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遺    構

ドキュメント内 浩腱浦滴唱 (ページ 34-42)

当   Y‑17,755

2  遺    構

検 出 した遺構 は北面 回廊 と講堂 の東端部 で あ る。 遺 構 面 は全 体 に東 が低 く、 西 ほど遺構 の残 りがよい。 と くに、発掘区中央付近

(Y=19,475)よ

り東 は一 段下 が

ってお り、削平 が著 しい。一方、講堂部分 の遺構面 は浅 く、 現代 の整地土 直下 で あ る。 また、現在 の講堂基壇東部 で基壇化粧石 を はず して調 査 を行 な った結果、

現基壇土 内 に当初 の基壇土 が残 って い る ことが判 明 した。

 

 

講堂 の遺構 と して、基壇地覆石、 雨落 溝、 階段、 身 舎・ 庇 :裳階 の礎 石 据付掘形 お よび抜取穴 を検 出 し、北面 で は南北 道 路 敷 を検 出 した。

身舎・ 庇 の礎 石据付掘形 は径約

2mの

隅丸 方形 で、 一 部 に は抜取 穴 が み られ、

根石 の残存 す る据付 掘形 もあ る。 当初 基壇上 の残 りの良 い発 掘 区西 北 隅 の掘形 の 断面 を観察 す る と、礎 石 は基壇土構築 の途 中段 階 で据付 掘 形 を掘 って据 え付 け、

その後、 さ らに基壇土 を積 んでい る状況 がみ られ る。 礎石据付掘形 は根石据付位 置 よ り30cm〜

40cm深

く掘 り、 土 を充填 しなが ら根石 を据 えて い る (図57)。 裳 階 礎石据付掘形 は、遺構面 の最 も残 りの よい発掘 区西 北 隅 (現講 堂 基 壇 内北 端

)で

のみ検 出 した。掘形 は東西80cm、 南北70cmと 小 さ く、礎石 は抜 き取 られて い るが 掘形 の底 で根石 を検 出 した。 この掘形 の底 の レベ ル は身 舎・ 庇 の妻 を検 出 した遺 構面 よ り高 く、 他 の場所 で は削平 され た と考 え られ る。 なお、 断割 調 査 の結 果、

礎石据付掘形 は一度 しか掘 られてお らず、礎 石 を据 え替 え た痕 跡 はな い。

柱 間寸 法 は礎 石 が残 って お らず正 確 に は確定 し得 な いが、

1尺

を0.296mと 仮 定 す ると、 身舎桁行 方 向柱 間寸法 を15尺等 間、 梁 間方 向 を17尺等 間、 庇 の 出 を10

―‑ 99 ‑一

尺 と と る こ とが で き る。 裳 階 の 出 は、

6尺

、 ま た は6.5尺 の いず れ と も考 え得 る が、 『 薬 師寺 報 告』 で推 定 して い る6.25尺 と して 考 え て お く。 この成 果 を伽 藍 中 軸 線 で折 り返 す と、 桁 行 方 向 の不 明部 分 は75尺 とな り、 この部 分 は桁 行

5間

、 柱 間寸 法 15尺 等 間 とな る。 した が って、 講 堂 の規 模 は桁 行

7間

、 梁 間

2間

の身 舎 の 四面 に、 出 が10尺 の庇 が付 き、 さ らに四 面 に裳 階 が付 くと復 原 で き る (図56)。

基 壇 に関 して は、 北 面 と南 面 で凝 灰 岩 地 覆 石 を検 出 して お り、 講 堂 基 壇 化 粧 は 凝灰 岩 壇 上 積 で あ った。 地 覆 石 は幅32.5cm、 厚 さ34cmで、 長 さ は50〜90cmと一 定 して いな い。 最 も残 りの良 い地 覆 石 を み る と、 地 覆 石 上 面 に幅16.5cm、 深 さl cm 弱 の溝 が あ り、 この溝 に羽 目石 を立 て た と考 え られ る (図55)。 南 面 。北 面 の地 覆 石 外 面 間 の距 離 が

22.5mで

ぁ るので 、 基 壇 南 北 幅 は76尺 と復 原 で き、 庇 柱 筋 か らの 出 は11尺 とな る。 基 壇 東 端 は正 確 に確 定 し得 な い が、 雨 落 溝 等 の状 況 よ り、

庇 柱 筋 か らの基 壇 の 出 が南・ 北 面 と同 じ11尺 と考 え られ る。 した が って基 壇 東 西 規 模 は147尺 と推 定 さ れ る。

南・ 北 面 で は、 身 舎 端 間 の正 面 に階 段 の痕 跡 を検 出 した。 北 面 で は石 階 耳 石 下 の地 覆 石 の一 部 を検 出 し、 南面 で は石 階前面 の踏 石 の一 部 を検 出 した。 階 段 の 出 は南 面 が1.lm、 北 面 が

0.7mで

あ る。 階 段 の 東 端 は身 舎 妻 柱 筋 に揃 うが 西 端 は 不 明 で あ る。 お そ ら く身 舎 妻 柱 筋 よ リー 筋 西 の柱 筋 に揃 い、 階 段 幅 は15尺 と推 定

