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法華寺境 内の調査    第215‑15次

ドキュメント内 浩腱浦滴唱 (ページ 63-70)

C期

11  法華寺境 内の調査    第215‑15次

法華 寺 の境 内で、 薬 師堂 の移転 に伴 う調査 と駐車 場 を囲 う築 地 塀 の改築 に伴 う 調査 とを行 な った。 また、 現在 の南 門 に取付 く南築 地 塀 の改修 に伴 う立 会 い調 査 で も礎石列 を発見 して い るので、併 せて報告 す る。

薬師堂 の移転 に伴 う調査 区

棟札 によ って1666年 (寛文

6)に

建立 した ことが わ か る現 在 の薬 師堂 を、 北 ヘ

2mほ

ど移 して建 て るため、建物撤去後 に現基壇 を中心 に面積

56rを

調 査 した。

前身建物 の基壇 と礎 石据 え付 け掘形 が見 つ か り、 現 在 の薬 師堂 と同規 模 の前 身 建 物 が あ った ことが わ か った。 前 身 建 物 の基 壇 は東 西540cm、 南北450cmで小 さい 三間堂であ り、向拝 はない。基壇 は整地土上 に高 さ30cmほ どを三層で築 いている。

基壇上 に混入 して い る瓦 か ら建物 は中世 に建 立 した と考 え られ る。

現在 の薬 師堂 の四隅 にあた る柱位 置 の礎 石 は、 他 の礎 石 が人 頭 大 で あ るの に、

その倍 ほどあ る。前身薬 師堂 も同様 であ る。

築地 塀 の改築 に伴 う調 査 区

この調査 は三 ケ所 に分 かれて い るので、西 か らI区、 工区、 Ⅲ区 と呼 ん で記 述 す る。

 I・

Ⅱ区 は幅5m、 長 さ10m、 Ⅲ区 は幅3m、 長 さ

10mの

調査 区 で あ る。

三 区 に共通 す るの は、室町時代初期 に ここに東西 の築地塀 が築 かれ、何度 か の 改修 を受 けて現在 に至 って い る ことで あ る。 江戸 時代 の『 大 和 名 所 図絵』 に も、

この位置 に築地塀 を描 く。 この築地 の基底部 は土 を突 き固めて築 いた様子 はな く、

いわば土 を積 み重 ねただ けで あ り、 したが って全体 に柔 らか い。

18

図76 第215‑15次調査位置図

‑126‑

I    

層位 は上 か ら盛 上、 旧耕上、床 土、遺 物 を含 む茶 褐 上 で、 これ らを取 り除 くと 奈良時代 の遺構 面 に達 す る。 上層 の遺 構 と して発 掘 区南 端 部 で室 町時代 の築 地塀 を検 出 し、発掘 区西半分 を掘 り下 げ奈良時代 の遺構面 で十 字 に交 わ る溝、 掘立柱 建物

2棟

を検 出 した。

奈良 時代 の遺構

溝SD03、

SD04は

調 査 区 内 で十 字 形 を な して い る溝 で 次 に述 べ る掘 立 柱 建 物 よ り古 い遺構 で あ る。 幅100cm前後 で、 深 さは10cmほ ど と浅 い。 この うち東西溝 SD04は、 南 一 条 大 路 の北 側 溝 の位 置 に あた り、 平 城 京 造 営 時 に掘 削 した可 能 性 が あ る。 ただ し、 南 北 溝

SD03は

条 坊 とは無 関係 の位 置 に あ た るか ら、 決 定 的 で はな い。 発掘 区南 よ りに検 出 した掘立柱建物SB01は東 西 棟 建 物 と思 わ れ、 桁 行 は

