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【本田哲郎神父がミサをおこなう「ふるさとの家」(カトリック・フランシスコ会)の外観】
【毎日ホームレス伝道をおこなう「大阪救霊会館」(プロテスタント・日本ペンテコステ教団)の外観】
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【韓国の大学生宣教チームが大阪救霊会館でおこなったホームレス伝道の様子】
【公共施設を活用したホームレス伝道の様子(大阪イエス中心教会・牧師の説教)】
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【公共施設を活用したホームレス伝道の様子(大阪イエス中心教会・パンの配布)】
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3章 教会に集う野宿者の意味世界一釜ヶ崎における救世軍の活動を事例に
はじめに
野宿者支援の場において、支援者は眼前の二一ズに応答すると同時に、より大きな理念・目標 の共有を野宿者に期待することが少なくない。そのため、支援者との継続的な相互作用は野宿者 の生活様式や意味世界の変容をもたらす可能性を孕む。現実に野宿者支援にかかわる団体では、
当初、被支援者だった野宿者自身が活動に共感し、支援者に役割転換することがしばしばみられ る75。しかし、野宿者支援にかかわる先行研究ではこのような野宿者の態度変容のプロセスに着目
したものが皆無に等しい。野宿者を支援する団体は、行政との関係が密接な社会福祉法人、行政 との批判的・対等的協働関係を取り結ぶNP0法人、反体制的な立場でアドボカシー活動を展開し ているボランタリーな運動団体など多様であるが、本章は野宿者が日常的に接触しているキリス
ト教系FR0の野宿者支援の場に着目し、支援者との相互作用のなかで経験する野宿者の態度変容 を把握することをめざす76。
野宿者支援をおこなうキリスト教系FR0のなかには、布教活動をおこなわずに野宿者の権利擁 護に尽力するタイプと、布教活動を積極的におこなうタイプがあるが、本章では、後者のタイプ
をとりあげる。布教活動をおこなうキリスト教系FR0の野宿者支援は、一般に「ホームレス伝道」
と呼ばれる。ホームレス伝道では食事や衣服といった物質的な援助をおこないつっ、布教活動を 通じて野宿者の意味世界に介入し、価値観や生活様式の変容を強く促す。したがって、支援の現 場でみられる野宿者の態度変容を把握する際、ホームレス伝道は恰好の場であるといえよう。
前章で筆者は釜ヶ崎でホームレス伝道をおこなっている複数の教会の調査から、献金をおこな ったり、使徒信条を唱えたりするなど、ホームレス伝道の受容をうかがわせる実践がみられるも のの、実際に入信し、特定の教会へ所属する野宿者が少ないことを明らかにした。野宿者の多く は、宗教やイデオロギーを内面化せず、むしろ当座の問題を解決するために、異なる価値観に立 脚したサポートを同時並行的に利用し、特定の教会/団体への所属を避ける。「生きぬき戦略」(山
口1998)ともいうべきこのような実践は、野宿者にとって一般的なものではあるが、実際に個別 の教会をインテンシブに見てみると、教会へのかかわり方にはさまざまなパターンが存在するこ とがわかる。具体的には、a.教会が提供する物質的サービスを道具的に利用し、信仰を内面化し ない「非信者」、b.信仰をある程度内面化するが、教会への所属を避ける「周辺的信者」、c.信仰 を内面化し、教会に所属意識を持つ「信者」に類別することができる77。これらの3つのパターン は必ずしもリジッドなものではなく、aの段階からbの段階を経て。の段階に至るケースも存在
する。
本章では、野宿者が集住する釜ヶ崎の周辺部で活発にホームレス伝道をおこなっているプロテ スタント教会「救世軍78西成小隊」の事例から、とりわけCにカテゴライズされる野宿者の生活史 75このような事例は支援一被支援関係が比較的緩やかな集団において顕著にみられる。
76 ?h者運動団体では野宿者は支援者にr当事者」と呼ばれることが多い。一方、野宿者支援をおこなう教会で は野宿者がr当事者」と呼ばれることは通常ない。教会では信仰の共有によって立場性の差異は後景化する傾向
がある。
77 {章における信者類型は宗教社会学者の川又俊則(2000)の論考を参考にしている。
78 世軍は1865年、牧師のウイリアム・ブースによってロンドンで誕生したプロテスタント教派で、現在111の 52
