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まとめ…考察にかえて

ドキュメント内 第1章 本研究の視点と目的 (ページ 102-111)

人はどのような状況にあってもそこに肯定的な生を産み出していこうとする力 をもっている。元ハンセン病患者の人生は,そうした力の結晶であるといえる。

本研究は,ハンセン病という病とそれゆえの「人生被害」(熊本判決文)を被った 元患者の人生を支えたその力について,特に子ども時代から青年期に焦点をあて て,スティグマと喪失体験に注目しながら,考えていこうとするものであった。

本研究の初年度,全国13の国立療養所を訪問していた時に,ある園でたまたま 他の訪問者のグループといっしょになった。療養所の簡単な歴史と現在の福祉対 策の説明を聞いた後に療養所内を見学していた時、そのグループの人たちが「良 い暮らしやね」「幸せやね」と語り合っているのを耳にした。実際,現代の社会は 高齢者にとって厳しく,食費を切り詰める以外切り詰めようがない生活,子ども がいたとしても年に1・2回顔を見せるだけ,隣近所とのつながりもない,など 孤立した厳しい生活をしている人もめずらしくない。また老後にそうした境遇以 上のことは望めないと自らに言い聞かせている中高年も少なくない。それゆえ現 在の療養所をみた場合,「良い暮らし」と思うのは自然なことなのかもしれない。

そして,だからこそ「このまま死にたくない。話しておかないと,療養所の中で 死んでいった人,本名のわからないまま納骨堂で眠っている人,そういう人もい っぱいいるこの療養所の中で起こったことは,わかってもらえない。話して伝え ていかないとと思って,頼まれればあちこちで話しをしている。(玉城,第5章参 照。以下元患者のことばの引用は全て第5章による)「こういうことは二度として はいけないから,もうしないでねと。…ここであったこと,なかったことになっ てはいけない。だから話しておかないと。」(川瀬)という元患者の思いは切実で あり,貴重である。元患者のそうした思いや実際の努力は、私たちの社会の未来 への貴重なプレゼントであるともいえるが,先に書いたようにハンセン病の問題

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に関心を持ち理解しようとする気持ちが強いはずの見学者にさえ,療養所の歴史 は霞んでいる。

そうした現実の中で,元ハンセン病患者のスティグマと喪失体験について検討 することを目的とした本報告書は,療養所の中で生きるということがどういうこ とであったのか,どれほど過酷であったのかを見つめることに多くの部分を費や すことになった。

川瀬は療養所での生活を「辛い」というより「みじめ」だったと表現している。

だから「皆,自分がみじめになるからあまり話たくないというのが本音じゃない かな」と。スティグマを負わされた存在としての自分を表現するのは「みじめ」

なことであるにちがいない。国賠訴訟での証言を担った原告の勇気と人間として の誇りを改めて思うのである。同時に「恥さらし」と原告を非難した人の心の中 には,原告の証言が同じ被害を受けてきた自分の「みじめ」をさらけ出すものの ように感じられ、傷つく思いがあったかもしれないとも思うのである。あるいは 被害の実態の1つとしてワゼクトミーが問題になったことに対して「入所者の全 員がそう思われるのは迷惑」と抗議した人もいたと聞くが、そこには,入所者を 一まとめにして「みじめ」な人間と見なされてしまうことへの拒絶感・ゆずれな いプライドがあったかもしれない。みじめさの表出は,それ自体が辛いことであ るばかりでなく,興味本位な同情に媒介された関係の中では「みじめな扱いを受 けてきたかわいそうな人」というあらたなスティグマを負わされてしまう危険性 を孕んでいるからである。それゆえ,被害を聴き取りその内容を公開していくと いうことはそうした危険をはらむ営みであるということを,常に肝に銘じておか なければならない。その点で、本報告の作成過程ではいろいろ考えさせられるこ とが多かった。またさまざまな課題を残したと思う。

さて第5章で紹介した8人の女性入所者の話は,相互に響き合いながら療養所 という隔離施設の中にあった生活の実像,生活場面での被害の実態を浮かび上が

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らせている。第4章で検討した『春を待つ心』と「十九歳」も合わせて想像して みるとき,その生活の非人間的な現実が心に迫ってくる。それゆえ,何かを付け 加えることにためらいを感じるが,以下に,若干の整理・検討をしておきたい。

