阿羅漢なるものは理想とするに営らぬ︑由主遣も加行によるよりは聾により
て在す可し︒等しく我が働きに依って最後の理想とし︑至誠の宗救感情を以てする唱諦︵四諦︶唱名戸念僻︶唱題︵妙