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設問1における潜在カリキュラムの構造図

力がどうなっているかわからない

力が車に入ってない(独特の考え方)

サイドブレーキ

人が押す力が車特有に持つ、動かすため に必要な力に達していない

車の重さ

(量的内容はわからない)

車のその場所を動きたく ない力

(押す力く動きたくない力)

車の重さ

(押す解く車の重さ)

抵抗(車の重力に比例してできる力)

(押す凹く抵抗)

 既習と未学習を比べると、『「車の重さ〉押す力」だから車は動かない』くらいまでの概念 には明らかに未学習の生徒でも到達していることが分かる(すでにそのような潜在的知識が 形成されている)。そして潜在カリキュラムの幹は形成をされており、教科書の学習がこれに

どのように影響したかも想像できる。

 教科書での学習の成果は人の押している力を打ち消す原因を車の重さとする内容での量的 関係をより深い考えに後押ししている。さらに、教科書の中の「反作用」,「慣性」というも のが潜在カリキュラムの枝葉をつけるものになっている。ここで意味するものは、これらの 言葉の意味を本当に理解して、その意味をもって潜在カリキュラムの中に存在するのではな いということである。子供の科学の上での意味をもって枝葉となっているのである。この枝 葉の芽になるものはすでに潜在カリキュラムの中に見られる。例えば「車のその場を動きた くない力」はまさに「慣性」に置換されるのである。そして、摩擦力を考えることができる 生徒はいなかったがそこへ近づける糸口(この場合は抵抗)も見ることができた。

3・2・3 設問1に対する全体的考察

 予想通りに潜在カリキュラムは存在しており、すでに『「車の重さ〉押す力」なので車は 動かない』の段階までは幹が出来上がっている。既習と未学習の子供の対比から力の性質に ついての基礎的学習が必要になってくることは明らかである。

 つまり力のベクトル的性質をはっきりさせないので子供の中には大きい力が小さい力を 打ち消してしまうという先行的知識は残ってしまう。未学習の生徒には『力の方向は関係な

く、大きい力が小さい力を打ち消す』という考え方が明らかに多く存在し。学習後もそれは 依然として残っているのである。

 今回の調査では力学を学習済みの生徒で唯一1人だけ静止の場合に2力が直線状に存在す ることを示した。また未学習の生徒には静止のときに2力の大きさが等しいと考える生徒は 1人もいなく♪『合力=0』を学習することでこの事(2力の大きさが等しい)が現れると考え られる。つまり『2力のつりあい』という教科書の内容は実質的に子供の中に浸透しない内 容になってしまっている。

 また子供の科学には、「重さを超える力を加えると動き出す」という考え方を持っている 一方動力学(設問2、自転車の設問)において、この内容は使われない(一部使った生徒もい たが自己矛盾に陥ってしまった)。つまり動いている物体には進行方向の力が働いていると考 えるが、「この力が重さよりも大きいから動いている」という考えには納得できず、止まって いるときは進行方向の力は0だと考えるのである。一方、静力学の場合は進行方向への力を 加えても動かないのはそれが車の重さよりも小さいからだと考えてしまう。彼らにとって静 止という状態は力学的に2つ存在していることになる。どちらを取るかは、与えられた状況 によって違うのである。この事を1つにすることがニュートン力学を学ぶことでありわれわ れが意図するところである。

静力学においては摩擦力の特異的な部分はしっかり踏まえ、重力との関係もつかんで学習 させなければ動力学に通じない。

3・2・4 設問2に対する全体的結果

(1)進行方向への力を考える(動いているから力は働いている)(32人)

①進行方向への力は? ②減速の原因は?

インペトゥス(こいだ時にできた力)(6人) 摩擦力(3人)

人の重さ(重力)(3人)

ビス・インプレッサ(こいだときにできた ヘ)(25人)

自然に止まる(16人)

人の重さ(重力)(6人)

エネルギー的消費(2人)

風(1人)

分からない(1人) 分からない(1人)

 未学習の生徒では32140が進行方向への力を考えていて既習の16140よりはるかに 多い、彼らの考えではこいだときの力が残っているとほとんどは答え、人の力(筋肉の伸び、

