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1945 年当時の玉音放送とは

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第 5 章  送り手の課題と受け手の展望

第1節  1945 年当時の玉音放送とは

 

この節においては玉音放送の当時の意味・意義について考えてみたい。つまり玉音放送 が実際に行われた 1945 年当時にとってこの玉音放送とは一体何であったのか、ということ である。繰り返しになるが玉音放送とは「1945 年 8 月 15 日正午に人々に日本の敗戦を知 らせた天皇によるラジオ放送」ということになる。ここでKEYとなるのは「敗戦」・「天 皇」・「ラジオ」ということになると思う。よってこれら 3 つの視点からそれぞれに玉音放 送の当時の意味・意義をみていきたい。 

     

(1)敗戦ということ

 

 

 敗戦ということをKEYに、敗戦を体験することになった対象を「人々」と「国として の『日本』」とに分け、それぞれの点からみていくことにする。 

   

① ・・「人々」・・ 

 

 人々は玉音放送によって日本の敗戦を知ったわけであるがその様子については第4章に 詳しく述べているので、ここでは特に強調しておきたいことについて述べたいと思う。一 般的には「天皇自らが放送したことによって人々は敗戦を受け止めることができた。」とい うことが言われているが全員にとって玉音放送がそのような意義を持っていたとは一概に は言えない。序章において「私の頭に浮かんだのは敗戦の告知を聴いて涙を流している人々 の光景であった。」と述べたが、これはかならずしも正しくはない、ということである。あ る人にとってはそうであるかもしれないが、またある人にとっては全くそうではないとい

うことが第4章で述べてきたことである。このように 8 月 15 日の迎え方・感じ方・受け止 め方はまさに千差万別・十人十色であり、きめが細かい。ある人にとっては「一億 號 泣ごうきゅう す」(註 1)ものであり、ある人にとっては「祝宴を張る」ものであり、またある人にとっ ては「表現のできない」ものであった。 

けれどもいかにさまざまであったとはいえ「日本が敗戦を迎えた」という事実はやはり 全員に共通している事柄である。そして明にしろ暗にしろ、善しにしろ悪しにしろ、どの ような形で変わったかは人それぞれであるがこの放送を境に各人の歩みがガラリと変わっ たことはやはり事実なのである。仮に個人的衝撃がいかに少なかろうとも、敗戦を機に大 きくうねりをみせる社会の変動に全く影響されない人ということはいないのだ。「4 年に わたった太平洋戦争は終了した。」(註 2)と淡白に記された教科書の言葉のその背景には、

いやその中枢には、戦争という状況下で生きていかなければならなかった多くの人々の生 活があったのだ。それがガラリと変わったその瞬間が玉音放送であったのである。 

このように玉音放送とはそれを受けた人々それぞれの個人的生活に深く介入しその歩み をガラリと変えたものであったが、その具体的内容は人それぞれによって異にしている、

ということが言える。 

   

② ・・国としての「日本」・・ 

 

1894 年 日清戦争      (〜1895 年) 

1904 年 日露戦争      (〜1905 年)  

1914 年 第一次世界大戦   (〜1918 年) 

1931 年 満州事変  1937 年 日中戦争 

1941 年 第二次世界大戦   (〜1945 年) 

 

上に記したものは実に簡単な記述にすぎないが、日本が歩んできた戦争の歴史である。

ここに至るまでの間、苦戦したことはあったものの、日本に敗戦の経験はなかった。言わ ば「負け知らず」の日本であった。その日本がついに初めての敗戦を向かえた経験が 1941 年から 1945 年にかけて行われたこの戦争であったのだ。今まで負けたことのない日本がこ

の時初めて負けたということはただそれだけをとってみても大きな事柄である。敗戦をむ かえるとはどのようなことなのか、敗戦をむかえることでこの先に待っているものは何な のか、日本がまだ体験したことのないこれからの歩みを思うとき極めて不安定な状態を感 じる。 

そういった中にあって日本という国にとってまったく初めての、かつ重大な事柄(=敗 戦)を「決定的に決定」させたその証拠(あるいは手続き)とでも言うべきものがこの玉 音放送であったということができるのではないだろうか。 

 

内閣の動きを機軸にしながら玉音放送が行われるまでの出来事を作品にした映画、『日 本のいちばん長い日』(註 3)の中で次のようなやりとりがある。 

 

(1945 年 8 月 15 日、後は正午の玉音放送を待つばかり、という状況の中で 書記官長迫水が「これから枢密院会議の打ち合わせに行ってくる。」と言っ たのをうけて。) 

 

情報局関係者:しかし今さら枢密院会議を開き改めて終戦の儀を決定するっ ていうのも・・・もう事実上終戦は決まってしまっているん ですからね。 

 

下村情報局長:いや、そうでもないよ。あらゆる手続きが必要だよ。儀式と いったほうが正しいかもしれないがね。日本帝国のお葬式だ からね。 

 

