• 検索結果がありません。

(4)埋蔵文化財調査センター

ドキュメント内 金沢大学の改革・再編金沢大学の改革・再編 (ページ 121-124)

埋蔵文化財調査センターは1997(平成 9)年6月27日に設置され(第202回将 来計画検討委員会)、所掌委員会として埋 蔵文化財調査センター運営委員会(担当 部局施設部)が同時に設置された。

歴史的経緯をたどれば、金沢大学が角 間地区に総合移転を決定し移転が進展す る中で、1993年度に、総合移転第 II 地区 における埋蔵文化財の分布調査を石川県

立埋蔵文化財センターに依頼し実施したところ、「田上町側に寺院跡らしきものがある。今 後は条件を整えて詳細な試掘による確認調査を実施し、その性格を見極める必要がある。」

との報告があった。これを受けて、総合移転実施特別委員会の下に角間地区埋蔵文化財検 討小委員会を組織し(1994年6月13日)、調査団を編成し試掘調査を実施した。この調査 報告を受けて本格的発掘調査が必要であることが了承された(1995年11月9日)。1996 年7月には埋蔵文化財調査運営委員会を組織し、その中に調査団を編成した。9月20日の 評議会で全学定員流用助手2名を了承し、11月22日の第193回将来計画検討委員会で埋蔵 文化財委員会(以下、埋文委員会と略称)の設置が了承された。これに基づいて、12月1 日には助手1名を採用した。同年12月20日の第1回埋文委員会で文学部の佐々木達夫教 授を委員長に選出した。第2回の委員会(1997年1月20日)では埋蔵文化財調査センタ ーの設置を学長に要望すること、宝町キャンパス埋蔵文化財試掘検討小委員会(以下、小 委員会と略称)の設置を決定した。1月29日に第1回の小委員会が開かれ、病棟・校舎予 定地の試掘調査実施を埋文委員会に答申した。これを受けて埋文委員会は試掘調査の実施 を決定している(同年2月24日)。第3回小委員会(同年3月18日)においては試掘調査 は委員立ち会いで実施することが決定され、第4回小委員会で試掘調査団が結成された。

この調査団によって試掘調査の中間報告が行われた(同年5月21日)。同じく5月には定 員流用の助手1名を採用し、第4回埋文委員会において埋蔵文化財調査センターの設置計 画と同規程(案)を了承し、同年6月24日の第5回委員会で造成計画の確定後に年次計 画・予算について審議した。そして27日に埋文委員会を廃止し、現在の埋蔵文化財調査セ ンターおよび同運営委員会が設置されたのである。

1997年7月29日に第1回の運営委員会が開かれ、センター長に佐々木達夫教授を選出 した。なお、委員は8学部、がん研・附属病院・社会環境科学研究科・自然科学研究科・

センター・事務局の各部局1名で構成した。8月7日には第2回委員会が開かれ、1997 年度事業計画および運営費を了承した。さらにすでに採用されていたセンター教官2名が 改めて推薦され、承認された。そして角間総合移転第 II 地区学生寮建設予定地において新

写真8ー1 埋蔵文化財調査センター

遺構が発見されたとの報告があった。一方、宝町地区では病棟 I 期予定地の遺跡発掘調査 を県教育委員会に届け出(同年9月12日)るとともに、17日には病棟新営に伴う埋蔵文 化財調査を契約した。

同年9月19日の評議会で助教授1名・助手1名の全学定員流用措置と借用定員3名の措 置が承認され、センター教官は7名となった。この流用定員によってすでに承認されてい た助手2名をセンター教官に発令した(同年10月1日)。借用定員(医学部・附属病院)

によって助手2名が新規に採用された。

翌98年2月27日の第5回運営委員会において2000年度概算要求、角間地区の学生寮建 設用地の調査を一時中断すること、病棟トレンチ発掘部分の取り扱いおよび工期延長につ いて、センター教官の人事について審議している。概算要求では「5.付属施設等 イ学 内共同教育研究施設の新設等 (ア)新設で文化財学研究センター教授2・助教授2」を 要求している。学内共同利用施設である埋蔵文化財調査センターを改組し、学内共同教育 研究施設を新設するものである。角間調査の一時中断は、学生寮建設工事までには時間的 余裕があるので調査を中断し遺跡を現状保存しておくものである。人事では佐々木助手が 助教授に昇任し、助手2名を新規に採用した。