縮み)が動力源としてタイヤに蓄えられているイメージを持つ。また多くの生徒がその力を矢 印で図示できないことにより概念の違う力が存在することがわかる。

 蓄えられた力はエネルギー的なものでありそれを使う(距離を稼ぐ)ことでなくなっていく のは当然だと考えている。そしてその事を彼らは『自然になくなる』と考え『静止一エネル ギーが0』という状態に結びつくようである。速度と力を同一一視すれば当然起こることでは あるがそれが、子供の科学の中では常識となっているのである。これらの事から分かるよう に、力と速度とエネルギーというものが学習前にはみな力という同じ範疇に入っているもの が、教科書の中で彼らの先行知識を無視して違うものとして扱われその違いがはっきりしな ければ混乱が生じるのも当然のことである。

子供の思考の考察

(1)一1 進行方向の力と減速の原因の量的関係を考える

 1名の生徒が進行方向の力と減速の原因の量的関係にまで触れて考えることができた。彼 の考え方は、『「動力源(インペトゥス)〉摩擦力」で進行、動力源が0になると摩擦力も0に なる』であり、これは『「動力源=摩擦力」で静止、そのとき両者はなくなる』という論であ る。既習の生徒に比べて、未学習の生徒に量的関係まで触れることができる生徒が少ないの

は、力学の学習が、定量的なものが多くそのように思考をする傾向が強くなることを示して いるのではなかろうか。設問3においてもそのことはよく現れてくる。

(2)人が与える力を考える(人がこいでいないので力は働いていない)(3人)

①進行する原因は? ②減速の原因は?

こいだときの何かが残っている(ビス・イン vレッサ的)(2人)

人の重さ(重力)(2人)

分からない(1人) 自然(人がこいでいなから)(1人)

 このグループに入る人数が未学習のものは既習の生徒に比べてはるかに少ない。これは未 学習の生徒に『力』と認める種類が多く、その範躊が広いためである。教科書を学習した生 徒は、その内容が力を一義的に表しているためそのことと相互作用することにより力の範疇 が狭められ自転車にこめられたものを力と区別する生徒が増えるものと推察される。そうい

う意味で教科書の内容も彼らの中に反映され、それでまた彼らの潜在カリキュラムも複雑に なっていく。

(3)運動の変化(減速)の原因を考える(4人)

①運動の変化(減速)の原因は? ②進行の原因は?

人の重さ(重:力)(2人目 ビス・インプレッサ(人の加えた力が残って

「る)(1人)

分からない(1人)

自転車を止めようとする力(2人) 分からない(2人)

 『止めるためには力が要る』最初にそう考えると原則の要因を考えなければならない。こ のタイプの考え方の存在する確立は既習の生徒の考察でも取り上げた。既習の生徒の同じタ イプとしてはいきなり摩擦力を取り上げたものであるが、その要因として教科書の中の全く 同じ現象にリンクした傾向が高いことを示したが、この未学習の生徒たちの回答と比較する ことによって、その事をより一層裏付ける。

 『自転車を止めようとする力』は既習の生徒の中にも見られた。これはまさに教科書に依 存しない潜在的内容である。未学習の生徒がまったく教科書の影響を受けていないとすれば、

人の重さが摩擦力につながる潜在的内容であることはそれまでの議論からも分かる。ここで いう『人の重さ』という概念が、摩擦力という言葉を提示されそのラベルだけが変わったも のであるならば(先に述べた潜在カリキュラムの中の芽が枝葉になった、例えば慣性のような

もの)、教科書を学習する後に出てくる数が極端に多くなっているのは納得がいかない(概念 的内容が既習、未学習でそう変化したところはない)。このことが、博学的に捉え彼らの概念 の中に不連続に存在しているものとなっている。この事は『子供は教科書の内容を簡単に信

じる(鵜呑みする)』11)とよく言われることを示すものとなっている。

 子供たちの考えの中には力学を学習する前は、物体が動くのにも力が要る、止まるのにも 力が要ると考える。そしてどちらの力を考えるかは問題によって違うが、確立的には進行方 向への力を考える割合が高い。1つの現象に対する2つの異なった考えが並列している。

 このように考える理由は、進行方向への力、減速の力のどちらを最初に考えても未学習の 生徒の場合にはその逆の原因をあまり考えきれない。進行力では(16+1)132(これは、自 然、分からないとした人数)。減速の力では314がそれである。これは複数の力の量的関係 へとは結びつけずに1つの力で運動を納得しようと単純化する傾向があることを意味する。

 既習の生徒では力の加法を学ぶ(ここでは独自の算術法になっているが)分だけ、複数の力 の量的関係を意味付けようとする傾向は大きくなる。もともと子供の中には1つの力で運動 をで処理しようとする傾向があるため、正負どちらの原因の力を取るかは確率的にしかいえ ないのである。

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