(1)会社の概要
(2)会社の沿革
古くより、水が美味しいことから醸造の町として栄えてきた大分県臼杵市。江戸時代末期の文 久元年(1861年)、フンドーキン醬油株式会社の創始となる小手川商店が、醤油、みその製造・販 売を目的として、小手川酒造より分家・創業された。現在の社名は、目方を量る際に使用する「分 銅」(フンドー)と、初代社長 小手川金次郎氏の「金」(キン)とを繋いだ、分銅金(フンドーキ ン)に由来する。この「分銅」は、表裏がなく左右対称であり、ロゴマークのデザインの基とし て「企業の確かさ、製品の確かさ、偽りのないこと」を意味している。
大正から昭和の初めにかけて、近隣への自転車を使った小売や、開通した東九州幹線をつかっ た鉄道輸送、佐志生港からの船便輸送を取り入れるなど、積極的な販路拡大に努める。戦時中の 原料・資材の国家統制において多くの同業者が廃業に至る中でも、九州から西日本へ販路を拡大 することに成功、軍需を取り込めたこともあり、売上を伸ばす。しかし、敗戦の前後から、台風 による浸水被害や工場倉庫の火災、軍需の消滅などに見舞われ、資金繰りが急速に悪化。工場設 備の近代化や営業体制の強化などにより事業変革を模索するも、経営難が続いた。
苦心の中、当時新業態であった「スーパーマーケット」との取引が始まる。新興勢力であるス ーパーマーケットとの取引開始により、他社に先んじた販路拡大を実現する。また、臼杵生協と の縁が基となり、生協との取引が深化。生協自体の成長や、消費者ニーズを掴んだ新製品の開発、
テレビ
CM
をはじめとする積極的な販売促進活動によって、「フンドーキン製品」は全国各地に 販路を広げる。食の西洋化がすすみ、醤油・みその消費量が減少する中、ドレッシングが家庭の調味料として 浸透するようになると、同社でもこの開発に着手、醤油屋ならではの味とこだわりで新商品を発 表、売上拡大につなげた。以後も、現場・消費者の声に応える積極的な新商品開発、マーケティ ングによって、商品群や顧客層の拡大に成功。
2005
年には、醤油・みその売上をドレッシングな どの調味商品の売り上げが上回る結果となり、事業の多様化を実現している。現在は、
200
周年へ向けた思いと、売上200
億円達成への期待を込めた「Next Challenge 200」のスローガンを掲げる。売上、味や成分、つくり方、つくり手の正直な気持ちに至るまで、「どこ を切っても九州一に!」の気持ちで、今後のさらなる事業発展を目指している。
・会社名:フンドーキン醬油 株式会社、 ・代表取締役社長:小手川 強二
・所在地:大分県臼杵市
・創業年1861年、 ・設立年:1931年
・業種(主製品):製造業(醤油、みそ、ドレッシング等)
・売上高:150億円(2013年度)
・従業員数:正規社員500名、非正規社員200名、計700名
・正規社員の平均年齢:38歳、 ・経営形態:同族経営
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(3)主事業の特徴
醤油、みそ、ドレッシングの製造・販売を主な事業としている。
製造部門としては、本社工場・ドレッシング工場・ドレッシング新工場、グループ会社である 大分醤油協業組合の醤油工場、大分みそ協業組合のみそ工場がある。「味へのこだわり」を原点と し、時代の先端を行く最新鋭のドレッシング新工場への設備投資や、効率性や生産性だけにとら われない世界一の巨大木製醸造樽による醤油工場の建造などにより具現されている。また、「味へ のこだわり」を消費者にも見えるかたちにするために、味覚センサーを導入。3年にわたる研究 を経て、味の客観表示として甘味・塩味・うま味を
7
段階に設定、製品別にラベル表示している。研究開発部門としては、食品科学研究所がある。時代のニーズを取り入れ、先進の技術で新商 品開発に取り組む体制を整えており、営業現場の声を取り入れた製品開発を通じて、消費者の心 をつかむヒット製品を次々に生み出している。
販売促進活動においては、テレビ
CM
を積極的に展開しており、人気スポーツ選手や国内外の 著名人を起用することで、幾度となく知名度と売上の向上を実現している。
(4)現経営者のキャリア
強二氏は、創業から
5
代目、世代としては4
