@ 72歳
3. 行政に依存せず大規模な事業展開を可能にするメカニズム
以上の記述から、さまざまな課題や困難を抱えつつもプロミスキーパーズが比較的大規模な事 業を展開していることがうかがえよう。何より特筆すべきは、他都市にあるホームレス自立支援 施設が施設運営に関わる費用の大半を公金に頼る体制であるのに対し、プロミスキーパーズは基 本的に自主財源で施設運営をおこなっていることである。以下ではプロミスキーパーズが自主財 源で大規模な自立支援施設の運営を可能にするメカニズムをソーシャル・キャピタル(社会関係 資本)の視点を導入し論じる。
ロバート・パットナム(1993=2001)によれば、「協調的行動を容易にすることにより社会の効 率を改善しうる信頼、規範、ネットワークのような社会的組織の特徴」と定義づけられるソーシ ャル・キャピタルは2つに機能分類できるという。ひとつは同質性を媒介にして集団内の信頼や互 酬生を促し結束を強める「結束型ソーシャル・キャピタル」(Bondi㎎s㏄ia1capita1)であり、
もうひとつが異質性を媒介にして多様なメンバーを結びつける外向的な性質をもつ「橋渡し型ソ ーシャル・キャピタル」(Bridgi㎎socia1capita1)である182。
通常、特定の信仰を共有する社会集団である宗教団体は結束型ソーシャル・キャピタルを形成 しやすいと考えられている183。結束型ソーシャル・キャピタルは内向きの指向を持ち、排他的な アイデンティティと等質な集団を強化する側面がある184。したがって、結束型ソーシャル・キャ
ピタノレは内集団への強い忠誠心を作り出すと同時に外集団への敵意をも生み出す可能性がある
(Putnum2001・2006:20−21)。しかし、宗教団体が母体となったNP0は、純粋な宗教団体とは異な り、凝集性の強い宗教的信念・信者が組織の中核を支えつつ、同時に外部に対して開かれた構造 1812007年10月26目に琉球新報に掲載された記事によって反響が高まり個人的な支援が増加した。菊農家やタバ
コ農家など、第一次産業からの求人が目立つ。
182 拒ゥ型ソーシャル・キャピタルは、特定の互酬性を安定させ、連帯を動かしていくのに都合がよい。対照的に 橋渡し型ソーシャル・キャピタルは外部資源との連携や、情報伝播において優れている(Putnum2000・2006:19−20)。
パットナムは結束型ソーシャル・キャピタルを「社会学的な強力接着剤」、橋渡し型ソーシャル・キャピタルを
「社会学的な潤滑剤」であると論じている(Putnum2000=2006:20−21)。
183パットナムは宗教を今日においても米国の市民社会における極度に重要なセクターであるとし、宗教がソーシ ャル・キャピタルの集合的蓄積にとって甚大な影響をもっと論じている(Putnum,2000=2006:71)。また、人々が 共に祈る信仰のコミュニティは、米国のソーシャル・キャピタルの蓄積において、唯一最大の重要性を持つとも 論じている(Putnum2000=2006:73)。宗教に深く関わる者は、管理運営やスピーチといった移転可能な市民的ス キルを身につけるが、それらの移転の仕方は宗教団体によって異なる。たとえば、福音主義信者は自身の宗教的 コミュニティ内部の活動により関与し、外部の広範なコミュニティにはあまり関与しない傾向がある(Putnum 2000=2006:87)。一方、主流派プロテスタントとカトリックは、幅広コミュニティにおけるボランティアや奉仕 に関与するようになっている(Putnum2000=2006:88)。
184 ̀統的な地縁集団や、民族集団などが結束型ソーシャル・キャピタルの代表例として指摘することができる。
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を兼ねる場合が多い。パットナムが指摘するように、結束型と橋渡し型はそのソーシャル・キャ ピタルがどちらかに分けられるといったカテゴリーではなく、ソーシャル・キャピタルのさまざ まな形態を比較するときに使える、「よりその傾向が大きい、小さい」という次元のことである
(Putnum2006:21)。この考えを敷術するならば、Faith Re1ated NP0は結束型と橋渡し型という 性格の異なる2つのソーシャル・キャピタルをバランスよく醸成しうる存在だといえよう。以下 では、このことをプロミスキーパーズの具体的事例を通して確認する。
3−1.多元的な資源獲得ルート
先述したとおり、プロミスキーパーズは沖縄ベタニャチャーチというプロテスタント教会が母 体となっているため、同教会からの人的・経済的援助が盛んにみられる。プロミスキーパーズに
は22人のスタッフがいるが、そのうちの15人は野宿経験者で、彼らは施設入所者でもある。そ して残り7人は1人を除いて沖縄ベタニャチャーチの牧師家族および信者である185。彼らの多く は有償のスタッフだが、一般的な施設職員と比較すると非常に低い給与水準で労働に従事してい る186。このようにプロミスキーパーズは給与よりも理念を重視する人材を活用することで、少な い人件費でスタッフの確保が可能となっている。また、プロミスキーパーズは沖縄ベタニャチャ ーチのほか、沖縄県内外の多くのキリスト教教会187から物質的・経済的援助を受けている。
一方、キリスト教と関係のない世俗的な組織との協働も年々増加しており、2009年度にプロミ スキーパーズを支援した企業・団体は200以上にも及んだ。たとえば食品会社、スーパーマーケ ット、アメリカ軍188,NG0189などからは大量の食糧支援を、弁護士・司法書士など司法の専門家か らは支援困難な施設入所者や野宿者の法的支援190を、看護系大学の教員・学生からは無料で健康 診断を受けている191。