(岡本喜八監督、1967、『日本のいちばん長い日』、東宝より引用) 

   

 既に日本の敗戦は決定していて不動のものであるから、これから行われようとしている 終戦の儀を決定する会議を形だけの無意味なものであるかのように感じている情報局関係 者の呟きに対し、下村はこのように返答している。この一連の過程は「儀式」なのだ、と。

「日本帝国のお葬式」なのだ、と。だからそういった意味で必要である、意味がある、と。

葬式とはまさに通過儀礼(註 4)であり、下村自身も言っているようにそれは儀式のこと である。 

このシーンでは情報局関係者の言葉がきっかけとなって終戦の儀を決定する会議につい て焦点があてられているが、下村は無論これから行われる会議のみを指して儀式であると 言っているのではない。「あらゆる手続きが必要だ」という言葉からも推測できるようにこ の会議も含めたこれら一連の過程を指して「儀式」であると言っているのだろう。これと 同じことが玉音放送そのものについても言えるはずである。 

というよりもむしろその集大成としての玉音放送にこそ下村の言うところの「儀式」と いう意義を付与することができるのではないかと思う。このことはこの節の冒頭で述べた

「日本という国にとってまったく初めての、かつ重大な事柄(=敗戦)を「決定的に決定」

させたその証拠(あるいは手続き)とでも言うべきものがこの玉音放送であった」という ところに通じている。 

 

下村が「あらゆる手続きが必要だ」といっているのに対して、私がここで「むしろその 集大成としての玉音放送にこそ」という言い方をしていることの真意は次のような点にあ る。考えてみれば、「事実上終戦は決まってしまっている」にも関わらず「改めて終戦の儀 を決定するっていうのも(なんともおかしな話だ)」と呟いた情報局関係者の指摘にもある ようなことは、玉音放送に関しても同様な理論があてはまる。玉音放送の前に行われた御 前会議で天皇の聖断が下されたとき、あるいはポツダム宣言受諾を海外に通告したときに 既に日本の敗戦は決定し不動のものになっていたと言ってよいだろう。 

だから玉音放送は人々にその事実を伝える手段にすぎず、放送をしないからといって敗 戦が延期になる、といった類のものではない。あるいは陸軍を納得させるという点に関し ても、もちろん放送が無事に行われたからといって反乱軍が動き出す可能性がまったくも ってなくなったということは言い切れない。第3章第3節で述べたように、軍隊に反乱を 起こさせない呼びかけの放送が実際に行われていたからである 

それにも関わらず、玉音放送について調べていく中で見えてきた玉音放送の送り手とな った人々の放送に対する意図というのは人々に敗戦を伝えるという目的を超えて更なるも のがあるように感じてならない。先に取り上げた映画『日本のいちばん長い日』の中でも 無事に放送が終わったあとの内閣を始めとする送り手側のメンバーたちは疲労感とともに

「これですべて終わった。」という様子で描かれている。そして鈴木内閣もこの放送後に総

辞職を行っている(註 5)。玉音放送について調べていく中で感じ取ったこれらのことから 解ることは、「日本が敗戦をする」ということの事実は玉音放送を行うという行為を終着点 としてそこで一つの区切りを迎えた、ということである。 

つまり人々に日本の敗戦を伝えるための放送がそのまま日本にとっての敗戦の儀式(=

手続き)になった、といえる。これが日本の敗戦の「決定的な決定」の瞬間であった。 

       

(2)天皇ということ 

 

 天皇ということをKEYに、その存在そのものについて、声について、象徴することが らにそれぞれみていくことにする。 

   

① ・・「天皇」という存在・・  

 

一般的に玉音放送の意義として言われていることに、「敗戦という日本にとって重要か つ混乱を招きかねない出来事を天皇自身の声による放送をとおして人々に伝えたことによ って、日本は敗戦という事実を受け止めることができた。」という点がある。この論理は天 皇(神である)がそのように言うのだからこの事実をしっかり受け止めよう、という人々 の思いに拠るものである。そして確かに内閣のメンバーたちがどのようにして敗戦の事実 を人々に伝えるのかを思案した結果としてたどり着いた答えが「これはもう天皇陛下ご自 身の口から告げてもらう他ない。」というものだった。 

とりわけ国体護持および徹底抗戦を敗戦間際まで主張し続けていた軍部たちを戦争終結 の道にもっていくには、彼らが擁護してやまない天皇自らの意志によって戦争が終わるの だという点を明確にする必要があった。よって、玉音放送が決定されたのである。事実戦 争は「天皇の名の下で」進められていったわけであるがその戦争の終結にあたっても天皇 が大きな役目を果たしたということができるだろう。 

けれども第4章でも述べたように放送を聴いた全ての人々にとってこの「天皇が放送す

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