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(1)新カリキュラムの実施までの経緯

設置基準の「大綱化」と学部教育等検討委員会の設置

1991(平成3)年2月8日、大学審議会(以下、大学審と略称)は「大学教育の改善 について」を答申した。これはあまりに詳細かつ複雑に大学教育の枠組みを規定していた 大学設置基準を「大綱化」することを提言し、その1つとして各大学がカリキュラムを自 由に設計できるように、一般教育・専門教育などの授業科目区分を撤廃することを盛り込 んでいた。この答申に基づいて、同年7月には大学設置基準が大幅に改定され、授業科目 区分や区分ごとの履修義務、教員組織の基準などが完全に撤廃された。そして科目区分撤 廃に伴い、「大学、学部及び学科、課程等の教育目標達成のため必要な授業科目を体系的に 編成すること。その際、幅広く深い教養、総合的な判断力、豊かな人間性の涵養に配慮す ること」(19条2項)という教育課程の編成方針が新たに示された。

こうした大学政策の新たな動向に対し、金沢大学では将来計画検討委員会(以下、将来 委と略称)の下に学部教育等検討委員会を設置して対応することとなった。その設置を決 めた91年3月20日の第116回将来委の議事録には、「大学設置基準の大綱化に伴う諸問題 を検討するため『学部教育等検討委員会』を設置する」と、その役割が明記されている。

そして同日の第507回評議会で設置が承認され、評議員選出母体である全部局から選出さ れた各1名の委員(原則として部長・評議員、教養部のみ2名)と2名のオブザーバー

(学生部長・教養部評議員)によって構成されることになった。この部長・評議員を中心と する委員構成は、その後委員が交代し、また必要に応じてオブザーバーを増やしたものの、

本委員会が終了する96年3月末まで基本的に変わらない(1)(表8−4参照)。そしてこの5 年間、「大綱化」に伴う金沢大学の教育改革・組織改革は、全てこの学部教育等検討委員会 における白熱した議論を経て、実施されていったのである。

第1回学部教育等検討委員会は5月21日に開かれ、青野学長が委員長に理学部選出委員 の木村實理学部長を指名した。そして、教育改革を組織改革に優先させる方針を決定し、

一般教育と専門教育の理念・関連性、大学一貫教育の在り方についての検討から議論が開 始された。ただし、まず問題となる一般教育について、その責任部局である教養部で委員 会を設置して教育改革の検討が進行していることから、その報告が出るまでは認識を深め るための意見交換が主となり、本格的な議論には入らなかった。

教養部一般教育検討委員会の設置とその報告

教養部の動き出しは全学的な動きよりも早かった。1990(平成2)年ごろの教養部の 最大課題は角間移転問題で、その過程で学部と対立関係が生じており、これが教養部教官 に教養部あるいは教養教育への強いアイデンティティを形成させていた。それ故に、90年 7月に出された「大学審議会教育部会審議概要その2」などで大学審が設置基準の「大綱 化」や「担当教官固定化の解消」などを答申しようとしていることがわかると、教養部存

在の法的根拠が失われ、教養部の廃止・教養教育の切り捨てに学部側が走り出すのではな いかという危惧が、教養部会の席上で表明されるようになった。そして、答申が出される 前に教養教育の新たなる位置づけをし、教育改革をしてゆくことでこの状況を乗り切ろう という見解が主流を占めるようになった。こうして、1990年12月18日の第531回教養部 会で、一般教育検討委員会(第1次、委員長は清原岑夫教授)が設置されることとなる。

教養部会から一般教育検討委員会に課された検討課題は、大学教育における一般教育の 位置づけ、現行の一般教育をめぐる問題点、一般教育のカリキュラムの在り方の3点であ った。この委員会は精力的に諸問題を検討し、1991年1月からの1年間に30回もの委員 会を開き、同年12月に報告書「一般教育検討委員会報告」をまとめあげた。