また、NP0法人化以降はプロミスキーパーズと政府・地方自治体との連携が進んだ。2009年に は国の緊急雇用創出事業の一環として、遺骨収集事業を那覇市福祉政策課との連携のもとに請け 負い、2か月間という短期間ではあるものの、約2,200万円の予算規模で55人の雇用を作った192。
このようにプロミスキーパーズはヒト・カネ・モノといった資源獲得ルートを多元化するため に、宗教団体ではなく、支援団体として活動するようになった。また、公的機関との協働を可能 にするために、任意団体からNP0法人になった。その結果、プロミスキーパーズはキリスト教関 係、民間企業、司法や医療などの専門家、政府・地方自治体など、さまざまな機関や人から支援 185エデンハウスに入所する15人のスタッフの多くもまた沖縄ベタニャチャーチの信者である。
1862009年度のスタッフ22人に対する給与の総額は9,929,000円となっている。プロミスキーパーズのスタッフ の最も高い月給は200,000円である。
1872009年度においては沖縄県内だけでも10教会以上がプロミスキーパーズに経済的・物質的援助をおこなった。
188 ル子、飲料類、缶詰、調味料などがアメリカ軍から定期的に届けられる。
189フードバンクやセカンドハーベストジャパンが食糧支援をおこなう主要なNG0である。
190 ツ務整理、財産分与、離婚手続き、権利擁護等が主要な支援内容である。2008年以降、「沖縄県司法書士青年 の会」に所属する司法書士が定期的にプロミスキーパーズで相談活動をおこなっている。また、法テラスとも緊 密な協力関係を有している。これら司法の専門家の協力を得ることで、以前に比べて行政サービスを受けること が容易になった。
191 サの他、米軍基地関係者、議員との協働が目立つ。また、マスコミも肯定的な報道を繰り返したり、プロミス キーパーズが主催するイベントの後援団体になったりと、プロミスキーパーズの社会的認知の向上に大きな役割 を果たしている。
192 竝恷繒W事業に参加した55人のうちエデンハウスの入所者は23人。残りの22人はプロミスキーパーズとっ ながりのある沖縄県在住のホームレスおよび生活保護受給者である。
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を受けるようになり、限られた財源で広範かつ大規模な支援活動を展開することができるように なったのである。
3−2.支援一被支援関係の溶解と居場所
上述のとおり、プロミスキーパーズは多元的な資源獲得ルートをもっているが、財政状況は盤 石なものではなく、一般的な給与水準でスタッフを雇用することができない。そのためプロミス キーパーズはエデンハウスの入所者のなかで、稼働能力があり、なおかつ組織の理念を重視する 者をスタッフとして雇用している。
通常、公設のホームレス自立支援施設では、支援者と被支援者の立場・役割の違いは明確であ り、両者の関係性が溶解することはない。しかし、プロミスキーパーズでは、専従スタッフが慢 性的に不足しているということもあり、入所当初において被支援者だった人々が支援者へと役割 転換することがしばしばある。たとえば、那覇市内の5つの公園でおこなっているプロミスキー パーズのアウトリーチには施設入所者が積極的に関与しているし、プロミスキーパーズが所有す る施設の修繕や改築などの大半は外注せずに施設入所者がおこなっている193。また、エデンハウ スや朝目のあたる家における調理もすべて施設入所者らが担っている。さらにエデンハウスと朝
目のあたる家の統括責任者も施設入所者自身が担っている。以下ではエデンハウスと朝目のあた る家の統括責任者となった2人のインタビューデータをもとに、いかにして支援一被支援関係が 溶解していくのかをみていく194。
【Aさん/沖縄県出身/現職:「エデンハウス」寮長/インタビュー当時59歳】
Aさんは35歳のときに家族関係のこじれをきっかけに妻子と別れ、野宿者になり、約18年間、
公園を拠点に暮らしてきた、Aさんが最も長く生活していた那覇市の奥武山公園では、かつて30 人ほどの規模の野宿者のグループがあり、共同で生活をしていた。野宿者の仲間の大半は主にア ルミ缶収集等の雑業で現金収入を得ていたが、Aさんは賃労働に従事せず、仲間の金銭管理や食 事づくりをしていた。Aさんは奥武山公園ではリーダー的存在で、「公園管理事務所の所長が交代 するときには、いつも挨拶に来ていたし、公園を定期的に巡回する警察官も自分のことを頼りに
していた」。Aさんにとって、気の合う仲間が多くいて、食べ物に困ることがなかった奥武山公園 での生活は決して悲壮なものではなく、「親族と一緒にいるより居心地がよく、解放感があった」。
2005年からプロミスキーパーズが公園にアウトリーチに来るようになったが、当初Aさんは「自 分たちのことを乞食のように思っているのではないか」、「興味本位で来ているのではないか」と 快く思っていなかった。またAさんは宗教に対する不信感をもっており、キリスト教が母体とな
ったプロミスキーパーズの存在を疎ましく感じていた。しかし、定期的にプロミスキーパーズと 接触するなかで徐々にプロミスキーパーズに対する信頼が芽生えるようになった。
同時期、改修工事を理由に奥武山公園からの退去指導が厳しくなり、別の場所に移動しなくて はならない状況に陥っていたところ、Aさんは山内牧師に誘われて沖縄ベタニャチャーチで暮ら すようになった。その頃、既に沖縄ベタニャチャーチには約15人の野宿者が共同生活をしていた
193 {設入所者のなかには大工経験者や配電工事経験者が少なくない。
194AさんとNさんのへのインタビューは2010年3月27日、28目におこなった。
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