1998年度には遺跡調査関係では、宝町遺跡病棟 I 地点および精神科病棟 I 地点A・Bの 6,868m2、宝町遺跡保健学科校舎 I 地点2,382m2、宝町遺跡中央設備室地点1,220m2、宝 町遺跡包み込みの森98地点370m2等の発掘調査を行い、遺物1,170箱を発掘した。同年度 末をもって佐々木センター長から、理学部の河野芳輝教授に交代した。なお組織調整によ りセンター運営委員会はセンター委員会と改称したが、委員構成は変わらない。

1999年度には98年度に引き続いて宝町地区の発掘調査5,816m2(病棟 II 地点・保健学科 校舎・モニター槽・精神科病棟)および角間遺跡第2調整池南地点4,700m2の発掘調査を行 い、遺物438箱を発掘した。なお、この角間遺跡については2度にわたって遺跡見学会を持 ち、遺跡の重要性について種々検討した。そして7月15日にはセンター委員会を持ち、この 遺跡の取り扱いについて審議し、種々意見交換の後「現地部分保存とする。なお、最終的な 範囲は、工事の進め方も関係するので、センター側と施設部で協議する。」と決定した。この 決定を7月23日開催の学術情報委員会に報告し審議の結果了承されたが、現状保存を行う 関係上、遺跡の保存範囲・財政上の問題等を今後関係委員会と調整することも併せて了承さ れた。この後、この遺跡の扱いをめぐっては種々の経緯を経ているが最終的な結論には至っ ていない。また、第44回の組織調整委員会においてセンターへの教官定員流用について審 議され、新規分助手1名については2000年9月に見直しをし、他の1名については2000 年度は非常勤職員で対応する。更新分の扱いは角間地区助手2は2年間更新し、宝町地区 の助教授1・助手1は2002年10月31日まで更新することが決定している。1999年度末に は河野センター長が辞任し、2000年からは教育学部の五味武臣教授が併任している。

2000年度はこれまでに発掘してきた遺物の整理、調査研究・報告書作成に向けて奮闘中で ある。なお、これまで宝町地区におかれていたセンター事務所は角間地区に移転している。

【注記・参考文献】

1節

(1)『事務通報』

(2)『事務通報号外』

(3)「金沢大学将来計画構想」(1979年8月)

(4)『金沢大学将来計画構想』(1983年)

(5)『人文・社会科学系大学院(博士課程)の在り方に関する調査研究報告書』新潟大 学・金沢大学・岡山大学、非売品、1989年

(6)『大学改革 1945〜1999』大崎 仁、有斐閣、1999年

(7)『大学審議会答申・報告総覧―高等教育の多様な発展を目指して―』文部省高等教育 局企画課内、高等教育研究会編集、ぎょうせい、1998年

(8)『大学の多様な発展を目指して VII ―21世紀の大学像と今後の改革方策について―』

同、高等教育研究会編集、ぎょうせい、1999年

2節

(1)「金沢大学『教育改革』の経緯と概要」深谷松男、『金沢大学教養教育機構研究調査 部報』第1号、1997年

(2)「教育・組織の改革 第1部カリキュラムの改革」学部教育等検討委員会、1994年

(3)1997年度・1998年度・1999年度「『教養的科目についてのアンケート』調査報告」、

『金沢大学教養教育機構研究調査部報』第2号・第3号・第5号、1998〜2000年

(4)「教養的科目見直しの最終報告」、『金沢大学教養教育機構研究調査部報』第2号、

1998年

(5)「言語科目検討委員会報告書」言語科目検討委員会、『金沢大学教養教育機構研究調 査部報』第5号、2000年

(6)「総合科目検討委員会および同連絡会議における検討作業の経過報告」総合科目連絡 会議、『金沢大学教養教育機構研究調査部報』第5号、2000年

(7)「優先受講票交付制度の導入について(案)」登録予約制度ワーキンググループ、『金 沢大学教養教育機構研究調査部報』第5号、2000年

3節

( 1 )「金沢大学「教育改革」の経緯と概要」深谷松男、『金沢大学教養教育機構研究調査 部報』第1号、1997年

( 2 )「第601回教養部会議事録」

( 3 )「教養部改組の経緯―教養部内「改革」関連諸委員会の動向を中心に―」古畑徹、

『金沢大学教養教育機構研究調査部報』第1号、1997年

ドキュメント内 金沢大学の改革・再編金沢大学の改革・再編 (ページ 121-124)