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総合的考察と提言

5・1結論

5・1・1子供の科学と教科書の科学のずれ

 これまでのことにより次のように結論付けられる。子供たちにはすでに力学を学習前に日 常生活体験から得られた根強い先行知識があり、その知識は大まかにある方向性を持ってい る。そしてその方向性を示すものとして潜在カリキュラムと呼べるものが存在する。

 それは学校カリキュラムが教えたい事を意図して作られたのと同じように、見たままの体 験の中から彼らに先行知識を与えるものであり、彼らの先行知識は中世の科学者たちの考え にそっくりである。またその意味からも人間の感性で捉えたものといえる。

 この潜在カリキュラムは子供にとって学校生活も日常生活の一部と考えれば学校カリキ ュラムにも影響を受ける。しかしそれは潜在カリ.キュラムの幹を変えることがなく教科書に よって複雑に枝葉を増やしたり、潜在カリキュラムの理解の度合いをより深いものにしたり するような補助的な役割でしかない。結果として中学校での力学教育が目指すものが根付か ず、彼らの先行知識が残ることになる。それは教科書のカリキュラムが、特に力学に限って いえばニュートン的パラダイムを教授するものであり、中世のビュリダンやそれ以前のアリ ストテレスのパラダイムとはターンがいうように不連続にずれていることに対応する。

 子供たちが後者のパラダイムに近いものを持つことは調査から明らかであるわけだから ターンのいうように革命的なシフトが行われなければならない。つまりビュリダン的パラダ イムからニュートン的パラダムへの飛躍的な概念の転換が行われなければならないことにな

る。

 それはこれまでの教育の考え方を改めなければならないことであり、妥当な教材を正しい カリキュラムで正しく教えれば子供は正しく理解するというのが当てはまらなくなるのであ る。なぜならそこには階段の段差を極力小さくして一歩一歩というような連続性に近い考え 方があったからである。2つの違うパラダイムがある場合に一方からもう一方へ移すにはそ のずれている部分に簡単に橋を架けるようにはいかない。ターンやファイヤーアーベントが いうように2つのパラダイムは共約不可能だからである。例えていうなら教師が使うr力』

の意味と子供が使う『力』の意味が違うのである。教師はこの事を強く心に留めておかなけ ればならない。

 力学教育がニュートン力学を教授するのを意図としているのであるならば教授ではなく概

念変換を図る方法を考えなければならない。先にも述べたが潜在カリキュラムの基盤は『筋 肉の緊張の感覚』と『運動する物体には力が働く』とする静的自然観であることはいうまで もない。『筋肉の緊張の感覚』はまさに力の象徴とでも言うべきものである。これが内側から 感じることができるものであるために『力を出して走る』というような例で分かるように内 在する力を以って動力源という力をイメージするものとなっていると考えることが出来る。

これは子供の自然の発想であり日常生活の中で体験している。設問4で力の所在がどこにあ るかは関係が無く外側から働く力の場合でも、内側から働く力であっても特に問題が無いこ とが分かる。ニュートン的パラダイムからいえば力は外力のみが効くことは明らかであり、

このようなこともまさに共約不可能性なのである。

 彼らは『人が走る』も『自転車が走る』も同様に内在する力を考えていることが伺える。

言葉とは得てして人間中心である。運動する物体にはどのような力が働くかは全く見ること が出来ないので、自分に置き換えて考えることは考え方の基本であるような気がする。

 次に静的自然観についてである。『止まっているのが当たり前、力が加わっていないので止 まっている』という考え方が基本的に間違っていると誰が思うのであろうか。ニュートンで さえも絶対静止系は信じていた。『物体を動かすためには力が要る、動いている物体を止める ためにも力が要る』この事は体験できる。連続的な考え方をすればその途中に力が働いてい るというのは理にかなったことであり何ら疑う余地が無い。静的自然観も見たまま感じたま まに科学を考えるならば当然のことだし、決して疑う余地の無いものである。むしろ動的自 然観である『動いているのが当たり前』という考え方の方が一見自然の理に反しているよう な気がする。しかし動的自然観がパラダイム転換の重要な点であり決して切り離す事の出来 ない部分である。私たちはこの概念変換が可能な方法を見つけなければならない。このよう なことが中学力学教育はその意図するようになかなか子どもたちの中に浸透しないと結論付 けられる主な理由である。

5・1・2子供の力学における認識の具体的なずれ

(1) 速度と力の混同

 ではいったい具体的にはどのような内容が子供たちと教科書の中でずれが生じているの であろうか。はっきりしていることが幾つかある。その第1番目は速度と力の混同である。

正確にいえば運動量との混同である。しばしば彼らは『速度は力に比例する』と答えるし,

ほとんどの生徒は『ものに力が働けばものは動く』と答える。教科書が教えるところによれ

ば『物体に力が働けば物体は動き出す』である。言葉が似ているので間違いやすいが重大な 差がある。むしろ言葉が似ているので子供たちの先行知識を深める可能性があるし、教師も 生徒も伴に納得して(納得している内容は違うのであるが)次へ進む可能性がある。またここ で速度というものにも実体論的なイメージが彼らの中に育っていないことが読み取れる。