世代目、前社長は実父である。もともと実父の兄(叔父)が事業を継いでいたが、男子に恵まれなかったこともあり、強二氏が事業を引き継ぐこ とを前提に、叔父が実父へ代表権を譲る。前代表は
3
年間の在任の後、当時32
歳であった強二 氏に事業を継承する。強二氏は、2014年で就任30
年になる。強二氏は、もともと政府系金融機関に勤務していた。上記事業承継の背景から、後継者として の認識のもとで、事業経営のために他社経験を積んだものではない。なお、前職の経験は、事業 経営に生かされており、論理的思考と現場での検証、そしてフィードバックを繰り返すという一 連の業務プロセスの習得に役立っている。
(5)事業承継の成功のポイント
まずは、経営計画書を作成すること。それも、自らの言葉でわかりやすく。全部門に対して、
経営方針を明確にすることが大事である。
次に、「いかに世代交代するか」が重要である。例えば、「就任後
3
年以内に、自分の名前で、全社員に対して辞令を出す」など、具体的な行動が重要である。目に見えるかたち、社員に伝わ るかたちで、経営のトップが変わったということを明確にし、この人に評価され、また一緒に働 いていくという認識を持ってもらわなければ、社員との本当の信頼関係は構築できない。
また、組織作りも意識的に取り組まなければならない。極論でいえば、誰が経営者になっても 企業が存続できる体制を構築していく必要がある。そのためには人材に厚みを持たせ、信頼でき る人材を充実させることが大切である。現在も、強二氏の実弟が副社長として技術部門を統括し ており、強二氏が取引先などの渉外活動に注力できる環境が整っている。
(6)苦心談
事業を引き継いだ時期(昭和
60
年前後)、国内の醤油・みその需要はピークを過ぎており、フ ンドーキン醤油としてもこれからの事業の方向性を模索する必要に迫られていた。就任の数年前126
に、社内外から人員を集めて商品開発部門を発足させていたが、社員は全く新しいものを作った り、売ったりすることには不慣れな状況であった。どうしても、「醤油やみそで、業界トップを目 指したい」という社員・技術者が多く、抜本的な変革・新商品開発にあたっては、特にベテラン の技術者たちとの議論があった。
市場はすでに成熟しており、更なる成長のためには新分野への挑戦が必要不可欠である中、こ うした職人達の理解を得て、意欲的に商品開発・製造に至るためには、社内だけではなく、社外 の知識人や技術者からの意見を得ることもあった。新分野での知識を取得してもらい、製品が売 れれば楽しくなる、そうすれば意欲的に取り組んでくれる。この循環を作り出す必要があった。
また、実父である前社長は技術畑の出身で、新しいものが好きな性格であったため、強二氏の新 分野への挑戦を好意的にサポートしていた。
また、当時は「良いものを作れば売れる」「根性と気合があれば売れる」という営業スタンスが 強く、マーケティングのノウハウが十分でなかった。その中で、商品・流通・販売促進などのノ ウハウを蓄積していく必要があった。
(7)後継者
実子への事業承継を念頭においている。候補者はまだ学生であり、数年間は他業界での経験を 積んでほしいと考えている。在学中の学部・学科などについては、本人の意向によるものであり、
事業継承を念頭にしたものではないが、今後就職する先については、強二氏の経験からも金融機 関を勧めている。なお、承継のタイミングは
7~8
年後、候補者が32
歳頃(強二氏が代表に就任 した年齢)を想定している。また、事業承継対策として、必要があれば社外の声を参考とする場面もある。その場合は、強 二氏の前職時代の同僚や上司からアイデアを得ることもある。
事業承継は難しい課題であるとの認識もある。今現在、社内で一番の古株は強二氏になってお り、必然的に最も社内の情報や歴史に通じていることになるが、これは良いこととは言えない。
会社の沿革や商品の歴史だけではなく、個別取引先との出会いや関係など、細かな部分でも「フ ンドーキン醤油の歴史」を社内につないでいく必要がある。創業
150
周年を記念して発行した記 念誌にもその思いを込めている。文字におこしていないもの、おこせないものを伝承していくこ とは、企業の存続にあたって非常に重要である。以上
(野見山 佳紀)