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SE08

ドキュメント内 浩腱浦滴唱 (ページ 43-46)

O ⑭

S A09

図61 第212次調査遺 構 図 (1

H=71,000m

図62 土器埋納遺構実測図 (1:20)

図63 銭貨 の埋納状況

(1:4)

SD 03と 04は、 東 西 方 向 の 素 掘 溝 。 SD 04 は北 肩 の み が 残 る。SD 03の心 か らSD 04の 北 肩 まで 約

6mを

測 り、 西 隆 寺 造 営 以 前 の右 京 一 条 二 坊 九・ 十 坪 の坪 境 小 路 の可 能 性 が 考 え られ る。

SA06・ 07は 当 初 掘 立 柱 建 物 と考 え た が、

方 位 を 異 に し、 掘 立 柱 塀 と考 え る。SE08は 小 型 の浅 い井 戸 。 横 板 組 井 戸 枠 一 段 の 中 に、

平 瓦 を 円形 に並 べ、 中 に奢1り もの桶 を置 き水 溜 とす る。

土 器 埋 納 遺 構

 

回 廊

SC01東

北 隅 中 央 の 礎 石 据 付 掘 形 の底 か ら、 土 師 器 甕

Aが

正 位 の状 態 で 出土 した (図62)。 内 部 に は土 が 充 満 して い た が、 慎 重 に内部 の上 を除 去 した と ころ、

甕 の底 部 で銅 銭

5枚

と付 着 した布 片 、 土 師器 皿

Cl個

体 、 土 師 器 甕 の大 破 片

3個

を検 出 し

(図63)。 銅 銭 は、 和 同 開 弥 、 高 年 通 宝 、 神 功 開 宝 各

1枚

、 銭 文 不 明 銭

2枚

で あ る。

当初 の埋 納 状 態 を復 原 す る と、 甕 の 内部 に布 に包 ん だ銅 銭 を置 き、 そ の上 に土 師器 皿

Cを

か ぶ せ、 土 師 器 甕 破 片 で蓋 を して い た もの と推 定 さ れ る。 出土 状 況 か ら判 断 して、 これ は回 廊 建 立 に 当 た って礎 石 据 付 掘 形 底 部 に置 い た もの で 、 そ の上 に礎 石 を据 え た と考 え られ る。

‑108‑

古 墳 時代 の遺 構

 SA09と

SB 10は 、 柱 穴 掘形 か ら古 墳 時代 の須 恵 器 が 出土 した。

方位 も東西方 向か ら振 れて い るので、古 墳 時代 の もので あ ろ う。

縄 文 時代 の遺 構

 

調 査 区北 端 の溝SD02は、 北 東 か ら南西 にか けて の直線 的 な斜 行溝 で、 埋 土 の底近 くか ら縄 文時代 晩期 の船橋 式上 器 が 出土 した。 溝 の断面 形 態 は逆台形 で、弥生 時代 の同様 の形態 の溝 (た とえ ば京都大学教 養部構 内A P22区 の溝。 京都大学埋蔵文化財調査研究 セ ンター『京都大学構 内遺跡調査研究年報 昭和57年度』1984年

 9・

10頁

)の

例 か らみて、 人 為 的 に掘 削 した溝 で あ る可 能 性 が高 い。

  

奈良 時代 の遺物

 

今 回 の調査 区 内 には整地 土 や包含 層 が な く、 出土 遺 物 の量 は少 な い。 軒 瓦 は、軒丸 瓦

3点

、 軒 平 瓦

5点

が 出上 した のみで あ る。 井 戸SE08か ら は、水溜 め外側 に使用 していた平瓦 が12枚出上 した。 半 裁 した ものが多 い。

土器 の 出土 は、 きわ めて少 な い。 楕 円形 の浅 い土 坑

SK05か

らは、 須 恵 器 横瓶

2個

体、 壺

L2個

体、 壺

Kl個

体 が出土 した。 いず れ も内面 に漆 が付 着 す る。

金属器 は、銅銭

7枚

が 出土 した。 その うち

5枚

は、 土器埋 納遺構 か らの出土。

ほか に、井戸SE08か ら和 同開弥が

2枚

出土 した。

古 墳 時代 の遺物

 6世

紀 中頃 の上器 が 出土 したが、 いず れ も小 片 で あ る。

縄 文 時代 の遺 物

 SD02か

ら、 突帯文土器 の深鉢

1個

体 が 出土 した。 口縁 部 か ら 胴部 にか けての破片 で、 全周 の約 四分 の一 ほどが残 る。 日縁 端 部 か らや や下 が っ た位置 に

1条

、 胴部 に

1条

の計

2条

の突帯 を施 し、 突帯上 に箆状工具 で

D字

形 の 刻 み 目を入 れ る。 日唇部 に刻 み 目 は入 れ な い。 外面 は、

2条

の突帯 間 は、 巻貝条 痕 を行 な った上 になで に よ る調 整、 胴 部 の突帯以下 は不調製 で、 粘土紐 の継 目が 残 る。 内面 は巻 貝条 痕 で調 整。 色 調 は暗 褐 色 で、 胎 土 に角 閃石 は含 まな い。 晩 期 末 葉 の、 船 橋式 土 器 で あ る。

婁 逗 み

図64 突帯文土器実測図

(1:6)

‑109‑

ま とめ

今 回 の調 査 で は、 回廊 の 東北 隅 を検 出 した。 これ に よ って、東面 回廊 の規模 が 推定 され る とと もに北面 回 廊 の位 置 が明 らか にな った。

なお、北面 回廊 は西接 す る 第221次調 査 で も確 認 した。

また、土器埋納遺構 を検 出 した ことによ り、 回廊建 立 に伴 ってなん らか の祭 ご

とが存在 した ことが推定 で きる。 本土器埋納遺構 は、

‑2に

掲載 した よ うに、

土 師器 甕 内の銭貨周辺 の土 壌 の脂肪酸分析 の結果 で は 胞衣壺 と推 定 されて い る。 し か し、 出土状況等 か らみて、

本土器埋納 遺構 は西 隆寺建立 時 の もので、 回廊建立 に伴 っ て埋納 された ものであ ること は明 らかで あ り、地鎮具 と推 定 して い る。 その性格 につ い て は、脂肪酸分析 の結果 の理 解 も含 めて、 将 来 の本報告作 成 時 に、 慎重 に検討 しな けれ ばな らない。

 (杉

 

)

Y=‑19,500

Y=‑19,400

N▲二員

X=‑145,200

B]65

Ь

==匡

これまでに検出

図66 西大寺伽藍絵図に描かれた西隆寺

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