この報告書は、大学生の現状を分析した上で、一般教育(報告書では「教養教育」と表 現。以下、教養教育を使用する)の目指すべき課題を、①自主的・自立的判断力の養成、

②論理的思考力の養成、③批判的問題意識の養成、④柔軟な思考力の養成、⑤全体的・総 合的視野の養成の5点とし、その課題を前提として、「本質的に開かれた原理的思考に立脚 しつつ、学問の総体を現実との関わりで問い直す力を育成するところに」教養教育の成立 根拠があると述べる。専門教育との関係では、教養教育を「長期的展望に立った、民主主

表8−4 学部教育等検討委員会委員一覧

部 局 名 委 員 名 期 間・備 考 部 局 名 委 員 名 期 間・備 考

貞末 堯司 1991年 5月〜 1992年 3月 定塚 謙二 1991年 5月〜 1993年 3月 文 学 部 高澤 裕一 1992年 4月〜 1993年 8月 八木  正 1991年 5月〜 1993年 3月

小牧 純爾 1993年 8月〜 1995年 8月 多田 治夫 1991年 5月〜 1993年 3月(オブザーバー)

鹿野 勝彦 1995年 9月〜 1996年 3月 1993年 4月〜 1995年 3月 深谷 松男 1991年 5月〜 1996年 3月 教 養 部 中林 伸浩 1993年 4月〜 1996年 3月

(1992年11月〜委員長) 高山 俊昭 1993年 4月〜 1995年 3月(オブザーバー)

法 学 部 鹿島 正裕 1992年11月〜 1994年 3月 1995年 4月〜 1996年 3月

長沼 範良 1994年 4月〜 1995年 3月 畑  安次 1995年 4月〜 1996年 3月(オブザーバー)

鹿島 正裕 1995年 4月〜 1996年 3月 古畑  徹 1994年 9月〜 1996年 3月(オブザーバー)

久志本 茂 1991年 5月〜 1993年 4月 が ん 研 高橋 守信 1991年 5月〜 1996年 3月 藤  則雄 1993年 5月〜 1994年 4月 玉井 龍象 1991年 5月〜 1992年 3月 教育学部 藤沢 法暎 1994年 5月〜 1995年 4月 附属図書館 島田 昌彦 1992年 4月〜 1994年 3月 金子 劭榮 1995年 5月〜 1996年 3月 小堀 為雄 1994年 4月〜 1996年 3月 片桐 和雄 1995年 1月〜 1995年 4月(オブザーバー) 山口 成良 1991年 5月〜 1993年 3月 出村 慎一 1995年 5月〜 1996年 3月(オブザーバー) 医 学 部 廣根 孝衛 1993年 4月〜 1994年 3月 経済学部 橋本 哲哉 1991年 5月〜 1996年 3月 附属病院 宮崎 逸夫 1994年 4月〜 1994年 9月 木村  實 1991年 5月〜 1993年 3月 渡邊 洋宇 1994年10月〜 1996年 3月 理 学 部 (〜1992年11月委員長) 社 環 研 土屋 純一 1991年 5月〜 1996年 3月

藤本 坦孝 1993年 4月〜 1995年 3月

自然科学 松村 文夫 1991年 5月〜 1993年 3月 樋渡 保秋 1995年 4月〜 1996年 3月

研 究 科 伊藤 道也 1993年 4月〜 1995年 3月 竹田 亮祐 1991年 5月〜 1991年12月 北浦  勝 1995年 4月〜 1996年 3月 医 学 部 廣根 孝衛 1992年 1月〜 1992年 3月 医  短 立野 勝彦 1991年12月〜 1996年 3月

山本長三郎 1992年 4月〜 1994年 3月 平井 英二 1991年 5月〜 1992年 3月(オブザーバー)

中西 功夫 1994年 4月〜 1996年 3月 学 生 部 北原 晴夫 1992年 4月〜 1994年 3月(オブザーバー)