され る。 な お基 壇 地 覆 石 は階 段 位 置 に も通 って お り、 基 壇 本 体 を築 成 後 に階 段 を 取 り付 け た と考 え られ る。

雨 落 溝 は総 体 的 に残 りが悪 く、 溝 と して検 出 し得 た の は 北 面 回廊 取 付 部 の南 入 隅 部 の み で あ る。 溝 幅 は約60cmと し、

西 肩 に部 分 的 に凝 灰 岩 の残 欠 が あ り、 東 肩 は凝 灰 岩 で化 粧 して い た と考 え られ る。 庇 妻 柱 筋・ 雨 落 溝 心 間 は約

4.5m

Y=19496.0001 Y=19498,0001

図55 講堂北面地覆石詳細図 (1:20)

‑ 100‑

(15尺

)と

復原 で きる。 また、 北面 で は部分 的 に東 西 帯 状 に広 が る小 礫敷 を検 出 した。北庇柱筋 か ら小礫敷 の心 まで は15尺とな り、妻 側 の庇 か ら東雨落溝 まで の 距離 と等 しくな る。 したが って、 この小礫敷 は北 雨落 溝 の底 に敷 いた小 礫 と考 え る ことがで きる。 なお、南面 に関 して は階段 が推定 雨落溝位 置 よ り若干外 に張 り 出 して い るが、 この部分 で の処理方法 は後世 の削平 の た め不 明 で あ った。 また、

北面 で も雨落溝 が後述 す る南北石敷通路 と交差す るが、 この位 置 に小礫敷 が な く、

また集水管設 置 によ る攪乱 のため、新 旧関係 も しくは処理方 法 は不 明で あ った。

講 堂北面石敷通路

 

講堂 の北面 で、 南 北 に延 び る石 敷 遺 構 を検 出 した。1969年 の 調査 で は、 講堂北面 中央 で階段、 お よび北方 の食堂 へ続 く通 路 を検 出 して お り、

この遺構 も食堂へ続 く通路 と考え られ る。石敷通路 は北面 の階段 の正面 に位置 し、

東西10尺幅 に人頭大 の川原石 を敷 きつ めて お り、 東 。西 端 に は見 切 り石 の ごと く に石 が一列 に並 んで い る。遺構 の東端 は北面 の階段 の東端、 す なわ ち身舎 の妻柱 筋 に揃 う。 しか し、西端 は柱筋 には揃 わず、通路 の中央 と柱間 の中央 は揃 わ ない。

石敷通路 の上面 には、 中古 の整地 土 が覆 ってお り、 さ らにそ の上 層 に焼 土・ 炭 化

137.5ヂ

6.25ナ10ヂ 15ヂミ    ″     ″          ″     ″    15ナ  10ナ 6.25ナ

││ │  │  │  │ │  │  │  │ ││

◆ 検 出 した柱位 置

 

■検 出 した叢階柱位 置

○ 推 定柱位 置

   

□推 定裳階柱位 置 図56 講堂推定柱配置図

彦ヽめ.ΦΦ

‑101‑

物 層 が あ った。 焼 土・ 炭 化 物 層 は享 禄 火 災 直後 の投 棄 面 、 整 地 層 は天 禄 再 建 時 の もの と考 え られ、 石 敷 通 路 は天 禄 再 建 後 に は使 用 され な か った と思 わ れ る。

北 面 回廊

 

北 面 回廊 にお いて も、 単 廊 の礎 石 を据 え た後 に計 画 変 更 され、 複 廊 を 造 営 した こ とを確 認 した。 図 58中 の

Y=‑19,475よ

り東 側 は前 述 の よ うに削 平 が 著 しく、 複 廊、 単 廊 双 方 の礎 石 据 付 掘形 の痕跡 が よ うや く残 って い る状 況 で あ る。

一 方 、 西 側 は基 壇 土 が あ る程 度 残 存 して お り、 単 廊 か ら複 廊 へ の計 画 変 更 時 に単 廊 の礎 石 を抜 い た後 の積 土 に覆 わ れ て い るた め、 単 廊 の柱 位 置 は検 出 で きず 、 複 廊 の礎 石 据 付 掘 形 お よ び抜 取 り穴 の み を検 出 した。 た だ し、 講 堂 取 付 部 で 部 分 的 に掘 り下 げて、 単 廊 の礎 石 据 付 掘 形 を一 か所 検 出 して い る。 単 廊 の柱 間 寸 法 は桁 行 、 梁 間 と も12.5尺で あ る。『 薬 師寺 報 告 ゴ で推 定 して い る よ うに、 裳 階妻 柱 か ら東 北 隅 入 隅 まで の10間 を12.5尺等 間 で 割 り付 けて い る。 複 廊 の柱 間 寸 法 は梁 間 10尺 等 間 と し、 桁 行 方 向 は東 北 隅入 隅 か ら西 へ