3間

分 を検 出 した。 柱 関数 は不 明で あ る ものの、 柱掘 形 が

70cm〜

100cm、 柱 痕 跡 は30cmと 大 き く、 規模 が大 きい建物 を予想 させ、桁行

5間

以上 と考え られよ う。

柱 間寸 法 は、

 1尺

29,7cm前後 で桁行10尺等 間、 梁 間

9尺

と考 え られ る。 建物 の南 側 に建物 が広 が る余 地 がないか ら、検 出 した一部 は建物 の南庇 に当た る。 また、

発 掘 区北 に掘立 柱 柱穴 2つを検 出 し、 塀SA05と す るが、 建 物 の可能 性 もあ る。

I区

で検 出 した奈良 時代 の築地 は、

I区

で は検 出で きなか った。

下層遺構 と して検 出 した奈良時代 の遺構 と、 上 層 遺 構 と して検 出 した室 町 時代 の遺構 の間 に、 瓦 が散乱 す る面 が あ ったが、 遺構 を伴 って はいな い。

SK10

‑145,476

図77 第215‑15次調査遺構図 (1:250 3図上層,下2図下層)

‑127‑―

室 町時代 の遺構

築地 塀

SA02は

基 底 部 で幅150cmほ どが の こ り、 基壇 南 側 を 白粘 土 で固定 し玉 石 あ るい は瓦 を数 段 重 ね て化粧 とす る。 瓦 には軒 瓦 が混 じり、 そ の文様 か ら室 町 時代初期 の もので あ り、 築地 もその頃であ ろ う。

 

層位 は

I区

と同 じで、上 か ら盛土、 旧耕土、 床土、 遺 物 を含 む茶褐土 な い し灰 褐土 が あ り、 これ らを取 り除 くと奈良時代 の遺構面 に達 す る。 東 西 に並 ぶ掘立 柱 穴列 を

3条

、 土 坑

2基

、 東 西築地

2条

を検 出 した。 上層 の遺 構 で あ る南端 の築地

1条

を除 いて奈良時代 の遺構 と思 われ る。

奈 良 時代 の遺構

掘立柱穴列 で あ る

3条

は建物 にまとまるか塀 の柱列 か は不 明 で あ る。 いず れ も 東 西列 で、北 の一 列

SA06は

桁行

2間

分 を検 出 した。柱 間数 は不 明で ある もの の、

柱掘形 が100cm〜140cm、 柱痕跡 は36cmほ どと大 き く、建物 に して も塀 に して も、

相 当大 きい規模 で あ ろ う。

1尺

は29.7cmで、柱 間寸 法 は10尺等 間 と考 え られ る。

北 の一 列

SA06に

重 複 して そ れ よ り新 しい

SA07が

あ り、 調 査 区 の 南 に

SA08が

あ る。掘立柱穴列SA07と SA08の柱穴 は丸 味 を帯 びて い る。

築 地 塀

SAllは

地 山 を削 り出 して基底部 をつ くって い る。 基 底 部 の北 に は肩 幅 70cmほ どの東西溝 SD 12が あ り、築地 の雨落溝 と考 え られ よ う。 Ⅱ区 の東 端 の築 地 中央 に方形 の穴

SK10が

あ り、 門 の西柱穴 か も しれない。

室町時代 の遺構

室 町時代 の築地塀

SA13は

、 奈 良 時代 の築 地 塀 の南 に あ る。

 I区

の築地 塀 の東 延 長部 にあた るが、 ここで は基壇化粧 の玉石や瓦 はな く裏込 に あた る白粘土 が ブ ロ ック状 にな って基壇 を固 めて いた。築地上 には発掘区 ほぼ中央 に幅30cm、 深 さ

5cmの

南北小溝

SD14が

あ る。築地基底部 を貫 く、 暗渠 の痕跡 で あろ′う。

時期不 明の遺構

発 掘 区 の北東 隅 に大 土 坑

SK15が

あ る。 枠 な どの施設 は残 存 しな いが、 井 戸 で あ るか もしれない。

‑128‑

 

