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2-2 国土利用計画における中山間地域の位置づけ

ドキュメント内 外部人材の活用に関する研究 (ページ 40-44)

 1950 年の国土総合開発法の制定以降、2015 年度現在に至るまでに五次にわたる全国総合開発計画

(以下、全総)が策定されている文 2-1 〜 2-5)。以降、わが国の地域政策の象徴である各全総について、そ の概要を中山間地域の位置づけと併せて整理する。なお各全総原本の引用部分については『』表記と している。

2-2-1 第一次全国総合開発計画(一全総):1960-1970

 前述の通り、全総の根拠法である国土総合開発法が制定されたのは 1950 年であるが、国土開発の 前提となる経済計画が無かった為に、全総そのものの策定は 1960 年の所得倍増計画を待つこととな る。1962 年に制定された一全総は、「過密地域」「整備地域」「開発地域」という 3 つの「政策地域」

を設定しており、既存の四大工業地帯である「過密地域」の外部経済効果の受け皿として、太平洋ベ ルト地帯を拠点とした「整備地域」を設定することで過密の分散をはかること、併行して札幌、仙台、

広島、福岡を拠点とした「開発地域」を育成することが構想されている。

 本計画において中山間地域に関する言及は多くはなく、また中山間地域を具体的対象とした計画方 針に関する記述もみられないが、『農村においては、最近における雇用需要の急激な増大にともない 若年労働力の流出傾向が強まり、これとともに農業労働力の中高年令化、女性化が進展する一方、優 良な質の労働力の確保が問題となりつつある。』との見解を示しつつも、『かかる労働力需給の産業間 地域間不均衡を解消するために、極力労働力流動の円滑化をはかるとともに工業等の分散誘導および 農業の近代化により労働力の調和ある地域的配置をはかることが必要である。』(下線著者、以下同様)

としていることから、中山間地域における担い手の減少を危惧しながらも、実質的には工業化を基軸 とする地域開発に向けた、労働力の生産のための地域として中山間地域が認識されていたことは否定 できない。

 拠点開発主義の開発手法をそのまま受け継いだ本計画は、大小様々な拠点を設けることで、大都市 の外部経済効果を享受しながらも、拠点自らが外部経済効果を及ぼしていくことを想定したものであ り、結果として周辺地域からの人口吸収による過密過疎を極端に進行させることとなった。

2-2-2 新全国総合開発計画(新全総):1969-1985

 一全総による過密過疎の拡大に対応する為、交通や通信のネットワークの拡充を図ると共に、ナショ ナルミニマムの担保による生活環境水準の格差是正が提起されたのが 1969 年に制定された新全総で ある。

 本計画では『農山漁村地域人口の減少およびこれら地域住民の生活水準の向上と生活欲求の多様化 に対応して、農山漁村に関し、そのいわば生活圏の中核となる都市の機能を高め、あわせて、これ

ら中核都市等を農林漁業生産活動についての集出荷および加工、機械、資材、情報等のサービス、技 術の習得と交換等に関する総合的拠点として整備するとともに、各農林漁業地域が、これら中核都市 のサービスを十分に享受しうるよう、交通施設等の整備を進める。』とし、広域生活圏構想の名の下、

地方都市に付随させるかたちで農林漁業の効率化を図ることとしている。

 本計画は、それまでの拠点開発主義を批判しながらも、実質的には一全総と同様に外部経済効果を 前提とした手法であり、交通インフラの量的水準の確保に際しては一定程度の貢献を果たしたものの、

企業の立地選択との齟齬による更なる地域格差の拡大を引き起こしている。また中山間地域の過疎問 題に対しては、『農林水産業の発展を積極的に期待する地域については、生活水準の向上と生産の新 たな展開に対応しつつ、集落および集落施設その他環境条件の整備を図り、日常生活権を広域化し、

地域住民の開発意欲を醸成する魅力的な生活の場を形成して行くことが重要である。…(中略)…産 業の新しい展開の可能性に乏しく、都市から遠隔な地域では、人口の減少あるいは高年齢人口の滞留 の傾向が今後さらに持続し、…(中略)…生活の場としての条件が悪化して行く地域が広がって行く おそれがある。…(中略)…人口が激減し、き薄化する地域については、地域住民の意向に応じ、よ り高い生活環境施設水準の享受を可能とする集落の移転統合、離村者のための職業訓練等の円滑な実 施を図る。』としているように、効率主義に基づく集落再編成が提起され、集落の撤収が図られている。

2-2-3 第三次全国総合開発計画(三全総):1977-1987注 2-1)