ハンセン病による喪失体験には,病による身体機能・容姿の損傷に関わる問題 と隔離による人間関係・社会的関係の断絶に関わる問題がある。第1章では次の ように整理した。

a.身体機能の喪失(感覚・運動機能障害)b.ボディ・イメージの喪失(容貌の変 形),c. 家族の喪失(療養所への収容・外出禁止),d. 故郷の喪失(同),e.アイ デンティティの核となる名前の喪失(療養所入所と同時に偽名使用強制。遺骨は 偽名のまま療養所内納骨堂に納骨された例も多い),f. 生殖能力の喪失(療養所内 結婚の条件として断種手術もしくは堕胎の強制)などである。a. b. は病の進行に よるもので喪失の程度に個人差があるが,c.d.は全ての元患者に何らかの形で,

e.f.は多くの元患者に,逃れ難くふりかかったものであった。(ただし a. b.につ いても,単なる病の進行というだけではなく園内作業による症状の悪化の例は多 い。)

子どもの時期の隔離によって体験されるのは,c. 家族の喪失(療養所への収容・

外出禁止)とd. 故郷の喪失 であろう。具体的には見知らぬ場所に連れてこられ、

一人親から取り残されるという体験である。それは一般的には心身に大きな影響 を及ぼしても不思議ではない喪失体験であろう。4章で見た松山くにと旗順子の 場合には,入所時にすでに症状が重かったので,bボディ・イメージの喪失(容 貌の変形) の問題も重なっていたと思われる。(順子は,入所後プロミン治療に よって「嘘のように」治っているのでその部分は解消されている。)

本研究での協力者の場合、入所時の症状は軽かった。そしてほとんどの人が入 所について「病気が治ったら迎え来にきてもらえる」あるいは「数か月治療して 治ったら帰れる」と思っていた。入所することが家族との致命的な断絶を意味す

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るとは思っていなかったのである。それゆえ,入所体験自体がその時点で家族や 故郷の喪失体験となったわけではなかった。たとえば 13歳だった上野や 16歳だ った大月は,園に到着した後にいつのまにか父親が姿を消したことに気づいた時,

置いていかれたことを知り悲しみ傷つく。しかし「秋になったら迎えに来る」(大 月)「2ヶ月くらいで治る」(上野)という父や医者のことばを信じて,しばらく我 慢すれば帰れると思っていた。上野や大月に限らず、少女たちは自分が入る「病 院」が退所規定をもたない絶対隔離施設だとは知らない。家族も心を砕いて気づ かせぬように工夫をして連れて来ている。自分で入所を決めた玉城の場合でも、

そのきっかけとなった手紙やパンフレットに「退所の規定はありません。従って 入ったら出られません。」といった「正確な情報」は書かれていなかっただろう。

「何ヶ月か治療したら帰ろう」と思って入所しているのである。このような事情 の中で入所時の体験は,喪失体験というより、自分の入った「病院」の奇妙さへ の驚きや戸惑いとして語られている。

驚きや戸惑いを感じたこととして重症の患者を目にしたことが語られるが,そ れ以上に語られているのは園内の規則や生活様式であった。たとえば勝手に名前 をつけられたり(上野),持ってきたお金を取り上げられたり(玉城),成人舎に 入った3人の協力者は一致して相部屋にびっくりしている。1人当りにすると1 畳あまりにしかならない部屋での5人以上の同居者との雑居。この成人期の相部 屋雑居生活の大変さは,経験をもつ全ての協力者が語っている。

しかし少女舎での相部屋が苦痛であったという話は出てこなかった。むしろ家 族と離れた淋しさの中で友だちといっしょであることがうれしかったという。少 女たちはやがては家に帰れると信じ,その日までと一生懸命に治療や勉強に励ん でいる。しかし園の外に出てはいけないことや,園の中にも立入りを禁じられて いる場所があること(第2章参照)など,自分をとりまく状況の奇妙さに気づい ていく。たとえば椎林は「人間が鶏や何かみたいに囲い込まれているということ

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