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8人の女性の療養所生活

ドキュメント内 第1章 本研究の視点と目的 (ページ 65-102)

本章では,8人の女性入所者に語ってもらったそれぞれの人生についての聞き 取りをまとめている。ここでの聞き取りは被害の実態調査ではなく,ハンセン病 という病に悩まされながら療養所という世界に絶対隔離された人生をどのように 生き,そうした人生を生きてきたことをどのように感じながら今を生きているの かを聴くことを大切にして,その中で,療養所で過ごした子ども時代から青年期 について語ってもらうことを中心的な目標にした。その際なるべく具体的な生活 のイメージが浮かぶような日常的な話を聞かせてもらうことを大切にした。

夕食を御馳走になったり,いっしょに外出したり,また食事に出かけたり,療 養所内のお風呂にいっしょに入ったり,深夜まで話し込んでそのまま泊めてもら ったり,いろんな場面でざっくばらんに話を聞く機会を得ることができ,生活実 感に即した生身の人生模様をわずかにしろ共有させてもらうことができた。日常 への影響等を考えて,報告にまとめる際には省くことになった話もあることが残 念である。反面,研究としての面接の構造化は弱くなった。しかし共に居,共に 行動し,共に語る形を大切にしながら話を聴くことを大切にした。

もとより協力者の長い人生の軌跡を思えばその一部を垣間見た程度にすぎない が,以下に,収集した8人の女性の話を紹介する。

なお,協力者の氏名は,2人を除いて全て仮名である。可能な限り匿名性をと 希望された協力者もあるため,所属療養所名や地名もなるべく記さないようにし た。もともと狭い世界である上に入所者が少なくなった療養所では,仮名であっ ても容易に個人を推定できると思われるからである。またこれまでに他の場面で 研究協力者として自らの人生を語っておられる椎林葉子さん(仮名)は,ご本人 の希望により本研究でも同じ仮名を使わせてもらった。

本名で記しているのは玉城しげさんと上野正子さんである。国賠訴訟・熊本裁 64

判の13人の原告の構成メンバーで,すでに,裁判での証言や出版物,テレビなど さまざまな場面で自らを語っておられる。そうした際に仮名を使用されている場 合もあるが,2人の話はすでに多くの人々に知られていることもあり,今回は本名 のままでということになった。

なお,以下では敬称・敬語を省かせていただいた。

1.協力者と手続き 1)協力者の属性

協力者は8名の女性入所者。1名以外は夫が他界し,一人暮らしである。

8人の女性の属性は表2に示しているとおりである。表2には,参照のために 第4章で取り上げた松山くに(『春を待つ心』)と旗順子(「十九歳」)も含まれて いるが,以下の数量的整理の対象には含まれていない。

協力者の年齢は 72~90 歳(2008 年(H20)の誕生日時点),入所時期は 1937 年 (S12)~1949 年(S24),入所期間は 59~69年間である。

入所時に所属した寮は,成人寮3名(入所時年齢 16~22歳),子ども寮5名(入 所時年齢6~13歳),うち園内学校に通った者4名,である。

また,戦前(1944 年(S19)以前)の入所者4名、戦後のプロミンによる治療が 開始される以前(1945年(S20)~1946年(S21))の入所者2名、プロミン治療開始 後(1947年(S22))の入所者2名である。

なお報告の中の年齢および個々の出来事が起った年次は、必ずしも厳密ではな く前後の状況からの推定であるものも含まれている。

2)面接方法・手続き

それぞれの協力者とは2回以上の面接の機会を得た。面接時間はばらつきがあ るが,短い場合で計4時間程度。基本的には療養所内の協力者宅で話を聞いた。

面接前に,自由に話してもらうこと,その中で少女の頃の話は是非聞きたいこ 65

表2.協力者の生活暦・属性 挿入 ・・・修正アリ・・・

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とを伝え,話の流れに従って適宜質問をした。その際,発病の状況・入所時の様 子・入所した寮の種類・結婚のいきさつ・結婚時の夫婦舎の状態,家族との関係・

障害の発生等の項目については,話に出てこない場合は可能な範囲で質問した。

面接聴取は原則として1対1で行ったが,複数の協力者の間での思い出話的な やりとりの中で聞き取った部分もある。

記録は本人の了解を得てメモを取り,可能なかぎり録音した。

なお,本報告書作成にあたっては,本人に内容確認・了解をいただいている。

2.8人の女性入所者との面接内容

8名の協力者について,生活年齢(実年齢)の高い方から1)玉城しげ,2)