に着目し、彼らが教会との相互作用のなかで経験した態度変容を分析する79。
1.救世軍西成小隊による野宿者の包摂
救世軍は組織内の厳しい規律の内面化を通じて道徳的再生と経済的自立をめざすことを特徴と する教派で、社会的弱者への救済活動・福祉活動を積極的におこなうなど、都市下層との結びつ きが強いことで知られている。西成小隊も例外ではなく、釜ヶ崎およびその周辺部の都市下層の 救済を主たる目的に1953年、天下茶屋1丁目に設立された80。西成小隊の設立からしぱらくは、
積極的な布教活動が釜ヶ崎およびその周辺部でおこなわれており、青年から壮年にかけての男女 が多く所属するようになった。そのなかには日雇労働者などの不安定労働者なども多く含まれて いた81。一方、1970年代から1990年代の中頃にかけて、釜ヶ崎では労働運動が強い影響力を持つ ようになり、同地における西成小隊の活動は徐々に消極的になっていった82.1990年代中頃以降 に野宿者が急増したことを受けて、西成小隊は野宿者支援を試みたものの、近隣住民とのトラブ ルがあり、活動の停止を余儀なくされた。
西成小隊が本格的にホームレス伝道に着手し始めたのは、現在の小隊長83が西成小隊に赴任して 1年が経過した1999年であった。当時の釜ヶ崎は、今日に比べて野宿者に対する施策が圧倒的に 不足しており、生活保護の活用も極めて制限的であったことから、生活に窮乏した野宿者が路上 に溢れていた。西成小隊はこのような状況を放置することができないと思い至り、近隣住民が言分
しがっている空気を感じながらも、野宿者への支援を実施するようになった84。近隣住民のなかに は「なんでまたあの人たちが来ているの、なにが始まるの」と違和感を表明する者もいたが、西 成小隊は「うちの教会に来ている人は、たまたま住居や仕事がない人なのですよ。野宿者を集め ているという表現をされると困ります」と認識の転換を促してきた85。また、西成小隊では、バザ ーや高齢者との交流を目的にした食事会を通じて、地域住民との交流を積極的に図ってきた。こ れらのことが功を奏して、近隣住民のホームレス伝道に対する理解が深まり、野宿者に対する懐
国と地域で活動を展開している。日本では山室軍平を中心に、1895年から伝道が開始されるようになり、廃娼運 動、禁酒運動といった啓発活動から、療養所や授産所といった福祉活動に至るさまざまな社会問題に積極的に関 与し、開拓的な立場で社会改良をおこなってきた。現在、日本において救世軍は49の小隊と19の社会福祉施設
とふたっの病院を持つ。
79 R隊式の組織構造(mi1itaristic structure)と堅固な階梯制度(rigid hierarchy)をもつ救世軍は、信者と非信 者に対する役割期待が大きく異なっていることから、両者の意味世界の相違を明確に把握するうえで最も適切な 教会の一つであるといえよう。
80 シ成小隊の斜め向かいには、戦前に釜ヶ崎地区の改善のためにつくられた大規模な宿泊施設(現在は救護施設)
「大阪自彊館」があることからも、天下茶屋1丁目が歴史的にも釜ヶ崎と密接な関係にあることが推察される。
811953年から1958年の間に約750人が入信し、そのうちの約1割が西成小隊に強い所属意識を持っ信者であった。
821960年代から1970年代にかけては、信者の階層上昇や、信者同士の結婚が進み、家族単位での所属が増加した。
一方、1980年代以降は新規の入信者の停滞に加えて、既成信者の高齢化や転出のため、信者数の減少が顕著にな
っていた。
83一 ハ的なプロテスタント教会における牧師のことを救世軍では小隊長と呼んでいる。
84 ウ会が野宿者支援をしようとするとき、信者から反対されることがしばしぱみられるが、西成小隊の場合は聖 職者だけでなく、信者たちの意志も一致していた。社会的弱者の救済が救世軍の社会的使命の一つであるという 理由に加え、西成小隊の既成信者の多くが入信当時、不安定労働者や失業者であったことが、野宿者支援を肯定 する理由になっている。ある2世信者の女性は「こういう雰囲気は子どもの頃から慣れているし、これが普通な んですよ」と筆者のインタビューに答えた。
85 シ成小隊は近隣住民からのクレームを回避するために、教会の周囲での立ち小便や煙草の吸殻の投棄、教会付 近での座り込みなどを禁止するルールをつくり、その遵守を野宿者に求めている。
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