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身体の病としてのハンセン病

ドキュメント内 第1章 本研究の視点と目的 (ページ 36-45)

治療法がなかった時代,ハンセン病は慢性的に進行しながら皮膚症状(斑紋・

結節など)や感覚麻痺,神経の痛みや発熱,顔や手足の変形・機能の障害,視力 障害等をもたらす苦しみの多い病であった。現在の国立療養所の入所者は,ハン セン病そのものは癒えている元患者であるが,身体へのダメージが後遺症として 残っている人は少なくない。その後遺症から病のつらさをうかがうことができる が,聞き取りの場面での,元患者の淡々とした話ぶりは当時の苦悩を感じさせな いほどさりげないものであったり,あるいは病の苦痛についてはあまり触れずに 話が進むことも少なくない。それゆえ元患者が生きた人生の重さを感じ取るには,

病としてのハンセン病がもたらす苦痛についてある程度知識を持っていることが 必要であると思われる。したがって,以下に症状を中心に病気としてのハンセン 病を概略しておきたい。

1.症状と病型分類

ハンセン病は結核菌と同じ抗酸菌に属するらい菌によっておこる慢性の感染症 である。らい菌の毒性は極めて低く,感染しても発病までの潜伏期間は 10 年以上 もあることが多く,また発症することはまれである。同じ抗酸菌の結核菌が肺と いう重要臓器に寄生して直接命を脅かすのに比して,らい菌は 30~33 度が至適温 度であるため温度が高い内臓ではなく,皮膚や末梢神経,目・耳・鼻・口・咽喉 の粘膜など体表に近い低温部に寄生する。そのため生命に直接影響せずに慢性の 経過をたどるが,皮膚症状は容姿をそこない,神経症状は激しい痛みや手足の変 形・機能の喪失といった後遺症をもたらすつらい病である。

発症は,手足や顔あるいは全身に現れる皮膚症状(斑紋や結節などの皮疹)や,

神経症状(やけどや傷を負っても痛みを感じないといった感覚麻痺など)で気づ 35

かれることが多い。

発症した場合,症状や菌の状態・免疫系の機能によっていくつかの病型に分け られる。日本では長く結節型,斑紋型,神経型の3分類が用いられてきたが,現 在はリドレーとジョプリング(Ridley & Jopling,1966(S41))による宿主(患者)

の病原菌に対する免疫抵抗性のレベルで整理されたスペクトラム病型分類が一般 的である。すなわち LL 型(らい腫型),TT 型(類結核型),B 群(境界群),I 群(未 定型群)の4分類である。

LL 型はらい菌に対する有効な免疫抵抗性に欠ける,抵抗力が最も低い型で,TT 型は免疫抵抗が働く抵抗力が高い型,B 群はその境界群である。B 群はさらに 3 分 類され,LL 型に近い(抵抗力の低い)ほうから順に BL 型,BB 型,BT 型に分類さ れる。I 型は初期症状と考えられるもので,進行すれば LL 型,B 群,TT 型のいず れかに移行していくが,約4分の3は自然治癒するとされる。病型によって治療 計画・余後・反応性病変・合併症・後遺症等が異なるため,病型の診断は治療上 重要とされる。

また WHO は,1982 年(S57),多剤併用療法による投薬治療の方針を決める上での 簡便さを図って,MB 型(多菌型)と PB 型(少菌型)の2分類を提唱した。MB 型 は LL 型,PB 型は TT 型に対応し,B 群はその中間領域になる。

日本で用いられていた3分類との対応では,結節型が LL 型と B 群の一部,斑紋 型が TT 型と B 群一部を含み,神経型は斑紋型の斑紋が消失したものということに なる。

療養所の中では,見た目によって「湿性」「乾性」という分類がされてきた。河 野和子他(1997,1980 初版)によれば,「湿性」というのは「顔面その他に大小の 結節が多発し,らい腫が増大して潰瘍化したり,急性の浮腫や皮膚の湿疹様変化 などがみられる」といった結節型の特徴を形容した言い方であり,「乾性」という のは神経型の「神経の肥厚や麻痺,あるいは四肢の変形などが主な病変で,皮膚

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には何も残していない」という特徴を形容した言い方である。

2.各病型の特徴

以上の病型はいずれも皮膚症状や神経症状としての知覚鈍磨・知覚麻痺があら われるが,各病型によって症状は異なってくる。以下,尾崎(2007)等を概要し,

典型的な LL 型と TT 型の具体的な現れ方について生活レベルで目にみえる症状を 中心に概観しておきたい。

1)LL 型(らい腫型)

皮膚症状は,多様な皮疹が広範囲に左右対称にあらわれる。皮疹には斑紋・

隆起疹・結節などがあり,結節は放置すると自潰しやすい。TT 型にみられる ような皮疹部の知覚障害はみられない。真皮にびまん性に病巣が広がると皮膚 が肥厚し(びまん性浸潤),病変が進むと爪の変形・破壊や眉毛・まつげ・頭 髪が抜け落ちることもある。顔面の浸潤・結節が激しくなると獅子面(ライオ ンフェイス)といわれる風貌になる。また浸潤は口腔や鼻咽喉の粘膜にも生じ,