 未学習の生徒に『速度とは?1と尋ねてもあまりはっきりした答えが得られなかった。教 科書の中に速度の定義はしてある、『どれだけの時間にどれだけの距離進んだかという割合』

(大日本図書、今回の調査した学校で使用してるもの)である。割合は計算で出すものであり 具体的に距離と時間がわかれば計算できるが、それが実際にはどういうものかということが 子供たちにははっきりしていないのが現状である。

(2) 力の範疇が大きい

 子供たちの力の範疇が大きいことは前に述べたとおりである。特に未学習の場合は日常生 活の中で、多くの意味で使われている例えば『物事を判断する力』とか『力が足りずに試合 に負けた』とか、『視力』、『聴力』などもよく使われる。力という言葉の使用がさまざまであ るならば力に対するイメージもさまざまで色々なものを想像していく。従って理科の学習に おいてもさまざまな力の性質を持ち込んでくるのである。先に述べた『力の優位性』、『力の 特異性』、『力の特質性』などがそれらに入る。

 理科でいう力は一義的であり、すべての力は物体に対して同じ働きをすると考えている。

そのことが子供はつかめていないし、教える側もはっきりさせない傾向がある。しかしこの ことは力学を学ばせるときに確実にしておかなければならない点である。『仕事』という学習 をする場合には理科で使うその定義をはっきりさせ、日常用語のそれとは区別する『力』と いう言葉も同じことがいえることがはきりした。

(3) 力のベクトル的性質

 力のベクトルとしての性質において、子供たちはスカラーとして捉えがちであり向きをあ まり考慮しない。力を数量化する時にベクトルの概念は切ることが出来ないものである。し かし、中学の数学では学ばないベクトルを理科で取り上げて、はたしてその内容を理解でき るものだろうか。彼らが学んだ算術はスカラーを扱うものしか行われたことがない。そのた めに数量化したものは比較の基準が出来るのであり、○○が△△よりも大きいとか、小さい とかいうことが最大の焦点になるのではないか。実際に子供の科学の中に『大きい力は小さ い力より強い』というよくある日常生活の概念があれば大きさしか見ない。また誰でも初め

て出てくる概念はなかなか定着し辛い。長年彼らが考えていた数学とは違った一面を持つベ クトルの内容がそう簡単に身につくと思う方が無理なのかもしれない。

 そして力の持つ向きのはたらきについての認識が定着していない現実がある。だから指導 要領で『図形的にも理解させる』とある。しかしどうも平行四辺形を書く事ばかりに集中し がちであり、力のベクトル性を意識させる方に焦点が合っていないような気がする。対角線 の方向を間違えたり、もう一方の対角線に矢印を書いたりする事が多いのはそのよい証拠と いうべきものではないだろうか。

(4) 重力

 重力はわれわれが日頃体験しながら意識することが全くない。しかし小さい頃から『地球 は丸い・地球の重力のために我々は落ちない(地球から離れることはない)』と教え込まれて きている。こういうことは、今までの議論とは全く逆のことであり、日常体験から自然に得 られたことではなく、人為的に教え込まれたものである。もちろん大人から教え込まれるの も彼らにとっての日常生活の一部である。そしてこの意識された重力は彼らにとっていろい ろな意味を与える。

 まず静力学においては静止の原因であり、子供の科学によればこれを超える力を与えなけ れば物体が動き出すことが出来ない目安である。一方、動力学においては動力源(進行方向に かかる力)を削っていくものである。また彼らにとって静力学と動力学では同一の考え方は無

く分けて考えられる。

 さらに重力の大きさがどこでも一定と考える生徒が未学習の場合には少なく、高いところ もしくは低いところのほうが大きいと答える。この理由は前者が「高いところがらものを落 とした方が襲撃は大きい」と考えることが最大の原因で、後者は地球の重力と万有引力が等 しくそれを磁石の力と同じように考えたことの表れである。もちろん重力の大きさが一定と いうのは地球表面上での近似であるわけだから万有引力の法則に従えば低い所の方が大きい わけである。この教育的誤差というものの取り扱いも難しさを感じざるを得ない。このこと は、また動力学における直線運動などの時にも、抗力によって打ち消される重力は特に彼ら の脳裏にリンクしてほしくないものであるにもかかわらず、数名の生徒は必ず重力をイメー ジする。確かにここには教える側の一方的な期待があり、ここにも彼らの背景を考えない今 までのカリキュラムがうまく行かなかった原因があるようだ。

 このように子供における重力の側面はかなり複雑なものであり、それはすでに今までに培 われてきているものである。従って「最も身近な力だ」といって、落下運動などの取り扱い

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