 オイルショックによる経済成長の破綻によって新全総が現実味を失っていく中、その計画期間満了 を待つこと無く、1977 年に策定されたのが三全総である。工業立地自体は概ね新全総を継承したも のであるが、生活面においては広域生活圏構想を踏まえた「定住圏構想」が打ち出されている。

 『人口が激減し、地域社会の維持が困難な地域にあっては、地域住民の意向に応じ集落の移転統合 を行うなどにより、山村の定住区の中心的集落の育成を図り、山村地域住民の生活環境の向上を図る。』 としているように、新全総と同様、集落の再編成を押し進める姿勢は明文化されたままであるが、『農 山漁村地域は、国民の食料や木材の供給、国土の保全、管理された自然の維持培養などの機能を有し ていると同時に、定住圏の大部分を占め、国民の約 30% にのぼる人口の居住空間としても重要な役 割を担う空間である。』としているように、これまでの全総と異なり、中山間地域を積極的に居住地 域として位置づけている点が特徴である。

 地方から三大都市圏への人口流出が沈静化しつつあった状況を踏まえ、若年層を中心とした人口の 地方定住の促進が図られた本計画は、高度成長による都市の人口吸収力の破綻の結果であるとの指摘 もなされている注 2-2)ものの、1970 年代の地方における人口増も相まって、まちづくりや村おこしの 呼び水ともなったとされている注 2-3)

2-2-4 第四次全国総合開発計画(四全総):1986-2000

 1980 年代に入ると、再び強まった過疎地域の人口減少に伴い地方の人口増が止まり、東京圏への 人口の一極集中が激化していく。1987 年に策定された四全総はこうした状況に対し、東京圏の世界 都市機能集積を促しながらも、地方に対しては多極分散の実現に向けた交流ネットワークの構築を 図った計画である。とりわけ交流ネットワークの構築に際しては、人口減少による過疎化に歯止めが 利かない状況の中で交流人口に重きを置いたものであり、それに併せ、三全総までに推進してきた工 業立地政策ではなく、ソフト事業やサービス産業の充実、地域間の相互補完や都市農村交流の促進等 が謳われている。

 『農山漁村は、農林漁業者等の生活の場、食料、木材の生産活動の場であるとともに、国土管理と 自然環境保全の場、国民と自然とのふれあいの場としての要請が高まること等から、これらの視点も 踏まえつつ、地域の活性化を図る必要がある。』との認識の下、『青少年に対する教育や都市住民の保 養等国民の交流空間としての役割を担っている。』と述べられているように、本計画における中山間 地域は、自然環境を活かした国民の保養や学習、交流のための地域として位置づけられている他、『新 たな住まい方や広域的交流を前提とした退転職者、創作活動家等の農山漁村での居住 - マルチハビテー ション - に対応する住宅の整備を促進する。』といった、新たな価値観に基づいた住まい方の受け皿と しての解釈が加えられている。

 本計画は明らかに地方を重視した方針が認められるものであり、全国一日交通圏の構築推進による 地方新幹線や高速道路等の交通網の発展にその成果をみることができるが、不採算路線や各地で半ば 乱立気味に進められたリゾート開発の破綻の増加が引き起こされることとなり、他方で東京一極集中 は更なる強まりを見せていく。

2-2-5 21 世紀の国土のグランドデザイン(五全総):2000-2015(目標年次)

 このような一極一軸の国土構造を是正するべく、西日本国土軸(太平洋ベルト)に加え、北東国土軸、

日本海国土軸、太平洋新国土軸からなる 4 つの「国土軸」が相互に連携することにより形成される多 軸型の国土構造を目指す計画として、1998 年に 21 世紀の国土のグランドデザインが策定された。

 本計画では、『中小都市と中山間地域等を含む農山漁村等の豊かな自然環境に恵まれた地域を、21 世紀の新たな生活様式を可能とする国土のフロンティアとして位置付けるとともに、地域内外の連携 を進め、都市的なサービスとゆとりある居住環境、豊かな自然を併せて享受できる誇りの持てる自立 的な圏域として、「多自然居住地域」を創造する。』とされているように、中山間地域は新たなライフ スタイルの実現のための地域として位置づけられており、『交流人口の拡大や UJI ターンの促進を図り、

マルチハビテーション(複数地域居住)、テレワーク(情報通信を活用した遠隔勤務)を進め、地域 の活性化を図る。 また、我が国を代表する国際観光地となり得る地区やルートの形成等を進めること により、「小さな世界都市」等世界に誇り得る地域の整備を進める。』等、条件不利を逆手に取る試み が多く掲げられている。

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