7間

分 は13.5尺 とす る。 た だ し、

講 堂 取 付 部 分 の1間は、 裳 階妻 柱 筋 か ら、 そ の東 の複 廊 の柱 ま で は26尺とす る。

基 壇 の遺 構 と して、 発 掘 区東 端 の南 面・ 北 面 と講 堂 取 付 部 の北 面 で 凝 灰 岩 地 覆 石 を検 出 し、 講 堂 取 付 部 の南 面 と北 面 で玉 石 列 を検 出 した。 基 壇 幅 は南 北 両 面 の 地 覆 石 が残 って い る発 掘 区東 端 で は、 南 北 約10,Om、 す な わ ち34尺とな るの で、

回廊 側柱 心 か らの基壇 の 出 は

7尺

とな る。 地 覆 石 は幅21cm、 高 さ21cmと し、 長 さ もほぼ60cmに統 一 して い る。 講 堂 取 付 部 南 面 の玉 石 列 は礎 石 を抜 き取 った外 側 に 並 べ て お り、 雨 落溝 の側 石 の二 次 的 な改修 と考 え られ る。 また、 北 面 の玉 石 列 は、

凝 灰 岩 の外 面 に合 わ せ て、 平 坦 な面 を上 に向 けて並 べ て お り、 従 来 の見 解 通 り当 初 雨落 溝 化 粧 が凝灰 岩 で あ る とす る と、 この石列 は二 次 的 な溝 底 石 とな る。 な お、

雨落溝 化 粧 の外 面 は、 南面・ 北 面 と も集 水管 が埋設 されて お り調 査 不 能 で あ った。

Y=‑19,485000

複廊礎石据付痕跡 麻講堂東面見切石据付痕畝

‑4̲̲一

図57 講堂・ 回廊土層断面図

‑102‑

:‑1948o

Y:‑19470

ト ピ

o      20m

呵 Ъ O 岸 判饂

0

複廊 単廊 複廊 単廊 複廊

――――Xi‑148000

第218次調査遺構図 (1

講 堂・ 北 面 回廊 取 付 部

 

先 述 の よ うに、 複 廊 の柱 間 は講 堂 取 付 部 で26尺と広 い。

南 面 回 廊 で は、 桁 行 柱 間寸 法 は基 本 的 に13.5尺で あ るが、 中 門 取 付 部 分 で は12尺 を2間 と して お り、 北 面 回廊 も講 堂 取 付 部 で は柱 間 寸 法 の や や 狭 い

2間

(13尺 等 間、 また は13.5尺 と12.5尺

)と

した と考 え られ よ う。 しか し、 この26尺の 間 に は 礎 石 を据 え た痕 跡 は検 出 で きなか った。 複 廊 の礎 石 据 付 掘 形 の底 は遺 構 面 か ら約 60cmの深 さ に あ り (図57)、 26尺 の 間 に礎 石 を握 え た とす れ ば、 な ん らか の痕 跡 が残 るはず で あ る。 これ は、 講 堂 か ら1間目の柱 をやや高 い位 置 に据 え た た め に、

そ の痕 跡 が 削 平 され た た め と考 え る こ とが で き る。 つ ま り、 講 堂 取 付 部 で は、 講 堂 か ら

2間

目の柱 筋 か ら講 堂 に向 か って基 壇 上 面 が 上 が り、 回 廊 と講 堂 の基 壇 高 の差 を、 この位 置 で基 壇 面 を ス ロー プ状 に して処 理 して い た可 能 性 が あ る。

また、 講 堂 基 壇 東 妻 位 置 に凝 灰 岩 を南 北 に据 え た痕 跡 を検 出 し、 凝 灰 岩

1個

体 を原 位 置 で検 出 した。 講 堂 東 の見 切 りの位 置 に あ た るが、 そ の高 さ は回 廊 地 覆 石 の高 さ とあ ま り変 わ らず、 本来 な らば基 壇 内 に埋 もれ る レベ ル に あ り、 当初 の も の とは考 え難 い。 したが って、二次 的 な仕事、 つ ま り回廊基壇 が崩 壊 した時期 に、

講 堂 東 端 の見 切 石 と して据 え た もの と推 定 で き る。

  

出土 遺 物 の ほ とん ど は、 瓦 埠類 で あ る。 軒 瓦 は創 建 時 の瓦 が 中 心 だ が、 講 堂 礎 石 据 付 掘 形 か ら小 型 軒 丸 瓦6307 C l個 体 が ほぼ完 形 で 出土 した。 この瓦 の年 代 は、 『 薬 師 寺 報 告 』 で は伽 監 が ほぼ整 備 され た天 平 10年 (738)以 降 と して い る。

表12 第 218次 調査出土瓦集計表

図59 軒丸瓦6307C (1 :4)

      

    《 叙   重 量k9

6  1  3 5 A

6641

G 点 教 3741

6276 AE H

1 1

6307 C К

4」 式 不 明 2 M 重量k9 2,07375

平 孝 時 代 3 示 明 2 点 数 20,073

並 芽 十 け,際 3R 6  6 S F

型 式 不 明

平 空 障 t          

平安 末 以「 36 H EE下   重 畳k 360

軍子 ̀ F,  三十 8ユ 点 数

‑103‑

ドキュメント内 浩腱浦滴唱 (ページ 34-42)

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