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(2)教育学部の改組再編

教員需要減少の兆候と総合科学課程・スポーツ科学課程の設置

臨時教育審議会の答申を受けた大学改革に先立ち、教育学部には、すでに改組・再編の 波が押し寄せて来ていた。すなわち、1980(昭和55)年ごろから全国的に教員需要減少 の兆候が見え始め、1986年6月臨時行政改革推進審議会は、入学定員の見直しを答申し ている。それを受けて、文部省にすでに設置されていた「国立の教員養成大学・学部の今 後の整備に関する調査研究会議」は、翌7月に報告を行っている。そして、7月29日付け の文部省高等教育局長通知文高大第226号「国立の教員養成大学・学部の今後の整備の方 向について」において、教員養成課程の定員の一部を「教員以外の職業分野へも進出する ことを想定した課程等を設置する方向」が示唆された。いわゆる「新課程(ゼロ免課程)」

の設置である。

早くも翌87年には、山梨大学と愛知教育大学に新課程が設置された。また、その翌年の 88年には、12の大学が新課程の設置を行っている。

本学教育学部では、教員の採用率低下への対応と教育実習等で挫折し教員免許状を取得 できない学生のため、「カリキュラム検討委員会」を発足させて検討を行ってきた。その成 案がまとまり、1987年6月の教授会に提出されたが継続審議となった。そして、7月の 教授会で、前者の問題に対して、「小学校教員養成課程の学生が中学校教諭一級普通免許状 を、中学校教員養成課程、高等学校教員養成課程及び特別教科教員養成課程の学生が小学 校教諭一級普通免許状を取得することができる」ようカリキュラムの改正を行うこととし た。なお、後者の問題「教育職員免許状に必要な単位を習得しないで卒業できる」案につ いては、折から問題となっていた新課程設置検討の際、改めて検討することとした。

そして、10月、教育学部教授会では新課程発足に向けて始動するため次の事項を確認し た。すなわち、①教員養成を主たる目的としない新しい課程(学科)を本学部に設置する ため、1989年度に概算要求を行うよう努力する。②新課程設置の諸準備のため、新課程 設置準備委員会を発足させる。新課程設置準備委員会は、学部長(委員長)、評議員、音楽 教室・美術教室・保健教室・体育教室の各教室代表委員1名、教育科学科・人文科学科・

社会科学科・理学科・生活科学科の各人事母体学科代表委員1名、計12名をもって構成す る。③新課程のコース内容・構成等については、総合移転等対策特別委員会で、1986・

87年度にわたり検討・討議した経過と内容を尊重しながら、学部全教官の協力のもとに設 置し、編成するものとする。

この年、教育界では、8月に臨時教育審議会が最終答申である第4次答申を行い、早く も9月には大学審議会が設置された。大綱化へ向けて胎動の時期を迎えていたが、教育学 部では、眼前の問題(教員の需要減少と教員採用率の低下)解決に懸命だった。そのため の学部改組として、1977年に急増する児童・生徒に対応するため小学校教員養成課程を 100名から140名に入学定員を改定したが、その時増募した40名分を総合科学課程に、ま た、1952年に設置された特別教科(保健体育)教員養成課程30名をスポーツ科学課程に 改組することを骨子として検討を行った。1988年2月の教授会では、再度の文部省との 折衝結果として、1989年度に向けて設置の可能性が高まってきたことが報告されている。

なお、この時点で検討していた新課程は、総合科学課程40名(文化科学コース10名・理 学コース20名・人間科学コース10名)、スポーツ科学課程30名であった。

そして、新課程は1989(平成元)年4月、理学コースを自然科学コースと名称を変更 しただけで、総合科学課程40名(文化科学コース10名・自然科学コース20名・人間科学 コース10名)、スポーツ科学課程30名としてスタートした。

新課程の改組に関しては、必ずしも教育学部全教官が改組の趣旨を理解していたとは言 えなかった。そのため、特にカリキュラムに関しては、教員養成課程のカリキュラムの読 み替えが多く、独自の開講授業科目が少なかった。発足以後は、運営委員会を設け、新課 程のスムーズな運営に努力したが、特に総合科学課程においては、必ずしも所期の目的を 達成したとは言い難い面がある。