層位 は、 上 か ら旧耕土、 床上 で、 これ を取 り除 くと中世 の遺 構 面 に達 す る。 発 掘 区 中央 に は、 室 町時代 の東 西築 地 塀

SA16が

あ る。 この基 壇 の化 粧 石 が良 好 に 残 って いたので、 Ⅲ区で は基壇 を壊 して掘 り下 げ る こ とはせ ず、 したが って奈 良 時代 の遺構面 に達 して いない。 東西築地塀SA16のほか に は遺構 はない。

東 西 築 地 塀

SA16は I区

、 工区 で 検 出 した東 西 築 地 塀 SA02、 SA 13の 東 延 長 部 に当た るが、 I区、 Ⅱ区 と異 な りⅢ区 で は玉 石 で化 粧 して い る。 築 地 の内外 で は地面 に高低差 があ った らしく、 内側 であ る北 が

40cm高

い。基壇化粧 は、外側 に あた る南 で人頭大 の石 を二段 に重 ね、 所 々 に瓦 を併 用 して い る。 基壇 幅 は

150cm

あ り、北側 には土層 断面 の観察 の結果、 雨落溝 が あ った と判 断 され る。

その他の調査

現在 の南築地塀 の改修 に伴 う調査 を部分 的 に行 な った。 現在 の築地 の基底部 を 取 り除 くと東西 に並 ぶ礎石 が あ り、 これ らの礎 石 は築 地 に は無 関係 で あ り、 中世 か ら近世 にか けての建物跡 と考 えた。 現本堂 を中軸線 と して ほぼ対称 の位 置 で、

東 に

3個

、 西 に1個の礎石 を確認 した に留 まるが、 現在 の南 門 と本堂 を結 ぶ中軸 線 の対称 の位 置 に礎 石建 物 が あ った と考 え られ よ う。 礎 石 は長軸80cmほ どの 自然 石 で、 柱 間 は

3mで

lo尺とな ろ う。建物全体 の様子 は不 明で あ る。 (上野 邦 ―)

4 1区

、 Ⅱ区 出上 の遺 物 土

 

 

奈 良 時代 か ら近 世 に い た

る土 器 が 出土 した。 こ こで は、 下 層 の 掘 立 柱 塀SA 06の 柱 抜 取 穴 か ら出土 した土 器 を示 す。

 1は

師器 皿

Aで

、aO手法 で調 整 す る。

暗文 はな い。 2は土 師器 鉢B。 内 面 に放 射 暗 文 が あ る。 3は須 恵 器 皿B。 いず れ も平 城 宮土 器 Ⅲ〜Ⅳ

0      20cm

図78 下層塀SA06柱抜取穴 出土土器 (1:4) で あ る。 (玉田芳 英)

‑129‑

 

 

白鳳 時代 か ら江 戸 時代 まで の各 種 の瓦 が 出土 した (表 16)。 法 華 寺 の前 身 で あ る皇后宮所用軒平 瓦

6667A(図 79‑1)の

顎 の作 り方 に は

3種

が あ る。 第 1は粘土板 に顎用粘土 を付加 す る段顎 で、最 も古 式 で あ る。 第

2は

瓦 当部分 が厚 い粘土板 に顎後縁用 の若干 の粘土 を付加 す る段顎 で あ る。 第

3は

瓦 当下 縁 に面 取 りのな い曲線顎 で、 新期 の作 り方 で あ る。 今 まで法 華寺 境 内で 出土 した

6667Aの

顎 の作 り方 や、範 傷 の検 討 が望 まれ る。 出土 量 の最 も多 い軒 瓦 は室 町 時 代 前 期

(14世紀

)の

もの で あ り、 薬 師寺 との同 範例 が

2例

あ る (図

79‑2・

3)。

3は

す べ て『 薬 師寺報告』 の軒平 瓦346の、 瓦 絶切 り縮 め後 の生 産 品 で あ るが、 焼 成 は両寺 出土 品 とも軟質 で あ る。 また、法華寺例 は瓦 当上縁 と顎後縁 に面取 りを も

つ が、 薬 師寺例 に はな い。 (佐川 正 敏)

1 (6667A)