椎林葉子(仮名),3)上野正子,4)大月恵子(仮名),5)里中ひろ子(仮名),

6)川瀬聡子(仮名),7)山咲章子(仮名),8)笹山典子(仮名) の順に紹介 する。

1)玉城しげ

1918年(T7)生れ 90歳 入所期間 69年。

1939年(S14),21歳の時に入所した。

漁業の島で小学卒業までを過ごした。家も網元をしていたので,当時の言い方 でいうと何人かの船子や子守り,野菜を作ったり飼っていた豚やヤギの世話をし たりする人など,年季奉公の住込みの使用人がいて,大家族だった。

3歳の時母が亡くなった。亡くなったことがよく分からず,専用の子守りがつ いていたが,母を探して昼も夜も泣いて,泣き始めると誰がなだめてもはねつけ た。そんな時は大人は泣きやまない私の口に甘いものを入れてくれていた。その せいか,歯はなくなって絶えず口内炎ができ爛れて膿が出ていた。

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小学1年の頃「新しいお母さん」と紹介された義母に,それまで誰にも見向き もしなかったのに,一目で飛びついて行った。いつもくっついて,学校も義母の 送り迎えがないと行かないほどだった。義母はすぐに自分の子どもを産んだけど,

私をとても大切に可愛がってくれた。実母の兄弟・異母兄弟・奉公人の子どもと 大勢で賑やかな生活だった。義母は来る人は誰でも受け入れて優しかった。小学 を卒業する頃まで人見知りが強く物がいえないような子どもだったが,時々ズケ ズケとものをいうところがあって義母にたしなめられることがあった。小学3・4 年の頃,こっそりおやつを食べていた奉公人夫婦に「奉公人のくせに…」という ことをいったことがあった。その夫婦はひどく怒って義母は謝ったが「こんな子 に馬鹿にされるところで働けない」と辞めてしまった。義母は夫婦に契約期限全 額の給料を渡して謝っていた。それを見て悪かったと思った。自分の言ったこと ばは,この病気になった後は特に何てこといったのかと身ぶるいするほど後悔す る。その夫婦が「この子はロクなことにならない」言ったことばが忘れられない。

(発病について)

13歳の時,顔が赤くなって斑紋が出ていた。そのことは自分では病気とは思わ ず,沖縄本島で商売をしている兄のところから女学校に行くことになって島を出 た。義母も特に気づいていなかったと思う。その程度の症状だった。

女学校には合格したが,その町に住んでいた実母の実家でおふろにいっしょに 入っていた祖母が気づいた。親戚の医者に連れて行かれ,「むずかしい病気だ。女 学校へはやらない方がいい。」と言われた。祖母が「入学は1年延期しようと」と 言って,結局その後,女学校には行けないままになった。母の実家は古い家柄で 祖母は漢方薬を買い,煎じたり練ったりして家族総出で丸薬を作ってくれた。お 米1升が 20 銭の時代に,薬代は1ヶ月分で5円にもなっていた。「この子には何 もさせずに養生させないといけないよ」と大切にされた。飲みにくいお薬で,13

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~15歳の頃は駄々をこねて飲まなかったりした。祖母は涙を流しながら「飲みな さい」と説教した。15 歳の時,ハンセン病の人が門付けに来た時に「薬を飲まな いとあんな風になるよ」と言われ,頭を叩かれたようにショックを受けた。はじ めて自分の病気のことを知った。それからはちゃんとお薬を飲むようになった。

家で誰も発病しないのに自分だけと思うと,奉公人夫婦の言ったことばを思い出 した。家族は皆,私にもまわりの人にも優しい人ばかりで本当に良い家族だった。

自慢の家族で,話したいことはいっぱいだけど,私が家族のことをあまり話すの は差し障りがあるから,あまり言わないほうが良いと思っている。

(入所について)

20歳まで自家製のお薬を飲んで斑紋は消えていた。家中で私の将来をどうする か話あっているのが嫌だった。その頃(1938 年(S13)頃)愛楽園の園長の検診が あった。症状は全くなくなっていて,治ったと思っていたが,パンフレットを渡 された。家族は大変なところだから行くなと言った。その頃に敬愛園の園長名で 手紙がきた。2回目に手紙が来た時,パンフレットを見て内容を信じた。家で高 いお薬代を使ってもらっているけど,国が治療してくれて衣食住の面倒を見てく れて,勉強もできるのならそんないいところはない…と思った。何ヶ月か治療し たら帰ろうと思い,義姉に渡航手続きを頼んで,親に内緒で入所した。

(園での生活)

入所と同時にびっくりして納得がいかないことばかりだった。消毒のお風呂に 入れられ,園の縞の着物に着変えさせられた。足だけつけて着物を着た。持って きた50円のお金も取り上げられた。「預かり証をください」といったら生意気と。

ブリキのお金(園内通貨)を2円 50 銭分渡され,「1ヶ月分の小遣。仕事(園内 作業)をすればお金を渡す」といわれた。「仕事しにきたのではなく,治療しに来

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