口腔内の粘液が出にくくなって,乾燥感・呼吸困難に悩まされ,また食物を飲 みこむことが困難になるなど,呼吸や嚥下に障害が起こる。鼻は初期には鼻閉 を感じ,病変が長期化すると粘膜萎縮が起こって鼻腔が乾燥し鼻閉が激しくな る。症状が進むと鼻軟骨も萎縮して鞍鼻・扇鼻・斜鼻になる。重症の場合は鼻 全体が萎縮し鼻軟骨が崩壊し,外鼻が欠損して鼻腔が露出した沈下鼻・欠損鼻 などいわゆる「鼻が潰れた顔」「鼻がない顔」になる。外鼻がないため乾燥に 悩まされる。耳にも浸潤が起る。

神経症状は,末梢神経障害が両手足の先から徐々に両側性・対象性(ときに 片側性・非対称)をもって上向性に進行し,両手足に知覚障害・運動障害が生 じる。重症になると神経や眼の合併症がおこり後遺症を残す。顔面筋麻痺が生 じると表情をつくることや上唇を上げること,瞼を開閉することなどがむずか

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しくなり,兎眼,眼瞼の下垂,下眼瞼の外反,口角の下垂,下口唇の外反など が起る。また顔の知覚麻痺,異常知覚,知覚過敏が起ることがある。LL 型で はこうしたことが両側性に起こりやすい(たとえば口角の下垂で口が「へ」の 字に歪む等)。療養所の中で言われる「湿性」の特徴はこの型の特徴の一部で ある。

2)TT 型(類結核型)

皮膚症状は皮疹があらわれる。斑紋(紅斑,環状紅斑)のことが多い。拳か それ以上の大きさになることもあるが,自然治癒することもある。皮疹の身体 上の出現は片側性か非対称である。皮疹部に知覚障害,発汗障害,脱毛が伴う。

神経症状は,普通片側性に1ヶ所もしくは数か所の神経幹が侵され,神経 幹から分岐した末梢神経も損なわれる。神経が腫脹・肥厚し,疼痛があり,急 速に知覚麻痺や運動麻痺が起こることが多い。筋委縮で手足の変形などの後遺 症が残ることが多く,顔面神経麻痺は片側性のことが多い。TT 型の皮疹は治 療によく反応し比較的はやく消えるが,知覚障害をもつ斑紋(低色素班)は残 ることもある。療養所で言われている「乾性」は TT 型の皮疹が消えた場合の 特徴をあらわしている。

3)B群(境界群)

B 群のうち、BL 型の皮膚症状は LL 型にきわめて近いが,分布が LL 型より非 対称的で数も少ない傾向がある。LL 型のような脱毛・鼻の変化・角膜炎・び まん性肥厚や獅子面は生じない。末梢神経障害も LL 型に近い。BB 群の皮膚症 状は,多くは円形・楕円形の隆起疹で,皮疹部は知覚障害がある。分布は BL 型より非対称的で,数も少ない。末梢神経障害は少数の神経幹が侵され,腫脹,

疼痛が起り,ときに知覚障害や運動障害が起る。BT 型の皮膚症状は TT 型に似 ているが,数が多い傾向にある。神経症状は,少数の神経幹に激しい炎症が生 じ腫脹と強い痛みが起きる。高度の知覚と運動の障害が残ることが多い。

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BL 型・BB 型は全般的に化学療法(薬)によく反応するが,後遺症への注 意が必要である。BL 型は治療経過も LL 型と似て長期を要する。LL 型より末 梢神経障害が生じやすい。

3.主な症状等に関する用語

以上各型の特徴を概略してきたが,型の特徴とは別に,元患者の生活の中でよ く用いられる,症状や医療的処置に関する用語について,以下に整理しておきた い。2.と同様、生活レベルで目にみえる症状等を中心に,具体的な臨床症状・

処置にしぼって記述するが,正確さを損なわないために多くを引用させていただ いた。

1)らい反応

ハンセン病は慢性に経過するが,熊野(2007)によれば「穏やかに経過し ている中に急激な炎症性変化が起こることを,らい反応と呼ぶ。それまで病 的ではあるが平衡を保っていた宿主寄生関係が,何らかの誘因で平衡を崩し て組織反応を来たし,」多彩で場合によっては劇的な臨床症状となってあら われる。「ハンセン病者の 20~50%が疾患経過のどこかでらい反応を経験す るといわれている。抗菌剤治療の過程でも多く見られ」,らい菌が死んで感 染症としては治癒しても,らい反応の後遺症が残るということが少なくない。

「多菌型の WHO/MDT 治療を受けた群では 49.9%の患者に何らかの反応が見ら れている」。

らい反応は大きく2つに分けられる。すなわち細胞性免疫反応が主体で B 群に起こる「境界反応(BR)」(1型らい反応)と,液性免疫反応が主体で LL 型と B 群のうちの BL 型に起こる「らい性結節性紅斑(ENL)」(2型らい反応)

である。TT 型は一般に安定していて反応は起こさない。いずれの反応も皮膚 症状・神経症状・眼症状・全身症状が単独あるいは重複して現れるが,それ

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