薬 学 部 伊藤 道也 1991年 5月〜 1993年 4月 永坂 鉄夫 1994年 4月〜 1996年 3月(オブザーバー)

花岡美代次 1993年 5月〜 1996年 3月 W G 2 北原 晴夫 1994年 5月〜 1996年 3月(オブザーバー)

工 学 部 江見  準 1991年 5月〜 1993年 3月 外セ小委員会 大瀧 敏夫 1995年10月〜 1996年 3月(オブザーバー)

松村 文夫 1993年 4月〜 1996年 3月

注1)がん研=がん研究所、社環研=社会環境科学研究科、医短=医療短期大学部、WG2=ワーキンググループ2、外セ小委員会=外国語 教育研究センター検討小委員会

2)出典:深谷松男「金沢大学『教育改革』の経緯と概要」(『金沢大学教養教育機構研究調査部報』第1号、1997)

義社会における主権者としての市民育成のたゆまざる営み」とした上で、「個々の学問分野 に固有の知識体系と方法を教育する専門教育とは、相互に前提としあい、大学教育の両輪 をなす」という「車の両輪論」を展開した。そしてこれを基礎に、①教養教育と専門教育 の並行実施、②教養科目の再編成(テーマ別総合科目・テーマ別個別科目・一般科目・言 語科目を教養科目とし、教養・専門の両方にかかわるものとして基礎科目を置く)、③教養 科目の原則的選択制、④教養教育の総単位数の50単位目処、などの新カリキュラム案を提 示した。

この報告書は教養部会と学部教育等検討委員会の双方で検討された。教養部会では約5 カ月にわたって審議され、1992年6月2日の第559回教養部会で基調報告として承認され、

6月16日の第560回教養部会で、この基調報告に基づくカリキュラムの具体的編成を任務 とした第2次一般教育検討委員会(委員長は中林伸浩教授、1993年4月からは畑安次教 授)が設置された。この委員会は翌年10月に解散するまで50回の委員会を開き、新カリ キュラム実現のために具体的な問題を詳細に検討した。

課程区分の廃止

学部教育等検討委員会では、「一般教育検討委員会報告」を基にして、総合科目・言語科 目などの具体的検討が始まり、また各学部で検討されている教育改革案も提出されて、意 見交換が行われた。しかし、1992(平成4)年2月からの議論は、新しいカリキュラム それ自体よりも、前期一般教育課程と後期専門課程の課程区分廃止問題の方に中心が移っ てしまった。これは本来、教養・専門の並行実施のために検討を要する事項であったが、

ここでは一般教育課程における留年学生の増大問題への対応という側面が強調され、カリ キュラム改革に先行して来年度から実施することが提案された。

1年半の一般教育課程から専門課程への進学期に留年する学生は、当時、学部によって は30%にも達しており、留年制度自体の廃止は理のあることではあった。しかし、これが 通則改正を伴い、その時に教養部の存在根拠が通則から削られる可能性があることや、新 カリキュラムも決まらないうちに課程区分だけが廃止されると教養教育の圧縮・軽視につ ながりかねないことから、教養部はこれに難色を示した。5月29日の第16回学部教育等 検討委員会は、教養部委員の賛成が得られないまま、課程区分の廃止と教養・専門の並行 実施を決定し、6月26日の将来委および評議会に報告した。その後も教養部と各学部との 間で激しい議論が展開されたが、1993年2月9日の第528回評議会で通則改正が了承され、

4月1日から課程区分が廃止された。

課程区分の廃止は、1993年度入学生だけでなく、当然在校生にも適用されたので、彼 らに不利が生じないように過渡期対策を行う必要があった。学部教育等検討委員会は、

1992年9月18日の第20回委員会で、北原晴夫学生部長を座長とする過渡期対策ワーキン ググループの設置を決めた。メンバーは経済学部・理学部・工学部および教養部の教務委 員長と学生部の教務係長で、教養科目の履修方法や成績管理など実務的な問題を検討し、