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(3)各部局の改組再編

本項では、教養部・教育学部の改組再編を除く各部局の改組再編について述べる。各学 部の改組再編についての詳細であれば、むしろ『金沢大学50年史部局編』を参照していた だくほうがよいかもしれない。しかし、各学部における改組再編の在り方を比較・検討す るのであれば、本項での記載内容がやや簡略化されたものであったとしても、その内容を 一カ所にまとめて記述しておくことは無意味ではなかろう。こうした趣旨から、以下では 各学部の改組再編の経緯および改組再編の概要について述べることにする。

各学部における改組再編計画の作成

文学部・法学部・経済学部の文系各学部は、1995年度概算要求の際に事実上の教養部 廃止を見込んだ概算要求を行い、一方、1994年度概算要求で学科新設要求をすでに行っ た理学部も1995年度概算要求に際し、急遽「計算科学科」の新設を盛り込んだ。

その後、1995年度概算要求が自然科学研究科地球環境科学専攻の新設を除いて承認さ れなかったことについては、すでに述べられているとおりである。また、1994(平成6)

年秋には、教員養成学部における縮小改組という文部省の意向も確認されたが、この意向 が1996年度概算要求計画をすでに進めていた時期に確認されたことから、各学部では 1996年度概算要求計画をそれ以後早急に変更することが必要になった。もちろん、この ような経緯は、さらなる拡充改組を目論む部局にとっては恰好の機会になっていたことも 付け加えておくべきかもしれない。

結局、各学部から提出された1996年度概算要求は、95年秋に政府・文部省の承認する ところとなり、1996年度の新学期から各部局(学部)の改組再編が施行されることに決 定した。

一方、改組再編案を盛り込んだ1996年度の予算配当がほぼ決定したのに並行し、学内 では教養部所属教官を具体的にどのように各部局に分属させるかについての問題も検討さ れ始めた。教養部教官の希望どおりに分属が決定した部局もあれば、部局内での調整がぎ りぎりまで行われた結果、分属が決定した部局もあった。

以下に、教育研究組織の改組再編に際し、各学部で提示された改組再編の基本構想と改 組再編に至る各部局での経緯とを列挙しておこう。

文学部の再編計画 新学部構想の頓挫にしたがい、学部・大学院での学科等拡充改組案の 提出を要請された文学部は1995年度概算要求に向けた検討を開始した。94年2月から3 月にかけて、文学部学部教育等検討委員会が「当面4ないし5程度の小講座、語学系教官 3ないし4名を含む、人文系の8ないし10名程度の教官定員贈による拡充改組」という提

案を行い、同年3月の臨時教授会が5小講座の増案を承認した。一方、94年4月には、教 養部に貸与している助教授定員をそのまま国際言語教育センター(現、外国語教育研究セ ンター)に貸与することを承認した。94年6月の「金沢大学組織改革の概要」には、行動 科学科に文化社会相関論・記号行動論が、史学科に地域史学が、文学科に西洋言語文化 学・東洋言語文化学の計5小講座新設計画が記されている。94年6月には、全学将来計画 検討委員会による「教養部からの定員移行は語学系で1名増となる5講座10名」との説明 が教授会に対して行われ、了承された。

しかし、1995年度概算要求は、その将来計画構想を維持しつつ、1996年度のそれに繰 り延べとなった。これに加え、文部省による教育学部縮小の指示が教育学部からの定員移 行をも勘案する必要性を文学部に生じさせた。95年1月、全学将来計画検討委員会が教育 学部からの提示を了承し、「学生定数95名減、他学部に移行する教官定員を25名から30名 とする」ことが提示された。これに伴い、文学部では、文学部学部教育等検討委員会が

「教育学部から学生定員20名を受け入れ、教養部および教育学部を併せて18名の教官定員 を受け入れる」、「考古学と国際文化交流史を合体して17の履修コースを16に低減、小講 座を改め履修コースを単位とする大講座制に移行、16の大講座を設置、学科数は3にする。」

とした。95年2月、教授会もこれを承認した。

しかし、その後、教育学部が一転して縮小計画を改変したため、学生定員増員計画はそ のままとしつつ、移行教官数については14名とした。学部間での調整により結局、95年 3月、教育学部から文学部へは3名が移行することになったため、各学科の助手定員1名 ずつを助教授定員に振り替えて大講座化への移行に備えた。1996年度概算要求は次のよ うに決定された(文学部の改組計画案を参照のこと)。