I≒

 2

図79 第215‑15次 調査出土軒瓦

(1:4)

表16 第215‑15次調査 出土 瓦集計薮

点 教 点 叡

  Z

61Z6 A

C

3

6138 B 3 6664 R 1

3 6667 A Hrか近 世・ 面 戸 瓦

6Zr6 Ara 1 6671 ,

6285 A 2 6r14 A 2 2

6348 Aa 1 6767 A 1 ]汁i斤F・ F丁

1 6768 B 類 不 明 9

    江 戸 緬 ラH月 1

   ttl 1じ 2

FT   FH     ̀

           看計   kq 51948

中 世 か 江 戸 5 β lZ 2560

   1

d不      ka 167590

    西1計 rz 10̲695

‑130‑

12 

長 屋 王 邸 お よ び二 条 大 路 出 土 の 木 製 品

は じめ に

1987年か ら1990年にわた る長屋 王邸 お よび二条 大路、 藤原麻 呂邸 の調 査 で は彩 しい量 の木製品が出上 した。 その一 部 は、 1986年 度 〜1990年度 の『 平 城 宮 跡 発 掘 調 査 概 報』、 奈 良 国立文 化 財 研 究 所 編 1991『 平 城 京 長 屋 王邸 と木 簡』 (吉川 弘 文 館

)に

報告 して い る。 ここで は、 そ の後 の整理 に伴 って実 測 した遺物 の一 部 を報 告 す る。 なお、 遺物 は膨大 な量 にの ぼ り、 今後 も機 会 を得 て整 理 、 実 測 を終 了 し た ものか ら順次報告 したい。

木製 品の類

井 戸 SE4770の 木器

(1〜 5)平

城 京 左 京 三 条 二 坊 の うち、 一 。二・ 七・ 八 坪 の

4町

を しめ る長屋 王邸 で は、 正 殿 域 に接 して東 西 の外 郭 が あ る。 井 戸SE4770 は、 この東外郭 の東北外側 にあ る井戸跡 で あ る。 井戸 とい って も実 際 に は井 戸 枠 を抜 き取 ってお り、 そのあ とごみ穴 と して木簡、 木器、 土器等 を投棄 して い た。

木簡 に は「長屋皇宮俵一石香人夫」 と記 した ものが あ り、 これ によ って この地 が 長屋 王 邸 と判 明 した ことは記 憶 に新 しい。 木 製 品 に は人形 (1)、 マ リオ ネ ッ ト

(2)、 独 楽 (4)、 陽物 (5)、 舟 形 、 刀 形 、 お よ び 曲 物 、 糸 枠 な どが あ る。

ここで は祭祀具 を主 に紹介 す る。

人 形 は全長7.6cmの小 さな もの。 頭 を圭 頭 に作 り、 肩 と腰 の両 側面 に切 り欠 き をいれ るタイプで、手 を表わす切 りこみ はない。 七ヽわゆ るマ リオネ ッ トは体部 と、

手 か足 の一 部 と思 われ る部 品 が あ る。 体 部 は側面 形 を表 わ し、 肩 と腰 の位 置 に手 足 の軸 をいれ る小孔 を穿つ。顔 には墨描 な どの表現 はない。保存状態 はやや不 良。

独楽 は広葉樹 の心特材 を加工 した もので、 一部 に は樹 皮 が残 る。 陽物 は、 針 葉 樹 の心去 り材 を加工 し、亀頭 や鈴 口を表現 した もの。 他 端部 は欠 損 し、 これ らの加 工状態 は不詳。舟形 は丸木舟 の形 で あ るが、 甲板 には長軸 に直交 す る刻 みが あ り、

あ るい は丸木舟 に甲板 を張 った準構造船 の模造 品 か。 半分 に切 断 して い る。

SE4770か ら出土 した木簡 に は霊 亀、 養 老 の紀 年 銘 が あ り、 この うち年 代 が 降

‑131‑

ドキュメント内 浩腱浦滴唱 (ページ 63-70)

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