大綱化に先立ち、教員養成大学・学部に対する圧力は、さらにもう一点あった。それは、

第2次臨時教育審議会の答申によって設置された教育職員養成審議会(教養審)の答申で ある。1987年12月教養審は、「教員の資質能力向上方策等について」の中で、初任者研修 制度の創設と大学における実践的指導力の基礎の習得を目的とした免許制度の改善を答申 している。それを受けて、翌88年12月、教育職員免許法が大幅に改正された。その主な 内容は、ひとつには、教員免許状の種類を専修・一種・二種の三種類とすることと、もう 一点は、取得基準要件の大幅な改正で、教職専門科目の内容の細分化と単位数の増加や、

教育実習の「事前及び事後指導」の付加である。

しかしながら、これも全教官の関心を惹いたわけではなかった。免許状の取得基準要件 が教職科目に集中していたため、カリキュラムの改正は関係教官を中心に審議が行われた。

また、教育実習の事前指導については、時間の確保など一応全教官の注目を集めたものの、

その内容に深く踏み込むこともなく、折からの教員採用率の悪化を是正する期待も込めて、

県の教育委員会との関係改善を図るため、教育委員会関係者に講話を依頼しそれを当てる こととした。

大綱化および教員採用率激減と全学に波及した教育学部改組

大綱化と教員採用率激減による嵐の到来 1991(平成3)年7月、大学設置基準等の改 正(いわゆる「大綱化」)が行われ、「一般教育」枠の廃止によって、カリキュラムの抜本 的改革が必要となった。加えて、教育学部の場合は、翌92年11月、総務庁行政監察局が 文部省に対して、「義務教育諸学校等に関する行政監察結果」を示し、教員需要予測の減少 に対応した国立教員養成大学・学校の定員見直しを勧告したことが複雑に絡み合うことに なる。全国的にはこの勧告によって、1994年度から再度新課程の設置が促進する。新課 程については、1992年までの6年間に29大学41課程の設置を終え、ようやく一段落した ところだった。

教育学部では、総合科学課程の責任体制が不十分であることから、当課程を抜本的に見 直すことも視野に入れながら、大綱化を踏まえての学部改革についての議論を深めてきた。

その主な案は次のとおりである。

1.教員養成課程を縮小し、新課程と同程度の定員とする。

2.教育学部縮小案―いくつかの中学校の教科を他学部へ移行する。

3.新しい性格の教育学部に再編成する。

4.総合科学課程を充実し再編成する。

5.教養部と教育学部を合体し再編成する。

1については、教員養成を中心任務とする学部では認められないという大学室見解で立 ち消えになった。2・3・4については、4を基本とする案を策定し大学室と交渉したが、

どの案も既設学部と重複する部分が多く成案には至らなかった。5については、教育学部 単独の改革はあり得ないと門前払いされた。

そのような中で、1994(平成6)年4月、修士講座の大講座制への移行と、教員養成 課程の小学校15名減・中学校5名減(国語・社会・数学・理科・英語各1名)・養護学校 教員養成課程中等部5名減・言語障害児教育教員養成課程5名減、計30名減の原案を策定 した。その折、大学室からは高等学校保健体育科教員養成課程に言及していないことを指 摘された。そこで、5月の大学室折衝では、高等学校保健体育科教員養成課程20名を中学 校教員養成課程保健体育に5名、スポーツ科学課程へ15名振り替える原案を立てた。な お、この折の全学概算要求の教育学部の分は、大講座制への移行、教養部からの教官定員 の振替9名、学生定員減30名(法学部10、経済学部5名、理学部5名、工学部10名、移 行)であった。

6月、教育学部教授会では学生定員に関する概算要求を4月、5月の大学室折衝の結果 を踏まえて(小学校15名減、中学校5名減、養護中等5名減、言語障害児5名減、高校体 育20名減、中学校体育5名増、スポーツ科学課程15名増、計30名減)まとめた。これに 対して大学室は、スポーツ科学課程増の根拠が薄弱、学生定員の増減には県教委の内諾書 を、総合科学課程の責任体制を明確に、という見解を示した他に、小学校免許状取得に理 科等の必修が多いが、これは、多くの免許状を取得するため広く学習する方針と矛盾して