○3学科24小講座を3学科16大講座とする。

○学生定員では教育学部から20名を振り替える。

○教官定員では教育学部から3名・教養部から13名を移行させたうえで、新設の外国語教 育研究センターへ1名(教養部から振替の1名)を移行させ、計16名を増員する。また、

教養部から臨増分2名を移行させる。

○助手定員3名を助教授定員に振り替える。

○行動科学科の名称を人間学科に変更、これに伴い、行動科学基礎論講座を人間学基礎論 講座に名称変更する。

文部省の予算内示などにより文学部の拡充改組が確実となったため、続いて、教養部教 官の移行と分属とが進められた。1995年11月から96年2月にかけ、文学部では、教養部 教官の文学部への移行希望が多かったため、評議員が各方面との折衝を行った。そして、

最終的には教養部から14名の教官が移行することになった。ただし、その際には移行教官 の専門分野の関係上、部内措置として人間学科に「基礎文化論」を設置することとした。

法学部の再編計画 法学部では1993(平成5)年秋ごろから、大学改革の一貫としての 拡充改組への取り組みを始めた。この時期の取り組みは、既存の法学部将来構想等検討委

員会が推進したもので、法政策学科の増設構想や政策情報学科構想などが議論されていた。

1994年度に入ると、全学での大学改革への取り組みの動向をにらみながら、法学部将来 構想等検討委員会が拡充改組案を提示する1995年度概算要求案を討議した。討議の結果、

1995年度概算要求案では、国際環境大講座・政策情報大講座から構成される国際政策学 科の新設を要求することに決定した(これに伴い、現行の政治国際関係大講座を解消する こととした)。また、この概算要求の第一次案では、教官定員を教養部から9名(概算要求 案では11名に増加)、新規で6名(「金沢大学組織改革の概要」では5名、概算要求案では 3名に縮小)、計15名(同時期に14名に縮小)を要求する拡充改組案を提出した。

1995年度概算要求の繰り延べと教育学部の縮小改組問題は、法学部にとってさらに積 極的な拡充改組構想の可能性を広げた。法学部はその後、文部省との折衝などにより、

①新たに設置する学科名の変更、②国際法務を専門とする講座の新設、を決定した。こう して、1996年度概算要求では、公共システム学科(公共政策大講座・国際政治大講座:

ともに実験講座)の新設と、法学科に渉外法務大講座の増設を盛り込んだ。すなわち、

1995年度概算要求時と比較して、1大講座をさらに要求したわけである。教官定員の増 員計画では、教養部から11名(これ以外に臨増定員2名)、教育学部から移行の2名・新 規3名(助手1名を含む)の計16名の教官とした。

経済学部の再編計画 経済学部では、1993(平成5)年11月の教授会で将来構想が議題 にあがった。同年12月には、経済学部将来計画検討委員会を設置して検討を進めた。新学 部構想が挫折した94年3月には、経済学部への教官移行をにらみ、1つの大講座(国際社 会文化論大講座)増設を骨子とする改組案として報告した(ちなみに、教官定員の増員案 としては教養部から9名の移行を提示した)。さらに、「金沢大学組織改革の概要」では、

1大講座(国際社会文化論大講座)の増設を要求し、教官定員の増員案としては、教養部 から移行の9名と新規3名、計12名の増員案を提示した。また、学生定員の増員案では、

新たに3年次の編入定員を設定している。こうした経緯を経て、1995年度概算要求案で は、教養部から移行の11名・新規3名の教官増員を計画した。

しかし、1995年度概算要求は繰り延べとなり、経済学部の拡充改組案にはさらなる検 討が加えられたが、この過程で教育学部の縮小改組計画も進められることとなった。この 教育学部の縮小改組計画が進んだ95年3月ごろには、経済学部の改組計画案が教育学部の 改組と連動できるようになり、教育学部からの教官定員1名(計13名)と学生定員10名 を増員する要求を拡充改組案に盛り込むこととなった。この経緯を経て、95年4月、

1996年度概算要求では、「情報」の重要性に鑑み、新設される大講座の名称を変更し、国 際化時代の社会情報や社会文化に関する教育体制となる「国際社会情報論大講座」の新設 を要求した。また、教官定員の増員については、教養部から11名(これ以外に臨増定員2 名)・教育学部から1名、計12名を移行させることとし、学生定員の増員については、教 育学部から10名の学生定員の振替を提示した。この一方で、1995年度概算要求で提示さ れていた3年次編入定員の新設については見送られた。